第六話 陽と月 (9)
第六話 陽と月 (9)
野営地の外側には、兵達が集結していた。兵数、およそ五千。
彼らを率いるセレナは、それを見つめながら唇を噛みしめていた。
(…ついに、来たのだ)
父を玉座から引きずり降ろす日が。自らが戦を率いる日が。
内心を言えば、怖い。戦で人が死ぬことも、父に立ち向かわなければならないことも。だがここで自分がやらなければ、もっと状況は悪化するのだ。諦めるわけにはいかない。
「セレナ」
閉じこめられた気持ちは、しかしかけられた声によって霧散する。振り向くとそこには、茶髪の少年の姿。彼女を助けてくれた狩人であり、実は他国の王子だった少年。けれど彼は、王子であるとかそういった事とは関係なしに、彼女と向き合ってくれた。
「覚悟は…出来てんのか?」
心配そうな声音で彼は訊ねる。その言葉が意味することを理解し、セレナは声を詰まらせた。一瞬の沈黙の後、けれどセレナは頷いた。
「…出来ています。私の父は――もう、いないものと、思っていますから」
セレナの顔に、彼は言葉を呑み込んだ。少女のあどけなさが残る顔には、悲壮な表情と、何より強い恐怖が浮かんでいる。…本当のところでは、彼女の中で覚悟はできていないのだろう。
――でも、彼女は逃げる事は出来ない。道を踏み外した王族を罰するのは、同じ王族がやるべき事だからだ。
だから何も言わず少年はセレナを抱き締めた。
「…オレがついてるから」
少年の腕の中でセレナは小さく頷き、ぎゅっと腕を回して抱き締め返した。
「…この戦が終わったら…貴方に伝えたいことがあります」
見上げなくても、少年が驚く気配が解った。一瞬の後、回された腕に力が込められる。
「…ああ」
…この温もりを奪わせない為にも、絶対に負けられない。
――――――――――――――――――――
「…公衆の面前でいちゃついてるよあの子達」
集う兵士達とは少し離れた所で、リディは呆れた口調でぼやいた。隣で剣の点検をしているルイスは、我関せずと言った調子で気にした風もない。
しかし、展開する兵士達はその限りでなく、白昼堂々二人の世界に入っている自分の主君に、いささか居心地悪げな空気を醸している者が多いのも確かだ。まあ、ユルドレイアス将軍はじめ、壮年をいくつか過ぎ、半ば老年に差し掛かっている将軍達が好々爺然とその様を感激しているから、まあいいかーという感じに流れているが。
壮年を超えていない者達は幾人か納得がいっていなさそうなものもいるが、それは圧倒的多数に流されている。
「アルが帰ってきた瞬間に抱きついてたからな。王族としては、政略なしは珍しい結婚になりそうだ」
言われてリディも苦笑した。
つい先ほど、アル帰還の報を受け、走っていったセレナを追っていけば、同じように走ってきたのだろうアルと、野営地の真ん中でしっかり抱き合っている光景があったのだ。ユルドレイアス将軍は感涙にむせび泣いているし、周りの兵達は視線のやりどころに困ってへどもどさているしで、かなり混沌とした情景に、驚きを通り越して呆れた。
ようやく離れたら離れたでお互い赤面して言葉がでないわ甘い空気は漂うわで、いい加減にしろとルイスとリディで割って入ったのだが。初々しいにもほどがある。
が、残念ながら自分は彼ら以下の恋愛未経験者であることにリディは気付いていない。
落ち着いてから、自分を見つめたアルの目に、リディはああ、知ったのだなと何の感慨もなく悟った。大方ヘンドリックが喋ったのだろう。
反対にアルは反応に困っていたようだが、やがて「…うん、関係ねーよな。リディはリディだし」とか何とか呟いて、リディに向かって手を差し出したのだ。
「これからもよろしく、リディ」とか言いながら。
周りが訳がわからず首を捻る中で、呆気に取られたのも束の間、彼女も笑ってその手を握り返したのだ。
アルの純粋さは、まるで陽だまりのようだ、と、この旅の間で幾度か彼の本質に触れたリディはほほえましく思う。
「…出発するぞ」
剣を収めたルイスの声に回想から引き戻されて、リディははっと顔を上げた。兵士達の前に立った小柄な影が、高々とレイピアを掲げる。時の声が上がり、兵の波が動き出した。ルイスが軽く手を振る。すると、野営地全体を覆っていた土属性の結界が消失した。
土属性の結界には、付与効果として地上における迷彩機能がある。この機能によって、ルイスは首都の兵士達の目から反乱軍を覆い隠していたのだ。つまり王宮側から見れば、反乱軍はいきなり湧いて出たということになる。さぞ混乱することだろう。
「行くぞ!!王宮を奪還するのだ!!」
ルーベンス伯の鼓舞の声は、この場の思いを凝縮したような強い響きを帯びていた。
「…さ、俺達も行くか」
動き出した兵士達を横目に、ルイスとリディは精霊を喚んだ。風が巻き起こり、二人を包んでいく。
二人の役目は兵士達とは別にある。二人にしか出来ない事だ。それを為すための布石。
「ルイス様、リディ様」
残っていたセレナが飛び立とうとしている二人に叫んだ。
「…お願い致します」
深く下げられた頭に二人は微笑み、勢い良くその場から消え去った。
――――――――――――――――――――
風の精霊の力を借りて、残り十キロ程の距離を一気に翔る。眼下の反乱軍はあっと言う間に目に見えなくなり、代わりにゼノの首都、ダリスが見えてくる。僅か五分程で二人はダリスの上空に到着した。
「…いい具合にパニックだな」
「パニックにいいも悪いもないだろ」
見下ろす街に向かって呟いたルイスに突っ込み、リディは風魔術をもう一つ連動させる。まもなく不可視の結界が彼らを包んだ。
土属性の結界が地上において迷彩機能を持つのに対し、風属性の結界は空中において迷彩効果を成す。余談だが、水属性の結界は水場において同様の効果を発揮する。
ただでさえ遥か上空、その上に迷彩までかけてしまえば、二人の姿を視る事ができる者などこの街にはいないだろう。
なおかつ街は、ルイスが言ったようにパニックに陥っている。それもそうだろう。アルフィーノ挙兵の報に動揺していたところに、突然街の近くに、軍隊が現れたのだから。
ある者は悲鳴を上げて通りを走り、ある者は兵士に食ってかかり、ある者は城壁に野次馬精神で近付こうとしているのが、上空からでもつぶさに見える。
「……」
ルイスとリディがじっと見守る先で、ある時を境に群集が一気に城に向かって押し寄せだした。
「始まった」
ルイスとリディは目を見交わして頷くと、空を蹴って城に向かって急降下した。
予めダリスの街に潜入していた反乱軍の兵士達。彼らの役目は、ゼノ王が五年前の報復でオルディアンに戦をしかけようとしていて、それに対し周辺各国が揃ってゼノに敵対姿勢を取ろうとしている、という限りなく真実に近い噂を流布する事。加えて、今度戦になれば必ずゼノは終わるとか、それを食い止めようとした第一王女を王が監禁しているとか、そういった煽りもばらまいた。結果民衆は不安感を募らせ、此度のアルフィーノの出兵と突然の軍隊の出現にパニックに陥った、という訳だ。
もし今上のゼノ王が人望厚く、王女にさほどの人気が無ければ、このような事態にはならなかっただろう。しかし民は、十年前の戦を機に、魔術師団を造り、軍事に病的なまでに力を注ぎ始めた王を不信し、若く美しく聡明な王女を愛していた。
「ひとえにセレナが頑張ってたお陰だね」
やはり混乱状態にある王城の歩哨の一角に降り立ちながらリディが剣を抜く。同時に風魔術の結界を解いた。
「ああ。父親とは雲泥の差、だなっ!」
自身も剣を抜き様、ルイスはこちらに走ってきた兵士を峰打ちで気絶させる。そして、他の兵士が来ない内にと二人は駆け出した。
「っ、流石に王城だけあって広いな」
内部に入り込み、時折鉢合わせる兵士を気絶させながら二人は走った。一応事前にセレナから大まかな城の見取り図は貰っていたが、一々見ている暇はない。一夜漬けの勢いで頭に叩き込んだそれを思い浮かべながら、ひたすら魔力の流れる方向に向かってひた走る。
二人の役目とは、魔術士団の無力化。城攻めに当たって最も厄介のが魔術士だ。騎士同士の戦いなら、不意をついたこちらに利がある。けれど鍛えられた魔術士の魔術というのは、その程度の有利などひっくり返してしまう威力がある。
ならば反乱軍にいる他の魔術士と共に、圧倒的な魔力量を誇るルイスとリディで魔術を防ぎ、反撃をすると言う手もあったのだが、七面倒臭いと二人が却下した。そんな結界を張りながら城や街に被害を出さないように細かく魔術を使うぐらいなら、城に乗り込んで魔術士達の動きを封じた方が早いと主張したのだ。
そしてその案には多数が賛成し、結果として街に潜入していた反乱軍の斥候がパニックを引き起こした隙に、城内に入り込んで速やかに魔術士の捕縛を行うこととなった。
「近いよ」
走りながら、二人を見て悲鳴を上げかけたメイドの首筋に手刀を入れて気絶させ、リディは廊下の先を見据えた。
「…確かに、王直々の魔術士団っていうだけはあるみたいだな」
廊下の先から感じ取れる魔力にルイスはそう言い、一気にスピードを上げる。呼応してリディも加速し、そのままの勢いで廊下の先にあった大扉を蹴り開けた。
「なっ、何者だっ!?」
大扉の中はかなり広い広間となっていて、中央部分にマントを着た、所謂魔術士然とした百人程の人間達が集結して何かを話していた。見る限り、反乱軍に対して何をすべきか決めていたのだろう。
ルイスとリディが急いだ訳はこれだった。反乱軍が確認されて時間が経ってしまえば、魔術士達は城壁に散開してしまい、目立たずに無力化することは難しくなる。だから街を混乱させたのは、城の対応を遅らせて魔術士達の展開を大幅に遅くさせるという狙いもあった。その狙いは効を奏し、こうして魔術士達は未だひとところに集まっている。もう怖いものはなかった。
「大人しくしてた方が、痛い目見なくていいよ」
二振りのサーベルを閃かせ、リディは一気に魔術士達の輪に踏み込んで峰打ちを放つ。不意の攻撃に呆気なく五人が吹っ飛んだ。
「ウェーディ、扉に結界を」
ルイスも風精霊に命令を下してから、剣を一閃させた。この剣、実は彼の愛剣ではない。彼の両手剣は両刃である為、平を使わない限り人を傷つけずに斬る事ができない。なので適当に反乱軍の武器庫から拝借した剣を用い、彼自身の剣は腰に収まったままである。
彼自身も人を殺したくはないが、こういう状況下にある以上、最悪手を汚すことも仕方ないだろうと覚悟を決めていたのだが、それをセレナは止めた。
たとえ今は敵であっても、彼らもゼノの民であることに違いはない。少しでも犠牲を抑えたい、という彼女の意を汲んで、反乱軍には出来る限り殺しはしないように、という意思が伝わっている。
「くそっ、なんだお前達!!」
瞬く間に十人以上を無力化され、焦った魔術師達はばらばらに陣形を組んで魔術を放ち始める。
その内一つの火の玉をひょいと避けながら、リディが不敵に笑って答えた。
「ただの通りすがりの狩人だよ」
―――――――――――――――――――――
「もう、ルイス様達は城に入ったでしょうか…」
アルの馬に二人乗りしているセレナが呟いた。もうダリスまでは三キロを切っている。それはつまり、間もなく戦闘が始まることを意味していた。
「ご無事、ですよね…」
不安げに見上げてくるセレナに、アルは肩を竦める。
「あの二人がその気になりゃ、二人だけで城一つ位陥とせっからな。魔術士の無力化位、訳ねえだろ。今頃遅いとか文句言ってんじゃねえ?」
アルのこの台詞はあながち嘘ではなく、ルイスもリディもこの頃には魔術士全員捕縛して暇を持て余していたのだが、それを彼らが知る由もない。
そしてあと一キロという所で、軍隊の先頭から伝令が走ってきた。
「見えました!城壁、魔術士の姿はありません!!」
「――よし」
信じていた、でも一番の不安要素を打ち消すその報にアルは拳を握りしめ、前に座るセレナに言った。
「行くぞ、セレナ!しっかり掴まってろよ!」
「――はい!」
首都ダリスの外門は目前。魔術士排除の報に気運を上げた反乱軍は、雄叫びを上げて突っ込んで行った。
―――――――――――――――――
「あ、ようやく来た」
頬杖をついて窓の外を見ていたリディが声を上げる。ひょいと覗いたルイスも、
「やっとかよ」
と同様の文句を言ってため息を吐いた。
窓の外から見える、ダリスの街並み。街と外界を繋ぐ門では、泡を食った様子のゼノ兵達が必死の応戦をしている。が、制圧は時間の問題だ。一方の街中は、先程のパニックが嘘のように人っ子ひとりいない。これもまた、潜入していた反乱軍の兵士が、余計な混乱を避けるために避難を誘導したようだ。その速やかかつ迅速な行動には恐れ入る。
「まぁ魔術士は抑えたし。ここからは早いだろ」
ルイスとリディの足元には、百人程の魔術師が意識を失った上に縛り上げられて転がっている。また、幾度かに渡って魔術師に出動要請に来た兵士や大臣達も問答無用で昏倒させたので、部屋はまさに屍の山と言った風である。死んではいないが。
流石に一々殴り倒すのが面倒になったので、リディが火魔術の応用で幻を作り、部屋には誰もいない様子を装った。結果として城内はどこにもいない魔術師探しに奔走し、誰もこない部屋で二人は暇を持て余しているという訳である。
そうこうする内。
「あ、突破した」
僅か半刻程で街の外壁は陥落した。開け放たれた大門から、兵士達がなだれ込んでくる。城目掛けて怒涛のように迫る兵士達の後に、馬に乗った茶髪の少年と金髪の少女を認めて、ルイスとリディは立ち上がった。剣は鞘に収めたまま、悠然と部屋の外に足を踏み出す。
これまで何者も通さなかった結界は、あっさりと主を外へ解放した。
通った後も結界が維持されているのを確認して、二人はもと来た道を見据える。
「よし、行くか」
主要な役者はそろい、不要な駒は排除された。舞台は整い、残された道筋は幾本もない。
閉幕はすぐそこに迫っていた。
なんだかだらだらと続いてしまっています…。
次で第六話は終わりたい…。