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第十二話 導きの涯 (2)

ちょっと短めです。

第十二話 導きの涯 (2)







 ユーリアはぼんやりと眼を開いた。木の天井。ぼやけた頭でぼうっとそれを見つめる彼女に、扉が開かれる音が届く。


「目が覚めたかい」


 ぶっきらぼうな女の声に、緩慢に首を振り向ければ、顔見知りの小太りの女――この街、アグライヤの治療士がトレイを手に入ってきたところだった。


「私は…」

「全く、何考えてんだい。いくらハンスが腕が立つって言ったって、本職の狩人達でさえ手をこまねいてる竜を相手に出来るわけないだろう。弟だって、あんたと父親が自分のために無駄死にしたなんて聞いたら、どう思うと思うんだい」


 手厳しい言葉の連続に、ユーリアは俯いた。愚か。それは明白すぎるほど確かだ。それでも、病に苦しむ弟を黙って見てはいられなかったのだ。

 唇を噛み締めて俯くユーリアに、治療士の女は短く溜め息を吐き、口調を和らげる。


「安心しな。街の外から薬士が来て、あんたの弟は治ったよ。ハンスの方もあたしが治したから、みんな無事だ」


 ぱっとユーリアは顔を上げた。ついで安堵に顔が綻ぶ。


「よかった…」


 そこではたと、彼女は気を失う直前のことを思い出した。竜の爪から、自分を守ってくれた、あの端正な黒髪の青年。


「あ、あの、私をここまで連れてきてくれたのは…」


 思い出して上気する頬を自覚しながら、ユーリアがどもりつつ問えば、女はああ、と微妙な顔をした。


「あんた、運が良かったよ。狩人の頂点も頂点、十強『ヘキサ』が居合わせてくれたんだから」

「ヘキサ…!?」

「そ。狩人の中でも異色中の異色の二人パーティ。あたしでも知ってるくらいだから、狩人の中じゃ有名だよ。ああ、でも」


 ふ、と窓の外を仰いで女は呟いた。


「今頃はシスティアさまに叩きのめされたころさね」






―――――――――――――――――――



――時間は少し巻き戻る。



 オージディスに連れられ、アグライヤまでやってきたルイス達はまず、この街の住民らしい女と男を神殿に預け、それから狩人協会へ向かおうとした時、オージディスが別行動を告げた。なんでも会う約束をしている人物がいるらしい。


「ああ、僕の正体は内密にね」


 去り際のあどけない笑顔に混じる確かな威圧にルイスとリディは箝口を余儀なくされ、街の中に軽い足取りで消えていったオージディスを見送り、二人は顔を見合わせ溜め息を吐いた。


「モノ、か…」

「たしかにあんな顔してとんでもない力だったよね」


 モノ。謎に包まれた十強の頂点。


 その空恐ろしい実力だけが噂のように語り継がれ、しかしその実態はようとして知れない。任命、解任もいつの間にか行われ、二位以下から繰り上がることもない。

代によっては他のどの狩人も姿を見たことがないという場合もあり、当代はその一例だった。が。


「あんなガキがなぁ…」


 確かに、年齢にそぐわぬ落ち着きと威厳を備えていたが、見た目は完全に十を少し過ぎたくらいの少年だった。それでいて竜の群れをも圧する力を見せた彼に、ルイスは畏怖すら覚えていた。


「――あ」


 ルイスと並んで歩いていたリディが、唐突に声を上げ、次いでルイスを仰いだ。


「ルイス、ちょっと先行っててくれる?さっきのでブーツの金具がちょっとずれたみたいで、預けてきたいんだ」

「わかった」


 軽く頷いたルイスに笑みを返し、ネーヴェを肩に乗せたままリディは駆け足で市場の雑踏に消えていった。ルイスはそれを見送ってから、踵を返した。








 アグライヤの狩人協会は、どちらかというと街の隅に位置していた。代わりに、各国首都以外では今まで見たどの協会より大きい。隅ではあっても寂れているという雰囲気はなく、むしろ超然と佇むが故の威圧感をルイスに与える。


 今は、竜の対策本部ということで人の出入りが多いらしい。歩くルイスの視界に入った中でも、ドアが頻繁に開閉した。

 堅牢な白い石で出来た建物。そこに嵌め込まれた樫の扉を見上げてルイスは軽く息を吸い込み、開けた。

 中は外観からの予想に違わず広かった。開けた空間にはそこここに人が立ち話をしたり、あるいは隅にあるバーで飲食物を口にしていたりする。

 ちょっとやそっとでは壊れない、魔鉱石作りとおぼしき床を踏み、ルイスは奥のカウンターへ向かう。その中途で向けられた突き刺さるような視線はさっぱり無視して、ルイスは前だけを見ていた。

 カツン、カツン――いつのまにか静まり返った室内に、靴音だけが響く。そして前触れなく、彼女(・・)は現れた。


「――ッ!?」


 突如迸った殺気に、ルイスは反射的に剣を抜こうとし――折れたそれを思い出して青ざめる。


「げっ…!」


 カウンターの頭上――吹き抜けとなって場所が設けられているとおぼしき空間から、飛び降りてくる人影。振り下ろされた白刃を、咄嗟に氷の盾を作り出して受け止め、同時に自らそれを蹴って後方に跳びずさる。


「っ、なんなんだ、一体っ…!」


 分厚く巻いたマフラーをむしったルイスは、襲撃者の姿を目の当たりにする。息を呑んだ。

 女にしては高い背。短く整えられた白金色の髪(プラチナブロンド)。少し年齢を刻んだ細面は彫刻のように整い、その極薄い青(アイスブルー)の瞳は、冬の湖面を思わせる。引き締まった細い体躯には無駄がない。


「誰だ…?」


 問いながらも、ルイスには既に予測がついていた。この街にいる狩人で、自分を圧す女の狩人。リディでなければ、それは同じ『十強』しかありえない。

 感情を窺わせぬ瞳でルイスを睥睨していた女は、氷のような声音で言った。


「帰れ」

「…は?」


 理解できず、呆気に取られたルイスに、女は吐き捨てる。


「これくらいのことに大した対応もできずして、なにが『ヘキサ』だ。本部の眼も腐ったか」

「……」


 ルイスは凝固していた。


(なんだこの女、滅茶苦茶怖い)


 言葉もさりとて雰囲気が怖すぎる。

 しかしぎこちなく言い返した。


「悪いな。狩人のホームたる協会支部でいきなり襲われるとは思わなかったもんで」

「惰弱だな」

「……」


 敢えなくぶったぎられてルイスは再び沈黙せざるをえなくなる。


「だいたい、何故剣を抜かない。まさか人間に不殺(ころさず)の誓いを立てているわけでもないだろう、狩人ともあろうものが」

「…折れてんだよ」

「馬鹿か?」

「……」


 いや街中で襲われる心配はあんまりしてなかったしだいたい魔術で対応できるし、という言い訳は口にするのをやめた。確かに、何が起きるかわからない地で、得物なしにうろつくのは不用心が過ぎた。せめてリディに一振り借りておくんだった、と自省する。


「…さっきの返事だ。悪いけど帰るつもりはない」


 ガシガシと頭を掻いて気持を切り替えたルイスは、すと蒼い眼を女に向けた。


「俺は…いや、俺達は本部の指令でここに来た。あんたがこの場のトップを張っていようがいまいが、本部以上の命令権はないはずだ。そして俺は、あんたに従う気はない……『トリル』リーダー、システィア・ランデンブルグ」


 空気が凍りつく。


(((なんつー愚か者なんだお前……!!!)))


 届くはずのない、狩人(男)達の心の声がなぜか響いた気がした。

 対し、女――システィアは、眉ひとつ動かしただけだった。


「ほお?」

「狩人協会本部からの指令だけじゃない。俺達は個人として、竜を追う理由がある。確かにあんたから見りゃ俺達では力不足もしれない、だがほいほい引き下がるわけにもいかないんだよ」


 沈黙が建物を満たした。今や鈴なりにひとが並ぶ、二階の吹き抜けからごくりと唾を飲む音が妙に響いた。

 冬の湖面の瞳に冴えざえとした光を浮かべ、システィアが口を開こうとする。が。

 ギィィ……と入口の扉が開き、同時にルイスにとっては聞き慣れた、他者にとってはそうではない澄んだ声が通る。


「ネーヴェ、急にどうしたの…って」


 新たな人物――リディは、その場の凍りついた雰囲気に目を瞠り、ぴゃあぴゃあと鳴くネーヴェを撫でて宥め、その場で唯一知る青年に目を止める。


「なにこの空気?」

「…えーと」


 寒がりのリディは、街中に入っても防眼鏡(ゴーグル)だけは上げているものの、帽子とマフラーを完全装備のままだった。端から見れば完全な不審者だ。

 ルイスはなにをどうしようか数秒迷い――側を駆け抜けた風に顔色を変えた。


「避けろ、リディッ!」

「ッ!?」


 リディの反応は早かった。ルイスの叫びの最初の一音が空気を震わすと同時に、身を翻して横っ飛びに距離を取る。一秒後、ガァン!と音を立てて、激しい打突が閉まった扉に突き刺さった。


「な……」


 驚愕に表情を支配されたリディは、ついで目を細める。無表情に扉から剣を引き抜き自分を睥睨する女を見据えて、外套の襟に手をかけた。


「ルイス。なに、こいつら」

「なにって、…ッ!」


 試されているだけなのだ、と伝えようとしたルイスを、しかし誰かが背後から羽交い締めにし、ついで床に押し伏せた。


「ぐっ…」

(ッ、俺が気配に気づかなかったっ…!?)


 後ろ手に右腕を捻りあげられ、激痛を堪えながらルイスが背を睨み上げれば、彼を取り押さえる男は面白そうに肩をすぼめてみせた。


「悪いね。ちょっと大人しくしててくんない?」

「……へぇ」


 リディの声が冷えた。しかし同時に、室内の気温が明らかに上がる。事態を見守る狩人達が怯えたようにざわついた。

 リディは外套を脱ぎ捨て、いっそ淡々と唇をつり上げた。


「成程。敵?」


 幻覚でなく、空間に散った火花に、ルイスは顔をひきつらせた。ヤバイ、これはヤバイ。必死に叫んだ。


「馬鹿、殺すな!仲間だ!」


 ふっと温度が戻った。同時に爆ぜていた火花も弾けて消える。リディは、へぇ、ともう一度呟いた。


「なんで仲間が君を襲ってる?」

「――随分と余裕だな」


 冷ややかな声が割って入る。言わずもがな、システィアだ。


「私を前にして無視できる者は、久しぶりだ。剛胆なのか、愚かなのか」


 びり、とした圧力に、リディは舌打ちして意識を切り替えた。


「ネーヴェ。ルイスのところに行って」


 腰の二刀に手をかけ言ったリディに従い、ネーヴェはルイスのところに駆け寄った。ついで、


「いでぇッ!?」


 ルイスを組伏せている男の手の甲に、ガブリと噛みついた。思わず緩んだ拘束に、ルイスは機を逃さず蹴り飛ばす。

 だが同時に、システィアもリディに斬りかかっていた。


「――っ!」


 瞬時に鞘から引き出された二刀が、真っ向からシスティアのサーベルを迎え撃つ。が、流れるように放たれた、いつの間に抜かれていたもう一振りによる次撃が、もろにリディの腹に入った。


「ぐっ!?」


 剣圧に弾かれるまま、リディは床を転がる。出血していないのは峰による攻撃だったからだが、痛みは半端なかった。


「二刀…?」


 ルイスは呟いた。双剣を構えた女は、この上ない威圧を放っている。だが、問題はそこではない。その姿に激しい既視感を覚えたのだ。

 断定的に言えば、口を拭って立ち上がった、システィアと相対する少女のものと。


 それは、他の狩人も同じであったらしい。戸惑うような気配がそこここから漏れた。

 それを本人達が気づかないわけがない。システィアは眉根を寄せ、リディは苛立たしげに帽子を剥ぎ取った頭を振った。

 システィアが言った。


「お前、その剣誰に習った?」

「…母上から、だ」

「母親?馬鹿な、その剣は私の…」


 システィアは眉根を寄せたまま、なにがしか反論の言葉を述べようとし――途中でやめた。代わりに無表情を僅かに崩し、まじまじと露になったリディの顔を見つめる。


「…なに、」

「…そうか。お前、オフィーリアの娘か」

「っ!?」


 リディ、ついでルイスが息を呑む。オフィーリアとは、リディの母の名前だ。


「なんで、それ…」

「やはりか。そういえば、名前は『リディ』だったな。成程。気づいてしまえばよく似ている」


 この場でただひとり納得した風のシスティアは、置いてきぼりの他の面々を綺麗に無視して、剣を一閃して構えを変えた。瞬間、ビリッ…と圧力がリディを打つ。


「かかってこい。あいつ譲りの剣を、私に示すがいい」

「……っ」


 殺気に近い威圧に、瞑目したリディもまた、構えを変えた。システィアと同じものへ。鏡のように向かい合った二人の女に、張り詰めていた空気が更に尖る。

 一瞬後、高い金属音が鳴り響いた。







 数分ののち、リディは白い床に荒い息を吐いて大の字に転がっていた。一方システィアは、寸前まで少女の喉に突きつけていた刃をぱちんと音を立てて鞘に収めた。

 最後の剣戟でリディの手から弾き飛ばされ、壁際まで滑っていった刃を拾い上げたルイスは、今しがたの攻防に、武者震いと呼ぶべき震えを存分に感じていた。


(速度も、鋭さも、力の集中の仕方も。リディが素人に見えるくらいの相手がいるなんて、な)


 ルイスはリディを対等だと思っている。確かに剣を交えれば自分が勝つことの方が多いが、目の前の女――システィアは、明らかにリディ、そしてルイス自身より遥かに上だ。

 それは、アーヴァリアンではほんの一瞬しか本気を見せてくれなかったクラウディオに感じたものと同じ、畏敬の感情。

 ルイスの肩からネーヴェが飛び降り、リディに駆け寄る。ルイスは立ち止まり、ぐるりと周囲を見渡した。

 そこここで交わされる称賛の声。それは決して、勝者たるシスティアだけに向けられているものではない。

 システィアはリディを見下ろし、言った。


「お前、年は幾つだ」

「…18」


 打ってかわって再び静まり返る場。…この場にリディより年下の人間は殆どいないだろうから、仕方がない。


「その年で、もはや母親を超えるか」


 リディは苦笑いし、大の字のままネーヴェの頭を撫で、答える。


「…初めて母上に勝ったのは、15の時だ」

「……」


 僅かに驚きを示すシスティア。次いで、ルイスに視線を転じる。


「あの男は、お前より強いか」

「…ルイス?あぁ、私より強いよ。つかルイス、起こして。足立たない」

「はいよ」


 くつくつと笑ってルイスは歩みより、リディの腕を取って自分の肩に回し、寄りかかるようにして立ち上がらせる。

 それから、落ち着いた眼をシスティア、そして一同に向けた。

 システィアが肩を竦め、腕を組む。それは了承の証だった。


「――改めて名乗ろう。俺達が『ヘキサ』、ルイス・キリグとリディ・レリアだ。よろしく頼む」




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