【幕間-6】ルイスとエルゼリーヌ
【幕間】ルイスとエルゼリーヌ
石で出来た階段を下りていく。螺旋状にうねる狭いそこは、一定感覚おきに蝋燭が灯されているだけで薄暗い。
降りて行くごとに地上の喧騒は遠ざかっていき、ただコツ、コツ、という自分の靴音だけが響いていく。
長い階段の果て――暗く、陰鬱とした空気の漂う牢獄に足を踏み入れ、ルイスは息を吐いた。入口を守る兵士が声をかけてくる。
「殿下」
「ご苦労。――あれは」
「一番奥の個室に。今は比較的落ち着いています」
淡々と話す兵士の顔の端には、若干の倦怠感が滲んでいた。ルイスは苦笑し、苦労をかけて悪いな、と言った。
「いいえ、それが自分の勤めですので。――殿下、余り背負われませんよう」
後半、気遣わしげにかけられた台詞に、「まったくうちの兵は優秀で困るな」と軽口を叩いて、ルイスは歩き出す。全く、気遣ったつもりが気遣われるとは。
ゆっくりと牢獄を歩いていく。広めの通路の両側には鉄格子が並び、ぽつぽつと収監されている人間達が見えた。その服装や内部の状況から、きちんと衛生環境が保たれているのを確認する。
看守によっては、それらを怠り、囚人を虐げる者もいる。それは規定破りであるし、相手とて人間だ。当然のことをしでかしたからだという言い訳は言い訳にならない。だいたい、無為に人を殺すような輩は、現行犯で騎士団に斬られることが多いので、ここにいるのはたいがいが軽犯罪者か政治犯だ。
通路を進んでいくと、鉄格子の並びはまばらになり、やがて簡素な扉群が現れた。ルイスは言われた通りまっすぐ一番奥へ向かい、一呼吸おくと、ずず、と鉄でできた扉を押し開いた。途端。
「いい加減におし!いつまでわたくしをこのような所に閉じ込めるつもりですの!わたくしはシャードプスの娘ですのよ!このような振る舞いが許されると思っていますの!?」
耳に飛び込んできた金切り声に、思わず眉をしかめる。閉めたくなる気持を堪え、室内に入った。
まず目に入ったのは鉄格子だ。鉄の扉に、鉄格子。この二段構えで逃走を防いでいる。
その奥は簡素だが、ベッドと机、椅子などが置かれ、一見普通の宿屋のような様相を呈していた。
「…ルイシアス様?」
零れた声に意識を戻す。入ってきた者が兵士ではないことに気づいたのか、こちらを見る女の目は驚きに開いていた。次の瞬間、それは喜びに彩られる。
「ルイシアス様!わたくしを助けにいらしてくれたのですね!わたくし、ずっとお待ちしておりましたわ!」
まろぶように鉄格子に駆け寄ってくる、かつての婚約者を、ルイスは感情の籠らぬ眼で見やった。
その様子に、何かが違うと悟ったのだろう。戸惑うように、エルゼリーヌの瞳が揺れた。
「ルイシアス様…?」
「――お前の父親の処刑が決まった。明日の朝、日の出と共に処される」
最初はなにを言っているのかわからなかったのだろう。丸く瞳が見開かれ、ぽかんと口が開く。数秒して理解が追いついたのか、その眼に驚愕と怒りが溢れた。
「なにを仰いますの!?父がなにをしたというのですか!?」
「――親が親なら、子も子か」
口の中で呟き、ルイスは淡々と続けた。
「第一王子殺害教唆。また協力者の手引。対抗議員の殺害指示。――色々あるが、最初の一つだけで大逆罪で極刑だ。当然だろう」
でも!とエルゼリーヌは噛み付いた。
「それは、お父様はルイス様の為に…」
「――いつ俺がそんなことを頼んだ?」
いつもより数段低い声が出た。びく、とエルゼリーヌの体が跳ねる。
「俺の為?ふざけるなよ。俺は王位なぞ望んじゃいなかった。それは再三言ってきた。――それを、己の私利私欲の為の大義名分にしていたのが、お前の父親だ」
――激昂に至らなかったのは、昨日の時点で既に、この女の父親に罵りの限りを尽くしたからだ。
ルイスは冷えた眼だけをエルゼリーヌに向ける。エルゼリーヌは、恐怖にひきつった顔で肩を上下させていた。
「本来なら一族郎党処刑。お前がこの部屋にいるのもその為だ。――その上、お前には余罪がある」
「な、なんだというのです!」
「――ばれないとでも思っていたのか?リディエーリア・エルクイーンの暗殺未遂だ」
その名前に、エルゼリーヌの眼に殺意と憎しみが過る。それだけでルイスはこの会話を打ち切りたくなったが、これは約束だ。続けた。
「無論失敗していたが。一応結論を教えておこう。暗殺者は全員リディが返り討ちにした。そのうちの一人を尋問した結果、お前の名を吐いたわけだ」
「濡れ衣ですわ!」
エルゼリーヌは金切り声で喚いた。
「そんなもの、別の者が仕組んだ罠ですわ!証拠はおありなんですの!?」
「既に裏は取れている。シャードプスの家令や侍女、ザクリスカルタの侍従らからの証言もある」
忌々しそうにエルゼリーヌの顔が歪む。この後に及んで他者を憎むのは、もはや愚かしかった。
「リディはオルディアン、遠くはなるがアルフィーノの王位継承権も持っている――つまり、王族だ。それだけじゃない。俺の婚約者としても――王族となる。その謀殺もやはり、極刑に値する」
「なんですって!?」
叫んだ女の顔は、この上なく醜かった。
「あの女狐が、ルイシアス様の婚約者!?ルイシアス様は騙されておいでですわ!あのような人殺し!!」
「…確かにあいつは多くの人々を殺した過去があるが、それをあいつは背負って前を向いている。指示することで己の罪をないものにしているお前達とは、まるで雲泥の差だ」
「わたくしはっ」
なおも何かを言い募ろうとするエルゼリーヌは、けれど途中で糸がきれたように項垂れた。
「なぜ…なぜ、あなたはそうなの?わたくしがどれだけあなたを想っても、あなたは省みてくださらない!わたくしは、ただルイシアス様をお慕いしているだけなのに…!」
涙混じりのその台詞を、今までのようにばっさりと切り落とすことは簡単だった。だが、ルイスは眉根を寄せた。言われた言葉が、脳裏を翻る。
「…俺は、昔からお前がわからなかった」
唐突に落とされた呟きに、エルゼリーヌは顔を上げる。薄暗い灯りに、整った面立ちに陰影を作られながら、言葉を探すルイシアスの姿があった。
「お前の父親に引き合わされた時から。お前は話したこともなかった俺に好意を寄せ、まとわりついてきた。俺がいくら近づくなと言っても笑って寄ってくる。理解できなかった」
当時のルイスにとって、嫌悪を示せば大抵の相手は引き下がるのが当然だった。それに当てはまらなかったのがエルゼリーヌだ。――それがよりマイナス方向に転がってしまったのは、彼女にとって哀れだった。
「俺はお前の父親が大嫌いだったよ。狡猾で、俺を望まぬ王位につけようとする――。だから、あの男の娘のお前もまた、嫌った。お前を知ろうともせずに。――そう、言われて気づいた」
ルイスはこの訪れの切っ掛けとなる会話を思い出す。
『君さーーあの女と向き合ったほうがいいと思うよ』
彼の相棒であり、恋人ともなった少女は、剣の手合わせの休憩時間にそう、目を遠くにやって言った。
『エルゼリーヌって言ったっけ…あの女、確かに性格最悪だし、踏み外してるとも思う。でも…そうさせたのってさ、ルイスじゃないかな』
『なんで俺が』
『ルイスの為、って言ってただろ。勿論、それは免罪符じゃない。ただの言い訳だ。それでもね、…君に好かれたかったから、って言葉は嘘じゃないと思うんだ』
『……』
『私も、君を好きになって――思ったんだ。君の隣を、誰かに渡したくないって。エルゼリーヌも多分、同じことを思って――方法を間違えたんだ』
『そんなの』
『勿論、本人のせいさ。でもねルイス。君は、あの女の父親を嫌う余り、あの女も頭ごなしに嫌ってこなかった?あの女と、真正面から向き合った?――向けたものが、目向きもされずに跳ね返されるのは、辛いよ』
或いは、女だからこそ感じるものでもあったのかもしれない。リディはただ、繰り返した。一度でいい、向き合って来い、と。
「…俺は、お前はやっぱり嫌いだよ、エルゼリーヌ。最初は確かにシャードプス公の娘だからというだけだったかもしれない。でもその後、お前がやってきたこと、歩んできたことを思えば、許せそうにない。――それでも、それの理由をつくったのは、俺なのかもな」
伏せた目を上げる。エルゼリーヌは呆然と彼を見ていた。その瞳を見ても、間違っても情は浮かびそうにない。ただ、複雑な思いだけが残る。
「――エルゼリーヌ・ザクリスカルタ・シャードプス。レニンスラ修道院に生涯幽閉とする。出立は明日未明だ。それをもって沙汰とする」
階段を上がり、地上階に戻ってきたルイスは、正面の壁に背をもたれさせているリディを見つけた。腕を組んで目を閉じていた彼女は、目を開けて首を傾ける。
「ちゃんと話してきた?」
「…ああ。結局、よくわからないよ、俺には」
向き合ったところで、嫌悪の感情しか伝えられなかった。修復のしようがないほど、エルゼリーヌとの間には溝が出来てしまっているのだ。
「…それでもいいよ」
これであの人が、今までを見つめ直すきっかけになればいいと思うけれど。
口の中で呟いて、リディは踵を返す。
「ルイス」
「ん?」
「好きだよ」
「…どうしたいきなり」
隣に並んだルイスが、ぎょっとした顔でリディを見やる。その顔は少し赤くなっていて、こういった言葉は言われ慣れていないのはすぐに解った。
――接し方を間違えていなければ、ルイスと彼女は、うまくいったのかもしれない。そうであったら、ルイスがリディと出会うことはなく、こうして想いを交わすこともなかったのかもしれなかった。
それでも出会って――惹かれあったのは。
「…生きて帰ろうね、ルイス」
ルイスは眉を上げる。見えない話の繋がりに――けれど、追及はせずに前を向いた。
「当然だ」
運命がそれを決めたというのなら。
(貫き通すさ。――最期まで)
前へと歩く二つの足取りは、確かに重なっていた。
わかりにくいと思うので説明をば。
第八話で犯人の男を引き入れたのはシャードプス公です。ギルバートをミハエルに引き合わせ、第一王子排除の思考に持って行ったのも彼。
リディが刺客に襲われたあたりも含め、この辺の陰謀系統も書き起こしたかったのですが、そうすると終わりが見えなくなるうえに話がそれそうだったので、ざっくり削りました。いつか書けたらいいなあ…。
幕間もこれにて終了です。が…後篇は…またしばらくお待ちください(土下座
とりあえず、これから一か月間に及ぶ試験という名の戦争に打ち勝ってこなければ…うう、ごめんなさい。




