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第七話 神の愛し子 (4)

第七話 神の愛し子 (4)








(…何か、引っかかる)


「…っはっ!」


 竜の翼が生み出す乱気流をなんとかいなし、風魔術で足場を作って跳ぶことにもようやく慣れて、裂帛の気合いで持って剣を撃ち込む。剣が竜の尾の棘や爪に弾き返されるその間断に、精霊を喚んで魔術を放つ。それを竜が防ぐ間に間合いを取る。


 それを何回も繰り返している。


 善竜は殺してはならないなどという遠慮は疾うに消え去っていた。と言うより、そんなことを言っていられる余裕はない。殺す気でかからなければ、竜の炎や爪や尾を防げない。隙をついて逃げるなんて、なおさら無理だ。

 荒い息を吐きながら、リディは僅かに他二人に目をやった。


 水面近くで戦っているルイスはリディと似たり寄ったりの状況だ。剣と魔術を駆使し、必死に戦っている。リディと同じく空中で戦っているラグは剣はそこまでの腕ではない代わりに、雷以外の四属性の魔術を全て総動員して対抗していた。通常ならとっくに魔力(スタミナ)切れを起こしている頃合いだが、(ラグ)の魔力量は半端ない。例の、何でも防ぐ特殊な結界もある。

 三人の中では一番冷静に、竜の攻撃を捌いているようだ。


「――っ、危なっ」


 間一髪で迫った爪を避け、竜の腕の付け根を狙って袈裟懸けに切り上げる。しかし、ジェインの研ぎ上げた刃で持っても、僅かに傷を刻む事しか出来ない。


「くそっ」


 悪態をついて、体を回転させて竜の背を蹴り、距離を取った。

 竜は、鱗と同色の爬虫類の眼を、ぐるりとリディに向け、がぱりと口腔を開けた。


(あの眼)


「――ッ、フレイア!!」


 すんでの所で、火結界を張った。次の瞬間鈍い衝撃と共に、超高温の炎が結界に激突する。


「あの時の悪竜とは、桁違いだっ…!」


 呑まれそうになるのをギリギリで堪え、炎が消えた瞬間に風刃を返した。


(あの眼が何か、違和感を感じる)


 リディは竜がひらりと旋回して避けたことに舌打ちして、追撃の魔術を組んだ。













――さっきから、気になっている事がある。


 竜の尾を紙一重で避け、水面を蹴って後退しながら、ルイスは空に舞い上がった竜を見上げた。


 再び吐かれる炎。跳躍したルイスの足元が、猛炎が襲ったことにより、激しい水蒸気を上げる。それに軽く背筋を泡立たせながら、ルイスはうそ寒い笑みを浮かべた。


(リディやラグが頭に血が上っていないのが幸いだ)


 この水蒸気。竜の吐く炎。万が一ここに二人のどちらかでも雷魔術が奔れば、一瞬で大爆発だ。竜は退けられるかも知れないが、そんな事になればルイス達もただでは済まない。即死だ。


「…って、そんな事に安心してる場合じゃねえなっ…!」


 身をかがめて、右手を一閃する。剣先は迫っていた竜の首の皮一枚手前を掠め、竜は宙返りをして少し遠ざかった。


(気になってるのは、あの眼だ)


 遠ざかる竜から視線を外さず、剣を構え直す。未だ刃こぼれしないそれに、改めてジェインの腕に感心する。


(普通、何かを襲う時は、どんなものでも何かしら感情があるはずなんだが)



 動物なら、身を守る為の警戒。怒り。

 魔物なら、獲物への飢え、狂喜。愉悦。

 人間なら、憎しみ、怒り、恐怖。

 悪魔なら、残忍、狂喜、嘲笑。



 しかし、この竜の眼には、そういった感情が一切浮かんでいない。

 何も読み取れない爬虫類の眼が、静かにルイスを見つめている。


 それは、まるで――。














「観察でも、してるの?」


 多属性結界で攻撃を阻みながら、小さくラグは呟いた。

 あまりにも頼りないそれは、けれど口に出した事で、不思議にも確信が覆っていく。


 大体、最初からおかしいのだ。高位竜なのに一言も喋らないし、自分達を排除したいのであれば、この場に集う竜皆でかかってくればいい。一体相手が精一杯なのだから、そうされたら一溜まりもない。


 なのに、三体を除いた竜達は、皆湖の淵に立って、じっと戦いを静観している。その眼は、ラグ達が相対している竜と同じだ。


「アクアメイン」


 喚ぶ声に応じて、氷の礫が竜に飛んだ。ラグに向かって突っ込もうとしていた竜は、たたらを踏んで宙返りすると、上空に逃げる。が、すぐに炎が飛んできた。


 それを反射を組んで逸らし、ラグは竜と視線を合わせる。

 緑柱石のような、鮮やかな緑色。その眼に敵意は無い。感情がない。あるとすれば、


「好奇心?それとも――」


 しなる尾を、何とか剣で弾く。衝撃で手が痺れた。


 リディやルイスが信じられない。よくこんなものを弾いた上で、攻撃が出来るものだ。


「何かを、確かめたいの?」


 呟く前から、ラグはそれが答えだという確信があった。


 きっとそうだ。竜達は、自分達に何かを見ている。何かを見たいが為に、彼らは一人につき一体で、戦っているのだ。


(…なら)


 違っていたら、自分は命を落とすだろう。

 けれどラグにはそうはならない自信があった。だから――次の瞬間、迫る爪を前にして、ラグは結界を解いた。




「なっ!?」


 上空からその光景を目にして、リディは目を見開いた。





「は!?」


 水面からその光景を見上げて、ルイスは凍り付いた。





 二人が叫ぶ暇もなく、鋭く尖った湾曲型の爪が、ラグに振り下ろされる。

 しかしその爪は、ラグの体を引き裂く寸前で止まった。


「…やっぱり」


 心なしか青ざめた顔で(それはそうだろう)、ラグが落とした呟きに、彼と戦っていた緑色の竜は、


『いい加減に気づく頃合いだと思っていた』


 そう、今日初めて人語を発した。










―――――――――――――――――――――




「要するに君達は、理由は言えないけど私達の実力を知りたくて、だから一対一で戦ってみたってこと?」

『ご名答。頭もそれなりのようで安心した』

「意味わかるかっ!」


 時を十分後、場所を温泉湖のほとりに移して、ルイス、リディ、ラグは傷を治しながら竜達に囲まれていた。


 自分の図体より遥かに大きい、しかも竜という存在に囲まれるのは幾許かの不安感をもたらしたが、さっきまで戦っていた相手である。早いうちから割り切って、臆せず話を聞いていた。


「全くだ。こっちは何度死にそうになった事か…」


 ぶつぶつ言いながら、ルイスは体中に散る掠り傷を治していく。しかし、それらが掠り傷で済んでいる事自体が、竜達に、本気で殺す気がなかったことを表しているのだろう。


「ラグ、訊きたいこと訊けば?…って、もう自分の世界か」


 ラグは竜達を見上げてぶつぶつ呟きながら、超高速で手帳にペンを走らせていた。それを竜達は興味深そうにのぞき込んでいる。


「上位竜の炎…推定3000度…爪は鋼より硬く…」

「あいつ戦闘中にそんなこと考えてたのか…」


 ルイスは額を抑えた。リディは慣れによる無反応である。

 ラグは一通り書くと、緑色の竜を見上げた。


「訊いてもいい?」

『何だ?』

「竜は、普段単体行動って聞いてたんだけど…違うの?」


 竜は喉の奥で音を立てた。どうやら笑っているらしい。


『違わない。だが今、この山は特別だ』

「特別…?」


「そうだ。そしてその『特別』が、お前達を呼び寄せた』

「呼び寄せ…?」


 聞いていたリディが顔をしかめた。ここに来るのを決めたのは彼ら自身だ。誰かに示唆された訳ではない。しかし、幼なじみにラグを持つせいで、彼女も余り『偶然』を信じない(たち)だった。


「つまり、必然だったって言いたいの?」

『その通りだ。話が早くて助かる』

「で、何なんだ?その特別って」


 ルイスが立ち上がりながら訊ねる。立ち上がってもなお、遥かにある目線の差に首を痛めながらも、彼は蒼い眼を細めた。


「少しだけ、心当たりがある。お前達が俺達を呼び寄せた理由が。でもその『理由』の意味が、俺達はわからない。お前達が知っているなら、教えて欲しい。『原…」

『その問いに、我らは答える事は出来ない』


 ルイスの言を遮って、青い竜が言った。


『確かに我らはその意味を知っている。しかし、お前達に教える事は許されない』

「許されないって…誰に…?」


 ラグの言葉には答えず、緑の竜が、三人に向かって身を屈めた。


『乗れ。お前達に逢いたがっている方がいる。それが此度(こたび)、お前達をここに呼び寄せた理由だ』

「乗れって…」


 度肝を抜かれて三人は立ち尽くした。

 かつて今まで、竜の背に乗った事のある人間がいるか。いや、恐らくいない。

 しかし、今この竜は乗れと言っている。

 煩悶する彼らに焦れて、周りの竜達はひょいと首を下げると、牙を三人の服に引っ掛けた。


「え」

「な」

「ちょっ」


 驚く間もなく、牙にひっかけられて宙に浮いた三人は、すぐにそれぞれ牙から振り落とされて、


「うわっ」

「ぎゃっ」

「痛っ」


 緑色の竜の固い背中に落ちた。大きいだけあって、三人が転がってもまだ余裕がある。


『よし。では行くぞ』

「え、ちょっと待っ――」


 待ってなどくれなかった。三人が制止の言葉を言い終える間すらなく、竜達は一斉に飛翔した。


「「「うわぎゃあああああああ!!」」」


 三人が変な悲鳴を上げたのは言うまでもない。







――――――――――――――――――――――



 およそ五分程飛んで、竜達は下降した。竜の背中の突起にしがみついていた三人は、風圧に閉じていた目をうっすらと開ける。


「…まだジルフェイみたいだね…」


 山深い眼下の光景に、ラグが呟いた。

 開けた空間に、まず三人を乗せた竜が着地する。三人が強張った体で慎重に地に足をつけると、緑の竜は一声鳴いて、一瞬白い光に包まれる。


 そして、


「嘘だろ…」


 ルイスもリディもラグも揃って絶句した。

 光が収まった後には、鮮やかな緑色の髪に立派な体躯の男が立っていたのだ。


「人の姿になるのは久し振りだ」


 愉快そうに笑う彼は、しかしよくよく見ると、違和感が浮き彫りになった。

 眼は、白眼が殆どない、爬虫類めいたもののままだし、肌はうっすらと鱗のような模様が見える。耳も尖り、爪も人間にしては異様に長く、鋭い。


「ついてこい。こっちだ」


 ついさっきまで竜だった男――とでも言えばいいのだろうか――が、三人を手招きする。その先にはぽっかりと巨大な口を開けている洞窟がある。


「……」


 三人は一瞬目を見交わし、それから意を決して歩き出した。洞窟に入った瞬間、背後から聞こえた、竜達が着陸したことによる地響きがやたらと耳に響いた。


「…広いな」


 洞窟を、竜の男について歩きながら見回す。光苔が天井や壁に張り付いているせいか、洞窟内は仄かに明るい。洞窟の床は湿り、時折水溜まりを踏んで、ピチャンと音が響いた。


「遥か昔から、自然がゆっくりと作り上げた洞窟だ。道を知る者でなければ、三刻と経たずに迷うだろう」


 リディとラグはぞっとした。つまりもしこの竜に置いてけぼりにされた場合、ほぼ間違いなく自分達は死ぬ。

 ルイスだけは、今まで辿った道をちゃんと記憶している為、そこまでの不安感は抱かなかったが。


「…竜が人型を取るなんて、知らなかったよ」

「人の体は機能がいいからな。魔術も使いやすい」

「ま…」


 即ち三人は絶句した。


「竜は魔術も扱うの…!?」


 竜の男は心外そうに、口走ったリディを見やる。


「精霊は人だけに力を貸すのではない。我らは精霊の姿を見ることも可能だ。…まあ、魔術を扱えるのは中位以上だが。それまでは魔力が安定しない」

「……」


 驚きすぎて言葉も出なかった。


 自惚れていた訳ではないが、魔術とは人だけの力だと思っていた。しかし、人は自分の契約精霊以外は視界に捉えることは出来ない。でも今の話では、竜は見える。つまりそれは、竜の方が精霊の恩恵を受けているという事だ。そう考えると、この山に精霊の気が活発なのも、道理だ。精霊の恩恵を多大に受ける竜が生活しているのだから、その気も人間界より多いに違いない。


「人間はちっぽけだ…」


 ラグの呟きは、重くルイスとリディの胸に染みた。

 そうこうするうち、彼らは開けた空間に出た。


「…まあ、詳しくはこの先で待っておられる方に訊くといい」


 カツン、と響いていた足音が止まる。


 そこは、洞窟の岩の隙間から、光が線となって差し込んでいた。

 そして空間の奥、少し高い、舞台のようになっているところに――


「メルセイエデス様。お連れしました」

『…手間をかけたな。済まぬ』

「いえ。貴方様の御為ならば」


 す、と竜の男が一礼して三人の脇を通り過ぎ、下がる。いつの間にか少し離れた背後に、ルイス達を連れてきた竜達が皆、人型となって佇んでいたその中に、緑色の髪の男も静かに加わった。


 それらを感覚の端で感じ取りながら、けれどルイスもリディもラグも、指一本動かすことが出来なかった。


 舞台のようなものの上にうずくまる巨体。一目見ただけで、名匠が打ち鍛えた鋼よりも遥かに硬いとわかる、堅牢な鱗。それは、微かに差し込む月の光に照らされて、清冽な月白に煌めく。長い首の先の頭部から生える角は、幾本にも枝分かれし、年月を経た牡鹿を思わせる。微かに睫毛さえ生える瞼の下から顕れた眼は、夜明けの空のような薄紫。底深い知性を宿したその眼は、どこまでも慈愛を感じさせる。


「まさか…最…高位…?」


 赤い眼をこれ以上ないほど見開きながら、ラグが微かに喘いだ。


 大の大人程もある(こうべ)をゆっくりと持ち上げた、雪のように白い竜は、ふと眼を笑ませる。紡がれた言葉は、至極滑らかだった。


『そう、『精霊の御手』。私の名はメルセイエデス。竜の最高位に位置する者』




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