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第三話 花と雨 (3)

引き続き、残酷表現有りです。

苦手な方はご注意ください。

第三話 花と雨 (3)






 押し殺した青年の声に、はりつめた場の鎖が、ようやく解かれる。


 一瞬の痛いほどの沈黙の後、一つの悲鳴が上がったのを皮切りに、幾つもの悲鳴と共に人々が逃げ出した。

 阿鼻叫喚というに相応しい状況の中、唯一客席の赤い髪の少女だけは、舞台の上を鋭い眼で睨んでいる。その手が引かれても、彼女は視線を外しはしなかった。


「…リディ、」

「今すぐここから逃げて。兵士に捕まるなりなんなりして良いから、帰れ。街は、危ない」


 彼女の袖を引いていたリューイとミリアは息を呑んだ。今日一日見上げていた顔とまるで違う。金の眼は険しく眇められ、顔は冷たく塗り替えられたようだ。


 狩人の顔、というのだろうか。身にまとう雰囲気すらも一変している。


「…あれは、何だ?リディ」


 震える声を抑えて、リューイが訊ねた。青い眼は食い入るように舞台を見つめている。リディの唇が微かに震える。


「…あれは、多分」


 金の眼が、畏怖すらにじませた。


「魔族だ」





 人に害成す“人ならざるもの”は大きく分けて3つ存在する。魔物、悪魔、竜だ。

 それらにはそれぞれ位階が存在し、強さも雲泥と言える程違いがある。


 例えば竜の高位などは人語を解し、人など足元どころか足の指の爪先すら及ばぬ叡智と知識を持ち、強靭な鱗と類い希な魔力を有して他の追随を許さぬ強さを誇るが、幼竜は時に悪竜と化し、人に狩られる事もある。


 悪魔は人の負の魂から成るものであり、他二つと比べると『忌まわしい』か『おぞましい』の違いくらいしかない。


 が、魔物。主な狩人の狩りの対象となるそれは、正にピンキリが激しい。そして魔物の頂点には、自在に姿を変え、時に人型を取り、高位の竜すら凌駕する力を持つものがいる。

 それらはその異質さゆえに、特別な呼称が与えられているのだ。『魔族』――と。






「答えろ。何故魔族がこんなところにいる」


 静まり返った舞台の上で、ルイスは全神経を目の前の存在に集中させていた。向き合うだけで、冷や汗が吹き出し、知らず震えに膝が折れそうになる。目の前の魔族は笑みすら浮かべているのに、空気は重く鉛のようだ。じっとりと汗ばむ掌に必死に力を込め、対峙し続ける。


 魔族は基本、人間には無干渉だ。それもそうだろう。彼らにしてみれば、人間など卑小で取るに足らないもの。虫螻のような存在にわざわざ関わる酔狂なものはいない筈なのだ。だからこそ、なぜこの魔族がここにいるのかが理解出来ない。


 魔族はしげしげとルイスを見やり、ふむ、と指を唇にやる。発された言葉は、ルイスには理解出来ないものだった。


「お前が『黒』か。存外若いのだな」

「……?」


 怪訝に思って眉を寄せる。そのルイスから視線を外して、魔族は後方の少女を見やった。


「してあれが『あか』か。まだ子供ではないか。さて、解らぬな」


 魔族は独りごち、ルイスに目を戻した。


「さて、何故我がここにいるかであったな。簡単よ。貴様らに興味があったからだ」

「俺…達?」

「そうだ。この街に来る前、貴様らは我の気配に気付いたであろう?久方ぶりの事であったから興味が湧いた。蓋を開けてみれば、何のことはない、『原初の運命(さだめ)』であったがな」

「…お前、さっきから何を」

「さてな」


 肩を竦めて魔族は唇をつり上げた。ぞっとする殺気がルイスを襲い、背筋を氷が滑り落ちる感覚にルイスは咄嗟に後ろに跳ぶ。


 次の瞬間魔族の姿が消え、直前までルイスが立っていた場所がメキリという嫌な音を立て陥没した。


「ほう。勘は良いのだな?」


 にやりと蝋色の顔が嗤う。それに彼が寒気を覚える前に、黒い影がルイスに怒涛の勢いで肉迫した。


「っ…!」


 反射的に伸びた腕が、剣を地面と水平に構え、影から身を守る。しかし到底勢いを殺しきれず、固い感触と共にルイスの体は弾き飛ばされた。


「くぁっ…!」


 弾き飛ばされたまま客席に突っ込み、ルイスの意識が一瞬飛ぶ。僅か0.5秒もない隙は、しかしこの魔族相手には致命的だった。


 間を置かずに再度、黒い影が体勢を立て直せていないルイスに迫る。そのまま彼を両断せんと振り下ろされたそれは、けれど二振りの白銀の影が弾き返した。


 同時に、澄んだ声がルイスの耳朶を打つ。


「起きろルイス!死にたいのか!」


 リディは叫んで、素早く火精霊を喚んだ。蛇のようにうねる炎が魔族を呑み込まんと放射される。

 が、魔族はあっさりと跳躍してそれを躱した。


 頭を振って霞みかけた視界をはっきりさせながら、ルイスは魔族の手に、いつの間にか漆黒の刃が握られているのに気付く。先程彼を襲ったのはあの剣だったらしい。


 柄も鍔もないその剣はしかし、細身ながらも全く脆さを感じさせない。


「ほう。火精霊か。封でもかけているのか?貴様にしては力が弱い」

「なにを訳のわかんないことをっ…!君のせいで祭が台無しだっ!」


 リディは踏み込んで、右手の剣を左下から右上に薙ぐ。魔族は再び後退し、自然二人との距離が開いた。


「おいリディ、リューイとミリアは」

「聖属性結界を張って逃がした。馬鹿じゃないから、城に戻っただろ」

「そうか。ならいい」


 乱れた前髪を払って、ルイスはリディの隣に並ぶ。


「これ、マジでやばいかもしれねえな…」


 二人で相対しても、勝てる気がしない。存在だけで膝をつきたくなる威圧感(プレッシャー)、本音を言うなら今すぐにでも逃げ出したい。けれど。


「私、こんなとこで死ぬ気ないからな?お前が諦めたら盾にしてでも生き延びてやる」

「誰が諦めるか馬鹿野郎」


 恐怖を押し込め、震えを追いやり。二人はすっと身を落とした。完全に殺気で満たされた二人に、魔族は面映ゆげに嗤う。


「我に挑むか。成程、流石だな、『原初の運命』」

「だからっ…!」


 地面を蹴り、二人同時に剣を振りかざす。


「「さっきから訳わかんない(ねえ)事言ってんなよ!!」」


 裂帛の気合と鋭さを持って迫る剣に、魔族はふっと目を細め、右手の漆黒の刃を持ち上げた。





―――――――――――――――――――――――



「何事だ?」


 外が騒がしい。ゆったりと茶を飲んでいた、ヴィレーヌ狩人協会支店長オーギーンは顔を上げた。


 窓の外を見る。人が恐怖の表情を浮かべて走っていくのを視界に入れて、彼は顔をしかめる。


「おい、スィン」

「見て参ります」


 部屋の隅に控えていた女が一礼して出て行き、間もなく戻ってきた。その顔が、彼女にしては強張っているのに気付いて、オーギーンは目を眇めて椅子の背もたれから身を起こす。


 この女は彼の部下のようなものだが、常に無表情で淡々としていて、何を考えているのか読みにくい。その彼女が顔を強ばらせているなど――。


「何が起きている」

「劇場に、魔族が現れました」


 オーギーンは耳を疑った。


(魔族だと?!)


 彼も仮にもかつて『十強』と呼ばれた人間であったから、それなりの戦闘や死地を経験している。だが長い狩人人生の中で、『魔族』と戦った事はおろか、見たこともない。


「現在、劇場に居合わせた二人の狩人が交戦中です。また、魔族の出現に伴うように、街のあちこちで魔物が現れました。既に民間人にも犠牲が出ています」


 どこからつっこむか悩み、結果オーギーンは最初から追う事にした。


「交戦中だと?誰だ、魔族相手にやり合うなんて馬鹿は」

「アリエル狩人協会登録、ルイス・キリグ、リディ・レリア両名です」


 オーギーンは本気で椅子からずり落ちそうになった。


「“自由時間(フリータイム)”だと…!?」


 “自由時間”といえば、つい先日、ビグナリオンのアイルにいるシラスから愚痴られた連中ではないか。恐らく花祭りを目当てに訪れたのだろうが、なんでまた――。


迷惑生産者(トラブルメーカー)かよ、そいつら…!」


 痛烈に舌打ちしかけたが、むしろ彼らは被害者だということに気付いて、頭を掻き毟る。


 しかしシラスから聞いた通りであれば、彼ら二人ならば、魔族相手でもある程度は持ちこたえられる筈だ。というか、そう思いたい。


「…ヴィレーヌ内にいる全狩人に通達!魔族は“自由時間”に任せ、他は魔物討伐に当たること!人命が最優先、一匹たりとも逃がさず塵にしろ!」

「了解しました」


 ぴっとスィンは頭を下げ、素早く部屋の外に出て行く。オーギーンも苦い顔で茶の残りをあおると、カンッと小気味良い音を立てて茶器を置き、立ち上がった。


「…ち、魔族とはな」


 書類が詰まれた机の下に置いておいた、握らなくなって久しい愛剣の柄を、握る。しばらくのご無沙汰などなかったことのように、それはぴたりと彼の手に馴染んだ。


「…行くか」


 苦虫を噛み潰したような顔で、窓の外の空に目を遣る。円い月は未だ、中天にある。夜は、これからだった。




―――――――――――――――――――――――――



「どうした、動きが鈍いぞ?」


 首の皮一枚先を、刃が通り過ぎていく。ぞっとする暇もなく、リディは地面に手をついて身を伏せた。それまで彼女の体があったところを、黒い炎が飲み込む。


「サンディルナ!」


 雷撃が幾本もの細い光となって、宙を走って魔族に収束する。しかし、吹き出した闇にバチッと音を立てて弾かれた。


 しかも魔族はそれで動きを止める事はなく、剣を頭上に振り抜く。ガンッ、という重い音が響いて、魔族に迫っていた氷の塊が横に受け流された。


「ちっ…」


 舌打ちして、リディとルイスはそれぞれ飛び退く。魔族を中心に対称点になるように構えを取った。


 既に劇場は更地と化していた。五属性の魔術、魔族の使用する闇魔術が吹き荒れ、剣戟の余波に吹き飛び、元の面影は最早皆無と言っていい。ルイスとリディは、下手に精霊の封印を解くと街ごと破壊しかねないため封印したままだが、それだって十分な威力だ。


 その猛攻にも関わらず、彼らは魔族に未だ傷を付ける事が適っていなかった。かくいうルイスとリディ自身も傷は殆ど無いが、それは二人がかりの利点を活かした攻防をしているからである。


「くそ…」


 呼吸を調える。受ければ死の紙一重の攻撃は、予想以上に体力を消耗させていた。今までの敵とは比べ物にならない。


 格が違う。


「どうした?来ないのか?」


 中央で魔族は悠然と笑っている。ルイスとリディは目で合図を送り合い、タイミングを計る。


「来ないのなら、こちらから行くぞ」


 魔族が言い終わる前に、二人同時に飛び出す。しかし魔族の、上半身を狙ったルイスの突きも、下半身を狙ったリディの斬撃も、空を切った。


「!?消えた!?」


 即座に中央部で体を入れ替え、背中合わせになって、ルイスとリディは辺りに警戒を飛ばす。だがそれを嘲笑うかのように、空から声が降ってくる。


「こっちだ」


 ばっと空を見上げた。黒い夜空に、尚黒い影が浮かんでいる。闇に溶け込みそうでいて、そんな事は、その存在感が許さない。


「…ルイス」

「ああ。まずいな」


 頭上を見上げたリディの呟きに、ルイスも淡々と応える。


 

 死ぬ気はない。だが勝てる気が全くしない。



 冷たい汗が流れた。濃厚な命の危険が脳裏を掠める。逃げる――そんな単語が頭に浮かんだ、瞬間だった。


「浅薄」


 何かに締め付けられたような悲鳴が周囲から上がり、二人ははっとそちらを振り向く。


 その先には、見えない何かに吊り上げられる数人の姿があった。逃げている途中だったのだろう、服は乱れ、汚れている。男もいれば女も、まだ幼い少女もいる。


「な…!?」

「何をっ…」

「見るがいい」


 魔族は人間達に向かって、笑みを浮かべる。まるで何かを愛しむような――それでいて、心胆を凍り付いた手で掴むような、妖艶で、凄絶で、残酷な。


「貴様達が逃げるというのならば」


 ぶくり、と空中に浮く六人の躯が膨張した。先程の光景を思い出し、血相を変えて二人は空中に疾駆する。

 恐怖に顔を歪めた少女が、リディ達に手を伸ばす。


「やめろ!!」


「――街の全ての人間が、こうなる」


 耳を覆いたくなる絶叫、破裂音。手を掴もうと伸ばした指の先で、六人の体は木っ端と弾け飛んだ。

 元が何であったのかすら解らぬ砕片が飛び散り、紅い飛沫が雨のように地上へと降り落ちる。


 ルイスとリディは、目の前で成された殺戮に、茫然と空中で立ち尽くす。紅い滴が彼らにも降りかかり、斑な模様を刻んだ。


「あ…」


 見開いた目で、リディは血に濡れた己の手を見つめた。


 迷ったから。逃げようか、と考えたから。



 あの人々は、殺された。



「――あああああっ!!」


 大気がひび割れたかのような錯覚すら覚える勢いで、リディは空を蹴った。


「よせ、リディ!!」


 ルイスの叫びも届かない。完全に逆上した彼女は、感情に任せて精霊の封印を解く。


「フレイア、殺せ!!」


 これ以上間違えようもない真っ直ぐな命令を、彼女の火精霊が曲解するはずもなく。



 一瞬後、夜空を遥か先まで照らし上げる程の火柱が、轟音と共に天を突いた。








「はあっ、はあっ…」


 火柱が消えたあと、雲までも灼き切れた空間を見据えてリディは口元を拭う。怒りに任せての魔力解放は、魔力を調えない分使用者へのダメージが大きい。


 けれど、目の前に魔族は存在しない。跡形もなく消し飛んだか、とリディは視線を移した、が。



「愚かな」



 トスッ、と軽い音が耳元で響く。ついで、生暖かい感触も。


「怒りに我を忘れるなど、未熟としか言えぬ」


 背後から囁かれる冷たく艶めいた美声。リディは己の右肩を見下ろした。――そこからは、何故か手が生えていた。紅い鮮血を纏って。


「リディ――――!!」


 ルイスの絶叫と同時に、ズッと肩から魔族の腕が引き抜かれ、どぷりと血が噴き出した。遅れて認識した激痛に、リディは声を上げる事すら出来ず、魔術の制御を失う。


「…く…そ…」


 風魔術による足場が崩れ、なすすべもなく彼女は落下した。


 みるみるうちに地面が迫る。が、叩き付けられる寸前、彼女はふわりとした風に支えられ、路地にゆっくりと横たえられる。薄れる視界で捉えた、自分に走り寄ってくる2つの影に、彼女は瞠目する。

 二人は泣き出しそうな顔でリディの横に跪いた。


「リュー…イ、ミ…リア、な…で」

「喋るな!今治すから!」


 真っ青な顔色になりながらも、リューイはリディの肩に手を添えて、魔力を込める。まもなく穏やかな金色の光が灯った。



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