第二話 陰謀の宴 (5)
第二話 陰謀の宴(5)
明るい広間。さんざめく人々の声。視界を彩る花やドレスの鮮やかさ。広間の端々に設置された白いテーブルの上に、豪華に盛りつけられた贅沢な食事。
(…疲れた)
“ライジング”の魔術師ヨセフは、開始一刻程で早くもうんざりしていた。
(まさか、今更こんなことにかりだされるとはね。俺には一生縁はないと思ってたけど)
「ヨセフ、ヴィルヘルム殿の誘魔香封印したか?」
壁に身を預けていた彼に近付いてきたのは、眉目秀麗な黒髪の青年。
こちらもヨセフに負けず劣らずうんざり顔ではあるのだが、どこか所作に気品が漂い、貴公子といった表現が正しい。自分とは大違いだ。
さすが貴族出身(仮)、と内心皮肉げに思いながらヨセフは頷く。
「ああ。さっきやっといた」
「ならいい…」
疲れた様子でヨセフの隣に並び、ルイスは物憂げに髪をかきあげた。雑な仕草であるにも関わらず絵になりそうなそれ。
(そういう仕草が注目を浴びる原因だってのバカ…)
遠くの方から陶然と彼を見つめる令嬢達を横目に見、ヨセフは短く息を吐く。
が、気付いた様子のないルイスはぶちぶちと毒づいていた。
「うざい、本気でうざい、断っても断ってもわいてくる…!だから女は嫌いなんだ」
「そう言うなって。ほら、レティシア嬢とかすげえ美少女じゃねえか。お前声かけられたんだろ?」
今宵の主役、レティシアは天使もかくやという美しさだった。
滑らかな金髪は綺麗に巻かれ、青い髪飾りがさらに美しく彩りを添えている。元々人形めいた顔立ちは、派手すぎない化粧でますます可愛らしくなり、淡いピンク色のふわっとしたドレスと共に、見る者全てを魅了するような美少女ぶりだ。
「冗談いうな。大体一介の狩人に声かけるなんて、何考えてんだあのお嬢様」
が、ルイスにはなんの影響も与えていないらしい。彼は本気で迷惑そうに眉を寄せていた。
「罪作りだなあったく。モテる男はいいねぇ」
どこからともなく現れたジョンが、からかう調子でルイスの肩を叩いた。むっとしたルイスが、よくない、と呻く。
「単純にモテる奴を羨む奴らにはわからねえんだ。避けても避けてもよってくるストーカーもどきに遭ってみろ。モテたいなんか思わなくなる」
秀麗な顔を歪めて吐き捨てるルイスがどこまでも本気なのを察し、それ以上のからかいをジョンは止める。これ以上殺気をまき散らされてもマズい。
「けど女嫌いなら、じゃなんでお前リディと組んでんの?あいつも女の端くれだろが」
ヨセフが首を傾げた。ルイスが蒼い目を呆れたように細めて答える。
「お前な。あいつとそこの令嬢比べてみろよ。無礼にあたるぞ」
「……」
「……」
無言でヨセフとジョンは近くのご令嬢を眺め、脳裏にリディを浮かべる。そして直ぐ様脳内から抹消した。
「…確かに」
「こりゃ侮辱だ」
「だろ。…そういや本人は?」
ルイスは会場を見回した。
そこここで貴族同士の挨拶が交わされ、そろそろダンスでも始まろうかという頃合いだが、一向にリディが現れる兆しがない。
「女は準備が大変なんだろ。午後悲鳴聞こえたし、抵抗してたら時間かかってんじゃね?」
「…成程」
自分と同じかもしくはそれ以上の目に遭っている相棒を思い、ルイスは目を遠くする。
そして彼と、同じような事を考えていた他二人も、思案に耽る余り周りが不意に静まり返ったのに気づかなかった。
「しかし大丈夫なのかねえ。確かにあいつは別嬪だが、どうもドレスが似合うとは」
「同感。想像出来ねえ」
「何が想像できないって?」
だからこそ響いた声にぎょっとして振り向き、そして絶句してしまった。
綺麗に編まれた、薔薇を思わせる緋色の髪に、真珠のように肌理細かい白い肌、芸術品の様に完璧に配置された顔のパーツ。細く均整のとれた体が纏うのは、薄紫の紗を重ねたようなシンプルなドレスだが、しなやかな体つきによく似合い、かつ髪と鮮烈な金色の瞳とを中和し、穏やかなコントラストを作り上げている。
「…リディ?」
周囲は言葉もなく彼女を見つめ、半信半疑、といった調子でかけられたルイスの声に、絶世の美少女ならぬリディは唇を歪めた。
「他に誰がいる。君達こそ人の事言えないだろ」
可憐に見える唇からは怨磋の念すら漂わす台詞が漏れる。それでようやく茫然自失から逃れたジョンが、参った…と口元を手で覆う。
「悪い。見くびっていた…。凄まじい別嬪さんだなリディ」
「黙れ。殺されたいのか」
最高に不機嫌に、この場においてレティシアに勝るとも劣らぬ美貌は、盛大に歪んだ。
――――――――――――――――――――
「お前、剣は?」
「外された。ナイフは仕込んであるけどね」
緩やかなテンポの曲で踊る貴族達を眺めながら、ルイスとリディは小さい声で会話する。散々ジョンやヨセフにからかわれたあとなので、外面はともかく内面はすこぶる不機嫌である。
「いざとなったらそのへんの騎士のを借りるよ。――ったく、面倒な」
給仕から受け取った、口当たりのよいワインを口に含み、舌で転がすリディ。
化粧のせいか、いつもより睫毛が長く繊細に、唇が妙に赤く見える横顔から、無理矢理ルイスは視線を引き剥がした。
(見とれるなんて、俺らしくもない。相手はリディだぞ)
「その足で動けるのか?」
視線をリディの足に移す。細いながらもしなやかな筋肉に包まれたそれは、いつもの彼女からは考えられないような、華奢で踵の高い靴を履いている。
だがリディは肩を竦めた。
「それなりに慣れてるから平気だよ。ホントにやばかったら脱ぐし」
コンコン、とヒールで床を叩く。公爵家の私物なだけあって、上質の材質で出来ているようだから、無様に壊れると言うこともないだろう。
「…けど…」
そこでふと目を細めて、リディは周りに視線を散らす。
「鬱陶しいな…主に視線が」
先程からずっと、ちらちらと自分達を窺う視線を感じている。男も女も老いも若きも関係なく、壁際に佇むルイスとリディに視線を向けているのだ。
「さっきまでは目だけじゃなかったぜ…お前が来てから、だいぶ虫除けになったみたいだが」
リディが来るまで令嬢達のアプローチに遭い続けていたルイスがげんなりと言えば、リディはくすくすと笑う。
外面だけは取り繕おうという考えが根底にある為か、笑い方だけみれば非常に上品だ。
「ご愁傷様。…でも、その虫除けも続かないみたいだ」
時間を追うごとに、距離を詰めてくる者が増え始めている。
視線が、好奇心から熱を帯びたものへと変わりつつもあるのだ。
「狩人は野蛮って考えてるんじゃなかったのかよ…」
ルイスがぼやく。束の間の休息も終わりか、と背を浮かしかけた時、不意にリディが彼に訊ねた。
「ルイス。君、踊れる?」
「あ?ああ、一応」
なら、とリディは唇を吊り上げる。その目が猫のように笑んだ。
広間に流れる曲が終わりに近付いていく。それに伴ってそわそわと自分達を見出した貴族達を横目に、リディは見た目だけは完璧な淑女の微笑みで、ルイスを見上げた。
「虫避けに、一曲どうだ?」
ルイスもフッと笑った。悪戯を思い付いた様な、意地の悪い笑み。それを貴公子然としたものにすり替えて、ルイスは流れるような動作でリディに向き合い、軽く身を屈めて片手を差し出した。
「いいぜ。お手をどうぞ?レディ」
――――――――――――――――――――――――――
エアハルト公爵家第一子、ヴィルヘルムは、人々のざわめきの間をすり抜けてダンスの一群に加わってきた二人組を見、目を見開いた。彼の横で、エリオットが小さく「お」と声を上げる。
ヴィルヘルムらのみならず、広間中の視線を集めている容姿端麗の男女は、視線など気にも留めずに優雅にお辞儀をしあい、曲の開始と共に滑るように足を踏み出した。
曲は、テンポの速いアレグロ・ワルツ。完璧に踊りこなすのは難しいと言われるそれを、しかし二人は難なくくるくると舞う。
「…踊れたのか、あの者達」
エリオットが感心したように呟く、さらにその横で、レティシアは顔を強ばらせていた。
どんな令嬢の誘いも、自分の誘いすらもあっさりと振っていた青年は、今目の前で軽やかに踊っている。彼の相手を務めているのは、彼と狩人のコンビを組んでいるという少女で、レティシアでは決して出来ないような軽やかな脚捌きで滑らかに踊っている。
ぎゅっと唇を噛み締めた。――悔しい。
生まれて初めて、妹が嫉妬という感情と戦っている傍ら、ヴィルヘルムは愕然と踊る二人を見つめていた。正確には、赤い髪の美しい少女を。
「…まさか…」
その呟きは小さく小さく、隣にいたエリオットにすら聞こえない音量で空気に溶ける。
刹那に目の奥に閃く、幼い頃の回想。
「…リディ、」
囁きをエリオットが意味を持って聞き取る前に、曲が終わりを迎えた。二人はそれ以上踊る気はないようで、しかし息一つ乱さず優雅に礼をする。
「…素晴らしい」
公爵が感動した風に呟いた。が、その時。
「ぐぁっ!」
鋭い悲鳴が彼の背後から上がった。寸前に耳元で唸った飛翔音にもつられて後ろを見、公爵は絶句する。
彼のすぐ後ろで、貴族然とした男が掌をナイフに貫かれて悶えている。訳が解らず凍り付いた空気に、カツンという音が響いた。
「ジョン、ヨセフ、エドガー。入り口右の青い服と、左隅の緑、中央の紫だ」
「はいよ」
礼をした状態から、目にも止まらぬ速さで果物ナイフを投擲していたリディと、ルイスの明確な指示に、狩人達はすぐに頷いて従った。僅か、もみ合うような音が響くが、間もなく静かになる。
ダンスを踊っていた時の可憐な美少女然とした姿はどこへやら、背筋が冷えるような冷笑を浮かべたリディが、自らが投擲した男に近づいていく。
「甘い。皆の注目が一か所に集まってれば容易いとでも思った?こんな罠にも気付かないなんて、暗殺者の名が泣くよ」
硬直している公爵一家をすり抜け、リディはナイフで貫かれた己の右手を左手で掴む男を嗤った。
「きさま…」
睨み上げる男を、リディの隣に並んだルイスが、傲然と見下ろして詰問する。
「吐け。魔術士はどこだ?」
――――――――――――――――――――――――――――
『魔術士はどこだ?』
「役立たず共が…」
男は水盆を見つめ、苦々しげに吐き捨てた。いくら武闘派の狩人達が相手とはいえ、かすり傷すら負わせられず捕まるとは、使えないにも程がある。
「仕方ない」
しかし苦々しげな口調とは裏腹な愉悦を口元に刻み、男は何事かを唱える。湧き上がった邪な気配に、彼は手を振って言った。
「――行け」
――――――――――――――――――――――――――
「…、くく…」
「――何がおかしい」
腕を抑えたまま低く笑い出した刺客に、リディが眉をひそめる。
「愚かな…、大人しく我らに殺されておけば良かったものを。この街ごと滅びる運命を、貴様らは選んだのだ」
静まり返った広間のあちこちから、息を呑む音が響く。
動揺する貴族達を余所に、狩人達はつと視線を鋭く尖らせる。
「エアハルトよ、自らの街と共に滅びるがいい。そしてビグナリオンごと倒れてしまえ」
半ば狂ったような怨磋の声が終わるとほぼ同時。硝子が砕け散る轟音と共に、広間に黒い影が飛び込んできた。
「っ!」
「ちっ」
ルイスとリディが咄嗟に飛び退いたそこに、次の瞬間巨大な異形が盛大な破壊音を立てて降り立つ。大理石に罅が入る音が連鎖した。
そしてその場から動かなかった刺客の男は、土埃が収まった頃には物言わぬ骸と化していた。
悲鳴が上がり、皮きりに広間はパニックの渦に巻き込まれていく。幸い振ってきた硝子による被害はなかったらしいが、目の前に現れた異形に、普段戦いと無縁の者達が耐えられる訳もない。
阿鼻叫喚のもと、一気に大扉に人が押し寄せた。
そんな騒ぎを尻目に、狩人達は速やかに円陣を組んで異形を取り囲んだ。取り押さえていた刺客達は騎士に引き渡し、貴族達の退去を手伝うように指示する。
「…グリフォン、か」
貴族達に決して向かわせないように気を張り詰めさせる中、リディが呟いた。
獅子の体躯に鋭い角、猛禽類を思わせる長い爪と、異常に伸びた象牙のような牙。吐き出す呼気は鼻を塞ぎたくなる臭気を帯び、体皮は毒々しい緑色で、なによりぎらつく黄土色の眼が見る者を射竦ませる威力を持っている。
「騎士団。ここは俺達に任せて行け。公爵一家をお守りしろ。あと貴族達をこの城から出すな。出れば危険が増すと言え」
腰に差していた剣を抜きつつ、ジョンが言い放つ。茫然としていた騎士達は我に返り、慌てて残っていた公爵一家を取り囲み、後退する。
それを抑え、公爵が訊ねた。
「待て。危険が増す、とはどういう事だ?」
「…恐らく、間もなくこの街は魔物の襲来を受けるでしょう」
狩人以外、絶句した。グリフォンから目を反らさず、ウリスが言葉を紡ぐ。
「魔物を飼い慣らす方法は存在します。面倒な手順は必要ですが。この魔物は恐らく、敵方の魔術士に使役されています」
「この街自体から、幾らか誘魔香の気配がする。多分街の外には既に魔物が集まり始めてるだろうよ」
弓を構えつつエドガーが言った。ヨセフが精霊を喚びながら、彼の後ろに下がる。
「足止めにグリフォンだからな。それなり強力な野郎だろ。だが誘魔香の量から行くと、そうは集まらねーとは思うけどなぁ…決定力不足なのに、わざわざするか?」
「さっさと片付けて城門行こ。エリスが待ってる。おじさん達、早く逃げて?邪魔だから」
不審げなヨセフを流し、ニールが子供特有の単刀直入さで公爵を振り返った。しかしそれに反論できる余地はなく、騎士団を伴って公爵達は広間を出て行く。
その際、その一団をちらりと振り向いたリディは、ずっと彼女を見つめていたヴィルヘルムと目が合った。
「……」
「……」
物言いたげなヴィルヘルムにリディは肩を竦め、それからは一顧だにせずグリフォンに向き直った。
その背をしばらくヴィルヘルムは追っていたが、やがて首を振って思考を切り替え、襲い来る脅威に向けて、顔を険しくした。
ようやく騒動。長かった…。
人が多いと、動かすの難しいですね…。