第十一話 崩壊の鏑矢 (4)
第十一話 崩壊の鏑矢 (4)
「前方に村が見えます。どうしますか?」
その夕暮れ、エドガーと交代して馬車の手綱を操っていたハワードが声を上げた。思い思いに思索に耽ったり、仮眠をとったり、話に興じながら歩いていた狩人達は、そろって言われた方向に目を凝らす。確かに街道沿いに、村の影らしきものが見えた。
「目、いいな」
感心したようにエドガーが言った。ハワードが「よく山で遊んでいましたから」とはにかむ。ルイスは隣をいくリディに囁いた。
「リリエンヌの側に山なんてないよな?」
「私のは生まれつき。――見たくないものまで細かに見える」
自嘲的に言ってから、すぐにリディは首を振った。
「いや、役に立つことのが多いな。特に狩人になってから」
「…そうだな。お前五感良いよな。獣じみて」
「誉めてる?貶してる?」
「誉めてる誉めてる」
「…怪しい」
ジョンの声が飛んでくる。
「おーい、そこ二人!あの村で今日は休むぞ、いいな?」
りょーかい、と声を返しかけて、リディは言葉を止めた。ルイスの肩に乗るネーヴェが、威嚇のような唸り声を上げたからだ。
「どうした、ネーヴェ?」
ルイスの訊ねに、ネーヴェは毛を逆立てて唸りながら、パシパシと尻尾を振る。
ルイスとリディは顔を見合わせ、リディが前方に向かって叫ぶ。
「ちょっと待って、ジョン!」
全員が振り向いた。怪訝そうな面持ちの面々に、リディは、
「ネーヴェの…ピュルマの様子が変。あの村…あんまり良くない、のかもしれない」
「ピュルマにそんなことがわかるのですか?」
ハワードが懐疑的な調子で言った。それにリディが言い返す前に、マシューが首を振る。
「動物は、我々人間よりそういう感覚に鋭いものです。馬も、先程の鎮静効果が続いてしまっているのでわかりにくいですが…あまり、落ち着かないように見えます」
「…全員、警戒を怠るな。様子を見ながら行くぞ」
馬上で剣を抜いたジョンに、全員が従う。魔術士達も、護身用の短剣を抜いた。
全員無言で馬を進め、村の入口に近い街道の端に止まる。馬がブルル、と落ちつかなげに嘶いた。
「…『シルバーダガー』と、マシュー、エドガー、ツェツィリア、ルネ、リディは残れ。残りで先に村の中を調べるぞ」
「私も行く」
「駄目だ。俺達に何かあった場合、主戦力が残らずいなくなったらヤバイ」
不満そうな顔をしていたリディは、それで渋々引き下がった。入れ替わるように馬を進めたルイスに、小さく「気を付けてよ」と囁く。ルイスは軽く肩を竦めて「任せろ」と応えた。
街道にリディ達を残し、ルイス達は慎重に村の中に足を進めた。幸い雪や風は弱まり、視界は先程よりかなり良い。
「…薄気味悪いな」
静まり返った村。時刻としては、天候のためわかりづらいが夕方を少し過ぎたくらいのはずだ。なのにこの静けさは――不気味すぎる。
「誰か、いないのか」
クラウディオがバリトンを張り上げる。だが、それに応じる声はない。
「…本当に誰もいねぇのか?」
ヨセフが呟いた直後、カタ…、という小さな音がやけに大きく響いた。
ばっ、と身構える狩人達。耳を澄まし、音の発生源を探る。
全神経を張り巡らせた一同の耳に、もう一度カタ、という音が届く。
「…あっちだ」
テディーが一方、村の中でも一番小さな家の方を指す。狩人達は視線をかわし、素早くそこに集まった。手振りで意図を示し合い、扉の横に三人が張り付く。
一瞬の空白の後、ルイスとジョンが扉を蹴破って突入し、即座に剣を向けた。
「誰かいるのか!」
怒鳴り声が、しんとした家屋に響く。油断なく辺りを睥睨した瞳が一点で止まった。
「…骸骨?」
ルイス達の背後で弓を構えているテディーが呟く。
奥の壁。入口から差し込む光に微かに照らされるだけのそこに、白い骸がもたれかかっている。衣服は村人らしい簡素な服だ。
「…おい」
「ああ。――おかしい」
死体が白骨化するには、環境にもよるが半年はかかる。この国が閉ざされたのは三ヶ月前。早すぎる。その時、
「離れなさイっ!!」
入口の方から鋭い声が飛んでくると同時。
目の前の骸骨が突如跳ね飛んだ。
「っ!?」
後ろ手に握られていたらしい包丁を咄嗟にジョンが防ぎ、テディーが何もない空間から光る矢を生み出すと同時に放つ。ルイスは転がって外に出た。
「生ける骸だっ!」
ルイスの叫びが轟くと同時、村の各所から邪悪な気配が立ち上った。クラウディオが鋭く呼ぶ。
「マルセロ!」
「わかってるワ!」
マルセロがクラウディオの槍の穂に手を翳す。数秒後、穂に金色の光が生じた。
(属性添加…!)
ルイスは自らの刃に聖属性を付加しながら内心で驚嘆した。
属性添加とは、概念的には属性付加と同じだ。ただし属性付加が、自らの魔力を自らの武器に付加するのに対し、属性添加は自らの魔力を他人の武器に付加することをいう。
自分の魔力を自分に馴染ませるのは、難しいが出来る者が稀というほどでもない。ただ、属性添加は自分の魔力を全く違う波長の他人の魔力と同調させなければならない為、難しいどころの話ではない。それこそ、出来るものは大陸で五十といないだろう。
(狩人第二位は、伊達じゃねえな…!)
ぶん、と属性付加した剣を振って、ルイスはわらわらと現れ出した骸骨達にうちかかっていく。基本的にアンデッドは動きが鈍い。対抗できる手段さえあれば、倒すのは難しくない。
「ちっ…!ヨセフ、リディとマシュー呼んでこい!お前の属性じゃ無理だ!」
「……!」
一方、ひとまずアンデッドを切り払ったジョンが、硬直していたヨセフに叫ぶ。ヨセフは強張った顔のまま頷き、踵を返して走り出した。
ジョンは、よろよろと立ち上がるアンデッドを見据え、激しく舌打ちする。
アンデッドを倒す方法は二つある。炎で焼き尽くすか、聖属性で浄化するかだ。裏を返せば、それ以外の方法では倒せない、ということでもある。
ジョン達のパーティの中では、アンデッドを倒せる人間はマシューしかいない。自分に出来るのはせいぜい時間稼ぎた。馬鹿げた能力を持つルイスとは違う。
「イーデル!こっちに来なサイ!」
その時、マルセロが鋭くジョンを呼んだ。同時にジョンと向き合っていたアンデッドは、飛来したテディーの光の矢に浄化される。
「聖属性を添加するワ!早く!」
呆気に取られるジョンの手から剣をひったくり、マルセロは素早く集中する。
波長を合わせ、魔力を添加。間もなく聖属性魔力の籠ったそれを渡されたジョンは、口をぽかーんと開けたまま呆けていた。
「何してるノ!早く殲滅しなサイッ!」
マルセロの怒号にようやくぎくしゃくと動きを取り戻し、ジョンはアンデッド達に向き直る。ルイスとクラウディオは既にバラバラに切り込み、テディーも矢継ぎ早に光の矢を放っていた。だがしかし、戦力は彼らだけではなかった。
「ふンッ!」
低い気合いと共に、ガタイのよい体が腕を突っ張り、間近に迫っていたアンデッドを吹っ飛ばす。聖魔力のこもった掌底に、呆気なくアンデッドはばらばらに崩れ去る。
「…マジで?」
アンデッドを切り飛ばす作業を思わずやめ、ルイスは固まった。彼の目は信じられない光景――マルセロが聖魔力をまとった素手でアンデッドを破壊している光景――を映していた。
盛り上がった筋肉は易々と骸骨をバラバラにし、正しく物言わぬ骸を生産しまくっていた。
ルイスと、同じく唖然としていたジョンへ三たびの叱咤が飛ぶ。
「ルイス・キリグ、ジョン・イーデル!手を休めるな!」
クラウディオが、一気に三体程をばらしながら叫んだことで二人ははっとして、慌てて迫っていたアンデッドを蹴散らした。
「ルイス!」
凛とした声が響き、同時にルイスに迫ろうとしていたアンデッドに炎が飛来する。瞬く間にアンデッドは燃え落ち、遅れて次々に炎が着弾した。
「要を作ります!ジョン!」
リディの後ろから走ってきたマシューが、懐から小さな石を取り出して、ぶつぶつと呟き出した。追って、ジョンがその周りのアンデッドを一掃する。
「ルイス、リディ!加勢してくれ!」
「了解!」
「任せろ!」
村を囲むように走るマシューを護り、三人が並走する。村の東西南北に石が置かれると、次いで皆中央に駆け戻る。マシューが詠唱した。
「我が聖霊に命ず、護り石を要として邪悪なるものを清め、外敵より護れ…!」
アンデッドを蹴り飛ばしつつリディが狼狽えた。
「え、詠唱?」
「あの石に構築魔術が刻まれてんだよ。魔術媒介としての能率を上げんだ」
「…初めて聞いたぞそんなの」
「スーザン…『ペンタ』の魔術士から聞いたんだったか。強力だぞー」
そうこうする内に、マシューの詠唱が完成する。瞬間、さあ…と澄んだ空気が放射円状に拡がっていった気がした。
――アァアアァァ…
遠い悲鳴を上げて、アンデッド達がばたばたと倒れていく。纏っていた邪気が消え、ただの骨へと還っていく。
「お見事」
ひゅー、とルイスが口笛を吹いた。先程とはまるで空気が一変している。清浄な、清閑な空気だ。
「しかし、なんだってんだぁ?なんでこんな村に、アンデッドが大量発生してやがんだよ」
テディーの疑問には、膝をついて近くの骨を調べていたクラウディオが答えた。
「恐らく、もとはこの村の村人だろう」
「なっ…」
「……」
「服が、このあたりの村人の着るものだ。異常な白骨化の速さといい、そう見て間違いない」
リディが困惑げに反論する。
「いや、そりゃ確かに異常だけど…アンデッドって、確か死後に長い間悪魔とか魔物の邪気を受け続けて出来るんだろ?こんな村の中で…」
「いや…魔族が関わっている以上、常識でものを考えすぎない方がいい。この異常な気象の原因の一環かもしれないな」
ルイスがクラウディオに同意し、ジョンは頷いて歩き出した。
「何にせよ、マシューが結界を張ったからにはここは安全だ。…外の奴ら呼んでくる」
村の外で待機していた面々を呼び入れ、村を隅々まで調べた結果、村には殆ど食糧は残っていなかった。薪や、馬の飼料、荷車といったものも存在せず、まるで家だけを残して人が移動したようだった。
「多分そうなんでしょう」
一番大きな家を借りて食糧を食卓に広げ、口にしながら、そう言ったのはハワードだ。
「首都に行けば、こちらよりは食糧も安全も手に入れやすい。そう考えて村を捨てていったと考えても不思議はありません」
「本当に手に入れやすい、のかしらね…」
ツェツィリアが呟く。集まった視線に、彼女は肩を竦めた。
「少なくとも、あたしがここにいた頃は、そんな考えはなかったわ。ここの王家は腐ってるもの」
「腐ってる?」
反応したのはルイスだ。
「ええ。まともな国が、国内の政治もまともにせずに、他国に戦争をしかけたりするかしら?」
ルイスは絶句した。数度口を開閉し、それから険しい目付きになって黙りこくる。
「まああそこは前からいい噂はきかないわよネ。ミスリルも関税ぼったくってるワ」
「そうだなー…」
「そうなんだ。あんまり聞くことなかったからな…」
リディは眉根を寄せ、ルイスも顔を顰めた。知らず重苦しげな空気をまとった二人に、ジョンが首をかしげたが、切り替えたリディが手をひらひらと振った。
「なんでもないよ。それより、今日はどうする?ここで休む?」
「ああ…まあ、もう夜だしな。そうすっか」
「ちょっと待ってよ、こんな死体ばっかの村で寝るの!?」
不満そうにリリアが言った。えー?と反論したのはエイトだ。
「いいじゃんか、ワクワクしてさ。だいたい浄化結界張ってあるんだからタダの骨だろ」
「気分の問題よっ!」
「はいはい、仲間割れしない。多数決取らない?イーデルさん」
ユーリスが仲裁し、ジョンも同意し、その結果休むのに賛成十五、反対一で泊まることになった。
「~~っ!」
「まあ、リリアさん落ち着いて。わたしも一緒に寝ますから、ね」
「リリアの怖がりも大概だよなあーでっ!」
「うっさい!よけーなこと言うなっ!」
ぎゃあぎゃあと喚く子供達を余所に、大人組は簡単に相談する。
「さっき見てきたけど、家具類はそのままだし、壊れてもないぜ。女と男分けてやりゃいーだろ」
「基本それで行こう。見張りは?」
「要りませんよ。なにかあれば私が感知しますし」
「では、マルセロとキリグ、レリアも構築部分に介入しておけ。なにかあったときアストンだけでは心もとない」
「了解。火結界どうする?寒いなら張ろうか」
それにはハワードが首を振った。
「いいえ。贅沢はしない方がいいです、今後の為に。多少なら薪もありますし」
「ロードルに同意ね。あんまり魔力の無駄遣いはしない方がいいわよ、リディ」
ツェツィリアにも諭され、リディはそれなら、と引いた。
「じゃあ、二軒隣に女組は行きましょうか。荷物持って」
ツェツィリアの音頭に、リディ、ルネ、リリア、カミラが従って家を出ていく。残った面子に、エドガーがぼそっと言った。
「…男だけ十一人って、すげー暑苦しいな」
反論は誰からも出なかった。
男組が微妙なむさ苦しさにやるせなさを覚えている頃、女組は寝床の相談をしていた。
「流石にベッドは残ってるし、毛布を重ねれば使えるわ。…四台しかないけど」
「あ、じゃあ私は床でいいよ。多分この中で一番体力あるし」
真っ先に手を挙げたリディに、ツェツィリアが恨めしそうな目を向ける。
「それは若さを言いたいのかしら」
「いや、ほら私無駄に元気なんで!」
冷や汗が流れるのを感じながら支離滅裂に言い募っていると、カミラが心配そうに口を挟む。
「わたくしも別に床で平気ですわ?この中だとリディさんだけ馬車にお乗りじゃありませんし、ゆっくりお休みになってはいかがですか?」
「いい、いい!魔術士と剣士じゃ鍛え方が違うから気にしないで。無理して倒れられたら困るから」
なんとか言いくるめて、ツェツィリア以下四人を二階の寝室に送り出す。各部屋に点火型の魔術暖房器具があったのでそれを起動し、リディはひとり階下の居間で、控えめに灯した暖炉の前で毛布にくるまっていた。
(……)
家の中は、先程までは話し声が微かに聞こえてきていたが、日中の雪中行軍、魔物の群れとの遭遇で疲れたのだろう、寝静ったのか、しんとした静寂が降りている。
リディも疲れていないわけではないが、考え事がぐるぐると頭を回っているのもあり、気が昂って眠れそうになかった。
(僅かな間での白骨化。無人の村に、異常な積雪。…これが、全部魔族に繋がってる…?)
時折パチッと音を立てて揺れる暖炉の光を見つめつつ、情報を反芻する。
(あの結界を張るには確かにエネルギーが必要。だから大地のエネルギーを奪って、この土地が冷えきってる…ってのはわかる。でも、村にアンデッドが蔓延るのを、何故王家は看過してる?)
オルディアンでは、どんなに小さな村でも、結界石という岩が置かれ、万一魔物の襲撃があれば、その岩に魔術を込めた治療術士が感知し、近隣の大きな街から警備隊、もしくは依頼を受けた狩人が派遣される。エーデルシアス、アルフィーノもそうだし、イェーツのリックの村にも似たものはあった。
この村にもそれらしきものはある。しかし、機能が完全に失われているようなのだ。
(王家は腐敗してるって、ツェツィリアは言ってた…。でもならなんで、クリスティアーナは何も言わなかった?)
わからない。教育時代以来あまり酷使することのなかった頭は、早くも痛みを訴え始めている。ここのところ、頭を動かすのはルイスに丸投げしていた弊害か。
「…くそっ」
舌打ちして思考を止めて、投げやりに天井を見た。
そのまましばらく、煤けた天井をぼうと眺めていたリディの耳に、キシリと床板が軋む音が届く。音の方角――階段の方を振り向けば、フードを下ろし、頼りなげな顔つきを晒したルネ・フォーレが、壁に手をつきながら佇んでいた。
「…眠れないの?」
儚げな、幼い顔に戸惑いを乗せている彼女に、リディは意識して柔らかな声をかける。ルネはゆるゆると首を縦に振った。
「…そこ、寒いだろ。おいでよ」
苦笑したリディに、ルネは数秒のまごつきを挟む、危なっかしい足取りで歩き出し――椅子に躓いて、こけた。
「……」
「……」
「…大丈夫?」
涙目の彼女に慌てて近寄り、助け起こす。
(そういえばこの子、移動中にも何度かこけてたような…)
「…よく、転ぶの」
ぽつりと発された言葉は、風鈴のような微かで、しかし透き通った音。
「…ウィリア」
ふっ、と室内に風が巻き起こる。魔力の流れにリディが目を細めると、ルネの体がふわりと浮き上がり、すうと暖炉の前に移動する。
「魔術のほうが、楽」
リディの視線にそうはにかみ、ルネはおずおずと腰を下ろした。
リディも元いた場所に戻り、しばし沈黙が続く。リディが話題を振るべきなのか悩んでいると、ルネはぽつりと言った。
「昼間の」
「え?」
「昼間、あなた、言ってた、幼馴染み。わたしと同じ、って」
ああ、とリディは合点がいった。それが気になっていたのか。
「うん。君と同じで、五属性を持ってる。今十八」
「同い年…」
「え」
リディはぎょっとして、まじまじとルネの顔を見つめる。ルネは怯えたように身を引いた。
「え、十八歳?ほんとに?」
「う、うん…」
「…うわあ、ごめん。完全に年下だと思ってた」
乾いた笑いを見せるリディに、ルネは首を振る。常々仲間から童顔と言われている。
「…そういえばこの髪、地毛?」
ついとリディはルネの髪を一房手に取った。穏やかな春の色――薄い桃色。自然ではあり得ない色。
「…うん。生まれた、ときから」
ルネは淡い色の目に微かな思いを浮かべ、ぽつぽつと話し出した。
「生まれたときから、五属性魔力、持ってた。髪も、こんな色で、肌も、へんに白い。どこかの領主の家、生まれた。三歳のとき弟が出来て、捨てられた」
「……!」
リディは目を見開いた。
「わたし、生まれたとき、おかあさん、死んだ。わたしのせい、言ってた。弟、次のおかあさん、生んだ。けど、おとうさん、ずっとわたしのこと、嫌いだった、みたい」
たどたどしく話される内容に、リディは黙って耳を傾けることしか出来ない。
「でも、捨てられたとき、わたし、あんまり、悲しく、なかった。ついにこうなった、って思った。別に死んでもいい、って」
そこでルネの顔が綻ぶ。遠い追憶を、思い返すように。
「でも、そのとき、ツェツィーたち、拾われた。わたし、見て、すごい、怒って、食べ物、くれて、傷、治した。わたし、元気になった、魔術、使う、ために、精霊召喚、やってくれた。それから、わたし、ツェツィーたちの仲間」
一気に喋ってから、ルネは口をつぐんだ。喋るのに疲れたらしい。
「親って、不思議だよね」
唐突にリディは言った。ルネがきょとんと彼女を見る。リディはどこか遠くを見ながら、半ば独り言のように話し始める。
「うちの親みたいに、うざいくらいに私に構ってくる親もいれば、子供と対立して挙句、日の目をみることなくなった親もいるし、ただ見守ってるだけの親もいる。…君達の親みたいに、子供を憎む親もいる」
「……」
「魔力の少ない、もしくは殆どない人間が、凄い量の魔力を持つ子供を生むとき、死にやすいのは知ってる?」
こくりとルネは頷いた。そうやって親を喪った子供達が通う学校もあるのだと、旅に出てから知った。
「あいつもそう。お母さんは、魔術士にはなれないくらいの魔力量しかなくて――でも子供のあいつは、とんでもないどころか未曾有、人間なのが疑わしい位の魔力量を持って生まれた。――当然、母親は死んだ」
ゆら、と暖炉の炎が揺れる。リディは視線をそこに固定したまま話し続けた。
「父親はね。すっごく、妻のことが好きだったんだって。それで妻が死んで――狂った。実の息子を、忘れ形見を殺そうとした」
「……っ」
「でも、そうはならなかった。生まれたばっかりのあいつは、当然魔力のコントロールなんか出来ない。魔力は暴発して、首を絞めてた父親を殺した」
その場にいた友人達が止める間もなかったらしい。生まれたてで泣き叫ぶ赤ん坊の側に転がる、親であった者達の死体。その醜悪さに人々は動けず、魔力の暴走を感知した宮廷魔術士達が駆けつけるまで、それは続いた。
「それからあいつは王宮に保護されて、十歳までそこで育った。ちょうど同時期、オルディアンの王宮には同じように馬鹿みたいな魔力を持つ子供入り浸っててね。問題児ふたり、まとめて魔術を教わった」
「その、子供…あなた?」
リディは目を丸くしてから苦笑し、それには答えなかった。代わりに話を続ける。
「あいつの魔術の才能は、それはもう凄まじかった。五歳の頃で既に、あいつに叶う宮廷魔術士は殆どいなくなってた。宮廷魔術士束にしても追いつかないような魔力量と、揺らがない精神力、卓越した制御力。…歴代髄一の魔術士と謳われる王太子が、早々に負けを認めた程のね」
「…あなた、も?」
「……。そうだね」
ちらりと笑みを刷き、リディは首肯した。
「でもその特異さ――異質さ故に、あいつは自由を奪われた。好きなだけの書物、好きなだけの研究費と屋敷を与えられ――代わりに、十五歳まで一切自由を許されなかった。常に護衛という名の監視がつき、出国はおろか、外出も一人では出来ない。国家機密として、最終兵器として――外から遮断されたんだ」
ふっと苛立ちめいたものが彼女の目に走った。
「…あいつは頭はいい癖にのほほんとした薄ら天然ボケだから、それも粛々と受け入れたよ。或いは頭が良かったからこそ、かもね。好きに研究に没頭して、色んなものを創り出してる。…でも、私に言わせれば羽をもがれた鳥だ」
だから、と虚空を眺めて嗤う。
「だから散々連れ出してやったよ。監視の目を潜るのなんて慣れれば簡単だったから、色んなとこにね。森も、川も、街も。ただそれでさえ篭の中だったって気付いたのは、結構あとになってからだった」
結局――掌の内だったのだ、ヴィンセントの。烈火の鬼姫と最終兵器が共に行動し、共に学ぶというなら、これ以上安全で効率的なことはない。『影』と呼ばれる特殊戦闘部隊に陰から護衛させながら、表向きの自由を楽しませ、成長させた。
(腹立つけど、それが王太子としてのあいつの選択)
ヴィンセントやシルファーレイ…そして恐らくルイスも、私情と公利を分けられる人間だ。彼らは、親しい人間の幸せを願う一方で、国のためになにが最善かを思考し、選ぶことができる。
(そして私も王族の人間。…あいつらのような判断力はなくても、黙って従う辺りは同じ穴の狢だ)
自嘲の笑みを浮かべてから、リディは戸惑った風のルネに視線を移した。金の目が温かい笑みと、微かな願いを込めて水色の目に合わさる。
「いつか、会ってやってよ、あいつに。同じ風景が見える、同胞としてさ」