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第六話 陽と月 (4)

第六話 陽と月(4)







翌日。


「我らの兵力は五千余り。陛下がダリスに擁する兵力は凡そ一万、加えて魔術士の部隊が存在します」


 戦争反対派の城、名をガートという城の広間には、十名程の人間達が卓についていた。


 セレナが一番上座に座り、彼女に協力する伯は諸侯たちが次席。ルイスとアルには一番下座に申し訳程度に椅子が用意された。リディも座る様勧められたが、言葉少なに断って、壁に寄りかかって腕を組んで立っている。相変わらずフードは外さず、栗色の長い髪の一部だけが見えている。

 話は訥々と進む。


「我々の側に、魔術士は」

「いるにはいますが、陛下が手塩にかけて育てた魔術士達に、敵うかどうかは…。数もあちらの半分程しかいないでしょう」

「兵力差は歴然、か…」


 アルの呟きは、思った以上に静かに部屋に響いた。ルイスも頬にかかった髪を払って同意した。


「まともにやっても勝ち目はないな。無駄に双方の兵の命を喪わせ、その後オルディアンに叩き潰されて終わりだろう」


 淡々とした言い様に反論しようにも、的確な指摘な為に誰も言い返せない。


「…多分オルディアンは、この状況に既に気づいてる」


 更に、ぽつりとした呟きが追い討ちをかけた。場の視線が奥の壁に集まる。

 リディはフードの下で目を閉じて言った。


「幾らゼノの王が隠そうとも、たった十年前の過ちを忘れるほど、陛下――オルディアン王は楽天的な方じゃない。――こうして君達が戦を止めようとしているのに気づいているからこそ、オルディアンは攻め込んでこないんだよ」


 戦は嫌だ。その気持は、オルディアンとて変わらない。…そして、彼らは五年前の切り札を今、持っていない。


「戦を避けたいのはオルディアンだって同じ。けれど君達が下手に内乱を起こしてあっさりと鎮圧されれば、手遅れになる前にと攻めてくるのは間違いない。――無駄な博打は、しない事だよ。――セレナ」


 全く気負いなく、自然に王女を呼び捨てにした事に対し、集った男達が憤る前に、セレナがはい、と真摯な声と目でリディを見つめた。


「君は、戦が嫌いだと言ったよね」

「はい」

「でも、この場の話は正面から戦をして勝てるか勝てないかの話になってる」


 ぐるり、とリディは広間を見渡した。あちこちから訝しげな視線が返ってくる。ルイスは口の端でそっと笑んだ。リディが助言を与えるとは、珍しい事だ。ゼノと関わりたくないのだと思っていたが、そういう訳ではないらしい。


「何も真っ向から斬りかかっていく事はない。相手の不意をついて、後ろからぐさっと行ったっていいんだ」


 その場の殆どが内容を理解できない内に、リディは踵を返して広間を出て行く。


「あと一つだけ、教えておくよ。――烈火の鬼姫がいないというのは、本当だ」


 広間のあちこちから、警備の兵士達から、ルイスとアルも、息を呑む。ルーベンス伯がガタッと音を立てて立ち上がり、勢いこんでリディの背中に訊ねる。


「そ、それはどういう…!」

「言葉通りだ。『烈火の鬼姫は今オルディアンにはいない』。――オルディアンの人間しか知らない事だけど。だから、ぎりぎりまでオルディアンはゼノには手を出さないよ。彼女がいない事を他国に露見させたくはないからね。――ああこの事は、くれぐれも内密に」


 ちら、と振り返ったリディにセレナは青い顔で頷いて、それを確認してリディは広間から立ち去った。


 その背を見送り数秒後、ルイスは広間を見渡して眉を寄せた。


 卓につく男達から兵士まで、先程と顔色が違う。それ程までに、烈火の鬼姫がこの国に及ぼす影響は強いということか。


(――そういえば)


 烈火の鬼姫は、その圧倒的な火力に加え、まるで炎のような鮮やかな長い赤髪をしているという。また、彼女を代表するように、オルディアンの国民には総じて赤髪が多いと聞く。


 もしかすると。


「伯。もしかしてこの国で赤を見ないのは…オルディアン――特に烈火の鬼姫を連想させるからですか?」


 ルイスの問いに、上座のルーベンス伯は頷いてみせた。


「ああ。我々にとって、かの色は、忌まわしき十年前の炎を思い出させる。多くの者が、ラスランの付近にいたのだ。突如として上がった、天に届かんばかりの赤い炎…。遠くから見るだけでも悪夢であったのに、近くから見てしまった者は、悲惨だった。それが第一の要因」

「まだあるのですか」

「ああ。停戦協定にやってきたのだよ、かの『烈火の鬼姫』は。私も覚えている…まだ幼い顔に、冷たい表情を浮かべて、他の使者達よりなお鮮やかな赤い髪をしていた子供の姿を…」


 もう二度とあんなものは見たくない、と呻くルーベンス伯の傍ら、ルイスとアルは内心納得していた。


 そこまで忌み嫌われる赤。しかもリディもオルディアン国民の上、鮮やかな赤い髪だ。成程隠したくもなるだろう。もしかしたら前に嫌な目にあったことがあるのかもしれない。


(いや――まさか、『烈火の鬼姫』本人?)


 そして二人同時にその考えが浮かびかけ――同時にないないないないと首を激しく横に振った。


 彼らも烈火の鬼姫についての噂は聞いたことがある。曰わく――


(冷酷無比で残忍冷淡、人の命をなんとも思わぬ鬼女、存在自体が炎のようだ――。リディと180°違うっつの)


 ルイスははぁっと息を吐き出し、しかし少しかの烈火の鬼姫に同情した。



 噂というものの恐ろしさなら知っている。自らもそれに苦しめられているから。



(もしかしたら、彼女のこの噂も根も葉もないものかもしれないな…)


 いつか逢ってみたい。ルイスはそっと思いを馳せた。
















「――話を戻しましょう。ルーベンス伯、物資の具合は?」


 セレナの訊ねに、ルーベンス伯はうっと詰まった。言い辛そうに口に乗せる。


「…正直、心許ない。国全体で不作も続いていますし、準備の期間が短く、とても充分とは…」


 重苦しい空気が満ちる。物資不足。それはかなり大きな問題だ。物資がなければ何も出来ない。戦を仕掛けるどころか、籠城すら危うくなるのだ。元も子もない。


「…まぁ、他の街から調達するなりなんなりするしかないでしょう。我々に後はないのですから」


 卓につく男の一人が言い、そこから先は、戦についての侃々諤々の論争になった。当事者でないルイスやアルにとっては同じ事の繰り返しに飽き飽きし、この場にいないリディを恨めしく思った。


「ぜってーあいつ逃げた…」


 アルの呻きにルイスもうんざり顔で同意し、強かなチームメイトに頭の中で罵っていた。
















 漸く会議が終わり、とりあえず何名かが物資調達に近隣の街へ行く事が決まって、ひとまず解散となった頃には、ルイスもアルも精神的に疲れてぐったりとなっていた。


 アルはちらりとセレナを見たが、彼女は臣下達と書類を交わしていて、話など出来なそうだったので、ルイスの後について広間を出た。

 しばらく無言で歩き、人がまばらになった頃、ルイスは振り向かないままアルに言った。


「で?セレナ姫とはどうなんだ?」


 ごふっという変な音がし、足を止めて振り向けばアルが咳き込んでいた。真っ赤に染まった顔に、ルイスはにやっと笑って再び歩き出す。真っ赤な顔のまま、慌ててアルはルイスに追いつき、言葉にならない声を出す。


「な、な、何でっ…」

「昨日見てた」

「みっ…!?」


 今度こそ絶句したアルに、堪えきれなくなったルイスはついに吹き出し、肩を盛大に揺らしながら言ってやる。


「たまたまだ。上の廊下から丸見えだったんだよ。ちなみにリディもいたぞ」

「~~っ…」


 今度は声にすらならない呻きを上げてアルは沈み、ルイスが笑いの余韻に浸っている内に、二人は中庭に出ていた。中央に生えている木を、ふとルイスは見上げる。その目がすっと細まり、低い声が発された。


「――リディ。出て来い」


 ザッ、という音共に、フードを被った人影が、二人の前に飛び降りてきた。リディは欠伸をしてから、「気付かれるとは思ってなかったんだけど」と肩を竦めた。


「狩人証が光ってたんだよ」

「成程。盲点」


 今度から気をつけよう、と狩人証を懐にしまうリディに、ルイスは不穏な笑みを浮かべて詰め寄った。


「リディお前、よくも逃げやがったな?」


 リディは一瞬しらばっくれようか考えたが、誤魔化すのは不可能と悟り、大人しく両手を上げる。


「悪かった。だってあのままあの場にいたら私絶対寝てたし」

「俺達はそれを耐えたんだっ!」

「お疲れ様」


 絶対悪いと思ってない。ふるふるとルイスは拳を震わせたが、内心リディがいつもの調子に戻っていることに安堵していた。そんなルイスの心中は知らず、リディはひょいとアルを覗き込み、ルイスを見やって訊ねる。


「なんかアル沈んでない?何かあった?」

「…昨日見てたと言ってやった」


 にやっと笑ってみせれば、リディもああ…と人の悪い笑みを浮かべ、俯いて必死で己の心を宥めていたアルの肩を叩く。


「頑張れ。目指せ王配」

「…っあんたらぜってー楽しんでんだろーっ!!」


 涙目でリディの手を振り払ったアルに、今度こそ二人は爆笑した。







――――――――――――――――――――




「問題は、いつゼノ王が手を出してくるかだな」

「うん」


 三人並んで昼食を食べながら、ルイスとリディは頷きあった。アルがきょとんと二人を見る。


「…え?」

「考えろ、アル。梃子でも街からセレナ姫を出すまいとした王だぜ。このまま放っとくと思うか?」

「戦力減らさない為に攻めてこない、ってのもあり得るにはあり得るけど。まぁ低いだろうね」


 私だったら小さな禍根は断っておくよ、と言ったリディに、アルは青ざめながら怒鳴った。


「何でそれ言わねーんだよ!ルーベンス伯とかはそんな事考えてねーぜ!?」

「考えてるよ」


 リディは淡々と答えた。


「まだ子供のセレナは兎も角、あの人達はそこまで愚かじゃない。ちゃんと城の警備の配置も考えてる。――でも、下の意識が低すぎる。本当に最低限しか警戒してないんだから。――本当は言うつもり、なかったんだけど。このままじゃ取り返しのつかないことになりそうだから」


 ちらりと視線を周囲に向ける。昼時の食堂には、多くの兵士達で一杯だ。今歩哨には、大した数、いるかいないかだろう。


「――まぁ、流石にまだだとは思うけどな。セレナ姫が逃げてまだ三日だ。でも、明日辺りからはきっちり警戒した方が良い」


 がたっとアルが立ち上がった。引き結んだ唇から、直ぐにでもセレナに報せに行こうとしているのだろう。踵を返しかけた少年に、ルイスが声をかける。


「俺達は今日は魔物狩って、物資調達してくるから。明日の朝には帰るけど、万が一の時は城は頼むぞ」


 アルは振り向いて、年上の仲間を見つめた。軽い口調の割に、目は笑っていない。リディが言った。


「守りなよ。――彼女を」

「――言われなくとも」


 アルは言い捨てると、足早に食堂を出て行った。ルイスとリディは顔を見合わせ、青いねぇ、とくつくつ笑った。その顔が、ふと真面目に戻る。


「さっさとやってこよう。大丈夫だとは思うけど、物事に絶対はないからね」

「全くだ」


 ルイスもリディも手早く昼食を終え、食堂を後にした。






――――――――――――――――――――――




「そう…ですか。ルイス様と、リディ様がそんな事を」


 アルの話を承け、セレナは俯いた。気づかなかった。目先に捕らわれ、危険を察知できなかった。子供だから仕方ない――では済まないのだ。もし反乱が成功すれば、王位につくのはセレナだ。他人に甘える事は、許されない。


「ルイス様とリディ様は、私に己で考えよ、と言ってらっしゃるのでしょうか」


 言うつもりはなかった、という。そして先刻の会議での暗示めいた言葉。王族としての判断を求められている、そんな気がする。


「違ぇと思う」


 しかし、アルは首を振った。


「あいつらは、自分達の事は自分達で決めろ、って言ってんだと思う」


 どんな些細な事にも結果はある。そして結果を生むのは決断。自らの未来を選ぶのもまた、決断の先にある事象だ。


「この国の未来を切り開くのは、セレナ達だ。だから、オレ達は本来口を出すべきじゃない。あくまでセレナ達の事は、セレナが決断すべき。――そう、言いてーんだと思う」


 訥々と語られた言葉に、セレナは紫の瞳を見開き――次いで歪ませた。


(そう、か)


 突き放されている訳じゃない。彼らはただ、見守ってくれているのだ。間違った道だけにはいかぬよう、最低限の力添えをしながら。ゼノの未来は、ゼノが決めろ、と諭してくれている。


「…ありがとう、アル」


 泣きそうなセレナの顔にわたわたしていたアルは、予想外に向けられた微笑みに一瞬硬直し――次いで、大した事じゃねえよ、とそっぽを向いた。その仕草に思わずセレナは笑い、憮然とセレナを見たアルも、セレナの笑顔に釣られて笑い出した。








束の間の温かい時間。

しかしそれはまもなく、破られる事となる。






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