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第五話 傷と感謝 (3)

第五話 傷と感謝(3)






 リディは冷たい石の感触で瞼を上げた。

 ――手首と足首が縛られている。身をよじり、視線を回してみた。が、目の前に広がるのは壁だった。


「……?」

「…あなた、大丈夫?」


 もう少し状況を把握しようと身を捩っていると、か細い声が背後からかかる。反動をつけてぐるんと体を回転させ、音源を見上げる。リディより少し年下位の若い娘が、リディを見つめていた。白い頬はやつれ、豊かな亜麻色の髪はほつれている。


「今、縄を解いてあげるわ」


 別に自分でも解けるが、黙ってリディは少女に任せた。やがて自由になった足首と手首を、擦って血を巡らせながら、リディは辺りを見回した。


 そこは大きな広間だった。八十メートル四方はあろうかという石造りのそこに、ざっと見ただけで軽く五十名以上、若い娘達が座り込んでいる。リディの右手近くに扉はあるが、重い閂が下りている。その上、恐らく向こう側は南京錠もかかっていることだろう。


「貴女で、九十九人目よ」


 ひっそりとした声に、リディは怪訝そうに振り向いた。リディの縄を解いてくれた少女の隣にいる黒髪の少女からだ。


「…九十九人目って?ごめん、状況が把握出来てないんだけど」

「何を悠長なこと言ってるのよ!この辺りでずっと若い女の子達が誘拐されてたでしょう!それで貴女が、九十九人目なのよ!」

「…ああ、成程。だから街に人通りが少なかった訳だ」

「貴女ね…!」


 この状況理解しなさいよ!と怒鳴る少女を余所に、リディはふと床を見た。感覚を研ぎ澄ませ、目を細める。


(魔術環…)


 広間の中央に視えた、うっすらと光るものに、リディは顔をしかめた。




 魔術環とは、大規模広域の魔術や、構築魔術、召喚魔術等に使われる、一言で言えば魔力収束装置のようなものだ。

 召喚魔術はどの属性にも属さない特殊な魔術で、主に強力な精霊を呼び出すのに使われる。魔術師が生涯の随伴者となる精霊を決める際、本人の魔力を糧に行われる位しか、使われないのだが。

 構築魔術とは、召喚魔術とは反対に、様々な属性な魔術を組み合わせたものだ。ただ現存数は少なく、もっぱら研究者が文献で見るぐらいしか需要はないと言われている。




 無言で精霊を喚び出そうとして、リディは魔術が使えないのに気付いた。いつもはすぐ傍にある気配が、まるで壁の向こうにいるかのように遠い。


(…何かに妨害されてる?)


 すると、別の方向から声がかかった。


「無駄よ…、この中では魔術は使えないわ。結界が邪魔しているの」


 リディはその方向を見た。喋っていたのは濃い茶色の髪の少女で、リディは彼女から魔力を感じ取った。


「試してみたの?」

「ええ…何度も何度も。私だけじゃなくて、この部屋の中にいる魔術を使える子達皆でやってみたわ。でも、駄目」


 リディが見回すと、そこここから頷きが返ってきた。皆一様に顔は諦めの色に染まり、絶望が目に浮かんでいる。


「この魔術環って、なんの為のものかわかる?」

「詳しい事は解らないけど…何か良くない物を喚び出そうとしているみたい。多分私達は…」


 その先は言われずとも解った。あちこちから啜り泣きが上がる。リディは目を細め、思考を巡らせた。


(この広域の魔術環。私達を生贄にする召喚魔術だとすると…多分悪魔か何かを喚び出す気か。正気を疑うな)


 どこの阿呆なのか。悪魔を喚び出して死ぬ以外の何がしたいのだ。あいつらに言葉は通じないというのに。


 瞑目して集中する。少し手間取ったが、程なくして魔力の流れを掴んだ。不可視の壁を抜けて、体に精霊の気配が戻ってくる。要はこれを組んだ魔術士より魔力が強ければいいのだ。リディにとってはさほど難しい事ではない。


 しかし、リディはそこで顔をしかめた。


(ただ破るとなると…一筋縄じゃいかないか。何人も魔術士が集まってる…私だけじゃ破るのはきついな)


 まあ最悪、隠し持っている核の力も総動員、魔力の底まで使い果たせば出来ない事もないかもしれないが、そのあとの事を一切関知できなくなりそうなので、出来れば使いたい手ではない。

 さっき少女は、リディが九十九人目だと言った。キリのいい数字を考えると、おそらく生贄に必要な少女の数はあと一人。その娘が来るまでに、何らかの手を打たなければならない。どうするか――。彼女が出した結論はこうだった。


(…とりあえず、寝よ)


 寝て体力魔力気力を調えよう。


 壁にもたれて静かになったリディに、周りは絶望で諦めたと思ったらしい。何人か啜り泣きし、四半刻程後には、重苦しい死の予感という沈黙の帳が降りた。






―――――――――――――――――



「なんと…!リディ・レリアが攫われたと!?」


 狩人協会に着いた二人の報告に、ロハスの街の狩人協会支部長、ガーク・リンゲルスは目を剥いた。


「リディは鍛冶屋に剣を預けていたから…不意打ちだったんだと思う」


 深刻そうなルイスの答えに、ガークはもとより、周りで聞いていた狩人達も絶句した。


 リディ・レリアとルイス・キリグの“自由時間”がこの街を訪れていた事も驚きだったが、その上にリディ・レリアが誘拐されたなど。信じられないというよりは、信じたくなかった。


「大体の話は聞いたけど…詳しい事情を教えてくれないか。この辺りで何が起こっているのか」


 ルイスの要求に、ガークはすぐに頷いて、話を始めた。


 大体の内容は食事処で女性に訊いたのと同じだったが、いくつかの補足を得た。若い娘達がいなくなるのは決まって人気のない路地で、ちょっと目を離した隙にさえいなくなっているという。このひと月であっという間に被害者は九十人を超え、先程入った報告によれば、リディで九十九人目だというのだ。


「九十九人…」


 ルイスはしばし考え込んだ。

 ひと月でそれだけの娘達が誘拐されたというのも大問題だが、気になるのは数だ。そうまでして娘達を攫わなければならず、しかも短期間。時間をかければ場所を突き止められることを危惧したのか。早急に大勢の娘達を欲したその理由は。


「生贄…」


 呟きに、何人もがぎょっとした。アルが青ざめた顔でルイスを振り返る。


「な、生贄!?」

「普通若い娘を短期間にこんなに攫う必要はないだろう。ということは、何かに捧げるために攫った、と考えるのが妥当だ。…おそらく、首謀者達は女達を生贄に、何かを喚ぶつもりだ。そして生贄となる女の数は、…恐らく百人」

「百…か。魔術環を使用した召喚であれば、納得がいく数だな」


 その場に居合わせた魔術士からも理解の声が上がる。ルイスは舌打ちした。


「魔術環の中に閉じ込められてるとすれば、リディでもそうそう破る事は出来ない。二人いれば何とかなるだろうが…おい、今この街に強い女の魔術士はいるか?囮になれるような」


 僅かな希望をかけて張り上げた声に、けれど返ってきたのは沈鬱な否定だった。


「いないのだ。少しでも魔力のある女は、早い段階で攫われてしまった。それも、魔術士としてはあまり力は強くない。そもそも魔術環を内から破る程の力を持つ魔術士など、女でなくてもそうそうはおらん。むしろ、リディ・レリアがいたら、万全の用意をした上で、そのことを彼女に頼みたかったぐらいだ…」

「…くそっ…」


 かすかな希望さえも断たれ、ルイスは前髪を丸めた。こうしている間にも、どこかで女が攫われて、生贄が揃うかもしれない。そうすればリディは…。


 その時、どんどんどんどん、と激しく扉をたたく音が響いた。


「…なんだ?」


 アルのつぶやきに重なるように、怒鳴り声が扉を突き抜けてきた。


「あんたら、いつになったら娘達を助けてくれんだ!」

「……っ」


 苛立ちと怒りを多分に含んだ声。一人や二人ではなく、かなりの人数が扉の向こうにいると察せられる、熱気と気配。

 ルイスとアルが周囲の狩人達を見やると、沈鬱な表情で皆扉を見つめている。


「聞けば、また一人攫われたらしいじゃねえか!もう初めの一人からひと月だ!いつまでかかってんだよ!娘を早く取り戻してくれよ!」

「てめっ…!」


 男の声に、アルはぶちっときて怒鳴り返そうとした。



 なにがいつまでかかってんだ、だ。そういうてめえらは人任せにして怯えてるだけかよ!



 そう言おうとした口を、しかし後ろから塞がれる。反射的に放った肘打ちも止められて、アルはもがきながら自分を抱えている人物を振り向いた。――この町の協会支部長、ガークだった。


「おっさ…」

「すまない。だが必ず助け出す!信じてくれ!」


 ガークはアルを顧みることなく、扉の向こうに向かって叫ぶ。

 なおも不平の声が外から上がったが、繰り返すガークの言葉にしぶしぶと言った風情で散って行ったようだ。取り戻された静寂の中で、なんでだよ、とアルが言った。


「なんで謝るんだよ!おっさん達にまかせっきりで、あいつら怒鳴るだけじゃねーか!そんな奴らになんで謝る必要が…」

「わたし達が狩人だからだよ」


 苦い笑みを、少ししわの刻まれた顔に浮かべながら、ガークが答えた。抱えていたアルの体を離し、疲れた風に髪をかき上げる。


「わたし達には、普通の人達にはない力がある。魔術士だけじゃない、剣士だってそうだ。戦闘能力、という名の力を持っている。そういった力――魔力であれ戦闘力であれ――はたまた財力、権力であれ、持つ者は力に応じた義務があるのだよ」

「…義務…」


 ぽつんとルイスがつぶやく。


「そう、義務だ。わたし達はこの戦闘能力を、人を守るために使わなければならない。普通の人達が娘達を救うために動けば、その人達まで危険に晒される可能性がある…だからこそ、わたし達が動かなければならないのだよ。それが、狩人としての役割だ」

「……」


 アルは唇をかんだ。言いたいことは、何となくわからないでもない。それでも、必死の捜索に対する報いが罵詈雑言という事実を受け入れられないのは、まだ自分が子供だからなのだろうか。


(力を持つ者には義務がある、か…)


 そのアルの傍ら、ルイスはふっと自嘲めいた表情を漏らした。




 義務ならば、ある。しかし、それに人生をとざされたくないという願いは、我がままでしかないのだろうか。




(…いや)


 今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く、娘達を救う術を見つけなければ――。


 そこでふと、ルイスはアルを見つめた。視線を受けたアルはきょとんとし、次いで顔を引きつらせる。嫌な予感に思わず足を引いた彼の腕を、同じことに思い至ったらしい周囲ががっしりと捕まえた。


「坊主、お前綺麗な顔してるよな?」

「しかも肩薄いし、骨格もまだそこまでがっしりしてないし」

「筋肉もそこまで目立たないし」

「腰も細いし」

「な、な、何なんだよ…!?」


 それまでのどこか沈鬱な空気はどこへやら。部屋にはどこか楽しげで、しかし不穏な(アルに対して)空気が漂っている。


 だらだらと冷や汗を流しながら、アルが暴れる。しかし彼より屈強な体躯を持つ者達の前には、ほぼ無意味だった。

 ルイスは僅かに思案し、次いでその誰もが見惚れる美貌を、にこりと笑ませて首をかしげた。その微笑みに、アルを捕まえていた男達の腕がうっかり緩むも、アルは蛇に睨まれた蛙のごとく凝結した。


(げっ…!)


 賭博場でのリディと同じ。誰もが陶然となる笑みでありながら、解る者には解る、背筋を凍らせる脅迫の笑顔。


「アル。言いたい事は、解るな?」


 否やとは言えない。解りすぎるほど解っている。解りたくはない。でも解ってしまった自分が憎い。



 ――数秒後、狩人協会から絶叫が轟いた。








―――――――――――――――――――――――




 ガタン、という音でリディは眠りから醒めた。部屋の隅、リディの右手にあった閂のかかった扉が開いたのだ。すっと意識を冴えさせ、魔力を調える。


 感覚の隅で、数人の女の泣き声が聞こえた。扉から、二人の兵と、それに抱えられる様にして、華奢な体躯が部屋に入ってくる。栗色の長い髪をした、若い女だ。


 兵士たちは女を降ろすと、一言も言葉を発さずに再び扉から出て行った。ガチャンと閂の下ろされる音が、やけに大きく響く。


(そういえば、百人目か)


 やけに早いな…と思いながら、リディは顔をしかめた。

 まだ何の手も打っていないのに、もう時間切れとは。これはいよいよ、後先考えずに魔力を爆発させるしかないのか、と舌打ちしつつも、百人目の女の一番近くにいるのはリディなので、いざり寄って横たわる女の肩に手を伸ばした。


「君、大丈…」


 喋りかけたリディの声が、止まる。

 栗色の髪の下から顕れた、浅黒い肌。整った顔立ち。そして、閉じていた瞳が開いて、見知った空色の瞳を目に映した時――リディは爆笑した。室内の娘達が唖然とするのにも構わず、身をよじって腹を抱えて笑い転げる。


「何やってんの君!!てか何その化粧、濃っ!!くっ、腹痛い…」

「うっせー!誰のせいでこんなことになったと思ってんだあんたは――!!」


 起きるなり爆笑されて、栗色の髪の女――改め、また女装させられたアルは涙目になって怒鳴り返した。








 ひとしきり笑いまくったリディは、ぶすくれて拗ねたアルを適当になだめ、未だ目尻に浮かぶ涙を拭って感心した。


「それ誰の提案?」

「あんたの素晴らしく性格のイイご相方だよ」

「ああ、やっぱり…てか、あいつは女装しなかったんだ?似合いそうだけど」

「オレもそう言った。でもあの野郎っ…」


 男達に羽交い絞めにされながら、悪足掻きのようにアルが「あんたも女装しろよそんだけ顔綺麗なんだからっ!!」と怒鳴ったのだが、その綺麗な笑顔であっさりと返されたのだ。曰く、


「俺は骨格がもう男だから。さすがに担ぎあげられればわかる。遠目に見られるだけなら平気だろうけどな」


 と。


「……。ルイスらしいね…」


 合理的で反論できない理屈でありながら、なんか腹の立つ言い分。この半年、幾度それにやり込められてきた事か。普段は怒鳴り合う事がもっぱらだから、まだいい。しかしたまに笑顔になったルイスは、かなり怖い。ぶっちゃけ、リディの比ではない。


「で?ルイスはここの位置をわかってるの?」

「ああ。オレを囮にして、犯人達を追う手はずだから。今頃狩人達の本隊がこっちに向かってるはずだぜ」

「オーケー…残る問題は…」

「あの…あなた達は…」


 派手に騒いでいたので遠巻きにしていた少女達は、ひとまず二人が落ち着きを見せたのを見て、恐る恐る近寄ってきた。


「ああ、安心しろ、オレは――」

「アル、黙って」


 笑顔を浮かべて少女達に説明しようとしたアルを、不意に鋭い眼になったリディが遮った。制止させられたアルも、並みの人間より鋭い五感が、この部屋に近づく足音を聞きとって目を細める。


「…お出ましか?」

「さて、どんなツラしてるんだか」


 武器はないが、なくてもできることはある。娘達も足音に気付いて怯えを見せる中、二人はゆっくりと体勢をいつでも動けるものに切り替えた。



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