巫女2
スーパーの一件の後、特に何もなく週末を迎えることが出来た。
瑠璃ちゃんの話だと、魔獣はその存在を知る者を好んで狙うという話だったから気にしてたんだけど、特に何もなかった。たぶん「異変に対するかなり強力な抵抗力」というオレの体質が、狙って来た魔獣を知らない間に爆散させてたんじゃないかな。そもそも遡れば茶々ちゃんの変身シーンを見たときから、オレは魔獣に狙われる要件を満たしていたわけだし。いまさら警戒する必要もないのかもしれない。
売り物を破壊しまくった件についても特にお咎めは無かった。
後始末と弁償をしたとはいえ、やったことについては罰も覚悟の上で社員さんに謝罪を……とあの日の翌日、出勤した際に社員さんに話をしに行ったんだけど……。「もしかして閉店後に売り上げが出ていたことか?」なんて確認されたので話に乗っかって肯定すると、「お前か~」なんて気楽なノリで言われた。
社員さんは移動した覚えのない休憩室で目覚めたあと、そのまま開店作業に入ったらしい。その際、閉店後の時間帯にレジを使用した形跡を見つけ、不審に思い監視カメラを確認した。しかし夜間、レジを使用した人間は一人も確認できなかった……。
そんな怪現象に気づいた社員さんは、若干怯えながら働いていたらしい。オレが名乗り出たことで犯人が分かってスッキリしたと笑っていた。
なのでオレは、
「退勤後、忘れ物を取りに戻って来た際、ついでに生活用品の買いだめをした。社員さんは疲れて眠られていたようなのでコーヒーの差し入れだけして帰った」
とその話に乗っかって誤魔化すことにした。
嘘を吐くのはたいへん心が痛んだが、平穏な日常のための致し方ない犠牲と言うことで自分を納得させる。とりあえず被害はオレの財布以外は無いわけだから、許してもらいたいところだ。
監視カメラについては「電子機器の不具合でも起きたのでは?」としらばっくれさせてもらった。このスーパーは建物の老朽化が目立つし設備も古いので、その説をすんなりと受け入れてくれたようだった。閉店後に勝手にレジを使ったことに関しては「以後はしないように」と口頭で注意されたので、素直に謝罪しておいた。社員さんいわく、なんかの処理が面倒くさいらしい。
あと、缶コーヒーの差し入れはお礼を言われたので、ついでに連日の残業について社員さんを改めて労ったんだけど……、なんか泣きそうな顔してた。
辛いんだろうな……。
そりゃそうだよ。
だって今の話で一番の『怖い話』って、『勤務先で起きて、そのことに対しては何の疑問も抱かず、そのまま出勤した』ってとこでしょ。
普通にやべェって。
思えばこの人、開店から閉店まで店にずっといるもんな……。
憐れに思い、流れでそのまま社員さんの愚痴を聞いていたら気に入られたらしい。今度ご飯を奢って貰えることになった。といっても外食に連れて行ってくれるというわけではなく、賄にスーパーの弁当を……ということだったけど。
もちろん充分過ぎる程ありがたいことだ。最近は出費が激しかったからね……。
あとは吞みに行こうと誘われた。社員さんの仕事が忙しすぎていつになるかはマジで分からないけど、とも言われたけど。
ぜひご一緒させてくださいと返答し、社員さんとの絆を深め、あの日のこともまた一件落着となった。
そして、電話で予約したお祓いの当日。
オレは神社の鳥居の前に立っている。
正直に言うと、御祓い自体にはあんまり期待はしていない。気休め程度の気持ちだ。お守りは買うつもりだけど。
御祓いってどんなことをされるんだろう。
清めの塩やありがたい水を振りかけられたり、ふさふさした紙の付いた変な棒で叩かれたりするのかな?
そんなことを考えながら鳥居を見上げる。
雅さんがいた神社とは違い、ちゃんと看板……扁額にも神社の名前が記されている。
よし、行こう。
いや、待てよ……?
境内に足を踏みいれようとして立ち止まった。
ふと思った。
オレ、御祓いなんて受けて大丈夫か?
化け物もいたし魔法少女もいたし竜もいたしUMAもいた。信乃ちゃんは……この間話した時、いつの間にか未来予知が出来なくなったとか言っていたけど、そういう超能力を持っている人だっていたし、もうずっと会っていない明日香さんだって明らかに何かありそうな感じだった。
今更、非日常の存在を疑う余地は無い。
そして今、オレは思った。
―――他にもなんかいそう。
たとえば霊能力者みたいな人だ。
幽霊、怨霊、悪霊、そういった人に悪さをする怪異を祓い、退けることを生業としている人達。
それは日本における異能、非日常の定番だろう。
あんだけ変なことが実在してるのに、定番の異能者だけがいないなんてことがあるか?
もし、この神社の人が偶然にもその筋では有名な『本物』で、御祓いの最中にオレにそういう力を使ったとしたら……どうなるだろう。
あれ?
急に静かになったな……。
そう思って後ろを見たら、そこには爆散した神職の方の肉片が転がっていた……なんてことになったら洒落にならない。
……。
さすがに考え過ぎかな?
―――とんでもない地雷。
この前、瑠璃ちゃんに言われた言葉が今になって思い出される。
改めて思うけど、上手いことを言うねあの子も。褒めないけど。
お祓い、キャンセルしとく……?
お守りだけ買って帰るか?
実際、何か悪いモノに憑かれてて悪さをされているって感じはしてないし、強行する理由は無い。でも御祓いから逃げようとするこの考え方が既に憑かれている証拠だなんて考えもあるらしいし。
うーん……。
その辺も神社の人に相談してみても良いけど、もし異変に欠片も関わりが無い普通の神職の方だった場合が嫌だな。「なに言ってんだこいつ。狂ってんのか?」みたいな反応されたりすると古傷に響く。でも神職の方はそういうことを生業にしてるわけだから、さすがにそんな反応はされないか。
それに最近、不本意ながら……変な人扱いされることが多くて、耐性が付いてきた気もする。剥き出しだった傷にかさぶたが張られてきたみたいな感じかな。オレ自身、ちょっとずつ考え方が変わってきている実感はある。
そのきっかけは……やっぱり信乃ちゃんか。
あの子には本当に感謝しないと。
よし。
相談してみよう。
お祓いをしてくれる人が普通の人だったら、オレと信乃ちゃんと桃香ちゃんの分のお守りを買ってさっさと撤収すればいい。以前、律ちゃんにも自分で言ったことだ。今までとは違うやり方でやれば意外な解決策が出てくるかもしれない。
意を決して鳥居をくぐった。
「えっ?」
その瞬間、拳銃の発砲音にも似た音が響いた。なにか……空気が破裂するような音だ。
かなり大きな音だった。神社全体に響くような。
何が起きたのかと周囲を見渡したけど、特に何もないように思える。掃除の行き届いた綺麗な境内だ。
「マタギでもいるのかな?」
山近いし。
困惑しつつも一歩踏み出す。
「えっ?」
ばきばきばきィ、と大きな音が響いた。
音のした方を見る。そこそこの大きさのありがたそうな樹が縦に真っ二つに割れていた。
「腐ってたのかな」
腐ってたからといって、樹がいきなり縦に真っ二つに割れると思いますか?
いいえ、思いません。
だからといってオレにはどうしようもないだろ。
人差し指の爪先で、痒くもない額を掻く。
割れた木をじっと見ていても何も変わらない。
また歩き出す。
「……」
なにか重い音が落ちるような低音が響いた。
音の方を見る。
石の灯篭が崩れ落ちていた。
一歩踏み出す。
んぎゃああああああ!
なんて、断末魔のような叫び声が聞こえてきた。
少しして、重い音。
その方向へ視線を向ける。
石の狛犬の首が地面に転がっていた。
さらに一歩進む。
後ろで何かが落ちる音と、硬いものが砕けるような音がした。
振り返る。
鳥居の下に何かが落ちていた。鳥居に掲げられていた扁額が落下したらしい。砕け散っていた。
「……」
非常に申し訳ない気持ちが湧いて来る。
オレは何もしてないけど、何故か非常に申し訳ない気持ちになる。
一歩踏み出す。
「おお……?」
晴れ渡った空に轟いた雷鳴に促され、咄嗟に上を見上げる。次の瞬間には、社の屋上に落雷が到達していた。青い空にはうっすらと雷の軌道が残され、そしてすぐに消えた。
まさに青天の霹靂な瞬間だ。凄い現場に居合わせてしまった。
……。
なんか今の雷の軌道……。
オレに落ちて来たような気がしたけど、直前で直角に曲がったような気が……。
またなんか始まったのか?
露骨に何かに巻き込まれるパターンと、何か起きそうで特に何も起きない拍子抜けのパターンとがあることはオレも経験から分かってる。これがどっちかといえば……まだ分からないな。周りに化け物とか怪獣もいないし、それっぽそうな人影もない。
帰るか……。
お祓いに来てるのに祓って欲しいことが起きたら本末転倒だし……。
でももしかしたら、これが実はオレに憑りついている何かによって生じていることで、御祓いを恐れているとしたら……。
一歩踏み出す。
立ち止まって周囲を見る。
特に何も起きなかった。
また一歩踏み出す。
特に何も起きなかった。
良かった。
何か起きそうで何も起きない、壮大に何も始まらないパターンだったようだ。この間の意味不明な手紙と似たようなものだろう。不快だけど害はそんなにない。神社にはとんでもない実害が出てるけどオレには関係ない……関係あるかなぁ……。ありそうだよなぁ。
「すみません。こんにちは。お祓いの予約をしていた東堂です。どなたかいらっしゃいませんか?」
目ぼしい建物に入り、内部を見渡しながら声を張る。
誰もいない。返事もない。
だけど誰かが居たような形跡はある。それがどれくらい前までいたのかまでは分からないけど。
困ったな。
奥まで入るのも失礼だし、ここで待つか?
予約していたからオレが来ることは分かってるはずだけどな、ここの人も。
その後、待つことおよそ2時間。
誰も来ない。
予約の時間もとうに過ぎている。
一人も姿を見せないなんてことある?
途中で席を立ってトイレに行ったり、お守りとかを売っている露店形式の小さな売店に顔を出したりしたけど、誰もいない。境内はオレが入って来た時と同じだし、鳥居の向こう側に見える景色も特に変わりはない。平凡な街だ。また変なところに迷い込んだって感じもしないし。
何か起きてる……?
さっきの落雷が人に当たってたとか……。
ありえるな。
それだと大変だ。
すぐに探して救急車の手配をしないと。
オレは席を立ち、神社の奥へと進む。
「すみません! 誰かいませんか? 大丈夫ですか?」
声を張って探索を続けていると、前方に人の背中が見えた。
見るからに「私が神主です」という衣装の男性。
何か持ってるな。なんだろう。
金属バットか? しかも釘バット? 金属バットに釘?
いや、あれ、メイスか。不釣り合いと言うか、物騒だなぁ……。
神主さんの背中から声を掛ける。
「こんにちは。お祓いを予約していた東堂ですが、約束の時間になっても誰にも会えず、何かあったのではないかと奥まで……すみません」
「は……?」
振り返った神主さんが呆気にとられたような表情を浮かべる。
「お、お祓いですか? そのような約束は……」
「……? いえ、確かに予約を……。履歴も残ってます」
お祓いの予約をした文面があるわけでは無いけど、この神社に連絡した証拠として携帯の通話履歴を見せる。すると神主さんは表情を露骨に顰めた。
「なにか気になることでも?」
「いえ……、確かにこの電話番号はここのものですが……」
「ですよね?」
「とはいえ、お約束をした覚えはありませんので、今日の所はお引き取りを……」
「それはちょっと……いくらなんでも。オレも2時間くらい待ったんです」
「いやはや申し訳ない。巫女が私への連絡を怠ったのでしょう。大変申し訳ありません。ですが私も今日は予定がございまして……」
「いえ、オレが話をしたのは男性でした。電話なので確証はないですけど……思えば、あなたの声だったような気がします。快く引き受けてくれた」
ちっ、と小さく湿った音が聞こえた。
こいつ、舌打ちしやがった。
なんて人だ。
「その態度は……どうなんでしょう」
「……帰れよ」
ぽつりと神主さんが呟いた。
ちゃんと聞こえたぞ。なんだこの神社は。最低だ。それにしても……変だな、色々と。メイスを持ってる神主さんもそうだけど……なんだ……?
「なにかおっしゃいました?」
「いえ、申し訳ない。実はうっかり忘れてしまっていたようで、この後すぐに別件を入れてしまったのです。申し訳ないですが、今日の所は」
「先ほどとは話が違うようですが……。それにその話が本当だとして、その態度はどうなんでしょう? 舌打ちに顰め面……非常に不愉快です」
「下等な人間が……っ!」
オレの言葉が癪に障ったらしい。神主さんは地の底から響くような声を絞り出してオレを恫喝してくる。
選民思想というか、神職を特別視してるのかな。神に仕える自分は偉い、なんて思い込みがあるのかもしれない。
なんか……がっかりだな。神仏に仕える方っていうのは哲学に造詣が深く、真摯な人だっていう印象があったから……。
「あなたも人間ですよね? それとも……神主というのはそれほどに偉い職業なんですか? もしそうお考えなら、その認識は改められた方が良いかと。それに……」
今、気づいた。
神主さんの体に隠れていたから気づくのに遅れたけど、神主さんの向こう側に狐が横たわっている。体毛が赤く染まっている。血を流しているんだ。そして神主さんの持つメイスにも同じような赤い痕跡。
とんでもない現場にはち合わせてしまった。
「その狐、どうされたんです?」
「……。悪さをしてたのでね。懲らしめていたんだ」
「確か、狐は保護動物に指定されていたはずです。そうでなくても……やり過ぎじゃありませんか? 害獣駆除なら相応の手段があるはず。そんな鈍器で殴る必要はない。あなたはその狐を嬲ってたんじゃありませんか?」
「……」
神主さんは忌々し気に表情を歪めるが答えない。
「分かりました。オレはそう受け取ります。ならばこれは明らかな動物虐待、あまりに非人道的な行いだ。酷すぎますよ。あまりにも。残念ですが、然るべき場所に通報させていただきます」
「……っ!!」
神主さんの形相が怒りによって鬼のように変わる。
いや、鬼のようにというか、鬼じゃね?
真っ赤に染まった顔はただ頬が紅潮したなんてレベルじゃなく真っ赤に変わったし、ツノが生えて来てるし、口も大きく裂けて牙も覗いてるし、露骨に体がモリモリでかくなってきてる。
「舐め腐りおってェ!! 喰ろうてやるわぁ!! 人間がぁ!!」
神主さん改め鬼が、見上げる程に膨れ上がった上背を前のめりにオレを見下ろし、服の袖が千切れ飛ぶほどに肥大化した腕を振りかぶった。凶悪なほどに鋭利で大きな爪のある手がオレの顔に……!
「バカなああああ!!」
鬼の腕が爆散した。
「この私がァアアアアア!!」
爆散した腕の端から亀裂がどんどん体へと広がって行く。
鬼が数歩後ずさり、逃れるように身じろぎをするが、亀裂はどんどん体中へと広がっていき、最後には全身が爆散した。
千切れ飛んだ服だけがその場に音もなく落ちる。
オレは思った。
―――どうしろと。