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第十話 安寧への撃鉄 (10)

残酷描写(当社比)があります。苦手な方はご注意ください。

第十話 安寧への撃鉄(10)






「――ルネ?」


 悲鳴に、信じられないといった顔でクラウディオが振り返ろうとする。だがそれを、ルイスは深い踏み込みで阻止した。


「余所見すんなよ?俺はそこまで弱いつもりはないぜ」

「――お前が弱いなどという可能性は最初の一合で捨てている」


 低めに放たれた斬撃を槍の柄で受け流し、クラウディオは横合いから蹴撃をかける。


「うゎっと!」


 些か間抜けな悲鳴を上げて飛び退いたルイスは、そのまま数歩離れて汗を拭った。


(大口叩いてはみてるが…強い。勝てる気がしない)


 『神槍』の名に相応しい、神速の刺突。重さと鋭さを極めたそれを、見切って受けるので精一杯で、反撃にしても力が乗らない。


(反撃出来るだけ、成長は出来てるんだろうが)


 一年前なら反撃出来ずに潰れていたと確信できる。


 ルイスがかかってこないのを見計らいながら、クラウディオはちらっとフィールド中央を一瞥した。地に伏せているのは二人。彼の仲間である魔術士と、向かい合う青年の仲間である少年だ。相討ちしたらしい。

 フィールドの反対側では、ツェツィリアと黒髪の少年――訂正、少女が激しく交戦している。どうやらツェツィリアは若干頭に血が昇っているらしい。


(あいつはルネに甘いからな…)


 嘆息して、クラウディオは視線を戻した。視線が外れていても意識が逸れてはいないことがわかっていたのか、ルイスは黙ってクラウディオを窺っているようだった。クラウディオは僅かに微笑む。


「この試合が終わったなら、お前達の話を聞かせてもらおう」

「……」


 この男はどこまでわかっているのだろうか。

 ちらっとそんなことを考え、ルイスは思考を振り払う。今余計なことを考えている余裕はない。


「だが、今は試合だ。――悪く思うな」


 ふっ、とクラウディオの体が沈んだ、と思った瞬間。


「がっ――」


 ひゅ、と凄まじい速度で肉薄した巨体が手元に引き寄せた槍が回転し、ルイスの剣の下をすり抜けて石突きが腹に直撃する。

 瞬間意識が掻き消されるような衝撃、胃液を溢しながらルイスは後ろに吹っ飛ぶ。しかも、


「いだっ!」

「つぅっ…」


 背中に何かが激突して、後ろへのベクトルが相殺され、その何かと共にその場でルイスは地面に落ちる。起き上がろうとして腹部の痛みに失敗し、治癒をかけながらルイスは体を折って丸まった。

 一方、ルイスに背中合わせで激突したリディは、背骨に異常がないことを確かめながら跳ね起きた。だがしかしその頬は無惨に腫れ上がっている。


「いたた…ってルイス!?君も吹っ飛ばされた…って、」


 常ならぬ様子で丸まるルイスにリディは顔を険しくし、彼の背中に手を当てた。…肋が数本折れている。


「……」


 足元にルイスを庇うようにしてリディは立ち上がり、左右方面に立つ二人の同業者を睥睨した。


「あなた、骨も折れてないの?顔はともかく、胸は結構な勢いで蹴ったのに」


 呆れた口調で言ったのはツェツィリアだ。クラウディオがお前…という眼差しで見やるのに対し、リディは肩を竦める。


「君、蹴りに魔術使っただろ?その威力を相殺して、自分で後ろに跳んだだけだ。距離とりたかったし。まさか後ろからルイスが飛んでくるとは予想外だったけど」


 なんでもないことのように言っているが、攻撃に付加された魔術を相殺するなど並みの技術ではない。


「…あなた、宮廷魔術士でもやってけるわよ、それ」


 ツェツィリアの台詞にリディは皮肉っぽく笑う。


「どうも」


 クラウディオは槍を構えた。


「お喋りはここまでにしよう。…二人がかりは気が引けるが、仕方ない」


 リディはつ、と冷や汗が流れるのを感じながら剣を双方に向けた。背筋を寒気が襲う。勝てる訳がない。――ひとりなら。


「覚悟!」


 ダン、と同時に二人が突進してくる。それをギリギリまでひきつけ――直前でリディはツェツィリアだけに体を回転させ、それに不意を突かれたツェツィリアの頬を、思いっきりぶん殴った。


「きゃっ…!」


 ツェツィリアは数メートル吹っ飛んでいったが、リディの背後にはクラウディオの槍が間近に迫っていた。彼女が身を返すのを許さず、その首筋に穂が突きつけられようとするその瞬間、地面から伸びた刃がそれを跳ね上げる。目を剥くクラウディオを冷静な蒼い瞳が見据え、ついで渾身の蹴りがクラウディオの腹に決まる。


「ぐ――」


 体重の分、吹っ飛ぶまではいかずとも後方に後退を余儀なくされたクラウディオは、信じられないようなものを見る顔つきで、地面に血の混じった痰を吐き出しながら立ち上がった青年を見た。


「大丈夫?」

「応急措置だけだ。あとでちゃんとくっつけないとな」


 リディと背中合わせに立ちながら、ルイスは苦笑いした。本音をいえば痛い。だが、ここで倒れるということは即ちリディをひとりで戦わせることになる。――絶対に倒れるわけにはいかない。


「嘘でしょ…短時間でそのレベルの治癒も使えるの?」


 頬を腫らしたツェツィリアが、呆然としながら立ち上がる。


「得意分野じゃないけどな」

「どこまで規格外だ…」


 こいつらが大成した時が恐ろしい。と心底クラウディオは思った。


 ルイスはそれを見ながら、小さな声でリディに言った。


「…ところでリディ。お前こそ大丈夫か?」


 答えがくるまで一拍あった。


「…なにが?」

「とぼけるなよ。左肩」

「……。やっぱ誤魔化せないか…。悪くて骨折してる。けど応急措置して痛覚消したし、まだやれるよ」

「…わかった。無理するなよ」

「うん」

 頷き合い――同時に走り出す。再度、二手にわかれ、リディはツェツィリア、ルイスはクラウディオへ。

「ぁあああっ!」


 先程よりは至近距離で金属音が谺する。


「あんた達、どんだけよっ…!それだけ剣が使えて、魔術が使えて、おまけにそのレベルの治癒ですって!?人生舐めてない!?」


 リディの剣を受け流し、自身の剣で懐を狙いながらツェツィリアが叫ぶ。


「舐めてなんかない!私もルイスも、この力のせいで苦しんだ!――でもそれを選んだのは、今でも自分の道をいくのは、私達自身だっ!」


 先程より威力の増した交戦。見る者が皆固唾を飲む中、彼女達の応酬は続く。

 ツェツィリアの剣先がリディの肩を狙う。リディはそれを避けなかった。鋭い刃が、彼女の左肩に突き刺さる。


「なっ…!?」


 ツェツィリアの驚愕。今までの攻防からいって、避けられない剣筋ではなかったからだ。


 想定外の展開に一瞬ツェツィリアの手が止まる。それを見逃さず、リディは激痛に顔を歪めながらも横に引きつけていた剣を、完全に虚を突かれたツェツィリアの胴目掛けて振り抜いた。


 肉を斬らせて骨を断つ。峰を向けたとはいえ、食らえばただではすまない威力を伴った攻撃は、――空を切った。


「…え?」


 呆けたように、リディは目の前の空間を凝視する。


(なんで、何もない?確かにそこにいたはず――)


 リディの思考は、突如首筋に走った軽い衝撃によって刈り取られる。


「…見事だったわ」


 ぐらり、と傾ぐリディの躰。その背後に立ったツェツィリア・クロノヴァは苦い顔つきで手刀を見せていた。










 どっ、と倒れる音に、槍を弾きながらルイスは視線を向け――ぎょっと目を見開いた。


「リディッ!――っ」


 が、危うく手首を刺されそうになり慌てて体をひねる。無理な態勢のまま崩れそうになるのをあえて堪えず、地面を転がって距離を取った。クラウディオにとって追ってケリをつけるのは簡単だったが、それはせずに決着の着いた二人の女の方をみやった。


 地面に伏す短い黒髪の少女。その後ろのツェツィリアの様子からして、延髄に一撃を入れたのだろう。だが、その苦い顔が不可解だ。

 だが、クラウディオはぴんときた。


(…まさか、使ったのか?)


 もしもの時の最終手段。雷属性持ちの最後の切り札。風以外の属性を持っていることを明かしていなかったツェツィリアにとっては、最後の最後の一手を。


「…まさか、こんな若い娘相手に肉体活性使わされるとは思ってなかったわ」


 手を下ろしツェツィリアが溜め息を吐いたことからそれは確信に変わった。

 肉体活性。電気刺激によって瞬間的に体の限界点を引き上げ、超常の身体能力を発揮する。使用後に使った時間に比例して反動がくるのが難だが、戦闘中にはこれ以上ない切り札となる。


「…あんた、雷属性も持ってたのか」


 苦々しげにルイスは吐き捨てた。


 知っていたら同じ雷属性持ち、リディがそうおめおめとしてやられることはなかったものを。…たが現実として、リディは倒されている。


(…勝負あったな、これは)


 クラウディオひとり相手に防戦で精一杯なのだ。もう一人手練れを加えて勝てると思うほどルイスは自意識過剰ではない。


(まあ、だからと言って降参はしないけどな)


 最後まで諦めずに足掻く。みっともなくともしがみつく。それが苦難を乗り越えてきた彼の、彼らの信条だ。

 さっぱりとした覚悟を浮かべて剣を握る青年に、クラウディオもツェツィリアも内心で感嘆しながら、でも敬意を表すべく二人で向かうことを決める。同時攻撃するにはクラウディオから離れすぎているツェツィリアは、それを詰めようと足を踏み出した。――が。


 くんっ、とブーツの金輪が引かれた。


「!?な…っ」


 ツェツィリアは愕然として、背後を見るべく体をひねる。彼女の黒い目が捉えたのは、苦痛に顔を歪めていても全く戦意を失っていない、爛々と光る金色の眼。先程気絶させたはずの少女が、地面に這いつくばりながら手を伸ばし、ツェツィリアのブーツの金輪に指を引っかけていた。


「私、ね。タダで負けるの、嫌いなんだ」


 途切れ途切れにそう言って、にっこり笑い。リディはツェツィリアが逃れようとするより早く、精霊の名を言の葉に乗せた。


「サンディルナ」


 やれ、と。明確な表現すらせず、リディは自らの掌に、魔力を叩き込んだ。


「―――――ッッ!!!」


 ツェツィリアの躰を、雷属性を持っているだけでは到底耐えきれないレベルの電撃が走る。悲鳴を上げることすらままならず、ツェツィリアはその場に膝をつき、倒れた。

 リディもまた、ツェツィリアが倒れたのを見ると同時に糸が切れたように頭を落とした。


「……」

「…うわあ」


 前者がクラウディオ、後者がルイスである。


 あそこで意識を取り戻したのは執念以外のなにものでもない。根性の相討ちといえた。


「さて、まあ予想外ではあったが…我々も終わらせるべきだろう」


 少々呆気に取られていた状態から気を取り直し、クラウディオは改めて槍を構える。ルイスも一度深呼吸し、正眼に剣を据えた。

 空気が張り詰める一瞬。数拍のみを置いて、二人の男は互いに向かって駆け出す。

 甲高い音と共に交差し、離れていくかと思われた男達は、しかし中点でぶつかりあったまま止まる。その理由はすぐに知れた。


「……」

「…くそ」


 無言のクラウディオと、そんな呻き声を漏らしたルイス。その手から剣が滑り落ち、からんと乾いた音が鳴った。


「…あんた…やっぱ強い…な…」


 あの一瞬の交差。クラウディオはルイスの渾身の突きを紙一重で受け流し、手の中で滑らせ回転させた槍の石突でルイスの腹を突いていた。

 ルイスは倒れながら苦く笑う。


 突きはカウンターを受けやすい。それがわかっていて、また相手の小手先を使いにくい槍という武器を考えての選択だった。だが、あの勢いの突きを掠り傷ひとつで受け流し、滑らかとしか言えない動きで、不利なはずの距離をいとも簡単に処理してみせたクラウディオ――。


(完敗だ)


 世界は広いな――とらしくもない感想を抱き、ルイスは意識を手放した。










『勝者、クラウディオ・ガウス!』


 わあっという歓声、驚嘆の喋り声がわきあがる。司会者も興奮したように言葉を連ねた。


『しかし、誰がこの展開を予測したでしょう!女性剣士として当代三指と言われるツェツィリア・クロノヴァが倒れ!今まで攻撃を受けすらしなかったルネ・フォーレが屈し!今立っているのが『神槍』ただひとりとは!いや、素晴らしい!倒れたとはいえ期待を遥かに超える力を見せてくれました!!』


 クラウディオは無表情の中に苦笑を浮かべ、ぶんと槍を振ってから背に負い直す。と、観客席の方からなにか白いかたまりがぽてっと落ちてきて、とてててと走り寄ってきた。


「…ピュルマ?」


 なんでこんなところに、と思うすがら、ピュルマはクラウディオをスルーして、倒れている金髪の青年の頭の横で停止した。気絶しているルイスの頬を小さな舌でぺろぺろと舐める。


「…こいつらのペットか?」


 クラウディオの疑問に、ピュルマはちらっとその夜明け色の瞳を彼に向けた。そこに、無邪気なだけの小動物ではない何かを感じて彼は眉を寄せた。


「…おまえ」


 その時不意に観客席が静まり、視線が一点に集中した。貴賓席から、女王クリスティアーナが立ち上がったのだ。


「両者とも、見事でした」


 端麗な顔に、穏やかな笑みを浮かべてクリスティアーナは声を発した。


「近年稀に見る名勝負でした。『十強』の実力、しかと目に焼き付けさせて頂きましたわ。美辞麗句を連ねたいところなのですけれど、それは私以外誰も面白いとは思わないのでしょうね」


 どっと笑い声が上がる。女王陛下のお言葉ならいくらでも、という酔狂な声もあった。クリスティアーナ女王はこの国では余程人気があるらしい。

 クリスティアーナはにっこり笑って軽くお辞儀し、続けた。


「つきましては、治療の後、表彰式を…」


 そのあとの光景を、後にその場にいたある人間はこう評した。――悪夢だった、と。



 ひゅう、と空を何かが切る音。次いでどっ、と何かに何かが突き刺さる音。その意味を誰もが視覚でもって知り、誰もが頭でもって理解出来ないでいた。



「…、な…?」


 視線を集めていた一人の女。その胸に――


「…あら?」


 それが第368代女王、クリスティアーナ・リィ・ヴィルニア・アーヴァリアンの最期の言葉となった。

胸に矢を突き立てたまま、クリスティアーナの体がぐらりと傾ぐ。そしてそのまま、貴賓席から乗り出し――地上に落下した。


 ぐしゃっ、と耳も目も塞ぎたくなるような鈍音。そこでようやく、シルグレイが息を吹き返した。


「姉上!?」


 未だ現状を把握できないまま、咄嗟にシルグレイは貴賓席の手摺に手をかけて飛び降りようとした、が。


「どうぞ動かれませんよう、シルグレイ殿下――いや、陛下」


 しんと恐ろしい程に静まり返った場に、愉悦を含んだ声が響き渡った。シルグレイはばっと振り返り――目を見開いた。


「ガルイード…?」


 そこには、ガルイード財務大臣がたっていた。後ろには、弓をつがえた男が控えている。

 ガルイードは深々とお辞儀する。


「クリスティアーナ陛下はご逝去されました。従って、貴方がアーヴァリアン国王でございます」


 シルグレイは混乱したまま、ガルイードを見、ついで姉であった遺体を見――奇妙な顔になった。何かを怒鳴ろうとしてそれをやめ、不意に肩を揺らし始めた。


「成程…」


 ぞっとするような暗い声音を、しかしガルイードは平然と受け流す。その時やっと現状を認識したクリスティアーナの護衛騎士が、激昂してガルイードに向かって剣を抜き放った。


「貴様っ、よくもクリスティアーナ陛下をっ…!!」


 しかし彼は幾ばくも歩かぬ内に胸と背に矢を受け、その場に倒れ伏した。その光景に、観客席の人々から遅すぎる悲鳴が上がる。


「きゃあああああ!!」

「ク、クーデターだ!!」


 阿鼻叫喚と成り果てかけたその場に、唐突に魔術による破裂音が鳴り響く。ぎょっと動きを止めた人々に向かって、ガルイードは言った。


「動かれませんよう。我々は無辜の民を傷つける心算はございません。なにもなさらなければ、すぐにお帰り頂けることをお約束します」


 シルグレイは鼻で笑った。抑えきれない怒りが滲んではいるものの、表面上は淡々としている。


「貴様、何が目的だ?」

「クリスティアーナ陛下にこれ以上玉座を守られるわけにはいかないのです」


 眉をひそめたシルグレイだったが、すぐに思い至ったらしい。忌々しげに舌打ちする。


「…ピレニー大橋か。ならば何故私を生かした?あの案件は…ああ、成程。王家直系が山と握っているだろう秘密を知らぬまま殺すにはいかないわけか」


 ガルイードは笑って答えない。その笑みは、かつての彼を知る者ならば信じられないほど、昏い愉悦に塗れていた。


「腐れたものだ。私が貴様などに話すと思うか?姉上を弑した者に。――ましてや、あの一族に」

「察しの言い方は話が早いですね。しかし貴方には捨てられぬものがございましょう」


 ガルイードは視線をフィールドに落とす。その意味するところに、シルグレイは内心で一気に青ざめた。









 スヴェンは呆然としていた。身体中に負った傷に蹴飛ばされるように意識を浮上させ、痛みを堪えながら身を起こした彼の視界に映ったのは、変わり果てた従姉の姿だった。


「あ、ねう、え…?」


 その美しい銀糸の髪は間違えようもない。だがその半分以上が真っ赤な血に染まり、美しかった美貌は見る影もなくひしゃげている。血の海に投げ出された手足はおかしな方向に曲がり、ところどころ白い骨が――


従姉(あね)上――ッ!!」


 絶叫し、躰の痛みも忘れて駆け出す。赤い池に膝をつき、理解したくもない赤黒い断片の散る中、震える手で従姉の髪を掻き分ける。

 現れた目からは血が流れ、紫の瞳に光はなかった。


「――っあ、」

「落ち着きなさい、スヴェン」


 恐慌に陥りかけたスヴェンを、ひとつの凛とした声がひっぱたいた。客席の最前列に、ひとりの銀髪の女が凛然と立ち、スヴェンを見据えていた。


「ははう、」

「落ち着きなさい。自分をしっかり持ちなさい。あなたは王族の端くれです。こんなときこそ周りを見なさい」


 冷たいとすら言える女の言葉。しかしそれは、スヴェンの頭をすうと冷やした。震えが止まり、世界に正常な輪郭が戻ってくる。


「…叔母上」


 シルグレイが小さく呟く。彼の叔母でありスヴェンの母親である女は、彼を見上げて小さくお辞儀をした。


「…いっそ狂ってしまった方が楽ではあったのですが。まあいいでしょう。…いかがなさいますか?陛下。あなた次第ですよ」


 シルグレイは視線を動かした。四方八方から矢がスヴェンに向けられている。…防ぎきることは不可能だろう。

 しかし、まだ声変わりを迎えていない少年の声が沈黙を突き破る。


「…舐めるな。おれも王族だ」


 スヴェンが怒りに燃える眼差しで、ガルイードを睨んでいた。


「従兄上の足手まといになるくらいなら、自分で死んでやる。それが出来ない程おれは腰抜けじゃない!」


 激昂。そしてその眼が、今の言葉が全く偽りでないことを示している。それだけではない。発した言葉、それ自体が人をひれ伏せさせる威を孕んでいる。弓を構える者達に動揺が走る。ガルイードは内心眉を寄せた。このようにはっきりと意思表示をする子供とは思っていなかった。

 シルグレイが溜め息をつく。


(全く、姉上の目論見は大成功というわけだ)


 この三日でスヴェンは見違えるように成長した。でなくばあの台詞は出まい。


「早まるな、スヴェン。お前をここで死なせる訳にはいかん。ただの犬死にだ」


 淡々とした調子を崩さずにシルグレイは言った。会場は最早固唾をのんで事態を窺っている。


「簡単に死を選ぶな。今はその時ではない」


 数秒後、スヴェンは頷いた。ガルイードが微かに嘲りを見せる。


「随分と余裕ですな。我々が警告として彼を殺すとは考えないのですか?」

「ならばさっさと撃っていたはずだ。スヴェンは人質として価値があるのだろう」

「そのことだがな、シルグレイ殿下」


 唐突に低い声が割り入った。それまで黙って様子を傍観していたクラウディオだ。


「貴殿が逃がせと言うならそいつを連れていくぞ。『ヘキサ』に意識があるならそういうはずだ」

「二人だけで、怪我人を抱えてこの包囲から連れ出せると仰るか?」


 不可解そうなガルイードの声に、クラウディオに代わって観客席から傍に飛び降りたテディーが鼻で笑った。


「誰にモノ言ってんだ?俺達は大陸で二番目に強い狩人パーティだぜ。やろうと思やあテメーの手勢くらい簡単だぜ」

「この魔術士達を見てもそう言えますかな?」


 ガルイードの手振りを受けて、あちこちから何人もの黒いマントを被った人間達が立ち上がった。テディーは舌打ちする。この集中攻撃には持ってこいの位置ではあの数の魔術士は厳しい。


「数は増やせるぞ?」


 その時軽快な音を立てて飛び降りてきたのは、ジョンを始めとする『ノナ』、『ジィ』の治療術士、そして『オクタ』だった。

 居並ぶトップクラスの狩人達に、会場が息を呑む。


「俺達はお国の争いなんてもんには手をださないけどね。攻撃されちゃ別だぜ?」


 ヨセフが魔力を油断なく溜めながら唇をつりあげた。

 張り詰める一触即発の雰囲気に、しかし落ち着いた声が水を差した。


「やめてください」


 スヴェンは静かにそういうと、自らを守るように立ち塞がっていたクラウディオとテディーの間をすり抜け、数歩狩人達から離れてから振り返った。


「おれは残ります。おれだからこそ出来ることが、ここにはあると思うから」


 静かな菫色の瞳に浮かぶ決意に、一拍おいて狩人達は武器を下ろした。ジョンが言う。


「お前さんがそう決めたなら、それを尊重するさ。…でもいいのか?こいつら、絶対怒るぞ」


 ジョンが手振りで示したのは、エドガーとマルセロがそれぞれ抱え上げたルイスとリディ。スヴェンは苦笑する。


「おれからだって伝えてください。…ごめんなさい、ありがとう、と」


 最後に一つ頭を下げて前を向くと、スヴェンはもう振り返らなかった。狩人達が歩き出したその背を視線だけで追っていると、別のところから声が降ってくる。


「そこの寝てる金髪頭に伝えろ」


 狩人達は視線をシルグレイに移す。濃紫の目は、何かを孕んでいるようでそれが何かはわからない。


「“決して手を出すな”と」


 それだけ言い置くとシルグレイは身を翻し、ガルイードに従う騎士達に随従していった。

 

 狩人達は黙って顔を見合わせると、静かにフィールドに背を向け、立ち去っていった。





――――――――――――――――――――――


「…おや、まあ」


 ふわふわと闘技場の上空を浮いていた()は、眼下の騒ぎに目を細めた。


「アーヴァリアンが堕ちちゃったかあ。テーリアは世代交代後だから不換算、と」


 呑気な声に、重みは感じられない。魔術によって周囲から身を隠している彼は、闘技場を出ていく狩人達を見下ろしてふうん、と呟く。


「あれが『黒』と『紅』ね。結局僕とフィオレンティアの末か。まだ随分未熟だけど、大丈夫なのマルブレヒト」


 いつのまにか隣に顕れていた銀髪の老婆に、彼は視線も向けず問いを投げる。老婆は重々しく頷いた。


「あれらの可能性はそなた達の方がよくわかっておろう、オージディス」

「まあねー。潜在能力は僕でも怖い」


 くすくすと笑って、彼はついと東を振り返った。


「で、あれは?」

「…ついに来た、ということじゃよ」

「なんだ、駆け足だなあ。あの子たちの為にも、もう少し遅らせられなかったの」

「…限界じゃよ」

「ふうん。だから、イグナディアに行かせるんだ?」


 答えは無言の首肯で、彼は鼻を鳴らす。気の毒なことだ。


「…そなたに頼みがある、オージディス」

ザイフィリア(あっち)に行けってんでしょ?いいよ、言われなくても行くつもり。どうせアルトゥールにも行けって言われるだろうしさー」

「話が早うて助かる。じきにアズリシューラも向かわせるつもりじゃ」

「はいはい。じゃあ少ない残り時間、精一杯がんばろーっと」


 完全な棒読み口調で嘯き、次の瞬間彼は消え去った。

 一人残った老婆は東を眺め、次いで西を見遣る。


 暗く淀んだ地。自分が薄汚い魔族を殺すことなど簡単だが、それでは意味がない。


「…呑まれるなよ」


 小さくつぶやいて。

 老婆もまた、姿を消した。

 

 




――――――――――――――――――――――――




 後に『終焉期(ラグナレク)』と呼ばれる一年。その始まりは、このアーヴァリアンの内乱だと言われている。

 女王クリスティアーナ・リィ・ヴィルニア・アーヴァリアンは臣下、アウロス・ロスデルネ・ガルイードの裏切りに遭い、三十二歳の身空で死亡。

 次代、第369代国王にはシルグレイ・イドリナ・ロウ・ヴィルニア・アーヴァリアンが擁立。

 殆どの諸国はこれに対し、驚きと共に様子見を選択することとなった。


 一方、エーデルシアスとオルディアンはアーヴァリアンに対し不快感を表明。クリスティアーナに哀悼の意を告げると共に、裏切り者ガルイードと、その傀儡と成り果てたシルグレイに決別を告げた。

 新王シルグレイは黙ってこれを受け止め、こののち苦しい茨の道を歩んでいくこととなる。



諸々の都合で早めの更新です。

タイトルの意味は、最後の出来事を想起してつけました。この作品のメインキャラの死亡は彼女が最初ですね。

当初クリスティアーナを殺す気は全くなかったのですが、少々シナリオの改変を行うと同時に、物語自体の流れも重くしました。ごめんなさいクリスティアーナ。もっと出したかった…。


物語はここから割と暗くなっていきます。ベースの雰囲気は勿論変わりません(と思います)が、少しずつ風呂敷を畳みつつ、ゲームの終盤戦にありがちなようにどんより気味になっていくかと。


あと申し訳ないのですが、一か月ほど準備期間を置かせてください。私事が忙しいのもあるのですが、ストックも僅かになってしまったので…。

お詫びに後日談を明日か明後日には上げるつもりです(…お詫び?)

受験前にあと一話は上げきりたいところ。…次も長いんですよ!一話の分量が初期と比べて雲泥の差なんですがごめんなさい!


もうしばらく、拙作にお付き合い頂けると嬉しいです。

では。

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