第十二話 導きの涯 (16)
第十二話 導きの涯 (16)
「こなくそっ…!」
硬い感触に顔を歪め、アハトは剣を弾いて後転する。視界の端で捉えたミスリルの刃は、刃こぼれしていた。
ざ、と隣に影が立つ。
「…ウォーレス」
「……」
無言で見下ろしてくる黒い瞳に、アハトは苦笑いを返した。
「大丈夫だっつの。…あいつが動けねえなら、俺がやるしかねえだろ」
その台詞は、竜の爪に倒れた女に向けられている。誰よりも強い女。悔しいが、勝てたことは一度もない。
…だからこそ。
(てめえの背を守りてえんだよ)
滝のように流れる汗を拭う。体力は最早限界。それでもやるべきことがあるから、立っていられる。
視線の先で竜が呼気を鳴らす。アハトは地面に突き刺していた剣を抜き、下段に構えた。
「……」
数秒の睨み合い。じり、と間合いを図った竜と男が、同時に地を蹴り――
アハトはウォーレスに襟首を掴まれた。
「うぉっ!?」
長身の彼に思いっきり後ろに引っ張られ、彼ごと膝を崩す。その直後、彼らの上の空間を、突如として後方から吹いた二閃の魔術が裂いていった。
「……」
あのまま飛び出していたら、直撃はせずとも髪の毛が燃えるくらいはしていたかもしれない。顔に食らって咆哮する竜を背に、体勢を立て直したアハトはくわっと後ろを振り向いた。
「くぉらガキども!!当たったらどうしてくれ…る…?」
「当てませんよ」
が、尻すぼみに驚愕を示した彼に、片方の魔術を放ったその足でウォーレスの隣に着地したカインズが悪戯っぽく笑う。ルイスと共に逆側に着地したリディがぼそっと「小さいしね」と呟き、ルイスに頭を叩かれていた。
「アハト、ウォーレス、下がっててください。結界側の保守を頼みます。ラウレッタ一人では荷が重い」
「え、あ?カインズ?ちょと待ていやなにおま」
「混乱してる暇があるなら、システィア守ったらどうですか?」
ぴしゃりと言い渡され、目を白黒させながらアハトは頭を抱える。なんだこいつ。ホントにカインズか?
「……」
その時、溜め息をついたウォーレスがむんずとアハトの襟首を再びひっつかみ、くるりと踵を返すと結界に向かい出す。
「ぉわっ!?ウォーレス待て引っ張んな!」
「……」
ぎゃあぎゃあとした喚き声が遠ざかり、カインズはさて、と前を振り向いた。アハトと漫才染みたやり取りを交わす間も、じっとエドワードやルイスは相対する竜に警戒の視線を向けていて、膠着状態のような睨み合いになっている。
「殿下。さっさと片付けましょう。あ、でも陛下にどやされるの嫌ですね。片付けたくなくなってきた…」
「……どうしようなリディ。こいつ殴りたくなってきた」
「いいんじゃない?協力するよ。あいつ倒した後にね」
ついとリディは目を細めた。その半歩後ろでは、ラグがその身に空恐ろしい程の魔力を集めている。
ルイスは息を吐き、剣を握る手に力を込めた。
「手筈通りに。行くぞ!!」
応答が唱和され、五つの影が飛び出した。
まず初撃はエディだった。低く身を屈めて疾走した彼は、途中襲った火を最小限の距離で避け、一気に間合いに踏み込むなり、竜の後肢の爪先に刃を突き立てる。間髪入れずに左手から飛んだナイフもまた、寸分違わず爪先の柔らかい部分を切り裂き、集中した神経への攻撃にたまらず竜の上体が傾いだ。
怒りに唸り、前肢を振りかざした竜の横っ面を、リディの雷がひっぱたく。的確に歯茎を突いたそれに、竜は痛みのあまりのけぞった。
そこへ飛来する、カインズの操る風の刃。硬すぎる鱗を貫くとまではいかないまでも、確実に裂傷を刻んでいった。
「ラグ!」
「わかってる!――アクアメイン!」
後方で集中していたラグの声に、彼の精霊が応じて無数の氷刃が竜に殺到した。並外れた殺傷力を持つそれは、当たればさしもの竜も痛手を被っただろう、しかし。
「!ヤバイ、全員退避!カインズ、簡易でいい、結界頼む!」
首を返した竜の口腔から吐き出された青い炎が、瞬時に氷刃を蒸発させる。襲う熱風の余波を、一瞬前に構築された水の結界が相殺した。
「ち、やっぱ甘くねえな…!」
雪原を二転三転して踏み止まり、ルイスがごし、と口元を拭う。カインズが飄々と応じた。
「そうでなきゃ大陸最強の名は与えられませんよ。簡単に倒せたら寧ろ名折れです」
「その余裕はなんなんだお前…」
忌々しげにルイスが舌打ちする一方、後衛に回っているリディは戦慄を禁じ得なかった。
(――これがエーデルシアス最強の騎士団、月長騎士団…)
ヴィンセントが言っていた。オルディアンの最後の砦が魔騎士団であるなら、エーデルシアスの最終手段は月長騎士団だと。実のところオルディアンはエーデルシアスのそれを真似た、まだ試験段階の組織であり、その実力は月長騎士団には遠く及ばないのだと。
(…強い)
見たところエディは平団員。なのにあの強さ。カインズに至っては、オルディアンの国王すら及ぶかどうか。
この強さに指揮された軍に本気で牙を剥かれて、立ち向かえる国は恐らく――ない。
(でも、なんで?エーデルシアスは恒久平和の国だ。歴史上、唯一他国との戦争を経験したことがない。なのになんで――こんな圧倒的な強さを保持してる?)
無論、万が一の備えという目的はあるだろう。今まで良好だからといって、これからも関係が良いもののままである保証なんて、どこにもない。
だけど、それだけにしては、強すぎる。まるで、来るべき『何か』に備えているような――。
「リディッ!」
「っ!」
鋭い呼び声、そして視界を掠めた赤い色に、リディは反射的に両手を構える。轟、と吹き寄せる熱気。
(ちっ、考えてる場合じゃない……!!)
「……!」
目を眇め、魔力を調える。手の前に生まれた魔力の塊に、竜の口腔から吐き出された炎が衝突し――塊に呑まれていった。
マジで!?というエディの叫び声が聞こえたが、それに応じる余裕はない。
(熱っ…!)
さしものリディにも負荷を与える熱。けれど歯を食い縛って彼女はそれを耐えきり、手のひらの塊の中に炎を呑みこみきると――口を閉じた竜目掛けて、収束させ、威力を純化させた白い炎の塊を投げ返した。
ドゴォン!と凄まじい音を立てて肩にぶつかった炎に、竜は絶叫して暴れる。その隙に距離を取りながら、一同――主にカインズとエディ――は愕然とした顔でリディを見つめた。
「流石は、『烈火の鬼姫』――ということですか」
カインズの呟きを余所に、リディは息を吐いて指先に目を落とす。白い指先は赤く爛れ、指の中程までを守る指貫長手袋の先はぼろぼろと崩れていた。
(火傷なんて久しぶりだ。…昔はよくやったけど)
制御能力を身につける前は、大きすぎる魔力に火傷することなんてザラだった。逆に魔力を制御下に置けるようになってからは、彼女にとって火は友人であり、自らを守るものでありこそすれ、傷つけるものではなかった。
(…て、んなこと考えてる場合じゃないって、さっき思ったろ)
ぐ、と手を握る。一瞬後、傷は綺麗に治っていた。
「ルイス、次はどうする?」
「…俺とカインズ主体の攻撃継続だ。気を抜くなよ、全員」
新しい剣の柄は、籠手を通してなおその滑らかな冷たさを伝えてくる。その冷たさに、冷静さを保つ助けを得ながら、滴る汗を振り払い、ルイスは再び身構える。
「リディとラグはもう少し下がれ。リディが防御主体、ラグは攻撃主体だ。エディ、無理はするな。カインズは無理しろ」
「え、なんですか殿下私の扱い」
がーん、とわざとらしいリアクションをするカインズには誰も構わず、手早く頷いて配置を変える。
が、それが終わるか終わらないかの内に、竜の咆哮が辺りをつんざき、強烈な風がその場を襲った。
「わっ!」
竜の翼から生み出されたその突風に、受け身を取り損ね、なおかつ体重の軽いリディとラグが後方に吹っ飛ばされる。それを追って、突進していく竜に残された三人は顔色を変えた。
「待て!」
魔術が次々と竜に着弾するが、竜の勢いは止まらない。その先では盛大にすっ転んだラグが雪に埋まって身動きが取れずにいる。
「ラグ!!」
牙を剥き出した竜がラグに襲いかかる、その直前にその間に滑り込んだ影がいた。リディだ。着地したその足で、迷わず飛び込んでいったのだ。
「ラグ、目を潰せ!」
叫びながら双剣を抜いたリディは、そのまま竜の牙に剣を叩きつける。瞬間、片方の刃が、半ばから折れた。
「……!!」
眉を歪めたリディは、それでも上手く衝撃を受け流して竜の顔を反らし、大声で叫ぶ。
「フレイアッ!!」
轟、と炎が竜の顔を包む。そして次の瞬間には、鋭い氷の槍が竜の片目に突き刺さった。
凄まじい絶叫が上がり、竜が無茶苦茶に暴れる。直ぐ様飛び退き、折れた方の剣を投げ捨ててリディはラグを抱えて離脱しようとしたが、
「ッ――!!」
灼熱の痛みが背に走り、その足が崩れる。しなるような竜の尾の棘に抉られたのだ。それでも力を振り絞って転がるように前方に飛んだ。肩から地面に激突し、小さく呻いたあとぐったりと伏す。
「「リディっ!!」」
ラグの悲鳴とルイスの叫びが重なる。踏み荒らされた白い地平にじわじわと赤い色が広がっていくのに、元々白い顔を蝋のような色に変えたラグは、動揺しきった表情でリディの体に手を翳した、その時。
ガキンッ! と強烈な金属音を立てて、再び迫っていた竜の尾が弾き返される。激しく息を切らしたルイスが、ラグとリディの前に立ちはだかっていた。
「ルイ、ス」
ルイスは視線の先でカインズが竜の注意を引いているのを確認すると、警戒は解かぬままラグを振り返った。
「焦るな、ラグ。まず結界を張れ」
深い蒼い眼に見据えられ、すぅっと波立った心が冷静に戻る。一度深呼吸してから、ラグは魔力を発動させた。瞬時にルイスを含んだ小さい円状に形成された多属性結界に息を吐き、ルイスはリディの傍らに膝をつく。
「どれくらいで治せる?」
治せるか、とは訊かない。怪我の状態を把握した上で、所要時間のみを訊ねるルイスに、ほんの僅かにぞっとしながら、ラグもまた淡々と頷いた。
「7分ちょうだい」
「わかった。――リディを頼む」
ルイスはそれだけ言ってさっと立ち上がると、結界から駆け出した。それを見送らず、ラグは聖魔術を使うべく魔力を籠めた。
キリがいいので短いですがここまで。この章は次の話で終わりです。




