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番外編 過去の記憶 (1) リディの場合

というわけでちょっとした過去編です。ほんとにちょっと。

兄視点。(サーレクリフの双子の弟)

番外編 過去の記憶 (1) リディの場合







 僕には妹がいる。

 正確に家族構成を言えば、父母と、三つ上の姉と同い年の兄、それから五つ下、十六歳の妹だけど。

妹の名はリディエーリア・リィ・オルディアン・エルクイーン。僕と同じくオルディアン筆頭公爵家の血を継ぎ、諸事情で王位継承権も持つ。


 妹は、自慢だけどとっても可愛い。一族――いや、この国中探しても一番の鮮やかで薔薇のように美しい真紅の髪に、小さい白い顔は完璧な位置で顔のパーツが並んでいる。オルディアン王家特有の金色の瞳は猫のように愛らしく、くるくると変わる表情はいくらみても飽きない。健やかに伸びた、女性にしては少し高めの背と、――まあちょっと――いやかなり――凹凸は足りないけど、均整の取れた、細くしなやかな肢体。

 兄の欲目を差し引いたって、充分を軽く越える魅力的な少女だ。


 だがしかし。


「キース、手を抜くな!」

「抜いてません。姫様こそなんで魔術使わないんですか」

「君が使ってないからだ!」


 ――僕がいる部屋の真下には、鍛錬場がある。念の為いうと、鍛錬場とは、騎士や男の貴族が腕を磨く場のこと。

 けれど今、金属音と共に威勢良く響いてくるのは、女性にしては少し低めではあるが、明らかに男のものではない凜とした高い声だ。


「大体姫様、なんで男装ですか。言葉遣いはもう諦めましたが、ヘーベル先生にお叱りを受けたばかりなのでしょう?そのままでは社交界に出られませんよ」

「私が社交界に出たいとでも?今更だね」

「社交界に出ても出なくても、普通女性はドレスを着ます」


 言ってやれ、キース。


 僕は内心でエールを送った。


 妹の護衛騎士、キース・ハンベルグ。まだ若いながらも、この国の十指に入る優秀な騎士であり、また魔術士でもある。残念ながら治療魔力はないが、魔術と剣、両方を扱いかつ実力の高い者でのみ構成される『魔騎士団』に所属している。ちなみにこれはオルディアンの最高にして最終戦力で、国家機密だ。


 しかしキースは大変な皮肉屋で、いつもリディを怒らせていることもまた、公爵家では有名な話だった。

 今日も眼下で、剣を交えながらの言い争いが続いている。


「ドレスなんか着たら剣振れないだろ」

「普通女性は剣を持ちません」

「じゃあ母上はどうなるの」

「あの方が母上だからといってご自分も剣を振る理由にはなりませんよ、リディ様」

「女が剣を振らない理由もない。剣は男のものだって誰が決めた?」


 嘲笑うような調子に、おや、と思う。リディのあのような口調は、珍しい。


「…男の方が力が強いし、頑丈だからですよ」


 キースもそれを感じているらしい。皮肉は控えられ、歯切れも悪い。対するリディは、完全に挑戦的だった。


「だから?――私に力以外の身体能力では負ける癖によく言う――魔術に至っては言うまでもない」


 嘲笑――それは紛れもなく、キースにではなく、自らに対する類のもので。


「……」


 僕は唇を噛み、キースも動揺したのが見えた。


「――今日はこれで終わりにするよ」


 歪んだ笑いを浮かべた妹は、そう口にしてキースの剣を弾き返し、自らの双剣を鞘に収めると、僕の視界から消えた。反射的にその背を追おうとしたキースを、同じリディの護衛騎士のひとり、クリスが止めた。代わりにアイコンタクトで、数少ない女性騎士であるマリアが追っていくのが見えた。

 重苦しい雰囲気が立ち込める眼下に、その時になってようやく僕は思い出す。


「…そうか…」


 今日は――あの日だ。













 九年前――オルディアンは、隣国ゼノと戦になった。戦といっても、半ばゼノの奇襲のようなもので、完全に不意をうたれた僕達(オルディアン)は、国力の差にも関わらず劣勢に立たされたのだ。

 僕達はその時、たまたま休暇で国境近くの街ラスランにいた。しかしそこにあっという間に戦線は迫り、要塞ではない、大した軍備を持たぬ街は恐慌に陥った。

 貴族でありながら強力な騎士として名を馳せていた父上も母上も、僕達には逃げるように指示し、戦うことを選択した。


 その時リディはまだ七歳で、僕とクリフは十二、姉上は十五だった。でも僕とクリフはそこにいた武官よりも武術の才があったから、母上達に怒られるのは解っていたけど、残ることを決めた。


 そして、荒事が得手ではない姉上と幼いリディに、二人で逃げるよう言った時、リディがぽつんと呟いたのだ。


「父上達も、兄上達も、死んじゃうの?」


――と。


 咄嗟に誰も何も言えなかった。僕達は王族の血を継ぐ者として、普通の者より遥かに強かったけれど、残念なことに、誰も魔術は得意でなかった。父上と母上は単に相性、僕とクリフは鍛錬不足で。

 我が家で魔術が得意なのは、アルフィーノに嫁いだ叔母上と、何より圧倒的に――リディだったのだ。

 リディは幼い頃から、その才を発露していた。圧倒的な戦闘センス。その一言に尽きるだろう。同じく天才の王太子を除く他の王族の追随を許さぬ、膨大な魔力と発現力。僅か四歳にして宮廷魔術士が匙を投げた、所謂異端児だった。


 この時のような、戦力差が甚大な戦闘において物を言うのは魔術である。けれど生憎とラスランには大した魔術師はおらず、父上達は白兵戦を挑む気でいた。

 父上も母上も、強い。一人でも、十人や二十人なら平気で倒す。それでも戦場は――違う。弓もあり、相手の魔術もあり、戦力差は十や二十ではない。

 必ず死ぬとは言わないが、死なないともまた、とても言えなかった。


 僕達の沈黙に、リディは幼い顔をくしゃりと歪めると、小さく、解った、と言った。


 僕達が逃げる訳にはいかないのだ、ということを理解したのだと思って、僕は、嬉しいような悲しいようなで複雑だった。王族としての誇り、責任の重さ――。それを理解する幼い妹が聡いことに安堵すればいいのか、そんな思いをさせてしまうことを嘆けばいいのか、わからなくて。


 けれど、違った。妹の「解った」は全く意味が違ったのだ。


「敵が、いなくなれば…兄上達は、死なない、よね」


 ――意味が解らなかった。その場にいた誰もが、小さな少女の呟きの意図が、読めなかったのだ。


 皆が混乱している内に、ふいとリディは顔を外壁に向けると、彼女の風精霊の名を喚んで、あっという間にその場から消える。いち早く我に返ったのは姉上で、半分パニックになりながらそれを追っていった。僕もはっとした。


「まさか――ヤバい、クリフ、あの子――」


 ――嫌な予感は、的中した。


 その日リディは、才能を爆発させた。寒気がするような量の魔力を注ぎ込み、火魔術を発動させ――ゼノの軍を、焼き払った。千に及ぶ兵が文字通り消し炭となり、その倍近くの兵が死傷した。

 ゼノの軍は散り散りに敗走し、その間にオルディアンは体勢を立て直すと、リディに恐れをなしたゼノ兵を早々に鎮圧した。

 リディはというと、強大な火を放ったあと丸三日寝込んだ。ろくな制御もせず、力だけで魔力を解放したせいだという。


 しかし、回復後――リディの顔に、最早幼い純真さはなかった。


 人の命をその手で奪い、消し去った。


 その事実は、少女から容易く幼い心を拭い去ってしまったのだ。

 しかもリディは僕達に黙って停戦調停に同行し、ゼノに釘すら刺してきたらしい。次はない、と。

 到底、七歳の子供の行動ではなかった。

 そしてこの出来事により、妹にはあの忌まわしい名がついてしまったのだ。


 何もかも焼き尽くす、煉獄の姫――『烈火の鬼姫』と。




 母上達は、リディを一言も責めなかった。誰も予期しない中勝手に行動し、独りでゼノ兵を壊滅させたことも、停戦調停についていったことも。ただ、娘を抱き締め、黙って頭を撫でた。

 僕達は何も言えなかった。まだまだ幼かったはずの妹が直面してしまった『現実』に、向き合うことすらできなくて。――悔しかった。でも、――何も出来なかった。


 リディは戦後しばらく殆ど口を利かず、部屋に閉じこもってばかりいたが、やがて段々と自分を取り戻し、笑顔を顔に浮かべていった。


 けれど――決定的に変わってしまったことが一つある。


 それまでリディは、武術も好きではあったが、少女らしくお洒落にも興味があった。綺麗な宝飾や可愛らしいドレスを見れば喜び、一通り礼儀作法をマスターする程、令嬢らしさも持ち合わせていた。

 なのに、その一件以来、リディはそれらに見向きもしなくなってしまった。


 ひたすら魔術と武術に打ち込み、ドレスや宝飾にはまるで興味を無くした。礼儀作法だけは僕やクリフのしつこい言いつけに辟易したらしく、学び続けたけれど、決して着飾ったり、社交界に出たりしようとはしなかった。

 それは、オルディアンの重臣達が皆彼女が『烈火の鬼姫』ということを知っている為だけではなく――リディ自身が、自らを律しているようですらあった。


 …もっとも、そのうち服装に関しては本当に嫌いになってしまったらしいが。


 僕達もそれをなんとかしようと、リディを色々連れ回したのだけれど。功を奏したのは、どこかズレた姉上が連れて行った賭博場(カジノ)だけだった。…父上が泣いた。


 そして未だにリディは、ゼノと戦があった時期になると、様子がおかしくなる。彼女の中ではまだ、あの時から動けていないのかもしれない。


 それはとても歯痒いけれど――僕にはもう、どうしようもなかった。











 そんなことのあった、二ヶ月後。かくて嵐は、訪れる。


「リディエーリア。話がある」


 妹の十七歳の誕生日。和やかな家族団欒の最中、唐突にそう父上がリディを呼ばわった。


「なんですか?父上」


 母上たっての希望で、今日だけはとドレスを着ているリディは、笑顔で父上を振り返る。それに対し、父上は数秒の逡巡の後、諦めたように息を吐くと、リディに向かって何やら数枚の紙を差し出した。


「お前も十七になった。…そろそろ相手を見繕え、とのお達しだ」


 空気が音を立てて凍りついた。僕達に背を向けているリディの纏う雰囲気が硬質化したのが、目に見えてわかる。


 …っていうか父上、何それ聞いてないよ!?相手って…つまり婚約者とか!?は!?いきなり何の話してるのさ!!


「…どういうことですか、父上」


 先程までの笑顔を消した姉上が、低い声で父上を問い質した。まったくもって同感だ。


「…城の大臣達からだ。お前と同年代の諸王族、大貴族の資料だ。目は通しておけ」


 その言い方で、婉曲に父上はリディに「無視してかまわん」と言っているのだと僕達は悟った。そりゃそうだろう。姉上は…まあ、あの人じゃしょうがないとはいえ、大切な二人娘。やりたくないに違いない。

 しばらく押し黙っていたリディは、不意ににっこりと笑った。見えていた姉上曰くだけど。


「わかりました。目は通しておきます」


 後から思い返すと、妹が一瞬で表情をにこやかに切り替え、不気味な程素直に父上の言葉に頷いた時点で、疑問を感じるべきなのだったと思う。だけど僕も情けないことに動揺していたらしい、その時勘づけなかったのは一生の後悔だ。


 金色の眼をにっこり細めたリディは、その後いつも通り談笑し、いつも通り自室に下がり、いつも通り眠った――筈だった。


 が。

 翌朝。


「ユーリ様!リ、リディエーリア様がいらっしゃいません!!」


 部屋で仕事をしていた僕の元に飛び込んできたメイドの真っ青な顔に、驚愕した一方で、どこか納得してしまった自分がいたのは確かだ。


「昨日は早くお休みになられたのですが――今日は休日だから寝たいだけ寝る、起こすなと言付かっておりまして――でもそろそろお起こししようと思ってお部屋を覗きました所――」


 当の主はどこにもいない、もぬけの殻の様相を呈していた、とのことらしい。とりあえず兵士に城内捜索と、城下町への手配を命じて、僕は駆けつけたクリフと一緒にリディの部屋に入った。

 綺麗に片づけられた部屋は、いつ見ても年頃の女らしくなくシンプルで、本人の気性を伺わせる。

 部屋をぐるりと見回して、ふと目に留まった卓に近付いて、そこに積み重なった書類と手紙と、赤い糸の束を見出した。

 書類は昨日の男の写真群で――ぶっちゃけめくった形跡すらない。手紙を開くと、こうあった。


『昨日のお話を受け、よくわかりました。やはり私は貴族に向いていないようです。私はここを出て行きます。結婚なんて御免被ります。今までお世話になりました。さようなら。リディエーリア』


「…の、馬鹿」


 クリフが低く呻いて額を抑える。リディは気付かなかったのだ、昨日の父上の言い回しに。鈍い妹相手に、あんな婉曲表現をすべきではなかったのだ。

 そして続きがあるのに気付いて読み進めた。


『追伸 恥とお思いになるのなら死んだ事にでもなさって下さい。髪を置いていきますので』


 ぎょっとして僕は横にあった束を見た。気付いてしまえばどう見ても、女の艶のある髪だ。リディエーリアの髪。令嬢らしさの欠片もなくなり、礼儀作法だけは完璧の代わり言動、趣味、やることなすこと男になってしまった妹が唯一残していた女らしさであった、長い赤い綺麗な髪。――それが、綺麗にそっくり卓の上にあるのだ。彼女の髪の長さはこの分では、肩にかかるか否かくらい――


「アホかお前は―――――!!!」


 僕は大音声で叫んで、手紙を力一杯壁に投げつけたのだった。
















「…逃げられた、かな?」


 屋敷から大分離れた、森に程近い丘で、リディは馬の足を返して首を傾げた。肩より少し上までの長さになった赤い髪を無造作に風に揺らし、いつも好んで着ていた軽装に身を包んでいる今、どこからどう見ても王族に近い大貴族の令嬢には見えない。


 目を細めて遠くを見る。今朝方まだ夜も開けない内に後にした故郷は、彼女の目を持ってしても、もう霞んでしまって見えない。


「……」


 微かに息をついて、リディはくしゃりと前髪を丸めた。


 いつまでこの逃亡劇が続くかは解らない。いつ追っ手に捕まるかはわからない。

 でも、自分から戻る気は更々なかった。故郷は好きだ。家族も、場所も、そこに住まう人々も。でも自分が自分でいられなくなる位なら。

 そんな日が来る事を、薄々リディはわかっていた。来た事を知った瞬間、リディの体は逃れる事を選んだのだ。こっそり常に準備しておいた旅支度を完成させて、最低限の処理をして。


「…親不孝と、お思いになるでしょうね」


 父に悪気はないのだ。リディに女としての幸せを与えたいと、真剣に案じてくれただけ。ただそれを、リディが受け入れられなかっただけ。


 ――あの時、一方的にたくさんの命を奪ってしまった自分が、今更武人として以外、生きる資格などありはしない。彼女はもう、戦いに身をおくことでしか、生きられないのだ。


 だからその意志を示すように髪を置いてきた。長く背に重みをもたらしていたそれが無くなった今、酷く頭が軽く感じる。首筋に寒さを感じて、頭巾の代わりにしようと思っていた布を首に巻く。それはマフラーのように風に靡いて、その感触が気に入ったリディは、次の街できちんとしたものを買おうと決める。


「…さよなら」


 目を閉じて、思いを振り切るように呟くと、リディは馬の手綱を引いて身を翻した。そのまま深い森に足を踏み入れていく。馬の上でぴんと伸びたその後ろ姿は、もう二度と振り返ることはなかった。







 その姿を、少し離れた所から、一人見ていた者があった。小柄な姿は長いマントとフードな覆われ、男か女かすらわからない。その口元が弧を描き、嗄れた声が紡がれる。


「紅の運命は動き出した。黒もまた、直に――。さて、楽しみなものじゃ」


 心底楽しそうに言うと、ふふ、と笑う。と、一陣の風が吹いて――過ぎ去った頃には、そこには誰の姿もなくなっていた。


前半の視点はリディの兄で、ユーリヴィルスといいます。王太子の代わりにオルディアン各地にトバされてるかわいそうな人です。

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