第五話 傷と感謝 (2)
第五話 傷と感謝 (2)
「はい、勝ち」
さらりと言ってリディがコインを引き寄せる。――既に彼女の前には、山となったコインが積み上げられていた。
「う、嘘だ…」
ディーラーが真っ青な顔でルーレットを見つめる。
何故――何故、こうも当たる!?玉を投げているのは自分だ。なのに何故、玉は彼女の言った色と数字に収まるのだ!?
「リディにこんな才能があったなんて…」
ルイスも青ざめていた。笑顔でリディは相手を見ている。見た目だけなら美しい――だが実情を知っている彼だけに、これ程恐ろしいものはない。
「ほー。ガキの癖にやるじゃねぇか」
にやにや笑うフリングはしかし、止める気はないらしい。着々とコインの山は増えていく。
「すげー…なんであんたこんなに当たんの?運強すぎじゃね?」
目を丸くしていたアルが、リディに囁く。リディはあっけらかんと囁き返した。
「何言ってるの。イカサマに決まってるだろ」
一拍置いて、えええ!?と叫びかけたアルの口をルイスが塞ぐ。むぐー!ともがくアルをよそに、ルイスはリディに小声で言った。
「なんでお前イカサマなんか出来んだよ!?」
「だってよく賭博場行ってたし」
「なんで!?」
「最初は姉上に連れられて行って、あとは面白いから。覚えれば楽しいよ」
「お前の姉さん何者!?」
そんなやり取りの最中、またもリディは勝って更にコインが詰まれる。そろそろ潮時だな、とリディは判じた。カシャンと一つコインの山を崩して、笑顔でディーラー達に向き直る。
「――はい、これ位でいいよね。ここの修理代分と、あとアルの通行証。足りないとは言わせないよ」
――確かに、言える訳がない。むしろお釣りが出る。しかしリディはこの社会のルールをよく解っていた。これだけの大勝ち、普通なら自分は生ゴミ行きだろう。イカサマは明らかなのだから。
けれど向こう方の目論見に添う要求ならば。それは受け入れられるのだ。
「――いいだろう」
それまで静観していたフリングがリディににやりと笑った。
「ただし、お前らその坊主連れてきな。生憎この街にゃそいつ抱え込める人材はいねえ」
「…はぁ!?」
「へ!?」
リディとアルが素っ頓狂な叫びを上げる中、ルイスはやっぱり気付いていたか、諦めの境地で思った。流石に狩人協会支部長、観察眼は鋭いらしい。
「元々二人ってのが異例なんだ。三人も充分常識破りだがな。その坊主一人じゃちと不安だ。調度いい、連れてけ」
ルイスとリディは顔を見合わせた。
フリングの言うことはもっともだ。旅をしてから解ったが、一人旅はかなり辛い。何度となくお互いがいてよかったと思ったものだ。それに――放っておけない事情が彼にはある。
「…しょうがない」
リディは首を振って、金の双眸でアルを見据えた。
「連れてってあげるよ。君も束の間の自由、楽しみたいんだろ」
「お前なら充分戦力になるしな。行こうぜ?アル」
ぽかんと成り行きを待っていたアルの顔に、徐々に喜びの色が灯る。
本当は不安だった。自由を求めて外に飛び出して、でもそこに広がるのは何も知らない世界。何にも囲われていないのに、奇妙な閉塞感がそこには在った。
だから、差し伸べられる二本の腕が、限りなく光に見えた。まだ出会って間もない二人。殆ど何も知らないのに、不思議とアルは、二人を何よりも頼れるものと感じていたのだ。
「…ああ!宜しく頼むぜ!」
こうしてこの日、”自由時間”はコンビからトリオになったのだった。
――――――――――――――――――
その夕方。
「兵隊さん、通してくれる?」
兵士は振り向いて目を剥いた。昼頃に、どうすれば国境を通過できるかと訊きにきたばかりの青年と少女の二人組が、紛う事無き通行証をを手に立っている。
「通行証!?どうやって…」
「フリングさんがくれました」
「ええ!?」
実力を認めた者としか話もしないフリング。それを突破するとは…。
兵士は後ろの青年に目を映し、そして昼頃には姿がなかった人間に目を留めた。
ベールを被った女だ。濃い青の布の下からは、柔らかな栗色の髪の房が零れている。
「あー、こちらはアルフィーノご在住の貴族の方です。魔物に遭遇されて、ご自身は運良く生き延びたらしいのですが、伴は皆…。フリングさんに送り届けるよう頼まれまして」
見れば、女性は悲痛そうに震えている。兵士は痛ましげにそれを見て頷いた。
「そうでしたか。お気の毒に…。どうぞお気をつけて。最近魔物が増えているようですし、お二人も、くれぐれも油断なさいませんよう」
「ありがとうございます。では」
二人の兵士が、交差させていた槍を離す。リディ達は軽く頭を下げ、大勢の兵士の見送りの下、国境を抜けた。
抜けた所で引いていた馬にそれぞれ跨り、国境の石壁が視界の彼方に霞んだ所で。
「……」
「……」
「…っがー!!暑苦しいっ!」
ご令嬢が突如ベールを剥ぎ取り、頭を掻き毟った。長い髪が外れ、茶色の短髪が現れる。リディが爆笑し、ルイスはにやにやと笑った。
「似合ってるのに勿体ない。アル、しばらくその格好でいなよ。男引っかかるんじゃない?」
「ふざけんな」
ご令嬢――改め女装させられていたアルは、憮然とリディを睨んだ。
――――――――――――――――――――――――
遡ること数時間前。
「はぁっ!?女装!?オレが!?何で!?!?」
人目につかない路地裏で、告げられた言葉にアルは叫んだ。
「だって、さすがに王子だろ?どうも首都から追いかけてきた兵士達みたいだし、幾らなんでもバレるよ。だから」
女装、とあっけらかんとリディは言う。ルイスは気の毒そうに目を反らした。確かに『男』を『女』に見せてしまえば、見つかる確率はかなり低くなる。だが何もそれでなくとも――という気持は、よくわかる。
「アル、幸いまだ華奢だし。女物着せて、適当に化粧すれば充分女に見えるよ」
自分は化粧など一つもしていないリディは心なしか――否、確実に楽しそうな顔をして、反論を諦めてどんよりとうなだれたアルを引っ張って市場に繰り出したのだった。
結果としてそれは正しかった。リディが選んだ、品の良い女物の服とベールを被って、店の主人に拝借した道具で簡単に化粧をすれば、それはもう綺麗な女が完成したのだ。その間にルイスに買ってこさせたカツラを付ければ、本人も黙り込む程、女にしか見えなかった。
そうして難なく国境を突破したのだから、文句は言えない。
「大体なんで女ってこんな動きにくい服着てんだ?満足に走れもしねぇじゃん」
苛立ち紛れに言えば、リディは肩を竦める。
「私にもわかんない」
「…はあ!?」
お前女だろ、と言いかけて、アルは言葉を止める。
白単色のストールに、変哲もない半袖のシャツに、薄い茶色のチュニック。腕は黒い綿製と見える指抜きの長手袋で覆い、上腕を細いベルトのようなモノで締めている。脚は太腿の半ばより少し上までの白いショートパンツと、太腿の半ばより下は黒いソックスで覆われ、膝から下は濃い茶色の丈夫な革のブーツ。
顔の造作は綺麗だ。だが彼が見て来た『女』とは、余りにかけ離れていた。まず女は派手な色が好きだ。普通、脚を晒したりしないし、腕を覆うのは白い手袋だ。何より騎士でもない限り、『女』は剣を差していたりしない。
「……」
がっくりと肩を落としたアルに、概ね考えている事を察していたルイスが、悟ったような台詞を投げた。
「諦めろ。こいつは規格外だ」
「なにそれ。何の話だよ」
リディに答えず、ルイスは苦笑した。これで着飾れば絶世の美少女というのだから、詐欺な話だ。
――――――――――――――――――――――
山道を進み、途中何度か魔物と遭遇して撃退し、一泊野宿して翌日の昼過ぎ。三人はアルフィーノの南に位置する街、ロハスに着いた。
ロハスは山を越えるとはいえ、ラーシャアルドと最も近い街。通商で賑わう街、のはずなのだが。
「…なんか、閑散としてるな」
食事処を求めて歩きながら、ルイスが言った。ほか二人も頷く。
そう、人通りが明らかに少ないのだ。街の規模と人通りが釣り合わない。露店は殆ど見当たらず、通る人々の表情は、一様にどこか固い。
食事処もがらんとしていて、給仕の娘も注文されたものを届けると、さっと引っ込んでしまった。
「外に怯えてる?」
リディがスパゲティを口に運びながら、横目で外を見た。先程の給仕の娘は、外を見ないように、近づかないようにしていた。何かあるというのだろうか。
「魔物でも出んのか?」
ルイスと共に、何人前かも知れぬ大量の品を次々と口に放り込みつつ、アルが言う。
「さあ…。狩人協会で訊いてみるか」
思案するルイスを余所に、一人前を早々に食べ終えたリディが立ち上がった。
「私は鍛冶屋に寄る。協会で会おう」
リディがここに来る迄に、刃を見つめて眉を寄せていたのを知っている男二人は、ひらひらと手を振って見送った。
リディが席を立って半刻程。思う存分食べて満足した二人は、会計に給仕を呼んだ。すると、
「も、もう一人の女の方はっ!?」
二人のテーブルに来るなり蒼白な顔色で叫んだ娘に、ルイスとアルは首を傾げる。
「用を済ませに先に行ったけど。どうかしたか?」
娘は口に手を当て、ばっと外を見た。陽はほぼ沈み、辺りは薄暗い。
「そんな…!どうして!」
「どうしても何も、事情が分からないんだが」
ルイスとアルが眉を寄せていると、店の奥から恰幅の良い中年女性が顔を出した。こちらも顔色が悪い。
「あんた達、旅人かね」
「そうだけど」
「…今この辺りの街は皆、若い女は一人で出歩いちゃならないんだよ」
―――――――――――――――――――――――――
その頃リディは、鍛冶屋に剣を預け、さあ狩人協会はどこかと道を歩いていた。何故か鍛冶屋が引き止めようとしていたが、宿も探さなければならないし、時間は無駄にできない。
「…しかし、人気がないな」
薄闇が包み始めた街は、しんと静まり返って人の気配がなく、不気味ですらある。しかし今更それに怯える年齢でもない。
不意に感覚の隅をつついた気配に、足を止めて振り向く。
歩いてきた路地には誰もいない。気のせいか、と眉をひそめていると、にゃあ、という鳴き声と共に、ガラクタの影から黒猫が顔を出した。
「…猫か」
にしては明確な気配だったような、と内心首を傾げるも、足にすり寄ってきた猫に笑みを漏らし、しゃがんで頭を撫でてやる。うっかり和んで、だから気付くのが遅れた。彼女の背後から、影がかぶさった事に。
「――――!」
ハッと気付いて振り向いて、反射的に腰に手をやる。だがそこに剣がないことを思い出すと同時に、リディの視界は暗転した。
――――――――――――――――――――――
「ここ一ヶ月位だよ、若い娘が夜、次々といなくなってね」
早くあの子を追いかけてと叫ぶ娘を宥めて、事情説明を頼むと、中年の女が深刻な面もちで喋る。ルイスとアルは黙って聴いていた。
「どこの街でも警備隊や狩人が探してるんだけど、一向に見つからないんだよ。だから娘達は夜出歩かなくなって、街もすっかり賑わいをなくしちまってね。今じゃ夜に散歩する奴はいないのさ」
「なんで若い女が攫われてるんだ?」
「それすらわからないのさ。ただどんどん娘達の姿が消えていく。もう、私らは怖くて怖くて…」
「ルイス、どーする?」
自らの肩を抱く女と娘を余所に、アルはルイスを見上げた。ルイスは肩を竦める。
「あいつは誘拐されるような可愛げは持ち合わせてない。今頃協会で待ってんだろ。とっとと行くぞ」
聞いていた母娘はそんな薄情な、と思ったらしい。娘は非難の眼差しを浮かべ、母親は声を荒げた。
「あんた達、」
「危ないと思ってたら、こんなとこであんた達の話なんか聞いてない。大丈夫だ、あいつは強いし…あ」
不意にルイスが口を抑えた。そういや、とアルが呟く。
「あいつ…今剣持ってねーんじゃ」
「ウェーディ、あいつの魔力を追え!」
ロハスの街を走りながり、ルイスは自身の風精霊を喚ぶ。リディの事だから平気だとは思うが、人間慣れというものがある。咄嗟に剣に手を伸ばしてしまえば、次の反応は遅れる。その隙を突かれたら――。
「なぁっ、あんたのそれ、最上位?」
走りながらアルが訊ねた。視線は向けず、ルイスは返す。
「そうだ!」
「やっぱり?気配が強いと思った!あんた達二人共、魔力はオレより強いだろ!何者?オレ一応、」
「その先言うなよバカ!リディは知らないが、俺はお前と似たようなもんだ!」
「っ、それって…」
アルの疑問はウェーディが戻ってきた事で途切れた。本人にしか視えない精霊とルイスが意思を交わし、道を駆ける。辿り着いた路地裏に、リディの姿はなかった。
「…ここで、リディの魔力が途切れたと言ってる」
ルイスが険しい口調で言った。内心が猛烈に後悔に苛まれている。失態だ。幾らリディと言えど、不意打ちに得物無しで応じるのは難しいと、何故もっと早く気付かなかったのか。
「くそっ…!」
「待てよ」
冷静さを失って踵を返そうとしたルイスを、腕を掴んでアルが止める。
「離せっ!リディが捕まるような相手だっ、何されるか…」
「落ちつけよッ!!」
頭に血が上って、アルの手を振り払おうとしたルイスに、アルは辺りにも響き渡るような怒声を発した。
「落ち着け。あんたがパニクったら、何も始まらねえ」
若干怯んだルイスは、走りだしかけていた足を止めた。頭に上っていた血が下がっていく。数回深呼吸して、悪い、と呟いた。
「悪い。…お前の言うとおりだ」
「冷静になったならいいさ」
アルは肩をすくめて、掴んでいた腕を離し、けど…とからかうような目でルイスを見上げる。
「あんたも取り乱す事ってあるんだな。オレがぶちっと来る前にあんたがキレたから、なんか冴えたぜ。そんなにあいつが大事?」
ルイスは鳩が豆鉄砲を食らったような表情になり――憮然と踵を返した。
「くだらないこと訊くな。狩人協会に行くぞ。情報がなきゃ何も始まらない」
「へいへい」
アルは軽快に笑って、歩きだしたルイスの背を追った。
リディ攫われました。でも彼女は普通のヒロインじゃありません。
キリが悪くて申し訳ないのですが、諸事情で27日まで更新を停止します。読んでくださっている方は、気長にお待ちいただけると幸いです。