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第五話 傷と感謝 (4)

第五話 傷と感謝 (4)






 ギギイ、と軋んだ音を立てて、再び閂が外された扉が開く。

 入ってきたのはみなりの良い男を先頭に、魔術師らしき者が五人、武装兵が二十人程だった。良く言えば恰幅の良い、悪く言えば肉団子のような男は、やたらジャラジャラした趣味の悪い服装のせいで、一目で貴族と解る。周りの魔術師や武装兵は男の私兵とみた。


 魔術師が何か呟いた。それによって、魔術環が浮かび上がる。どうやら魔力が流されたようで、それまで魔術環が視えていなかった娘達から、驚きの声が上がる。


 何かを唱えた者とは別の魔術師が命じた。


「環に入れ」


 武装兵達が無言で部屋に散らばり、娘達を追い立てる。泣き声や悲鳴がそこかしこから上がった。今にも詠唱に入ろうとする魔術師達に、リディは声を上げた。


「待ってっ!あなた達は何をしようとしているの!?」


 精一杯可憐な乙女らしく声を震わせ、顔を恐怖に歪めてみる。横でぶっとアルが噴き出しかけたのを、男達からは見えない位置で足で踏んづけた。わざわざ笑われなくてもこんな道化には反吐が出そうだが、壊す前に目的位訊いておきたいのだ。


 問うように魔術師達が貴族を見た。貴族はでっぷり太った腹を揺らし、にたにたと嗤う。


「そなた達はワシの為に死ぬのじゃ」

「あなたの為って?私達を使ってどうするの?私達を殺すの?なら死ぬ前に、死ぬ理由くらい教えてよ!」


 アルは、容赦なくふんづけられた爪先の痛みと、腹を抱えて笑い出しそうになっているのを必死の思いでこらえ、リディに倣って精一杯怯えた顔を作る。もともとカツラは長いので、多少引きつっていても誤魔化せる。


 目論見通り、貴族はリディやアル、そして娘達の怯えた顔に気をよくしたらしい。倒錯的な思考だ。大仰に魔術師達に手を振ると、話し出した。


「ワシはとあるアルフィーノの大貴族なのじゃがな。今の王家を弑逆して、王位につくのじゃ。その為にそなた達を生贄に、魔族を召喚するのよ」

「まっ…」


 流石のリディもアルも絶句した。事実上の死刑宣告に、室内の啜り泣きが大きくなる。


「王家の者は強い。魔術も武術も並大抵ではない。口惜しいが、普通に行ったのでは敵わん。じゃが、魔族の中でも最強と謳われる、セティスゲルダならば、王家なぞ滅ぼしてくれようぞ」


 アルは、ぴく、とリディが反応したのに気付いた。ちらりと見れば、表情が酷く静かになっている。


(…何だ?)

「…セティスゲルダ?」


 一方リディの変化には気付かず、男は得意満面に続けた。


「そうじゃ。闇の王と云われる最強の魔族の王。奴ならば王家とて…」

「バッカじゃないの」

「…ほ?」


 乱暴に台詞を遮られ、男は目を瞬いた。リディがそれまでの怯えた表情を拭い去り、完全に可哀想なものを見る目で男と魔術師達を見ていた。


 アルはその表情に、そっと目を伏せる。リディがなぜこうも蔑んでいるのかはわからないが、わざわざ話し合わずとも役割は見えた。魔術を使いにくい環の中で、少しずつ魔術の流れを引き寄せる。


「セティスゲルダを喚ぶ?阿呆じゃないの。あいつがそんなくっだらない事やる訳ないだろ。遊びで人を殺すような奴だよ。君達がやろうとしてる事はどっかで楽しそうに見守ってるかもしれないけど、喚び出して君らの要求聞くだけ聞いて次の瞬間には君達殺して終わりだよ。魔族が人間に協力する訳ないだろ?ホントに権力に憧れる奴って、馬鹿」

「なっ…なっ…」


 先程までと天と地程の差がある少女の態度に、貴族は絶句する。リディはそれを蔑みの目で一瞥し、魔術師達を見やった。


「君達も自殺願望でもあるの?魔術師の癖にそれが解らない訳でもないだろ」


 魔術師の一人がにやりと笑ってそれに応じる。


「やってみなければ解らん。成功すればこの世は我らの思う儘よ」

「――…あー、駄目だ。壊滅的馬鹿ばっかりだ」


 リディはこれ以上話す気も失せ、魔力を練り上げた。呼応してアルも、リディに同調して魔力を集める。それに気付いた魔術師が、嘲るように言う。


「無駄だ。この部屋の中は、我ら以外魔術は使え」


 ない、という言葉はドオン、という大音響に吹き飛ばされた。






―――――――――――――――――――――――――――



 アルを囮にする作戦は、見事に功を奏した。わざわざロハスから少し離れた街で罠を仕掛けるという手間をかけたのだ、そうでないと困るが。

 それらを全て仕組んだルイスは、見事に引っ掛かったはんにんの根城を突き止め、ロハスの狩人協会支部長と共に包囲の指揮にあたっていた。


 その途中で、犯人が何者であるかも割れ、それを聞いた者達は一様に呆れた。


「かつては栄華を極めたアルフィーノの大貴族の落ち目…か。過去の権力に目を眩まされた人間の典型だな。発想もぶっ飛んでるが」



 昔は、優秀な大臣としてアルフィーノの王宮に登用され、いかんなく手腕と栄華を発揮していた一族らしい。しかしその子はともかく、孫は無能だった。しかし家の権勢に酔った孫は、まるで自分がそうであるかのように、無い威厳を誇示して宮廷を闊歩した。しかし、今の国王が、二年前に代替わりした途端、くだんの貴族を始めとした、怠惰に分類される者達を身分も何も関係なしに宮廷から追放した。曰く、


『無能な者はここにはいらない。私の手足に足る人間のみが残る』


 アルフィーノは商業国家で、国王も自国の利益不利益をきっちり考えて動く商人気質の人間だ。しかも現国王は歴代の中でも頭が切れ、現実主義に基づく合理的な政策を行っているらしい。民の人気も高い。

 しかし一方で、国庫を自らの肥やしにしていたような人間にとっては、目の上のたんこぶのような存在だったのだろう。逆に王によって切り捨てられたが。

 民からしてみれば国王こそ正義であり、追放された者達など、自業自得でしかない。

 そんな自業自得の愚か者が万が一にも玉座についたとしても、即座に民は反旗を翻す。たちまち失脚するのは一目瞭然だ。

 しかも今のアルフィーノ王はオルディアン王家と縁続きの人間でもある。もし何かあれば、オルディアンが黙ってはいない。


 つまりは万が一、否億が一にもかの貴族が私腹を肥やせる可能性は存在しないということだ。




「しかもわざわざこんなもん作って。不信感煽るだけだろうが」


 リディ達が拘束されていると思しき屋敷は、見るからに構造が変だった。一つ大きな円柱形の建物があり、付随する建物は小さい。使用目的不明の怪しい物体でしかない。


「キリグ、包囲完了した。乗り込むか?」


 狩人の報告に、ルイスはそうだな…と呟いて、ガークと目を合わせた。


「中にはひと月前から拘束されている人間もいるんだ、安否が気遣われる。――乗り」


 込むぞ、と続けた言葉は、盛大な爆発音にかき消された。


「……」

「……」

「……」

(キレたな、リディ…)









「…な…何なの、あなた達…」


 呟いた亜麻色の髪の少女に応えず、リディとアルは視線を男達に据える。リディが火魔術で広間を建物ごと破壊し、リディに力を貸しつつアルが結界を張って、瓦礫から少女達の身を守ったのだ。魔術使用禁止結界の中での強力な魔術行使に、流石に二人とも足がふらつきかける。だがそれはおくびにも出さず、娘達を庇うように立った。


 すんでのところで結界を張って建物の破片から逃れた男達は、状況が理解できていない様だった。


「な…何が起こった!?あの中で、我ら以外魔術は…」

「君、魔術の基本覚えてる?」


 うろたえる魔術師に、リディはす、と笑った。アルを含め、その場にいた全員が軽くぞっとした瞬間、その姿が掻き消える。


「魔術使用禁止結界は、術者の魔力に比例する。その魔力を超える負荷をかければ、簡単に解けるんだよ」


 現れた、と思えたのも一瞬だった。一秒足らずの間に、魔術師一人と貴族の男を残し、生き残っていた兵士を含めた十人が吹っ飛んだ。


「ひっ…」

「な、何じゃ!?」


 貴族の男が喚く。元の位置に戻ったリディは再び薄く笑う。


「教えてあげるよ。今のも魔術。私は雷属性が使える。雷っていうのは筋肉を活性化することが出来る。人間の体の仕組みによるものらしいけど、それは専門家に訊いて。まぁともかくそれを使っただけだよ」


 超人的なスピードを持って移動し、目にも留まらぬ速さで敵を打ち倒す。実は使った後の反動が大きいので滅多に使わないのだが、この際仕方ない。


 アルはため息を吐いて、カツラを取った。だが、それに注目する者は誰もいない。


(手え出す暇もねえな…)


「残念だったね。私を攫ったのが、君達の運の尽きだよ」


 最早硬直して言葉も出ない魔術師と貴族に、リディは凄艶に笑んだ。

 二人の男が悲鳴を上げる前に、彼らは鈍い衝撃で意識を失ったのだった。











 ルイスら狩人一行が包囲網を解いて、そこに辿り着いた時には、全てが終わっていた。円柱状の建物を主とした瓦礫に、焦げた臭い。


「これは…」


 狩人達が訳がわからない、といった風情で辺りを見回す。突然起こった爆発によるものだとは解るのだが、いまいち何がどうしてこうなったのかが理解できない。その中で、ひくりとルイスとガークは顔を引き吊らせた。


「…どうやら…」

「心配は無縁だったらしいな」


 間もなく不自然に開けた空間が現れ、ルイス達は真実今までの心配が杞憂だった事を知った。


「あー、遅い」


 ぼんやりと瓦礫の上に座っていたリディが、一行を見て文句を言った。その足元には犯人と思われる男達が纏めて転がされていて、少し離れた所に、アルを中心として娘達が身を寄せて集まっている。


「無事か、リディ、アル」


 近づきながらルイスが言うと、アルは離れた所から軽く手を振ったが、んー、とリディは曖昧に笑い、瓦礫から飛び降り――がく、と崩れ落ちた。


「リディ!」


 叫んで、その躯が地面に打ち付けられる寸前で抱き留める。どこか怪我したのか、と焦るルイスの近くに、ふわりと強大な気配が顕現した。


「案ずるな。ただの魔力の使い過ぎだ」


 顔を上げ――瞬時にルイスは剣を抜いて跳びずさった。他の狩人達も、その尋常ならざる気に皆得物を手に円を組む。ルイスが唸った。


「セティスゲルダ…!」


 相変わらずの上から下まで真っ黒の着こなし。皮肉を浮かべた笑みも以前と全く同じだ。


 わずか二カ月程前の邂逅を思い出して、ルイスはギリッと歯を食いしばった。

 あの時はリディもいて、『十強』の中でもかなり有名な部類に入るオーギーンがいた。しかしそれでもなお、歯が立たなかったのだ。

 今は元『十強』も一人いるとはいえオーギーン程ではないし、リディも意識不明。

 道中修業を重ねてはいるが、たった二カ月で、天と地程もある実力差を詰めることができたなどという楽観的思考をルイスは持ち合わせてはいなかった。



 魔族の王、セティスゲルダは、そんな彼におやおやと両手を上げる。


「別に何もせぬ。我は此度は傍観者だ。そこの愚か者共が喚び出そうとしていた、な」

「喚び…?」


 ルイスは眉を寄せた。こんな奴を喚び出して何をするというのか。セティスはくつくつと嗤って答えず、代わりに近づいて来ていたアルが答える。


「こいつら、王位のを奪おうとしてたらしい。その為に女百人を生贄にして、セティスゲルダを召喚しようとしたんだ。セティスゲルダってのはそいつか?ルイス」


 女装しているためにいまいち凄みはないが、警戒心と殺気は本物だ。セティスゲルダは彼を面白そうに見て、しかし何をすることもなく肩を竦めた。

 ルイスが舌打ちする。

 

「馬鹿か、そいつら」

「それ以上言ってやるな。紅の小娘に散々罵られていたからな」


 吐き捨てたルイスの表情に肩を揺らし、セティスはおかしげに目を細める。


「全く言いたい放題よくも言ってくれたな、と伝えておけ。否定はせん、ともな」


 ひとしきり嗤うと、セティスは長い髪を翻した。


「小娘、そこの小僧の助けがあったとはいえ、魔術禁止結界の中で火魔術を使って建物ごと粉砕した上、雷魔術で肉体強化してそやつらを吹っ飛ばしていたから、早く治療してやると良い」

「…どういう風の吹きまわしだ?」

「別に。ただ下手に貴様らに手を出すと、我も殺されかねないのでな。ではな、黒の小僧」


 それきり空に掻き消えたセティスを追って空を睨む事はせず、ルイスは抱えていたリディに魔力を流し込んだ。青白い頬に赤味が戻ってくる。ある程度で止めて、ルイスはリディの背と膝裏を支えて抱き上げた。


「リディ、大丈夫か?」


 セティスゲルダが消えた後、狩人達と話していたアルが近付いてきた。


「ああ。怪我はしてない。ただ雷で肉体強化したらしいから、直ぐには動けないだろう」

「ああ、やってたな…あれやってる時は爽快だけど後がキツいんだよなあ」


 自分も雷属性持ちのアルは、思い出して身震いする。筋肉に凄まじい負荷がかかる為、下手な事をすると数日間は動けないのだ。


「女達は大丈夫か?」

「ああ、無事だぜ。結界張って守ったからな。ただ、オレはそれしかやってねーし、魔力貸しただけだから、多分リディが全部片付けたと思ってると思う」


 ルイスとアルはちらりと娘達を見やる。彼女達は怯えた表情でこちらを見ていた。


――無理もない。リディや自分、アルの力ははっきりいって異常だ。魔術を扱う者なら殊更強くそれを感じるだろう。まして、目の当たりにしたなら尚更だ。


 しかし、アルはそうは考えていないらしく、不満げに頬を膨らませる。


「リディが体張って助けたのにな。なんか、ムカつく」

「仕方ないだろう」

(――皮肉だな)


 助けた事で拒絶される。恐れられる。自分も、そして恐らく――リディも珍しい事ではない。


 もう、慣れた。


「…俺達は、そうすることしかできないんだよ」


 自嘲気味の呟きに、アルが怪訝そうな顔をしてルイスを仰ぐ。ルイスは彼から顔を背け、踵を返した。


「先に街に戻る」


 ルイスは踵を返して、馬の元に戻った。もの言いたげにアルが見ているのがわかったが、あえて振り返る事はしなかった。風の力を借りて、リディを担いだまま馬に跨って、起きる気配のない躯をしっかり抱き寄せて、ルイスは手綱を打った。


 ポツポツと水滴が彼らを打つ。空は明けると同時に泣き出したらしい。間もなく土砂降りとなったそれの中を、彼はひたすら無言で駆けた。






―――――――――――――――――



 雨は翌日も止む気配を見せず降り続いた。そしてリディが起き上がれる様になったのは、二日後の昼過ぎだった。それでも体のあちこちが痛むらしく、ベッドで不機嫌に食事を採っている。採りながら、ぶつくさとリディは文句を言っていた。


「肉体活性の問題点ってここだよね。動けなくなるのって死活問題」

「オレもそー思う!治療術も効かねーし。何とかなんねーかな」

「難しいだろうな。普通人間に許された限界を破る訳だから」


 ルイスとアルもベッドサイドテーブルで食事を共にしていた。


 この二日、ベッドから離れられないリディに、ルイスとアル、特にルイスは付きっきりだった。武器無しなのを失念し、危険な目に遭わせたのを余程後悔しているらしい。リディは呆れて、気にするなと何度も言ったのだが、ルイスは頑として頷かなかった。


「こればっかりは魔力強くてもね。やっぱりここぞという時しか使えないな」

「オレより魔力強いあんたならなんか対処法知ってんじゃないかなと思ったんだけど。無理か」

「それは研究系に訊いた方が生産的な気がするけどな」









 あの日、ルイスが半ば自嘲気味に言った言葉を、アルはずっと内心で考えていた。どういう意味だったのかを繰り返し反芻したが、解らず、ある時ルイスが旅の必需品を買い出しに行った時、代わりに置いていかれたので、アルは、試しにリディに訊ねてみた。


「リディは、さ。後悔とかしないのかよ?助けた人間に、ちゃんとした感謝もされない事」


 リディはちょっと驚いたらしい。数秒目を丸くしてから、小さく苦笑した。


「アルは素直だね」

「…どういう意味だよ」

「そのままだよ。…私達は強いよ。普通の人間からは考えられないような魔力を持ってる。いっそ異常なほどね。それが普通の人達には、信じられないんだよ」

「信じ、られない…?」

「そう。圧倒的な力でもって敵を倒す。その敵は、自分達にしてみればとても敵わないような、とんでもない敵。それをあっさりと倒すような存在は、ある意味で恐怖の対象になる」


 リディは苦笑すら浮かべていたが、顔の左右均等に収まる金色の瞳はどこまでも無表情だった。


「もしその力が自分達に向けられたら。そう、心が勝手に考えるんだ。…そんなこと、助ける真似をする訳がないのにね。――でも実際に力を悪用する人間もいるから、救いようがない」

「……」

「私だって最初は腹が立った。せっかく助けたのに。必死で頑張ったのに、って。…でも、わかったんだ、彼らが私を疎む理由が。…しょうがないんだよ」

「しょうがなくなんかねえよ!そう思って何が悪いんだよ!勝手なのは、そいつらじゃねえか!!」

「…そのうちわかるよ…と言いたいけど、君はその心を持ったままでいなよ。君らしいからさ」


 今度こそ本当に苦い顔で笑ったリディに、アルはそれ以上何も言えなかった。たった二歳しか変わらないのに、彼女は自分よりはるかに多くの事を知っている――そのことが、アルの口を噤ませた。


 ルイスも、リディも、多くの事を体験してきて、学んできたのだろう。ぬくぬくとした鳥籠からあまり出た事のない自分になど、想像もつかない事もあるに違いない。それでもせめて、報われて欲しかった。


 その望みは、翌日叶うこととなった。










「私の知り合いにも研究系の奴いるけど、そいつも無理だって言ってたな…ん?」


 リディがドアに視線を向けた。同時にノックされる。


「どうぞ?」


 ガチャリ、と開いた扉から入ってきたのは、十人程の娘達だった。その姿に見覚えのあったリディとアルは、目を見開く。


「あなた達は…」


 全員がリディを真摯な色で見つめる中でも、娘達の先頭にいた、亜麻色の髪の少女が、リディの目をしっかり見て言った。


「私達、貴女にお礼を言ってなかった。――助けてくれてありがとう。生き残れたのは貴女のお陰よ。あと、そこの貴方の」

「オレおまけかよ…」

「黙れアル」


 ごそごそと男二人が小突きあう傍ら、違えようもない感謝の言葉に、リディは顔を歪めた。数度言葉を呑み込み、やがて隠すように顔を背ける。


 ――久しぶり、だった。助けた事に礼を言われたのは。


「…別に、私自身があのままじゃ死んでたし。大した事じゃないよ」


 呟く様な音量に、その後ろにいた黒髪の少女がむっと声を張り上げた。


「なに卑屈な事言ってんのよ。誰が何と言おうと、あんたがいなきゃあたし達は全員殺されてたわ。礼くらい素直に受け取ったらどうなの?」


 リディが酢を呑んだ様な顔付きになる。やがて、くしゃりと顔が笑み歪んだ。


「…どう、いたしまして」

「それでいいのよ」

「エミリー、態度が大きいわよ」


 ふんぞり返った少女に、後ろから笑いを含んだ声が飛ぶ。煩いわよ!と叫び返したエミリーに、更に笑い声が上がり、間もなく部屋は少女達の軽やかな笑い声で満たされる。終いにはリディも笑い出して、一気に部屋の空気は明るくほぐれた。


 ルイスとアルは顔を見合わせ、そっと部屋を抜け出す。


「良かったな、リディ」


 階下に降りていきながら、アルが嬉しそうに笑った。


(ほら、報われたら、嬉しいもんだろ、リディ)


 アルの言葉に、ルイスも唇を綻ばせながら頷いた。

 宿を出て、目にした光景にさらに二人は笑みを深める。わずか三日前にはピリピリとして、閑散としていた町の通りには、多くの人がつめている。

 若い男女や、幸せそうな家族、買い物をする姉妹。誰もが笑みを浮かべ、幸福と喜びを表してそこにいる。


(この風景を取り戻せただけでも)


 よかったのかもしれねえな――とアルが感傷に浸り、殊勝なことを思いながら突っ立っていると、彼に気付いたらしい若い男女が急ぎ足でアル達に近づいてきた。


「君、女達を取り戻してくれた狩人の子だろ。本当にありがとう!またユーナに逢えて、本当によかった!」


 女と固く繋いでいた手を離して、アルの両手を取ってぶんぶんと上下に振る男に、空色の瞳を点にさせていたアルは、やがて太陽のような明るい笑みを灯して、男の手を握り返し、女の手を取って二人の手をつなぎ戻した。


「別に大したことじゃねえよ。せっかくまた会えたんだから、幸せになれよ」


 つかの間きょとんとした男女も、すぐに笑顔を交わしあって照れた風情で身を寄せ合った。その様にうんうん、と満足げに頷いているアルの後ろ、黙って事を静観していたルイスは、ぼそりと人の悪い笑みを浮かべてからかいの言葉を投げる。


「よく言う。あんなに女装嫌がってたくせして」


 瞬時にアルの顔が赤に染まった。


「あっ…たりまえだろが――!!だいたいっ、あんたがあんな無茶ぶりするから俺があんな目に――!」

「うまくいったんだからいいだろ。だいたい無茶ぶりなんかじゃねえよ、ちゃんと似合ってたぞ、お嬢様」

「てっめふざけんな――――!!」


 響き渡る怒号、飄々とした軽い口調、追って上がる明るく楽しそうな笑い声。

 それらはすべて、この町に平和が戻ってきたことを、強く人々に実感させるものだった。







 人の感謝とは尊いものだ。それ一つで、人はこんなにも明るくなれる。それは簡単なようで、実は難しい。しかし難しいからこそ、それは心の奥まで照らし、染み入っていく。人の行いは人の心を傷つけもするが、人の心を癒すのもまた、人の行いなのである。


 


 町の通りを駆けながらふと見上げた空は、何もかも吸い込まれそうなほど、明るく鮮やかな青い色をしていた。

第五話終了です。なんか一話一話が長かった…かな…?セティスゲルダさんはこれ以降しばらく出番がありません。たぶん。


次の第六話は、長い。予定でいます。メインとサブの中間点みたいな女の子が登場するはず。名前は前に一度出しましたが…

なんて予告しましたが、次回の更新は4月5日以降の予定です。お読みいただいている方は、再び気長にお待ちいただけると幸いです。

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