MS7
そのときは突然訪れた。
バイトを始めてしばらく、大学の講義を終え、その足でバイト先のスーパーに出勤していたときのことだ。
閉店時間を迎え、廃棄総菜や賞味期限切れになった商品の確認と処理、店内の掃除やゴミ捨てなどそれなりに覚え、一人で出来る閉店業務を終えてタイムカードを切り、オレは帰路についた。
しかし途中で忘れ物に気づき、スーパーへと引き返した。
広い駐車場に、車は残業をしている社員さんの一台しか残っていない。
大変だなぁと思い、スーパーの入り口付近にある自販機で缶コーヒーを一本買った。残業している社員さんへの差し入れだ。
建物に沿って裏へと回り、裏口から中に入る。パソコンで日報を打っているのだと思い、従業員室へ向かうが社員さんの姿は無い。
もしかしたら店内を見回っているのかと思い、バックヤードから店内へと入る。電灯が弱められた店内は暗い雰囲気で、昼とは異なる側面を醸し出している。
こつ、こつ、こつ。
オレの足音だけが響く店内を歩く。
「茶……はや……。孵ら……に……」
「う……わか……よ。で……いた……よね」
声が聞こえて来る。
囁き声というわけではない。結構大きめの声で話しているようだ。聞こえ辛いのはまだ距離があるからだろう。社員さんの声ではない。女性の声だ。それも幼い少女の声。
聞き覚えがある。
オレはゆっくりとその声の方へと向かった。
「そ……あとで良いから。そんなこと言ったって、仕方ないじゃない。茶々だってこの間……」
「なにが仕方ないのかな?」
商品棚で区切られた道を抜けた先、広く取られた総菜コーナーの区画、総菜を置く商品台の傍に彼女たちはいた。
茶都山茶々と、瑠璃川瑠璃。推定魔法少女である二人の少女は、オレからだと死角になる位置にあるらしい何かを見下ろしていた。
二人はお互い名前に冠した色合いの可愛らしいドレスのような服を身に纏っている。二人の手に握られているのは、彼女たちの手に収まる大きさのステッキだ。ステッキの先端には大人の握りこぶしほどの宝石が嵌め込まれている。茶々ちゃんのその姿は以前にも見たことがある。初めてオレが明確に「異変」に出会ったときの、あの姿だ。
「こんばんは。小学生がこんなところでこんな時間に何をしているのかな?」
「お、おにーさん……」
「東堂……雷留……」
茶々ちゃんは杖を抱くように身を竦め、瑠璃ちゃんは不審者でも見たように警戒した表情で茶々ちゃんを庇うようにオレと茶々ちゃんの前に立った。
「瑠璃ちゃん。年上の名前を呼び捨ては……あまり感心しないね」
「……」
瑠璃ちゃんはオレを睨むように凝視している。オレも瑠璃ちゃんと目を合わせるが、瑠璃ちゃんは目を逸らす様子はない。絶対に目を離さない、騙されない油断しない、そんな強い意思を感じる。
普段ならオレの方が折れてあげても良いが、今はそうはしない。夜遅く、閉店したスーパーの店内にいる少女。明らかにこれは甘い対応をしてはいけない類の事案だ。彼女たちの事情も聴くつもりではいるが、どのような理由であれ厳重な注意はする必要があるだろう。必要とあれば親御さんを呼ぶ必要もある。それくらいの事案だ。
一歩踏み出す。
すると瑠璃ちゃんが一歩後ずさりし、茶々ちゃんを庇うように腕を伸ばした。
茶々ちゃんは困ったようにオレと瑠璃ちゃんを交互に見ることを繰り返している。
さらに一歩踏み出す。
瑠璃ちゃんが杖をこちらへと向けて来る。
「それは何のつもりかな?」
あの杖にどういう効果があるかは分からないけど、推定魔法少女である以上、何かしらの魔法が出る可能性は高い。そうなると……危険なのは瑠璃ちゃんだ。もし攻撃とかされて、今までの化け物とかのように爆散なんてされたら目も当てられない。
「これは親切心から言うけど、オレに敵意を向けることはやめておいた方が良い。きっと君も怪我じゃ済まなくなる」
「……」
瑠璃ちゃんは答えない。
だが、ステッキを握る手に力が入ったことは分かった。
何かやりかねない凄みを感じる。
「分かった。これ以上は近づかないよ。ただ聞かせて貰えるかな? 君たちがここで何をしていたのか」
「……」
「どうやらオレ達の間には大きな誤解があるみたいだ。君がオレを警戒していることは伝わってる。それがなにかは分からないけどね。だからと言って今までのように引き下がることも出来ない。教えて欲しい。君たちはここで、何をしていたのかな?」
「とぼけないで」
瑠璃ちゃんが言った。
とぼけてないんだよなぁ。ホントに分からないから聞いてるだけなんだよね……。
「落ち着いて? 話をしよう。オレはとぼけてなんていないよ。オレは君たちのことを何一つ理解していないんだ」
「嘘」
瑠璃ちゃんがオレの言葉を切って捨てる。
嘘じゃないんだよなぁ……。
「嘘じゃないよ」
「ならなんで、あたしがこの杖を向けたとき、すぐに動きを止めたの? それにさっきの警告はなに? 普通、大人の男の人が小学生の女の子に『オモチャのステッキ』を向けられただけで、そんなことを真剣に言うかしら? 『怪我じゃすまない』なんてこと」
……。
ごもっとも。
「つまり、あなたは知っていた。知っていたのよ。あたし達がどういう存在で、あたし達がこのステッキを向けることがどういう意味を持つのかを。違う?」
子供の力でもステッキなんかで殴られたら大人でも普通に痛いとは思う。それに相手が子供とは言え、興奮状態の人間を相手に一度立ち止まって冷静になることを促すのは、大人として当たり前の対応だとも思う。だけど今それを言うと逆効果にしかならなさそうだから黙っておくことにする。
「……そうだね。君は度胸があって頭も良い。その通りだ。オレは君たちがなにか特別な存在であることを察していた。だけど、さっきの言葉は嘘じゃない」
「さっきの言葉?」
「君たちのことを何一つ理解していないという言葉だよ。確かに察してはいた。だけどその確証は何も無かった。もしかしたらそうかもしれない……その程度の認識だった」
「この期に及んで……」
瑠璃ちゃんが忌々し気に眉を寄せる。
もう思い込んでて聞く耳持たずって感じだ。
「本当だ。オレは君たちが何をしているのか、何が出来るのか、そういったことを何も知らない。ただ以前、茶々ちゃんがその姿に変身するところを目撃しただけなんだ。どうか信じて欲しい」
「信じられないわ」
「る、瑠璃ちゃん……!」
「あんたは黙ってて! あのとき葵さんに言われたでしょ!? 『気を付けろ』って!」
「へぇ……」
思わぬ名前が出てオレは目を細めた。
「葵さんがオレのことを? 気を付けろって?」
「ええ、そうよ!」
「ち、ちが……」
「黙ってて!」
「ひぅ……」
瑠璃ちゃんに叱咤され、何か言おうとしていた茶々ちゃんは竦み上がり口を噤んでしまった。
葵さんがこの子たちに何かを警告した……。そしてその警戒対象にオレが合致した。
それが瑠璃ちゃんがオレに敵意を向ける理由か……。
まためんどうくさい。そんなのオレにはどうしようもない。
ただ、ちょっとその話は置いて……。
「瑠璃ちゃん。一時の感情で友達を怒鳴りつけるのは感心しないよ。友情を壊すことになりかねない。茶々ちゃんに謝った方が良い」
「黙って。あなたは……」
「瑠璃ちゃん。茶々ちゃんのことを大切に想うなら謝るんだ」
「なんでアンタに……」
「瑠璃ちゃんがオレのことをどう思っているかは分からない。だけどオレには今の君はオレを敵視するあまり、物事の本質を見失っているように見えるよ」
「な、なによ……。本質って」
「君が今、何のためにオレに杖を向けているのかってこと」
「……」
「君は茶々ちゃんを守りたいと思っている。怪しい人間であるオレから。違う?」
「そ、それは……」
「だったら間違えちゃダメだよ」
瑠璃ちゃんは怪訝そうにオレを見たり、悩まし気に俯いたりと忙しなく表情と顔を動かしている。
何かがせめぎ合ってる感じだ。
「あ、あたしは茶々のことを思って!」
「それで傷つけたら元も子もないよって話だよ」
「うるさい!!」
もうダメだな。
オレの話を聞いて貰える状況じゃない。
かといって取り押さえることも出来ないし、そんな理由も無いし。
やっぱり親御さんを呼ぶしかないか……。
「なに? 何をする気?」
「いや、茶々ちゃんのご両親を呼ぼうと思って。話を聞いて貰えないし、さすがにオレとしても見て見ぬふりは出来ないし」
オレが携帯電話を取り出したことで警戒心を跳ね上げたらしい瑠璃ちゃんに理由を伝える。
だってオレが話を聞いて店長に取りなしてなるべく穏便にと思ったのに話を聞いて貰えないんだもの。もう親御さんに直接注意して貰った方が良い。
「アンタはまたそうやって茶々の家族を巻き込むっていうの!?」
「また……? あ、圏外だ。おかしいな……?」
携帯をしまい、彼女たちの方を見る。
「君たちが何かしてるのかな?」
「やっぱり!」
「断っておくけど、オレがさっき言ったように、オレは元々推測をしていた。さっきの問答で瑠璃ちゃんが言外にオレの推測が正しいことを認めたからそうなのかなと思って聞いただけだよ。少なくともオレはそう受け取った。あと、オレはここで君たちに会ってから、嘘は何一つ吐いてないよ」
そしてオレは一つため息を吐いてこう言った。
「はっきりさせよう。オレの勘違いなら笑って欲しい。君たちは……。いわゆる魔法少女、なのかな?」
「ええ。そうね。でも、知ってたんでしょ?」
「君も中々わからずやだね……。さっきから言っているように、オレは知らなかったよ。改めて言うけど、オレは君たちの敵じゃない。信じられないって顔だね。良いよ。なら、こうしようか。君の質問にこれからオレは嘘偽りなく答える。なんでもだ。オレの答えに引っかかることがあるなら、その全てにまた質問して。納得するまで何度でも。オレには君たちに信じて貰える手段がそれ以外にない」
両手を上げて降参を示し、提案を伝える。
それはそれとして社員さんは何処にいるんだ……?
これだけ騒げば気が付いても良さそうなものなんだけど。
社員さんさえ来てくれればバトンタッチするんだけどなぁ……。
車もあったし、さすがにもう帰ったなんてことは無いと思うんだけど。
もしかしてこの子たちがなにかした?
いや……どうだろう。確かにオレに対しては瑠璃ちゃんからの敵意が凄いけど、根は悪い子じゃないと思うし、茶々ちゃんだっている。そんなことするとは思えないんだよな……。
「良いわ。なら、答えて。ここに何しに来たの?」
「オレはここでバイトをしてる。働いているんだ。今は仕事終わりで、忘れ物を取りに来た」
「アタシ達の張った結界を通って来れた理由は?」
「そんなのがあったのか……」
しくじったな。
それは……説明が出来ない。
いや、信じて貰えるかどうかは別にして、ありのまま伝えるしかないな。
「オレには特殊な性質があるらしくてね。君の言う結界とかそういうのが効かないんだよ。それだけじゃない。何かオレに危害が加わりそうになったとき、その加害対象が爆散したり吹っ飛んだりする。さっきの忠告は純粋に君を守るためのものだった。他意は無い」
「バカにしてるの?」
それはそう。
多分これに関しては瑠璃ちゃんの反応が正しい。
「信じてもらうしかない。もし嘘発見魔法みたいなものがあるならかけてもらっても……いや、やっぱり止めておいた方が良い。どうなるかオレにも分からない」
「なに、それ。それが本当だとしたら、とんでもない地雷じゃない」
ひでぇ。
でも言い得て妙と言うか。それによく地雷なんて言葉知ってるね。普段なら賞賛を伝えるところだけど逆効果になりそうなのでやめておく。
「じゃあ……あのとき持っていた木刀は何?」
「木刀……? ああ、パトロールのときの? あれは友人から預かっていたもので、返すために持ち歩いていたんだ」
「そういえばそんなこと……友人……? もしかして……」
瑠璃ちゃんが思案気に呟いた。
「なにか気になることがあるの? あの木刀に。出来れば教えて欲しい」
「教えて欲しいって……。本当に気づいてなかったの? あの木刀、普通の木刀じゃなかった。あたし達の使う魔法力とは違う、未知の力が宿ってたのをあたしは感じた。茶々が言うには、アンタと同じ匂いがするって」
「どういうこと? ごめん。ちょっと理解できない」
魔法力とかそれとは違う未知の力が宿る信乃ちゃんの木刀とか。それがオレと同じ匂いがするとか。新しいワードが多すぎて混乱する。
「あ、あの……。その……」
茶々ちゃんがおずおずと手を上げて言った。
「匂いって言うのは……あの、ただの匂いです……」
「は? なにそれ?!」
茶々ちゃんの告白に瑠璃ちゃんは首だけ茶々ちゃんの方に向けて大声で言う。
「魔法力を感じたとかそういうのじゃなく?」
「うん……」
「呆れた。信じらんない。てっきりあんたの感知魔法に引っかかったのかと思ってたのに」
「ご、ごめんね……。恥ずかしくって……」
なにやら空気が変わった気がする。
「もしかしてオレへの疑念は晴れたのかな?」
「いいえ。ただ茶々に呆れてただけ。質問を続けるわよ」
「そっか。いいよ。好きにして」
「ねえ、瑠璃ちゃん。やっぱりおにーさんは……」
「黙ってて」
茶々ちゃんの制止の声を拒絶する瑠璃ちゃんだけど、さっきよりだいぶ柔らかい声なのはオレの忠告を聞いてくれているからと思って良いのかな。
「どうしてあのとき、『会ってない』って言えたの?」
「曖昧過ぎて分からないんだけど、あのときっていうのは……君たちが行方不明になっていた後に会った日のことでいいのかな?」
瑠璃ちゃんの目がまた鋭くなる。
「やっぱり。なんであたし達が行方不明になっていたって認識できてるの?」
「分からない。さっき言ったオレの体質のせいだとは思う」
「それで全部片づける気?」
「そうとしか言えないんだ。確かにあのとき、オレ以外の人は……いや、オレ以外の世界そのものが、君たちの存在を認識していなかった。そして君たちが行方不明になったと知ったとき……正確には茶々ちゃんとご家族が『居なかった』ことになっていることに気づいたときだけど。オレは君たちの通う小学校に問い合わせに行ったんだ。もともと茶々ちゃんが不思議な力を持った子供……魔法少女だって推測はしていたから、もしかしたら何かに巻き込まれたんじゃないかって心配になってね。そうじゃないにしても、たとえば誘拐とかなら出来るだけ早く警察に連絡すべきだと思った。それで小学校の窓口に問い合わせたら、瑠璃ちゃんまで『居なかった』。正直、驚いたよ」
「……」
瑠璃ちゃんの視線が若干弱まる。
前向きな疑心と強い敵意が鬩ぎあって中和しているような感じだ。
「瑠璃ちゃん。君が明確に敵意を向けて来た瞬間をオレは覚えている。そしてさっきの質問から考えると……瑠璃ちゃんは、君たちが『居なかった』はずの空白の数日のことを認識している人間を警戒している……。そうだよね?」
「……」
「確認してないから分からないけど、それってつまり、オレ以外の他の人や世界は『空白の数日』の間にも君たちが普通に生活していたと認識してるってこと?」
「そうね。あたし達は確かに世界から存在を消されていた。でもあたし達が戻ってきた以上、それは無かったことになったはず。事実、あたし達が居なかったなんて、誰も思ってないし言ってないわ。アンタ以外はね」
今すぐ、なんで二人が消えてたのか聞きてぇ……。
重要なのはそこじゃないから今は聞かないけど。
瑠璃ちゃんが嘘偽りは許さないって感じでオレを見据える。核心に迫った質問をしてくるつもりなのかもしれない。
今までも嘘偽りなく答えて来たけどね。
「アンタ、何者?」
思ったより核心に迫る質問ですねぇ……。
「何者かと言われたら……普通の大学生だよ。ちょっと特殊な事情はあるけど」
「特殊な事情?」
「昔、交通事故に遭ったらしくてね。それ以前の記憶を失った代わりに前世の記憶を取り戻した、いわゆる転生者。かもしれないし、そう思い込んでるだけの……」
自分でその言葉を他人に言うのはかなり抵抗がある。きついしつらい。
だけどここまで来たらもう逃げるつもりもない。
「……正常では無い人、かもしれない」
「それってどっちにしても普通の大学生じゃないじゃない」
「そう言われると辛い……」
小学生女児に傷口を抉られて項垂れる大学生。
つらいなぁ……。
「……。あの、なんか、ごめんなさい」
瑠璃ちゃんが急に謝ってくれた。
「いや、良いよ……。それで、信じて貰えた?」
「……」
黙らないで欲しい。
ここまで曝け出したんだから、信じるって言って欲しかった。
「ねえ、転生者ってなに?」
「ああ……知らなかった? 簡単に言えば……死んだ人が魂だけになって新しく赤ん坊として生まれ直すこと。そのときに残っている、赤ん坊が持っているはずのない瑠璃ちゃんとしての知識や記憶が前世って感じかな」
「……よく分からないけど、アンタが普通じゃないってことは分かった」
「そっか……そうだよね……。普通じゃないよね……そうだよね……」
「ちょ、ちょっと……。……ねぇ。アンタが何を落ち込んでるか知らないけど」
瑠璃ちゃんが訝し気に言う。
「アタシや茶々だって普通じゃないわよ。魔法少女だしね」
「もしかして励ましてくれてる?」
「べ、べつにそういうわけじゃ……!」
どうやら励ましてくれているらしい。
やっぱり根は良い子だよね。
「ありがとう瑠璃ちゃん。根は良い子なんだね」
「あー、もう! なんなのアンタは! 『根は』って余計でしょ!」
「そうだね。ごめんね」
「あー、もうっ!!」
癇癪を起したかのように叫んだ瑠璃ちゃんだったが、遂にその手を下げてくれた。
気が抜けた様子だ。まさかオレがずっと抱えていた悩みがこんなところで役に立つとは思わなかった。なにがどこでどう噛み合うかなんて、そのときが来てみないと分からないものだね。
「信じてくれたのかな?」
「まだ分かんないけど、アンタが葵さんの言う『敵』じゃないことは……なんとなく分かったわよ」
『敵』とはまた物騒なワードだな。
魔法少女たちが明確に『敵』っていう存在だし、物騒な存在なんだろうけど。
気にはなるけど、その辺を聞くのは、とりあえずこの子たちが何でここに居るのかを確認して、しかるべき対応をしてからかな。
「良かった。じゃあオレからも良いかな? ここで何をしてるの?」
「アンタ、マイペースというか、だいぶKYじゃない?」
「最近よく言われるね。確かに。オレもそうじゃないかと思い始めてる」
「くっ……」
ペースを崩されて苛立っているらしい瑠璃ちゃん。
残念ながらオレからペースを奪うのは不可能だと思って欲しい。非日常が続いたからこそ分かったことだが、オレはオレが思っている以上に凄まじくマイペースだった。
「ん? なによ、茶々」
茶々ちゃんが瑠璃ちゃんの袖を引っ張っているらしい。
「おにーさん、『敵』じゃないんだよね?」
「暫定だけど、そうね。絶対とは言えないけど……本当に何も知らないみたいだし……。なに?」
「あやまろ?」
「え?」
「おにーさんに謝ろ?」
「そ、それは……」
瑠璃ちゃんがちらとオレを見る。
オレはそんなに気にしてないけど、我がことながらさすがに謝っておいた方が良いと思う。
年上に取る態度としては相当酷かったし。
「じゃあ、いっしょに謝ろ?」
「で、でも……だって……紛らわし」
「あやまろ?」
「うっ……」
「おにーさん、ごめんなさい。ほら、瑠璃ちゃんも」
「くっ……。ご、ごめんなさい。疑って……」
意地っ張りな子だなぁ。
まあ、謝れたから良いにしよう。
まだまだ子供だしね。
「許すよ。ただもうちょっと人の話を聞けると良いかな?」
「くっ……。そもそもアンタが」
「おにーさん、ね?」
「東堂さんが……! いえ、いいわ。あたしが悪かったです……」
「ううん。オレの方こそ勘違いさせるようなことをしてしまってごめんね?」
「くっ……!」
なんで今の言葉でそうなるんだ……。
ああ、罪悪感が掻き立てられるのかな?
それは勉強代としてしっかり受け入れて欲しいところだ。
オレも反省するところはあるけどね。
葵さんのこととか、二人の言う『敵』のこととか、他にもいろいろと聞きたいことはあるけど、とりあえず本題に入ろう。
「それで、どうして二人はこんな夜更けにここに? 理由によってはやっぱり親御さんを呼ばないといけないんだけど」
「ひえ」
すっと目を細めて二人を見る。
茶々ちゃんは身を竦めた。
「それと、この店の社員さん見なかったかな? ん……?」
二人の方へ近づいたそのとき、人の足が見えた。倒れている。
覗き込むようにして見ると……社員さんだ。社員さんが倒れている。生きてはいるみたいだけど……。まさか本当に二人が何かしていたから姿が見えなかったとは……。
悪戯じゃ済まないぞ……。
「もちろんちゃんと説明してくれるんだよね? 無関係とは言わせないよ」
「えっと、その、それは……。瑠璃ちゃん!」
「ちょっ、押し付けないでよ!! 事情があるの。事情が!」
「だからそれを聞いてるんだけど……。今度はオレの質問タイムかな?」
「根に持ってんじゃないわよ!」
「根には持ってないけど……。一応言っておくけど、叫んで誤魔化しても無駄だからね?」
「……あ、そうだ。茶々、封印を……っ! あっ!?」
封印?
また新しいワードが出たな。
そう思ったとき、瑠璃ちゃんが何かに気づいたように叫んだ。
ほぼ同時に、社員さんの腹部が膨れ始める。まるで焼いた餅のように膨れ上がった腹部は服を突き破った。そして何かが飛び出してくる。
倒れたままの社員さんの真上に、何かが浮いている。
犬だ。ただしただの犬じゃない。オレと同じくらいの大きさで、背中にはアルマジロのような甲羅がある。
「茶々!」
「うん!」
二人はそれぞれのステッキを犬へと向けて、何か呪文のようなものを唱えた。二つのステッキの宝石が光を放ち始め、収束。解き放たれた光の帯が宙に浮いている、体を広げ始めた犬へと真っすぐ進む。
しかし光の帯は犬の体を避けるようにあらぬ方向へと進んで行く。
なんかオレみたいだな……。
ふとそう思う。
これが何なのか分からないけど、オレ、これの同類だったりしないよね?
少し不安になる。
犬が目を開いた。
甲高い遠吠えが店内に響く。
「くっ、魔獣が孵った! 不味いわよ、茶々!」
「う、うん!」
二人が臨戦体勢を取る。
「二人とも、今ここで何が起きているのか教えて貰える?」
「そんな場合じゃないの!」
「いや、どう動けばいいか考えようと思って……」
瑠璃ちゃんに怒られた。
状況が分からないんだから仕方ないと思う。
魔獣と呼ばれた犬が空中で体を伏せる。
あれは見たことがある。肉食獣が獲物を狙うときの格好だ。
今にも誰かに飛び掛かりそうだ。
そう思ったとき、オレの横を葵色の光線が走り抜け、魔獣へと向かった。魔獣は空中で跳ねてそれを避ける。
「……。愚か……。忠告はしたはず……」
突然、新しい声が聞こえた。
後ろからだ。
振り向いた先に居たのは葵さんだった。
いつの間に、なんでここに?
そもそもこの店、もう営業時間は終わってるんだけど。
葵さんはオレを一瞥し、瑠璃ちゃんが魔獣と呼んだ犬へと視線を戻した。
意味不明だけど、どうやら今はピンチらしく、駆けつけてくれたらしい雰囲気を醸し出している。
魔獣とか言うのが現れてからこの早さ……どこかで見てたのか?
そういえばこの人、この間茶々ちゃんの家を見てたし……。
茶々ちゃんを監視してる?
それとも見守っている?
「えっ!? おねーさん!?」
「葵さん!?」
茶々ちゃんと瑠璃ちゃんが驚いた声を出す。どこか安心したような雰囲気があるのは、二人にとってはそれだけ信頼できる大人ということなのか?
それにしてはちょっと……オレから見るとアレだけど……。
そのとき、オレが見ている前で葵さんの体が僅かに宙に浮き始め、僅かに仰け反る。
かと思えば、突然光り出した。輝きの中で葵さんが身に纏っていたスーツが弾け、体のシルエットが鮮明に浮かび上がる。
そして光が収まったとき、葵さんは茶々ちゃんや瑠璃ちゃんの着ている意匠と似たドレスを身に纏い、伸ばした手で握った杖を魔獣へと向けながら、とん、と軽やかに地面に降り立った。
葵さんは油断なし、と言った様子で、凄まじい鋭さで魔獣を睨みつけている。殺意すら感じる形相だ。魔獣も葵さんの殺意を感じ取っているのか、警戒したように身を屈め唸っている。
まさに一触即発の気配。
どうやら戦いが始まるようだ……。
「オレはどうすればいい?」
「……。邪魔……」
「なにがどうなってるか分からないけど、大丈夫なんだね?」
「……。邪魔……」
「分かった」
オレは邪魔らしい。
とりあえず社員さんを連れてこう……。
「社員さんは任せて」
社員さんの足を掴んで引きずり、オレはそそくさと三人から離れた。