第五話 傷と感謝 (1)
第五話 傷と感謝 (1)
ラーシャアルドとアルフィーノの国境手前の街、エドラ。観光国家ラーシャアルドと、商業国家アルフィーノの境だ。旅人や商人の行き来は多く、自然街は栄え、二つの国が友好関係を結んでいる為、国境は万人に開け放たれている。のだが。
「…なんで国境封鎖されてんの?」
赤い髪の少女、リディは憮然と呟いた。
目の前にある、エドラから国境に向かう検問は、特徴的な青い鎧に身を包んだ兵士達が詰めていた。
「さあ…訊いてみるか」
通せと文句をいう人々の前で、どこかピリピリした雰囲気を漂わせている兵士の一群に、黒髪の青年、ルイスは近付いた。
「すいません」
歩み寄る二人の男女に兵士達が振り返る。兵士達の表情は殺伐としていたが、相手がまだ年若く、純粋な疑問を浮かべている顔であることに警戒を解く。
「何だ?」
「これ、国境封鎖されてますよね」
「見ての通りだが」
「何かあったんですか?」
リディの訊ねに、兵士のひとりが額を抑えて答える。
「…その。探し人が、いまして。その人間が、国境を越えようとしているというので」
「…通れないんですか」
「申し訳ありませんが…。通行許可証があればいいのですが。それ以外何人たりとも通すなという御指令なのです」
リディとルイスは顔を見合わせた。余り一か所に留まっているのはマズいのだが。だがここで食い下がった所で、どうにもならないだろう。
「…わかりました。通行許可証というのは、どこに行ったら手に入るでしょう?」
「この街を預かるゲザン少将か、狩人協会のフリング殿ならば…。しかしゲザン少将は難しいお方です。会われるかも…」
だからこそここで人々が、通せと詰めかけているのだろう。観光客はともかく、商品を仕入れに行く、もしくは持ち帰る商人達にとっては死活問題だ。だが、そういう事なら話は早い。
「狩人協会に行きます」
リディとルイスは踵を返した。その背を慌てた声が追う。
「否、フリング殿はもっと厄介です!過去に『剛腕の斧戦士』と謳われた、元『十強』の一人で、ご自分の認めた方としか…」
「問題ありません」
二人の顔が笑みを浮かべる。胸元で銀のプレートがキラリと光った。
「私達は、狩人ですから」
――――――――――――――――――――
「なんか、ごちゃっとした街だね」
兵士に教えられた道を辿りながら、リディがそんな感想を言った。
そう、まさしくエドラはごちゃごちゃした街だ。元々は国境手前というだけの小さな街だったのだが、人通りが増えるにつれ、増築するように規模が拡大した為、街には設計性も何もない。路地や露店が入り乱れ、完璧主義者には耐えられない場所だろう。
「迷いそうだな」
あっさりと言ったルイスに、リディは顔を歪める。二人は別に方向音痴という訳ではないが、人並みの感覚だ。確かに一度道を見失えば迷いかねない。
「ま、風使えば平気だろ」
しかし続いた言葉に安堵する。そうだ大丈夫。自分には風魔術がある。
「でも行き倒れとかいたら笑えるな――」
笑い混じりに言ったルイスは、ふと視線を移し――固まった。
「?」
自分の後ろを見て硬直しているルイスを不審に思ってリディも振り向き――同じ様に固まった。
一人の青年が路地から這い出した格好で俯せに倒れている。いや、少年というべきかもしれない。南国らしく剥き出しの肩は、細身に分類されるルイスと比べても、かなり華奢だ。
「…行き倒れ?」
リディは、とりあえず放っておく訳にもいくまいとその体の横にしゃがみ、様子を見ようと手を伸ばし――突如伸びてきた腕にガシッと掴まれ、ぎょっとして悲鳴を上げた。
「うぎゃっ!?」
それを聴いていたルイスは、相変わらずどこまでも女らしさのない奴、いや多少のかわいげはあったっけな、とかなり失礼な事を思いつつ、行き倒れ少年を挟んでリディと反対側にしゃがみこむ。
「おい。大丈夫か?」
「…し…」
「死?」
腕を掴まれたままのリディが、出来るだけ身を引いて聞き返す。何で物騒な方向にいくのか。
ルイスは屈み込んで、俯せたままの少年の口元に耳を寄せた。
茶髪が揺れて、苦しそうな声が漏れる。これはマズいかもしれない、とルイスは眉を寄せ、おい、と少年を揺すった。が。
「飯…」
「……」
「……」
それきりぱたりと沈黙した少年に、ルイスとリディはしばし顔を見合わせた。
「っはっ、生き返ったー!あんた達、ありがとうすんげー感謝!!」
行き倒れ少年改め、満腹少年の満面の笑みを前に、リディは半ば呆然としていた。
「ルイスと変わらない量食う奴が存在するなんて…」
「だから言ってんだろうが、お前が少食なんだって」
「んな訳あるか」
目の前には積み上がった皿。リディの言葉通り、その量はルイスと張る。その向こうにいる浅黒い肌の少年をルイスは見、軽いノリで訊ねた。
「で、どうしたんだお前。何であんなとこで行き倒れてた?」
「迷ったんだ」
少年は至極当然の様に答えた。
「…何でだ。お前魔術士だろ。どうにだって出来るだろうが」
ルイスの突っ込みに、少年は目を丸くした。
「そっか。風使えば良かったんだな」
「気付けよ…」
ルイスは呆れて息を吐いた。自分も気づかなかった口のリディは沈黙を守った。
「改めて、助けてくれてありがとう。オレはアルフレイン・ウグリス・ロウ・カーラント・ラーシャアルドっていう。あんた達は?」
「……」
「……」
(今、こいつなんて言った?)
二人は目を見開いて少年を凝視した。少年は首を傾げ――自分の失態に気付いたらしい。
「あ、しまった」
「「あ、しまったじゃねぇええええ!!」」
思わず二人同時に怒鳴ってから、慌てて周りを見回す。今の発言、聞かれていたらかなりヤバい。が、幸い昼時には遅い時間帯の為か、店内に人の姿は殆どなく、またいる人間も気にした様子はなかった。
「ちょっと待て。今お前なんていった」
「バレちゃしょうがない。オレはラーシャアルドの第三王子だ」
「そういう事をさらっと言うな!」
リディが叫んで少年の頭を殴った。不敬罪とかそういうものは頭から吹っ飛んでいた。
「…で?王子様が何でこんな所にいるんだ?」
頬杖をついてルイスが訊く。護衛の気配もないし、何より王子にしては服が質素で、間違いようもなく薄汚れている。先程の国境封鎖を思い出し、なんとなく全景が見え始めた。
「逃げたんだ」
「……」
「…やっぱそうか」
リディは駄目だコイツ…と声に出さずに沈み、ルイスは頭を抱えた。
彼から聞き出した流れはこうだ。
観光国家ラーシャアルドは国土は広くなく、争いごとは滅多にない。従って、王家の仕事もあまりない。退屈な日々に飽き飽きしていた彼は、ある時思い付く。
どうせ何かあったとしても自分は第三王子。いてもいなくても兄上達がいれば、どうという事はない。ならば一丁王宮を抜け出し、世界を見て見聞を広めようではないか!――と。
そうして彼は王宮を出、マリナリオを飛び出し、ここに至る。
「でも国境封鎖されちまっててさ!立ち往生って訳だ」
はっはっは、と空色の眼を快活に細めて笑う少年に、リディは笑い事じゃないだろ…と頭を痛める。
「お前とっとと捕まれ。俺達が国境越えられねえだろうが」
溜め息を吐いたルイスに、少年が憮然と頬を膨らませた。
「嫌だ。折角ここまで来て諦められっかよ」
ルイスもリディも口を噤む。…彼らには、少年を非難する資格はない。それどころか、彼の気持ちは痛い程解るくらいだった。
「…しょうがない」
リディが何かを振り切った様に立ち上がり、ルイスを見下ろして言った。
「ルイス、行こう。狩人協会行けば私達はなんとかなるだろ。王子、ここは払っといてあげるからさっさと行きなよ。魔術使えばどうとでもなるよ」
少年はぽかんと二人を見、首を傾げる。
「あんた達は、狩人なのか?」
「そうだよ」
「狩人協会に行くなら、案内してくれ」
「…は?」
少年は、真面目な顔で言った。
「金は持ち出してきたけど、早晩なくなることは見えてる。狩人になれば魔物を狩って核を換金出来るし、今回みたいに封鎖さえされてなきゃ狩人証だけで大抵のとこパスできんだろ。元々狩人になろうと思ってたんだ」
ルイスとリディは顔を見合わせた。馬鹿そうな奴だと思っていたが、仮にも王子。至極合理的な考えだ。
「…いいだろう。その考えは正しい。俺達は幸い地図持ってるから、連れてってやるよ」
ルイスの許可に、少年はぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに笑った。
「ありがとな!恩に着る…そうだ、あんた達、名前なんていうんだ?」
「ああ…俺はルイス・キリグだ」
「私はリディ・レリア」
「ルイスにリディか。オレの事はアルって呼んでくれ」
底抜けに明るい少年の笑顔に、ルイスもリディもついに笑い出したのだった。
―――――――――――――――――
「…で、来てみたものの」
時は少し後、狩人協会前。だが三人は入って良いものか悩んでいた。
「なんか違いすぎじゃね?これ。ホントに狩人協会かよ」
少年――アルの言うことも尤もである。ルイスとリディが通ってきた街に比べ、いや比べようもない程、その建物は豪華だった。大きく、昼間にも関わらず灯り台には炎が灯り、派手な服装の人々が出入りし、装飾は限りなく華美である。
「協会っていうより、賭博場みたいだな」
ルイスが呟いて、しかし紛れもなく『狩人協会』と書かれたそこに、恐る恐るの体ながらも、意を決して足を踏み入れる。そして図らずも彼が口にした感想は、正しいものだったことが証明された。
「マジに賭博場じゃん…」
中はやはり華美な作りで、広いホールにはカード、ビリヤード、チェイス、等々…所謂オトナの遊び場が広がっていた。
まだ十六才のアルには脅威的らしい。ルイスの後ろをこそこそと歩いている。そのルイスも居心地悪げにちらちらと周りを見ている。こういった場の経験はない訳ではないが、余り好きな場所ではない。が。
「…なんかお前、慣れてないか?」
二人の隣を歩くリディは、特に気負いもなく平然としている。
「そう?」
その瞳には怯えも何もない。ルイスとアルはこそこそと囁き声を交わした。
(明らか慣れてる)
(何で?)
(知るか)
(あんたら仲間じゃないのかよ!)
(仲間といえども知らないことぐらいある!)
だが彼女がそんな様子であった所で、この場で薄汚れてフードを被った三人は明らかに浮いていた。
室内の視線を浴びながら、彼らは部屋の中央にあるカウンターに行き着く。
そこに座る中年の男に、ルイスが居心地の悪さを振り払って訊ねた。
「あー…フリング殿とやらは、いらっしゃるか」
男は目を上げもしない。ただ、そこからいる事だけは確信したルイスは、話を続ける。
「俺達は狩人なんだけど、国境が封鎖されてて困ってる。フリング殿ならば何とか出来ると聞いて来た。それとこいつは狩人登録がしたいそうだ」
しかし相変わらず反応はない。ルイスは眉をハの字に開いて言葉を呑んだ。取り次いでも貰えないのか。どうする。
「リディ、どうする」
弱って振り向いたルイスは、その時男が顔を上げたのに気づかなかった。だが男の正面に立っていたリディやアルは勿論気づき、男を注視した。
「リディと言ったか?」
突如後ろから聴こえた野太い声に、ルイスもぱっと振り向く。顔を上げた男の鳶色の眼は鋭く、猛禽類のような鋭さでもって彼を射抜いた。
「――リディは、私だけど」
リディがルイスの後ろから出て、男に言った。男はじっとリディを見て、
「三人とも名乗んな。その鬱陶しいフードも取りやがれ」
リディは素直に従ってフードを下ろし、一拍おいてルイスとアルも同じようにした。フードの下から現れた、揃って端正な顔立ちに、三人に注目していたらしい、あちこちから驚嘆の吐息が漏れる。
「私はリディ・レリア」
「…俺は、ルイス・キリグ」
「オ、オレは、アル・カーラル」
アルも今度は偽名を言え、また本名を名乗ったら見捨てようと決めていた二人は、密かにほっとする。男はしばし沈黙し、ついで。
「そうかい。お前らが”自由時間”か。俺がフリング・ダートンだ」
過去に剛腕の斧戦士と呼ばれたその男は、にやりと笑った。
「お前らの事は、グレイから言付かってる」
唐突な言葉に、ルイスもリディも驚く。出て来た名前も予想外だ。その二人に、フリングはひらひらと手紙を振ってみせる。
「クラーケン退治の報酬すっぽかして消えやがったから、代わりに通行証発行してやれってな」
「あの人が…」
リディが呟く。気に食わない奴だと思っていたが、まさかそんな便宜を図ってくれていたとは思わなかった。
「だが、その坊主の事は書いてねえ。いつからお前らトリオになったんだ?」
「なってない。成り行きで連れてきただけ。多分こいつ、それなりの実力はある。狩人にさせてやってくれない?」
アルをちらと見て、リディはフリングに訊ねた。フリングは頬杖をつき、アルを品定めする様に見た。
「坊主、ジャンルはなんだ?」
問われたアルは目を瞬き、答える。
「治療士と魔術士と剣士」
その言葉に周りはざわめいたが、リディとルイスは納得した。彼からは聖属性を含んだ魔力を感じたし、身のこなしも明らかに武術をする者だ。華奢ではある。がそれに関してはリディとてそうだし、単純にアルは体がまだ成長しきっていないだけの話だ。
フリングは唇の端を軽く持ち上げる。
「ほー。じゃ、その実力、ちょっくら見せて貰おうか」
そう言うなりフリングは――カウンターの下に置いてあった斧を握り、カウンターを飛び越えてアルに斬りかかった。
「うわっ!?」
ドン、と轟音が響いて床の石が砕かれ、破片が飛び散って視界を覆う。反射的に飛び退いて剣に手をかけたリディとルイスだったが、砂塵の向こうにアルの姿を認め、慎重にフリングと思われる影を見やる。
「ほう。避けたか」
アルの剣は直刃の剣だった。長さはリディのサーベルよりは長く、ルイスの両刃の大剣よりは短い。空色の瞳は驚いていたが、同時に緊張感で鋭さを帯びている。
周囲はといえば、慣れているのか気にした様子もなく壁際に下がっている。
「ちょっ、店壊していいのかよっ!?」
「別に困んねえよ。これ位いつもの事だし」
…やっぱり。リディもルイスも溜め息を吐いて、剣から手を離して壁際に下がった。いつもの事なら問題ないだろう。死人は出すまい。
「おら、行くぜ」
「いっ――」
フリングの第二撃を、アルは身を捻って躱した。躱しきれず頬が裂けて血が飛ぶが、かえってアルはそれで気合が入ったらしい。纏う雰囲気が硬質化し、余分な力が一切抜ける。
「…いい眼だ!」
嬉しそうにフリングが叫び、室内には金属の衝突音が相次いで木霊した。
「…アル、強いね」
その様を見ながら、リディが呟いた。ルイスも頷く。
華奢とさえ言える細身の体はしかし、綺麗な型に沿ってしなやかに動いている。どちらかというとリディに近い、相手の力を利用する技法だ。ただそれは成長途中を理由とした前段階なのだろう。所々ルイスと似た、力も使う戦法を交えている。
また、フリングの体の重さを考慮しても、アルの身のこなしは異様に軽い。
(…どこの国でも王族は普通より戦闘能力に優れる、か。本当だな)
ルイスが黙って見つめる中、しかし勝敗は見えてきた。
「おら、甘ぇんだよ!」
剛腕の斧戦士の名は伊達ではない。その凄まじい膂力と、培われた戦闘経験に、明らかにアルは圧されていた。隙を狙おうにも、相手の攻撃をかわすのが精一杯で、下手な力加減をしたらあっという間に剣が弾かれる。
アルがどうするか悩んだのは一瞬だった。しかしその一瞬が勝敗を決した。
カァン、と甲高い音と共に、銀の光が軌跡を描いて飛んでいった。尻餅をついたアルに、容赦なく斧が迫る。――が、それは寸前で三本の剣が防いだ。
「…何だ?お前らもやんのか?」
アルの前に立ちはだかり、ルイスとリディが斧を止めていた。ルイスがはっと笑って、
「よく言うぜ。一瞬俺達の方を見たのはあんただろう」
「悪ふざけも大概にしてほしいね。――アル、大丈夫?」
アルは呆然と二人を見上げた。あの斧を二人がかりとはいえ正面から止めるなんて――。
しかしフリングは、どこ吹く風で人の悪い笑みを浮かべる。
「さてな。なんのことだか。だが邪魔した責任は取って貰おうかい。部屋の修理代払えや。狩人証と通行証の発行はそのあとだ」
ルイスとアルは唖然とした。だからこいつはあんなに容赦ナシだったのか。汚い。汚すぎる。
だが一人――リディだけは落ち着いていた。素早く右手をしならせて、踵を返しかけたフリングの頭に、何か光るモノを投げる。それなりに勢いのあるそれをフリングの右手はパシッと掴み、胡乱気にリディを振り向いた。
「フリングさん。ここ賭博場なんだよね?」
リディはにっこり微笑んだ。あちこちで物が落ちる音がする。どうやらリディの微笑みを視た男達が音源だ。しかし、ルイスはぞっと顔を引き攣らせる。
間違いない。あれは―――脅す時の顔だ。
「賭博場なら、賭博場らしい金のやり取りをしない?」
掌を開き、そこにあったコインにフリングはにやりと唇を吊り上げた。
「いい度胸じゃねえか、嬢ちゃん」
その言葉を了承と受け取って、賭博のディーラー達がそれぞれリディに向かって嗤う。
「お嬢ちゃん、オトナの厳しさ思い知んな」
――――思い知ったのは賭博場の人間達の方だった。
第五話です。新しいメンバーは彼です。
ちなみに
ウグリス→ラーシャアルド王家男子直系の意
ロウ→王家の血をひくという意
カーラント→母方の名前(貴族のみこれがつく)
ラーシャアルド→ラーシャアルド王家の者であるという意
です。