第十一話 崩壊の鏑矢 (12)
第十一話 崩壊の鏑矢 (12)
その後魔族討伐組の狩人達は、戦争立ち会い組の狩人達によって発見、回収された。
ほとんどの者が疲労、重傷などにより昏睡し、それはおよそ丸二日に及んだ。その後も静養などで、一週間があっというまに経過していた。
その一週間の間に、イグナディア第三王子アドニスを核とする反乱軍は、湖にて降伏させた軍をも率い、さらには噂を聞き付けて集まった各地の民をも引き連れ、首都ウァリエンの無血開城に成功を収めた。
もともと、今の王に対する忠誠心がなくなりつつあった臣下だ。流れが反乱軍にあるとみるや、あっさりと掌を反すように寝返った。
また、この反乱により捕らえられたイグナディア国王、第二王子・王女は、議論が紛糾する最中、アドニスによって極刑が決定された。批判をも受け付けぬそのきっぱりとした断罪に、諸臣はひとまず様子見を決めたらしい。まだまだ混沌としていつつも、表面上の落ち着きの兆しは見えてきはじめた。
そんなかいつまんだ話を、疲労と魔力消費でぶっ倒れたルイスは、余り戦いに加われなかったことで元気なリディから、静養先のカルライカの屋敷の枕元で聞いた。
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ルイスが完全に回復した頃、例の四阿で茶を飲みながら、ふとリディが話題を振った。
「ていうかさ、これどうする?」
リディが手で弄んでいるのは、エカテリーナの核だ。黒々しいそれは、何も知らなければ美しいのだろうが、元を知っているといかんともしがたい。
「ハワードとカミラ、ユーリスの核は、まぁ大丈夫として…これ、やっぱり売るしかないかな?」
「それが一番いいだろ。ていうか、折角王家とコンタクトがあるんだ、イグナディアに売りつけようぜ」
「…それともルイスの新しい耳飾りにする?それ、大分色薄くなってるじゃん」
うっとルイスは詰まった。確かにこの旅の中での幾度にも渡る使用で、いかなレベルの高い核とはいえ、その色味はかなり薄まっている。もう使える回数もそうないだろう。だが、だからといって。
「エカテリーナの核とか嫌だ…呪われそうだ…」
「…確かに」
リディも目を逸らして頷いた。呪われそうだし、それ以前になんか嫌だ。
「じゃアドニスよんで売っ払――」
「呼んだか」
「ひっ!?」
完全に気を緩ませていたところに、唐突にかけられた声に、リディは肩を弾ませた。ルイスが片手を上げる。
「どうした、新国王陛下」
「…アンタに言われてもなんか嬉しくないな」
少年は幼い顔に一端の渋面を浮かべ、調子は、と訊ねた。
「流石に全快。元々、適当にやりすぎた脚の治療し直しと、魔力回復だけだったからな、俺は。ジョンとクラウディオは…まだちょっと、な」
ジョンは、刺された位置が悪かった。急所でなかったとはいえ、本当にギリギリだった。あの場面でリディが治療をしなければ、確実に死んでいたはずだ。
「『神槍』殿は…腕を失くされたのだったな」
ルイスもリディも黙りこくる。
ほぼ幽霊伝説状態らしい『モノ』を放置するなら、間違いなくこの大陸で最強に分類される男の、左腕の損失。本人はわりとあっさりしていたが、周りの方のショックは大きかった。
ルイスは頭を振って苦い思いを無理矢理追い払うと、そういや、とアドニスに問い返した。
「頼んでたものは?」
「ああ、もともとはそれを渡しに来たんだ」
ごそごそと懐を探ったアドニスは卓に、青玉と緑玉の耳飾りと、黒紫の首飾りを置いた。
「本当ならば秘中の秘だがな。まあ責任をとるのはアンタなんだろう、ルイシアス王子」
ルイスはひらひらと手を振った。
決戦前夜、アドニスに呼び出された彼は、その場で正体を看破された。そしてルイスも、特に隠しだてる気はなかった。
そしてその彼に、アドニスは父兄をどうするつもりかぽつぽつと話し、ルイスは彼に自分の思うままやれ、と言った。そうして、今がある。
「ゼノを見てきた目から、どう映っているのか見たかった」
とアドニスは嘯いたが、恐らくは誰かに話すことで、迷いと恐れを切り払いたかったのだ。そのあたりは、一人で助命を決めたセレナとの性格の差だろう。
「…まあ、彼らに渡しておいてくれ。それはそうと、リディ」
アドニスは今度はリディに顔を向けた。
「アンタに来客」
「客?」
きょとんと彼女は首を傾げた。
「誰?狩人?」
「いや。名前はキース・ハンベルグとか言っていたな。旅人の格好をしていたが、僕の勘では多分騎士…」
ガタガタガタッ、という騒がしい音に、アドニスの科白は遮られた。
「…嘘だろ、来たのあいつら」
蒼白とはいわないまでも、明らかに顔色を変えたリディが、椅子を蹴立てて立ち上がっていた。
リディはぶつぶつ唸ったあとに小さく舌打ちすると、諦めたように大きな溜め息をついた。
「…アドニス、そいつらどこに通した?」
「え?ああ、東の客間のひとつに…」
「わかった。ちょっと騒がしくなるかもしれないけど、ごめん。あの説教魔王…」
「は?ちょっとリディ…」
アドニスの声を背に、リディはドアを開けて出ていく。アドニスは困惑げにルイスを振り返った。
「…どうしたんだ?」
「あいつも複雑なのさ」
ルイスは茶を飲み干し、立ち上がった。今のやりとりでおよそ成り行きは把握した。
「さて、人払いでもしてやるか」
リディはとある部屋の前に立ち、深呼吸した。すごい開けたくない。でも開けなかったらあとが怖い。
覚悟を決め、ノブに手をかけようとした時だった。
「リディさまあああああ!」
突如としてドアが内側に開け放たれ、中から伸びてきた二組の腕が彼女の身体を捕らえ、室内に引きずり込んだ。
リディは体勢を立て直す暇も与えて貰えず、左右両方向からがしっと挟まれて床に尻餅をつく羽目になった。
「ひめさまあああよくご無事でえええ僕もう心配で心配で」
「リディさまなんですかぁこの御髪――!また切られたんですかぁ―――!?」
「ぐ、ぐるじぃ…」
蛙が潰れたような声を上げて呻くリディを他所に、男女二人はおいおいと泣く。
「もう追いついたと思ったらもういないしご実家に帰られたと思ったらまた旅立たれてるし」
「あああもう折角林檎のようにお美しい御髪なのになんでお切りになってしまうんですかぁ――」
「クリス、マリア。リディ様が窒息するぞ」
ぱたん、と開け放たれたままだった扉を閉め、最後の一人が冷ややかに言った。
ようやく離してもらえて呼吸を整えられたリディは、扉口に立つ彼女の騎士――キースを見つめた。鳶色の眼に静かな憤りを込めた彼は、しかしまずリディに頭を垂れた。
「お久しぶりでございます、リディ様。ご壮健そうでなによりです」
リディは口をヘの字に曲げて、数秒沈黙を挟み、決まり悪そうに呟いた。
「…うん。ありがとう、キース、クリス、マリア。心配かけて悪かった」
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本を読んでいたルイスは、いい加減暗くなってきた手元に目を上げた。ネーヴェは朝から爆睡中だ。
「もう日没か」
それから部屋に、相方の少女が戻ってきていないのを見咎め記憶を探る。
「確か…昼頃に出てったんじゃ…?」
まさか、まだお説教を食らっているのだろうか。
些か哀れになり、ルイスは部屋を出て客間に向かう。その途中、テディーに呼び止められた。
「よぉ。元気そうだな」
「そっちもな。…クラウディオの容態は?」
テディーは軽く頬をかいた。
「山は越したからな。命は問題ねーけど…元に戻れっか、は…」
いつになく歯切れの悪い返答に、ルイスはその難しさを知る。
「…それはそうと、ありゃなんだぁ?東の…」
「ああ…リディ、まだやっぱりやってるのか」
悲しくも予想は当たったらしい。天井を仰ぐルイスに、テディーは束の間質問してみたそうな顔を作ったものの、諦めたのか顔を反らし、思い出したように片手に持っていた封筒を差し出した。
「そーだ、これ届けにいこうとしてたんだ」
「?なんだ…」
受け取って開封したルイスの顔色は、直後はっきりと変わった。
人払いがまだ継続しているらしいその廊下に人気はなく、しかし一室から言い争いが聞こえてきた。
「…から戻る気はないって言ってるだろ!」
「リディ様のご意志は聞いておりません。オフィーリア様にも仰せつかっています」
「君は私の騎士だ」
「ええ。主人の愚行をお諌めするのも臣下の務めでありましょう」
部屋の扉をそろっと開けた途端に明瞭に耳を貫いた騒ぎに、ルイスは苦笑いを漏らして扉を閉める。
広い部屋の中央で、リディは若い騎士と言い争っていた。リディの怒声に慣れているのだろうが全く動じていない鳶色の髪の男に密かに感嘆したルイスに、とことこと寄ってきた若い女の騎士が声をかけた。
「失礼ですが、ルイシアス殿下ですかぁ?」
間延びするしゃべり方だが、不思議と鬱陶しさを感じさせない。ルイスは褪せた金髪の女を横目で見て、軽く頷いた。
「きゃ、やっぱりぃ!イケメン!リディさまもいい男捕まえましたねぇ!」
「…逆だよ。それに、まだ捕まえられてない」
苦笑する横顔を、女はきょとんとした顔で見つめ――ああ…と哀愁の漂う溜め息をつく。
「鈍いのはやっぱり治ってませんのねぇ、リディさま…」
その間にも言い争いは激化の一途を辿っていた。
「だいたいしつこいんだよ、ヴィンセントに追わなくていいって言われたんなら諦めろよ!」
「私の主は殿下ではなくリディ様ですから。御身の安全が最優先です」
「安全なら私の意思は関係ないってわけ!?」
「そうは申しません。ですが、このようにご自分の立場も何もかも無視した行動は看過できますまい」
「君はいつから私の保護者だ!」
「何を今更仰いますか、初めてお仕えしはじめる時にお目付け役だといわれましたが」
「時効だよこの粘着!」
「粘着で結構。それくらいでなければあなた様の護衛など務まりません」
「あー…お取り込みのとこちょっと悪いが、いいか」
リディの方が最早罵りしか口に出来ていない状況に潮時を感じ、ルイスは口を挟んだ。さっとリディが、そして騎士が振り向く。
「ルイス!」
リディが呼んだ名に、騎士の方がすっと目を細めた。
「成程。あなたがルイシアス殿下ですか」
ルイスは軽く会釈してそれに応じる。
「お初にお目にかかる。ルイシアス・エーデルシアスだ。わざわざ遠く離れた地までご苦労」
ぴくりと男の頬がひきつる。
「…過分なお言葉を頂きまして。自分はキース・ハンベルグ、共にいますはマリア・エッカルト、クリス・デールマンと申します。しかしながら、護衛騎士としては当然のことかと」
リディが顔色を変え、キースの無礼に怒ろうとしたのを片手で抑え、ルイスは唇をつり上げた。いい度胸だ。
「俺には近衛兵団はいるが専属の護衛はいないからその辺りはわからない。しかし、護衛だというなら主の意志こそ至上ではないかと思うがな」
「お諌めすべきときはお諌めしろと、リディ様の母君より伺っております。主の言葉を疑いもしない盲目の傀儡には成り下がるつもりはありませんので」
「へえ?主より主の母の言葉を容れると?」
「そういうわけではありません。理が明らかにある方に、そしてリディ様にとって良いものをもたらす方に従うまでです。悪しき方に主を走らせるのを良しとする臣はおりません」
「リディにとって何がいいか、貴殿が判断できるのか?」
「一般常識に照らし鑑みれば、自ずとわかるかと思いますが」
「こいつが一般常識の範疇に収まらないことを、護衛の貴殿がわからぬはずがないと思うがな」
口を挟み難い問答に、リディやマリア、クリスはただ慄く。マリアは、真っ向からキースの嫌味に対抗していることに感動していたが。
「…だいたい、魔族などの言に乗ってこのような遠き地まで釣り出されたことのなにが愚行でないと言えますか。一歩間違わずとも、命を落とされるかもしれないというのに」
「あそこまで挑発されてこないわけにもいくまい。それに俺達が来なければ、この国は戦火を生み出し多くの命が失われていただろう」
「それは結果論です。リディ様だけではない、あなたとて尊い御身でありましょう。ご自分の命をなんとお考えですか」
鋭い語調に、しかしルイスは鮮やかに笑った。
「王族など、民の婢にすぎないさ。だいたい俺が死んだところで、国には兄も弟もいる。なんの問題もない」
「…あなた方は、高潔な方ほどご自分の価値を解っていらっしゃらない」
呻くようにキースは呟き、眉間を押さえる。
「そもそも、魔族を斃した今、どこへお行きになろうというのですか」
「目的地を目指しての旅の方が稀だ、とも言えるけどな――リディ」
ひゅ、と水平に投げられた封筒を、リディは反射的に受け取る。
「また目的地が出来た――開けてみろ」
言われるままに視線を中身に落としたリディの顔色が、変わる。一度上から下まで目を通し、そしてもう一度。
数秒後、上げられたリディの眼は、獲物を見つけた猫のように爛々と輝いていた。
「行くな?」
「当然。早いとこ支度しよう」
「ちょ、ちょっと待ってリディ様!」
早くも身を翻そうとした二人の背に、慌てて代表してクリスが追い縋る。
「いきなりどうしたんすか、それになにが」
言い終わる前に、彼の眼前に紙が突き出される。反射で読んだ彼は、はぁ!?と素っ頓狂な声を上げた。
「ザイフィリア・フェルミナに…悪竜の群れ!?」
キースとマリアも愕然とした表情になり、すぐさまクリスを囲んで書類に目を落とす。リディが楽しそうに言った。
「加勢に向かうよう、狩人協会の、しかも本部から私達に直々の指令だ。情報と一緒に大義名分までくれちゃってまぁ、ありがたすぎるね」
「もしかしなくても、『トリル』と『テトラル』があっちにいるのはそのせいだろうな」
「…っ、お待ちください!こんな…こんな、魔族よりも性質が悪いものを、本気で相手にするおつもりですか!」
指令書を握り締め、キースが怒鳴った。リディが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「相手にしないわけないじゃん。てかそれ返せ、一応正式書類ぐしゃぐしゃにするな」
「正気ですか!いいえリディ様、お通しするわけには参りません!あなたは…」
「通さないというがな、キース・ハンベルグ」
冷ややかにルイスは言った。かしゃん、と腰に佩いた剣の鞘が揺れる。
「貴殿らに俺達が止められるとでも?」
「それはっ……!」
ぐっとキースが詰まった。張り詰めた空気が部屋を満たす。
一触即発とすらいえる空気を破ったのは、意外にもマリアとクリスだった。
「無理ですよぅ。一年前、しかもリディさまだけならいざ知らず、『烈火の鬼姫』と『氷の軍神』ふたり相手なんて、あたし達じゃ荷が勝ちすぎますよぅ、キース」
「そーっすね。諦めましょーよキースさん。僕怪我したくないですし」
反旗を翻した二人の仲間に、キースは目を剥く。
「お前達…っ」
「ていうか、思ったんですけどぉ」
「僕達もいい加減姫様離れしないといけないっすよ」
私離れ?とリディがきょとんとした。
「リディさまももう十八ですよぅ。あたし達が見守らなきゃ危ない子供じゃ、なくなっちゃったんです」
マリアが少しだけ寂しそうに微笑んで、それに、と言い添えた。
「リディさま達は、多分そこに行かなくちゃいけません。ヴィンセントさまがあたし達を止めなかったのには、理由があると思いますよぅ。強引にあたし達を止めなかったのは、きっとそあたし達につきつけるお考えだったからじゃないですかぁ?」
「……」
キースが俯いた。敢えて無視したクリスが、でも、とルイスとリディに首を傾げてみせる。
「ここからフェルミナにどうやって行くんすか?海沿いの最短経路とっても、一ヶ月はかかっちゃいますよ。間に合うんすか?」
「あー…。それは平気なんだけど、逆に不審がられるかなぁ」
「それも平気だ、リディ。よくもう一回指令書読んでみろ。『持て得る限り、やれ得る限りの最速・最短手段でもって向かわれたし』。…この意味わかるな?」
「…うわぁ。え、なにこの見透かされ感」
乾いた空笑いを立て、リディは護衛騎士達を振り返った。
「わざわざ来てもらったのにごめん。明日、私達は行くよ。三人ともオルディアンに帰って。資金は渡すから」
クリスが仰天した声を上げる。
「ええっ、姫様僕達置いてく気っすか!?お供しますよ!」
「…ついてくる気だったの?でも無理だよ、定員オーバー」
「定員…?」
ルイスが肩を竦めて応じた。
「明日になればわかるさ。――屋敷の人間に頼んで、出発の用意をして貰ってる。俺達もさっさと準備して寝るぞ、リディ」
「はい了解。…キース」
部屋を出ていく寸前にリディは振り返り、黙したまま俯くキースに、少し躊躇った末、言葉を投げた。
「――ごめんね」
ぱたんと、ドアは閉じられた。
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翌朝。
「まったく、貴方達も忙しないことね」
カルライカの高台、街を見下ろせる位置に座す屋敷の前で、ツェツィリアは苦笑して若者ふたりに言った。屋敷の前には、『ペンタ』以外の狩人達全員と、キース達、それにアドニスらか集まっていた。
「仕方ないよ、直々の指令書だもん」
リディはよっ、とコンパクトに纏めた自分の荷物と、当座の食料を背負い、しかし楽しげに答えた。城奪回ののち、無事に主の元に戻ってきた二振りの愛剣は、しっかりとその腰に収まっている。
「魔族の次は、竜だって?お前ら普通の何倍波乱万丈な日々送ってんだよ」
皮肉げに言ったのはヨセフだ。ルイスがにやりと笑って返す。
「つまんねえ毎日より、激動の方が人生面白いだろ」
「かぁ、よく言うぜ」
まだ本調子ではなく、エドガーに肩を借りながらのジョンが天を仰いだ。
「んなこと言ってると、そのうちおっ死んじまうぜ」
「冗談。まだまだ生き足りないね」
「あの、ルイスさん」
リリアとエイトが進み出、ルイスに頭を下げた。二人の耳にはそれぞれ、青と緑の玉の耳飾りが下がり、リリアの首からは黒紫の玉が加工された首飾りが下がっていた。
「これ、ありがとうございました。…言葉で言い表せないくらい、感謝してます。一生大事にします」
「……。危険が迫った時に使ってやると、あいつらも本望だと思うけどな」
おどけた調子で答えたルイスに、リリア達は泣き出しそうな顔で微笑むと、もう一度頭を下げた。
「……、リディ」
ぽそ、と喋ったルネに、リディ以外の一同が驚愕の視線を向けた。特に、喋ったのを見たことがなかったエイトとリリアの驚きたるや、相当なものがあったが、リディは平然としたもので首を傾ける。
「なに、ルネ」
「死なないで、ね。いつか、会わせて、くれるんでしょう」
「…うん。必ず」
破顔してリディは軽く彼女を抱き締めた。
「…気をつけて、いけ。何が起こるかわからないが…お前達なら、なんとかなるだろう」
槍を支えに立つクラウディオの左半身に、腕はない。だが、片手であれだけ強力かつ正確無比の槍を投げられた彼だ。まだまだやれるワヨ、とはマルセロの言だ。
「ルイス、リディ」
最後に、アドニスが進み出た。
「ありがとう。この国を訪れてくれたこと、僕の目を覚まさせてくれたこと、魔族を倒してくれたこと――全てのことに礼を言う。我らイグナディアの民一同、心よりの感謝を」
アドニスと共に、後ろに控えたイグナディアの面々が一斉に頭を下げた。いつかのゼノを思い出させる光景に、リディは照れ臭げに、ルイスは朗らかに答えた。
「大げさだよ」
「気にするな、仕事だ仕事」
風が吹く。まだまだ冬の、しかし切りつけるようなものではなく、人々の心を澄ませていくような、凄烈な風。
さて、とルイスが空を見上げて目を細めた。
「――行くか、リディ」
「うん」
「あのさ突っ込みたかったんだけど、馬も連れずにどーやって…」
テディーのツッコミの傍らで、ルイスが腕を勢いよく振り、その肩で助走をつけたネーヴェが、ぽーんと高台から飛び出した。
「「えっ!?」」
主に女性陣が青ざめて悲鳴を上げた。なかば崖のようになっている高台だ、ただで済む高さではない!
「ちょっとッ…!」
「それじゃあまたいつか」
「みんな、ありがとう。キース、マリア、クリス、馬鹿によろしく」
一同を一顧だにせず、爽やかに二人は笑うと、ピュルマを追うように助走をつけて高台から飛び降りた。
「「「「えええええ!?」」」」
「り、リディさまっ――!?」
真っ青になった面々が、慌てて縁に駆け寄ろうとする、それより前に。
バサッ――と大きな羽ばたきの音を鳴り渡らせ、巨大な影が人々の頭上を滑空する。
「――え」
「りゅ、う…?」
呆ける彼らの頭上遥か高くで、ぐるりと別れを告げるがごとく旋回した竜の影は、そのまま勢いよく東の方に飛翔していった。
「っと、なんか久々の感覚」
吹き付ける冷たい風を風結界である程度防ぎ、自分とルイスの身体の温度を保たせるように火魔術をかけ終えたリディは、上空の清々しい大気に笑みを溢した。
「あんまり景色楽しんでる暇はないぜ、リディ」
彼女の前で手綱を握るルイスが、顔の半分だけで振り向いてにやっと笑う。
「飛ばすぞ。なんたって最速、最短とのご指令だからな。なぁ、ネーヴェ」
ネーヴェはぐるると唸ってそれに応じた。だんだん竜らしくなってきている。
リディは笑って、ルイスの背に顔を伏せると揶揄混じりに応じた。
「わかってるよ。そっちこそ風避けよろしく?」
「言ったな。――行け、ネーヴェ!」
どん、と急加速した竜が、大空を突っ切っていく。
忙しく流動していく世界。
それは着実に、現世を蝕んでいるのだと人々が思い知る日は、もうすぐ其処に迫っていた。
後一話後日談をあげたら、また休止状態になる予定です。
ただ、どうもキリの悪さがぬぐえないので、ペースをガタ落ちさせながらでもどうにか十二話をあげていけないかなともくろんでいます。
詳しくは後日談up時、活動報告を書きたいと思っています。よろしければ、お付き合い頂けると幸いです。