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第八話 発覚と未来 (4)

第八話 発覚と未来(4)








 サーレクリフ・ロウ・オルディアン・エルクイーンという人物の評を、彼をよく知る人に訊いたなら、大抵「掴めない」「読めない」という言葉を聞くことになるだろう。


 しかし、今目の前で繰り広げられる光景に、エーデルシアスの面々の頭の中からはそんな言葉は抹消されていた。


「今までどこにいたんだいいいい――!僕がどれだけ心配したと――!?」

「……」

「ああ、こんなに痩せて――じゃない、大体なんでエーデルシアス(ここ)に――」

「やかましいっ!」


 リディは突然キレた。逆ギレした。


「あのヴィンセント(バカ王太子)じゃないのはまあ当たり前として、なんでクリフ兄なんだよ!?確かに社交性が大いにあるのは認めるけど!!」


 それってもの凄くこういう場に向いてるんじゃ、ていうか自国の王子を馬鹿呼ばわりっていいのか、と皆同時に思った。


「ははは、嬉しいことを言ってくれるね。僕としても王族その他の麗しい方達に会えるのが楽しみでね」

「――っからあんたはその女たらしをどーにかしてから外交を語れ――!」


 …どっちが悪いのかわからなくなってきた。ていうか顔そのまんま女たらしなのか。

 とエーデルシアス一同は思った。


 が、不意にサーレクリフの顔が真面目になる。


「今は僕のことはどうでもいい。君が今どうしてここにいるのか、僕は訊いてるんだよ」


 軽薄さの一切が吹き払われたような声だった。場に静けさが戻る。はっきりとリディが唇を噛んだ。


「…まあ、サーレクリフ殿」


 その空気を和らげたのは、国王シージスだった。軽く苦笑して手を上げる。


「その件については私の愚息も絡んでいるのでな。また後にして――そのお嬢さんは貴殿の妹なのかな?」


 サーレクリフはきょとんとした。愚息?と呟いてルイスを見やる。ルイスはなんとも言えない笑いを浮かべた。次いでリディを見やる。目を逸らされた。


「…リディ。君はその…まさか名乗ってないのかい?」

「…名乗りましたよ。『リディ・レリア』って」


 サーレクリフは天を仰いだ。


「母上の愛称を家名にしたの?それは名乗ったとは言わないよ」

「……」


 リディはそっぽを向いたままだった。彼女にとってこの事態は完全に計算外だった。こうならない為に、ルイスの助けも得て街に出ようと思っていたのに――。


「リディエーリア。例えもう素性が割れていても、名乗るのが礼儀だよ」


 少し厳しくなったサーレクリフの言葉に、諦めたらしい。リディは不機嫌な表情を無理矢理消して、国王に向き直った。傍でずっと呆気に取られていたルイスは、その様子を目の当たりにして知らず息を呑む。

 リディは流れるような仕草で膝をついて頭を垂れ、淡々と名乗った。


「…名乗りが遅れ、大変申し訳ございません。私はオルディアン、エルクイーン家が末子、リディエーリア・リィ・オルディアン・エルクイーンと申します。…以後、お見知り置きを」
















「…成程。だからヴィルヘルム殿と繋がりがあったんですねー」


 静寂が降りた広間に、不意にまだ声変わりのしていない幼い声が響く。見れば、玉座の横合いから、杖を突いた白髪の青年と、薄墨色の髪である点と年齢を除いてルイスそっくりの少年が入ってきていた。


「…兄上…それに、エデルも」


 ルイスが呟く。それでリディは、白髪の青年がエーデルシアスの王太子、並びにその隣の少年が彼の弟応じなのだと悟った。


「お久しぶりですー、兄上。初めまして、えーと、リディエーリアさん?僕はエデルフィオ・エーデルシアスです」

「…お初にお目にかかります」


 リディは弟王子に礼を取ったままながらも、王太子であるその青年の躯の細さに気づく。健康的に細いのではない。白い髪は少し引っ張れば切れてしまいそうに細く、整った顔は、文系では済まされない程弱々しい。肌は異様なまでに白く、折れそうな程に厚みがないのだ。


 ――そういえば、エーデルシアスの王太子は病弱だと聞いた覚えがある。その聡明過ぎる頭脳を与えられた代わりに、足を与えられなかったのだ、と冗談混じりにあの男が言っていた。その時は不謹慎だ、と殴り飛ばしたのだが…今は、その意味が解る。


(なら…ルイス、君の『理由』はもしかして)


 視界の隅で俯いているルイスに、リディは内心でため息を吐いた。


(…苦労、してるんだね)


「そうだ、リディ、ヴィルヘルム殿と会ったの?彼、何訊いてもだんまり決め込んでたらしいんだけど」


 飛びかけたリディの思考を、サーレクリフの声が繋ぎ止めた。そして台詞の意味を理解すると同時に少し笑う。


「約束、守ってくれたんだ…でも、エデル殿下といいましたか。何故、そのことを?」


 少年――エデルは悪戯っぽく微笑む。なんとなく間延びするしゃべり方だ。しかしそれは人を苛立たせるものではなく、優しさを感じさせる。


「ビグナリオンの式典でお会いしましてー。ヴィルヘルム殿は何もおっしゃいませんでしたよ。それこそ何かあるんだなーって勘ぐれるくらい。代わりに、エリオット殿がぶっ倒れられましてー」

「「……」」


 あの馬鹿。


 リディとルイスは揃って顔をひきつらせた。…まあ、エデルとルイスはそっくりだ。無理もない。


 国王シージスはごほんと咳払いした。第三王子の茶々で話がズレたが、本題はそこではないのだ。


「エルクイーン公爵家の次女殿、でよろしいか」


 リディは少し眉を寄せ、いかにも渋々、といった風に頷いた。


「風の噂では、オルディアン王位継承権第六位の少女は体が弱く、社交界に滅多に姿を現さない、と聞いたのだが」


 目に見えて、オルディアンの兄妹はうっと詰まった。


「見たとこ真逆ですね」


 くすり、と初めて王太子がこの場で発言した。自然、その場の注意は彼に集まる。王太子はにこりと笑うと、杖をつくぎこちなさを殆ど感じさせない優雅な礼をした。


「初めまして、リディエーリア嬢。私はエーデルシアス王太子、シルファーレイ・アレシウス・ロウ・キリグライト・エーデルシアス。弟が世話になりました。お礼を」

「…いえ。勿体無いお言葉です」


 その立ち居振る舞い、発声の仕方だけで、リディには彼が紛れもなくエーデルシアスの後継者だというのを理解した。一瞬で表面の脆弱な印象が拭い去られた。相対した者に絶対的な服従感を与える、王者の覇気――それを確かにこの青年は有していた。


(あの馬鹿にも爪の垢煎じて呑ませたい)


 奇しくも自国の王太子と比較してのその感想が、初めてシルファーレイと相対した時サーレクリフが持ったものと全く同じであったことは誰も知らない。


「まあ訊きたいことは様々あれ――とりあえず可及的速やかにすべきことは、二人共まずは採寸ですね」

「は?」


 採寸? とルイスもリディも疑問符を浮かべた。そこに、にっこりとサーレクリフの追撃が入る。


「知ってるとは思うけど――王女殿下の誕生式典、三日後なんだよねえ」

「……っ!!」


 ようやく言わんとすることを察し、二人の顔が瞬間的に青ざめる。しかし退路は既に断たれていた。


「ちょ、クリフ兄!」

「って離せパリス!」


 同時に踵返そうとした二人を、それぞれサーレクリフ、騎士が羽交い締めにする。騎士の方はリディをこの場所に連行した地味な青年だ。申し訳なさそうにしながらも、しっかとルイスを捕えている。

 一方サーレクリフは物凄く楽しそうにシルファーレイに言った。ノロケた。


「この子、僕が言うのもなんだけどすっごく綺麗でしょう。昔から頑張ってパーティーに出させようとしてたんだけどねえ…クロナ姉上といいリディといいパーティーホント嫌いで。だから久々に着飾らせる機会くれてありがとう、レイ」

「お安い御用だよ、クリフ。二人が採寸してる間に、配布寸前の参加者名簿書き換えておくからね。騎士団、絶対逃がすな。逃がしたら一週間書類仕事だ」

「はっ!命にかえても!!」


 一斉にその場にいた騎士が敬礼した。ヤケに気合いが入っているのはなぜだ。リディ達としてはそんな意味不明の命令に敬礼はしてほしくなかった。










 それからその一日のことは、返す返すも思い出したくない、と二人は後に語る。


 風呂に放り込まれ、旅の汚れを徹底的に洗われ磨かれ、体の隅から隅まで採寸し、精魂尽き果てた所に食事と称して根掘り葉掘り旅の話を吐かされた。王妃の姿は無かったが、産後の経過で大事を取って療養しているのだと聞いた。


 話は、無論、ルイスもリディも語るべきでないこと――セティスゲルダや竜との遭遇――については全くおくびにも出さなかったが、それ以外は洗いざらい喋らされたと言っていい。特にゼノの王位交代劇の話については執拗で、リディは自らの『正体』についてポロッとバレないよう必死だった。ルイスはルイスで歯切れが悪く、いつもの回転の速さが発揮されていなかった為、しどろもどろにならないようにするのが精一杯だった。











 食事が終わり、オルディアンの公爵家兄妹が退出してから、ようやくルイスは父、兄、弟と向き合った。


「改めて。よくぞ無事で帰った、ルイシアス」

「…申し訳、ありませんでした」


 父の言葉に、ルイスは返す言葉もなく頭を下げる。彼なりの目的は多々あれど――彼が王族たる義務を捨て、出奔したのは事実。ここで廃嫡されたとしても、彼は文句は言えない。けれどこの優しい家族がそれをすることはないだろうということもまた、解っていた。


「お前の一年間の不在は、諸国漫遊ということにしておいた」


 ルイスは無言で顎を引いた。…妥当な設定だ。


「真相を知るのは王家、宰相、騎士団上層部のみだ。諸貴族やその他の者は皆そう信じているから、違和感を持たせないように」

「はい」

「お前は明日から書類に騎士団の訓練、その他いくらでもある仕事に取り組んでもらう。出来るな」

「――はい」


 父は、優しいが甘くはない。文字通りこきつかわれるだろう。だがそれくらいの罰は甘受して当然だ。


「今日の所は休め。まだ体も本調子ではないだろう」

「わかりました」


 一言も言い返さずに頷いて踵を返したルイスの背に、それまで何も言わなかったシルファーレイが声をかけた。


「ルイシアス。君がくれた時間は、ちゃんと活かした」


 ルイスの足が止まる。シルファーレイはにっこり笑って、おいで、と言った。


 数秒の沈黙の後、ルイスはゆっくり振り向いて椅子に座すシルファーレイに歩み寄り、跪く。記憶にあるより更に儚げに見える兄に、ほんの少し眉を歪めた。


「本当に、君は不器用だ。そこらの官僚には及びもつかない能力を持ちながら、いつも自分が傷つく道ばかりを選ぶ。僕がどれだけ君を心配してるか、わかってる?」


 ルイスは唇を噛み締めた。わかっている、そんなことは。けれど自分がいるからこそ、兄の立場は危うくなる。兄は本来なら、誰の追随も許さない明晰さで、穏やかに君主となるはずなのに。中途半端に才能があるせいで、『健康体』であるだけで、ルイスの存在は兄を脅かす。そうする位ならこの才能など、要らなかった。

 本人の自覚無しにくしゃりと歪められた顔を見て、シルファーレイは全く、と女よりもか細い手を弟に伸ばした。


「またそう自虐的な顔をする。…僕は君の兄なんだよ。少しは信用しなさい」

「俺は兄上を信用してなくなど…!」

「わかってるよ。君は心配性が過ぎる」


 ぐしゃぐしゃと、一族の誰よりも黒く艶やかな髪を撫でる。子供の時から、シルファーレイがこれをやると、何故か必ずルイシアスは黙ってされるがままになった。


「でも、今回ばかりは僕もエデルも、父上も母上も心配した。実際危険な目に何度か遭っていたようだし。…でも、無事でよかった」


 囁いて、シルファーレイはそっと弟の頭を抱き寄せる。


「お帰り、ルイス」

 ルイスは兄の薄い肩に頭を押し付け、抱き返しながら小さく言った。

「…ただいま、帰りました…」









――――――――――――――――




 主不在の部屋を守っていたエルクイーン家の騎士達は、エーデルシアス国王との会食を終えて帰ってきたサーレクリフが連れ帰ってきた少女を見て、仰天した。


「姫様!?」

「あーうん。久しぶり」


 どこか投げ遣りにリディは応じる。それに対して騎士達は眼を白黒させて混乱する頭を整理しようと試みる。が、割と無駄だった。


 一年程前に姿を眩ました、第一級国家機密の彼らの姫。いなくなったと知れた時には、彼女に関わる者達全員が蒼白になった。が――なぜこんなところにいるのか皆目見当がつかない。


「姫様が何故ここに」

「うん、後で話すよ。今は人払いを頼むね」


 詰め寄ろうとした騎士達を、サーレクリフは笑顔でいなす。そして命令通りに兄妹以外いなくなった部屋で、サーレクリフとリディは向かい合った。


「キース達が、マリナリオで君の足取りが掴めなくなったと言っていたから…心配したよ」


 切り出された言葉に、リディは無言を返した。


「それまで追えていたのに、不意に途切れたって。どうしてたんだい?」

「色々協力してもらったから。追っ手がいるのはわかってたし」


 淡々と答えた少女に、反省の色は見えない。もともとルイスと違って、彼女はただの公爵令嬢だ。負う責任はさしてない。…普通なら。

 静かに、サーレクリフは自分とよく似た金の双眸を見据える。


「…君は自分が『誰』か忘れた訳ではないよね」


 リディは黙った。少ししてから、声を絞り出す。


「…忘れてなんか、ないよ」


 忘れてなどいない。忘れられるはずがない。彼女は『存在』が国家に対する義務だからだ。

 ラグと並ぶ、オルディアンの最後の切り札――それが『烈火の鬼姫(彼女)』だ。


「…そうまでして、嫌だった?婚姻」

「うん」


 兄の問い掛けに、即座にリディエーリアは頷いた。


 ルイスのように、何かを苦慮した訳ではない。彼女の理由は傲慢で身勝手だ。それがわかっていながら、彼女はなお意志を曲げなかった。


「婚姻なんてごめんだ。父上に伝えて。もし強引なことする気なら、頭の毛全部燃やしてやるって」


 …恐ろしい沈黙が落ちた。彼らの父、オルディアン王弟ディオールは、残念ながら頭の毛根に血筋的に大いに不安がある。現在進行形で。


 サーレクリフは顔をひきつらせながら言葉を紡ぐ。


「ち、父上なりに君を心配して」

「なに。じゃあ私が結婚しても兄上はいいの?」


 リディは脅した。


「いいい良い訳がないだろうっっっ!!愛する君をどこぞの男にくれてやりたくなどないっっ!!」


 それまでの説教調子も一変、サーレクリフは拳を握りしめて叫んだ。


 彼を含め、リディの三人の兄姉達は総じてリディに甘いのだ。特に兄二人は、『救いようのないシスコン』との異名を王太子に付けられた程である。


「兄上も反対なんでしょ。じゃ、そういうことで。私の意志を無視して勝手にそんな話を進めないでって父上に伝えて」


 言いおいて、リディは席を立つ。その背に、やや抑えられた苦い声がかけられた。


「僕やユーリ、クロナも父上を責めたよ。流石に反省しておられた。…でもだからと言って、何も言わずに行方を眩まして良い訳じゃない」

「……」


 リディは立ち止まって、唇を噛んだ。

 わかっている。悪いのは自分だ。嫌なら、面と向かって言えば済んだ。彼女に甘い兄姉達もいるし、父も母も頭の固い人間ではない。それにかこつけて出奔したのは、自分だ。あたかも自分は悪くないような顔をして――逃げたのだ。


 立ち尽くす妹に、ため息を吐いてサーレクリフは歩み寄る。

 背を向けたままの妹の体を反転させて、サーレクリフはゆっくりと抱きしめた。この一年で幾らか細く、しかし鍛えられた躯はけれど、間違いなく生者のもの。


「…心配、したんだよ」


 掠れた声で、サーレクリフがリディの耳元で囁く。


「最悪の事態を、何度も夢に見て…もう会えないかと…」


 部下が追えていた時はまだ良かった。でも見失って。毎日毎日、気が気ではなかった。もう妹はこの世にいないのではないか――そんな思いの中床については、悪夢を見て飛び起きて。

 妹の躯を抱きしめ、その体が実在することを確かめながら、妹と再会して初めてサーレクリフの胸にどっと安堵が溢れた。


 ぎゅっと力を込めて回される腕に、リディは顔を歪めて、兄の胸元に顔を押し付けた。


「…ごめんなさい」


 絞り出された小さな言葉に、サーレクリフはますます腕に力をこめて。

 しばらく部屋には、小さな嗚咽が響いていた。



















 兄と別れてあてがわれた部屋に戻ったリディは、入った瞬間にネーヴェの襲撃を受けた。


「ぎゃっ」


 ふわふわで軽い体躯のおかげでそこまでの衝撃はなかったが、いきなり顔面に飛びかかってこられては反応のしようがない。勢いを殺せず、運動法則に従って背後に体を泳がせてしまった。そのままだと倒れるしかない体を、固く鍛えられた腕が受け止める。


「なにをなさっているんですか、リディ様」

「…ごめん、ありがとうゼリク」


 顔面にネーヴェを張り付かせ、背中を騎士に抱えられた間抜けな格好で、リディはそう騎士に謝罪した。

 この騎士――ゼリクは、現在リディの追っ手役を仰せつかっている、リディの筆頭騎士であるキースの兄だ。普段はサーレクリフについているのだが、キース達が来るまでの護衛(かんし)役に任じられたのである。


「なんですか、この生き物は」


 ひょいとリディの顔からネーヴェの首元をつかんでひっぺはがし、吊り下げながらゼリクは眉を寄せた。


「ピュルマ。ネーヴェっていう。返して」


 伸ばされた手に、大人しくピュルマを渡して、ゼリクは一歩下がって片膝をついた。


「お帰りをお待ち申し上げておりました。不在の弟の代わりに、御身を守る事をお許し下さい」

「…ただいま」


 実直な言葉に照れ臭さを感じて、リディは頬を掻いた。


 ゼリクの弟キースは、兄同様とても有能だが、一つ違う点がある。性格だ。嫌味なのが玉に瑕、慇懃無礼という言葉がこれほど似合う奴はいないとリディは勝手に思っている。その点ゼリクは真面目の一言に尽き、なのでリディは、ゼリクが母親の腹の中に残してきた嫌味成分を、キースが全部吸収して生まれてきたのだと思っている。


 けれど彼ら兄弟の、リディ達エルクイーン家に対する忠義はどちらも変わらず、本物だ。


「あとで手合わせしてよ。強くなったんだよ私」

「見ればわかりますよ。――甘さが抜けてます」


 少し眩しそうにゼリクは少女を見上げた。

 彼女が姿を消す以前は、自分や弟の方が彼女より強かったが。今は、わからないかもしれない。

 貴族の子女らしい甘っちょろさが消えて、命のやり取りをした者特有の鋭さ――元々、十年前のことのせいでそれは根付いてはいたが――が宿っている。


 戦士として彼女が成長した事を喜ぶ一方で、守るべき愛すべき彼らの姫君が自立してしまったことは、寂しくもあった。


「失礼します」


 扉が叩かれ、約束通り運ばれてきた肉に、リディの手をガジガジと噛んでいたネーヴェが飛び上がって喜び、すぐさま肉の皿に駆け寄る。が、物言いたげな視線をリディに向けた。


「あ、そうだね。待って、今柔らかくしてあげる」


 何事かと見守るゼリクと肉を運んでききた侍女の前で、リディは風精霊の名を喚ぶと、命じた。


「結界。あと切断」


 命令に従ってふわりと肉が浮き、柔らかな風の結界に包まれ――内部で無数の風の刃が生肉を細かくバラバラにした。


「……」

「……」

「はいネーヴェ。ごめんね、食べていいよ」


 黙り込む騎士と侍女には気づきもせず、リディは柔らかい笑みで、凄まじい勢いで肉にがっつくネーヴェの背を撫でた。




 のちに侍女は語る。

 一言で肉を細切れにした令嬢も怖かったが、愛らしい姿で肉にがっつくピュルマの飢えた顔が一番怖かった――と。




「ああそうだ。ゼリク、明日までにサラフ用意しといて」


 サラフとは、貴族の普段着のようなものだ。男性はともかく、普通女性はドレスを着ている。しかし勿論ドレスは着脱が面倒くさい。よって、準正装と認められているのがサラフだ。

 もっとも、大抵の女性はドレスを着るし、着飾ることに楽しみを見いだす。必然、サラフを好む女性は少ないが…残念ながら、リディはその少数派の筆頭だ。


「しかしリディ様、ここは…」

「用意しといて」

「…はい」


 いくら不満と言えど、二回繰り返された命令に背く訳にはいかない。

 サーレクリフがどんな顔をするかと思いながらも、ゼリクは頭を下げたのだった。




残りも少ないので、更新を早くしてみました。


サラフに関しては思いっきり捏造です。リディもルイスも王族関係者と暴露されましたが、この話は王宮陰謀モノにはなりません。なれません。(笑)

この第八話はほんのすこし権力闘争が混じりますが、以降はやっぱり冒険ものに戻ります。

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