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第十一話 崩壊の鏑矢 (5)

第十一話 崩壊の鏑矢 (5)







 リリアは暗闇の中で、じいっと丸まっていた。狭くはないが、広くもない部屋に響く規則正しい寝息は二つ。自分を除いて、あとひとり――ルネ・フォーレは、しばらく前に階下に降りて行ってしまっていた。

 階下では極力音をたてないようにか、囁き声が交わされていたが、それも数分前に途切れていた。つまり、この家で今起きているのは、恐らくは自分だけだ。


(なんでみんな眠れるのよっ…!恐怖ってものはないのっ)


 カミラはわかる。伊達に三カ月以上行動を共にしていない。彼女は良くも悪くも徹底したマイペースだ。

 ツェツィリアは大人だ。怖がらなくても不思議ではない。だが、残りの二人。


(リディも、たぶんルネも、年変わらないのに、なんで怖くないのよっ!)


 ルネに関しては四六時中フードをかぶっているから定かではないが、同年代という自分の感覚は間違ってはいないと思う。そしてたいてい、自分のような年の女の子は、お化けに類するものは苦手だ、という経験認識もあった。なのに、この状況は何なのだろう。


(こんなとこで眠れなんて、無理よ…)


 結界があるから、そんなもの出る訳ないと頭では分かっている。だが心は別なのだ。

 ぎゅっと目をつぶって丸まった、だから突然かけられた声に心臓が冷えて変な声が出てしまったのは決して不自然ではないはずだ。


「リリア、眠れませんの?」

「ひぁっ!?」


 甲高い、でもひきつっているせいで対して音量を伴わなかった悲鳴をあげて飛び起きたリリアは、隣のベッドにあきれ顔で身を起こしているカミラを見つけた。


「び、びっくりさせないでよ、カミラ…」

「すみません。…そんなに怖いんですの?」


 リリアは唇を噛んだ。直接的な答えでなくても、それで十分察したカミラは、しばし虚空に視線を向けて黙考すると、おもむろにベッドから降りる。


「?カミラ……っ!?」

「はい。こうすれば少しは怖くありませんでしょう?」


 怪訝そうに首を傾げたリリアは、ついでふわりと体に回された細い腕に再びびっくり仰天して硬直した。

 リリアのベッドに横たわり、彼女をあやすように抱きしめたカミラは悪戯っぽく笑う。


「もし何か出ても、わたくしが守ってあげますから、リリアは寝ているといいですわ。明日持ちませんわよ」

「……!、――」


 硬直していたリリアは、声にならない音で抗議した。正確に察したカミラは意に介さず笑う。


「赤ちゃんに戻った気持ちでいればよろしいですわ。わたくしもなんだか母親になった気分です」


 リリアは脱力した。そういう問題ではない気がするのだが…。

 だが、一定のリズムで命を刻む音を聞いていると、不思議と安心感が身を包んだ。同時に、倦怠感にも似た眠気が襲ってくる。

 ありがと、おやすみ、という微かな声はカミラに届いたのだろうか。それすら確認するのもままならない内に、リリアはすとんと眠りに落ちた。




 カミラは、ほどなく眠りについた腕の中の少女を眺めて、くすりと笑んだ。その光景に対し、半ば呆れ、半ば微笑ましく思っているような声が飛んでくる。


「……仲、いいのねえ」

「ええ。羨ましいですか?」


 ツェツィリアは、間髪いれず返ってきた答えに、別に、と肩を竦めた。


「そういうわけじゃないけど。可愛らしいと思うわ」

「ふふ。ありがとうございます」

「……あなた達、子供のころから一緒だったのだっけ?」


 ツェツィリアの訊ねに、カミラはいいえ、と首を振る。


「違いますわ。わたくしとユーリスは昔馴染みですけど、ハワードはまだ浅いですわね。パーティを組んだ時に初めて会いましたから。リリアとエイトとは三か月前――エーデルシアスで出逢って、パーティを組みましたの」

「へえ…それにしては凄く仲がよく見えたわ」

「実際、いいですもの。リリアはいい子ですし、エイトはいじりがいがありますわ」

「アナタの性格の一端がよく見える台詞ね」

「ふふ」

「…さあ、あたし達も寝ましょうか。体が持たないわ」

「そうですわね。おやすみなさい」


 すっと意識を落としたツェツィリアは、その端でカミラの囁きを耳にしたが、翌朝にはそれを忘れてしまっていた。


「…仲が良くなるなんて、最初は考えもしませんでしたのに、ね…」







―――――――――――――――――――――――――――――――――




 翌朝、肌を撫でる冷たさでルネは目を醒ました。寝ぼけ眼で辺りを見回し、そこが寝室でなく居間、暖炉の前であることを確認する。


(……)


 いつ眠ったのか、覚えていない。


 リディと話している内に、眠ってしまったらしい。

 居間にリディの姿はなく、ルネの躯には毛布が余分にかかっている。リディのものだろう。


(…あの人は…身の(うち)に、いろんなものを隠してる)


 見たところ、快活であけっぴろげな性格の少女だ。そしてそれは間違っていない。だか、それが彼女の全てではない。


(…でもそれは、大事なことじゃない。人に、秘密がないなんてこと、ない)


 今は、戦うことのみを考える。自分と同じ特異な能力をもつという少年のことも、彼が自分より優れた素質を持っているらしいということも。

 そのうち、答えは探していけばいい。自分の意味を。心の中で生まれた予感の。


 すう、と冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んだルネは、そこで外から響く微かな音を耳に捉えた。


「……?」


 少し警戒しながらゆっくり立ち上がり、風魔術でふわりと戸口まで移動する。外を覗けば、昨日よりは勢いの弱い雪が、まだ暗い景色の中、静かに村に降りしきっている。

 恐る恐る外に出て、微かに聞こえる鈍音を頼りに視界を回す。そして見つけ、目を見開いた。


 村の端、狩人達が泊まった家から極力離れたところで、白い景色を背に、黒と赤の色彩が踊っている。

 黒と赤――ルイスとリディは、組手をしていた。付かず離れず、己の肉体のみを駆使して互いを打ち合う。最小限の動作で相手の攻撃をかわし、軽やかなステップで次の動作に繋げていく。


(…きれい)


 側に剣が放ってあるのは、剣で稽古をすれば音が煩くなってしまうと思ったからだろう。

 滑らかに四肢を操る二人の表情は真剣で、雪によって形成される静かな世界では、どこか透徹したものにすら見える。

 その時、突っ立っていたルネの足元に、すりすりとすりよる白いもこもこの毛玉があった。突き出した長い耳とふわふわの尻尾――彼らの飼うピュルマだ。


「……」


 ルネは一瞬躊躇い、それから恐る恐る抱き上げた。ピュルマは逆らわず、あまつさえルネの体に頬擦りをする。ルネが困惑して立ち尽くしていると、後ろから雪を踏む足音が聞こえた。


「……」


 少し離れたところで動こうとしない気配にちらりと振り返れば、ひとりの少年――ハワード・ロードルが立っていた。灰色の眼に複雑な色を浮かべて、食い入るようにふたりの組手を見つめている。


「……」


 やはり無言のまま、ルネは視線を戻した。


 ちょうど、リディの右手がルイスの肩を打つ。結構な勢いで打ち込まれたそれに、ルイスは小さく呻いたが、そこからの動きが乱れることはなかった。

 踏み込んできていたリディの足を崩し、突き出されていた腕を掴む。


「げっ…!」


 リディが慌てて飛び退くより早く、彼女の躯は浮き上がり、そして綺麗に宙を舞った。

 ぼすんっ、と間抜けな音が、少し離れたところから届く。遅れて雪まみれになった赤い頭が、ふるふると左右に振られながら飛び出した。


「ったあ!綺麗に投げたな!」

「醜く投げたら痛いだろうが」

「そりゃ痛くないのはありがたいけどね!また負けた!」


 ぶつぶつ言いながら、リディは差し伸べられた手に素直に掴まって立ち上がる。


(そっか。新雪…)


 雪を払うリディに、どこも痛めた様子がないのを見て、ルネはそっと息をついた。


 彼らが組手をしていた場所は、踏みしめられて固くなっている。落ちたら痛いだろう。だが、降り積もったふかふかの雪なら――。


(だから、そこまで投げ飛ばした)


「あ、ごめん。起こした?」


 ぱんぱんと雪を払っていたリディが、ついと首をルネと、その後ろのハワードに向ける。ルネはふるふると首を左右に動かし、ハワードは短く、いえ、と答えた。


「早起きが習慣なもので。…でもまさか、先を越されているとは思いませんでした」


 ハワードはそれから何故かじっとリディを見つめた。見つめられたリディは怪訝そうに伸びをしていた手を下ろし、見返す。が、ハワードは何も言わない。

 落ちかけた沈黙を、ルイスの声が断ち切った。


「早起きは三文の得、って言うしな。早いうちから起きて、体を慣らしとくのはいいことだ」

「…いつ何が起こるかわかんないしね」


 視線を外してリディは肩を竦め、昇ってきた朝日に眩しそうに目を細める。ルイスがさて、と言った。


「…そろそろ他の奴らも起きてくるだろ。準備するか」





―――――――――――――――――――――――――――



 イグナディアに入って一週間後。


「なんだ…これ…」


 狩人の一行は首都ウァリエンの城壁を前にして、絶句して立ち尽くしていた。


「うっ――」


 醜悪な光景に耐えきれず、リリアとユーリス、エイトが道端に走っていって嘔吐した。

 他の面々も、顔を歪め、吐き気を堪えるように口元を拭った。ヨセフが灰色の壁を睨んで呻いた。


「何が、起こってるんだ、この国に…っ!」


 ぐるりと街を囲むくすんだ灰色の城壁。そのきわには、夥しい屍が散らばっていた。

 降り続く白い雪が、それを覆い隠そうとしても隠しきれない程。半ば腐り、半ば白骨化した肉体が、白の中で辛うじて色彩を示す襤褸布から突き出している。

 街道だけを除くように埋もれる屍は、皆痩せ細り、骨すら細い。

 その中に、まだ幼い赤子の遺体を見つけ、もともとふらふらしていたルネが倒れた。


「…あたしが子供の時より、酷いわ」


 ルネを抱き止めたツェツィリアが呟く。クラウディオも厳しい顔つきで唸った。


「……」


 強ばった、を通り越し、ルイスの顔色は蒼白に近い。


「…行こうぜ。立ち尽くしてても、しょうがねえ」


 ジョンが静かな声で促してようやく、皆のろのろと城壁に向かって歩き出した。







「止まれっ!」


 城門に立つ衛兵二人は、一行を見て長槍を交差させた。尊大な顔つきで睥睨し、横柄に問うてくる。


「何者か。身分を証明せよ」

「ちょっと訊きたいんだけど」


 ずっと黙りこくっていたリディが、不意に冷えきった声を発した。


「君達は、この光景を何とも思わないわけ?」


 彼女を少しでも知る者なら、彼女が正しく、烈火のごとく激怒しているのを雰囲気から感じ取れただろう。しかし、残念ながら、衛兵達はそうではなかった。


「ああ、あの屍共のことか?」


 ふんと鼻を鳴らし、衛兵はがちゃんと鎧を揺らして侮蔑の眼を外に向けた。


「片付けても片付けてもキリがない。全く、下賎の者が我らの手を煩わせるなぞ、もってのほか」

「やめろ、リディっ!」


 次の瞬間、いくつかのことが同時に起きた。


 剣を抜いて衛兵に斬りかかろうとしたリディをジョンが羽交い締めにしてやめさせ、殴りかかろうとしたエイトをカミラとハワードが殴り倒し、怒鳴り付けようとしたマシューをヨセフが口を塞いで止めた。

 だが、誰も予想していなかった人物がキレたのは、誰も止められなかった。


「ルイス・キリグ!?」


 蒼眼を凍りつかせた青年の剣は、目にも止まらぬ速さで鞘から走ると、愚かしい言葉を吐いていた衛兵の喉に吸い込まれ、皮一枚ほどで止められる。


「ひっ…!?」

「動くな」


 凍てついた声。一瞬の忘我ののち、大声を出そうとしたもう一人の衛兵もまた、青年の左手から生じた氷の切っ先を喉に向けられ、意味をなさない呻き声すら呑み込む。


「呆れたな。お前達のような者が兵を務めるなど、確かにこの国は腐っているらしいな」


 感情を抑え込んだ淡々とした口調は、しかしこの場にあっては男達の恐怖を助長させるにすぎなかった。がたがたと震えだした兵を冷やかに見据えてから、ルイスは剣を引き、氷を霧散させる。


「城へ案内しろ。…ああ、身分だったな。狩人協会、『ヘキサ』のルイス・キリグだ。狩人証の照合をするか?」

「貴様ぁっ、よくもぬけぬけとぉっ!ただで済むと思うなぁっ!」


 へなへなと崩れ落ちた相方と対照的に、氷という凶器が消えたと見るや、もう一人の兵は目を血走らせて剣を抜き、ルイスに斬りかかった。が。


「黙れクズ」


 呆気に取られていたジョンの腕から抜け出したリディが、手加減一切なしの蹴りを兵士の股間に食らわせた。その上、悶絶という言葉が生易しい程の痛みに絶叫しようとした兵士の口を塞ぐために、踵落としで頭を雪に沈める。この間一秒、結果男は何も出来ないまま地に転がった。


「「「…………」」」

「相変わらず容赦ないな、リディ」

「甘いな。最初は首落としてやろうと思ってた」

「それじゃあとが困るだろ」

「だね。ジョンに止めて貰ってよかったよ」


 物言いたげな同行者達をスルーし、ルイスとリディは残る一人を見下ろした。ひっと身を竦ませる男に、リディが酷薄に嗤う。


「殺されたくなければ案内して?」








 ウァリエンの街の中は、街の外が嘘のように賑わっていた。街には品物が並び、人々は屈託なく笑う。しかしよく観察すれば、人は皆中流階級以上ばかり――つまり、どこの街にも必ず存在するはずの、下層の民の姿が一切見当たらないのがすぐにわかった。


 どこか白々しくすら感じる風景の中を、青ざめた兵に先導されて歩きつつ、一行の最後尾の馬車の中でリリアが呟いた。馬車の中には、リリア、カミラ、ユーリスしかいない。


「…あのひとたち、怖いわ」


 あのひとたち、とは無論、先頭を歩く二人の男女――『ヘキサ』のことだ。


「リディなんて――普通の女の子に見えたのに。なのに、全然――」

「そうでしたかしら」


 わりと平然と返したのはカミラだ。

「わたくしはリディさんを最初に見た時から、普通だとは思いませんでしたわ。ルイスさんもです。――あの方達は、わたくし達とはまるで異なった価値観をお持ちのように思います」

「価値観?」


 ユーリスが首を傾げた。カミラは言い淀む。


「正直なところ…、この国の状況は、わたくしにとってさして意外ではありませんでしたわ。噂には聞いていましたし…、海の向こうの大陸では珍しくないとも聞きます。むしろ、この大陸の国家の在り方こそ、どこか逸脱したもののように思いますの。ルイスさん達の考え方は、それに基盤を置くもののように感じますわ」

「…どういう意味?」

「そうですわね…一言で言えば、」


 その時、がたんと大きく揺れると同時に、馬車が止まった。ばさりと幌布が上げられ、エイトの顔が覗く。あからさまに緊張している顔だ。


「着いたぜ」


 三人は顔を見合わせて、馬車の外に出た。すると、厳しい顔をしたツェツィリアが、彼らを見て言った。


「『シルバーダガー』のハワード以外と、マシュー、エドガーは街で待っていなさい。何かあった時、全員一網打尽じゃ馬鹿みたいだわ」

「え、俺も?ツェツィリアさん」

「あんたとエイトで魔術士守ってやんなさい」

「へーい…」


 エドガーの他に異存がある者はいなかったので、名指しされた者達は無言で、そして不安げに、場内に足を踏み入れていく者達を見送ったのだった。






 空に刃を向けるような、いくつもの尖塔が目につく城内を歩いていく。

 城の者達はみな、明らかに場違いの風体の狩人達を怪訝そうに見遣り、ついで向けられる冷やかな一瞥にぎょっと身を竦ませる。

 先頭の二人が完全な視線による露払い役をこなしてくれているため、他多数は物珍しげに城内を見ながらついていくのみだ。

 途中誰何しようとする者達すら威圧し、人垣を割らせながら強引に案内させていく。通常なら、とっくに叩き出されていておかしくない状況なのに、兵達は手を出せない。出せば最後、返り討ちになる図が無意識に見えてしまっているからかもしれない。

 入口からほぼ一直線上にある謁見の間の前では、流石に止められた。何重にも並んだ兵達が強ばった顔で道を塞ぐのを見て、ルイスとリディが無言で剣に手をかける。それを見て慌てたのは他の狩人だった。


「ちょっと待てお前ら!これじゃどう考えても押し込み強盗――」

「「それがどうした」」


 吐き捨てられた口調に、二人がかつてない程怒っていることを改めてジョンは実感する。代わりにツェツィリアが厳しい声で言った。


「あたしにはアナタ達がそこまで激怒してる理由がよくわからないけど、とにかく落ち着きなさい。このままじゃ犯罪者よ」

「……」


 怒っているには変わりないが、犯罪者という響きに少し頭を冷やしたらしい。舌打ちした二人は、一応剣から手を離した。

 その代わり、ルイスが固く閉ざされた扉に向かって大音声で怒鳴った。


「俺達はアーヴァリアン女王、クリスティアーナ・リィ・ヴィルニア・アーヴァリアン並びに王弟、シルグレイ・イドリナ・ロウ・ヴィルニア・アーヴァリアンの名代でやってきた!拝顔を申請する!」


 ざわり、と空気が揺れる。狩人達ですら、その度胸というか無鉄砲さに息を詰まらせた。


「申請ってか要請だよねこれ」


 リディの呟きに、ルイスは鼻で笑って応える。その通りだ。


 周りでざわめいていた騎士達の内から、ひとりが緊張した面持ちで出てきた。怖れと警戒を同居させ、彼はルイスを真っ直ぐに見た。


「その言、証拠はございますかな」


 ルイスは無言で懐から封の切られていない手紙を取り出して、騎士に向かって放った。慌てて受け取った騎士は、そこに王家しか使えない紋章の蝋印が捺されているのを見て、半ば卒倒しそうになる。あんなぞんざいに扱っていいものではない。


「しょ、少々お待ちを…」

「その必要はない」


 声は、扉の奥から聞こえた。


 重い音を立てて、重厚な鉄の扉が内側から開かれていく。赤い絨毯の先に、ある意味で見慣れた玉座と、それらに座す三つの影を見つけ、ルイスはすっと目をす眇めた。


「入られよ、使者殿とやら」


 ざわざわと、群がっていた蟻が離れていくように騎士達が下がる。空けられた空間に、躊躇いなくルイス、そしてリディは踏み出した。一拍遅れて他の狩人も続く。


 大臣とおぼしき者達が遠巻きに見ている中を突っ切り、狩人達は玉座の前までやってくる。立ち止まる彼らのあとから小走りでやってきた騎士から手紙を受け取り、玉座の主は肩を竦めた。


「確かにアーヴァリアンの紋章だな。して、何用だ?」


 一同は王の顔を眺める。褪せた金髪に、灰色の眼。若い頃は精悍であっただろう顔は、しかし肉で弛み、貪欲そうな表情が台無しにしている。


「詳しいことは全てその手紙に書いてある。だが俺は今聞きたいのはそれじゃない」

「貴様、王になんという口の利き方を!」


 老年の大臣の怒声を、王は軽く手を振って止めた。代わりに、その隣に立っていた男が口を開く。王と同じ色の髪に、褐色の瞳。整ってはいるものの野心が剥き出しの強欲そうな顔に、特に女性陣は唾棄すべきものを覚える。


「おれは第二王子のルドニスだ。なにが訊きたい?」

「決まってる。この街の外の有り様はなんだ!」


 ああ、と男は嗤った。傲慢に見下ろす視線に、狩人達の苛立ちは否応なしに募った。


「あれか?あれはな、生きる価値もない人間だ。生きるだけでこの国の財を削り、その上金を寄越せと要請る、死んだ方が使い道のある者共よ」


 この物言いには、さしものジョンやクラウディオも、怒りを抑えるのに必死の努力を要した。――この王子は、命を命と見ていない。

 冷えた声音で、ルイスは言った。


「…貴様では話にならん。王太子を出せ」


 話にならないと言われたことに、王子はむっとしたようだが、すぐに唇をつり上げる。


「それは出来ないな」

「何故だ」

「教えてさしあげるわ」


 最後の一人、王子と王を挟んで反対側に座る女が笑った。


「ロドニスお兄様は亡くなったのよ。二ヶ月ほど前にね」

「なっ……」


 一同、絶句した。そんな彼らに構わず、女は続ける。


「真夜中に賊に襲われて。お可哀想に、治療の甲斐なくお亡くなりになったわ」


――これは、なんだ。

 とルイスは絶望的な心情で呻いた。


 可哀想に、と言いながらなぜ笑っている。

 なぜ息子が死んだというのに、せいせいした顔をしている。

 なぜ、そんな喜びが隠せない顔をしている――!


「仕方ない、ならお前達に訊く」


 拳を握り締めて立ち尽くしているルイスを押し退け、クラウディオが言った。


「この国に張り巡らされた結界はなんだ?」

「…そなたら、真にあれを破ってきたのか?」

「俺が訊いている」


 既に不敬罪もなにもあったものではないが、誰も指摘しようとはしなかった。


「…まあよい。あれはな、偉大なる魔族殿が張ってくださったのだ」

「…魔族、殿…だと?」


 一段低くなったクラウディオに気付かず、上機嫌に王は続けた。


「あのような結界、人の身にはどうもできないであろう。魔族殿のおかげでこの国の中は外界と接触できん。つまり、何をしようと外部に洩れる心配はない」

「どういう意味だ?」


 エドガーの言葉に、王子が笑った。


「この隔絶された地で、我々は思う存分準備が出来る。――戦争のな」

「せんっ…!」


 悲鳴を上げかけ、リディが口を押さえる。あまりの事に、頭が真っ白になる。


「着々と準備は進んでいる。戦争が終わる頃には、我々の国は数倍に拡がっているであろう。三大国家にのしあがるのも、夢ではあるまい」


 何度目かの絶句をしている狩人達の中で、ひとりヨセフは冷静に考えていた。


 悪くない策だ、と思う。それどころか、かなりの良策だ。


 戦争において物を言うのは勿論兵力や作戦構成力だが、それらの先に立つのは情報収集力。作戦の立案など、相手方の情報があって初めて始まると言っても過言ではない。

 その点、外部に一切の情報を漏らさないというこのイグナディアの作戦は、とても理にかなっている。他国はこの国が戦争に臨もうとしていることすら知らない、寧ろ無事なのか案じている。

 この状況下、結界が解かれると同時にイグナディアが他国――この場合、まずはビグナリオンかアーヴァリアン――に攻め入れば、イグナディアの勝利は固い。特に今のアーヴァリアンは混乱の最中。なすすべないだろう。

 しかし――しかしだ。


「そのためなら国民を犠牲にしてもいいのか!?なんとも思わないってのかよ!?」


 叫んだテディーに意識を引き戻される。悲鳴のような声は、恐怖がありありと滲んでいる。だが、返された言葉には何もなかった。


「思わんな。寧ろ奴らも本望であろう。生きている間なんの価値もなかったのが、死ぬことによって我々の役に立つのだからな」


 ――狂ってる。


 そう思った。


 これが一国の上に立つ者なのか。

 喪われる命になんの感銘も示さぬ者が。

 当然のように命を搾取する者が――!


 怒りを覚えるより先に、ヨセフは脱力してしまった。無性に苛立ち、それが諦感と共に霧散していく。それは先程まで怒りで震えていたテディーやマルセロ、ジョンやハワードも同じようだった。

 虚無感に支配される中で、ひとり、静かに顔を上げた。


「この、恥知らずが」


 氷のような声は、先程と同じもの。


「…ルイス」


 だが、温度は――格段に低い。


「王族の意味を履き違えるな」


 あえていうなら、絶対零度。

 心なしか部屋自体の気温すら低下している。


「民の搾取が王族の任務とでも思っているのか?」


 いや、気のせいではない。外気を持ち込んだかのような冷気が漂い、吐く息が白く染まる。リディが事態を忘れてげっと呻いた。


「ヤバい」


 ヨセフが寒さにかじかみかけている手を揺らし、思わずリディを振り向いた。


「え、これあいつの仕業なのかよ?何やってんのあいつ」

「多分。今は説明してる場合じゃない!ルイス!頭冷やせ!らしくないよ!」


 肩を掴んだリディの手に、しかしルイスは毛ほどの注意も払わなかった。王族達を睨み据えながら、一歩踏み出す。

 王達は流石に眉を寄せ、王子が尊大に言った。


「口が過ぎるぞ、使者の分際で。寛容に見てやれば、身の程知らずに付け上がるか」

「知ったことか。貴様らに王族を名乗る資格はない」


 冷気が一段と強まる。リディがいよいよ青ざめ、かくなる上は実力行使で黙らすか、と拳を固めた時だった。


「あら、意外に早かったわね」


 くすくすという笑い声と共に、ルイスの目の前にふわりと金色が踊った。


「!?」


 続いて反応する間もなく、黒い靄がルイスを包み込み、数秒のち靄が晴れると同時にルイスが膝から崩れ落ちる。


「ルイス!」


 リディがルイスに駆け寄ろうとするのをマルセロが抑えて、素早く青年を抱えて下がり、様子を見る。――気絶しているだけのようだ。


「お前はっ…エカテリーナっ!」

「一週間ぶりね。元気そうでよかったわ」


 くすくすと笑い続けるエカテリーナに、イグナディア王の声が飛んだ。


「魔族殿。言われた通り、多少の無礼な発言は見逃してやったが…少々腹に据えかねるのだがな」

「あら、肝の小さい男ね、王様。…でもまあいいわ、なら牢屋にでも移しましょうか?」


 あっけらかんと言ったエカテリーナに、一瞬場は呆けかけ、すぐに狩人達は戦闘態勢をとり、王族達は戸惑いを滲ませながら頷いた。


「そうさせていただこう。衛兵!」

「へっ、俺達が簡単に捕まるとでも…」


 テディーが不敵に笑った、しかしその瞬間。


 ドンッ、という衝撃と共に、狩人達の体は床に叩きつけられるようにして倒れた。


「っぐ…!?」

「きゃっ」

「なっ…!?」

「これはっ…」


 混乱の最中、魔術士達は床に描かれた魔術環に気づく。発動に伴って魔力を流されたそれは、黒く光って見えた。


「随分腕っぷしの強い子達を集めたみたいだから、ここの兵士程度じゃ敵わないと思って敷いておいたんだけど…正解だったみたいね」

「テメーッ…」


 ふふ、と笑ったエカテリーナは、ついと指を振った。


「すこし、眠っていてもらいましょうか?」


 そのたった一言で、狩人達の意識は刈り取られて落ちた。





いけるとこまでさくさく進みたいです。

お化け怖い。

そして陰謀にならない残念さですごめんなさい。

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