第二話 陰謀の宴 (7)
第二話 陰謀の宴(7)
ギシ、と床板が軋む音に男は振り返った。今の今まで見ていた水盆は、フッと色を失う。ずっと狩人達を観察していた彼は、狩人の紅一点が消えているのも知っていた。
少々早すぎる感もするが、予想通りの出来事に男は嗤う。
「よくここがわかったな」
灯りを灯していない室内は暗く、互いの顔は見えない。けれど狩人は揺らぎもせずに立ち止まり、彼に向かい合った。
「アーヴァリアンの宮廷魔術士だね」
その言葉には少々驚かされた。よもや知られているとは思わなかったが…まぁ、大した問題でもない。
「よく知っているな。どこから訊いた?」
「答える義理はない。――なぜ、アーヴァリアンがビグナリオンを崩そうとする?あの国の女王は、他国を侵略するような性格じゃないと聞いたんだけど」
男は笑い声を上げた。狂気の混じるそれに、狩人は顔をしかめる。
「女王は何もご存知ない。しかし、私がこの国を差し上げればきっとお喜びになるだろう!ああクリスティアーナ陛下、貴女様の御前にもうすぐビグナリオンを差し上げましょうぞ」
彼の甲高く恍惚とした口調に、狩人の女は唇を歪めた。無言で腰の剣を抜く音がする。
「成程ね。トチ狂った変態の末路か。クリスティアーナ陛下もお気の毒に」
ぼそりと呟かれたそれは、男の耳には届かない。
しかし静かに室内に満ちる殺気に、笑いを収めて男は首を傾げた。
「ん?貴様、私と戦うつもりか」
「今更それ?私は君を殺すつもりで来たんだけど。平和な思考だ」
「ふ、愚かな。視ていたぞ。貴様の精霊はせいぜいが中位だろう。上位の私には敵うべくもない」
水盆で、彼女が風精霊を使役していたのは知っている。
でもそれだけだ。多少は剣を使うようだが、上位の水精霊に加えて土精霊も持つ自分が負ける要素はどこにもない、と男は疑っていなかった。
闇の中で女は僅か沈黙すると、哀れんだように嘆息した。
「これだから馬鹿は。――サンディルナ、おいで。封印を解除する」
すっと魔力が奔り、顕現したらしき雷の精霊――二属性持っていたのも驚きなのに――は、その存在だけで男を圧倒した。
「な――!?」
バリバリと雷が宙を奔り、彼の水精霊を直撃する。
一瞬空気が引きつれた後、上位である筈の彼の精霊は呆気なく消えた。男は呆然と狩人を見た。コツ、と足を踏み出す音が響く。
「な、な、何者だお前は!?」
応えず、狩人は彼に近付いた。容赦のない殺気に男は怯え、泡を食って叫ぶ。
「ま、待て!!そうだお前、私と共にアーヴァリアンで仕えぬか!?その力ならば、確かな地位を――」
「そんなものに興味はない」
「く…そおおお!!」
絶叫と共に、土精霊が狩人に向かって飛び出す。が、狩人の前に立ちはだかった雷の精霊により、それはあっさりと消された。
その間にも足を進めていた狩人は、男の前で立ち止まると、剣を抜きはなって彼の首に突きつける。
「ひい…!」
「拘束する。アーヴァリアンにも問い合わせよう。大人しく観念しろ、変態」
冷厳に言い、狩人が男を引っ張って立たせようとすると、不意に男が狩人に体当たりする。不意打ちによろめいた狩人に、絶叫しながら男は袖口から取り出したナイフを突き出した。
「っ!」
「死ねええええ!!」
咄嗟に狩人が左腕で身体を庇った時。どこからか小さなナイフが飛来し、男の肩を貫通した。
「っぐあああああっ!!」
凄まじい悲鳴と共に男がナイフを放り出して倒れ、床でのたうつ。がリディは、緊張を漲らせて後ろを振り返った。
「誰だ!」
鋭い誰何の声が空気を打つ。リディのそれに応えるかのように、ゆっくりと室内に気配が増えた。
「私はアーヴァリアンの者。その者を引き取りに来た」
姿は見えない。だが全く隙のない気配に、リディは剣を収める事はしない。
「引き渡す?冗談だろ。こいつはこの国を荒らしたんだ。その制裁は受けて貰う。それともまさかアーヴァリアンは本気でビグナリオンを討つつもりなの?」
「そのようなお心を陛下はお持ちでない。此度の事も憂いて私を遣わしたのだ」
「…貴方は誰」
「私はシルグレイ。アーヴァリアン王弟だ」
リディは驚愕した。まさか、という思いと、目の前から感じる魔力の気配とがせめぎ合い、数秒絶句する。その後、
「…失礼、致しました」
見えてはいないとわかっているものの、頭を下げる。頷く気配が返ってきた。
リディは、余りの痛みに気絶したらしい男を一瞥する。
「…けれど、公爵には伝えなければなりません。身柄を引き渡すかどうかは、雇われ者である私には判断できません」
「一理あるな」
「ですが今、街の外では私の仲間が戦っています。貴方がこの男を連れて行くなら、それを阻む術はありませんが…どうなさいますか」
半ば賭けのような問いだったが、アーヴァリアン王弟はそれを愉快に思ったらしい。軽い笑い声が聞こえた。
「面白いな。君、その男ではないが我が宮廷に仕えんか」
「ご遠慮させて頂きます」
冗談なのか本気なのかわからない声音を、しかしリディはばっさりと切る。そして踵を返した。
「その男はお好きに。お暇でしたらエアハルトの城までお運び下さい。放置して下さっても構いませんし、拉致しても構いませんので」
言いながらも、リディには男が宮廷魔術士を拉致することはないと半ば確信していた。ここで無用な軋轢を生むことを、彼はすまい。
そのままリディは出て行こうとしたのだが、笑い声と共に足音が彼女の後ろをついてきた。
「面白い。気に入った」
「…何ですか」
空き家の出口手前で足を止めて振り返る。
うっすらと外から差し込む街灯の光に、微かに二人の姿が照らされた。
薄闇の中で見詰めた男の顔に、リディは心の中で少しだけ感嘆する。
少し襟足の長い、さらりとした銀髪に、夜明けの空を思わせる紫水晶の瞳。鼻梁が高く、細面の顔立ちは、高貴さと自信にあふれて揺らぎがない。
リディより頭一つ以上大きい相手は、くつくつと肩を揺らした。
「どうせ暇人だ、魔物の掃討を手伝ってやる」
「…憂さ晴らしがしたいだけでしょう」
「ほう。随分とわかったような口を利くな?」
リディは口を噤んだ。無言で足を動かすのを再開する。
「返答なしか」
「所詮狩人ですので。この程度の無礼はご寛恕下さい」
皮肉で返し、つとリディは視線を上げた。伝わってくる振動、争いの音。
「…急ぐか」
同じ事を思ったらしい。リディと男は、同時に同じ魔術を使って地を蹴った。
―――――――――――――――
「――はあっ!!」
剣を振り下ろす。魔物の額を捉えた軌跡は、そのまま赤黒い血を引いて振り抜かれる。パン、と魔物が核を残して崩壊したあとも、白銀の軌跡は動作を止めない。弧を描いて背後に迫った魔物を両断した。
「キリねえなっ…!」
既に戦闘は白兵戦に突入していた。戦いの初めは、ルイス、ヨセフ、シラスを中心として大規模魔術が展開したが、魔物達が接近した時点で止めた。
魔術士達は人のいない所を狙って魔術を打ち込み、剣士達は何人かで治療術士と固まり、ひたすら駆逐を続けている。ルイス、シラスは例外的に単独行動だが。
何匹目かも解らない魔物を切り捨て、ルイスは舌打ちした。どうせ人のいない箇所など山程ある。シラスのように空中に跳んで魔術を放ってやろうか――。
彼がそれを本気で実行に移す寸前、強烈な光の一閃が数メートル先を吹き飛ばしていった。
「なんだあ!?」
どこからか驚愕の悲鳴が聞こえたが、心当たりのあったルイスは唇をひくつかせて上を見上げる。
「あの野郎…」
(当たったらどうするつもりだバカリディ――!)
――――――――――――――――――――――――
「…先行きます」
シルグレイが狩人の少女と街を走っていた時だ。
不意に少女が目を細めると、大きく屋根を踏み切って急加速した。
瞬く間に離れていく細い躯に、シルグレイは瞠目した。
(まさか、二属性とも最上位…!?)
王族である己を置いていくなど、並大抵の力ではない。
「――面白い!」
何度目かのその台詞を口にし、彼も速度を上げた。見る見るうちに外壁が近づいてくる。前を走る少女が、不意に雷魔術を放った。
「…おいおい」
凄まじい雷撃が外にたかる魔物を薙ぎ払う。のはいいのだが、あれは人間を巻き添えにしていやしないか。
と、彼の感覚が何かを捉える。この強烈な魔力。冷徹でいて、温かみのある氷のような気配。――覚えがある。
少女が、唖然とする歩哨壁を飛び越し、自分が薙ぎ払った事で一時的に生まれた空間に飛び降りていく。
そこで、彼女を待っていたように怒鳴りつけた青年を視線に捉えて、シルグレイは呆気に取られた。
「…あれは、まさか…ルイス?」
―――――――――――――――――――――――
「当たったらどうするつもりだ!?死ぬぞ!!」
「ちゃんと当たらないように撃っただろ。ぐだぐだ言うなよ、鬱陶しい」
「お前な…!」
ルイスはどこ吹く風で彼の傍に降り立った少女に怒りを向けた。が、リディは全く悪いと思っていないらしく気にした様子もない。
ぶちっときて物申してやろうとしたが、背後から魔物が群れを成して襲いかかってきた為、舌打ちして迎撃する。リディも剣を抜くと、一息に迫った魔物の喉を貫いた。
――――――――――――――――――
「…こんなところで何をしているんだ、あいつは」
視線の先で暴れ回る二人。その内一方を眺めやって、シルグレイは呆れて息を吐く。全く、意味が解らない。
その時、少し離れた所から彼に驚愕の声がかかった。
「貴方は…!?」
シルグレイは振り向き、そこに目を見開いたエアハルト公爵家第一子、第二子を認めて軽く頭を下げる。
「此度は我が国の愚か者がご迷惑をおかけした。狩人殿の協力もあり、既に捕らえたが、公爵の沙汰も聞きたいと思う。その後は我が国に連れ帰り、女王陛下の裁きを受けさせたいと存じ上げる」
真っ先に我に返ったのはヴィルヘルムだった。丁寧にお辞儀をし、しっかりとした口調で述べる。
「わざわざご足労頂きありがとうございます、シルグレイ王弟殿下。色々お伺いしたい事はございますが、当面はこの魔物の駆逐が先。申し訳ありませんが、今しばらくお待ち頂けますか」
「元より原因は我らにあるからな。微力ながら協力させて貰おう」
笑いながらの返答に、ヴィルヘルムは僅かな間迷ったが、すぐに頷いた。
「ありがとうございます。――ライディア」
緑の目が戦場に向けられた、その先で落雷が起こる。歩哨壁の上に留まって魔術を撃ち、端から見ていたヨセフから、ひゅうっと口笛を吹かれる。
「ほう、最上位の雷精霊か。貴殿といい、あそこの二人といい、今日は強者に出会うものだ」
言いながら、シルグレイは精霊を喚ぶ。
「フィアル、焼け」
瞬間、黒髪の狩人が魔物達を薙ぎ払っている側に、火柱が上がった。
火柱は天を食らわんばかりの勢いで空に伸び、呑まれた魔物達は消し炭になっていく。
「さて、私も行くか」
唖然とする面々を余所に、シルグレイはエストックを抜いて跳躍し、数分前より明らかに少なくなった魔物の渦中に飛び込んでいった。
「…俺、なんか異世界迷い込んだかなあ」
桁違いの魔力に対してヨセフが現実逃避気味に呟いた台詞に、その場にいた狩人や騎士達は内心激しく同意したのだった。
―――――――――――――――――――――――――
側で上がった火柱。ルイスは呆気に取られてそれを見上げる。
威力はリディ並みだが、気配が違う。そしてその気配に彼は覚えがあった。
「ぼけっとするな、ルイス」
隙をついて彼に襲いかかろうとしていた魔物はしかし、さらに背後から突き出された突剣に心臓を貫かれて霧散する。
振り向きかけていたルイスは、闖入者を視界に捉えて目を丸めた。
「…シルグッ…!?」
「久しぶりだな」
飄々と肩を竦め、シルグレイは手を振った。側面にいた魔物が三匹消し飛ぶ。
「…相変わらずの魔力だな」
取り敢えず色々な疑問を押し込めてルイスが呟くと、シルグレイはにやりと笑う。
「セーブしている癖によく言う。魔術剣すら使わずに」
「魔術弓専門がいるからな。下手には使わねえよ」
視線を動かすと、少し右手を水の気配を纏った矢が切り裂いていった。件の魔術弓専門、エドガーのものである。
「つか、お前なんでここにいるんだ?」
「こっちの台詞…と言いたいが、答えてやろう。馬鹿な頭のネジが吹っ飛んだ変態宮廷魔術師が姉上に認められたいが為にビグナリオンを潰そうと画策したのを阻止しに来た」
「成程理解した。らしくないとは思ってたが、やっぱりそうか」
会話をしながらも二人は魔物を狩る手を止めない。二振りの剣が通った跡には、核がごろごろと転がっていく。
「お前の理由は後で訊くとして…、ルイス、あの赤い髪の女は何者だ?私達に全く引けを取っていないだろう」
「さあ。知らねえ」
「知らん、てお前な…」
呆れて半眼を向けてきたシルグレイに、ルイスは氷の刃で魔物を串刺しにしながら返した。
「俺達は今、狩人だ。狩人に過去は要らない。あいつが何者だろうと、俺が何者だろうと関係ないな」
「……」
シルグレイは押し黙った。言ってやろうと思うことは山のように浮かぶのだが、口に出す前に泡のように弾けて消える。
数秒無言のまま魔物を斬ってから、シルグレイはため息をついた。諦めた。
「…まあ、いいだろう。詳しい事は後だ」
それからはシルグレイもルイスも黙って戦いに身を投じ、ヴィルヘルムやエリオットの援護、各狩人の奮闘により、夜明けとほぼ時を同じくして戦闘は終了した。
魔術弓、というのは簡単にいうと矢に魔術をかけて撃ちだす技術のことです。できる人はそうはいません。魔術剣も同様です。イメージとしては、ドラクエの魔法戦士とかの技の感じ…?火炎斬り的な…。
次で第二話は終わりです。後日談も入れますが。