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第十二話 導きの涯 (4)

第十二話 導きの涯 (4)







「……成程。だいたいわかった」


 すっかり空になったグラスの側面を指で弾いて、システィアは呟いた。


「あの小僧が『氷』とはな。『ヘキサ』は規格外だと聞いてはいたが、お前とあれでは確かに規格外だ」


 周りに聞こえぬよう低めに呟かれた科白にリディは苦笑する。王位についていない、現存する王族関係者の中で最も有名な二人だというのは自覚している。


「『原初の運命』…ね。残念だが、私も大して知らない」

「ですよね…」


 ほんの少しだけ落胆して机に突っ伏してから、リディは、ん?と引っかかった。


「『大して』…?」


 システィアは意地悪げに唇を歪めた。よく気づいた、というところだろう。


「知らないことに変わりはない。だが、私の記憶が正しければ、私の師の、そのまた師が、そういわれる存在を探していたらしい、と師に聞いたことがある」

「それっ…!」


 思わず飛び起きかけたリディを片手で制したシスティアは、一瞬で険しく切り替えた瞳で斜め後ろを一瞥すると、椅子を軽く引いて目にも止まらぬ速さで短刀を投げた。

 呆気に取られるリディの前で、天井の金具に当たった短刀は、高い金属音を立てながら綺麗に軌道を変えて真下の席に突き刺さる。

 しん、と一気に静まり返ったラウンジで、システィアが立ち上がる。


「貴様ら、狩人ではないだろう」


 ざっ、と空気が変わった。ラウンジのあちこちで目を険しくした狩人達が、臨戦体制に入る。システィアの短刀が刺さった卓についているのは男二人。

 彼らは突然の襲撃に硬直していたようだが、周囲の緊迫に気づかないほど鈍くはないようだった。

 さっと周りを窺うなり、包囲の隙を突いてラウンジの張り出しに駆け寄って手をかけた。その際、被った防寒用のフードが外れて干草色の髪が覗く。


(…あれ?)


 一瞬すれ違ったその横顔に、唖然としていたリディは引っかかった。どこかで見たような――。

 その目の前で、男達は一階のロビーめがけて飛び降りる。


「侵入者だ!逃がすなッ!」


 システィアの一喝に、瞬間的にざわめきすら停滞していたロビーが俄に騒然となる。

一方侵入者二人の行動は迅速だった。軽く魔術でも使って衝撃を緩和したのか、着地の後遺症を感じさせない動きで、出口に走る。その目論見は成功しただろう。運良く――彼らにとっては運悪く――現れたその集団がいなければ。

 侵入者二人が目指す扉が、唐突に開かれる。誰もかれもぎょっとした先で、ぬっと鴨居を潜ったのは、肉厚の剣を背負った剣士だった。少し小柄ながら、筋骨隆々の体つき。


「お?」


 ぱちくりと剣士の男は目を瞬く。システィアの鋭い声が飛んだ。


「アハト、逃がすな!侵入者だ!」

「マジで?」


 ぼりぼりと頭を掻いた男は、自分めがけて走ってくる男達を面倒くさげに見ると、鞘がわりの皮布を巻き付けたままの剣を一閃した。


「ぐっ…!?」


 剣圧。そう評すのが一番相応しいか。目に見えない圧力が、二人の男を襲う。たたらを踏んだ侵入者は、周囲が包囲体制を整えてしまったと悟ると、低く身構えた。抜剣体勢だ。


「…いい度胸だぜ」


 ちろ、と唇を舐めた剣士が、剣を持ち上げる。一触即発の空気に、ざり、と男達が床を踏む音が響く。緊張が弾けようとした、まさにその瞬間。


「ちょっと待って!」


 たん、と軽い音をたて、リディが包囲の輪の中に着地した。なんだ、と胡散臭げに見てくる剣士を無視し、リディは侵入者である二人組のうちの一人をじっと見た。


「…君、パリス?だっけ?ルイスの騎…じゃなかった、家人の」


 ゆっくりと男のひとりが顔を上げる。髪と同じ色の眼に鈍角的な顔立ちに、リディは記憶が視界と一致したのを確認する。

 男は細く息を吐き出して、剣の柄から手を離して跪いた。


「…お久しぶりにございます、リディ…様」

「…んだ?てめえの知り合いか、小娘」


 その光景を眺めていた剣士が、不信感のありありと窺える声音でリディに問う。リディはため息をついた。


「知り合いといえば知り合い。どっちかって言うと私の相棒の身内」

「ほー?知り合いだからといって、狩人の資格を持たないものが、身を明かさず間諜(スパイ)行為をしていいわけじゃねぇっての、わかってねぇわけねえよな、小娘」

「わかってるよ。ちょっと黙ってて」


 誰かに二の句を継がせる前に、すたすたとリディは侵入者もといエーデルシアスの騎士二人に近づくと、その前に仁王立ちする。


「ルイスを探しに?」

「…はい」


 不承不承といった調子でパリスが首肯した。その態度からは明らかにリディへの敵意が窺える。恐らく、彼らの大事な王子様を悪の道へ引っ張り込んだろくでもない女とでも思っているのだろう。

 もう一人の騎士はまだ少年といった方が相応しいようなあどけない面立ちで、おろおろとリディとパリスを交互に見ている。

 リディはため息をつく。どうやってこの状況を打開すべきか…?

 迷った彼女を救ったのは、かつかつと靴音を立てて近づいてきた人物だった。


「どけ、リディ」

「シ、システィアさん?」

「…こいつらはお前達の関係者。それで間違いないな?」

「あ、はい…」

「ふん」


 システィアは鼻で笑った。

 そして、平手で思いっきりパリスの頬をぶん殴った。


「っ!?」


 返す刀で裏拳を一閃、少年の騎士にかます。

 それぞれ反対方向へと倒れ込んだ二人の男と、それを為した女に、場の空気が凍りつく。特にリディはぽかーんと口を開いた。

 システィアは少年騎士は放っておき、少年騎士の倍近い威力でひっぱたいた結果、無様に転がっているパリスの襟を掴み上げる。

 驚愕と羞恥と憤怒に歪む男の眼を見据えて、システィアは低く恫喝した。


「貴様、馬鹿か?」

「な…」

「わからないのか?貴様がいくら箱入り育ちの馬鹿息子だろうと、郷に入っては郷に従えって諺ぐらい知っているだろう?狩人には狩人の掟やしきたりというものがある。それ以前に貴様らの職業なら概要程度は知っているはずではないのか?その概要の中でも一番大事なものを上司に習わなかったか?狩人を詮索するべからずというものだ。気心の知れた間柄ならともかく、顔を見せずにこそこそ探る。最悪だ。狩人が最も嫌う行為だということがわかっていたか?わかっていなかったとか馬鹿なことその年にもなって言うつもりはないな?大義名分があればいいとでも思ったか?その大義名分は、私を含めここにいる者の殆どには極めて私情的かつ利己的で自分勝手だと思われるということを気づかなかったか?バレないだろうとタカを括ってたいたか?頭足りないんじゃないのか」

 

 淡々と、それでいて呆れと怒りと失望を存分に滲ませて、反論を許す暇を与えずシスティアは言葉を連ねて突きつける。嘲笑を浮かべた顔は、極寒のような冷たさだった。


 悔しげに唇を噛み締め、それでもなお何かを言おうとしたパリスにぐっと顔を寄せ、システィアは止めの一言を落とした。


「それで一番迷惑を被るのはあの黒髪の男だ。ルイスといったか?貴様らのの大事な王子様だ。こんな騒ぎを起こした時点で、身内のあの男に火の粉が飛ぶのは自明だ。精々言い訳を考えておくことだな」


 どん、と半ば突き飛ばすように掴んだ胸ぐらを放してシスティアは立ち上がる。パリスは尻餅をついたまま項垂れていた。

 しんと静まり返ったロビーを見渡してから、システィアはリディを振り向いた。その視線の意味するところ――あとは自分でやれ――を察し、慌ててリディは頭を回した。


「え、えと…ごめんなさい騒がせた。この非礼は私とルイスが詫びる。その代わり仕置きはルイスに任せて欲しい。…システィアさんがけっこううやってくれたけど…。注文があれは言って」


 停滞していた空気がみじろぐ。誰もが物言いたげにリディを、そしてちらちらとシスティアを窺う中で声を発したのは、入口を塞ぐ剣士だった。

 半眼でリディを睥睨して、不機嫌そうに吐き捨てる。


「で、結局なんの説明もナシか?小娘」


 リディはアハトを見、システィアを見、五秒ほど思考を巡らせて、気だるげな表情を浮かべると肩を竦めた。


「…今の流れでだいたいわかったと思うけど?これ以上深い事情は、個人的領域(プライバシー)だ。悪いけど説明はできない」

「これだけ騒ぎを起こしといてか?」

「だから詫びるって言った。物的謝罪が欲しいなら、酒でもなんでもおごるよ。幸いなくしても困らない貯蓄はあるから」


 剣士は唇を歪める。自分に睨まれて全く怯えも悪びれも見せないとは、ふてぶてしいガキだ。


「言ったな小娘。じゃあ今日は宴会だ、てめえら持ちのな」

「上等。あと小娘小娘言うな。私にはリディっていう名前があるんだよ、おっさん」


 それまで無言で事態の推移を見守っていた、男の後ろに控える集団が、ぷっと吹き出す。ぴき、と男のこめかみに青筋が立った。


「…てめえ、いい度胸じゃねえか。小娘のくせして」

「度胸がなくちゃ狩人やってないと思うけど?おっさん」

「てめ…」

「リディ、その辺にしとけ」


 微妙に険悪な気が滲んだ空気を割ったのは、眠たげな、しかし凛と通った声だった。パリスと少年騎士がはっと顔を上げ、唇を尖らせたリディが肩を竦め、人垣が割れる。

階段から現れたのは、長い黒髪を緩く結んだ青年――ルイスだった。眠り足りないらしくひとつ欠伸をして、割れた人垣を気負いなく通る。


「必要以上に挑発して話を逸らさなくていい、こいつらのことは俺の責任だ」

「…なんのこと」

「下手に敵を作るなってことだ。――パリス、あと…エディ、だったか」


 冷厳な声音に、二人の騎士が目に見えて身を竦ませる。


「説教はたいがいシスティアさんのが利いてるだろうからしないが、リディの言う通り仕置きはするぞ。街のマグノリアっていう宿屋に行ってろ。直に俺達も行く」

「――はっ」

「――はいっ」


 深々と辞儀をとった騎士達は、立ち上がって深く周囲に一礼してから協会を出ていく。止める者は誰もいなかった。


「いつからいたんだよ」

「あんだけ殺気が満ちれば気づくわ。お前の説教が始まる前にはそこにいた」


 肩を竦めたルイスは、周りを見回して頭を下げる。


「本当に、騒がせて済まなかった。約束通り、今晩の酒代食事代は持たせてもらう。申し訳ないがそれで勘弁してくれ。あいつらは俺がしばいておくから。システィアさんも、迷惑をかけて申し訳なかった」

「――て」

「よーしわかった。じゃ遠慮なく呑むぜぇ!」


 男の台詞をぶったぎって、突然彼の背後にいた狩人の一人が快活な声を上げた。銀の髪をした彼はばしばしと剣士の肩を叩き、ルイスに向かってにっと笑う。


「男に二言はねえよな?」

「ああ、ない」

「そうなりゃ決まりだ。なぁ店主(マスター)、いいよな?」


 狩人がラウンジを見上げる。そこにはいつの間にか、壮年の男が手摺に寄りかかって場を見下ろしていた。

 細い目をさらに糸のように細めた、店主――つまりここの支部の長は、肩を竦めて頷く。


「彼が卸すなら、どうせここの金庫から出てしまうんですがね――まぁ、金庫にはさいわい充分あります。本部からも追加金はありますし、大丈夫でしょう。――ようやく本命も来たことですし、明後日あたりからは本格的に討伐作戦を始めます。だから前夜祭として酔い潰れるまで呑むといいですよ。…もしかしたら最期の酒になるかもしれませんしね」


 沸き上がった歓声のおかげで、最後の余計な一言を聞き取った人間は少なかった。だが聞き取ってしまった面々は、ぞっとしない顔をお互い見合わせる。

 と、支部長がルイスとリディを真っ直ぐ見下ろした。


「お待ちしてましたよ、『ヘキサ』。イグナディアでの魔族討伐、ご苦労様でした。お疲れでしょうが、この状況はあなた方も望むところのものだと伺っています。こきつかわせて頂きますので、そこのところはよろしく」


 魔族討伐、のくだりでざわっ、とロビー全体がどよめいた。ルイスはすっと青眼を鋭くすると、ラウンジを睨む。


「よく知っているな。誰に聞いた?」

「情報とは、しかるべきところにあるものですよ」


 微笑む男の顔からはなにも読み取れない。

 肩に乗ったネーヴェに尻尾で腕を叩かれ、ルイスは小さく舌打ちして視線を逸らした。

 先程アハトの気を反らした銀髪の男が朗らかに言う。


「『ルイス』と『リディ』ってどっかで聞いたことあるなあと思ってたけど、『ヘキサ』だったか」


 振り向いた二人に、彼はにっと笑って手を差し出した。


「初めましてだな。『テトラル』所属、アベラルド・ソレスだ。よろしくな。あああと昨日は悪かったな」

「気にしてない。『ヘキサ』のルイス・キリグだ。こっちこそよろしく」

「リディ・レリア。あのおっさんどっかで見たことあったと思ったらアハトなんとかか。アーヴァリアンの個人戦でディオさんに負けた」


 ひくっとアハトが眉を動かした。


「おい小娘てめえ、なんであっちはさんづけで俺はおっさん呼びだ」

「君が小娘って呼ばなくなったら呼んであげるよアハトサン」

「…棒読みかおい」


 また険悪になりかけた空気は、ルイスがリディを軽く叩いて止めた。


「だからあんまりつっかかんな、リディ。アハトさん、悪く思わないでくれ」


 不貞腐れたリディを背にルイスが言えば、何かを言おうとしたアハトを遮って、壁際から寄ってきた小柄な女がにっこり笑った。


「あんた大人ね。アハト、あんたはガキすぎるわよ。そろそろティアが怒ってるんだけど?」


 効果覿面。

 どちらかというと赤ら顔のアハトの顔が、さっと青くなった。恐る恐る振り向いたアハトは、そこに無表情に腕を組んだシスティアを見つけて声なき悲鳴をあげ慄く。


「ついでに言ってあげると、そのコ希少価値のあるティアのお気に入りよー」

「アハト。少し顔を貸せ」

「……っ!」

「…いつの間にお気に入りになったんだ?」


 どこかに引きずられていくアハトを見送り、ルイスがぽつりと訊ねる。リディは曖昧に笑った。


「あとでね」

「あたしも聞きたいとこだけど、ティアに聞いた方が良さそうねー」


 女がくるっと二人に向き直る。その際豊満な胸の谷間が、服の胸元に開いた菱形の穴からくっきりと覗き、リディが顔を赤くしたのに女が笑う。


「やぁね、女同士じゃない。――あたしはラウレッタ・ガゼッラ。『トリル』所属よ。よろしく。…てかアベラルド、アニタは?あーいうアハトの暴走を止めんのはあのコの役目でしょうが」

「アニタはウォーレスとカインズと買い物だよ」

「そろそろ帰ってくると思っけど…あ、帰ってきた。お帰りー!」


 銀髪の男が、開かれた扉とそこから入ってきた三人の人間を見て破顔する。そのうちの女が、マフラーを外しながら室内の様子を見て首を傾げた。


「ただいま。…なんの騒ぎ?これ」

「んーまぁ色々あったけど…とりあえず今日は宴会?」

「はぁ?」


 怪訝そうな声を上げる女を余所に、ルイスは女と共に入ってきた長身の男に目を奪われていた。

 上から下まで真っ黒い。所々を除けばひたすら黒い服。緩くうねっている、肩ほどまでの長めの黒髪。細面の青白い頬。唇の血色は悪く――なによりその、ぞっとするような深淵(やみ)を映す黒い眼。

 それがふっと己に向けられ、ルイスは反射的に剣に手をやりそうになってすんでのところで踏み止まる。

 気づけばリディがルイスの服を掴んでいた。警戒心と、僅かながらも恐怖さえ交えて黒い男を見つめている。

 その時二人の動揺に気づいた、黒い男と共に入ってきた朱色の髪の男が苦笑して彼らの間に入った。


「怖がらなくて大丈夫ですよ。顔と態度と雰囲気は怖いですが、今は無害ですから」


 ――有害だった時期があったのだろうか。

 二人が寒気を拭えない一方で、黒い男は興味をなくしたように眼を逸らした。

 代わりに女と、朱色の髪の男が手を差し出す。


「私はアニタ。こっちはウォーレスよ。あなた達は…そう、『ヘキサ』ね、やっぱり。よろしくね」

「僕はカインズ・ラザフォードです。――どうぞ、よろしく」



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