表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/117

第六話 陽と月 (5)

第六話 陽と月(5)






 帳の降りた荒野に、耳を塞ぎたくなるような絶叫が轟いた。同時に明るい満月を背後に、人間のシルエットが浮かぶ。


「――八匹目!」


 人影は両手に構えた大剣を大上段に振りかざし、眼下に蠢く巨大な虫目掛けて振り下ろす。再び絶叫が上がり、虫は一度身を軋ませた後、崩れ去るように消えた。


「また白か」


 後に残った鈍く輝く玉を、リディが拾い上げる。鮮やかに着地し、剣を肩に担いだルイスが肩を竦めた。


「茶色じゃないだけマシだろ」

「茶色っぽいけどね」

「…」


 無言になったルイスを横目に、リディは荷物の袋の中に核を放り込む。既に中には七つの核が入っている。が、どれもこれも白に茶色、良くて黄色が混じったレベルでパッとしない。


「こんな荒れた情勢なのに魔物がこんなのしかいないなんて珍しいね」


 荷を背負い直し、リディが西に歩き出す。魔物狩りを目的としているのに、馬を連れてくる意味はない。動物は魔物や悪魔、竜を恐れる。リディの馬もルイスの馬も長旅を伴にして久しく、そこらの馬に比べれば魔物らに対する耐性はかなりあるが、怖いものは怖いのだろう。無理強いする気は毛頭なかった。


「確かにな…来る時も殆ど遭遇しなかったし。ここまでぶっ続けで狩ってんのに、まだ八匹だもんな」


 アルフィーノとの国境からダリスに着くまでは、そこそこの魔物と遭遇した。しかし、ダリスを出てからガートに着くまでも今も、魔物達との遭遇率がこれほど少ないのはいささか腑に落ちない。

 魔物は世情の荒れたところに現れる。なぜなら、人を襲いやすくなるからだ。しかし、これほど不安定な情勢にも関わらず、その姿は少ない。ただ遭遇したものを倒すのでは、到底足りないほどだ。ので、風魔術で周囲の魔の気配を拾いながらの狩りだった。逆を言えば不意打ちの恐れが少ない分、楽でもある。


 その時、視線の先に小さな街らしきものが見え、地図に目を落としたリディが顎に手を当てる。


「と…ここは確か…ユランの街か。ガートから大分離れちゃったな」


 どうする?とリディはルイスを見上げ、ルイスも頭を掻いた。正直言うと、物足りない。黄色レベルの核が狩れたならともかく、収穫は茶色や白だ。幾ら核が高価だといっても、これでは余り足しにはならないだろう。


「もう少し…」


 狩ってから戻ろう、と言いかけて、ルイスとリディは同時に剣に手をかけた。


「なんだ…?」


 嫌な感じがする。背筋を冷たい何かが這い上るような。



 そして二人は目にした。まだ日の出には早い時間なのに、東で揺らめく赤い光を。



「な…!?」


 絶句して二人は固まった。王の軍が来るには早い。早すぎる。けれど、あの光は。

 間違いなく、城が攻められている、火の色だ。


「――くそっ!戻るぞ、リディ!」


 叫んでルイスが地を蹴る。更に風魔術を使い、空中をも蹴りつけた。


「……ッ!」


 なんで、どうして――という思いを、血が滲む程噛み締めた唇に押し込め、リディも倣って地を蹴った。





―――――――――――――――――――




 少し時間は遡る。


「何だ…?」


 ルイスとリディが城を去ってからしばらくして、アルは言い知れぬ悪寒を感じていた。頭蓋を内から引っかかれるような不快感。それは決して気のせいではない、と狩人としての勘が告げていた。


(ルイス、リディ…なんか、ヤベェ感じがすんだけど)


 思った所で、二人が帰ってくる訳もない。


 悪寒の理由が分からないまま夜を迎え、やがて夜半になり。眠る気もせず、街を囲む外壁のへりに座って、東の空を睨んでいると、不意に後ろから声がかかった。


「どうかしたのですか?」

「…セレナ」


 上着を羽織った、夜目にも明るい白金の髪の少女は、外壁に腰を降ろすアルの隣に立って、同じように外を眺める。


「なんか…嫌な感じがすんだ。なんなのかはわかんね…でも、眠れねー」


 セレナはアルを見上げた。闇を見続ける横顔はどこか緊張感を帯びて険しい。躊躇いがちにセレナは言った。


「私も…胸騒ぎがするのです。何か、嫌なものが来るような…」


 アルはセレナをつかの間見下ろし、ふっと苦笑した。


「そーだな。あんたも王族だったな」

「私、も…?」


 セレナが思わず訊き返した瞬間、アルがばっと外壁の上に立ち上がる。ピリッとした殺気に、セレナは息を呑む。


「ア、ル…?」

「…ものだ」


 アルが囁く様な声音を発す。顔は青ざめ、唇が白くなっている。次いで、彼は打って変って領地の半分に響く程の大音量で叫んだ。


「全員目を覚ませ!!魔物の大群だ――!!」










「魔、物…!」


 セレナは目を見開いて、アルが見ていた東の空を見つめた。…夜に慣れない自分の目には、まだ魔物は映らない。しかし、内の魔力をがざわめき立っていた。魔が来ると。禍々しい力の大群が迫っている、と。


「ま、魔物だ!なんだ、あの数…!」


 アルの叫び声に駆け寄ってきた兵士達からも悲鳴が上がる。悲鳴は領地中に伝播していき、あちこちで松明の明かりが灯っていく。その時になって漸く、セレナの眼もそれを捉えた。


 空の一部を埋めんばかりの魔物の群れ。禍々しく輝く眼光。目を覆いたくなるような異形。そのおぞましさに、セレナは一瞬目眩を覚えた。


「セレナ、城の中に行け!ここは危ねえ!」


 振り向いてアルはセレナに怒鳴った。セレナは震え、足を一歩退かす。けれどその時、閃光のように一つの思いが頭を突き抜けた。


(私は、王族だ)


 僅か瞑目し、目を開けた時にはセレナは決然とした表情になっていて、首を横に振った。


「いいえ。私も戦います」

「は!?何言ってんのか解ってんのかお前!」

「殿下!馬鹿な事を仰いますな!」


 アルはセレナを再度怒鳴り、駆け寄ってきたルーベンス伯も怒鳴る。しかしセレナは表情を崩さなかった。


「ルーベンス伯。私をなんだとお思いですか」


 凜と威厳の漂う声に、ルーベンス伯やアルだけでなく、周囲の兵達も皆、息を呑んだ。静まり返った夜の静寂(しじま)に、澄んだ声が響く。


「私は、ゼノ第一王女、セレナエンデ・リィ・ネフィリス・ゼノです。王族として戦う訓練はして参りました。国を背負うべき王族が、貴方達すら背負わず何を背負うというのですか」


 白金の髪が松明に照らされ明るく輝く。燃え立つ紫の瞳は、その場の誰をも魅了する。


「まずは領民の避難を。その後、全員持ち場に付きなさい。魔物など、打ち払ってくれましょう」


 声が届いた刹那、夜の静寂は大歓声に満ち揺れた。不安げだった人々の顔から一切の負の表情が拭い去られて、一様に闘気に染められる。


「…殿下の御命令に従え!全員、散!」


 雄叫びと共に、兵士達が走っていく。ルーベンス伯もまた、一礼して駆けていった。残ったアルに、セレナは微笑んだ。


「…と、強気に言ってみたものの、私は実践経験もありませんし、体術は才能がないと太鼓判を押されています。専門的には治療術師ですし…。――守って頂けますか?」


 苦虫を噛み潰した様な顔をしていたアルは、っあー、と頭を掻き毟ってから投げやりに言った。


「解ったよ!…その代わり、オレから離れんじゃねーぞ」


 セレナは嬉しそうに笑い、あともう一つ、と付け加えた。


「この難局を乗り越えられたら…あなたの本当のお名前をお教え頂けませんか?」


 アルは目を瞬いてセレナを見た。


(…気づいて、たのか)


 セレナは微笑んだまま、視線を反らさずアルを見返している。アルは苦笑し、解ったよ、と答えた。


「この戦いを生き延びられたらな」


 不気味に蠢く異形の大群は、すぐそこまで迫っていた。

















 魔物の群れがガートに牙を剥いたのは、それから三十分後の事だった。僅か二十分で、少ないとはいえ領民の避難を完了させ、十分で体制を敷いたルーベンス伯の手腕は驚嘆ものだが、今はそれを論じている余裕もなかった。


「弓撃てェ!」


 領主であるルーベンス伯の喉から大音声の命令が発せられ、一斉に数百本の矢が飛ぶ。しかし柔らかい外皮のものが僅か地に墜ちただけで、大抵の人間の鎧以上硬さを持つ魔物には大した損害は見られぬまま、魔物は更に城に肉迫する。


「怯むな!撃てェ!」


 再度矢が飛ぶ。またしても僅かな数が伏すが、千以上に及ぶかという魔物に対し、それは絶望的な割合だった。が、矢の後を追うように放たれた風の刃が、最も間近に迫っていた魔物達を一掃した。


「魔物にも柔らけぇ所はある!甲殻の隙間や硬皮のねーとこを狙え!」


 叫んだアルの声を追うように、セレナの氷の礫が魔物を切り裂く。遅れて強弱様々な属性の魔術が飛んだ。

 魔術ならば矢よりも圧倒的に魔物を倒す事が出来る。しかし魔力を持つ人間は限られ、この場にはアルとセレナを含めても二十人程しかいない。その上白兵戦になってしまえば、アル以外は魔術を使う所ではないだろう。


 どう考えても勝ち目はなかった。


「…からって、諦められっか!」


 アルが精霊の名を叫ぶと共に、高密度に圧縮された岩の塊が魔物を襲う。鋭く尖った岩尖は、魔物数匹を軽々と貫いた。次いでアルは地を蹴り、剣を抜き放つと、一体突出して迫っていた空を飛ぶ長い虫のようなものを気合いと共に斬り飛ばす。着地と同時に雷を疾らせ、十数体の魔物が黒こげになって四散した。


「凄い…」


 呆然とその様を見ていたセレナや兵士達は、畏怖の念すら抱く。狩人とは、ここまでの力を持つのか。


「ぼけっとすんな!もう矢は撃つな!魔術師はとっとと魔力限界まで魔術使って退避しろ!一人は結界用意しとけ!兵士は全員武器を持て!!」


 鋭い指示が飛び、全員はっとして言われた通りに行動しだす。


 何名かは、なぜこんな少年に従っているのだろう――と頭の片隅で思ったが、少年の口調には人を従わせるものがあった。有無を言わせず是と応えたくなる威厳。それはセレナと似通ったものと気付いた者は、ごく僅かだった。





―――――――――――――――――



 呼吸が熱い。普段は重みを感じないほどに自身の一部と化しているはずの剣が、やたらと重く感じる。


「ちくしょぉっ…」


 まだ夜は明けない。


 一体どれだけ倒したのか。


 思考をする暇などなく、殺気に対する反射だけで魔術を放ち、剣を振るう。倒しても倒しても絶える気配のない魔物達に、アルは限界を覚え始めていた。既に兵士すらも退避させ、全員セレナが張った結界の内にいかせた。セレナは実戦経験はないが、内包する魔力は強い。彼女が張った結界なら、なんとか朝まで持ちこたえるだろう。


 切り捨てた魔物が、伏した兵士の遺体の上に墜ちていく。


 どれだけの兵士が喪われたのか。


 それすらも予測がつかない。


 力が抜けそうになる脚を叱咤し、振り下ろされた獣の足を避け、雷撃を放つ。魔術にもいい加減切れがない。魔物の吐き出した炎を身を捻って避ける、が。


「ぐぁっ!」


 避けたと思ったそれは、動きの鈍くなったアルの足を捉えていた。灼熱に灼かれる激痛に、アルは地面に転がって呻く。そこに容赦なく魔物達の爪牙は迫った。


「ブラスティア!」


 しかし、それを風が弾き飛ばす。同時に悲鳴が聞こえた。


「セレナエンデ様!!」


 アルはカッと眼を見開いた。脚の激痛を忘れて身を起こす。見紛うことのない金髪が、アルめがけて走り寄ってくるのが見えた。


「馬鹿!戻れ――――!!」


 有らん限りの声で叫ぶが、セレナは止まる事なくアルの側に辿り着き、転がるようにして背中合わせになると、再度風を放つ。


「馬鹿王女!なんで出てくんだ!」


 焼け爛れた脚に治療魔術で応急処置をしてから、アルは立ち上がってセレナを怒鳴った。セレナは負けず劣らず烈しい眼差しでアルを睨み付け、怒鳴り返した。


「ここは私の国です!他国の方に全てを任せ、死なせる等出来る訳がありません!!」

「馬鹿野郎…!」


 歯を食い縛り、石礫を放って迫りくる魔物を切り裂く。しかし勢いの弱まったそれに、魔物を止める力はない。


「お前が死んだら、国はどーすんだ!」

「ルーベンス伯に頼みました。妹もいますし、問題はありません!」

「大ありだろーが…!」


 二人の手からそれぞれ魔力が放たれる。叫び声は聞こえるものの誰も来ない所を見ると、中からの脱出すら防ぐ結界を張ったらしい。絶叫にも似た、彼女の名を呼ぶ叫びが耳に届くが、セレナは一顧だにしない。


「私は、あなた一人を犠牲にして生き残る未来などいりません!それ位ならば、民と…あなたを守って死を選びます!」


 決意の籠もった叫びをセレナが上げた時。三方向から一斉にに二人めがけて炎が放たれた。遠くからの絶叫と共に、防げない、と判断したアルは、咄嗟にセレナを引き寄せ、覆い被さる様に華奢な体を抱き締めた。目を瞑って、死を覚悟する。セレナの細腕が、ぎゅっとアルの服を握り締めた。炎が正に二人を包もうとした、その時。


「ウェルエイシア!」

「ウェーディ!」


 待ち望んだ、しかし来ないと諦めていた声が響き、同時にアルとセレナを呑み込もうとしていた炎が吹き散らされる。


 顔を上げたアルの面に、安堵と歓喜が浮かんだ。


「リディ!ルイス!!」


 全速力で走ってきた二人の狩人は、アルを認めてほんの僅か目元を緩ませたが、直ぐに厳しい眼差しに戻る。リディが何か言うと同時に二人は温かい光に包まれた。


「聖属性の、結界…」


 治療魔術でも高位に位置するそれに、セレナが息を呑んだ。彼らの本職は、明らかに剣士であり魔術士であるのに。治療術師としても、セレナの同等かそれより上だ。


 ルイスの声が飛ぶ。


「大人しくしてろ!…すぐ終わらせてやる」


 二人の手は既に剣を構えている。急な乱入者に戸惑っていた風な魔物達も、再び獰猛な殺気を発し始めた。


「無茶です!二人だけなんて…!」


 セレナの叫びは、翻った目も眩む様な雷にかき消された。残滓が消えた後には、目でわかるほど、魔物が減っている。僅かに怯みさえ見せた魔物達を、雷を放ったリディは、今の光を切り取ってきたかのように燃え立つ金の眼で辺りを睥睨した。


「心配には及ばないよ。…行くよ、ルイス」

「ああ。…アイシィ!」


 そこからは一方的だった。ゼノの民の想像を絶する威力の魔術が宙を疾り、もはや銀の閃光にしか見えない剣が易々と魔物を切り裂いていく。


「す…すげぇ…」


 兵士の誰かが呟いた。そうとしか言えなかった。







 ルイスとリディが参戦して僅か四半刻程経ち、ようやく待ちに待った日の出の光が辺りを照らし始める頃、視界を覆いつくさんばかりだった魔物は全て駆逐され、後には半壊した城壁と、大量の核、そして決死の特攻をかけた五百名程の兵士の遺体が残った。


 最後の魔物が四散すると共に物音ひとつしなくなった荒野に、しかし唐突に鈍い音が響く。


「リディ、ルイス!」


 その頃には脚や諸々の怪我を治し終わったアルが叫んで、結界を抜け出し、膝をついた二人に駆け寄る。ルイスとリディは荒い息をついていたが、大きな怪我を負っている様子はない。


(オレなんか、比べ物になんない程強ぇ)


 二人が来てくれなければ死ぬしかなかった我が身を振り返り、アルは唇を噛み締める。しかし、再びドサリという音がして、慌てて顔を上げると、リディが地面にうつ伏せに倒れていた。


「リディ!?」

「心配すんな…、ただのガス欠だ」


 億劫げにルイスが懐を探り、橙色の玉を取り出した。


「…核?」

「魔力の暫定的な補充。アル、負傷者の治療に行ってこい。…あと、魔術士一人たりとも逃がすな」


 核からの淡い光をリディに注いだまま、ルイスはアルに指示する。アルは目を瞬くが、とりあえず頷いてセレナの方に戻っていった。アルがセレナと共に負傷者の許へ行き、治療を始めると、ルイスはだん、と拳を地面に打ちつけた。


「くそ…っ」


 何故、気付かなかった。相手が魔物を使ってくるかもしれないということに。腐っても一国の主が、民の敵である魔物を使役するなど有り得ない、とどこかで思っていたのか。


「馬鹿か、俺はっ…」


 自分達は一度身を持って解っていたではないか。ビグナリオンで、アーヴァリアンの宮殿魔術師の使役した魔物の大群に襲われたのは、そう遠い昔ではない。


 それなのに楽観的に事を構え、ここを離れた結果が、この惨状だ。自分達がいさえすれば、守れた命だ。ルイスにはその自信があった。


 やがてリディに最低限の魔力が補填され、ルイス自身もほんの少し魔力を取り込む。核の色はかなり薄くなっていた。

 核は、その内包する力を引き出されると、色が薄くなるのだ。最終的にそれは透明なガラスに帰結し、砕ける。


 よろよろとルイスはリディを抱え上げようとしたが、リディ自身の手で押しのけられる。顔色は悪いままだが、取り戻した意識はしっかりしているらしい。


「……」


 金の眼で有り様を見つめ、その視線が魔物の吐いた火によって斃れたと判る兵士の遺体を捉える。半瞬、目が見開かれた。


「――っ」


 胃から這い上がるものを必死でこらえ、リディは歯を食いしばって拳を握りしめる。剣を握るのに支障がないよう丁寧に整えられた爪が掌の薄い皮を突き破り、血が滴った。


「…リディ?」

「…なんでもない」


 ルイスの声に、目を一度ぎゅっと瞑って荒れ狂う感情きおくを押し殺し、リディは無言で、セレナによって張られている結界の方へ歩いて行った。


「ルイス、リディ!…大丈夫か?」


 治療していたアルが、二人に気付いて声を上げる。治療を受けていた人々も、一斉に二人を見た。


「ああ。…悪い、肝心の時にいなくて」


 ルイスが顔を俯ける先で、リディは一方向に視線を据えると、ずんずんと歩き出した。フードが外れ、長い髪がほつれ、しかし露わになった端麗な顔に、リディを目の前に通り過ぎられた人々は、それまでフードのせいで彼女の顔をまともに見た事のなかったために、ぽかんとする。委細構わずリディは足を止めると、目の前にいた魔術師らしき男の襟首を掴み上げた。情けない悲鳴が上がる。


「!?リディ様、何を…」

「誘魔香をしかけたのは、お前か」


 セレナの声を無視し、リディは低い声で男の襟首に力を込める。男は苦しげな呼吸をしながらも、にいと唇を歪めた。


「ああ、そうさ…陛下の命令でな」


 その言葉に、皆息を呑む。兵士達はいきり立ち、魔術士達は信じられないような目で彼を見つめ、狩人の三人は切り裂くような鋭さでもって睨みつけた。


「…そんな…父上…」


 セレナが真っ青になってよろめいた。無理もない。本来王族とは、聖をもって邪を滅す、その為に元来人より強い力をもって生まれた、とされているはずなのだ。それが、どうして。


 魔術師は狂ったように笑い出した。


「貧しかったゼノはもうなくなるのだ!烈火の鬼姫のいない今こそ、オルディアンを打ち倒し、ゼノこそが大国に…」


 ガン、と激しい音がして魔術師が吹っ飛ぶ。リディが渾身の力で殴り飛ばしたのだ。魔術師は壁に打ち付けられ、蛙が潰れたような声を上げてうずくまる。


「馬鹿じゃないの、君達」


 激昂するのを寸前で留めているかのような声音で、リディが男に言った。怒りに震える声音と、激情に紅潮する顔に、けれど何人かの男は確実に魅了される。


「例え烈火の鬼姫がいなくとも、ヴィ…オルディアンの王族は君達なんか片手で殺せる。君達が勝てる要素なんて、どこにもないんだよ」


 魔術士は何も答えなかった。というより、答えられなかった。どうやら頭を打ったらしい。白目を剥いて意識を失っていた。

 リディは大きく深呼吸してから、セレナを振り向いた。


「セレナ。これからどうするべきか…君には解った?」


 セレナは金の双眸をしっかりと見つめ――頷いた。青ざめた唇が、言葉を紡ぐ。


「はい。…アルフィーノに、協力を求めます」


 ざわり、とゼノの民が揺れた。しかし何人かは黙然と頷く。


 この物資不足、そして本拠地の半壊。とても彼らだけではなんとか出来ない。しかしこの一件は、アルフィーノ、そしてオルディアンに伝わっているだろう。もしかしたら今すぐにでもオルディアンが攻めてくるかもしれない。


「アルフィーノに依頼して、オルディアンが攻め込むのを止めるよう説得して頂きます。――また、反乱の陽動も」


 アルフィーノは商業国家だが、三大国家の一員でも在るが故に、相応の軍事力を持っている。


「アルフィーノに攻め込む振りをして頂きます。実際は、国境まで軍を送って貰うだけでいい。けれど父は必ず網にかかるでしょう。その隙に、民衆を扇動して――城を陥とします」

「し、しかし…アルフィーノには如何にして依頼するので!?そんな事をかの国が承けるかは…」


 そう。問題は、この話に乗った所で、アルフィーノにはなんら得がないということだ。こちらには今現在送れる金もなく、また反乱が成功する確率も高いとはいえない。商人の打算を生業とする国が、幾ら戦を防ぐと言っても、所詮他国同士の争いに首を突っ込んでくれるかどうか。


「ひとつ伏せていた札があります」


 セレナはルーベンス伯を手招きし、その耳元に数言囁いた。見る間に彼の表情が変わる。


「…殿下、それは本当ですか」

「はい。まだ私を含め数人しか存じません。文字通り、最期の切り札です」

「…なるほど、それならば…。しかし、誰を交渉に?私が…」

「貴殿は駄目だ。貴殿が離れてはまとまりがつかん」


 魔物との戦いでボロボロになった伯の一人が首を振る。それは、次代の国家元首たるセレナに対する侮りの言葉ともとれるが、この状況下では真実でしかない。


 いくら足掻こうとも、セレナはまだ十代前半の少女。中にはその年齢で才覚を発揮する者もいるにはいるが、それは少数で、彼女に求めるような心づもりは誰にもない。

 停滞した空気の中で、一つの声が上がった。


「オレが交渉に行く」


 全員、その言葉を放った人物を見やる。その少年は、空色の瞳に静かな色を湛えて、セレナを見つめていた。


年齢を記してみると、

ルイス→19歳

リディ→17歳

アル→16歳

セレナ→14歳

です。

セレナが難しい…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ