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サナギ

作者: 太川るい

 あるところに、男がいた。


 男はこれといってとりたてるほどの特技もなく、ただ毎日を漫然と過ごしていた。


 自分の人生に起伏が無いことを男もうすうすは感じていた。しかし、そのことは男を何か別な行動に引きたてる原動力とはなり得なかった。


 男は昨日と同じような今日を過ごし、今日と同じような明日を過ごしていた。


 そんなある日のことである。男はいつものように、寝具を整えたあと窓を開け、外を眺めた。


 晴れているので遠くがよく見える。男は朝の空気を心ゆくまで吸い込んだ。


 一息ついて、窓を閉めようとした時である。男は窓のサッシに、何かが付いていることに気がついた。


 それは、何かのサナギのようだった。


 男はおやと思った。日頃変わりばえのない生活を送っている男にとって、このサナギは少なからぬ変化のように思われた。


「いつのまにできていたんだろう」


 男はあまり虫には詳しくないので、それが何のサナギなのかはわからなかった。ただこの何もしゃべらない、くすんだ色のサナギが、妙に男の心をつかんで、窓を閉めたあとにもことあるごとに頭の中をよぎった。


 それからというもの、男は毎朝窓を開けて外を眺める時に、このサナギへ挨拶をするようになった。


 ――今日はいい天気だ。――いつも無口だね。――これはひと雨くるぞ。


 口に出すことはないが、サナギの方に目を向けて、そのようなことを心の中でつぶやくのである。


 男はささやかな友人を得たような気持ちになって、この朝の会話を楽しむようになった。




 そうしてしばらく時間が経ったある日、男はいつものように窓を開け、サナギに挨拶をしようとした。


 すると、いつもとサナギの色が少し違っていることに男は気がついた。顔を近づけ、よくよくサナギを見てみる。サナギには穴が開いていた。サナギの中身は羽化をして、どこかに飛び立っていったようだった。


 サナギの主人がいなくなったということが分かると、男の中にそれまで味わったことのないような、妙な喪失感が生まれた。


 一日のいつもの行動をしていても、もうサナギはいないのだということが、男にとっては物足りない事のように思われた。


 次の日、男はまた窓を開けた。中身のないサナギは、昨日と同じように窓のサッシにあった。男はそれを少し眺めたあと、丁寧な手つきでそれを取りのぞき、家の中に入れた。


 用意した箱の中に入ったサナギは、まるでそこにあることが当たり前であるかのように、すっぽりと納まった。男はそれを日がな眺めるのだった。


 サナギは彼の中で様々な形に変化をした。ある時は美しい蝶に、ある時は見たこともないような生き物になって、男の頭の中で冒険を繰り広げた。そしてそれは尽きることがなかった。


 男はサナギを入れた箱を、外出するときには持ち歩くようになった。外には以前と変わることのない景色が広がっている。しかし男にとって、それはもはや、ありきたりな一風景ではなかった。


 そこには箱に入ったサナギがある。そうしてどこかには、殻を抜け出したサナギの主がいる。


 そう考えるだけで、男は興味を持って物事を見るようになった。




 まだ見ぬサナギの主への空想は、いつまでも男の心をつかんで離さなかった。




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