第十二話 導きの涯 (7)
目指せ微糖。
第十二話 導きの涯 (7)
「元気だそうよ、ユーリア。くよくよしてたってしょうがないじゃない」
「うん……」
街の一角、菓子屋シェクロール。香ばしい焼き菓子の香りと、芳しい紅茶の薫りが甘やかに漂う店内で、女が三人、テーブルを囲んでいた。
昼過ぎという時間帯だが、店内に人はまばらだ。菓子は絶品にも関わらずそんな状況であるのは、まだこの店が出来たばかりであり、値段が少し高めということに起因するのだが、その分ゆったりできていい、というのが利用する客の見解である。
「確かにすごい仲良さそうだけど。恋人どうしとはわからないじゃない!」
「そうだけど…」
「狩人仲間ってだけかもしれないよ?」
「うん…」
そして、彼女達三人、否、主に二人が口々に述べる事柄は、先程から一つだった。
「あんな滅多にお目にかかれない美男子、簡単に諦めちゃもったいないよユーリア!せっかくあんたも、なかなかいない美人なんだから!」
先程彼女達を、暴虐きわまりない男達から救ってくれた青年(+α)。かの青年に淡い恋心を抱いているユーリア嬢とその友人二人、の構図である。
友人その一、リーナが、そばかすの浮いた顔を上向けて言った。
「でも綺麗な人だったね。綺麗すぎて、私なんかじゃ気後れしちゃう感じ」
「だからユーリアなんじゃないのっ!」
友人その二、キャロルはいっそ騒がしくまくしたてた。正直、早めに席を立つ客が多いのは彼女のせいな気がしないでもない。
「そう、かな…。だってあの赤い髪の女の子、凄く綺麗だったもの。私と違って、強いし」
ルイスの印象が強すぎて忘れていたが、あの時竜達から自分を救ってくれた場には、あの少女もいた。雑な言葉遣いと、体型を隠す厚手のコートを被っていたから性別の確信は持てなかったが、今日の一件はそれを明らかにした。
鮮烈な赤い髪に、すらりと細く、しゃんと伸びた背。顔はちらっと見えただけだったが、それでも美少女と判断するには充分だった。
「確かに美人さんだったけど、色気はなかったと思うよ」
「そうよっ!胸もあんたより全然なかったもの!だいたい顔は綺麗でも、男の子みたいな子だったじゃない!私だったら恋人にはしないわっ」
「キャロル、ちょっと煩い」
キャロルをたしなめ、リーナは頬杖をついた。
「剣持ってたし、剣士の狩人なのかな。話を聞く限り、狩人パートナーとしては凄腕なんだろうけど、私生活までパートナーかどうかは…」
と、カランカラン、とドアにくくりつけられたベルが鳴った。反射的にそちらをみれば、噂をすれば影が差す――くだんの少女が、顔色悪く店内に入ってきたところだった。
「「「……」」」
「紅茶とパンケーキ。メープル多めで。あと先に水ください」
「かしこまりました」
窓際の二人席に座り、近寄ってきたウェイターに何故かメニューも見ずに伝えると、頭を抱えてテーブルに潰れた。肩を伝って窓の桟に降りたふわふわした小動物が、気遣わしげに鳴いている。
そして間もなく運ばれてきたコップ一杯の水を、懐から取り出した薬苞の中身を喉に放り込んでから一気に飲み干した。顔をしかめたところをみると、どうやら苦い類いの薬だ。
「十分、て言ってたっけ…うー、痛…」
そんな呟きが漏れ聞こえ、キャロルとリーナは顔を見合わせた。と、ユーリアが席を立つ。
「え、ユーリア?」
「あの…」
二人をよそに、ユーリアは彼女に声をかけた。うっすら上げられた胡乱気な金色の瞳に真っ直ぐ視線を捉えられ、ユーリアは思わずたじろぐ。
「なにか?」
「あの、私…昨日、竜から助けて頂いた…」
「…ああ!」
ぽんと手を叩き、少女が身を起こす。ようやく正面からまともに合った顔に、ユーリアは息を呑んだ。
小さく白い顔に、完璧に配置されたパーツ。猫のような眼は鋭く鮮やかで、鼻筋はすっと通って芸術品のよう。勝ち気そうな口元は引き締まり、そしてその炎のような髪色が、全てを強く彩っている。滲み出る、覇気とでも言うべきものは、それだけで彼女が人目を集めるに値する程のものだ。
――色気がないなんて、問題じゃない。
それ以上のものが、このひとにはある。
ユーリアの心中を勿論知るはずもない少女は、桟から肩に飛び乗ってきた小動物を撫でながら、ざっくばらんな言葉を返してきた。
「あのときの女の人か。お父さん平気だった?」
「は、はい…街の治療術士が治してくれました」
「ならよかった。見たとこ大したことなさそうだったからあのおばさんに任せちゃったんだけど。私もルイスも疲れてたから、治療術は使いたくなくて。あれ神経使うから」
「え、治療術士…なのですか?」
「でもある」
少女は平然と答え、でも、と細めた目でユーリアを射抜いた。
「なんであんなとこに一般人二人でいたの?竜が出てるの知らなかった訳じゃないだろ」
一段冷えた声音に、ユーリアは怯む。少女は続けた。
「狩人の徒党でも厳しい相手に、なんでそんなバカなことした?協会から通達はいってるはずだ」
「バカって言い方ないんじゃない!?ユーリアは、弟の為に」
ムッとしたリーナが噛みつくと、しかししらけた視線が返ってくる。
「それで二人とも死んでくるって?弟ひとり遺して死ぬことの、どこが弟の為だよ」
「そんなことっ」
「そういうことだよ。私達がいなきゃ君は死んでた。私達がいたのは、たまたま偶然、そんな言葉じゃ足りないくらい低い確率だ。二度目はない。狩人協会が外出禁止令を何の意味もなく出してると思う?」
「……」
全く容赦がなかった。しかし、反論できない。反論できる立場に元々、ユーリアはないのだ。
代わりに糾弾したのは、やはりキャロルだった。
「じゃあなによっ、薬がなくて苦しんでる弟を黙ってみてろって!?だいたいもう一ヶ月になるわよ、この竜騒ぎ!狩人なんて偉そうにしてたって、なんにも解決してないじゃないっ!」
「キャロルっ!」
リーナの制止は、遅かった。先程までただしらけていただけの少女は、今や明らかに怒気を纏っていた。
「…何もしてない、って?まさかそれシスティアさん達に向けて言ってないだろうね」
「言ってないわ、でも事実じゃない!」
「なにもしてなかったらとっくにこの街は灰になってるってことすらわからないほど、君は馬鹿なの?さっきのあの男と良い勝負だ」
「なっ…」
少女は冷たくキャロルを見据え、それから視線を外に移す。
「三重の聖属性結界。さらに感知機能をつけた無数の要石の周辺地域の配備。さらには狩人ヒエラルキー最上位『十強』のうち三つ、しかも内二つは五位以内の派遣。これをして『なにもしてない』というなら、君は王族が総出動するようにでも要請するのかな?」
言葉を区切り、少女は恫喝のごとき声音で一言発した。
「竜を甘く見るな」
冷たい、ぴりぴりとした眼に見えない圧力を感じた。キャロルも流石に真っ青になっている。
「下位竜一体でも、狩人パーティーの三つや四つ、簡単に瓦解させる力を持ってる。相手は中位以上、しかも少なくとも十体はいるのがわかってる。真正面から行ったんじゃ敵うわけ無い。それとも私達を玉砕させてこの街の守りを無くし、その日の内に街を灰にしたいって?……そっちの君ならわかるんじゃないの、直接あの存在に相対したんだから」
ユーリアは身を震わせる。忘れるわけがない。あの、存在するだけで全てを圧倒する存在感。殺気。押し付けられた、敵うわけがない絶望感。
「そういうことだよ。まぁ、そっちの二人はわかってるみたいだけど。君、理解したなら他の狩人には言わない方が賢明だね。相手によっては竜の前に放り出されるよ」
口調を和らげた少女は冗談めかして言ったが、どこまで冗談なのかが見えない。脅迫とも取れる台詞に、三人が怯えた目を見交わした時だった。
「まあまあリディちゃん、そんなに普通の女の子を脅しちゃ駄目よ」
とん、と焼き立てのパンケーキと淹れ立ての紅茶が少女の前に置かれ、柔らかな女性の声が場に響いた。途端に少女はパンケーキに顔を輝かせ、添えられたメープルシロップをパンケーキにどばっと垂らす。甘い匂いが一気に漂い、顔を緩めて笑顔になった少女は、先程までとまるで別人だった。
「わあ、久しぶりだけど変わってない!美味しそう!」
「そりゃ変わんないわよー。自慢のメニューですもの」
「二年間恋しかったんだよね。やっぱりここに勝るやつなかったし」
「あら嬉しいこといってくれるわねー。舌が肥えてるリディちゃんにそう言ってもらえると安心だわ」
「そりゃあティファーナさんのパンケーキは大陸一に決まっ…て……」
何故か唖然としたように手を止めた少女は、次の瞬間「ティファーナさんっ!?」と驚愕の声を上げた。女性――ユーリア達の記憶が正しければここの店主は、にこにこと柔和に笑っている。
「なななんでここに!?アルフィーノになんでいないの!?」
「私の旦那の出身、ここなのよー。ご両親が亡くなって、家業を継ぎたいっていうから、ちょうどいい支店増やすかーってリカルド店長と相談して、こっちに引っ越してきたの」
「な、なるほど…」
少女は唖然と止めていた手を取りあえず動かすことにしたのか、パンケーキを切り分け始める。ティファーナ店長は近くの椅子を引いて座った。
「リディちゃんがまさかこんなところに来るとは思ってなかったわ。挨拶できなかったのが心残りだったのよ」
「あー、ごめん。ここしばらく国にも戻ってないし」
「わかってるわ。狩人になったって、アンナ様から聞いたわよー」
にこにこと微笑む店主は、そこでビッと少女の額を弾く。
「迫力増してるもの。そんなのを一般の女の子に向けちゃだめ。空気も悪くなっちゃうし。腹がたったのはわかるけど、私のお店の評判落とさないでほしいわ」
少女はばつが悪そうに身を縮めると、ごめんと店主に謝った。ついで、店主の視線はユーリア達、特にキャロルに向けられ、反射的に肩が跳ねる。
「あなた達も。お客様は大事だからなにも言わなかったけど、後半は目に余ったわ。もういい大人の女なら、そういうことはしないものよ」
「…ごめんなさい」
先程までの自らを恥じて、三人は頭を下げた。うむ、と店主は頷いて、そういえば、と少女を振り向く。
「リディちゃん、さっきすごく具合悪そうだったけど、大丈夫になったの?」
「あ、うん。薬効いたみたい。見事に十分?ネーヴェ」
「ぴゃ!」
じっと窓の隅で事態を見守っていた小動物が、元気に鳴く。店主が興味津々に訊いた。
「それ、もしかしてピュルマ?」
「そう」
「可愛いー。撫でてもいいかしら?」
「どうぞ。代わりに焼き菓子あげると喜ぶかも」
「あら、何がいいかしら」
いそいそと店主が菓子を持ってきた時、カランカランとドアが開いた。
「リディ、ここにいたのね」
入ってきたのは、黒茶の髪を細かく波打たせた肉感的な女性だった。少女が目を丸める。
「ラウレッタさん」
「レッタでいいわよ。あら、ルイスは?」
反射的にユーリアの肩が跳ねた。気づいたのか気づかなかったのか、少女は普通に返事をする。
「武器見に行ったけど」
「…あらそれ無駄足よわりと。まぁいいわ、薬は手に入った?」
「うん。ルイスが持ってる。…無駄足って?」
「そりゃ女の子に荷物持たせる奴じゃなさそうだものね。じゃあリディ、それ食べたら帰るわよ。酔っ払い組に薬飲ませたら、会議始めるわ。武器についてもそこで話すわ」
「了解」
会話の間も器用に下品にならない程度に進めていた手を速め、少女は一気にパンケーキを食べ終える。最後に紅茶を味わいながら、でも遠慮なくさっと干し立ち上がる。
「ネーヴェ、行くよ。ティファーナさん、ごめん慌ただしくて。また来る」
代金を渡し様の別れの挨拶に、店主は穏やかに笑って頷いた。
「いつでもいらっしゃいな」
「うん。今度は他の狩人も連れてくるよ。じゃ」
小動物を肩に乗せ、慌ただしく彼女と、彼女を呼びに来た女性は去っていった。
あとには店主と、ユーリア達三人組が残される。リーナがおずおずと訊いた。
「あの…お知り合い、なんですか?あの赤い女の子と」
「そうよぉ」
店主――ティファーナはふふっと笑い、少女が残していった食器を片付けるべく立ち上がる。
「今は『リディ・レリア』って名乗ってるんだったかしらね。小さい頃からよく知ってるわ。あなた達より二つくらい年下だし、生意気だとは思うだろうけど、私はあの子が大好き。真っ直ぐで強くて、…でもどこか脆くて、ほっとけない」
厨房に戻りがてら、ティファーナは含み笑いをユーリアに向けた。
「あの子と男を取り合う気なら、相当の覚悟が必要よ?あの子に惚れるような男は物好きが多いのだけど、その分一途な子が多いのよ。昔からね」
短めでごめんなさい。
次回はなるべく早く更新できたらと思っています。間違いなく最長話数更新の道をたどっているので戦々恐々です。