第十一話 崩壊の鏑矢 (7)
第十一話 崩壊の鏑矢 (7)
女性陣が帰ってきたのは、宣言通り夕方だった。なにやら上機嫌の彼女達は、夕食の時も楽しそうで、男性陣の胡乱な目付きを誘った。
その後、そのまま食堂で喋ったりゲームに興じたりしていると、元大臣と騎士、文官が揃い踏んで訪ねてきた。
「先程は見苦しいところをお見せいたした」
女性陣はきょとんとしたが、男性陣が無言で頷くのを見て、ツェツィリアとカミラはおおよその所を察する。
「で、方針は決まったのか?」
「ええ。…ですが、肝心の殿下が…」
ああ、と一同は原点を思い出した。第三王子、だったか。
「殿下は、我々の話を聞こうともなさらない。殿下がいらっしゃるのといらっしゃらないのでは、士気がまるで違ってくるのだが…」
「ほっときゃいーのに、そんな自分勝手な王子サマなんて」
リリアのぼやきに、騎士が険しい顔を向けかけ、文官がそれを止めた。
「いえ。…殿下を頑なにさせたのは、我々なのです」
「……?」
「少し、昔話をさせて頂けますかな」
狩人達に断って大臣は椅子に腰掛け、遠くを見つめるようにして話し出した。
「殿下は…アドニス様は、庶出であらせられます。陛下のお手つきになった下女を母に持たれ、王宮の隅でお育ちになりました。上の殿下達は、母は違えど皆身分ある側室の方からお生まれになりましたから、随分とお育ちになった環境も違われました」
思うところのあるヨセフの唇が微妙に歪んだ。
「アドニス様は、…その、あまり顧みられぬお立場からか、よく街へお出かけになり、街の者達と交流を重ねておいででした。そして、齢七を数える頃には、この国の歪みに気づいていらした。上流階級の者ばかりが贅沢な暮らしをし、民の多くが生きることすらに困窮していることを。たびたび戦争が引き起こされるたびに、それは酷くなっていくことを」
元大臣の声色は暗く沈み、ただ懺悔のみが刻まれている。ツェツィリアは内心で苦笑した。
そんなことは分別のあるものなら誰でも知っている。知っていても、なんとも思わないだけだ。民がいくら死のうと、貴族様にはどうでもいいのだ。
「アドニス様は、たびたび陛下に直訴していらっしゃいました。戦争などせずに、民が少しでも良い暮らしが出来るように、尽力すべきだと。――陛下が頷かれることはありませんでしたが」
「殿下は我々にもおっしゃった。なぜ誰も陛下に進言しないのか、と。なぜ民を顧みないのだ、とも詰られた。けれど我々がそれに応えることは…なかったのだ。己が身を怖れ、誰一人として殿下の肩を持つものはいなかった」
騎士の回顧に、駄目じゃん、とリディは思った。オルディアンとはまるで違う。彼女の国は臣下が王族を蹴飛ばしていることすらある。
「殿下は我々に失望なさった。当然ですが…。そんな折、いつものように街に降りられた殿下は、金に目の眩んだ悪漢に誘拐されかけたのです。しかし陛下は、身代金の要求に応じようとはされず…殿下は命からがら、ご自分の魔術でもって生き延びられ、生還なされました。それ以来です…殿下が離宮に移られ、何人にも心を開かれなくなったのは」
幼い王子にとって、親身に思っていた街の者に裏切られ、更には実の親に呆気なく切り捨てられたことは、大きすぎる傷だった。彼がほんの少しだけ心を開くのは、離宮の傍の村にいた子供達だけだったという。大人には、いっさい表情すら見せなくなった。
「しかし、その村も…此度の魔族の仕業により、滅び…。それすら終わってから、ようやく動き出した我らに、アドニス様が心を寄せられるはずもありません。全ては、自分の身可愛さにアドニス様を見棄てた我々に非があります。アドニス様を、どうか悪く仰らないでください」
沈痛な声が、静まり返った部屋に落ちた。
その翌日。ルイスとリディは屋敷の外壁に背をつけ、周りを気にしながら話をしていた。なぜこんなところかといえば、屋敷の中だとどこに耳があるかわからないからだった。
「どうするの、私達。口出すの?」
リディは腕を組んで空を見上げ、ルイスは溜め息を地に落とした。
「出さないで済むに越したことはないんだけどな。狩人の仕事は、人ならざるものの排除だ。狩人の一
人としてここにいる以上、政に影響するところに口を出すべきじゃない」
「でもこのままだと潰れるよ、この組織。昨日何言ったか知らないけど、少しはまとまったかもしれないけど、ここに襲撃きたら終わりだね」
空気に敏感な彼女は、深い事情は知らずとも漂う緊迫感にはちゃんと気づいていた。
「ゼノの時とはメンツの質が違いすぎるしなあ。ああ、いかにルーベンス伯が有能だったかわかるぜ…」
ゼノは、もともとは王が有能であったからこそ、人材もあったのだろう。だがこの国は――。
「多分優秀なひとは早いうちに殺されちゃったんだろうね…」
リディは憂鬱そうにマフラーを弄くり、それからん?と塀を振り向いた。
「どうかしたか?」
「いや、なんか騒がしいような…」
その時、どたん、ばたん、ぱきーんという騒々しい音、女性の悲鳴、男性の焦った声、最後に聞き知った叫び声が連続して聞こえてきた。
「あっこらテメ…違った、王子!待てこの…じゃない、待ってください!」
エイトの噛み噛みの科白に二人が吹き出しかけると同時、彼らの頭上にふっと影が差す。
見上げた高い壁の上に、小柄な人影があった。曇った雪空を背景に、一瞬、薄氷の瞳と目が合う。
しかし小柄な影はすぐに塀を蹴ると、瞬く間に近くの民家の屋根に乗り移った。
ルイスとリディがぱちくりと目を見合わせる前に、塀の向こうからバタバタと走ってくる音が響き、ついで門からジョンが飛び出してくる。彼はルイスとリディを見つけるなり、懇願混じりの怒声を上げた。
「ルイス、リディっ!!すぐさまあのガ…違った王子追えっ!お前さんらしか多分無理だっ!」
「王子?」
ルイスとリディははてと首を傾げ、あ、と思い至った。視線の先で少年がちらりとこちらを振り返ってから、屋根の上を走り出す。
「あれか」
「あれだね」
「のんびり見てないで早くっ…でっ」
「それ持ってて。ルイス、私は上からいく」
「俺のも。俺は下からだな。追い込もう」
ジョンの顔面に、着ていたコートを投げつけ様、リディはその場から跳躍、ルイスはそのまま走り出した。
風の力を借りて屋根に飛び乗ったリディは、前方を小柄な背中が軽快に跳んでいくのを見つける。その速さはかなり速く、運動神経と魔術制御に長けていることが窺える。
「…やるじゃん」
ま、負けないけど。
リディは慣れた様子で屋根を蹴った。
後ろをちらりと振り向いた少年は、自分より幾らか年上に見える赤い髪の人間が追ってくるのを見て、直ぐ様前を向いた。持てる風魔術を駆使して屋根を駆けていく彼に、しかし追っ手の少女(多分)は遅れずについてくる。
(昨日来たとかいう、狩人か)
そうでもなければ、この陣にあの年頃の人間はいない。
(追えるものなら、追ってみろ)
少年は目をすがめて、ぐんと速度を上げた。
(速いな)
リディは感心半分、面倒半分で舌打ちした。
風魔術による跳躍、飛行は、実はかなりの鍛練と経験を積まねば実用には程遠いところで終わってしまう。一定以上の狩人達は皆その規準を満たしているが、あの年頃で自在に、しかも今の自分が距離を詰めきれない程に熟達している者は、そうそういないだろう。スヴェンでさえ、浮かび、歩く程度の速さで移動するので精一杯のはずだ。
「神童ってのは結構いるものだね」
ゼーテいわく、それが時代、らしいが。
『リディ』
不意に、耳元のピアスからルイスの声が届く。
『今どこだ?』
「えっと…」
リディは足元を過ぎ去る風景の中に、卓越した動体視力で看板を見出だして読み取る。
「ドールストリート。南に向かってるかな」
『了解。通り越す毎に言ってくれ、体力絞ったら袋小路に詰める』
「地図わかってんの?」
『昨日おおよそは頭に入れた』
「さいですか」
相変わらず頭のいいヤツ、と内心でぼやいたリディは再度距離を詰めるべく速度を上げた。
走り続けて一刻以上。少年は息が切れ始めていた。
(体力、違いすぎるっ…!)
正直、舐めていた。自分の速さで撒けないわけがないと。だがどうだ。追い付きはしないが、決して離されることなく後ろから狩人は追ってくる。魔物相手に死闘を繰り広げる狩人と自分とでは、基礎体力が違うのは自明だ。
(こうなったら…!)
狭い道に下りてかわす!と決めた彼は、記憶と経験に基づき、入り組んだ路地に飛び降り、しかしぎょっと目を見開く。まるで待ち構えていたかのように、ひょいと横あいから現れた青年が道を塞いだのだ。滑らかな黒髪に、貴族的な顔立ちをしたその男が肩を竦めてみせる。
「悪いな、こっちは通行止めだぜ」
「っ!」
直ぐ様踵を返した彼、しかしその眼前に屋根から少年が飛び降りてくる。しかもよくよく見れば少女だった。
少女は猫のような金色の眼を意地悪げに笑ませて、「つーかまえた!」と楽しそうに言い放った。
―――――――――――――――――――――――――
「そういやなんにも訊かずに追いかけちゃったけど。君、なんで脱走したの?」
路地の奥の少し開けた空間で、積み上げられた木箱の上で林檎をかじりながらリディは一段下にいる少年――イグナディア第三王子アドニスに訊ねた。ちなみに林檎は途中でルイスが調達しておいたものだ。
「なんであんたらに話さなきゃならない」
仏頂面でアドニスは返す。差し出された林檎を受け取ろうともしない。
「まあ大方、あの屋敷にいても旗頭になれなれいわれるばっかで嫌気が差し、日が暮れるまで適当に時間潰そうってとこだろ」
早くも一個の林檎を平らげ終えたルイスの科白に、アドニスはぎょっと木箱の上からルイスを見下ろした。図星らしい。
「ちょっと考えりゃわかる。街の外に出ちまうほど分別がないわけじゃないだろうしな」
「……」
「自己紹介が遅れたな。俺はルイス・キリグ。狩人だ」
「同じく、リディ・レリア。こっちはピュルマのネーヴェ」
「ぴゃっ」
「ピュルマ…?」
リディの懐からぴょんと顔を出したピュルマに、アドニスは興味を引かれたらしく仏頂面を崩す。リディはにこっと笑ってネーヴェを彼の膝に放り投げた。
「わっ!?」
「み゛ゃっ」
投げられたネーヴェは抗議の鳴き声を上げたが、リディは我関せずといった風に林檎をかじった。
「……」
アドニスは無言でじっとネーヴェを見つめ、ルイスとリディも黙したまま林檎をかじり続ける。決して居心地は悪くない沈黙のあと、あんた達は、とアドニスが呟くように言った。
「言わないのか。僕に軍を率いろって」
「……。やる気のない人間に空の言葉を重ねたところで意味はないからな」
アドニスは刺された顔つきで黙り込む。数秒の沈黙を挟み、ルイスはリディ、と呼ばわった。
「悪いけど、飲み物買ってきてくれないか。喉が渇いた」
リディは眉を上げ、しかし大人しく立ち上がるとネーヴェの首根っこを掴んで木箱から飛び降りる。そのまま、唯一この空間に繋がる路地へと出ていった。
アドニスは眉を寄せる。喉が渇いた、と言っても、今の今まで彼は林檎を食べていた。
「少し世間話をしようか」
物問いたげな視線を無視し、ルイスは唐突に話し出した。
「ある国に十四歳になる女がいた。名前は、セレナエンデ・ゼノ」
「……っ?」
「彼女は心優しい姫君で、十年前の報復にオルディアンを攻めようとしていた父王に対し、徒に民を苦しめるだけだといって刃を向けた」
こいつもか、とアドニスは唇を噛む。たかが狩人ですら、同じことを言うのか、と。
ゼノの内乱の話は聞いている。自分と変わらない年の王女が、反乱軍を率いて王を誅したと。それから先は言葉にされないが、言われなくてもわかる。あなたも同じことをしてくれないか、と。無言の中に意がこめられているのだ。
しかし、そこからルイスの話の矛先は違う方向を向く。
「けれど彼女は苦しんでいた。父王を弑し、王位を奪うことに。まだ幼い自分が王位を継ぐことに怯え、恐れ、惑っていた。が、セレナには仲間がいた。彼女の重荷を一緒に持ってくれる、いい家臣と友人が。――彼らがいなければ、セレナは反乱を成就させることは叶わなかっただろう」
淡々と言うと、ルイスはふっとアドニスを仰いだ。
「大人は嫌いか、アドニス・イグナディア」
先程と変わらぬ声で、――しかし明らかに何かが違う声音で、青年が彼に訊ねた。
「あ、ああ…きらいだ」
思わず答えてしまってから、堰を切ったように言葉が溢れた。
「父上や兄上は、仕方ないんだ。僕は庶子だし、魔術以外にはなんの才能もない。僕の進言をお聞きにならないのも、それは父上達がお決めになった政治方針で、父上達はそれを覆されたことはない。受け入れられないけど、飲み込むことはできる」
ルイスは僅かに感心した。ただの癇癪な子供かと思っていたが、そうではないらしい。この年で、理不尽を一つの考え方として飲み込めている子供はそういない。
「――だけど、あいつらは…。僕がいくら訴えても曖昧に笑うだけで何もせず、国が傾いていくのを黙って見ていただけのくせに、いざ取り返しのつかないところまで来るかという時になってから、僕に旗頭になれと言ってきた!――い、まさらっ、なんだっていうんだ!」
微かに嗚咽が混じり始めた声を噛み締めて、それでもアドニスは続けた。止まらない。言葉が口を衝くように飛び出してくる。
「もっと、早く動いていればっ、マイクやサリファっ…みんなは死なないで済んだかも、しれないのにっ!僕から全てを奪ってから、力を貸せなんて、どんな面の皮をしている!それだけでも許せないのに、ここにきてもあいつらは、仲間内で争ってる!なにが、一番大切かもわからないくせにっ…」
「そうだな。――こことゼノの違いは、そこにある」
ルイスはどんよりと白い空を仰ぐ。少し、雪がちらつき始めていた。
「長の独裁のせいで、この国には気骨のある臣がほとんど残っていない。声を上げるだけで殺されてきただろうからな。――それでも、本当に国を思わなければならないとき、立ち上がれただけ、救えると思うがな」
「…すくえ、る?」
「ああ。失敗すれば死ぬ、それがわかっていても、ない勇気を振り絞り、合わせる顔がないと思っていた第三王子に対して頭を下げた。お前からみれば、何を今更ふざけんなと言いたいのはよくわかる。けどな、…いつまで逃げるつもりだ?」
ひゅっとアドニスの喉が鳴る。
「に、逃げてなんか…」
「いるだろう。今お前が臍を曲げて拗ねているところで、何かが変わるのか?父親が哀れんでくれるとでも?」
「…っ、あんたになにがわかるっ!」
アドニスの激昂にも、しかしルイスは表情一つ変えなかった。
「わからないさ。諦めた奴の気持なんて」
「……っ、僕だって最初から諦めたワケじゃないっ!何度も、数えきれないくらい進言したさ!それでもなにも変わらなかった、誰も聞いちゃくれなかった!果てに、あいつらまでっ…!もう、無理なんだよ!所詮僕程度の力じゃ、なにも変えられないっ!」
「それを逃げだと言ってるんだ!」
突然、ルイスが怒鳴った。豹変に怯むアドニスの襟を掴んで引き摺り寄せ、ルイスは言葉を連ねる。
「確かにお前は辛かっただろう、無力さにうちひしがれたんだろう!だけど、前と今は状況が違うことに気づけ!今お前がなにかしなきゃ、この国は必ず滅びる!多くの命を犠牲にして!」
アーヴァリアンとビグナリオンは陥とせるかもしれない。だがそこから先は無理だ。そこまで国というものは、甘くない。
そこから先は、人が死ぬだけだ。
「お前は、お前の友人達のような人間を増やしたいのか!」
間近に映るアドニスの薄い色の瞳が、それとわかるほど見開かれた。そして、みるみるうちに水の膜が生まれ、雫となって頬に伝う。
「…ないよっ…もう、誰も死なせたくなんかないっ!」
「…最初からそういえ、馬鹿」
顔をくしゃくしゃに歪めたアドニスの襟を、ルイスはふいと離す。アドニスはぼろぼろと涙を流しながら、身を丸めてしゃくりあげた。嗚咽の合間に、声が漏れた。
「僕は…僕達は、どうすればいい…?」
ルイスはついと視線を動かしてから、立ち上がった。
「…それを決めるのは、俺達じゃない。あんた達だ、イグナディアの民」
ふ、と路地から人影が現れる。その顔を見て、アドニスは息を詰めた。
「ザイル大臣…」
路地から出てきたのは、例の大臣、文官、それに騎士数名だった。各々躊躇うように、しかし迷いはなくアドニスの前に歩み寄ると、彼らは一斉に膝をついた。
「――お許しください」
絞り出すように言ったのは大臣だった。
「散々貴方を苦しませた挙句、このような願いを押しつける我らを。しかし、」
リーダー格とおぼしき騎士がそのあとを引き取った。
「貴方様はお一人ではありません。我ら臣下一同うちそろいて、貴方様と共に参ります。どうか、そのご許可を頂きたい」
「――この国を救いましょう、殿下」
最後の文官の言葉に、アドニスは震えた。そして長い沈黙のあと、「許す」と囁くように言ったのだった。
―――――――――――――――――――――
「君にしては随分と感情的になったね」
屋敷への帰り道、少し離れたところから王子達を見守りつつ、リディは隣を歩く相棒に水を向けてみた。ルイスはちらりと渋面になる。
「…まあ、思うところもあったしな。ていうかお前ら、どこからいたんだ」
「君があの子に、大人は嫌いか、って言ったあたりかな。近くをうろついててくれて助かったよ」
聞けば、騎士達も王子を探してうろうろしていたらしい。そこを、リディが捕まえたわけだ。
ふと、リディは真面目な顔つきになってルイスを見上げた。
「でもルイス、気を付けた方がいい。あんまりさっきみたいな顔を見せてると、勘のいい奴には気づかれるかもしれないよ」
――さっきみたいな顔とは、王子としての顔のことだろう。ルイスは肩を竦めた。
「もうやらないさ。あとは家臣達の仕事だしな」
屋敷を飛び出していった王子が、騎士や大臣に連れられて帰ってくるのが見える。その少し離れた後ろから、若い男女が歩いてくるのも。
「やめといた方がいいわよ」
窓際に立ってじっとその様を見下ろしていた彼は、後ろから聞こえた声に振り向く。
短くウェーブを打った黒髪の女――ツェツィリア・クロノヴァが、垂れ気味の目を読めない色に染めて、彼を見ていた。
「やめといた方がいい。あなたじゃ、万にひとつの勝ち目もないわ。短い付き合いのあたしでもわかる。あの二人の絆は、そこらへんの恋人達よりよっぽど強い」
ざっくりとした諫言に、しかし彼はゆっくりと笑みを見せる。
「――やってみなければ、わかりません」
ツェツィリアは溜め息をついた。
こういう時、若さは無謀だと思う反面、眩しくも感じる。もう自分にはないもの、出来ないもの。
「…なら、好きにしなさい」
「ええ」
薄暗い中で笑った彼は、どこか歪なものすら混じっているように、ツェツィリアには思えた。
さくさく更新は前回で終了していました。
アドニス過去も最初はがりがり書いていましたが、思い直して削りました。なんか削りすぎて逆に味気なくなってしまったような…。