第九話 砂漠の鳥籠 (3)
第九話 砂漠の鳥籠 (3)
砂嵐の勢いが、前回よりも強くなっていたのはきっと二人の気のせいではないだろう。予め結界を張っておいたにも関わらず、砂の渦に飲み込まれそうになる。
だが、幼竜とはいえネーヴェもこの大陸のヒエラルキーのトップに位置する存在である。ルイスの結界の後押しを受けて、力強い羽ばたきと共に一気に嵐の外周を突っ切った。
「っし、抜けた!ネーヴェ、ありがと!」
「よくやったネーヴェ!」
主二人の歓声に、ネーヴェも嬉しそうに鳴いて応える。そのまま地面に降り立つと瞬時にピュルマの姿になり、間を置かず地面を蹴ったリディの肩に跳び乗った。
「結界の種類は…変わってないな」
窓の付近まで飛んだリディが、結界を調べながら呟く。そしてすぐに解読して突破した。塔内部の石床に着地しながら、振り返らずに声をかけた。
「…っと。ルイス、ついてきてる?」
「ああ。その結界解読、今度詳しく教えろよ」
たんと軽い音を立ててルイスが背後に降り立つと共に、穴が開いていた結界が音もなく元に戻る。
片手でネーヴェを撫で、リディは笑った。
「そういえば教える約束だったね。了解、この件が終わったら始めよう」
それからリディは上を見上げた。ここからはすぐ上の階しか見えないが、太い柱の先に、幾つもの階層が連なっているのだ。
「さて。あのひとは何階にいたっけ?一階一階確かめてくか」
ルイスが答える前に、低い声が響いた。
「その必要はない」
二人のずば抜けた反射神経が剣を抜くよりも早く、突如浮遊感が彼らを襲った。
「なっ、これはっ…!?」
ふっと視界が暗転し、次の瞬間戻った視界が捉えたのは、奇妙に近い天井だった。
「な…っ」
「!?」
回転する視界に、飾り気のない石壁、窓、本棚の上辺、テーブルや椅子の俯瞰図が小さく映る。悲鳴が上がった。
「っ、落ちてっ…」
次いで体にかかった負荷に、二人は状況を悟って身を丸め、回転させる。リディは風圧で離れかけたネーヴェをはっしと捕まえ、胸元に押し込んだ。胃がひっくり返りそうな落下感覚の後、体全体に痺れるほど重い衝撃が足の裏から伝わった。
「っつ…!」
直ぐには立ち直れない痛みを数秒でやり過ごし、ルイスとリディは立ち上がった。
そこは、塔の最上階と思しき部屋だった。少なくとも三階層くらいはある高さの天井には天窓が見える。周りの物の配置から、ほぼその天辺から落下したことが察せられ、二人はぞっとした。
「ほう。今の高さを難なくやり過ごすか。遣り手のようだな」
冷たくなんの感情も籠もらない声が響き、二人ははっと振り返った。そこには黒いローブを目深に被った男と――それに、名をアリーシャというらしい女性が口を両手で覆って立っていた。
「今のはお前か。何をした?」
ルイスが不気味な浮遊感を言及すると、男は嗤った。近くの床に描かれた魔術陣を指差す。
「転移魔術だ。驚いたか?」
「……」
驚かなかった、といえば大嘘に違いなかったが、二人は約一名のお陰で耐性がついていた。
「へえ…あいつ以外にそんな無茶苦茶なもん開発した奴がいるとはね。驚きだ」
慎重に驚きを隠しながらリディが言った。男は眉を上げたようだ。
「余以外にもいるのか。余は精々半径五キロが限界だが、その者はどうだ?」
「君の知ったことじゃない。私達が来たのは、そんな話の為じゃない」
ばっさり切り捨て、リディは強い眼で男を睨みつける。
「君がそのひとをここに閉じ込めてる奴だな?」
男は何も言わなかったが、その後ろにいるアリーシャの真っ青な顔からすれば、一目瞭然だった。
「どんな事情があるにせよ、監禁と脅迫は犯罪だ。大人しく解放しろ」
しかし、ルイスの宣告に男は大きく嗤い出した。耳障りとすらいえる哄笑に、リディもルイスも顔をしかめる。数秒後、唐突に嗤うのを止めた男は、僅かばかり愉快そうな色を声に混ぜて、二人の狩人を見返した。
「物事の全てを自分の定規で計るつもりか?」
嘲笑う声に、リディが言い返した。
「そこまで愚かでもないよ。…アリーシャさん」
茫然と立ち尽くしていたアリーシャは、その声にはっと我に返ったようだった。最早真っ白になった顔で、リディに食ってかかった。
「何故、またいらしたのですか!?二度と来ないで下さいと申し上げたはずです!」
「確かにね。だけど決めるのは私自身だ。…ルシアンが貴女を心配していた」
出し抜けに言われた言葉に、アリーシャははっと息を呑んだ。瞳が揺れる。
「あのひとは、あなた達との約束を守ってここには来ないけど。私達はそこまで素直じゃなくてね。どうせ流れの狩人だし」
「それでなくても、綺麗な花がこんなところでひっそりと枯れていくのは忍びない。お節介と言われようが、首突っ込ませて貰うぜ」
各々剣の柄に手をかけ、不敵に笑う。それに対し、ローブの男は呆れを交えて二人に問いかけた。
「本当にお節介だ。たかだか塔に閉じ込められた他人の為に、なぜそこまでする?」
リディは剣の柄に手を置いたまま、唇を更に吊り上げた。
「いいこと教えてあげようか。私達のパーティ名は、『自由時間』」
「『自由』を好み、なによりそれに敏感な人間だ――理由はそれで充分」
戦闘の気配を察して、リディの胸元からネーヴェが飛び降りアリーシャに走り寄る。そして足元で男に向かって威嚇し始めた。まるで男から彼女を守るようなその行動に、アリーシャは驚いた。
それをちらと一瞥したローブの男は再び感情を消した声で、淡々と言った。
「死ににゆくというならば、それもよかろう。かかってくるがいい」
ルイスとリディは目配せし、同時に剣を鞘から抜きはなった。ここしばらく使っていなかったそれらはしかし、主の手に再会できたことを喜ぶようにしっくりと馴染む。
「訓練は怠ってないだろうな、リディ?」
「誰に向かって言ってる?」
束の間軽口を叩き、そして二人は床を蹴った。
先手はリディ。身軽さを活かして高く跳躍し、重力を上乗せした勢いで男に剣を振り下ろした。男はそれを、ローブを払って上げた片腕の腕輪で受け止める。
「…やるね!」
「貴様もな」
高い音を立てて軋む剣と腕輪の競り合いからあっさりと剣を外し、リディは床に着地すると同時に左手の剣を横薙ぎに振るった。後退する男に、回り込んで迫っていたルイスが立て続けに斬撃を放つ。
「…ほう」
それを腕輪や結界で防いでいた男は、一つ感嘆と思しき吐息を吐き出した。
「口だけの愚か者共かと思っていたが。強いな」
「お褒めの言葉ありがとう…なっ!」
ルイスが不意に強く床を蹴りつけ、男の頭上を飛び越える。男が振り向くと同時にルイスは剣を切り上げ、同時にリディが男の背後から魔術を放った。
「…ほう!」
危うく自分を飲み込もうとした火を、男は水魔術で弾く。同時にルイスを結界で弾いた。
ルイスとリディはそれぞれ反対方向に跳びずさり、油断なく剣を構えた。
「ふむ。今までの輩とは格もなにもかも違うようだな」
「それはどうも」
落ち着いてリディが答えた。小手先調べはやはり必要なかったかもしれない。剣を持っていないが、この男は体術にも長けているようだし、なにより魔力がかなり高い。
「君ほどの人がなぜこんなところにいる?宮廷魔術師でもなんでも、よりどりみどりだろ」
「賞賛、光栄だ。その言葉そっくり返そう。何故狩人などやっている?」
「趣味」
一言で答え、リディは再び魔術を放った。鋭い風の刃が、かがんでよけた男の頭上を通り過ぎ壁に激突――はせず、一瞬淡く壁が輝いたかと思うと刃は消え失せた。
「…“消失”作用!?馬鹿な!」
リディは思わず叫んだ。あの結界の付随効果は、五属性を持つラグだからこそ成せるものだ。ありえない。
一瞬驚愕し、壁へ意識が逸れた隙を、突かれた。
「貴様、何者だ?何故そこまで、複数属性の結界について知っている?」
ふっ、と目の前に影が差したと思った次の瞬間。腹に凄まじい衝撃を食らい、リディは後方に吹っ飛んだ。本棚に激突し、遅れて凄まじい痛みが体を襲う。その頃になってようやく、リディは自分が蹴り飛ばされたのだと認識した。
「っ……」
「リディ!!貴様、よくもっ!――アイシィ!」
声もなく床に崩れ落ちたリディを見て、ルイスが激昂する。怒鳴るように精霊の名を呼び、無数の氷刃を空に出現させると、一斉に男目掛けて飛ばした。男はそれを難なく結界で防ぐ、が。
「まだだ!」
ルイスが飛ばした氷刃の中には、男に向かわず頭上を通り越していったものもあった。それを、ルイスは風を巻き起こすことで方向を逆転させ、背後から男を襲わせる。
舌打ちして身を翻した男に、今度はルイス自身の剣が迫った。
「…冷静だな、口調の割に」
呟いた男は、ギリギリでそれを腕輪で受け止める。真っ向から剣を振り下ろしたルイスは口角を上げた。金属がこすれ合い、耳障りな悲鳴めいた音が軋る。
「伊達に死線はくぐってないんでな!」
ぐっ、とルイスが一層力を込め――次の瞬間、パンと儚い音を立てて男の腕輪が砕け散った。
(貰った!)
男は手首を落とされる寸前で身を引いたが、体勢が崩れる。そしてそれをみすみす逃がすルイスではない。迷わず距離を詰め、剣の柄を男に向けて振り上げた。
しかし、その光景を見ながらリディが呻いた。
「駄目だ…」
アリーシャの足元でネーヴェが鳴く。アリーシャもまた、その光景に顔を青ざめさせ、目を見開いていた。
リディは身を丸めながら、必死に腕で上体を支え、声を振り絞る。同時にアリーシャも、悲鳴を上げた。
「ルイス、ダメだ…!」
「やめてっ……!」
男の首から紙一重のところで、ミスリルの柄頭が止まる。剣の主であるルイスは、目を見開いて動作を止めていた。
それは、リディの制止を受けたためでも、アリーシャの悲鳴を聴いたためでもなかった。
「――力はある。だが甘い」
そう言って、男はゆっくり立ち上がった。ルイスは動かない。動けない。
「博愛精神を発揮するのは結構だが、時と場合を選ぶべきだ。さもなくばこうなる」
ルイスの足元には、魔術環が浮かび上がっていた。恐らくは予め敷いてあったのを、魔力を流し込むことで発動させたのだ。
見えない鎖に雁字搦めにされるような感覚に、ルイスは顔を歪めた。それしか出来なかった。
(くっそ…!)
確かに刃を使っていればこの環には引っかからなかったかもしれなかった。でも、それはつまりこの男を殺すということだ。…それは余りに理不尽が過ぎる。…が、その考えが彼を窮地に陥れていた。
「…全く無茶苦茶だな…」
リディがよろめきながら立ち上がった。
まだ痛む腹から、無理矢理意識を遮断する。拾い上げた剣の片方を支えに、きっと男を睨む。
「転移魔術の次は、拘束結界?…天才ってやつは、ひとりじゃないんだね」
「…どうやら貴様の身近に天才がいるようだな。だが私は天才ではない」
男は淡々と述懐した。
「私は長年複数人に研究させただけだ。日の目を見ることはないと思うがな」
「…もったいないな。この成果を娘を閉じこめる為だけに使うっての?」
低い笑い声が響く。渦を巻く魔力の流れに、リディは腰を落とした。
「私の勝手だ。…ゆけ、ラクイア」
「っ、迎え撃て、フレイア!」
動けないルイスの眼前で、リディと男の魔術が真っ向からぶつかり合う。
「くっ…」
ルイスは必死に腕に力を込めたが、全くびくともしない。ならば魔術には魔術をと魔力を集中させたが、逆に愕然とした。
(魔力が吸い取られるだと!?)
恐らく、流出する魔力を環構成に還元する式を魔術環に組んでいるのだろうが、いくらなんでも無茶苦茶だ。拘束作用に加えそんなものまで組み込まれた魔術環など聞いたことがない。大体、魔術環自体、召還以外に滅多に使われるものではないのだ。
「しぶといな」
「こっちの台詞だ!」
真実手の打ちようが無く、なすすべなく見守るルイスを余所に、二人の闘いは拮抗していた。
――だがそれも異常な光景だった。
リディの魔力量は半端ではない。若干十歳にして『烈火の鬼姫』の名を冠したのは伊達ではない。魔術の扱いにしたって、そこらの魔術師なんかてんで歯が立たない。
その彼女が、魔力に加え剣術でもっても押し勝てない人間。
有り得ない、とルイスは心底思った。体術はともかく、魔力はトリックがあるとしか思えなかった。その時、ふっと感覚が何かを引っ掛ける。
(…ん?)
トリック。有り得ない魔力量。――ストック。
はっとして、ルイスは目を閉じた。周りの音、景色、苦痛、何もかも遮断し、目に見えない力の流れを感じるためだけに意識を集中する。
すぐ近くでぶつかり合う巨大な魔力。片方はよく知る少女のもので、もう一方は相対する男のもの。――が。
(……!違う!)
ルイスは更に感覚を研ぎ澄ませた。魔力の爆発すら意識の外に追いやり、細い糸を辿る。
(魔術の発動源は、確かにあの男からだ。だけど違う。魔力が汲み出されているのは、あの男の体からじゃない!)
魔力の流出源は――。
ルイスはカッと目を見開いた。そして自らの感覚と視界が一致した存在に――思考を止めた。
「――え?」
青ざめた白い顔。鮮やかな金の髪。翠の瞳。華奢な体躯。
(アリー、シャ、さん…?)
混乱の狭間に陥ったルイスを、しかし鈍い音が叩き戻した。
「ぐっ…!」
魔術が迫り負け、リディが反動で床に叩きつけられたのだ。衝撃で咄嗟に反応できない彼女の頭を、男が掴んで床に抑えつける。小さな頭が黒いローブに覆われ、細い手がそれを外そうともがく。
「ここまでだな」
男は勝利の喜びすらひとかけらも見せず、やはり淡々と言った。リディが魔力を込めようとした指先は、男がリディの頭を強く掴んで床に押し付けたことで空を滑る。弱々しく視界を泳いだ白い手に、ルイスは何もかも忘れて激昂した。
「やめろ!!」
残存魔力の爆発が、力任せに見えない鎖を引きちぎる。流石に男も驚愕したらしい。一瞬隙が出来た。
「――っああああ!」
その隙を見逃さず、リディが強く腕を振った。そこから生まれた風の刃が、男の頭目がけて空間を裂く。
「…っ」
男は俊敏にそれに反応したが、至近距離からのそれを完全にかわすことは出来ず、風の刃は男のフードを切り裂き、こめかみを掠めて飛んでいく。すかさず跳ね起きようとしたリディは、しかし目をこれ以上ないくらいに見開いて、動きを止めた。
「…え…?」
そして、拘束を解いたことで魔力を使い果たし、床に倒れたルイスも絶句した。
フードの下から現れた、少し褪せた金髪。深い森のような切れ長の翠の瞳。それらを収めた、年を重ねてもなお精悍さを伺わせる整った顔立ち。
それはアリーシャに酷似し――また別の誰かにもよく似――なにより、二人ともその顔を、目にしたことがあった。リディの口から言葉が零れる。
「…テーリア、前国王陛下?」
男は目を眇めた。次いで発生した風が、何の構えも取っていないリディと、さらにルイスを襲い、二人諸共壁に吹き飛ばした。
「ぁぐっ…」
「っうぁっ…!」
残っていた魔力、体力が一気に削ぎ落とされる。力なく床に崩れ落ちた二人に、ネーヴェが一際高く鳴いて駆け寄った。
その様を眺め、男はそうか…、と呟いた。
「見覚えがある。その赤い髪…『烈火の鬼姫』。それに、『氷の軍神』だな?」
二人は答えることすら出来なかった。だが男は構わず、成る程、と独りごちる。
「ならば納得も行こう。尋常でない魔力、身体能力、知識。そして私の顔も知っていること」
「な…んで、元国王ともあろう者が、こんなっ…ことを、してるっ…!」
途切れ途切れにルイスが呻いた。腕や脚に力が入らない。
「ていうか…なんで、幽閉なんかっ…王女だろ…!」
彼らを無表情に男は見やる。
…テーリア前国王、ヘイゼル。
奇しくもルイスもリディも、過去に彼に会ったことがあった。片や式典で、片や彼からの来訪で。
抜きん出た魔術の腕を持ち、研究も惜しまなかったと聞くかの王は、数年前に息子に王位を譲って以来、人前に出たことはないと伝え聞いていた。
だが。
「見損なった…!魔術師として、私はっ…ラグは、貴方を尊敬、してたのに!」
リディが叫んだ。彼女の幼なじみが唯一尊敬していた魔術師。それがこの王だった。力任せの魔術を好まず、緻密なコントロールを有すとして名高かった存在。彼を見て、ラグは研究者の道を選んだのだ。
しかしその言葉に心を動かされる気配もなく、ヘイゼルは肩を竦めた。そして何かを呟き手を振る。途端、ルイスとリディの体の上に見えない凄まじい力がかかり、思わず呻いた。
「かはっ…」
「それは残念だったな。だが私の預かり知るところではない」
そう言って一歩、倒れ伏す二人の方へ足を踏み出した。
「おやめください、お父様っ…!」
ついにアリーシャが駆け出した。ヘイゼルのローブに縋り、懇願する。
「私は逃げたりいたしません!それにこの方達が、お父様の仰る通りの方なら…!」
「黙っていろ」
煩わしげに振り払われた腕に、アリーシャは尻餅をつく。それでもなお追いすがろうとするアリーシャを、ヘイゼルは冷たく一瞥した。
「お前が口出しすることではない。他者の命乞いをするよりも、自らの存在を省みることだ」
「……っ」
アリーシャは父より明るい翠の瞳を目一杯見開くと、涙を溜めて俯いた。しかし、再びヘイゼルが歩もうとするのを見るや、きっと決然とした色を浮かべ、身を翻すと二人の前で手を広げた。
「ならば、私を代わりに殺してくださいませ!もともと本来ならばとうになかったこの命、惜しくはありません!」
ヘイゼルは目を眇め、顔を険しくした。その口から低い激昂が放たれる寸前、アリーシャの前に一つの小さな影が走り出る。
「……?ピュルマか」
シャーッと猫のような威嚇をする白い毛並みの小さな動物。それを、あの二人が連れているものだと認識したヘイゼルは、構わず近づこうとし――その瞬間、ピュルマの姿が変じたことに瞠目した。
――グルルルル…!
先程とは比べものにならない程の鋭い威嚇。そして、それを放つのはピュルマではなかった。
「り、竜…!?」
自らの前に立つそれを見上げ、アリーシャが驚愕に身を竦ませた。青みがかった白い体表を持つ竜――ネーヴェは、ただヘイゼルを睨み付けて動かない。
「…そうか…」
足を止め、ネーヴェとしばし睨み合ったヘイゼルは不意に視線を竜の背後に移した。納得と憐憫、それに形容しがたい色が目を通り過ぎる。
「成程。『原初の運命』ということか」
その単語に、最早薄れかけていたルイスとリディの視界が像を結んだ。
「…な、に…」
「確かによく見れば紅と黒。眉唾と思っていたが、存外本当だったわけだ。…ならば殺すわけにはいかないか」
微かに感心するような声音で言って、男は肩を竦めて手を振った。途端、ルイス達の足元に魔術環が浮かび上がり、同時にアリーシャが彼らから弾き飛ばされる。
「きゃっ…」
「自らに課された運命に感謝することだ。さもなくば貴様達は死んでいた。…これに懲りて、もう二度とここに訪れるな」
詠唱が紡がれ、魔術環が一層強い光を放つ。ネーヴェはヘイゼルを睨み付けたまま、動くことはしない。アリーシャは俯き、泣きそうに唇を噛み締めた。
「さらばだ」
その一言で、薄れつつあった視界が完全に白く染まり、ルイスとリディは浮遊感を最後に意識を失った。