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第十話 安寧への撃鉄 (4)

長いです。

第十話 安寧への撃鉄 (4)






 翌日、ハイレイン市内。武術大会開催中の為、人通りはいつもほど多くない大通りをゆく三人(+一匹)は、心なしかげっそりした顔をしていた。


「…良かったのかなほんとにこれ。額半端じゃないよ。普通の家が五年は暮らせるよ」

「ぽんと渡す額じゃねえだろ。スヴェン、あいつらあんなに金銭感覚おかしいのかいつも」

「…ぴゃ」

「…いえ、財政事業は結構容赦無く無駄を切ってます」


 昨日の夜は、街の、シルグレイオススメの食事処で夕飯を取ったあと、城に戻って武術大会での役割やコンビネーションなどの確認、打ち合わせを行った。スヴェンは呑み込みがよく、昨日でおおよそのチーム戦というものを理解したらしかった。

 そして今日、やっぱり狩人協会が開いていないので、仕方なく彼らはシルグレイにお金を貸してくれるように頼んだ。当初目を点にしていたシルグレイは、話を聞き終えるなりため息をついて、侍従に託けて持ってこさせた袋を三人に投げ渡し、貸すも何もくれてやる、と言ったのだ。その袋は重く、嫌な予感がして開けてみれば、案の定金貨がたくさん詰まっていた。明らかに言った額より多いそれに目を剥いて、受け取れないと言い張れば、


『今回のことのお前達への依頼料だ。装備を替え直すならそれくらいは要る。とっとと行け、日が暮れるぞ』


 とにべもなく一蹴され、今に至る。








「…まあ、今回はしっかり装備万端にしていった方がいいとは思うから、有難いけど」


 これだけあれば最高品質のものが揃えられるだろう。肌着なども北国のものに替えた方がどうも良さそうだし、なんだかんだ言ってシルグレイの見積もりは高すぎないと言えるかもしれない。


「じゃあ裏道案内は頼んだよ、ルイス」

「任せとけ」


 リディがルイスの肩を叩き、ルイスがにやりと頷く。スヴェンが裏道…?と首を傾げれば、ルイスが簡単な説明をくれた。


「表通りには所謂正規の店が多い。外れもないが大当たりも少ないし、あったとしても馬鹿高い。だが裏通りの…まあ、お前が行ったことのないような薄暗い店には、外れは多いが大当たりもあるんだ。表で買うより安く、な。特にこの国は魔術付加の装備が多いから、その傾向は強い」

「魔術付加の装備って、ホント当たり外れあるからねー」


 軽く交わされるその内容に、スヴェンは目を白黒させた。裏通りとか…間違っても安全ではない。子供一人で入るような場所ではなく、もちろんスヴェンも生まれてこのかた避けている。

 するとそれを読み取ったかのように、リディが言った。


「大丈夫、私とルイスがいれば危険なんて無いも同然だから。こう見えて私は目も利くんだよ」

「こいつの目は信じていいぞ。俺もこいつと旅始めてから裏道使い始めたけど、未だハズレ引いたことはない。…けどお前なんで目利きなんて芸当持ってんだ?」

「ヘンド…いや、我が愛すべき幼馴染みのお陰でね。鍛えられたから」


 ルイスは得心が言ったと手を打った。


「ああ、成程…あの方直伝か…」

「というわけでスヴェン行くよ!今まで君がしたことないような装備揃えてあげる」

「え、俺のも…!?」


 スヴェンは再び驚いた。これはあくまで二人の買い物であり、自分はただの付き添いだと思っていたのだ。


「馬鹿、何言ってんの。身分はどうあれ君は今私達のパーティの一員なんだから当然だろ。ていうか、どうせ君、騎士団服か平民服か儀礼服しか持ってないんだろ?そんなもんで武術大会出る気?無理無理」

「しっかり狩人風にしてやるさ。クリスティアーナが喜ぶぜ」

「え、ちょっ…わ、っ…」


 反論する間を許さず、スヴェンは満面の笑みを浮かべた狩人二人に引きずられ、二人が言うところの『裏通り』に足を踏み込まされたのであった。







――――――――――――――――――――――――――




「ふーっ、よく買った買った!思ってたより早く済んだね」

「でもその割にかなりの品質で揃えられたみたいだな。スヴェン、平気か?」

「……平気」


 そんな言葉を発しながら、沢山の荷物を抱えた三人が街の表通りに再び戻ってきたのは、太陽が中天を過ぎた頃だった。朝よりは多少活気のある大通りに出ながら、リディは興味深げに元来た道を振り返る。


「…にしても、ホントに面白い街だな」


 ルイスがこの街について軽くリディに語ったものは、なにひとつ嘘で無かった。裏通りを行きすがら、浮いている家や橋、乗った瞬間人を何処かへ吹っ飛ばす妙な仕掛け、動き回る噴水、などなど。さながら妖精の国でも迷い込んだ気になった。


「ルイス、お金どれくらい残ってる?」

「まあ、あと必要な食料揃えて三日暮らせば終わりってとこだな。さて、これからどうするか…」


 ルイスはちらりと周りを見回した。人通りから行って、恐らくまだ――。


「武術大会、見に行ってみる?今、個人戦の最後あたりだろ」


 ルイスの提案を先読みし、リディが言った。ルイスは苦笑し、スヴェンは目を輝かす。


「そうだな。三日目の午ってことは、もう決勝だろ。参加申し込みもしなきゃならないし…行ってみるか。スヴェン、いいか?」

「はい。行きたい」


 常に無く生き生きした答えに年長二人は顔を見合わせて笑い、そうと決まればとばかりにダッシュで城に戻って荷物とついでに剣も置くと、東地区の闘技施設へと向かったのだった。










「うっわあー…こんなに人集まるもんなんだ、武術大会って」


 向かった先の、ハイレインの東地区にある巨大闘技施設。普段東地区は人が少なく、あまり活気があるとはいえない場所なのだが、今はそれが嘘のように人でごった返していた。


「個人戦に出る人間のがかなり多いからな。今までの二日で負けたやつとか野次馬とか、まあ武術に携わる人間が結集してるといっても過言じゃないだろ」

「両方出る人もいるの?」

「団体戦を掛け持ちしてる奴はそこそこいるはずだぜ。なあ、スヴェン?」

「…うん。でもそこまで数は多くない、らしい。コンディションとか、そういうので。貴族もいるし」


 この大会は貴族の、腕に覚えのある若年層にとってはかっこうの舞台でもある。

 その理由のひとつに、殆ど大怪我をしないシステムが出来ているというのがある。試合前に出場者には個人単位で簡易な結界が張られた上、常時アーヴァリアンの優秀な魔術師達が、万一の時止めるために配置についている。ただしこれは予選までの話だ。

 個人戦にしても団体戦にしても、大会は予選の先に本選が待っている。といっても本選に進めるのは四人、もしくは四組だけで、例年大概がトップクラスの狩人であることが多い。そしてこの大会、『十強』の参加も認められていることから、貴族の子弟は大抵予選までで脱落する。

 そして本選に出場出来る腕前の者は、皆限度というのをわきまえており、殺し殺されまで及ばさない。また、一度礼を失した人間がそういったことに及ぼうとした時には時のアーヴァリアン王が問答無用で場外から手を下したという。それ以来、愚かな行動を起こした者は一人もいない。


 もうひとつの理由としては、やはり王族主催の大会であり、予選からですら国王が見物しているというのがある。つまり実力を王の前で示せば、名誉ある騎士団に取り立てて貰えるかもしれない、という魂胆があるわけだ。








 そうこうする内に一行は闘技施設に着いた。ただ闘技場があるだけでなく、円形のそれを囲うように建物が建てられ、入ってみれば中には受付だけではなく、食事処やらカジノやら煩雑な店群やらがあり、さらには金を払えば個人で貸し切りにできる観戦スペースもあるらしい。主に使うのは貴族だが。


「闘技場っていうよりは遊技場だね、これは」


 思わずといった調子のリディに、ルイスとスヴェンは顔を見合わせて苦笑した。だが次の台詞にルイスは顔をひきつらせる。


「空いた時間にカジノでも行くかなー」


 貯金はあるけど増やしといて損はないしな、というリディの肩をはっしと掴みルイスは首を振る。


「やめろ。ここ王族直営だし、金に余裕はある」

「ええ、でも今回はシルグレイがくれたからいいけどまた装備換えすることになったら、やっぱりあった方がいいだろ、お金」

「それはそうだけど!万一バレたらシルグレイにまで…」

「馬っ鹿。私がそんなヘマすると思うわけ、ルイス?」


 …思いません。


 満面の笑み、だがしかし確実に人を慄かせる笑みにルイスは敢えなく敗北した。

 哀愁を漂わせる彼に、白みの強い銀髪を後ろで軽く縛ったスヴェンが訊ねた。


「…どうしたんですか?」

「…いや。あとでヤケ食い付き合え、スヴェン」

「?はい」

「えっと参加者は…うん、なんか多すぎないかこれ」


 受付横の壁には、黒い壁面に白い文字で数多の名前が書かれている。団体戦の方がやはり少なく、三対三と五対五を合わせても精々五十組程だが、個人戦はざっと見ても百人は軽くいる。ひょっとすると二百に及ぶかもしれない。

 その名前の多くには、やはり白い線で消線とおぼしきものが引かれている。消されていない名前は、反対側の壁に描かれた巨大なトーナメント表にも記されているから、恐らくは予選通過者だろう。


「これ、多すぎない?どう捌いたの?」

「個人戦は最初に何グループかに分けて模擬戦やってるんだよ。まああれだ、致命判定の攻撃受けたと結界張ってる魔術師が認識したら、そいつは退場。予選に残れるのは六十四人だったかな?」

「うっわ、魔術師大変そ…」

「だいじょうぶ、魔術国家の名は伊達じゃない、です」


 ルイスも頷き、彼はそのまま受付の男に声をかけた。


「すいません、団体戦に申込したいんですけど」

「はい。では、代表者のお名前をいただきます」


 三人は顔を見合わせ、ルイスが訊ねた。


「代表者だけですか?」

「はい。その方が処理も楽ですから」


 あっけらかんと答えるあたり、そうとう根性がいい。

 ルイスは眉を寄せ、ぶつぶつと呟いた。


「陛下の手前、代表者はスヴェンにするしかないが…いいのか?俺達この髪のままで」

「なんか問題あるの?」

「ある。…俺達が『誰』だかわからない状態で参加して、あとでばれたら、賭ける客達から顰蹙を買う」

「ああ、なるほど…」


 こういった催し事に、賭けごとはつきものだ。誰が勝つか、一試合もしくは全試合を通して賭けが生じる。しかもこの武術大会は、かなりの大金も動くと言われている。

 そんな中で、『ヘキサ』と名乗らぬまま参戦し、賭けをひっくり返すような真似をすればだ。どうなるかは想像に難くない。

 ――勝つ気満々でいる二人に、スヴェンはあえてつっこまなかった。


「もし不都合なのであれば、賭けごと対象外者のお申し込みをされますか?」


 にこにこと笑顔のまま受付の男がかけた言葉に、「そんなのあるのか?」とルイス。


「ええ。もちろん非公式のものまで取り締まることはできませんが、公式のもので貴方がたに賭けることは出来なくなります。基本的にこの申し込みをされる方は、失礼ながら実力のない方が多いので、非公式のものでも賭けられることはほぼありません。ですが偶に覆面で出られる方もいらっしゃるので、ゼロが百か、客にとっては非常にギャンブル性の高い対象とも言えますね」


 爽やかな笑みを浮かべる男はどこまでわかっているのか。ルイスは少々うすら寒い思いを味わいながらも、「じゃあそれで」と申し込みを決めた。前例があるのなら、まあなんとかなるだろう。


「承りました。では、代表者は『スヴェン・アイヒホルン』様ですね。明朝対戦表が発表されますので、忘れずにご確認をお願いいたします」

「了解した」

「では、ご健闘をお祈りしております」


 終始笑顔のまま頭を下げた男に背を向け、三人は観客席に行くべく道を探す。順路を見つけ、歩き出しながら、リディがふと首をかしげた。


「そういえば、今何回戦なんだろ?」


 そして彼らは、受付の上部の壁に燦然と記されている文句を見た。


『只今の試合――個人戦決勝戦、アハト・ライハラ対クラウディオ・ガウス』


「……」

「……誰だっけ」

「……?」


 ルイスが絶句、リディは引っ掛かりかけた記憶に眉間を押さえ、スヴェンは疑問符を浮かべた。次の瞬間、ルイスはリディとスヴェンの襟首をひっつかみ、猛然と駆け出した。人のまばらな通路を抜け、円形闘技場の観客席へと通じる道を爆走する。

 リディ達が息苦しさに気絶する寸前、ルイスは観客席最上階、立ち見もいっぱいのそこに辿り着いた。


「…っ、ぶはっ!ルイス、何すっ…!」

「静かにしてろ!黙って見てろ」


 誰のせいだ、とリディは喚きたくなったが、ルイスの眼は怖い程真剣だ。周りの観客席の雰囲気も異様なくらい静まり返り、視線はある一点に集中している。

 スヴェンも喉を押さえて必死に酸素を取り込んでいたが、やがて気付いて空いているスペースから下を覗き込んだ。


 中央の広い円形の地面を囲い見下ろすように設計された階段状の観客席。その最下層、つまり円形の地面に今、二人の男が向かい合っていた。

 二人の男は、片や肉厚の剣、片や長槍を構えたまま睨み合い、微動だにしない。


「……っ」


 この距離からでもわかる強烈な殺気に、スヴェンは息を呑んだ。研ぎ澄まされた、一切の不純物のない鋼鉄のような気迫。武術を嗜む者でなければ相対しただけで気絶を余儀なくされるだろう。寒気が背筋を走る。


 と、唐突に眼下で二人が動いた。ルイスやスヴェンを足してもなお足りないような筋骨隆々の巨駆同士が、凄まじい速度でぶつかり合う。轟音といっても差し支えないような金属音が響き渡った。

それに畏怖すら感じながら、リディはようやく名前の意味を思い出した。


 アハト・ライハラ、クラウディオ・ガウス。


 前者は『十強』がひとつ、『テトラル』のリーダー。第二のオーギーンとも称される程の豪腕の剣士。

 後者はやはり『十強』がひとつ――しかも序列二位、『ジィ』のリーダーにして、二つ名『神槍クラウディオ』を持つ、間違いなく大陸五指に入る槍の使い手だ。


「こんなカード、滅多に見られるもんじゃねえだろ」


 食い入るように試合を見つめるルイスに、振り返らぬまま頷いた。眼下の戦いは激化している。金属音は殆ど絶え間なく、ちかちかと光が舞っているようにすら見える。生半可な者では一撃で腕が折れてしまいそうな攻撃が、数十合を重ねていく。

 観客は固唾を呑んで見守り、風さえもその働きを忘れたかのように止まっている。


 息が詰まるような時が永遠に続くかと思われた時、それはついに終わりを迎えた。


「ちぃっ…!」


 剣士――アハトがクラウディオの槍に額を掠められ、舌打ちして横にステップを踏む。それを追いたてるように、クラウディオが猛攻に出た。


『神槍』の名に相応しく、神がかっているとしか思えない速度、鋭さ、重さの突き。それにアハトが対処しようとして――しかし今まで出来ていたそれは、直前に額に付けられた傷から流れ落ちた血によって数瞬、ぶれを余儀なくされる。そしてその数瞬でクラウディオには充分だった。


「はああああッ…!」


 鋭い気合いと共に、一際重い突きがアハトの剣の縁に命中し――内側から弾き飛ばした。


 アハトの手から離れた肉厚の刃は地面と垂直に数回回転し、地にガランッ、という鈍い音を立てて転がっていく。


 それに観客の目が吸い寄せられた間にもクラウディオの槍は彼の手により側面で円を描き、返す刀でアハトの首筋に突きつけられていた。


 アハトは苦笑し、両手を上げる。


「…参ったなぁ。降参だぜ…。あんた、強ぇなぁ」

「…そっちこそ。いい試合が出来た」

「へっ」


 クラウディオは槍を下ろし、握っていない方の手をアハトに差し出す。アハトはそれを取り、力強く握り締めた。


 一瞬の空白の後、割れんばかりの歓声と怒涛の拍手が闘技場を席巻した。













「…いや、凄い試合だった」


 喧騒の包む施設内の喫茶店で、ルイスは未だ身を奮わせていた。


「クリスティアーナ陛下も絶賛してたしね。…あの戦力は欲しいな」


 試合を見守っていたクリスティアーナは、拍手が治まったのを見計らって二人を褒め称えた。美人の国王に手放しで絶賛され、アハトもクラウディオも満更ではなかったように見えた。


「戦力って…?」


 スヴェンが遠慮がちに訊ねる。


「ああ、話してなかったか…まあ、狩人の仕事でな。ちょっと人数集めなきゃならないんだよ。それも実力者の」

「狩人の、仕事…?」


 スヴェンがそれ以上を訊こうかどうしようかを迷っていた時、不意に近くから嘲るような声がかかった。


「おや?そこにいるのはスヴェン・アイヒホルン殿か?」


 さっとスヴェンの顔が強張り、ルイスとリディがん?と目線をやる。


 喫茶店の丸テーブルに座る三人の側に立っていたのは、スヴェンより二、三年上――リディと同じか少し下位の年齢の少年達だった。貴族的なある程度整った顔立ちに特有の高慢な表情を浮かべ、蔑むようにこちらを見ている。


「…なんの用」


 応じるスヴェンの声は、顔と同じく硬い。それに対し、恐らく先程の台詞を放った金髪の少年はふんと鼻で笑う。


「試合にも出ず高みの見物かい?いいご身分だねえ」

「まあ、君の場合は何もせずとも陛下のご贔屓に預かっているし?全く羨ましいことだなぁ」

「……」


 スヴェンは何も言わない。少年達はそれをいいことに更に言葉を重ねる。


「魔力の量と剣の腕だけで、たかが下流のくせに城に出入り出来るんだ。陛下のお力は偉大だね」

「親の脛かじりならぬ従姉の脛かじりか?とんだ恥さらしだ」


 あはははは、と少年達の意地の悪い笑い声が響く。その頃には周囲も騒ぎに気づき、遠巻きに野次馬の壁が出来ていた。金髪の少年はルイスとリディに目を向ける。


「なのに、なんだいそいつらは。傭兵か?稀代の神童、スヴェン・アイヒホルンともあろうお方が、下賎な平民共とつるんでいるのか?情けないな」


 いつもなら黙って彼らの嫌味を受け続けるスヴェンは、しかしこの時初めて反駮した。


「訂正しろ」

「は?」


 端正な顔に明らかな怒気を浮かべ、菫色の瞳が少年達を射抜いた。


「訂正しろ。このひと達は下賎でもなんでもない」


 黙って茶を飲みながら静観していたリディ達は、僅かな口の端に笑みを作る。馬鹿のたわ言などどうでもいいが、こういう言葉は嬉しいものだ。特に、この他人に心を許さない少年からは。


「なにを…」

「身分だけでひとを見下すおまえ達の方が、余程下賎だ。だいたい、親の脛をかじっているのはおまえ達だろう」


 ひゅう、とルイスが口笛を吹いた。よく言った。

 少年達は言われたことを呑み込むなり顔を真っ赤に染め、腰の剣に手をかけた。


「貴様っ、僕達を愚弄したな…!」

「事実だろう」


 一方スヴェンも引く気はなく、立ち上がる。一触即発の空気は、しかし新たな闖入者によって破られた。


「おいおい坊っちゃん方、こんなとこで騒ぐなよ。騎士団呼ぶ気かあ?」


 軽い、おちゃらけた声に野次馬を含めたその場の視線が一斉に一方向に向き――一瞬でざわめきに取って変わった。

 少年達もさっと顔色を青く変じ、スヴェンも怒気を引っ込め、ルイスとリディは瞠目した。


 先程の声の主――茶髪の一部を赤く染め、長髪を一房だけくくり、短弓を背負った青年が三白眼を細めた。


「んな怯えんなよ。なあ、クラウディオ?」


 水を向けられたのは、二メートルに及ぶのではないかという巨駆に、普通のものよりかなり長く、太い槍を背に吊り下げた男――クラウディオ・ガウス。厳つい顔は無表情だが、何もせずとも険しく見えてしまう。更にもう三人、後ろに従えている。


「っ、『ジィ』…!」


 誰かが畏怖の籠った声でその名を口にした。

 幾十もの視線を集めながらしかしものともせず、彼らは(・・)は悠然と立ち、貴族の少年達に視線をくれる。

 クラウディオの後ろにいた、ウェットに整えられた短い黒髪の女がくすりと笑った。垂れ目の縁に泣きボクロがあり、肉感的な唇と相俟って妖艶な色気を放っている。野次馬の誰かが、「ツェツィリア・クロノヴァだ…」と呟いた。


「子供の喧嘩に口を出す気はないけれど。下賎呼ばわりは面白くないわね?」


 少年達は動転して反論も出来ないらしく、あわあわとその場でまごついていたが、やがて我に返った金髪の少年が、「アイヒホルン、この借りはあとで返して貰うよ!」というなんとも三流悪役な台詞を吐いてさっと逃げたので、慌てて他の取り巻きも後を追って消えた。勿論、スヴェンを睨むことだけは忘れずに。


「…根性ねぇお坊ちゃん共だなぁ」


 茶髪の男が肩を竦め、スヴェンを振り返る。


「スヴェン・アイヒホルンっていや聞いたことあんぜ。クリスティアーナ陛下の従弟で、百年に一度の神童。ふーん、おつむだけじゃなくてカオもいーじゃねーの」


 値踏みするような視線に晒され、本能的にスヴェンは少し後ずさった。茶髪の男の後ろから呆れた声が飛ぶ。


「テディー。そんな小さな子脅かしてどうするのヨ」


 一同は目を疑った。明らかな女口調、しかも女声は、しかしクラウディオと張る筋肉を持つ髭男から発されていた。


「脅してねーよ。つーかテメーはその気持ち悪ぃ喋りか方ヤメロ、テルセロ。皆ヒいてんじゃねーか。ホラ、テメーもなんかいってやれよ、ルネ」

「……」


 話を振られたのは残りの一人だったが、黒いマントをすっぽり頭から被った彼は何も言わずに沈黙していた。そもそも男なのかすらわからない。


(((つうか、『ジィ』…濃っ!)))


 その場の大半の意見が一致した瞬間だった。


「ていうかスヴェン、オマエ個人戦にゃ出てなかったよな。観戦だけか?」


 早速呼び捨てか!?とは一同の心の声。スヴェンはもう二、三歩後退りながら辿々しく答えた。


「きょ、今日は観戦…です」

「ん?今日はってこた、もしかして団体戦は出んのか?へェ。ダレと?騎士団?」

「えっ、と…」


 テディーに矢継ぎ早に詰め寄られ、スヴェンは困り果てて思わずルイス達を振り返る。…先程から何のアクションも見せない二人は果たして、…茶を飲んでいた。


「…ん?あれ、もしかしてソイツら?」


 なんだか力が抜けてしまったスヴェンの視線を追ったテディーの台詞に、半ば忘れ去られていた二人にその場の注意が集まった。

 ルイスとリディはその目敏さに内心舌打ちしながらも、表面には出さずにカップの残りを飲み干し、立ち上がった。


「スヴェン、帰るぞ。殿下が待ってる」

「明日の最後の打ち合わせもしないといけないからね」

「う、うん」


 満場の視線を一顧だにしない二人に、スヴェンは狩人ってみんなこうなのか、という畏れを抱きながら走り寄る。

 ルイスとリディは、自分達を興味深げに眺める『ジィ』につと目を合わせ、頭を下げた。


「喧嘩の仲裁をしてくれてありがとう」

「迷惑をかけてすまなかった」


 きっちり謝罪だけして去ろうとする二人に、「待て」とこの場ではおおよそ初めてのバリトンが響く。

 些か緊張を走らせて足を止め、振り返った二人に『神槍』クラウディオは淡々と訊ねた。


「お前達は、明日の試合に出るのか」


 一瞬目線で会話し、ルイスが頷いた。


「ああ。出る」

「…そうか。ならいい。引き留めてすまなかった。健闘を祈る」


 その言葉に軽く会釈し、ルイスとリディ、スヴェンは連れだって闘技施設をあとにする。その背を大勢の野次馬と、『ジィ』が見送った。




賭け事が許可されてる世界です。

イメージとしてはコロッセオ。

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