第六話 陽と月 (7)
第六話 陽と月 (7)
――四日後、アルフィーノの首都、カミール。
(有り得ねえ…絶対有り得ねえ!最短距離を行ったとはいえなんで行きにひと月かかった距離を、四日で来てんだよっ!?)
よろよろと街の大通りを歩くアルは、傍目にもげっそりとしていた。現に、通りすがりの街人達は、皆遠巻きにその様子をうかがっている。彼がそんな風体になっている原因は寝る暇も惜しんで文字通り飛んできたのもあるが、
(つうか、たった一日で距離の半分吹っ飛ばしやがってあいつらあああ!!)
ガート城からアルを飛ばした風魔術は、恐ろしい初速を有していた。衝撃で意識が飛び、気がついた時には夕方、しかも国境の山の上空を飛んでいた時のショックは計り知れない。結界が張られていなければ、まず間違いなくアルの体は空中分解していただろう。その時には流石に初速は落ち始めていたので自分の魔力で加速をつけたが、あの二人の底無しの魔力にはぞっとする思いだった。魔物の襲撃後すぐにアルフィーノには鷹文を飛ばしておいたのだが、うっかりすると追い越しているかもしれない。
(――いいや、とりあえず城、城)
疲れた体に活を入れて、アルは大通りの先に見える巨大な建造物を目指した。
王への目通りは、予想外にあっさりと通った。そのあっさり具合に鷹文が届いていたことはわかったが、隣国の王子が別の国の使者として訪れたのだから少なからず戸惑いはあった筈なのに、城の者達はそんな気配をおくびにも出さなかった。それは流石三大国家の一角を占める国の宮中と言える。
謁見の間に通されたアルは、何よりもまず初めに膝を付いた。その完璧な所作に、所々から微かな感嘆の吐息が漏れる。が、アルにしてみれば王族としてこの程度の礼儀がなければお終いだ。
「――ようこそ我が国へいらした、アルフレイン殿。私がアルフィーノ国王、ヘンドリック・フィルガ・ロウ・エルクイーン・アルフィーノだ」
アルは顔を上げる。そして玉座に座る王を見つめ、少なからず驚いた。アルフィーノ国王は若かった。ルイスと二つ、三つも変わらないだろう。赤みがかった金髪は艶やかで、目を瞠る程の美貌だ。だがその驚きを押し隠すだけの冷静さを、アルは叩き込まれていた。
「――急な来訪に対し応じて下さった事、感謝致します。ゼノ第一王女、セレナエンデ・リィ・ネフィルス・ゼノより密書を預かって参りました。鷹文での先駆けは届いておりますでしょうか」
「ああ。――こちらへ」
アルはヘンドリック国王の手招きに立ち上がって、丁寧に畳んだ密書を国王に渡した。それに国王はざっと目を通して鷹揚に頷く。
「さて、アルフレイン殿。これに対する返答の前に、いくつか質問がある」
アルは背筋を伸ばした。予測していた事ではあるが、口の中が乾くのを感じる。自分次第で事の是非が決まると気を引き締めて、アルは唇を舐めた。
「――はい。なんでしょう」
「貴殿はそもそも何故、反乱軍のただ中にいたのか?」
最初から鋭い斬り込みだ。すっと頭が冷えるのを感じながら、アルは答える。
「――私は父、ラーシャアルド王の命にて、不穏な空気が流れているというゼノ国内を探っていたのです。そんな折、偶然にセレナエンデ王女とお会いしたのですが、王女は追われていらっしゃったので、咄嗟に助けてしまったのです」
淀みなく話しながら、その実アルは舌を噛みそうになるのを必死で堪えていた。ここの所言葉遣いを気にしていなかった反動だ。だがここで間違うわけにはいかない。
「成程。反射で思わず、というやつかな?」
「はい。私と年の変わらぬ少女が追われている状況に、手を出さずにはいられませんでした」
アルの答えに、ヘンドリック国王は笑みを崩さぬまま頷いている。しかしその金色の瞳が顔程には笑っていない事に、疾うにアルは気付いていた。
「では、もう一つ。貴殿はなぜ、自国に全く関係のない他国の争いにも関わらず、手を貸そうと思い至ったのか?」
ここからが本番だ。アルはルイスに叩き込まれた事を思い出す。焦るな、落ち着け、と言い聞かせながら何度も頭の中で繰り返したそれを唇に乗せた。
「私も十年前のオルディアンとゼノの戦を覚えております。その時ゼノは、オルディアンを追い詰めはしましたが、結局は何も得られぬまま停戦となりました。豊かさを求めた戦の結果、ゼノ国内は飢えで苦しむ民で溢れた、とセレナエンデ王女より聞き賜りました。しかし此度、再び戦をしようとしているゼノ王は、十年前のような義侠心ではなく、自らのオルディアンに対する私怨によってのみ戦を起こそうとなさっております。…それが証拠に、魔術師軍団を練り上げ、あまつさえ王族としてあるまじき事に、魔物すら使って侵略しようとしているのです。ただでさえ回復していない国土は、再び戦を受ければ修復出来ない程破壊されるかもしれません。これは、民を苦しめる事以外、何者でもありません。同じ王族として、私は許すに値しないと判断致しました」
滑らかな弁舌に、謁見の間に居合わせた臣下達から感心したような息が漏れる。ラーシャアルドの第三王子は戦闘一辺倒だと聞いていたが、なかなかに政も出来るらしい、と彼らはアルを見る目を正す。しかし、フレデリック王だけはすっと目を細めた。
「しかし、貴殿は何故ゼノが負ける事を前提にしている?ゼノが勝てばゼノの資源は潤うだろう。確かに私怨や魔物を使うという点は頂けないが、それはあくまで倫理観の問題だ。他国に介入して止めさせようとするに至るまでの理由は私には感じられないのだが」
アルは慌てなかった。きっとこんなことを言ってくるよあの王は、と言った仲間を思い出す。ゆっくりとアルは言った。
「私からも一つお訊きしてもよろしいでしょうか、王」
「ああ」
「王は三大国家の一角が崩れたとして、何も思わないのですか」
ヘンドリック国王は面白そうに口の端を上げる。随分と直線的な質問だ。だからこそ、こちらも直球で答えてやる。
「別に我ら三国家が在り続ける必要などない」
好戦的な色を宿す金色の瞳を見返し、ふとアルは既視感に襲われた。
どこかで同じ眼を見たような気がする。
「国というのは生き物だ。永久に栄え続けることなど不可能。ここでオルディアンがゼノに敗れるというのならば、オルディアンの命に果てがきたということ」
かなり際どい発言を、しかし誰も咎めない。それは限りなく正論。この世は所詮弱肉強食。負けるのはその国自体の責任ということだ。
「私は商人の国の王だ。商売相手が変わろうと、我が国に損害がなければそれで構わん」
きっぱりと言って捨てた姿は、間違えようもなく王者だった。その国の王が護るべきは、その国の民。自国にとって何が益で何が無益か、冷静に冷徹に計算した、怜悧英明な思考だ。
アルはぞくりと背筋が泡立つのを感じた。この王は、甘さを許さない。自分と十歳も変わらない年でありながら、凄まじいまでの威厳。だが、ここで射竦む事は許されない。
「…私が何故、ゼノが負ける事を前提にしているか、でしたね」
息を吸い込み、吐き出す。冷えた背筋に、温度が戻ってくる。
「幾らゼノが魔術師を揃えようと、魔物を率いようと、オルディアンには勝てないと解っているからです」
「ほう、何故だ?」
「オルディアンには『烈火の鬼姫』がいます」
ぴくりと王の眉が跳ねる。その僅かとはいえ、感情を示す動作を示した事に少し意外感を抱きつつも、アルは続ける。
「また例え『烈火の鬼姫』がいなくとも、オルディアンの国王陛下や王太子殿下は他国の侵略を再度許すような方ではない、と伺っております。それだけの技量を持った方だと」
「貴殿はそれを信じるのか?」
「はい」
迷い無く答えたアルに、ヘンドリック国王は小さく笑う。限りなく主観的だが――この場合その主観は正しい。
しかしそれを見せず、彼は言った。
「ラーシャアルド王は貴殿にそれを許す、と?あくまで探る事だけを命じたのに、戦に巻き込まれる事を良しとしたのか?」
「父ならば私と同じ事を申すでしょう」
暗に了解は取っていないという事だ。が、飄々と言ってのける気概に国王は感心する。弁舌は誰かの入れ知恵がありそうだが、この度胸は気に入った。
「…それに、ゼノを助ける事には別の意義があります」
ふ、と笑みを見せたアルに、ヘンドリック国王は目を瞬く。
「別の意義?」
「はい。これはアルフィーノにとっても益のある話かと思いますが」
部屋の空気が僅かに変わる。少年品定めから、商人の駆け引きへと、敏感な人々が視点を変えたのだ。
ヘンドリック国王も笑みの種類を変える。それを見たアルは、言葉を紡いだ。
「つい先日、ゼノの南、ユーダ山脈で大規模なミスリル鉱脈が発見されたそうです」
くっとヘンドリック国王の眼が見開かれた。場も細波のようなどよめきが走る。
ミスリルは魔力保有率・浸透率がとても高い鉱石で、かつ防御力が高く、鎧や剣に好まれる。しかし採掘量が少なく、そういった武具防具は従ってかなり貴重だ。誰もがミスリル製に憧れ、しかし保有者はごく少数。ミスリルを産出するのはイグナディアと、それから北方二国だ。それでも細々としか採れず、供給量は低い。
その中で、大規模なミスリル鉱脈が見つかった、その意味は。
「今回の見返りに、ラーシャアルドはミスリルの優先輸入権を頂くつもりです。…アルフィーノは、どうなさいますか?」
場は静まり返り、次の瞬間王の爆笑が響いた。それまでの冷たい空気を振って払うような、年相応の明るい笑い声に、広間の空気はいつの間にか一変する。
(え?オレなんか間違えた?)
アルが内心だらだらと冷や汗を流していると、笑いを収めた王が言った。
「なかなか面白い話の運び方をするな」
「…光栄です」
それまで王の倫理観、心に訴えるある意味感情論であったのに対し、一転して打算の精神に囁く話の運び。
前半に意味がなくても、アルフィーノの王ならば後半に興味を示すだろう、と言ったのはルイスだ。アルが今喋ったのはほぼルイスの言ったことの丸覚えであるから、少々複雑な心地である。
けれど上手く釣れたようだ。アルはルイスの知略にほとほと感心した。
「そのミスリル鉱脈は、我が国にも充分益をもたらすものであると?」
王の金の眼は既に柔らかい。アルは安心しつつも、最後の仕上げだと気を引き締める。
「はい。情報に基づく審議の結果、今までで最大級のものかと。ゼノはまだ未開拓の地が多い。まだ見つかっていないだけでゼノには他にも鉱脈が存在するでしょう。かの国も、これからは徐々に豊かな国になっていくかと思われます」
「鉱脈の存在をゼノ王は知らないのか?」
「まだ山脈付近の官僚しか知りません。山脈付近の官僚は、王の政策に反対して左遷された者達です」
成程、とヘンドリック国王は笑みを深める。ミスリルが発掘されたと聞いたら、直ぐ様ゼノ王は軍事転用した事だろう。それを見通して隠したゼノの有望な官僚達には、拍手すべきか。
「――では、ゼノ王女は、我らが陽動役を引き受ければミスリルの優先輸入権を保証すると?」
ここまでくれば成功したも同然だ。逸る気持ちを抑え、アルは懐から手紙を取り出した。
「はい。――こちらにセレナエンデ王女からその旨についての文書が」
アルから書を受け取り、ヘンドリック国王は頷く。
「――そちらの要求を呑もう。我がアルフィーノは、そちらの反乱に応じて国境でゼノ軍の陽動を引き受ける。その代わり、セレナエンデ王女が王位についた暁には、ゼノ山脈で採れるミスリルの優先輸入権を我らに与える事。――良いかな?」
「――はい!ありがとうございます!」
勢い良く頭を下げ、アルは拳を握り締める。やり遂げた。これで、セレナは最初の段階をクリアした。
ほっとした顔を隠さないアルを、ヘンドリック国王は面白そうに見つめる。
――やはり、この少年にあのような駆け引きが出来るとは思えない。入れ知恵をした誰かがいるのだろう。その誰かは、かなりの知略家だ。
「王、鷹文をお借りしてもよろしいでしょうか?セレナに――あ、間違えた、セレナエンデ王女に報せたいのです」
嬉しそうに頼んできたアルに、ヘンドリックは肩を揺らして応じる。
「その点は案じなくて良い。貴殿がミスリルの話を始めた時点で、既に送った」
「…へ?」
間抜け顔でアルが固まる。この王子はこっちが地だな、とヘンドリックは思いつつ、言葉を続ける。
「先程は他国がどうなろうと関係ない、と言ったがな。私の母はオルディアン王家とは姻戚関係あるのだ。例えばこれがエーデルシアスなら私は放置しただろうが、オルディアンだけはそういう訳にはいかない。しかしやはり、我が国にまるで益がないようでは、受ける事は躊躇われた。しかし王女は手札を見せた。――隣国としとこれから先つきあっていくのだから、ここで断る事は却って損だ」
アルはなんだか気が抜けた。つまりこの王は、自分達を試していた訳か。感情論などとっくに看破し、ゼノがアルフィーノの益をもたらせるかどうか、それを知るために。
完全に掌の上だった事を思い知らされ、がっくりと肩を落としたアルに、ヘンドリックは更に爆弾を投げる。
「それと、これは私的な質問だが…貴殿は先程セレナエンデ王女をセレナ、と呼んでいたな。――良い仲なのか?」
「なっ」
瞬時にアルの顔が赤く染まる。対してヘンドリックはにやにやとその様を見守る。子供をおちょくるのは楽しい。
「い、え、別にまだ何もっ」
「ほう、まだ、か。つまり将来には何かするつもりか」
「……っ」
絶句して口をぱくぱくさせるアルに、ついにヘンドリックは吹き出す。
「素直だな。事の真偽はさておき、まぁこのくらいにしてやろう」
アルはようやく遊ばれていた事に気付き、がっくりを通り越してうなだれた。この性格の悪さはあの二人に通じる。大人ってこういう奴ばっかなのかよ、と遠い目で思った。
「そう拗ねるな。あともう一つ訊きたいのだが…、貴殿はどうやってこの距離をたった四日で踏破したのかな?」
アルは目を瞬いた。いきなりの話題転換に戸惑うが、今更だが最もな疑問だという事に、苦笑いする。
「風魔術で。おかげで魔力が少しガス欠気味です」
ほう、とヘンドリック国王は感嘆の息を吐く。
「貴殿の魔力はかなりのもののようだが、それにしても四日とは。恐れ入るな」
「いえ、半分は友人の狩人に送って貰ったのです。たった一日で国境まで飛ばしてくれて、早いは早いですが速すぎて死ぬかと思いました」
ざわ、と微かなざわめきが謁見の間を走る。その中心でヘンドリック国王が目を細める。
「国境までたった一日、と?それが本当なら、その狩人とは何者だ?」
訊かれて、あ、とアルはリディの手紙の存在を思い出した。急いで荷物を漁って取り出しながら、
「狩人の中でもトップクラスの実力を持つ奴らです。そのうちの一人から、これを王に渡すように、と」
忘れてました、と言いながら差し出された手紙をヘンドリックは怪訝そうに受け取って開き――絶句した。
これまでほぼ、冷静で余裕な顔しか見せなかったヘンドリックの豹変に、アルだけでなく周りの臣下達も驚く。
王は手紙に一瞬で目を走らせると、凄まじい勢いでアルに訊ねた。
「この手紙を君に渡したのは誰だ!?」
「え、あ、オレと一緒にセレナを保護した狩人です。――あの、何か?」
突然の変貌に動揺して一人称が素に戻ったが、ヘンドリックの方にも気にする余裕はないらしい。
「名前は!?」
「…誰かは言わなくても解る、とか言ってましたが」
アルの答えにヘンドリックは再び絶句し、次いではぁっと椅子に沈み込んだ。一気に疲労を帯びた姿に、臣下が恐る恐る声をかける。
「へ、陛下…?その手紙がいかがしたのですか?」
「…いや…何でもない。全員下がれ」
「は?」
「下がれ。アルフレイン殿と二人で話がしたい」
「…は」
怪訝そうにしながら、アルフィーノの臣下達が部屋を出て行く。広い部屋で玉座の主と二人きりの状態に居心地悪げに身を竦めたアルとは対照的に、ヘンドリックは鬱々とした顔で言った。
「アルフレイン殿、貴殿はこの者が狩人だと言ったな」
「はい」
「…それ以外に何か知っているか?」
それ以外?とアルは首を捻り、思いつくままに答えた。
「そうですね…火、雷、風魔術を使いこなす凄まじい技量の双剣遣いで、オルディアン出身。多分貴族出身です」
「…そうか…」
(つまり、アルフレイン殿はあれの素姓を知らん、と…)
「あの馬鹿が…」
呻いてヘンドリックは額を抑え、アルはいよいよ頭を傾げる。手紙を渡したあたり知り合いなのは察していたが、王に馬鹿呼ばわりされる程親密なのか?
「…全く、貴殿もこの手紙を最初に渡せば良いものを。そうすれば私に拒否権はなかったのに」
「え、何ですかそれ」
ぶつくさと言われた文句に、アルは目を点にした。なんでその手紙がそんな効力を持つのか。
「あれはな…」
その続きを聞いたアルは即ち再度絶句した。
…謀略とも言えないような感じでごめんなさい…
ちなみにヘンドリックは23、4歳の設定です。