第十二話 導きの涯 (9)
若干際どい(?)表現が入ります。
第十二話 導きの涯 (9)
「改めて…久しぶりだねえ、特にルイス」
「だな。しかし変わってないな」
「お互いね」
ラウンジの一角に陣取った三人は、久しぶりの再会を祝っていた。
「でもいいところに呼んでくれて嬉しいよ…君達はよく僕をわかってるね…」
「いや、転移でくるとは思ってなかったけどな…」
「あのあとどうなった?ラグ」
リディの訊ねに対して、
「あのあと?あぁ、君が出ていったあとか…。そこそこ大変だったよ。クリフにもユーリにも怒られるし。でも…殿下はわかってたみたいだね…」
ラグはヴァイスの頭を撫でながら遠い眼をした。
「まあそりゃ逃亡宣言しといたし」
「…してたんだ…。そうじゃなくて、止めるのが無理だってわかってたような…止める気がなかったっていうか…」
ルイスは無言でその意味を考える。彼の兄も、そんな感じだった。
そこになんらかの意味を見出すには、情報が足りない。だがその答えは、自分たちが求めるものとおそらくは深く、つながっている。
「にしても…」
ラグはじっとリディを見る。
「?なに?」
ついでルイスを、そして再びリディを見た。赤い瞳が見る見るうちに呆れに染まっていく。
「…まさかまだなんもなってないの、きみたち」
「はぁ?」
「……」
リディは意味がわからない、と首を傾げ、ルイスはやはり無言で水を飲む。そんな彼を、ラグは据わった眼で見た。
「…ルイス…っくしゅん!」
なにかいいかけ、しかしラグはそこでくしゃみした。ず、と鼻を啜った彼に、リディは今更な叫びをあげた。
「服薄すぎ!ここ北国なのになに考えてんの!?」
「いや、部屋で喚び出されてそのままきたから…」
「馬鹿!せめて上着くらい羽織ってこい!」
リディは怒りながら、膝にかけていた自分の予備の上着をラグに押し付け、ルイスを仰いだ。
「ラグの服買いについてってやってくれない?目利きはこいつも出来るから、センスの修正だけしてやって」
「了解」
ルイスは苦笑して立ち上がった。ラグももぞもぞ言いながらそれに続く。がたがたと出ていく彼らを見送り、リディはひとり紅茶を啜り――幾らも経たない内に、影が差した。
「ここ、いいですか?」
顔を上げて映った、人当たりの良さそうな笑顔。カインズ・ラザフォードが彼女を見下ろしていた。
――――――――――――――――――――――
「まったく、一年近く二人っきりで旅してて、なんで何もなってないの…?男として尊敬すると同時に呆れてしまうよ…」
「何も言うな」
通りを歩きながらのラグの溜め息に、ルイスは項垂れた。
「タイミングがなかった訳じゃないだろうに…」
「…アーヴァリアン以降はそれどころじゃなかったんだよ」
「にしてもねえ…」
やれやれとラグは肩を竦めると、近くにあった防具屋に入る。元々裏通りまで行く気はないと言っていた。彼の場合は多属性結界があるのだから、主に防寒が目的なのだ。
看板に『魔術品あり!』と描かれたその店には、確かに魔術が込められた防具が並んでいた。
「まあリディが鈍いのはよーく知ってるけどさ…別に君童貞なわけじゃないだろう?」
ぶっ、とルイスは吹き出した。笑顔で近寄ってこようとしていた女性店員がビシッと凍りつく。
「お前な…」
「ていうか寧ろ、経験豊富な部類でしょ…。押し倒しちゃえばいいじゃない」
ルイスは天を仰いだ。この童顔からこういう台詞が吐かれるとなんとなくダメージがデカい。
「お前もやっぱ男なんだな…」
「なにを今更。僕は最初から男だよ」
ラグはハンガーから服を手に取り、腕にかける。緑の毛糸のセーターのようだ。
「まぁ、近くに殿…ヴィンセント様もいたしね…。リディの目を盗んで僕に色々教えてきては、クロナ様に殴られてたなぁ…ああ、クロナ様っていうのはリディのお姉さんだよ…」
ふんふんと物色していたラグは、またひとつ服を腕にかける。背後のルイスからは品は見えなかった。
「まぁ僕のことはどうでもいいんだけど…。リディだってもう18だ、曲がりなりにも生まれがああなんだし、そういう教育は受けてるはずだけど…」
「それは疑わしいけどな」
「否定はできない」
リディのことだ、蹴っ飛ばしている可能性もある。ラグはまた何かを手にとり、店員に何事か訊いている。試着するらしい。
試着室に入って仕切り布を閉めたラグの、もごもごとした声が届く。
「でもなにも知らないわけはないよ。リディは確かに女の子っぽくないけど…別に男の心を持ってるわけじゃない。十年前のことがなければ、もしかしたらごく普通になってたかもしれ…いやそれはないか…」
言いかけて否定し、着替え途中のくぐもった声のままラグは続けた。
「ともかく、僕が言いたいのは、だよ…。普段のリディ見てると忘れがちだけど、リディは美人なんだよ。しかもかなりのレベルで…。年も年だ。そんな悠長に構えてて、鳶に油揚げかっさらわれるようなことになったら、どうするの…?」
ルイスは息を呑んだ。言われてみれば何でもないこと。だが、今まで自分はどこかたかを括っていた。たった二人の狩人パーティ。ある意味で完成された彼らの世界は、他者に壊されることなどありはしないと。
「……ラ」
「…よし、これでどうかな…?」
話を中断し、シャッと開けられた仕切り布の先に立っていたラグに、ルイスは――というか場は凍りついた。
「……」
「……」
「……っ、どうしてそうなった!?」
ルイスは今更ながら、リディが自分を一緒に行かせたわけがわかった。『センスの修正だけしてやって』と言っていたが――これは修正ですむレベルではない。
ラグが着ていたのは、緑の毛糸のセーターに、紫色のほっそりしたズボン、更には濃い茶の外套であった。ひとつひとつを見れば悪くない品なのに、色合わせが最悪である。なぜこれで違和感を覚えないのか。
頭痛のする頭を抑えたルイスは、キッと視線を上げるなり大股に店内を闊歩しはじめることにした。ラグに指を突きつけるのも忘れない。
「お前そこでじっとしてろ、俺が選ぶ!」
「えー…なんでよ。これ質いいのに」
「質の問題じゃ最早ねえよ!」
結局ルイスが選び、ラグが承諾して身にまとったのは、淡い青地の綿の内着と、魔術耐性が織り込まれた白いウールのセーターに、濃紺のすっきりしたズボンに茶色の外套であった。結局ラグの意見を容れたのは、物理攻撃耐性のある外套だけである。ついでに真っ白いマフラーもつけてやったが。
「お金、どうもね…」
「大した額じゃない。リディの金でもあるから、あいつにも礼言えよ」
「うん…」
吐息が端から白く染まり、眼鏡が曇るのに溜め息をついたラグは、眼鏡を外して水精霊を呼び、曇り止めをかけた。
それを横目で見ていたルイスが訊ねる。
「目、どれくらい悪いんだ?」
「んー…そうだね、十歩離れたら君の顔もわからなくなるかな…」
「本の読みすぎだ」
「リディにも同じこと言われたよ…。でも僕にしてみれば、君達の五感の方が異常だ…リディなんか野生の獣並だ」
「それは流石にないと思うけどな…」
「言葉の綾だよ」
身の無い会話をしながら歩いている内に、間の抜けた音がラグの腹から響いた。
「……」
「…飯食ってくか」
ラグが顔を赤らめて明後日を見、ルイスは苦笑して辺りを見回した。このあたりは昨日も来た。あの店以外にも確か食事処はあったような――
「おやっ、あんた!昨日ユーリアが連れてきた子じゃないか」
が、後ろから威勢よく届いた声に、その思索は断たれる。げんなりした表情を隠して振り返れば、昨日の女将が立っていた。
「もしかしてこれからお昼かい?ちょうどいい、またおいでよ!また安くしてやるからさ」
「……ありがたく」
ここで断れる図太さをルイスは持っていなかった。
そんなこんなで、結局ルイスは昨日と同じ店で、今度はラグと向かい合って昼飯を食べていた。味はいいのだが…
「…ねえルイス」
「不可抗力だ…」
探るような眼をするラグに、ルイスはぐったりと頬杖をつく。ふうん…?と視線を回すラグの眼に移るのは、明らかにこちらを気にしてそわそわしている女性が一人。彼より一つ二つ上――ルイスと同じくらいだろう。
「…竜から助けた女がいるっつったろ。あれだ」
「他には?」
「…横暴男から助けた」
「…なんか君…運が悪いんだかいいんだか微妙すぎるよ…」
なかなかの美人だ。普通の男なら運が良かったのだろうが、彼の場合面倒が過ぎるだけだろう。
「まさかとは思うけど、応えるつもりは?一夜の過ちとかいって」
「馬鹿か。ねえよ」
きぱっと断言したルイスに、ラグはよろしい、と頷く。
(そんな男に、僕は身を引いたつもりはないしね…)
しかし面倒だ。この際自分がいる間に、この二人をくっつけてやろうと画策しているラグにとって、彼女は余計な障害物だ。普通ならなるまい、だがあのリディ相手に、うっかり二人で歩いているところなど目撃されようものなら誤解を呼びかねない。
(話のわかりそうな…女の狩人さんとかを味方につけるべきな…?)
だがラグは知らない。
ただでさえこじれ始めた事態が、狩人協会で加速をしはじめていたことを。
――――――――――――――――――
昼飯をとり、協会に帰ったラグは、バーの片隅で眼鏡の端を押さえて頭を痛めていた。
「どうしてこうなるの…」
視線の先には、かつてない険悪な空気になっている男女。お互いそっぽを向いて、ラウンジの別々の席についている。
「お腹痛い…」
もぞもぞと身を丸めたラグに、ヴァイスが哀れみの眼を向ける。バーの店主も哀れんだのか、温かいココアを出してくれた。
「はあ…」
事の発端は、少し前に遡る。
――――――――――――――――――――
狩人協会に帰ってきたラグとルイスが目にしたのは、リディが『テトラル』の赤毛の剣士と楽しそうに話している光景だった。え、とラグが目を剥く間もなく、ルイスらに気付いたリディが剣士に挨拶して席を立ち、駆け寄ってきてラグの服装を検分したところまでは、普通だった。
問題はそのあとだ。
「なに話してたんだ」
急速に不機嫌になったルイスの問いに、目を瞬いたリディは首を傾げた。
「なにって…色々?」
「だから、色々ってなんだ」
「そりゃ、……」
リディはむっと眉を寄せた。急に刺々しく問い質されるわけがわからないし、話が見えない。
「いきなりなんだよ。私が人と何か話したこと、君に全部伝えなきゃならない理由があるの?」
リディの言葉はそのまま彼女の本音だったか、ルイスの神経を逆撫でするには充分だった。
「話せないようなことなのかよ」
「なんでそうなるのさ。君こそなにをそんなにイライラしてるの」
「ちょ、ちょっと、二人とも…」
坂を転がり落ちるように悪化していく空気に、おろおろしていたラグがようやく割って入る。だが、ルイスとリディは悪い意味でお互いしか目に入っていなかった。
彼らはお互いに知らない。
ルイスが、かつてイグナディアで彼女の自由意思を優先したがために、ハワードの策に嵌めてしまったことを後悔しているのを。
リディが、午前中のユーリアとのやりとりで、彼女がルイスに向けている好意を感じ、訳も解らずもやもやした感情を抱えているのを。
ギッと数秒間睨み合った二人は、そのままお互いに顔を背け合うと、ばらばらの方向に歩いていってお互いの姿が視界に入らないように席に座った。
あとにはひとり、ラグが立ち尽くして。
そして今に至る。
「ルイスもなんでムキになるの…ねえ、ネーヴェ…」
額をバーの机につけたラグの呻きに、やはりどっちについていいか解らずラグの元に避難していたネーヴェが頼りなげに鳴く。こんなことは初めてなのだ。お互いに近寄るなオーラを出して、険悪な二人など。
「半分くらいは僕のせいですかね」
楽しそうに言いながら座ったのはカインズだ。ラグは赤い眼を半眼にして彼を睨めつける。
「わかってるなら、やめてくれませんか…?恋愛事で若人をからかって遊ぶなんて、趣味悪いですよ」
「そうよ、カインズ」
どかっとラウレッタが隣に腰を下ろした。
「状況わかってんでしょ。ラブコメやらせてる場合じゃないのよ。あの二人喧嘩してるとこっちも困るのよ」
カインズは穏やかに微笑んだまま、綺麗な声音で返した。
「遊んでいるつもりではない、と言ったら?」
空気が凍った。
「……」
「……」
「……は?」
ぽかーんと口が開いた、信じられないという視線の集中砲火を食らい、カインズはクスクス笑って訂正した。
「冗談です」
会話を聞いていたらしいアベラルドがあからさまに息を吐いた。
「よ、よかった…一瞬俺はお前がロリコンかと思っちまった」
「違いますよ。でも彼女18でしょう?本気だったとしてもロリコンには該当しませんよ」
「あんた25だっけ。まぁ、確かにそうね」
実際この大陸、それくらいの差は全く珍しいものではない。
カインズはまたクスクス笑って、ラグに悪戯っぽい眼を向けた。
「そう怖い顔をしないでください。流石に見るからに相手が決まっている方にちょっかいをかけるような輩は、ここにはいないと思いますよ?」
「…だといいけど」
珍しく赤い瞳を険しくしていたラグは、ちらりとルイスとリディを振り返り、溜め息をつく。
「でも本当に、引っ掻き回さないでほしいな…ただでさえ不器用な二人なんだから…」
カインズは端正な顔を傾げ、アベラルドとラウレッタを振り返って言った。
「ラルド、レッタ、申し訳ないんですけど、少しばかり席を外して頂けます?」
二人は眉を上げたが、すぐに何も言わず立ち上がった。彼らが遠ざかり、声の届く範囲に誰もいなくなったのを確認してから、カインズは小さな声でラグに話しかけた。
「君は彼女の幼馴染だそうですね?」
「…ええ、まあ」
「これは確認です。…彼女は、“姫様”ですね?」
「……!」
ばっと白い頭が動き、驚きと警戒の滲んだ眼差しがカインズを射抜いたことに、カインズは内心で苦笑する。一瞬でそれはしまいこまれたが、それでは答えを言っているようなもの――大人びているが、やはりまだ子供だ。
「…なんの、こと」
「オルディアンの民が“姫様”と呼ぶのは一人だけだというのは君も解っているでしょう?隠さなくてもいいです。他の人に言う気はありませんから」
ラグの視線がカインズの髪に動く。朱色のそれは、オルディアンによくある彩だ。
いくつか行動の想定とその結果を頭に一瞬で回したラグは、諦めて細く息を吐き出す。
「…よく、わかりましたね」
カインズは穏やかな表情で種明かしをした。
「僕はラスランに住んでいたんですよ。…10年前、あの方の御姿も目にしています」
「…それで、ですか…確かにあの子の髪と眼の色は…なかなか忘れられない彩をしてるから…」
「ええ。それに、『リディ・レリア』が凄まじい炎の使い手であることは、狩人の一部では有名な話です。…あと、これはただの直感なのですが」
周りを見回してから、カインズはそこはかとない緊張を瞳に張りながら、さらに低めた声で訊ねた。
「『彼』は…もしや、『氷の軍神』では…?」
「っ!」
今度こそ、ラグは驚愕し、それを隠すことすら出来なかった。絶句し、穴が空くほどカインズを見てから、「なんで…」と囁く。
もしかしたら、という予想に肉付けが得られたカインズは、はは、と空笑いを口で転がす。
「やはり、そうですか…まさかとは思っていましたが」
ようやくその台詞を聞いて、ラグは己の失態を悟った。同時に瞳を細め、やむを得ない事態に備えて気付かれないように片手に魔力を集める。
「…なんで、わかったんですか」
「いえ…ただ、姫様と対等に肩を並べ、一年以上も共に戦い、あれほどまでの信頼関係を築き上げていること。それと、昨日見た、システィアの剣を罅すら入れずに防いだ氷の盾、また言動で人を利用する力…そして、手に入れるようにしている各国の情報。それらを合わせて考えて、もしかしたら…と思っただけです」
「…あなたはとても、頭のいい人ですね…」
「ありがとう。システィアには及びませんけど」
おどけたように肩を竦めるカインズをじっと見てから、ラグは集めた魔力を霧散させた。言いふらすような人間では、きっとない。
「で、それがなにか関係あるんですか…?さっきの『ちょっかい』に…っ」
その瞬間カインズの顔に閃いた表情に、ラグは頬をひきつらせた。
(このひと…)
一瞬でわかってしまった。彼らが王太子と、同類であると。
実に楽しそうに、カインズは笑う。
「僕はですね――…」
ラグは大切な人間を守るためなら割と容赦なく手を下す人間です。リディの知らないところで彼女を狙った人間を排除したりも実はしていました。