第三話 花と雨 (2)
注意。
他話に比べ、残酷表現が強いです。
苦手な方は、ご注意ください。
第三話 花と雨 (2)
「出来たよ、ほれ見てみ」
「あ、どうもー…うん、まあいいんじゃない?」
半ば強制的に兄妹を連れ、四人は服屋に着ていた。
ルイスとリディが買った服を、服屋の主に着せられた子供達は、ちょっと違和感は残るものの、普通の街の子になっていた。梳られていた髪もわざと乱し、『ちゃんとした』印象を弱めている。
「軽い…これが街の服なのか!」
男の子はいたく感動したらしい。目を輝かせて飛び跳ねている。
「次が楽になるからちゃんと取っておきなよ」
「さて、着替えたところで自己紹介でもするか」
ルイスの提案に、あからさまに兄妹がびくっと震える。気にせずルイスは続けた。
「いつまでもお前、じゃやりにくいからな。俺はルイス」
「私はリディ。狩人だ」
「狩人…だったのか」
男の子が目を瞬かせた。それから数秒迷い、名乗った。
「僕はリューイ。妹はミリア」
「リューイにミリアね。行きたい所ある?」
「え…」
「お、おかし!おかしが食べたい!」
戸惑ったリューイを余所に、ミリアが我慢できなくなったというように声を上げる。ルイスとリディは顔を見合わせ、にっと笑った。
「了解、なら歩きながら食べようか」
「さっくりしてる…」
通りを歩きながら、リディが買い溜めていた菓子をかじり、ミリアが呟いた。
「味がしつこくない。素朴だけどおいしいな」
こちらもかじりながらのリューイの感想。リディは肩を竦める。
「凝りに凝ったデザートも良いけど、そういうあっさりしたのもいいだろ?」
「うん。おいしい!」
手を引くリディに満面の笑みを向け、ミリアは弾んだ様子でお菓子を更に口にした。
「なあ、狩人とはどういうものなんだ?一度会ってみたかったんだ」
「どういうものか、ねえ…」
女性二人を横目に、リューイが発した質問にルイスは目を細めた。
「俺は楽しんでるかな。もちろん死の崖っぷちの戦いだってある。でも責任と仕事でがんじがらめになってた頃より全然、人生にやりがいがある」
「やりがい…」
リューイは呟いて俯いた。
「…僕は、わからないんだ。今のままで。言われた通りの勉強や稽古をして、何も知らずに育っていいのか」
ルイスは少しの間沈黙してから、リューイの頭をかき回した。
「うわ!?」
「それに不安を感じたから、今こうしてここにいるんだろ?いいんじゃないのか?…国を守る者に、知識は必要なんだから」
最後の言葉はごく小さな声で発された。が、ちゃんとリューイは聞き取り、はっとルイスを見上げる。
「あんた…」
「兄様!ルイスお兄ちゃん!あっちになんかあるよ!」
が、それを遮ってミリアのはしゃぎ声が届いた。少し遠い場所から聞こえたそれに、二人が視線をあげれば、数十メートル先にリディとミリアの姿を捉える。ミリアは肌を紅潮させ、目をきらきらと光らせている。実に楽しそうだ。
「早くしないと置いてくよ」
こちらも楽しそうに笑っているリディに、ルイスとリューイは顔を見合わせてから、ぷっと笑って歩き出した。
「ミリアはまだまだだな」
「あれ四歳くらいだから当然だろ。お前が大人びてんの。精々七、八歳だろリューイも」
「八歳だ。確かに子供だけど、ただの子供じゃいられないんだ」
きっぱりと述べた子供を、ルイスは僅かに眩しげに見やり、黙って足を進めた。
「ふう…」
通りの端のベンチに座り、アイスクリームを食べる兄妹を見守りながらリディが息を吐いた。十代後半の男女と、五歳前後の子供という取り合わせに、道行く人は不思議そうな目を向けるが、人ごみに紛れてすぐに注意が反らされていく。
「…結構いるね」
リューイ達に気づかれないように小さく囁くと、ルイスも顎をしゃくる。
「警備の連中を回してるみたいだな。まああそこまで変装させとけば気付かないだろ」
「…やっぱりあの子達さ、」
「多分な。じゃなきゃ街の警備兵を動員させてる理由がない」
「…だよね」
通りすがりの兵士から、それとなく兄妹を己の体で隠す。歩み去るのを待ってから、リディはそれと…、と自信なさげに目を泳がせた。
「なんか、嫌な感じしない?」
ルイスは目を眇めた。黙って続きを促す彼に、リディはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「別に、気配は何もしないんだけど。なんかこう、うなじが粟立つ様な…じわじわと氷が背中を這い上ってくる様な、さ…」
「奇遇だな、」
ルイスは低音で囁き返す。
「俺も感じてる」
リディはぱっとルイスを見た。金の眼に、瞬く間に警戒と戸惑いが宿る。
「でも、じゃあ何?変な魔力は感じない。街がおかしい様子もない」
「さあな…ただ俺は、自分の勘は割と信じる事にしてる。お前もなら、尚更だ」
「それは私もそうだけど」
リディは心配の目を、アイスクリームのコーンをかじる二人の兄妹に向ける。
「万が一、魔力を隠せる程の危険な何かがいたとして。この子達を一緒に連れてるのはマズいんじゃない?」
「じゃ、お前は引き渡すのか?」
ルイスの単刀直入な言葉に、リディは顔をしかめた。
「…それも嫌だけど。でも絶対に死なせる訳にはいかないんだよ?」
「リディ、お前いつからそんな弱気になった?」
呆れた口調に、リディはムッとルイスを睨む。だが蒼い眼が浮かべている絶対的な自信に、逆に息を止めた。
「守ればいいだけの話だろ?お前と俺がいて、そうそう負けるかよ」
数秒目を丸くしといたリディは、やがてぷっと吹き出した。
「た、大した自信…それじゃ君、ナルシストだよ」
「失礼な。俺だけじゃこんな台詞絶対言わねえぞ」
「同じ事だろ。コンビにおけるナルシストみたいな」
ひとしきり笑ってから、ふとルイスとリディは自分達をじっと見つめる二人の兄妹の視線に気づいた。
「…なに?」
リディが首を傾げると、リューイとミリアは顔を見合わせ、リューイが素直に訊いた。
「あんた達は恋人同士なのか?」
「まさか。違う」
「……」
リディが即両断、唖然としかけたルイスもため息を吐いて肩を落とした。
「え、でも…」
「でもも何もない。そういう事だ」
「ていうか食べ終わった?じゃ、次行こうか」
リディは何か物言いたげの兄妹の手を、有無を言わせず引っ張っていく。ルイスもそれに続きながら、ふと後ろを振り返った。
「……?」
(…誰か、俺達を見ていた?)
だが目に映る風景に、先程感じた気がした妙な視線は感じない。
(…気のせいか)
ルイスは首を振ると、少し先を歩く三人に向かって歩いていった。
―――――――――――――――――――――――――――
「もう、夜かぁ…」
リューイがすっかり暗くなった空を見上げて呟いた。空は雨は降っていないものの、曇ってしまっていて星は見えそうにない。
「そういえば、ルイスお兄ちゃんは?」
キョロキョロと周りを見回し、ミリアが首を傾げる。この数時間ですっかり親しくなった黒髪の青年の姿が、いつの間にか周囲に見当たらなくなっていた。
「ああ、ちょっと先に行ってもらってる」
屋台で何やら大量の軽食を買っていたリディが、腕にそれらを抱えて戻ってくる。
「どこにだ?」
「秘密…といいたいけど、歩きながらわかっちゃうかな」
両手一杯に食べ物を抱えているせいで兄妹と手を繋げない為、自分の両脇をぴったり歩かせながら、リディが楽しそうに言った。
「……?」
怪訝に眉を寄せたリューイだが、ふと人の流れが、自分達が歩く一定方向に収束しているのに気づく。
若い男女を中心に、子供や夫婦、老人と老若男女を問わず、どこか浮ついた空気を纏って皆同じ方向に歩いているのだ。
理由を考えて、はっとして目を輝かせた。
「“朝と夜の夢”!?」
「当たり」
リディは苦笑する。着いてからのお楽しみにする筈だったのだが。やっぱり頭が良い子供だ。
“朝と夜の夢”とは、ファーデリアを中心に活動する劇団の事だ。
主に若い団員で構成され、若い男女の恋愛、特に悲恋を演じる。国内外を問わず高い人気を博し、一年中あちらこちらで引っ張りだこだという。
その“朝と夜の夢”は、毎年必ずこのヴィレーヌの花祭の最終日、最後の催し物として公演をするのだ。祭の最大最後の大目玉として、大勢の民衆が観劇に集まる。
ファーデリアに住む者は勿論、大陸の人々は皆一度は見てみたいと望む。
「“朝と夜の夢”は私もルイスも見た事ないから。やっぱりヴィレーヌの花祭に来たら観たいだろ?だからルイスに先に行かせて席を取って貰ったんだよ」
すぐに一杯になるだろうから。
野外の劇場に向かいながらリディは肩を竦め、それからふと斜め上を見上げた。
「どうしたの?」
「……?」
ミリアの問いかけにしかし、リディも首を捻る。
(…視線を、感じたような、)
が、どこにもそれらしき者は見当たらない。ので、気のせいか、と前を向いて歩き出した。
彼女は知らなかった。彼女と同じ悪寒を抱いているルイスが、同じ様な視線を感じた事を。
そして気のせいだと思ってしまったから、二人がそれをお互いに話す事は、この後に“花と血の雨事件”と呼ばれる出来事が終わるまで、なかったのである。
―――――――――――――――――――――
リディの言った通り、野外劇場は人で溢れかえっていた。もともとかなり広い範囲に及ぶ客席は全て埋まり、立ち見席にも人がひしめいている。
「……」
少しの間視線を巡らせてから、迷いない足取りでリディはリューイとミリアを連れ、ある一点に歩いていった。
「あ、やっと来た…」
足を止めた先に座っていたのは、少し疲れた顔をしているルイス。その脇にはしっかり三つ、席を確保している。
「お疲れ。はい栄養分」
真ん中二席にリューイとミリアを座らせながら、リディは彼に、手に抱えていた食べ物を手渡した。
「もう確保するの大変だったんだぜ…おう、サンキュ」
ぼやきながらも食べ物を受け取ってから、あ、とルイスは声を上げた。
「?なに?」
「ちょっと待て…あ、あった」
ごそごそと懐を探っていたルイスが何かを取り出し、手振りでリディにしゃがめ、と指示する。
「何なんだよ…」
言われた通りにしゃがんだリディは、すっと前髪に冷たく固い感触のものを差し込まれたのを感じた。
「……?」
怪訝に手をやれば、やはり固い感触。指で辿ると、細かな凹凸が表面に刻み込まれているのがわかる。
――陶器製の髪飾り、だった。
「…え」
「髪、ちょっと伸びて鬱陶しかったんだろ?良い機会だから一つぐらい飾り付けとけよ」
屈託なく笑うルイスを見上げ、束の間リディは呆けていたが、やがて嬉しそうに笑った。
「ありがと」
「どういたしまして」
その一連のやり取りを、じぃっとリューイとミリアは見つめていた。
「……」
「……」
「…何だよ?」
凝視の視線に気付いて、ルイスが彼らに首を傾げれば、兄妹は顔を見合わせた。
「ほん」
本当に二人は恋人同士じゃないの? という台詞はしかし、高らかに吹き渡った喇叭に掻き消された。リディが「あ」と言って席に座る。
「始まるみたいだね」
ポッと舞台に灯りが灯る。現れた一人の役者に、リューイとミリアはつい先程までの疑問を忘れ去って、目を輝かせた。
「わぁ…!」
頭に羽根飾りをつけ、色鮮やかな旅芸人のような服装をしたその役者は、一度ゆっくりと観客に向かってお辞儀をすると、澄んだ声を張り上げた。
「あるところに、二人の娘が在った」
「娘らは美しき姉妹」
「そして賢しき英知を持ち合わせていた」
「彼女らの名前は伝わらぬ」
「しかし彼女らの話を我らは伝える」
「これは、遠い過去の物語」
朗々とした響きの余韻が闇夜に吸い込まれると時を同じくして、語り手の姿が消え、代わりに舞台には二人の女が立っていた。
「…へぇ。“雨の乙女”と来たか」
“雨の乙女”とは、この大陸ではかなり有名なお伽噺である。
簡単にいうと、とある二人の美しい姉妹が、ある時一人の男と出会う。男は見目麗しく、そして大陸随一の戦の技量を持つ、英雄と呼ばれる男だった。
男と姉は恋に落ち、夫婦の誓いを交わす。しかし、一方妹も男に想いを寄せていた。けれど彼女は姉と男の幸せを願い、そっと二人の前から姿を消した。
しかし、悲劇が姉と男に襲い掛かる。突如襲来した邪悪なる敵が、姉を殺し、男をも死の淵に追い詰めたのだ。
男は力を振り絞って戦い、敵と相討ちとなって共に永い眠りに就いた。妹は遠き地より駆けつけたが一歩及ばず、骸となった姉と目を醒ますことのない男を前に、世界も果てよとばかりに泣き叫んだ。
妹の涙は雨となり、三日三晩大陸に降り注いだ。現大陸に存在する三大湖は、いずれもその時に生まれたと言われている。
やがて涙も枯れ果てた妹は、男という抑止力をなくした大陸のどこかに姿を消した。絶望と悲しみで満たされた妹の魂は、今でもこの大陸を彷徨っているという。
一見悲恋というよりは悲劇だが、姉と男を見て複雑に揺れ動く心、愛する二人を亡くす絶望の心をどれだけ強く描き出せるかという点で、演劇では割と多く取り上げられている。
『姉上とあの方が結婚する。私のあの方への想いはどこへ行くの?ああ、この心は空に舞い上がる程に嬉しい一方で、海に沈みゆく程に辛い』
舞台上の役者の、聴く者の胸を引き裂くような声が響き渡る他、闇夜にはなんの音もない。異様なまでの静謐さに、しかし誰も違和感を覚える思考はなく。
ただ陶然と舞台の世界に引き込まれていく。
可憐な容貌に清楚な服を纏った少女が、澄んだ美しい声と色鮮やかに変わる表情で、主人公である妹を情感たっぷりに演じる。
一方、姉と男は幸せに包まれた演技で、妹の苦悩を浮き彫りにさせる。
流石は“朝と夜の夢”と手放しで褒め称えたくなる、泡沫の時。
しかしその時の流れすら忘れさせる舞台も、やがて終盤に入っていった。
『なぜ、なぜ、姉上とあの方が死ななければならない。私をひとり置いて、先にいってしまうの?私を置いていかないで。信じたくない。信じられない。どうして、どうして、どうして――!』
悲痛な絶叫に、会場中が呑み込まれて固唾を飲む。主に若い女性達は、涙すら流していた。
天も裂けよとばかりの慟哭は、光のフェードアウトと共に消えていく。舞台上から少女の姿が消え、同時に物語の語り手となっていた旅芸人風の役者が、光に照らされる。
「女は三日三晩泣き叫んだ」
再びぽうと光が灯り、少女の姿が浮かび上がる。感情の抜け落ちたような顔は幽鬼を思わせ、観客は息を止める。
少女はその顔をゆっくりと周囲に巡らせ、ふらふらと歩き出した。
「姉を想い、男を想い、敵を憎んだ」
少女が舞台を降り、客席の間の通路をふらふらと歩く。会場中の目が彼女に集中した。少女の白い頬には、涙の跡が乾いて光っている。
「なぜ姉が、男が死ななければならなかったのか。女はそれだけを思って何処かへと消えた」
少女の足は、覚束ないながらも客席を練り歩く。まるで磁石にでも化したかのように、観客達の目は彼女に吸い寄せられていた。
だからすぐには気付かなかった。唐突に、舞台で朗々と喋る語り手の声が変わった事に。
少女は客席を方向性なく歩き続け、
「『女は今も大陸を彷徨う。心の傷は癒えず、枯渇した涙は再び流れ落ちることはなく。ただひたすらに、姉と男を思って』――か。ふん。下らぬ」
未だ観客の目は少女に引きつけられていたが、その少女が演技も忘れてぎょっと舞台上を見たことで、ようやく呆とした視線を舞台上に移し――思考を止めて凍りついた。
「な…?」
舞台上に立つのは旅芸人風の役者ではなかった。その体は、舞台の前に転がっている。代わりに舞台に立つのは、
「所詮心を闇に食い潰されるのは人間。あれはそのような柔なものは持ち合わせておらぬだろうに」
一言で言えば、黒。膝まである長い、黒曜石を溶かし込んだような滑らかな髪に、所々を銀細工が飾る黒いゆったりとした長衣。
鼻梁は高く彫りも深く、凄絶な美貌でありながら、しかしその肌は蝋のように白く、白眼がない眼は黒く染まり、唇は青。
明らかに人間ではなかった。
「人間共の余興はいつ見てもつまらぬ。ましてこの話など、呆れて息もつけぬわ。嫌がらせにはなるやもしれぬが」
硬直する客席や劇団員達を余所に、それは冷えた声音を発し続ける。
恐らく、耳元で囁かれれば腰砕けになるだろう美声。しかしその声は氷柱のような鋭さでもって今人に、畏れと恐怖だけをもたらしてその場に縛り付けている。
それは嗤った。そしてその足元に転がる役者の体が、びくりと痙攣する。
「か弱き人間。夜の闇は何者より勝る」
歌うような声音と共に、語り手の役者の体が膨れ――弾け飛んだ。紅い血肉が細かい飛沫となって飛び散り、前列にいた者達に降りかかる。
しかしそれでもなお、人々は動けなかった。恐怖の極地と、今何が起こった事に対する否認の念が、彼らの体をその場に縫いつけているのだ。
その様に、それは更に唇を歪めた。
「血の雨。それも一興、水でなく今宵は血で塗れるがいい、人間」
す、と手が伸ばされる。人々は動けない。
恐怖を浮かべたままの彼らに、それが牙を向こうとした時、ダンッ!という何かを踏み切る音が響いた。
「…ほう!」
一瞬後、自らに振り下ろされた白銀の刃を、それは楽しそうに躱す。舞台の奥に移動したそれに、ルイスは剣を構えた。
「お前、誰だ」
主要登場人物、三人目です。
…実際のところ、この位って残酷表現に当たるのでしょうか?
私自身、あんまりグロいのはダメなはずなので、そこまでではないと思うんですが…
ひっかかりそうであれば、どなたかご指摘くださると助かります。




