第十二話 導きの涯 (11)
第十二話 導きの涯 (11)
「…それでもう、十八頭倒したの?怒涛の勢いね」
「ラグがいなかったらこうはいかなかったよ」
――二週間あまり後。
菓子屋シェクロールでティファーナを前にパンケーキを頬張りながら、リディは肩を竦めた。
あれから試行錯誤を繰り返しつつ、人員を班編成で振り分けて、狩人達は次々と竜を平らげていた。八頭ほど狩ったところで竜の見回りルートが変わるなどハプニングもあったが、そこは各所に張ったラグの転移陣が効を奏し、今のところ狩人側に犠牲者は出ていない。
しかし頭のいい竜のことである。仲間が次々と減っていけば、それに気づかないはずはないのでは?という懸念もあったが、今のところ、それに判を押すような事態は起きていない。
「ラグ君も相変わらずふわふわしてるのねえ。あなたとラグ君とヘンドリック様のやり取り、思い出しちゃうわ」
にこにこ笑うティファーナに、そうだね、と笑み返してから、リディはふ、と戸口の方を見遣った。
ほぼ時を同じくして、からんからんと鈴が鳴り、木のドアが外から開かれる。入ってきた人物に、リディは微妙に顔を強ばらせた。
それは入ってきた方も同様で。
「あ…」
客――ユーリアは、戸惑った、というか気まずげに目線を外すと、カウンターに立つ店員に品物を頼み、受けとるなりそそくさと出ていった。
「……」
この間、約五分。夕方の手前という微妙な時間帯のせいか、他に客もいない店内は、沈黙に満たされていたのである。
「――なにかあったのかしら?あっ、もしかして痴情の縺れ?」
ユーリアが去ってから、ティファーナはリディにキラキラした瞳を向けた。ものすごく楽しそうである。
「…いや、…」
否定しようとして、リディは否定できない自分に気づいてしまって、机に突っ伏す。
「まっ、当たりなの!?リディちゃんもついに!?なになに?ホラ、おばさんに話してみなさい?」
「……」
こうなったティファーナ――いや、世の中のおばさんは止まらない。カウンターに立つ店員にも、哀れみもとい諦めろと促す眼を向けられ、逃げ道がないことを悟ったリディは、重い口を開いたのだった。
―――――――――――――――――――
――三日程、前の話だ。
その日もその日とて朝、他の狩人達と共に竜との死闘を繰り広げ、いくらかの傷を負って帰ってきたリディは、服を着替え、昼食を終えるなり、一人の少女に捕まった。
最初は正直誰だかわからなかったが、路地裏に連れていかれ、なにやら憤怒の表情で言い立てられる内に思い出した。ティファーナの菓子店で会った、少女達のうちの一人だ。
少女が言うには、だ。
「同じ狩人で同じパーティだからって、馴れ馴れしくしないでよっ!ユーリアが可哀想だわっ!あんたなんか、顔がちょっと美人なだけで、胸小さいし、髪短いし、色気ないし、女っぽくもなんともないじゃない!ユーリアの方がずっと魅力的だわっ!なのにあんたがいるからユーリアは足踏みしちゃってるのよ、可哀想にっ!とっとと離れなさいよ、あんたなんか相応しくないわ!…」
…以下略。
目を点にして聞いていたリディである。
一通り少女のぶちまけを受け止めたリディは、肩で息をする少女を見下ろしながら、小首を傾げた。
「ええと…君は『ユーリア』じゃないんだよね?」
少女はギッとリディを睨み上げた。
「違うわっ、なに聞いてたのよっ!私はキャロル!あの子の友達よ!」
「うん、わかった。でも、ならなんで君がそのことを私に言うの?ユーリア…さんとやらがルイスを好きで、ユーリアさんが私に言うのならわかるけど。君が言う理由が見えない」
基本的に女性の友人がいないリディである。女性の、友人の恋を成就させてやりたいと奮起する心理が全く解らない。
それ故の、ただ疑問を述べたリディらしい言葉だったが、言われた方にはグサリとくる言葉だった。
「…っ、あんたねぇっ!ひとを愚弄するのも大概に」
「キャロルっ!」
いつかの再現のように、キャロルの台詞を断ち切って、悲鳴のような声が路地に響いた。
「っ、ユーリア…リーナ…」
唇を噛むキャロルとは別に、リディの中にもなにかちりっと焦げ付くものがあった。だがその正体はリディには解らず、ただ不機嫌さが這い上がってくる。それをなるべく押さえつけながら、リディはユーリアを振り返った。彼女のうしろには、菓子店にいたもう一人の少女の姿も見える。
「なに。本人が言うことにした?」
思った以上に冷え冷えとした声が出て、リディは自分にかなり驚いた。
(え、なんで私怒ってるんだ?)
ユーリアの後ろの少女――リーナ――が、りんと声を張り上げる。
「違うわ。今そこのキャロルがあなたに言ってしまったことは、その馬鹿が勝手に思い上がって言ったこと。ユーリアが思ってることじゃない。…言い訳みたいだけど、本当のことよ。そこの馬鹿に代わって謝るわ。ごめんなさい」
「…そう」
納得したわけではなかったが、リディはひとまず受け入れた。自分の正体不明の怒りが、あの罵りによるものではないと本能でわかっていたからだ。
リーナは、そっぽを向くキャロルに向かって、低い声をかけた。
「キャロル。みっともない、ユーリアに傷がつくだけの言動はするなって、私言わなかった?」
「ユーリアに傷なんてつかないわっ!だって悪いのは」
「いい加減にしなさい!!」
怒鳴り声に、キャロルだけでなくユーリアやリディまでも飛び上がった。憤怒の表情を浮かべ、リーナは続ける。
「あなた、自分がもう二十歳だって解ってる!?もういい大人でしょう!それにあの店主さん言ってたでしょう、その子はあなたより年下の女の子よ、しかもなんの関わりもない私達の街の為に戦ってくれてる狩人!その子に対して、感謝するどころか、よくも自分勝手な罵詈雑言を吐けたものね!」
凄まじい勢いに、キャロルはただ縮こまり涙目になっている。見ている方が可哀想になり、リディはあの、と口を挟んだ。
「私気にしてないし、そんなに怒らなくても」
「黙っててくれる。この阿呆は一回でも百回でも言わないとわからないわ」
にべもなく一蹴され、あえなく沈没した。
「だいたいその子の言う通りよ。ユーリア本人が言うなら――ユーリアはあなたと違って聰明だからそんなこと言わないだろうけど――まだしも、ただの友達が言うのは道理じゃない。そんなことやっていいのは子供だけよ。いい加減子供気分を卒業する時期じゃないの!?」
キャロルはもはや泣いていた。
だか正しいだけに、ユーリアもリディも擁護が出来ない。おろおろと事態を見守るしかなかったが、リーナはその前にはたと気付いた。
「二人も話すことがあるはずよね。この馬鹿の説教は私がタップリしておくから、きちんと話すといいわ」
えっ、まだ説教するの!?という無言の抗議を華麗に背で振り払って、リーナは颯爽とキャロルを引きずって去っていった。
あとに残された二人の間には、微妙な沈黙が落ちる。
その重さに耐えきれなくなったリディは、声を出しかけた。
「…あのさ」
「あなたとルイス様は、お付き合いをしているのですか?」
が、被せられた台詞に、目を点にする。台詞の内容を頭で反復すること数回、さらには咀嚼に倍の回数を重ね、理解するのにたっぷり時間をかけてから、「はぁ!?」と叫んだ。
「お、お付き合いって…」
「恋人同士なのか、ということです」
こいびと。濃い微糖?違う。えーと。
「恋人ぉ!?」
素っ頓狂に絶叫してから、リディは違う違う違う違うと必要以上に頭を振った。
「あいつは旅の仲間で、信頼できる相棒だけど、…」
恋人じゃない。
そう言おうとして、何故か、なにかがリディの中で引っかかった。ズキ、と胸のどこかを抉るような、不可解な痛み。
口ごもったリディに、少し迷ってから、決然とした色を、ユーリアは浮かべて言った。
「なら、私がルイス様に告白してもよろしいですか」
「こくっ…!?」
目をこれ以上ないほど見開いたリディに、ユーリアは頷く。
「私はルイス様をお慕いしています。ならば、想いを告げ、出来れば受け入れて頂きたいと思うのです」
立て続けの耳慣れない言葉に、リディの頭は半分パニックを起こしていた。恋愛沙汰とは遠く離れた生活を送っている彼女である。混乱した頭に意味が浸透するのに、しばらくの時間を要した。
ようやく呑み込んでから、リディはもぐもぐと、普段の彼女からすれば考えられないほどどもり加減に答えた。
「なら、そうしたら…これはルイスと、君の問題だろ」
「…よろしいのですか」
静かな瞳に苦しげな色を浮かべ、ユーリアが言う。
「…なにが」
「リディさんも…ルイス様がお好きなのではないのですか」
ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
たっぷり三拍おいたあと、
「………。……は?」
リディはそんな、掠れた一音のみを発した。
「…は?私がルイスを、好き?」
「…?違うのですか」
「……」
違う、と言いかけ、やめたリディの顔は、なぜかみるみる内に赤く染まっていった。熱くなった頬を抑えて、リディは動転した。
(え?ちょっと待って?好き?私が?ルイスを?)
絶賛混乱中のリディを余所に、ユーリアは頭を下げた。
「では、私は私の思う通りにさせて頂きます。…リディさんも、ご自分の心に従って行動なさってください」
潔すぎる宣言を残して、ユーリアは去った。呆然と立ち尽くすリディに、不意に背後から声がかかる。
「リディ?なにしてるんだ、こんなところで…」
「ル…」
声の主はルイスだった。路地を除き込み、不審そうに首を傾げている。なんでもないよ、という答えが喉で詰まる。
(あなたも、ルイス様がお好きなのでは?)
ぼっと音を立てる勢いで、髪と同じくらいの赤を顔全体に上らせたリディを、ルイスが不審に思わない筈がない。
眉を上げて近づいてこようとした。
「おい、大丈夫か?」
リディの頭はここでパンクした。
「だ、だ、大丈夫だからっ!ごめん用事思い出したっ!じゃあねっ!」
「え!?おいリディ待――」
脱兎のごとく走っていってしまったリディを、ルイスは呆然と見送ったのだった。
―――――――――――――――――――
一通り話をし終え、一息ついて顔を上げ――リディは憮然とした。ティファーナが口元を押さえて肩を震わせていたからだ。
「…ティファーナさん」
「ああ、ごめんなさいね。つい、春が来たんだなぁ…って思うと」
「?まだ冬だけど」
「季節じゃないわよぉ」
ティファーナはぶふっと再び吹き出すと、つんとリディの額をつつく。
「で、どうするの?リディちゃん」
「どうするったって…」
もごもごとリディは呟き、やがて諦めて首を振った。
「わかんないんだ、自分の気持ちが。私はルイスが好きなのかどうなのか…」
ティファーナはじっとリディを見つめた。
頑なな少女。昔から『女』に変わることを拒絶し、普通の女の子が歩くような道を進んでこなかった。
ティファーナは何も知らない。彼女がなんのために、少女としての生き方を拒絶してきたのか。それでも、今が、彼女がその軛を切ろうとする時なのだと本能が告げていた。
だから黙って、リディの吐露を聞いた。
「あいつといると楽だ。私は『私』でいられるし、肩を並べて戦える。一緒に旅するのは楽しいし、わくわくする。でも、それが好きっていうことなの?違う気がする。けど…」
一度言葉を切って、リディは躊躇いながら続ける。
「あいつの隣に、私以外の誰かがいるのを思い浮かべると――胸が苦しくなるんだ。悲しいんだか、悔しいんだか、怖いんだか――とにかく、よくわかんないけど、嫌な感じなんだ」
ティファーナは微笑んだ。
「『好き』には色々な形があるのよ、リディちゃん」
ふと遠くを見る目をして、ティファーナはゆっくり喋りだす。
「誰かに守って貰いたい、頼りたい『好き』。誰かを護りたい『好き』。自分のものにしたい『好き』。その人の幸せをひたすら祈る『好き』。ただ一緒にいたい『好き』。――恋っていうのはね、そんな全部をひっくるめたものだと思うの」
「……」
「リディちゃんは、わからないと言うけれど――浮かべてみて。その人の姿を、声を、仕草を。胸があったかくならない?どきどきする気がしない?」
答えは、明白だった。
リディの白い頬に赤みが差し、表情が柔らかくなる。そのことに、リディ本人も気付いた。
そっか、と呟く。
「私は、ルイスが好きなんだ」
いつこの気持ちが芽生えたのだろう。ずっと前からあった気がするし、夢から醒めたように覚えた気もする。
そっか、ともう一度頷いて、リディは遠い目をした。
「気付いた瞬間に失恋って…。本ではよくあるけど、やるせないね」
「……へ?」
ティファーナは目を点にした。なぜそうなる。
「失恋って…。リディちゃん、まだなにも言ってないわよね?」
「言ってないよ。でもさぁ、あの人――ユーリアさん、告白するって言ってたじゃん。私が男だったら、ちんちくりんで女っぽくもない私んかより、あの人選ぶと思うな」
あの人の方が胸あるし色っぽいし綺麗だし。
そう肩を竦めて言ったリディを、ティファーナは無言で見つめる。
「――一応訊くけど、ルイス君って、長めの黒い髪に海みたいな深い蒼い眼で声もとっても綺麗な超絶美男子よね?」
「うん」
心の中で盛大に溜め息をついたティファーナである。
(――リディちゃん、鈍いにも限度ってものがあるわよぉ…)
あの青年なら、何度か目にした。あるときは街で、あるときはこの店で。前時はリディと共に買い出しをしていて、後時は相棒の為にと笑って菓子を買っていった。
そのどちらでも、かの青年の眼は、温かく優しく――焦がれるような熱をも宿して、眼前の少女を見つめていたのだ。あれを見、彼の心が誰に向いているのかわからない女はほとんどいるまい。
(あの子も気の毒ねえ。わかってて玉砕に行くんだから)
さっきの強張った顔も自明というものだ。
――が、これをリディにそのまま言って理解できるなら、端から苦労はしない。
しばらく考え、ティファーナは口を開いた。
「リディちゃんは、それでいいの?」
「…え」
「自分の気持ちを伝えないで、ルイス君の隣に自分以外の誰かが立つのを見守る未来で、いいの?」
リディは唇を噛んだ。声に出しての返答はなくても、それは充分な答えだった。
「リディちゃん。…何かをしなきゃ、何も得られないのよ」
「!」
「勿論何かをした結果、なにかを失うかもしれないわ。でもただぼうっとしていたって、欲しいものは手に入らない。どうせなら体ごとぶつかってごらんなさい?それでこそリディちゃんだと、私は思うのだけど?」
赤い髪の少女は、しばらく沈黙していた。やがて上げられた金色の眼は、どこか吹っ切れたような、さっぱりした色をしていた。
「そう…だね。ティファーナさんの言う通りだ」
リディは綺麗に空にした食器を整えると、勢いよく立ち上がった。椅子にかけていた外套を手早く羽織り、颯爽と扉を開ける。
「ティファーナさんありがと。…いってくる」
「いってらっしゃい」
微笑んだティファーナを背に、リディは店を出るなり駆け出した。
精一杯の恋愛ターンそのいち。です。




