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第七話 神の愛し子 (3)

第七話 神の愛し子 (3)







 二日後。


「待ってた」


 まだ朝靄も晴れきれない内に宿を出た二人が真っ先に行った先で、ラグは感情表現の乏しい顔で少しだけ笑った。一昨日着ていた白衣は脱ぎ、少し頑丈な服の上に黒いローブを羽織った姿だ。


「ちゃんと執事さんには言った?」

「ちょっと出て来るってだけ」

「……ま、いいか」


 いや良くないだろう、とルイスは突っ込みたかったが、まだ朝の早い時間帯ということもあり、それ以上の会話を避けて二人を促した。


「早く鍛冶屋行くぞ。どうも剣が無いのは落ち着かない」


 この二日、剣が手元に無いのは実に不安を誘った。体術や魔術だけでも充分とは解ってはいたが、提げなれた重みがないというのは、いつまで経っても慣れない。


 リディも同意を示し、三人はその場を後にした。











「全く、本当に行くのか…」

「今更だよ、おやっさん。ラグも一緒だからもう文句無いだろ?」

「お前というやつは…」


 ぶつぶつ呟きながらも、ジェインは約束通り研ぎ終えた、ルイスとリディの剣を二人に渡した。

 ルイスは試しに剣を鞘から抜いてみる。柔らかな朝の日差しを反射して、それは鮮やかな銀色に輝いた。


「…ありがとう、ジェインさん。こんな状態のこいつを手にしたのは、一年ぶりだ。…斬れないものなんてない気がする」


 素直な謝辞に、ジェインは照れ臭そうに鼻頭を擦った。リディも少しだけ鞘から剣身を出し、満足そうに笑って、パチンと軽快な音を立てて鞘に納め直した。


「腕は落ちてないようで安心したよ。ありがとう、おやっさん」

「お前さんはもう少し素直になれ」


 ビンとリディの額を弾き、痛ぁ、とリディが額を抑えてしゃがみこんだ所で、ジェインはぼーっとしていたラグに向き直った。


「ラグ、お前さんは優秀だが、竜に気を取られすぎて殺されないようにな」

「…僕もそこまで馬鹿じゃないよ…」

「そうかそうか」


 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、元々くるくるのラグの頭はさらにぐしゃぐしゃになった。うー、と頭に手をやるラグを余所に、最後にジェインはルイスに顔を向けた。


「俺はお前さんがどういう人なのかは知らん」


 黒い目がじぃっとルイスの蒼い瞳を覗き込んだ。ルイスはたじろぐ事なく、静かにそれを受け止める。

「…だが、何よりもリディがお前さんに心を許している。それが何よりの証拠だと俺は知っている。…リディとラグを頼む、ルイス」

「ああ」


 差し出された逞しい手を、ルイスは頷いて強く握り返した。


 長年鎚を持っていたことで、ごつごつとした手。しかしこの手は、確かに自分達の命を守ってくれる。職人の頼みを聞き入れるのは、使用者の何よりの務めだ。


「何だよおやっさん、私やラグがガキみたいな言い方して」

「実際僕達はまだ十七だよ、リディ…」

「ルイスだって十九だよ!」

「残念、俺はもう二十歳だ、リディ」

「…はぁ!?」


 からかうように言ったルイスに、一拍置いてリディは目を剥いた。思わず彼に詰め寄る。


「何それ、聞いてない!!いつ!」

「…いや、ガートにいた時。そう言わなきゃならない事でもないだろ」

「よくない!」


 本気で怒っているらしいリディにルイスが狼狽えていると、ラグが微かに笑いながら助け船を出した。


「ルイスさん…リディの家は、誕生日を大事にするんですよ。大事な人の誕生日をなおざりにするなんて、許せる事じゃないんです」

「…いや、それは」

「何で言わなかったんだよ!」


 ぎゃあぎゃあと始まった言い争いを、ラグは目を細めて眺める。その彼の首に片手を回して、ジェインは声を潜めた。


「いいのか?お前さん…あの二人」

「いいんですよ」


 そう言いながらルイスとリディを眺め続けるラグの横顔は、ジェインには寂しげに映った。


「リディとあんな風に対等に喧嘩している人を、僕は始めて見ました。…それが、答です」

「…ラグ…」

「まあ、あの天然素材のリディじゃ、何年かかるかわかったものじゃないけど…」


 苦笑して、ラグは二人の仲裁に入ることにした。


「ほら、二人共、早くしないと日が暮れるよ…リディはジェインさんに代金払って」

「それだ!リディ、もうそれでいいから!研磨の代金払うんでいいから!」

「金って言ったって、君も稼いだ金だろ!!」

「リディ、声少し下げて…」


 終わらない言い争いに頭を掻きながら、ジェインは若い三人を見つめた。


(…元気に帰ってこいよ)






―――――――――――――――――――――




 ジルフェイ山地。大国オルディアンと同じく大国エーデルシアスの東の国境にそびえ立つ、人跡未踏の険しい山並みには、昔から竜が棲んでいると言われていた。


 ほぼ1日かけて風魔術でリオーラから飛び、麓の村で一泊した後、三人はジルフェイに足を踏み入れていた。直線で突っ切るの為、オルディアン側からエーデルシアスに抜けるには、計三つの山を越えることになる。


「人跡未踏って言われるだけあって、なかなかキツいな…」


 山道の途中で小休止をしながら、リディが汗を拭った。



 ここを登るのに、馬はむしろ邪魔である。連れていけないと悟った時、二人はリディが信頼できるリオーラの馬屋で、それまで旅を共にした馬を売った。寂しさも悲しさもひとしおだったが、なんとか振り切った。

 自分で言うのもなんだが、良い馬だったから、よい種馬になって、たくさんの駿馬を生めばよいと願う。


「ラグ、大丈夫か?」


 同じく汗を拭きながら、ルイスはこの場で一番体力が無いラグに問い掛けた。


「…こんなに動くのは、久しぶりだから…結構、大変…」


 もうすぐ秋だ。標高の問題もあって気温は低めなので、うっかり外套は脱げない。だが、運動から来る熱は、とても籠って苦しかった。


「アイシィ」


 小さくルイスが水精霊を喚ぶ。すぅっと冷気の膜が三人を包み、穏やかな涼しさが身をすすいだ。

 爽快な心地にリディもラグもは頬を緩めた。


「うわ、気持ちいい…ありがとルイス」

「どういたしまして」


 軽く応じて、しかし…とルイスは上を見上げた。


「本当に道無き道、というか。しかもこれだけの山なのに、魔物が一匹もいないなんて、信じられないな」


 魔物は基本肉食で、勿論人も喰べるが、人は大抵街に固まっている。魔物が返り討ちに遭う危険性も高い。それに、動物は人を避ける。よって動物は、人里離れた山や森に棲む。魔物はそれらを主に狙う為、必然魔物も森や山に多く棲むのだが――。


「精霊がいつもより活発な気がするし」

「うん…」


 三人とも魔術士でもあるから解る。なんとなくだが、精霊の動きがいつもより強いのだ。原因は解らないが。


「竜が何か関係してるのかな…?」


 ぶつぶつと呟くラグは、懐から手帳を取り出して何かを書き付けている。


「もうすぐ日暮れだし、あと一刻登ったら今日は休もう。夜は冷えるからな」

 陽の傾き加減からのルイスの提案に、リディもラグも同意して、腰を上げた。












「そうだ、ラグならわかるかな…ラグ、『原初の運命(さだめ)』って意味、解る?」


 陽もとっぷりと暮れ、ラグの特殊結界の中でリディが火を熾し、夕飯を取った後、不意にリディがそんな話題を口にした。


「『原初の運命(さだめ)』…?」


 赤い眼にさらに炎の光を反射させて、いっそ不思議な煌めきを帯びながら、ラグが訊き返す。


「そう。話すと長いんだけど、私達春に、魔族の王のセティスゲルダと遭って」

「その長い部分をちゃんと話してねまず」


 流そうとしたリディに、ビシリとラグがツッコミを入れた。聞いていたルイスも思わず尤もだ、と内心で拍手した。

 リディは嫌そうな顔をしたが、大人しくかいつまんで事情を話した。

 聞き終えたラグは、ふうん、と呟いて眼鏡を外し、懐の布で拭いて、再び掛けた。


「つまり…気まぐれで現れた闇の王と、マリナリオで会った占い師に『原初の運命』と呼ばれた、と…」

「そう。訳わかんなくて。ラグならわかるかなと思ったんだけど」

「ごめん、わからない」

「…そっか…」


 謎は謎のままか…とリディが空に向かって伸びをする傍ら、ラグは思案げに揺れる炎を見つめた。


(『雨の乙女』の舞台に闇の王が現れ…居合わせたリディとルイスを、『原初の運命』と呼んだ…。これは、偶然…?)


 ラグは偶然をあまり信じていない。物事に偶然はなく、全ては何かに基づいた必然だと考えている。

 そして一見関係がなさそうに見えるこの事も、何か意味があるのかもしれない。


「…帰ったら、調べてみるかな…」


 低い呟きは、他の二人の耳を掠める事なく、闇夜に溶けた。










―――――――――――――――――






 翌日も、ひたすら登る事に務め、積雪が視界を覆い始めた頃、ようやく一つの山を越えた。その山の頂上からは、まだ先にそびえる山のせいでエーデルシアスは見えなかったが、オルディアンが一望出来た。


「…本当に森が多いなあ」


 目を細めてオルディアンを見下ろし、リディはそんな感想を漏らす。

 水と森の国、オルディアン。豊かな自然と国力を擁する国。


「…またね」


 微かに郷愁を浮かべて、リディは少し先で彼女を待っていた二人の青年達の元に駆けていった。























 二日目の夜も一日目と同じように野営し、三日目もひたすら山を登った。負った疲労はそれぞれ治療魔術で回復し、魔物も出ないので、本当にただの雪山登りだ。


「…竜…いないね…」


 残念そうに言うのはラグだ。勿論出たら出たで大変なのだが、元々彼は竜を見たくてここに来ている。がっかりするのも仕方ない。


「でもなんか、ここまで魔物に気を払わずにいられる日って、珍しいかもしれない…」


 よっ、と雪の積もった倒木を飛び越しながらリディが肩を竦めた。ルイスも同意する。


「ひたすら同じ景色、ってのは疲れるが…ある意味、安心できるな」

「どんだけ殺伐とした日常送ってたの君達…」


 呆れながら突っ込むラグは、流石に疲労が顔に現れ始めている。いくら治療術で回復出来ると言っても、現役狩人の二人とは基礎体力が違う。ルイスにしてみれば、研究者なのにかなり体力がある、と驚嘆していたのが、ラグ曰わく「小さい頃からどこかの誰かに連れ回されてたから」だそうだ。ちなみにそのどこかの誰かはそっぽを向いて口笛を吹いていた。


「でも、この山ももうすぐ終わ…わあ…!」


 滑りやすい岩場を登り切ったリディが、歓声を上げた。遅れて辿り着いたルイス、ラグも、眼前に広がった光景に思わず感嘆の吐息を吐いた。


 一帯を覆う白銀の雪の中に、広い湖のようなものが広がっている。湖は湯気をあげ、綺麗なモスグリーンに輝いている。


「ここが温泉か…」


 予想以上の景色に、ルイスは頭を掻いた。正直温泉にあまり興味はなかったのだが――こうも壮大だと、そんな気は吹っ飛んだ。


「観光に使いたかった気持ちも解るよ…」


 ラグも眼鏡を外して呟いた。短く水精霊の名を喚び、コンと眼鏡を叩く。水蒸気で曇っていた硝子が晴れた。


「せっかく来たんだし…」


 入ってこうかな、と続けようとしたリディはしかし、ぴくりと身を震わせると、ばっと上を向いた。

 全く同時に、ルイス、ラグも上を見上げる。


「…っ、本気でっ…」


 顔を引き吊らせたリディの腰をさらって、ルイスとラグは水精霊を喚んだ。


「アイシィ!」

「アクアメイン!」


 ザザザッ、と三人が温泉の湯面を滑ったのと、空から幾つもの大きな影が地面に急降下してきたのはほぼ同時だった。


 山ごと揺るがしそうな衝撃と共に、湖を取り囲むように、少なくとも十体以上の影が着地する。


 足下で暴れる水を何とか制御し、ルイスとラグは背中合わせになる。水魔術が使えないリディは通常水上戦では風魔術で対応するのだが、この数の竜の翼の羽ばたきが乱気流を起こしている中、軌道を読まずに風魔術で飛ぶのは自殺行為だ。


 水飛沫と風圧をやり過ごした彼らは、認識した光景に絶句した。


「…上位竜…」


 ラグが微かな呟きを漏らした。




 竜の位階は、幼竜、下位竜、中位竜、上位竜、そして最上位竜となっている。ただし最上位竜は存在するのかも危ぶまれ、実質的なヒエラルキーのトップは上位竜、という見方も強い。

 上位竜の特徴は、色鮮やかに輝く鱗だ。赤、緑、青、紫、橙と、竜の鱗の色は様々だが、上位竜のそれは、まるで宝石のごとく煌めくという。



 約一年程前、ルイスとリディが狩った竜は、下位竜だった。また、狩人に狩られる悪竜の特徴として、皆鱗が黒く変色しているというものがある。


 つまり、鱗を黒く変色させずに輝かせて、今三人を取り囲んでいる竜達は、紛れもなく善竜であり、上位竜だった。


「…まずくないか、これ」


 善竜を殺す事は出来ない。それ以前に、この数の上位竜相手に、幾らトップハンター二人、オルディアンの国家機密がいるとしても、たった三人で敵う訳がない。


「ここは…停戦申し入れした方が良いんじゃ…?」


 研究対象とはいえ、ラグも流石に命が惜しい。冷や汗を背中に伝わせながら、小さくルイスとリディに囁いた。二人も少し青ざめた顔で頷き返した。


「私もそう思う」

「俺もだ。上位竜なら、人間の言葉を話せる…多分、話せばわかってっ…って、うわっ!」


 硬直した雰囲気を割ったのは、青い炎だった。唖然とする前に、ルイスとラグは慌てて水面を蹴った。空中に飛び上がって足場を作り、リディもルイスから離れて体勢を立て直す。


「問答無用!?マジで!?」

「俺に訊くなっ!」


 結界を張りながら、リディが喚く。それに怒鳴り返して、ルイスも結界を張った。少し離れた所で、ラグも倣いかけたが、途中で思い直すと、ラグは竜に向かって叫んだ。


「僕達はあなた達の棲み処を荒らす気は無い!!興味本位で踏み込んだ事は謝罪するけど、どうか敵意を収めて欲しい!!」


 それに対する応えは、再びの炎だった。危うい所でそれを避け、ラグは厳しい目で竜達を見た。


「一体どうなってるんだよ…悪竜でも無いのに」


 再び三人固まりながら、リディが困惑混じりに呟いた。わからない、とラグが首を振る。


「でも…やらなきゃ殺られるよ。たぶん」

「たぶんじゃなくて、事実みたいだぜ」


 ルイスが軽く舌打ちして、剣を抜いた。


「ルイス」


 咎めるようなリディの声に、彼女を一瞥してルイスは言った。


「俺達が必死でやった所で、多分こいつらは倒せない。隙を見て逃げるぞ」

「賛成」


 ラグが短く頷いて、ローブの下から短めの剣を抜いた。赤い眼が、常になく鋭く尖っている。


「出来れば、この事態の原因を知りたい所だけど…それ以前に死ぬのは嫌だからね…。戦うしかない」

「……」


 リディは不安げに唇を噛んだが、渋々自分も双剣を抜いた。やらなきゃ殺られる。それは確かに、真実だ。


「三人バラバラに行こう。攪乱した方が良い」

「通用するかは微妙だけど…固まるよりマシか」


 頷き合って、体に力を溜める。その瞬間、三人に準備が出来たのをまるで見計らったように、三体の竜が飛び出してきた。


「…行くぞ!」

「死ぬなよ!」

「そっちもね!」


 青の竜にルイス、赤の竜にリディ、緑の竜にラグ。


 連携を一切考えずにそれぞれ突っ込んだ三方向で、同瞬、激しい轟音が轟いた。



「物事に偶然はない。すべて必然」

この言葉好きです。あの漫画も大好きです。結構メジャーな考え方だとは思うけど、あのキャラが使うとすごい説得力あるなと思って読んだ記憶が残っています。



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