第六話 陽と月 (3)
第六話 陽と月 (3)
「セレナエンデ様!ご無事でしたか!」
首都ダリスから北に百数十キロ。時間にして荒野から凡そ二日程で、陽が沈みかけている夕暮れ時、彼らはとある領地にたどり着いた。こわごわと視線を向けてくる領民たちの間を通り抜け、四人は領地の中ほどに聳える城に馬を歩かせ、やがてその壁の内に入った。
「ルーベンス伯も。此度はこのような事になって申し訳ありません」
セレナエンデ王女改めセレナ(本人がそう呼べと言った)は、アルの手を借りて馬を降りると、ルーベンス伯と呼んだ壮年の男に向かって優雅に一礼した。周囲には沢山の兵が並び、セレナの姿に歓声を上げている。
「いえ、とんでもございません。むしろ、王女殿下が我々に同意して下さった事で、どれだけ我らが勇気付けられた事か…」
そこまで言って、ルーベンス伯は、王女を連れてきた人間が王女の従者でないことに気付いた。馬から下りた王女の手助けをしている少年と、王女から少し離れて城を眺めている男女を、鋭い目で見やる。
「殿下。誰でございますか、この者達は」
その言葉と共に、周りにいた兵士達がばっと動き、彼らを囲む。面倒そうな様子を隠しもせずルイスがそれを一瞥し、セレナは慌てて両手を広げた。
「この方達は敵ではありません!街で捕らえられそうになった所を、助けて頂いたのです!それどころか、私達に協力を申し出て下さいました!」
ルーベンス伯は警戒心を多分に含めて三人を見やる。王女とそう変わらぬ年の少年に、長髪の青年、フードを被った女。怪しい事この上ない。
「この方達は狩人なのです!名は…」
「アル・カーラルだ。ラーシャアルド出身」
言い募るセレナを遮り、アルがルーベンス伯を見上げる。
「疑うのはもっともだけどな。せっかく狩人が協力するって言ってんだぜ?ちょっとは期待したらどーだよ」
不敵な笑みに、ルーベンス伯はちょっと惑った。
――確かに、人ならざるモノ達と常日頃から相対する狩人ならば、大きな戦力になることは間違いない。しかし、
「間者だと思うか?悪いが俺達がダリスに着いたのは昨日の昼なんでな、昨今の情勢なんてさっぱり知らない。なあ、セレナ姫」
ルーベンス伯の中の戸惑いを察した風に、ルイスが軽い調子で言った。セレナも慌てて頷く。
「は、はい」
「殿下に馴れ馴れしい口を利くな狩人風情が!」
「よし、信じてくれたみたいだな」
飛んだ怒号に満足げに頷き、ルイスは軽く会釈する。
「俺はルイス・キリグ。エーデルシアス出身だ」
城の外に視線を向けていたリディをルイスがつつくと、リディは少しの沈黙ののち、ぼそりと名乗った。
「リディ・レリア。…オルディアン出身」
ざわり、と空気が揺れた。リディが低い声で続ける。
「…私も、故郷が戦火に呑まれるのは御免だから」
それまでのどんな言葉より、それは説得力があった。兵士達から警戒が消えていき、ルーベンス伯が一歩下がって頭を下げた。
「…申し訳ない事をした。――まずは御夕食を。その後お部屋に案内致します、殿下。そなた達も、今宵はゆっくり体を休めると良い」
――――――――――――――――――――――
夕餉の後案内された部屋で、リディは一人ベッドに転がった。小さめの部屋で、どうやら通りすがりの旅人に開放していたものらしい。セレナは当然最高級の客間で、ルイスとアルは兵士達の舎に部屋を貰ったらしい。久しぶりの独りきりの空気に、寂しさを覚えると同時にどこか安堵を抱いていた。
カーテンの開ききった窓から見える月を眺めながら、ぼんやりと呟く。
「戦…か…」
目を閉じれば浮かび上がってくる、忌まわしい記憶。
「もう、嫌だ…」
あんな事は。二度と、あんなものは見たくない。
嫌な記憶を振り払い、とっとと眠ろうと寝返りを打ったが、まだ時間が早いせいもあって一向に眠気がこない。しばらく粘ってから、諦めて身を起こした。
(風にでも当たろう…)
起き上がってから、旅装のままだったことを思い出して顔をしかめつつ、よろよろとリディは部屋を後にした。
「…あ」
「お」
なんのあてもなくしばらく歩いていたら、ばったりとルイスと鉢合わせた。彼は廊下の途中にある、大きなガラス窓の枠に座っていた。
「どうした?」
「…眠れなくて。そっちこそどうしたの」
「風呂上がりに夜風に当たってた」
にっとルイスは笑って、くいと窓の外を親指で示す。その黒髪は確かに少し湿っている。
「…冷えるよ」
苦笑して近寄り、向かいに座り様に小さく火の魔術を使う。軽い火の結界で、冷気を遮断してやったのだ。
「お、あったけ。サンキュ」
実はちょっと寒かったんだよな、とルイスは言いながら、外を指す手を下ろさない。
「寒いならとっとと部屋に…」
帰りなよ、と言いかけて、ルイスの指を追って外を見下ろしたリディは言葉を止めた。
「…アル?と、あれは…セレナ?」
窓の下は丁度庭園になっていて、月の光にも綺麗な庭木が咲いているのが見える。そしてその中の石造りのベンチに、彼女達の仲間なの少年と、この国の王女がいた。
「…何やってんのあの子達」
風邪引くよ、と呟けば、くくっと笑ったルイスが頬杖をついて下を見下ろす。
「逢い引きだろ」
「逢い引きィ!?」
思わず叫んでから、慌てて自らの口を塞ぐ。人が来ないのを確かめ、リディもルイスに倣って外を見下ろした。
下の二人は、なかなかいい雰囲気だった。月夜の下、身を寄せ合って何かを話している。どこか隔絶された空気を出している二人に、リディは窓から少し身を引いてくつくつと笑った。
「で?君はそれを覗いてたわけだ?」
「悪いか。人の恋路を傍観する事程気楽で楽しいもんはない」
「成程。…しかし恋路、ねぇ」
確かに道中、セレナはずっとアルの馬に乗っていたし、アルもセレナを気にしている節はあったが。何匹か遭遇した魔物との戦いの最中も、いつもなら前線に出たがる彼にしては珍しく、セレナを守るように一歩下がっていた。
「…お似合いだけどね」
ゼノの第一王女と、ラーシャアルドの第三王子。身分を話したかどうかは知らないが、アルは王配とするには最適な立ち位置だ。ルイスはさぁな、と肩を竦めた。
「あいつらのことはあいつらが決めるさ。なるようになる」
リディも苦笑して肯いた。
「…そうだね」
――――――――――――――――――――――
頭上でそんな会話をされているとは露知らず。
「…私は怖いのです。戦が嫌いだと言いながら、戦をして父を止める方法しか思いつかない。私も詰まるところ父と同じではないのかと」
アルは当初、何がどうしてこうなったんだと焦っていた。何とはなしにぶらぶらと散歩をしていたら、この庭園で伴も連れずに佇んでいるセレナを見つけ、思わずどうかしたのかと訊ねてしまった。振り向いたセレナの瞳には涙が溜まっていて、どぎまぎしている内に、何故かこうなっていた。
けれど聞いている内に、アルは真剣にセレナの話に応じていた。この子の苦しみをどうにかして和らげてやりたい。己の内に芽生えた感情の名は知らずとも、アルは心の底からセレナを案じていた。
「戦を止める為の戦、か」
小さく呟く。大きな戦を止める為に、小さな犠牲を払う。成功するかどうかは別にして、数としては合理的だ。実際にゼノがオルディアンと戦を始めてしまえば、兵士だけでなくどれだけの民が死ぬのか。
「…なぁ。あんたの親父は何のために戦をすんだ?」
アルの訊ねに、セレナはうつむいたまま答える。
「最初は、国の為に。でも今は恐らく…私情でしょう」
自らを屈辱的に敗北せしめたオルディアンへの恨み。逆恨みとさえ言えるそれに、大義はない。
「じゃあ、あんたは何の為に戦う?」
はっとセレナは顔を上げた。セレナを見下ろす空色の瞳は、温かい。
「…国の、為に。民を死なせない為に」
アルはにっと笑って、しかしおっかなびっくりセレナの滑らかな髪を撫でた。
「なら、あんたとあんたの親父は、違ぇよ。あんたはあんたの信じる道を行けばいい。民を死なせようとする奴を止めんのは、王族として当然だ」
その口調に、セレナは何か感じるものがあったらしい。目を見開いて囁く様に言った。
「あなたは…」
「――さ、帰ろうぜ。このままじゃ風引いちまう」
応えず、アルは立ち上がった。しかし、その腕を思わず縋るようにセレナは掴んだ。見下ろす空色に、セレナは顔を伏せながら頼んだ。
「…もう少し…もう少しだけ、傍にいて下さいませんか」
数秒の沈黙の後、アルは返しかけた踵を戻すと、セレナの隣に戻って腰を下ろした。腕にかかる細い指をそっと外して、代わりにその薄い肩を引き寄せる。
「…わかった」
セレナは少年の顔を見上げ――それが月の光しか灯りがない中でもはっきりと赤いのを見ると、自らも熱を持った頬を隠す様に再び顔を伏せ、少年の体に身を預けた。
(風邪なんて引ける訳がない)
反らしあった視線は何も見ず、妙に早くなる鼓動の許、二人は思う。
(だって、こんなにも熱いのに)
―――――――――――――――――
「…おやおや」
にやにやとその様を眺め、ルイスとリディは唇をつり上げていた。今が夜で静まり返った中でなければ爆笑していたに違いない。
「これは本当に、もしかするともしかするかもしれないね」
リディは笑いながら言った。暗い気分はどこかに行っていた。
そうだ、別に沈んでいたって何かが変わる訳ではないのだ。今はセレナに力を貸せば、それでいい。
大分気が楽になって、リディは窓枠から床に飛び降りる。
「寝るのか?」
「うん。今なら寝れそう」
ひゅんと指をふって火の結界を解く。急に再び襲った寒さにルイスが眉を寄せるのを見、ひらひらと手を振る。
「君も早く寝なよ。風引くから」
むっとしたルイスは、しかし寒さに身震いし、ふと思いついて腕を伸ばした。
「おい」
「なに…ってぶっ」
リディは振り向くと同時に腕を強く引かれてバランスを崩され、転ぶ、と咄嗟に受け身を取ろうとした瞬間、何か温かいものに体を包まれた。数秒目を瞬き、少し顔を上に向ける。
「…何してんの?」
バランスを崩した瞬間にフードが外れた為、久々に開けた視界がが端正な顔を映す。ルイスは大真面目な顔で言った。
「いや。魔術消されたから、代わりに温めて貰おうと」
「バカか」
呆れてリディは自分より一回りは大きい体を押しのけようとしたが、その刹那ぎゅっと抱きしめられる。
「……?」
「…あんまり、溜め込むなよ」
訝しげに視線を上げれば、そんな言葉と真摯な視線が返ってきて、思わずリディは声を詰まらせた。
下の少年よりだいぶ手慣れた様子で、ルイスはリディの頭を撫で、栗色の髪を梳く。
地毛でないためかどこか人間味のないそれを少し残念に思いながら、ルイスは言葉を紡いだ。
「お前が何に悩んでんのかは知らないし、別に言わなくていい。ただ、一人で溜め込むな。辛ければ俺に言え。…仲間だろうが」
リディは目を瞬かせ、次いで小さく笑ってルイスの胸に頭を埋めた。
「…ありがと」
「いや」
ルイスの胸に手をついて身を離すと、今度はあっさりと離れた。頭一つ程高い所にある青年の顔を見上げ、微笑む。
「大丈夫。今考えるべきことは、戦を防ぐこと。私の心情なんて些細なものだから、気にしないでいいよ。――でも何か元気出た」
「胸位ならいつでも貸すぜ」
ルイスが肩をすくめて言えば、リディは苦笑した。
「意味違ってるよ。――お休み、ルイス」
「ああ。お休み」
ひらひらと手を振るルイスを残し、リディはフードを被り直して、ルイスに背を向けて歩き出した。
歩きながら、妙に早足になる自分を自覚して、リディは内心焦りを覚える。
(なんで、こんなに脈速いんだ)
この年になれば、そうそう人と接触などしない。久しぶりに感じた広面積での体温は、とても温かくて、どこかほっとした。自ら離れた瞬間は、寂しさすら感じた。そして今、いつもより早い脈拍に動揺する自分がいる。
(…わけわかんない)
風邪でも引いたのか、くそ、ルイスじゃなくて自分に結界張ればよかった、と舌打ちしながら、リディは自室への道を半分駆け足で進んでいったのだった。
ルイスはリディの背を見送り、自らも廊下を歩き出した。下を見れば、いつの間にか二人の姿はない。まぁ時間も時間だし当然だろう。
角を曲がったところで、周囲に誰の気配もないのを確認してから、彼は大きなため息をついてずるずると壁に縋って座り込んだ。
(…抱きしめといて動揺するとか。俺いくつだよ…)
常にない心細げな目をみて、思わず手が動いていた。戦いの中で、何度も支え、抱えた事のある体。その時は何とも思わなかったのに、今日に限ってその体は、ひどく細く、華奢に感じた。この体のどこに、あの技量を振り回す力があるのか、疑問に思うほどに。
(なんなんだよ畜生…)
頭を抱えて数秒、しかし今はこんなことで悩んでいる場合ではないと頭の中のスイッチが切り替わり、一度深呼吸する。立ち上がった彼の眼に、もはや動揺は欠片もなかった。
(さて)
目を月に据える。
(あんたに本当に父親が殺せるか?セレナ姫)
まだ純粋無垢に、あどけない少女の色が強い王女。決意の色はあったが、断固としたものではない。僅か十四歳の少女に決断を求めるのは酷かもしれないが――それは、国を負う王族の義務だ。
(…まあ、殺せなくても支障はないと思うがな)
王位の簒奪は、なにも王を殺すことがすべてではない。追い詰められているのはわかる
が、安直に繋げるのはどうか。
(あんたは今、試されてるのかもしれないな)
王としての資質を。
ルイスは月に向けた目を細めると、薄暗い廊下を静かに戻っていった。
「たまに恋愛」部。
主人公二人に色気はないですね。心の中ではともかく。