第二話 後日談
ちょっと一人称に挑戦してみました。結構楽しかったです。(笑)
第二話 後日談
妹、レティシアの社交界デビューパーティーから約一ヶ月が経った。このひと月の間に妹も何度か夜会に出、様々な人と関わりを持つようになった――が。
「……」
「レティー…まだあの男の事を想っているのか」
窓辺に座って遠くを見、溜め息を吐く妹は、ひと月前から変わらず憂鬱そうなままだ。
原因は解っている。
ひと月前、件のパーティーの護衛に雇われた、狩人の男。戦いを生業とする狩人とは思えぬ優雅さと礼儀作法、なにより端整な顔立ちをした彼の男は、どうやら妹の恋心を完全に奪っていってしまったらしい。
「いい加減諦めろ。振られたんだろう?」
そう言うと、妹はキッとこちらを睨んできた。碧い目には水の膜が限界まで張られ、今にも零れ落ちそうだ。
ああ、兄上がここにいたら全く何をやっているんだと呆れられそうだ。生憎仕事をしていていないのだが。
「…お兄様の無神経」
…レティー、悪いがそんな潤んだ目で言われても迫力は皆無だぞ。
というか、この妹は兄から見ても随分と綺麗な顔立ちをしている。友人達が挙って褒め称えるのも解らないではない。なのに何故、よりによって、自分に靡かない男なんぞに惚れてしまったのか。なんとも女心は理解し難い。
「本当のことを言ったまでだろうが。きっぱりあっさりざっくり無理だと言われたんだろう?ここにいもしない男の事をいつまでもズルズル引き摺るな。未練がましい」
兄心から忠告のつもりで言ってやれば、妹の涙腺堤防はぽろりと決壊した。
堰を切ったように零れ落ちる雫に、さすがにたじろぐ。ていうか何故泣く。さっぱりわからない。
「お兄様の馬鹿っ!!そういう事、紳士は普通言わないわ!!」
「は!?そういう事って何だ!ていうかなんなんだ!いきなり泣くか!?」
「お兄様があんまり酷い事言うからよ!!」
絶叫に耳を塞ぐ。全く何なんだ。迷惑な事この上ない。今更ながら侍女を下がらせてしまった事を後悔する。
どうしようかと悩んでいると、ノックと共に兄上が入ってきた。救世主登場。
「レティー、エリオット…なんの騒ぎかい?これは…皆おろおろしているよ」
「ヴィルお兄様!!」
涙をぼろぼろ零しながらレティーは椅子をなぎ倒して立ち上がり、兄上に走って行って抱き付いた。
ああ馬鹿、兄上の御洋服がぐちゃぐちゃになってしまうだろうが!
「…レティー、どうしたんだい?」
当の兄上は気にしなかったようで、妹の頭を優しく撫でて、柔らかな声で訊ねている。あの真似は俺には出来ない。
「ヴィル、お兄様っ…エリオット、お兄、様がっ、酷い事、言っ…」
泣きじゃくりながらの妹の言葉に、兄上は困った様に俺を見た。俺は顔をしかめて、今の会話を手短に再生する。すると兄上は、ああ…とかなり微妙な面持ちになった。
なんで兄上今ので解るんだ。俺には全然わからない。
「エリオット…それはすっぱり言い過ぎって奴だよ。レティーが傷付くだけだ」
とんとんとレティーの背を叩いて慰めながら、兄上は俺に言った。
「本当の事を言ってやった方が諦めがつくでしょう」
俺がそう返すと、兄上はあー、と天を仰いだ。駄目だなこれは、という呟きも聞こえてくる。何なんだ。
「大体あの男、同行の、何と言ったか…リディ・レリアでしたっけ?と良い仲なのではないですか。二人で踊っていましたし。横恋慕程非生産的な物はないと思いますが」
俺のこの言葉にレティーは一層肩を震わせ、何故か兄上まで刺された顔つきになった。…変な事言ったか、俺?
「まぁ仮にあいつがリディ・レリアと恋仲でなくて、その上実はどこぞの御曹司だとしてもだ。お前は狩人と婚姻は結べん」
はっきりと現実を突き付けてやれば、レティーは顔を歪めて涙を落とす速度を早め、兄上は限り無く微妙な顔つきになった。
「…兄上?」
「知らぬが仏とは有り難い言葉だね…」
うっすら青ざめさえして兄上は呟き、遠くを見つめるような目になった。
そんな兄上に俺が首を捻り、紅茶を啜る中、レティーがか細い声を発した。
「婚姻は、結べなくていいの…でも、せめて一夜、共に過ごして頂きたかったの」
冗談抜きに茶を吹いた。
げほごほと噎せる俺の傍ら、兄上はビシッと凍り付いている。ということは幻聴ではなかったらしい。なんということだ。まだ子供と思っていたのに、いつのまにそんな事を覚えたのだ。
我が妹の爆弾発言は、たっぷり五拍程部屋の空気を凍結させ、ようやく我に返ったらしい兄上の珍しい怒鳴り声で、解凍された。
「レティシア!!どこでそんな言葉を覚えてきたんだい!?言いなさい!!」
ああ、俺と全く同じ疑問を覚えたらしい、でもどこかズレている気がするのは気のせいだろうか。
「お兄様、私はもう13です…」
「「まだ13だ!!」」
兄上と二人息を揃えて怒鳴ってから、やれやれと俺は額を抑えた。
「レティー、その様な台詞は淑女が言うものではない」
レティーはしゅんとうなだれた。兄上も落ち着いたのか、疲れた声音で言う。
「とにかく。レティー、無理に忘れろとは言わないよ。でも、新しい出逢いもこれから沢山あるだろうから、ちゃんとパーティーにも積極的に出るんだよ」
兄上の言葉に、レティーも小さく頷いて、ようやく見えた収束に俺は息を吐いた。ああ、全く手のかかる妹を持ってしまったものだ。
僕は鼻を啜る妹と、溜め息を吐いた弟を見比べ、頭の痛みを覚えて目を閉じた。
あの後仕入れた幾つかの情報と、訪れた人間、それなりの考察の結果、ひと月前にここに彼女と共にいたあの狩人は、とんでもない人だと解った。無論これは僕しか知らない。訪れた人間たちにもしらを切った。彼女に言わないと約束したし、彼女の意に反する事はしたくない。
――それにしても、さっきのエリオットの言葉は刺さった。
ふっと苦笑が浮かぶ。…確かに、横恋慕としか言えないのかもしれない、今となっては。随分と前に出逢い、けれど鮮烈な印象がくっきり頭に残っていた少女。盛装した姿は、絶世の美少女と呼ばれるレティー以上に美しかった。
彼女が今ああしているのか正しいのかどうかは分からない。が、彼女はああして奔放に動いている方が似合う、と素直に思った。
――それに、あの人。
彼女と共にいた、女性顔負けの綺麗な面立ちの青年、あの時は知らなかったが――知らなければ良かったと思ってしまった。
彼女は知っているのだろうか。――多分知らないのだろう。彼も、恐らく彼女の事を知らない。知っていたら、あの様に笑い合えないと思う。ただの仲間としての信頼関係は、築けないと思う。
それを考えると、今の所あの二人にそういった兆しはないように見えたけど…、まぁ、時間の問題なんだろうな。
少しだけ――ほんの少しだけ、彼等を羨ましく思う。軛から逃れて思うままに生きる彼等を。
けれど、僕が選んだのは此処なのだ。だからせめて、貴女達へ祈りを送ろう。
どうか無事な旅を。また逢えるように願っています――と。
おまけ。
兄妹三人の会話から一週間程経ち、ビグナリオン王家主催の夜会に来ていたレティシアは、無意識にあのひとの面影を追ってしまう自分に気付いて、思わずうなだれた。
エリオットの言うことは、無神経で、馬鹿で、容赦ないが、事実だ。いつまでもこうしているのは、自分でも愚かだと解っている。あのひとは、自分など眼中にもなかった。あのひと自身も気付いていなかったけれど、あのひとの蒼い眼は、いつもたった一人を追っていた。
(――馬鹿、レティシア。お兄様の言う通りよ。新しい出逢いだって、きっとたくさんあるわ!)
「あの…」
「はいっ?」
気合いを入れ直した直後声を掛けられ、レティシアはびくっと肩を跳ねさせて振り向き――固まった。
そこにはレティシアとさほど変わらない年齢の少年が立っていた。整った顔に気遣いの表情を浮かべて、少年は口を開く。
「先程から、悲しそうなご様子でしたので…如何されたのですか」
レティシアは答えられなかった。ただひたすら、目を見開いて少年を凝視する。
薄墨色の、首の横で緩く結ばれた髪。蒼く澄んだ眼は、晴れ渡った空のよう。
――髪の色を除けば、今し方彼女が思い浮かべていた人に、そっくりだった。
「あの…?」
少年が戸惑ったように眉を寄せる。レティシアははっとして、裾を摘んでお辞儀した。
「申し訳ありません。少し、思い出していただけですの。…それより、宜しければ一曲踊って頂けませんか?私、レティシアと申します」
ぽかん、としていた少年は、レティシアの名乗りから数秒後、ふっと微笑んで腰を優雅に折る。…そんな所作まであのひとに似ていて、レティシアの心臓は知らず高鳴った。
「僕は、エデルと言います。お手をどうぞ、レディ」
「…あれ?」
ひょいと一角を見たヴィルヘルムが間抜けな声を上げ、釣られたエリオットもそちらを見た。――見れば、レティシアが見知らぬ少年と踊っている。
――否。
エリオットは嫌な予感がした。あの少年が誰かは知っている。参加する時点で、このパーティーの参加者の顔と名前は覚えた。その中の一人に、彼は該当する。
しかし、しかしだ。少し前、そうひと月程前に、自分はあの顔を見た気がする。どこでだったか――考えて、エリオットは凍り付いた。
いやまさかそんなバカな。
しかし現実は無慈悲だった。そんなエリオットの葛藤に気付いたヴィルヘルムが、憐れみの表情を浮かべて、彼に言ったのだ。
「彼は――」
――エリオットが白目を向いて倒れるまで、あと数秒。
今回の話はギャグを目指しました。エリオットはあれです。鈍いです。このへんリディと気が合うかもしれません。
最後に出てきた少年は、…再登場は当分先ですが、予想通りかと思われます。
第二話はこれにて本当に終了です。お付き合いしてくださった方、ありがとうございました。三話はたぶんこれよりかなり短いと思います。