第九話 砂漠の鳥籠 (2)
第九話 砂漠の鳥籠 (2)
「あ゛~…喉乾いたあー…」
「取りあえず飯…」
結局二人が、あの女性に示された街にたどり着いたのは日没間際だった。砂漠に数少なく存在するオアシスに作られた、名をミルーファというその街は、こぢんまりとはしているものの、多くの人が住んでいる賑わいがあった。
その中の一軒で食事を済ませ、二人は狩人協会へ向かおうとしたのだが、残念ながらこの街には狩人協会はなかった。街の人からそれを聞き、まああんまり大きい街じゃないから仕方ないかと諦めて宿を探す。幸い、金の心配はしばらくしなくて良さそうなくらいは、二人とも持ち出してきていた。
歩きながらリディがふと言った。
「そういえばさ。ルイス、あれから狩人協会に連絡入れた?」
あれから、の意味を考えてから、ルイスはいや、と首を振る。
「城抜け出せなかったからな。何もしてない」
「私もだよ…てことは、ちょっと面白いことになってるかもね」
「面白いこと?」
ふふ、と笑ったリディにルイスが問えば、肩を竦められた。
「だってほら、シュリアグランデで事件解決してから音沙汰なしなわけだろ?すわ死亡かって言われてたりして」
「んなまさか」
「まあ、なってたら面白いよねって話」
「まあ、面白いわな」
二人は、この時の冗談があまり冗談ではなかったことを後に知ることになるとは、今は思ってもみなかった。
「でも…何だったんだろうね?さっきの」
「さあな…この街の人間に聞いてみるか?あの塔に住んでる女はなんなんだって…」
ルイスが言い終わらないうちに、ドサドサっという何かが落ちる音が背後で響いた。
「?」
同時に二人が振り向くと、そこには茶色の髪にいかにもお人好しそうな顔立ちの青年が、手に持っていたと思しき紙袋を地面に落下させ、中身の林檎をごろごろと転がらせて、二人を呆然と見つめていた。
「?君、大丈…」
「会ったんですか!?」
棒のように突っ立っている彼を心配してリディが声をかけようとすると、突如青年は息を吹き返したかのごとく切羽詰まった形相でリディの肩を掴んだ。
びっくりしたリディが、目をしばしばと瞬くのを余所に、青年は必死に言い募る。
「教えてください!あなた達も塔を見たんですか入ったんですか!?彼女はどんな様子でしたか!?彼女に…」
「ストップ」
周りが見えていない様子でリディにしがみつく青年の頭を、ルイスががしっと掴んでべりっとリディから引き離した。心なしか冷ややかになった目で青年を見やる。
「お前は誰だ、あと何者だ。話はそれからだ」
ルイスの冷ややかな目と淡々とした口調に青年は我に返ったようだった。はっと周りを見回し、それからわわわ…!と慌てる。
「す、すみません!僕、興奮すると周りが見えなくなっちゃって」
「冷静になったならいい。それよりどういうことか教えてもらおうか」
「はい!狭いですけど僕の家にご招待します、こっちに…」
「あのさ」
歩き出そうとした青年に、ぽつりとリディが言った。
「足元、林檎…」
が、その矢先に彼女の視界からあまり逞しいとは言えない背が消え失せる。ついでどべしゃ、という情けない音が響いた。
「わわわわわっ!うわあああ~…」
「…遅かったか」
無惨にも林檎に足を滑らせ石畳に潰れた青年を前にして、ルイスとリディはなんともいえない目を互いに見交わした。
「…お見苦しいところをお見せしました。改めまして僕、ルシアンといいます。しがない治療術師をやっています」
二人が林檎を拾い集め、青年を助け起こしてから彼に案内されたのは、小さな診療所だった。
大陸共通の医療施設である神殿は、全ての街にあるわけではない。むしろ小さな街には、ないところの方が多い。そういう街では、治療術師達はこうして街のどこかに小さな診療所を持って、人々を治しているのだ。
「こちらこそ、お邪魔します。ていうかそのおでこ、大丈夫?治さないの」
リディは彼――ルシアンの額を指して言った。さっき転んだ拍子に擦りむいたのだ。傷は浅いが、額という目立つ場所のせいか、やたら痛々しくみえる。
「あ、いいんです。これくらいしょっちゅうなので」
しょっちゅうなのか。
二人の内心のツッコミはぴたりと一致した。
「それより――あなた達はあの塔を見たんですか?」
改まった声。そして青年の目には、必死さが浮かんでいた。
ルイスとリディはちらりと目を見交わし、ルイスが頷きを返した。
「ああ、見た。砂漠の真ん中で」
その答えを聞いた瞬間、ルシアンはへなへなと椅子の上で崩れ落ちた。
「ど、どうしたの?」
「よかった…」
半ば引きながら心配するリディに答えず、ルシアンは震える声音を吐き出した。
「実は…」
彼から聞き出したことを要約すると、こうだ。
ルシアンは元々この街の人間ではなく、他国から他国へと旅をしていたらしい。旅の途中で出会う人を治しては、また他国へ流れる日々。言わば流浪の治療術師だった。だがある時彼は、随伴していた隊商にこの砂漠で置き去りにされてしまう。持ち物もほぼ全部奪われて。
(多分隊商に化けた盗賊だったんだろうな…)
ルイスもリディも遠い目になったが、あえてツッコむことはしなかった。
金どころか水すら奪われたルシアン、しかし彼が初めて踏み込む無限砂漠に対抗できるはずもなく、相次ぐ砂嵐によって星導も見失い、彼はなすすべもなく砂漠で命を落としかけた。しかし、彼は砂嵐に飲まれて気絶したと思ったら、気づけばいずこかの塔の中にいたのだという。
「その塔で僕を救ってくれたのが、アリーシャさんなんです」
ルシアンの声色に混じったものに、これは…とルイスとリディは目を見交わした。
「アリーシャさんは見ず知らずの僕に食べ物や飲み物をくれて、介抱もしてくれたんです。彼女は僕の命の恩人です。それに、すごく豊富な知識を持っていて…あんなに楽しい会話はしたことがありませんでした」
「ちょっとひとつ」
リディが手を挙げた。
「そのアリーシャさんて、綺麗な金髪に翠の目の人?名前聞きそびれて」
「はい!あんな黄金みたいな髪、僕見たことなくて!目も緑柱石のようで…」
「あーはいわかった。要するに惚れちゃったわけだ、そのひとに」
ルシアンの顔は見物だった。浅黒い肌がそれとわかるほど赤く染まり、耳の先まで真っ赤に変化。のち、なんだかよくわからない奇声を発しながら椅子を蹴倒し立ち上がった。
「ほほほほ惚れっ…!?」
ヤバい、面白い。
またもルイスとリディの思考は一致した。
「お前、自分の顔鏡で見て見ろよ?一発でわかるぜ」
「まあ確かに綺麗なひとだったよねー」
にやにやしながらの二段攻撃に、ルシアンはなすすべもない。真っ赤な顔で口をぱくぱくするのが精一杯らしい。
「助けて貰って始まる運命の恋!ってか?なんか男女逆な気もするが」
「う、うんめっ…」
「ルイス、クサい。でも物語に出来そうだよね」
「まあちょっと脚色加えないとだけどな。実は塔の女性は隠された姫君で、男がそこから強引に攫う…的な」
「っ!?」
「それお約束っていう。でもま、一番大衆受けはするよね」
いいように遊ばれたルシアンは、もはや窒息寸前だった。
それを横目で見やった二人は、このあたりが潮時と悟り、「まあ冗談はこのへんにしといて」と話を区切った。
「で、君はなんで私達が塔を見たってだけでそんなに安心したの?…ルシアン?」
まだ赤い顔で唸っていたルシアンは、問いかけられたことではっと現実に戻って来た。
「あ、ええと、すみません…その、この街をアリーシャさんに教えてもらってやってきたんですが、誰も知らなかったんです…塔があるっていうことすら」
「…へえ?」
二人は姿勢を改めた。少しずつ、きな臭くなってきた。
「砂漠の真ん中に塔があるってことも、そこに人が住んでるってことも、誰も聞いたことがないって言われて。…僕は途方にくれました。僕は確かにあのひとに会ったのに、って」
椅子に座り直したルシアンは、膝に置いた掌を微かに握り締めた。
「僕は耐えきれなくなって…それに、もう一度アリーシャさんに逢いたくて。死ぬかもしれないとわかっていたけれど、また砂漠に行ったんです」
「でも、なかったと?」
ルイスが問えば、いいえ、とルシアンは首を横に振った。
「塔は、ありました。アリーシャさんにも逢えました。でも…」
ルシアンは声を詰まらせ、半ば囁くような調子で言った。
「また死にかけた僕をアリーシャさんは救ってくれました…でも、僕が目を覚ました時、塔にいたのはアリーシャさんだけじゃなかったんです」
「…というと?」
「…恐ろしい…男がいたんです」
あれ?これは間男鉢合わせってやつか?とルイスは思いかけたが、赤かったのが嘘であったかのように真っ青になって震え始めたルシアンに、その考えを霧消させる。
「黒いローブを着ていたので、顔は見えませんでしたが…恐らくは壮年の魔術士だと思います。僕も魔力は多少ありますから…。そして、僕は言われました。…『命が惜しければ、二度とここに近付くな』と」
しんと部屋は静まり返った。眉をひそめたリディが、
「それでそれっきりなの?」
と訊ねると、ルシアンはまた首を振った。
「僕もそれでは納得出来なくて。問い詰めたんです、なんで会っちゃいけないのか、とか街の人はなんで塔の存在を知らないのか、って。――そうしたら…」
いわく、男は嗤って言ったのだという。
『これはお前が逢っていいようなものではない。生まれた時より、その身に咎を背負いし人間なのだから』
「咎…?」
「僕もよくわかりません。ただ、それを訊こうとして…僕は、殺されかけました」
「……!」
すっと二人の目が細められる。いよいよ尋常でない。
「多分、風魔術の一種なのでしょうが…、見えない力に押しつぶされるような感覚でした。死ぬのかって思った次には、僕はアリーシャさんに庇われていました」
ルシアンは苦しそうに話し続ける。
「アリーシャさんは、僕の命乞いをしているみたいでした。私がここを出て行くことはないから、決して逃げたりしないからって」
そして泣きはらした顔で彼に言った。
『貴方と話すのはとても楽しかったわ。もう随分と、お父様以外と喋っていなかったから…。でも、もう二度と来ないで。私は貴方に死んで欲しくない』
「それから僕はあの男の人に頭を掴まれて、気付いたらこの街に戻ってきていました…一年程、前のことです」
「……」
「……」
ルシアンの話を聞き終え、ルイスとリディは黙り込んだ。しばらくしてリディが低い声で呟く。
「父親が娘を監禁してるってこと?」
「しかも、外との接触を一切禁じる?どこの過保護だ」
冗談めかしたルイスの目は、しかし決して笑っていない。
「今の話でわかった。あのひとは多分、街の人間の命を盾に取られてる」
ルシアンが驚く一方、リディは頷いた。
「逃げられない、ってこういう意味だったんだね。…最低なやつだな」
それからちらりとルイスを見やる。その視線の意味するところに、ルイスはひょいと肩を竦めた。その目が細く眇められる。
「イグナディアに急がなきゃならないのは確かだが、これを放置してくのは性に合わねえな。…家庭訪問といきますか」
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翌日の昼過ぎ、ルイスとリディは再びネーヴェに乗って飛び立った。ただし、旅の荷物や余計なものはまとめてルシアンに預け、戦闘に備えた用意をした格好でだ。
「しかし、本当に父娘だと思う?」
リディが言った。ルシアンを疑うわけではないが、父が娘を、他人を殺すと脅してまで外界と遮断するというのは、些か想像力を超える。
「さあな…俺達はとりあえず、必要とあらば戦うだけだ」
昨夜のルシアンを思い出す。
二人は昨夜、ルシアン宅に泊まらせて貰ったのだが、ルシアンは最後まで塔に行こうとする二人を止めようとした。真っ青な顔で、それこそ寝る直前まで。
それだけでも、彼がどんな恐怖を覚えたのかわかるが、二人に退く気はなかった。
その時、彼らの行く手に巨大な砂嵐が出現した。見えたのではない。つまり、なんらかのトラップになっていると考えてもよさそうだ。
「あれだな。行けるか?」
ルイスは少し目を細めてそれを確認すると、跨るネーヴェに問いかけた。ネーヴェが軽く唸る。リディは一瞬沈黙し、ちらと振り向くと不敵に笑った。
「誰に言ってる、ってさ。――防御結界は頼んだ」
砂嵐が急速に近付いてきて、一行に牙を剥く。ルイスは今度は何も言わずに風属性の結界を展開した。
「――ネーヴェ、行くよ!」
応じるネーヴェの咆哮と共に、彼らは砂嵐に突っ込んだ。