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第十二話 導きの涯 (1)

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第十二話 導きの涯 (1)






 大陸北部、冷たい海に突き出した細長い半島は、ザイフィリア、フェルミナの二国が占めている。極寒の地であるそこは、ザイフィリアの方が南部に位置し、かつ不凍港を有することで、頻繁にフェルミナの侵攻を受けている。

 その歴史は、長く続く今の十三国体制の歴史が始まった頃から端を発しているといわれ、一説に因ると初代国王達が犬猿の仲であったことがそもそもの遠因であるともいわれている。


「あんまり年中戦争やりすぎて外交にも全然出てこないから、一般的なこと以外俺もあんまり知らないんだよなあ」

「お隣さんじゃないか」


 身を切るような寒風に炎の結界を強めながら、リディが呆れた風に言った。



 イグナディアを飛び立って早五日。時折沿岸の街に寄りながらの飛行の旅は、間もなく終わりを迎えようとしている。


「ネーヴェ、お疲れ様。もうすぐだからね」


 労るように背を叩くリディに、ネーヴェは気にするな、という風に啼くが、少し元気がない。

 成長したとはいえネーヴェはまだまだ子竜に過ぎず、人二人に加え荷物を乗せて一日以上連続して飛ぶことはできなかった。それでも夜間に休むだけで一生懸命飛び続け、馬で進めば一月は軽くかかる行程をたった一週間ほどで運んでくれたことに、ルイスもリディも深く感謝していた。


「…見えた。イヴール半島だ」


 雲の千切れ目から覗く深い群青色の海の先に、白に覆われた大地が見えてくる。リディは再び結界の調節をした。まかり間違って結界が消えると、彼らを猛吹雪が襲う気象だ、油断出来ない。


「指令場所どこだっけ」

「ザイフィリア国境の街、アグライヤだ。そこに対策本部がある」

「場所は?」

「だいたいわかる」

「流石」

「そこで提案。どうせだから、現場見てかないか?」

「現場?」


 ルイスは半分だけ顔を振り返らせ、にやりと笑った。その顔には、出立前にカルライカで購入した防眼鏡(ゴーグル)が填められている。


「竜がいるって場所だよ。どれくらいの規模なのかも興味あるし」

「成程」


 リディは一瞬防眼鏡(ゴーグル)を上げ、目を煌めかせた。ルイスは口角を上げ返して顔を戻し、しかし一転低い声で付け足した。


「…それに少し、疑ってる。悪竜の集団化なんて聞いたことがない」

「どうかな」


 存外、リディの声は軽かった。


「前例がないことなんて、旅の中でたくさんあったと思うけど?」


…一拍おいて、ルイスは吹き出した。確かにそうだ。


「そりゃそうだ。まぁ、取りあえず行ってみるか」

「了解。ネーヴェ、頑張れる?」


 ネーヴェは咆哮で応え、ルイスもリディも苦笑した。


「任せとけ、だって」

「よし、じゃあ行くぞリディ、ネーヴェ。方向はあっちだ」


 眼下にようやく白い大地を捉えた一行は、一路北へと向かった。









 彼は目を開いた。蒼い眼が、葉を落とした樹の枝の間から覗く灰色の空と舞い散る雪を映す。


「来た、かなぁ」


 身を起こすと、重みに枝が揺れる。彼はくすりと笑って、そこから飛び降りた。


 軽く五メートルはある高さは彼にとってなんら障害ではなく、ふわりと着地する。それから耳を澄ませるように、彼は軽く仰向いて眼を閉じた。


「…やっぱり。アグライヤか…いや、直接国境に行く気か。無茶するね」


 くすくす笑いながら、彼は歩き出す。さくさくと、降り積もった雪に小さな足跡がついていく。


「まぁ、それでこそ、か。嫌いじゃないよ。むしろ――好ましいね」


 次の瞬間、彼の姿は忽然と消え失せた。






――――――――――――――――――




 いくつかの街や村を遥か眼下に見ながら飛び続けること、約二刻。


 二国を分け隔てるザットカルト渓谷にルイス達は辿り着いていた。

 深い崖の下を、舞い散る雪の中流れの速い澄んだ渓流が駆ける様は、かなりの壮観である。束の間当初の目的すら忘れて、一同は川の少し上を飛んでいた。


「この渓流の河口付近に、不凍港がいくつかある。それの所有権を巡って頻繁に戦争しているんだ」


 ルイスの解説に、へぇとリディは頷いた。ならばそちらの方が主に戦場と化すのだろうか。


「まぁ、戦争っていっても、こないだのゼノの時みたいな小規模なものが多い。喧嘩って言った方が正しいかもな。死者数も少ないし」

「…え、なのに外交来ないの?」

「…前はな、渋々来てたんだ。でも来る度来る度ザイフィリアの王とフェルミナの王が喧嘩するもんだから、諸国も諦めて招請しなくなった」

「……」


 ルイスの遠い眼に釣られ、リディも沈黙した。なんか情けない。

 と。

 ぴくりとネーヴェが頭をもたげた。次いで、リディがふっと目を細める。


「…どうした?」

「…なにか聴こえない?」


 言われてルイスも、耳を澄ませた。ごうごうと辺りを揺らす川の轟音の中で、微かに。

――悲鳴。


「ッ、ネーヴェ!」


 ルイスは咄嗟にネーヴェに指示を出したが、驚くべきことにネーヴェは動こうとしなかった。ただ、食い入るように川の上流を見、その場に滞空している。


「どうした、ネーヴェ」


 声をかけながら、二人は嫌な予感が背筋を走るのを自覚していた。未だかつて、ネーヴェが二人の命令を聞かなかったことはない。それが、こうなっているということ、それはつまり――。


 悲鳴は近づいてくる。伴って、信じがたい気配も接近してくる。


「……」


 もはや二人ともひきつった顔で事態の来襲を待つしかなく、そして。


「いやあああああっ!誰かっ……!」

「誰か、助けてくれ――!」


 上流からの狭い岸辺を、馬が疾走してくる。背に乗るのは若い女と中年の男だ。

 その、後ろから。


「嘘、だろ…」


 黒い竜が。本来鮮やかな色彩であるはずの鱗を黒く染めた竜が、しかも一匹や二匹では済まない数の群れが、疾走する馬を追って渓谷を飛んでくる。



 そのあまりの非日常さに、ルイスとリディが呆然としているさなか。



 死に物狂いで走っていた馬が、不意に岩に足を取られて転倒した。


「あっ!!」


 馬上の二人は成すすべなく放り出される。そしてその間に態勢を立て直した馬は、重りをなくして一目散に駆け去ってしまった。


「あああっ!待って、いかないでっ!」


 走る術を失った女が懇願の声を上げるも、生き物としての根源的恐怖の存在を前にした馬にそんなものは通じなかった。

 咆哮を上げた竜達が、岸辺に踞る人間達に牙を剥く。女は、落馬した際にどこかを打ったのか、起き上がれない父親を抱き締めて、迫る竜を涙を溢れさせながら見つめた。


 どうしてこうなったのか。


 竜がいるのは、もっと山に近いところだと聞いたのに。ただ、街で熱に苦しむ弟の為に薬草を探しにいっただけなのに。


「誰かっ…!」


 呼んでみても、誰もいないのはわかっている。いくら竜がいるのは上流だからといって、この近くに近寄る者などいない。自分の状況が、それの証明ではないか。

正気を失った証である真っ黒な体躯をうねらせ、鋭い牙が並ぶ(あぎと)をカッと開いて飛びかかってくる竜。

 女がギュッと目を瞑り、襲い来る死を呪った、その時。


 ギィン!


 と甲高いようで鈍い音が鳴り響き、次いで怒りの咆哮が轟く。遅れて、どん、とすぐ目の前に何かが着地する振動音が響いた。


「…え?」

「怪我はないか」


 目を開けば、彼女の前に、顔の横でくくった長い黒髪を翻らせた男が剣を構えて立っていた。額に防眼鏡(ゴーグル)を上げ、覗いた切れ長の蒼い瞳に射抜かれ、その鋭さと美貌、声の玲瓏さに、状況を忘れて胸が高鳴った。


「怪我は」


 少し苛立ちの混じった声にはっとして、慌てて首を振る。


「わ、わたしは…。でも、父が」


 青年の視線が抱えた父親に向き、眇められる。やがて頷いた青年は、女に背を向けて竜に向き直った。



(ヤバいな…)


 明らかに中位以上と解る竜達を前にして、ルイスは冷たいものを感じていた。

こちらを威嚇する竜は全部で八体。大きさはいずれもネーヴェより大きい。いずれも中位以上なのは確実で、黒く染まった鱗と黒赤色の眼が狂気を告げている。


(しかも怪我人つき)


 どこか打ったのか、動かない男と非力な女二人を抱えて逃げるのは、いかなルイスとて無理だ。

 ルイスはちらりと上空を見上げる。それを見計らったかのように、即座に竜が襲いかかってきた、が。

 ゴッ、と吹き付けた青い炎が、竜達の包囲網に風穴を空ける。次いで風圧と共にすぐ側に降り立った存在を振り向かず、直ぐ様ルイスは男ともとに駆け寄った。


「乗って!」


 ルイスが男の肩を支えるのと同時、新たな白い竜(ネーヴェ)の背からリディが女に怒鳴った。


「え…あ…」


 困惑し、おろおろする女にもう一度一喝する。


「死にたくないだろ、さっさと乗れ!私達まで殺す気か!」


 ルイスがさっさと男を支えてネーヴェの背によじ登ったのも利いたのだろう、半ば本能的なように女は伸ばされたリディの手を取り、ネーヴェの背に引っ張りあげられた。


「ネーヴェ、ごめん!頑張って!」


 四人分の重量は生半(なまなか)なものではないだろう。それでもネーヴェは決然と前を向き、上を目指して羽ばたいた。


――グオオオオッ!


 怒りの咆哮が辺りに轟き、態勢を立て直した竜達から一斉に炎が吐き出される。


「ウェルエイシア!」

「アイシィ!」


 リディとルイスの声が同時に響き、迫り来る炎の大半を弾き飛ばす。その合間を縫って、ネーヴェは包囲網を脱した。


「ルイス、どっち!?」

「内陸に戻れ!そこからは俺がっ…!」


 再度放たれる炎。それを寸前で相殺しつつ、ルイスは必死で男の体を支えた。


(ちっ、重い…!)


 なかなか鍛えてあるのだろう、それが健在であれば頼もしいが、今は生憎と仇になっている。狭い渓谷の崖を、上を目指して飛ぶ中、重力まで加わった男の体は、ルイスにとってすらかなり負担だった。

 ネーヴェが苦しげな鳴き声を上げた。やはり辛いのだ。


「頑張れ、もう少しだよネーヴェ!」


 リディの励ます声が聞こえる。次いで、無差別に辺りを焼き払う烈火も。


「きゃああっ」


 女が悲鳴を上げた。そんな普通(・・)の声を聞くのも久しぶりで、ルイスは場違いな笑みを溢す。


「って、こんちくしょう!」


 牙を剥いて躍りかかってきた竜の一体を、風で吹き飛ばした。いちいち全力を出している魔術は、一気に魔力を食う。が、かといって竜相手に手を抜くわけにもいかない。


「竜だけあって頑丈だな、くそっ!」


 リディが悪態と共に、円形に巡らせた炎を一気に拡散させ、暴発させた。竜達の耳障りな悲鳴が飛び交う。


 ついにネーヴェが崖の上に飛び出した。しかし、それ以上の力が残っていなかったのか、悔しげに鳴いて地面に着地した。見る間に小さなピュルマに戻ってしまったネーヴェを労るように撫でて拾い上げて懐に突っ込み、険しい眼でリディは剣を抜いた。二人の一般人を守るように、ルイスもそれに背中合わせになって剣を構えた。女も男もとっくに気絶している。

 羽ばたきと地響きと共に、次々に四人を悪竜が囲む。一様に唸り、威嚇する竜を見据えて、ルイスは叫んだ。


「無駄だとは思うが――訊こう。なぜ中位竜ともあろういと高き存在が、斯様に正気を失い、度を失った獣のように喚くのか!」


 (いら)えはない。ただ、獰猛な生き物の気配が存在するだけだ。


「くそっ、なんだっていうんだ…!」


 リディも歯噛みした。全く前例がないにもほどがある。中位竜の悪竜化も、集団化も。


「こんなのどうやって乗りきれってんだ!」


 ルイスの呻きとほぼ同時、竜達が襲いかかってきた。


「ちくしょう!」


 力を込めて剣を振り抜く。鍛えられた鋼は、竜の爪の生え際を傷つけ、血飛沫を散らす。


――ガアアアアッ!


「火に油、か…!」


 自棄っぱちな笑みを浮かべて、ルイスは踏み込む。次なる竜は、鼻先を切り裂かれてやはり苦悶と怒りの混じった声を上げた。


「せめてあと六体少なきゃな…!」


 リディの呻きに思わず失笑した。旅の始まりで出会った一体の幼竜には、二人がかりであれほど苦戦したのに。中位竜相手でも二体なら勝算を数えられるほど、成長できたのか。


「っと!」


 水魔術で生み出した刃を一気に放ち、近づこうとする竜を牽制する。

 じり貧だ。勝算などない。ただの時間稼ぎしかできない。


(時間稼ぎして、誰か来るのか)


 来るまい。竜の棲みかでもない、こんな中途半端な場所など――。

 思考が逸れたのが、最大の失敗だった。


「ルイス!」


 リディの警告にはっと剣をかざし、突き込まれた爪を逸らした――ところまでは、よかった。


 バキン!


 と、信じがたい音を立てて、半ばからミスリルの刀身が折れ飛んだ。


「え…」


 半分以下になってしまった愛剣に、ルイスは束の間茫然自失した。リディすら、目を見開いて固まった。


 その致命的な一瞬。絶対的な好機を逃さず、竜達はその牙を剥いた。


――グオオオオ!


「…っ!」


 我に返り、なにを行動しても間に合わないと悟ったルイスは、剣を放り捨てリディを庇って抱き締め、痛烈な衝撃を覚悟した――が。


「やれやれ、こんなことだろうと思ったよ」


――何が起こったのか解らなかった。


 鈍い音に、目を開けたルイスとリディが見たのは、バラバラになった竜の死骸、そして二人の前に立つ小柄な影だった。


「な、え…?」

「全く、全ては情報収集が基本て知ってるよね?対抗手段も持たないまま今の君達でこの数の竜に歯向かおうったって無理無理。まあそのおかげで二人助かったっていえば聞こえはいいかもしれないけどさ」


 小柄な影は饒舌に文句を言うと、面倒そうに頭を掻いた。


「まぁお説教はあとにして。――正気を失った竜達よ」


 凛と張った声に、驚いたことに悪竜達はおそれを抱いたようだった。まともな思考などとうに失っているはずの竜達が、喉の奥で小さく唸り、後退りする。


「僕が誰かわからずとも、存在くらいはわかるだろう。――去れ」


 その言葉を契機に、一斉に竜達は飛び立った。それまでの獰猛な様子はどこへやら、怯えたという言葉すら似合いそうな勢いで、渓谷に飛び込んでいく。

 最後の一体の羽ばたきが聞こえなくなってようやく、ルイスはぎこちなくリディを離した。


「無事かい?」


 振り向いたのは、小柄な少年だった。まだ十を一つか二つ超えたくらいであろう、幼く華奢な体つき。小さな顔は目深に被った鍔付きの帽子のせいで窺えないが、発される声はやはり年相応のものだった。だだ纏う空気と口調が、妙に老成したものを感じさせる。


「あんた…、何者だ?」


 掠れた声でルイスは訊ねた。ルイスの腕を掴むリディの指が震えている。異質。そう、この少年は、異質だ。


「名を名乗るならまず自分から。って言いたいとこだけど、まぁいいや、僕は君らのこと知ってるし。そんな怯えないでよ、リディエーリア・オルディアン。君達と僕は、殆ど同類なんだからさ」


 リディもルイスも絶句した。半分は話の見えなさ故、半分はリディの名を知る故だ。


「なんで、名前…」

「ん?ああ、エルクイーンだっけ。まぁどっちだっていいよ」


 驚きを別方向に変換したらしい少年はあっさりと流し、それから思い出したように先程のルイスの質問に答えた。


「僕はオージディス。当代『モノ』だ」




連載のんびり再開します!

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