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SK

 夜分遅くに申し訳ないところではあったが、怪我をした狐を連れて動物病院を訪ねた。

 

「この子は君のペットなのかな?」


「いえ、うちの前で倒れていたんです。憐れに思って病院に……」


「そうか……。いや……しかし……」


 訊ねた動物病院の先生は、急患だと聞いてすぐに家屋内から出て来てくれたが、オレが連れてきた急患が狐だと気づいて渋い表情を浮かべた。

 やっぱりそうだよな……。

 野生の狐って危ないもんな……。

 もしかしたら北海道の狐だけだったかもしれないけど、狐はエキノコックスという危険な寄生虫の宿主とされているし、それでなくとも野生動物である以上、寄生虫や病気の媒体となっている可能性は極めて高い。一般家庭で清潔に暮らしているペットが利用する場所だけに、野生の狐を連れ込まれても困ってしまうだろう。断られることは承知のうえで、それでももしかしたら、という気持ちで来ただけに、苦悶の表情を浮かべている先生を見ているとオレとしても心が痛い。

 オレも無理強いはせず、すぐに引き下がることにした。


「そうですよね。無理は承知のうえでしたので、お気になさらないでください。夜分遅くに押しかけてしまって申し訳なかったです」


 頭を下げて病院を後にする。

 籠の中で小さく息をする狐を見下ろす。


「ごめんね……」


 オレも何とかしてあげたかったけど、どうしようもない。

 哀れには思うけど、これ以上はなんとも……。


 東堂家に帰宅したオレは、庭にカゴを置いた。

 家の中に入れるのはやはりリスクが高い。野生動物の生きる力を信じ、見守るしかないだろう。

 一度狐を取り出して、もし動けるようになったときに出て行けるようにカゴを横向きに置きなおし、狐をカゴの中に横たえる。浅い呼吸を繰り返す狐の体にバスタオルを掛けてやり、オレはコンビニへと向かった。

 コンビニで柔らかいドッグフードと紙皿、そして一応気持ちだけでもと思って油揚げを買い、家に戻る。

 横たわる狐の前に紙皿を二枚置き、其処に買って来たドッグフードと細かくちぎった油揚げ、水をそれぞれ入れる。


「……おやすみ」


 手袋越しに撫でた狐の毛は少しひんやりとしていた。 

 もしも明日この狐が息を引き取っていたら、裏山に埋葬してあげようと思う。きっとそこから降りてきたんだと思うから。

 静かに祈りを捧げ、オレは家に入り、寝支度を終え、眠りに就いた。


 そして翌日。

 空になった紙皿を残し、狐の姿は消えていた。

 元気になったのか、それとも最後の力を振り絞って自ら姿を消したのかは分からないけど……。

 紙皿やカゴ、バスタオルを回収しゴミ袋に入れながら、オレはあの狐が元気になることを祈った。


 そして同時に思う。

 良かった……。

 変なことが起きなくて……。

 最近、オレの周りで明らかにオレとは住む世界が違う現象が頻発しているのは認めるところだ。怪我をした野良狐との遭遇なんて、いかにも物語の導入でありそうじゃないか。密かに危惧していたが、何事もなく日常は進んでいる。そのことに安堵した。


 その後、オレは約束通り信乃ちゃんの見舞いに向かうことにした。今日は休日で大学は無い。田辺と終わりの講義が重なるのは週末だけだからね。

 信乃ちゃんたちのところへ向かう前に、見舞いの品を買おうと思ったオレは最寄りのスーパーに立ち寄った。スイーツコーナーに直行し、適当なものを見繕う。


「んー。シュークリームとかもいいなぁ。いや、でもちょっと甘い物をあげ過ぎだよな……。フルーツが入ったヨーグルトとかの方が良いかな?」


 餌付けというと元も子もないが、桃香ちゃんの態度も若干柔らかくなってきているような気がするし、お土産を持っていくと信乃ちゃんが分かりやすく喜ぶので、差し入れる側としてもなんだか気合いが入る。とはいっても、さすがにケーキ屋さんのお高いものを買うのは金銭的に避けたかったのでスーパーのモノにしたわけだが、ケチだとは思わないで欲しい。

 品物を選び、会計を終えてスーパーを出ようとしたところ、アルバイト募集の張り紙が目に入った。時給も良いんじゃないかと思う。東堂家からも近いし、ここでバイトが出来ればありがたい。


 張り紙にかかれた電話番号をメモする。本当は今すぐにでも話をしに行きたかったが、長くなると信乃ちゃんが拗ねるので致し方ない。

 その後、病院へ行ったオレは信乃ちゃんと当たり障りのない話をして、桃香ちゃんにもちょっと声を掛けて面会を終えた。

 驚いたのは、信乃ちゃんはそろそろ退院できるらしいということだ。あれから2週間になるが、骨折とかってそんな早く治るモノなんだろうか?

 これが若さってことなのか……。まあ、怪我が治るのが早いことは良しとしよう。桃香ちゃんは……先日、責任者がご両親に移ったので病院から情報は貰えなかった。信乃ちゃんの話では、ご両親が退院を渋っている……らしい。あまり詳しくは聞かなかったけど、桃香ちゃんが元々抱えていた緘黙症が治るまでいっそ入院していればいい、みたいな態度らしい。

 嘘だろ……って感じだ。入院してすぐに治るような症状なら誰も苦労はしないだろうに。


 憤りを感じつつも見守るしかない状況に一つため息を吐き、東堂家に帰るため、病院前のバス停でバスを待つ。

 それなりに列が出来て来た頃、時間より少し早くに着いたバスに次々と人が乗り込んでいく。オレも切符を取ってバスに乗り込み、奥の席へ進もうとしたが、妙な音がしたのでふと後ろを見た。使い慣れていない様子の松葉杖をバスの乗降口の床に引っかけてしまい、うまく乗り込めない様子の、ボーイッシュな感じの女の子がそこにいた。どこかの学校の指定のものだろうジャージを着ていて、手には手袋が嵌められている。松葉杖を使っているのは右足を悪くしているからのようだ。ギプスで宙に固定していた。


 そんな女の子の後ろには男性が並んでいるのだが、男性はどうやら搭乗にもたついている女の子に対して苛立っているようで、眉をしかめて女の子を睨むように見ていた。そして呆れたように一つため息を零す。

 おじさんの剣呑な雰囲気に気づいたらしい女の子の表情に焦りが浮かぶ。焦りは女の子の手元を狂わせ、さらにバスに乗ることを困難にさせているようだ。泣きそうな表情で必死に乗り込もうとしては、杖を上手く使えなくてバスに乗り込むことが出来ず、さらに焦る。悪循環に陥っているようだった。


「大丈夫?」


 そんな女の子を見て居られなかったオレは乗降口へ戻り、女の子へと声を掛ける。

 

「杖には慣れてないのかな? 落ち着いて。こう、杖を開いて体を浮かせるようにして……そうそう」


 昔、オレも使っていた時期があったので、記憶を頼りに身振り手振りで女の子に伝えた。

 女の子は最初こそ目を丸くして驚いていたようだが、すぐにこくこくと頷いて従い始めた。


「大丈夫大丈夫。慌てないでゆっくりね」


 オレは女の子の体に触れるか触れないかくらいの距離に手を配置し、もしふらついたりしたらすぐにでも支えられるように傍で見守る。しかし中々足が上がり切らない。女の子の表情に再び焦りが滲む。それも結構強く。さすがに不味いかなと思い、オレは言った。


「手伝わせて貰ってもいいかな? せーのでオレが支えるから、一気に足を上げよう」


 こくこくと女の子が頷く。

 オレは女の子の脇に手を入れ、力を籠める。


「せーの! よいしょ」


 共同作業によって女の子は無事にバスに乗り込めた。

 女の子をバスの手前の席へ促し、まだ並んでいる人へと頭を下げる。  


 その後、後の人達もバスに乗り込んで、無事バスは発車された。

 バスが発車し、いくつかの停留所を過ぎ、オレの降りる停留所があと一つ先となったとき、降車ボタンが光るとともに、チャイムが鳴った。

 鳴らしたのは女の子のようだ。

 バスが止まる。


「……」


 オレは席を立ち、女の子よりも先に料金の支払いを済ませてバスを降りた。次いで女の子がバスを降りようとして、おっかなびっくりとした様子で杖を地面に当てている。


「手を貸そうか?」


「あ……。大丈夫です」


 そう言ったオレに女の子は恥ずかしそうに笑った。

 女の子がゆっくりとバスを降り、杖と共に地面に足を付けた。

 それを微笑みを浮かべて見届けたオレは女の子に「お大事に」とだけ告げて、当たり前だがオレを置いて走り去ったバスの後を追うように歩きだした。


「あの、ありがとうございました!」


 後ろから届いた女の子の声へ背中越しに手を振って、オレは東堂家への帰路につく。

 途中、小腹が空いたオレは帰路を少し逸れてコンビニに寄りフライドチキンを購入した。コンビニの外に出て、紙袋を半分破り、かぶりつく。じゅわ、と肉汁が溢れる、が……揚げたてではない。そう感じた。まず衣が固い。揚げすぎてカリカリしているというよりは、空気に触れる時間が長く乾燥したという感じだ。そして肉が薄くなっている。肉の油分と水分が流れ出てしまった結果、肉の厚みが減ったんだろう。

 多分、廃棄時間ギリギリのものを渡されたんだ。


「哀しい……」


 小さな不幸せに気分が沈んでいたとき、コンビニ前の駐車場向こうの歩道を、松葉杖をついた女の子がうんしょうんしょと歩いていることに気づく。さっきの女の子だ。やはり慣れていないのか、動きはぎこちない。


 頑張ってるなぁ……。

 なんか切ないような誇らしいような不思議な気持ちだ。


「あ……」 


 転んだ。ギプスを付けている右足を庇うように、左側に。女の子から見た左側は車道だ。今は車の姿は無いから大丈夫だと思うけど、立ち上がるのに時間が掛かると危ないだろう。

 オレは転んだ女の子の方へと駆け寄った。


「君、大丈夫? 怪我は無い?」 


「あ、さっきの……」


 女の子の傍に転がった松葉杖を拾う。

 その間に女の子は自力で座位を取り、オレを困惑したように見つめた。


「その、誤解をして欲しくないから言うんだけど、決して君の後をつけて来たわけじゃないんだよ」


 さっきの今でこの再会の仕方はちょっとタイミング良すぎるよね。オレもそう思う。

 変な人だと思われるのが嫌ですぐに弁明をしたが、それはそれで怪しい気もするので困る。

 どうしたものかなと思いつつも、まずは女の子を道路から離さないといけないと思ってこう言った。


「怪しいかもしれないけど、危ないから、とりあえず道路からは離れよう。そしたらすぐオレもお暇するから。立てる?」


 すると女の子は面白そうに笑い、言った。


「分かります。おいしそうですもんね、それ」


 女の子はオレが手に持っている食べかけのチキンを見ながら、やんわりと目を細めている。

 オレがチキンを買い食いするためにそこのコンビニで停滞していたことを理解してくれているようだ。


「はは……。ちょっと固いんだけどね。美味しいよ。それで……立てそう?」


「ごめんなさい。よければ肩を貸していただけると……」


 松葉杖を女の子に渡そうと思い近づけるが、女の子は申し訳なさそうな表情で言った。


「分かった。良いよ」


 オレは食べかけのチキンを一気に口の中に放り込み、速攻で咀嚼して呑み込んだ。そして女の子の両手に松葉杖を持たせた後、オレは伸ばして貰った片腕の下から頭を潜らせ、女の子の腕をオレの肩に乗せ、引っ張る。そしてしゃがんだ足に力を入れて、「せーの」と声掛けし、女の子と一緒に一気に立ち上がった。


「じゃあ、ゆっくり抜けるから、杖で体を支えて……」


 オレは途中で口を噤んだ。

 近づいて来る車に気づいたからだ。車はブレーキを掛ける様子も無く、オレと女の子へ一直線に突っ込んで来る。


 

 ……。

 正直、ちょっとひやっとした。

 怪我をしている女の子が一緒にいたからね……。


 いつもの……と言えてしまうことにちょっと物申したい気分だが、まあいつものように、車はオレの目の前で在り得ない軌道を描き、壁に激突した。はい。磁石が反発するように。

 

「……」


 オレとしてはまたか、という感じだが、女の子からすれば驚天動地の一瞬だったことだろう。

 女の子はオレに体を預けたまま、目を見開いて事故現場を見つめていた。まるで微動だにしない。恐怖と緊張によってがちがちに固まってしまっている。


「大丈夫? びっくりしたよね」


「は、はい……。びっくりしましたね……」


 オレの肩に乗っている女の子の腕がかたかたと震えている。

 命の危機に晒されたという現実を、少しずつ実感してきているようだ。


「でも、君が何ともなくてよかったよ。とりあえず警察と救急車を……」


「大丈夫ですか!?」


 大声をあげながらオレ達の傍に走り寄って来たのは、そこのコンビニの店員さんだった。高校生くらいみたいだから、アルバイトの人かな。


「警察と救急車は呼んでるんで!」


「ありがとうございます。助かりました。行動が早いですね」


「いやぁ、ここってちょっと見通し悪いでしょ? 結構事故が起こるんですよ……。実はこの間もあって……しかも自分のシフト中に。今月二回目ですよ二回目。先月もあったし。だから警察への連絡も慣れちゃって!」


 すごく早口に捲し立てて来る。被害者になりかけたオレ達より興奮しててちょっと戸惑うな……。


「そうなんですか……。それは大変ですね。ところでお店の方は大丈夫なんですか?」


「たぶん大丈夫です! もう一人いるんで!」


「おい千秋!! 伝え終わったんならさっさと戻って来い!」


 コンビニから店長さんらしき男性が怒鳴り声をあげた。この店員……千秋さんが店を離れたことを怒っているらしい。事情はあの男性も理解しているようだ。というか、この人来るの早すぎだから、多分警察とかへの通報はあの男性がやってくれたんだろうな。


「ダメみたいです! 戻りますね! ゴメーンお父さーん!」


 千秋さんは慌ただしくコンビニの方へと戻って行った。親子でやっているフランチャイズのコンビニらしい。

 

「……?」


 駆け足でコンビニに戻って行った千秋さんが、何かを持ってまたこっちに近づいて来る。


 あれはパイプ椅子か……。

 もしかして、この子のために?

 良い人だ……。


「これ、使ってください! 後で返してもらえればいいんで! では!」

 

 千秋さんは颯爽とパイプ椅子を組み立て、歩道の内側奥に置くと、また駆け足で戻って行った。


「千秋さん! ありがとうございます! あなた凄く良い人ですねー!」


「君もねー!」


 女の子に肩を貸したままのオレだったが、言いたくて堪らなくなったので戻って行く千秋さんへ声高に思いを伝えた。

 すると千秋さんは少しだけ振り返ってオレ達の方へ手を振り、弾むような声でそう言うと店の中へと戻って行った。


「せっかくだから椅子に座らせて貰おうか。ちょっと時間かかるだろうし」


「そうですね……」


 まだ現実を受け止めきれていないのか、呆けた様子を見せている女の子を椅子の傍に連れて行き、座って貰う。


「なんて呼べばいいかな? オレは東堂です」


「ぼくは……あ、ぼくじゃなかった。わたしです、はい。わたしは見越です。見越ゆかりって言います」


 ぼ、ぼくっ子……っ!?


 初めて会った。まさか実在したとは……。

 オレのミーハーな部分が色めき立つ。

 

 いや、今はいいんだ。落ち着こう。そんな状況ではない。


「ちょっと待っててね。車の様子を見て来るよ」


 一言断ってから車へと近づく。

 燃料漏れなんかは見られない。車のフロントはひしゃげていて、エアバッグが作動しているようだ。

 中には男の人が居て、項垂れたまま動かない。肩が動いているので呼吸はしているのだろう。死んではいない。


「人、乗ってるよなぁ……」


 さっきの車の挙動からすると、例の如くオレの未知のパワーが炸裂したんだとは思うんだけど……。今回のこれって普通の人身事故だろ。いや、事故に普通もくそもあったもんじゃないんだけどさ。

 世紀末大事故のときは人が全くいなかった。馬のUMAが同じような挙動をしていたから、アレがオレの白昼夢じゃなければ、UMAと世紀末大事故は同系統の異変で……だとすると今回もそうってことになりそうなんだけど、人乗ってるしな……。

 

 信乃ちゃんのときの拳銃の暴発も、やっぱりそういうことなのか……?

 オレが仮定していた「異変に対するかなり強力な抵抗力」っていう特性における「異変」って、魔法とかの超常現象だけじゃなくて、物理的・人為的なものも含まれるのか……。

 それともこのドライバーに何か秘密が……?


 分からない。

 オレの力ってマジでなんなんだ?

 もっと単純なものだったりするのか?

 超抜級の幸運、みたいな。

 いやでも……それだとそもそもあんな化け物と遭遇したり変な場所に入り込むってのも変な話だしな。


 ホントにさ……。

 

 なになにの実を食った何人間だとか、オレの能力は近距離パワー型で固有能力は時を止められることだとか、オレの属性は炎を操るだとか。オレも言いたいよ。

 自分の能力をシンプルに自覚できることのなんと素晴らしいことか。


 転生者かもしれません。でも単に精神疾患を患っているだけかもしれません。異能に対して抵抗力があります。でも物理的にもなんか弾きます。

 

 不思議だ……。

 わけわからんて。

 

 まあ……凄く気になるし知りたいことではあるんだ……け、ど、も!

 人に迷惑かけてないから別になんでもいいかなぁ。


 オレには成りたい自分像があって、その在り方に不思議な能力の有無は関係ないしね。


 これで能力が暴走して周りの人に危害が!

 みたいな感じならさすがに落ち込むしめちゃくちゃ悩むけど。


 さて、どうしようか。

 気を失っているらしいドライバーを下手に動かすのは良くないと思うから警察やレスキューが来るのを待つとして……。

 女の子、改めゆかりちゃんの方へと戻る。


「ゆかりちゃん、体の方はどう? さっき転んだときの怪我とか大丈夫?」


「ぼ……わたしはダイジョブです。ちょっと手足が痛いし、ドキドキしてますけど。それくらいで……」


「そっか……。ゆかりちゃんの親御さんに来てもらったらどう? たいへんなら帰っても良いと思う。事情聴取ならオレが残って受けるから」


 こんなことがあった後だから一人で帰るのも怖いだろうし、警察が来て事情聴取となればどれくらい時間がかかるか分からない。すぐ終わる場合もあれば、長引く場合もあるだろう。

 幸いにも目撃者はオレとゆかりちゃんの二人。一人帰っても問題ないと思うんだよね。ただでさえ不慣れそうな杖での移動に心身も疲弊しているだろうし。


「……。ぼ……わたしの親、仕事で今、いないんです」


 休日なのに一人、不慣れな松葉杖を使い、バスを乗り継いで遠くの病院まで行ってるし事情はありそうだなとは思っていたけど。


「共働きってことかな? お父さんかお母さんのどちらかでも来てもらえないかな?」


「ぼ……わたしお母さんしかいなくって……」


「そっか……。申し訳ない。悪いことを聞いたね」


「いえ……」


「そうだ。無理して言葉を変えなくて良いよ。普段の一人称がぼくならぼくで構わない」


「そうです? じゃあお言葉に甘えて……」


「うん」


 しっかりした子だなと思う。初対面の人相手に口調を変える。当たり前かもしれないけど出来ない子も多いし。ぎこちないけど。

 これが公共の場とかならオレも触れなかったけど、今は別にそうじゃないし。偽るというと語弊があるけど、素の自分でいて貰った方がオレとしてはやりやすい。


「一応、お母さんに一報は入れておいた方が良いと思うんだけど……」


「それは……」


 お母さんに連絡を入れることを何故か渋る様子に思い当たる節があって、オレはこう質問した。


「心配をかけたくない?」


「はい……」


 ゆかりちゃんの気持ちはなんとなく分かる。子供なりの矜持。母親への思い遣り。シングルマザーってことだから、きっとお母さんはゆかりちゃんのために一生懸命頑張っていて、そんなお母さんの愛はちゃんとゆかりちゃんに伝わっているんだろう。だからこれ以上お母さんに無理させたくない、心労をかけたくないと考えて、抱え込んでしまう。


 でも、お母さんからしたら教えて欲しいだろうなぁ。

 教えて欲しいはず。

 最近、ちょっとやばめの親と関わることが多かったのでその認識が崩れかけてきているけど、普通はそのはず。

 

「一応聞いておきたいんだけど、怖いとかそういうことはないんだよね?」


「え? 怖いって……なにがです? あ、今の事故がってことですか? それは怖かったですけど……?」


 親にそういうことを伝えると怒られたり面倒くさがられたりして、相談することそのものがストレスになっているような可能性も考慮して、悟られないように一応聞いてみたけど、ゆかりちゃんの反応を見るにそういうことはなさそうだ。


「そっか……。まあ、確かに事故そのものでは特に怪我はしてないし、あくまでオレ達は目撃者なわけだから、君がそれでいいならいいのかなとも思うけど」


 他人の親子関係に見ず知らずのオレが踏み込むのも気が引けるので無理強いはしないけど……。

 難しいな。

 隠し通せるならそれでいいのかもしれないけど、それなりに時間を経てから今回のことを知ってしまったときのお母さんの気持ちを考えるとね……。

 どうしてもお母さんの方の気持ちに寄ってしまうのは……信乃ちゃんとの関わりの影響かなぁ。あの子、この間の件もそうだったけど、今後何かあったときにちゃんと相談してくれるか分からないからなぁ。相談して欲しい旨は伝えてあるけど、土壇場になって「やっぱり迷惑かけたくない」って一人で暴走しかねない。なんなら実は今だってなにか抱えてるけど、オレには黙ってるとかも在り得る。あとからそれを知ったらやっぱりそれなりに寂しい思いをすると思うんだよね、オレも。

 余計なお世話かもしれないけど、これだけは伝えておきたいと思った。


「もし今後、今回のことで何か……心に重さを感じたら、思い切って相談してみてね。ゆかりちゃんの気持ちは楽になると思うし、お母さんもゆかりちゃんに頼って貰えるのはきっと嬉しいと思うから」


「はい……」


 反応的には、納得はしてない感じかな。

 この子、良い子そうだしなぁ。

 女手一つで頑張ってるお母さんにこれ以上心配をかけたくないって気持ちはかなり強そうだ。


 慣れない松葉杖で遠出したのもそれが理由かもしれない。

 親の同伴を「大丈夫」って気丈に断って仕事に送り出した……みたいな。


 もしそうなら健気で優しい子なんだけど、怪我してるんだからさすがに頼って良いと思うんだけど……。

 我慢するのが癖になってしまっていて、助けを求められないタイプの子なのかもしれない。オレの交友関係で近そうなのは桃香ちゃんだけど、あの子もよく分からないし何とも言えないか……。信乃ちゃんも割と抱え込むタイプみたいだけど、若干ニュアンスが違うし。

 考えすぎかもしれないけど、ぼくって一人称は、耐え難きを耐えるためのこの子なりの自己暗示とかなのかもしれないな……。


 オレはゆかりちゃんの傍の塀に背中を預けて腕を組み、緊急車両の到着を待つ。


「しかし運が悪かったね。怪我をしてて事故にも遭いそうになるなんてさ。でも事故に遭わなかったのは不幸中の幸いかな?」


「……。そうなんですかね……。やっぱりぼく、運が悪いのかな……」


「……」


 神妙そうに俯いたゆかりちゃんを横目に見る。話は続きそうなので、オレは黙って続きを待つ。

 少しして、ゆかりちゃんはこう言った。


「あの……東堂さんって、怪我をされたことってありますか……?」


「うん? あるよ。もう5、6年前になるけど。長い間入院もしてたしね」


「えっ! そうなんですか?」


「うん。そう。それがどうかした?」


 怪我について質問されたけど、これは多分、オレの過去に興味があるとかじゃあないな。

 自分の怪我について話す前振りというか、聞いて欲しいんだろう。

 さっきのお母さんに連絡をすることを渋った様子からして、この子はきっと右足の怪我で生じた心理的ストレスも一人で抱えていて、相談できていないんだと思う。

 それで見ず知らずのオレに……というよりは、見ず知らずのオレだからこそ何の憂いもなく吐き捨てられると思った、ってところかな。無意識だろうけど、不器用というか小狡いというか。

 袖擦り合うも他生の縁と言うし、オレとしては構わないので、オレからもゆかりちゃんが話しやすいように促した。

 そしてぽつぽつと話し始めゆかりちゃんの話へ耳を傾ける。


「ぼく……ソフトボールの部活中に怪我をしたんです。大会も近いのに。エースなのに……」


「へぇ……部活のエース? 凄いね。オレは……、まあそんなに言うほど運動が得意と言う訳じゃないし、縁も無かったから分からないけど……。……仲間に申し訳なくて辛いんだ?」


「はい……。それで、ちょっと考えちゃったんです。もし今、車に轢かれてたら……。復帰はもっと遅くなって……。ただでさえ、いつ治るか分からないのに……」


「そんなに重いんだね。その右足の怪我」


「骨折と、靭帯を……」


「ダブルパンチってことか。不便なのはもちろん、固定して薬とかで和らげてるとは思うけど、それでも痛みはあるだろうし。自分のことで身体的にも精神的にも辛いのに、仲間のことも考えて……。それは大変だ」


 その上、母親に心配を掛けたくないというのが重なるわけだ。これは母親の前では気丈に振舞ってそうだなぁ。そして仲間にはもう迷惑を掛けてるから頼れない。


 なるほどねぇ。

 確かに、見ず知らずのオレを駆け込み寺にもしたくなるかも。

 逃げ場がないもんなぁ。

 余計なお世話かもしれないけど、なおさらお母さんには相談してみたらと思うけどね。自分の知らないところでゆかりちゃんがこんなに苦しんでることの方が、お母さんにとっては辛いだろうし。

 まあ、分かってても出来ないから辛いんだろうけど。


「お母さんに相談するのはやっぱり大変?」


「……」


「イヤなわけじゃないんだよね?」


「それは、はい。ただ……」


「やっぱり心配はかけたくない?」


「はい。お母さん、いつも大変そうで。朝早く家を出て夜遅く帰って来て……それでもぼくには優しいから……。だから……」


「そっかぁ……。それはしんどいねぇ……」


 膝上に置かれたゆかりちゃんがきゅっと拳を握りしめたことに、オレは気づかないふりを……当然しない。


「友達にもお母さんにも相談できないのはつらいねぇ……。思いつめていっぱいいっぱいになるのも分かるよ。でもまあ、それもしょうがない。それだけいっぺんに重なって来ちゃったら、悩むのはもうしょうがないよ。うん」


「え……?」


 ゆかりちゃんが困惑と、期待にも似た驚きを表情に浮かべた。

 悩んでいてもしょうがないとか叱咤されると思ってたのに、悩むこと自体を肯定するような物言いだったから驚いたのかもしれない。

 怪我自体もうどうしようもないものなんだからそんなことで悩んでも仕方がないってのは、もちろんそうなんだけど……誰しも悩みたくて悩んでるわけじゃないからねぇ。


 損だよなぁ。


 わりぃ! 怪我したから後任せた! 治療に専念して次頑張るわ!


 とか、あっけらかんと本心から言える人も世の中にはいるだろう。


 オレも多分、同じような状況になったら申し訳ないとは思いつつ、しゃあないって切り替えられると思うし。

 狐のこともそう。昨夜は助けられなくて申し訳ないって思いはしたけど、もし今朝見に行ったときに庭で亡くなってたとしたら、それはそれとして冥福を祈って切り替えてたと思う。

 

「ゆかりちゃん、一つ確認したいんだけど、今どうかな? オレに少し話をして、ちょっとは気分が軽くなったりしたかな?」


「え? あ、そう……ですね。言われてみれば……」


「良かった。悩みが解決したわけじゃないけど、話すと気分が楽になることってあるからね」


 壁に背を預けたまま、ゆかりちゃんに笑いかけた。


「これはオレの経験則なんだけど、悩みって簡単に答えが出るものばかりじゃないと思うんだ。それこそ、どうしても解決しようがないこともあるからね」


 オレの転生者なのかそうじゃないか疑惑と悩みもずーーーーっと続いてるからね。これはオレ的には結構重い問題だし、せっかくオレが医者の言うことをそういうもの(・・・・・・)として受け入れ始めてたのに……迷惑なことに今さらになって急浮上してきたからね。


「だから溜める前に人に吐き出すことが大事だと思うんだ。気持ちが楽になれば見えて来るものもあるし、ゆっくり考えられるようにもなるし。学校なら距離を取ってくれてる保健の先生とかもいいだろうし、確か未成年用の悩み相談窓口みたいなのもあったと思うから、そこに電話してみるのもいいかもね。悩み相談のプロフェッショナルがちゃんとゆかりちゃんの悩みを聞いて、一緒に悩んでくれると思うよ」


「……。そんなのがあるんですか?」


「うん。確かあったと思うよ。せっかくの未成年だけの権利なんだし、使わないと勿体ないかなって」


「はぇー……」


 気が抜けた感じのゆかりちゃんを見てやんわりと目を細める。オレに話せたことと、思いがけずに縋れそうな希望が見えて来て少し安心できたのかもしれないな。


 しばらくすると救急車が到着して、ドライバーを運んで行った。その作業に関してオレ達の出来ることは無いので静観する他ない。

 救急車の到着に遅れてパトカーが到着し、オレ達は事情聴取を受けることになった。

 

「では転倒した見越さんを助け起こした際、あの車両がノーブレーキで壁に突っ込んだということで間違いないですね?」


「はい。間違いありません」


「なるほど。ご協力感謝します」


 オレは書類にサインをし、思ったよりフレンドリーな警察官からの事情聴取を終えた。

 ゆかりちゃんもたびたび質問されていたけど、オレの言葉の裏取り以上の意図は感じられないものだった。ゆかりちゃんが未成年なこともあり、警察官もオレに的を絞って聴取してくれたのはありがたかった。


「すみません。ちょっとお願いがあるんですけど」


 去り際の警官を呼び止めて言う。


「この子、家まで送ってあげて貰えませんか? あんなことがあったあとですし、怪我のこともありますから」


 警官はちらとゆかりちゃんの方を見て、笑顔で頷いてくれた。


「分かりました。見越さん、パトカーを回してくるから待っていてくれるかな?」


「え、そんな。悪いです」


 申し訳なさそうに慌てた様子の見越さんにオレと警官が追撃を仕掛ける。


「甘えたらいいよ。せっかくだし。パトカーに乗れるなんて滅多にない経験だよ」


「東堂さんのおっしゃる通りだよ。遠慮しなくて大丈夫」


 警官はそう言って、コンビニ駐車場に駐車しているパトカーの方へと走って行く。

 良い警官で良かった。

 

 そしてパトカーが路肩に停車し、降りてきた警官の一人が座席のドアを開けた。


「え……」


 お姫様待遇に恥ずかしそうに戸惑っているゆかりちゃんが微笑ましくてつい笑ってしまう。警官も同じだったようだ。


「どうぞ」


 警官は恭しく頭を下げる。

 この人もノリが良いというか、悪ノリしてんなぁ。ゆかりちゃんが素朴で善良な子だからって……可愛いから見守ろう。


「ゆかりちゃん、お大事に」


 パトカーにゆかりちゃんが乗ることを前提としたオレの挨拶にゆかりちゃんはとうとう折れたようだ。パイプ椅子の両脇に立てかけてあった松葉杖を支えに立ち上がり、パトカーの方へと歩き出す。警官の手伝いもあってスムーズにパトカーに乗り込んだゆかりちゃんはオレを見て言った。


「あの、東堂さん。今日はありがとうございました。ぼく、今日のことは忘れません」


「はは。大袈裟だね。別に忘れていいよ。嫌なことも多かったろ?」


「それはそうだけど……。でも、ぼく、忘れないから!」


 感情が昂っているみたいだ。敬語忘れてら。

 それが本来のゆかりちゃんということだろう。

 良いね。

 ぼくっ子は明るく元気で、ちょっと幼い感じでいて欲しい。


 できればこれで少しでも前向きになってくれると嬉しいけど……相性もあるからなぁ。

 電話の向こうにいる相談相手のスタンスと、ゆかりちゃんの求めているスタンスが合致するとは限らない。そうなると「ここに相談しても無駄」ってなって悪化する可能性もある。

 祈るしかないけど。


 発車するパトカーの中から手を振っているゆかりちゃんに手を振り返す。

 そうしてパトカーを見送ったオレは置き去りにされたパイプ椅子を手に取り、これを返すべくコンビニへと向かった。


 そして東堂家に帰宅する。

 途中、茶都山家を覗く。

 二台あるはずの車は見当たらないのでご両親は出かけているんだろう。少し焦ったけど表札はあったので、また一家消滅なんてことにはなっていないようだ。


 そうだ。

 今は昼間だし、一度試してみようか。


 茶々ちゃんが出て来てくれると有難いなと思いつつ、チャイムを押した。


 返事は無い。

 あー、そうか。

 最近物騒って理由で引っ越して来たのが茶都山家だ。両親不在の際のチャイムには出るなと、茶々ちゃんに言い付けている可能性は十分にある。

 だとしたら仕方がない。


 そう思って茶都山家の二階を見上げると……僅かに開いたカーテンの隙間から、こちらを見下ろす二組の小さな人影が目に入った。


 ……いるなぁ。


 オレが上を向いた瞬間、さっとカーテンが閉められ、二人の姿が見えなくなる。

 多分、茶々ちゃんと瑠璃ちゃんだろう。


 いったいオレはどう思われてるんだろう。ちょっと落ち込むなぁ……。


 肩を落としていることを自覚しながら家に入る。

 リビングへ行き、お気に入りのソファに横たわった。


 あ、そうだ。

 バイトの申し込みしよう。

 体を起こして携帯を取り出し、メモした番号へと電話を掛ける。

 

 結果から言えば、オレは明日からバイト戦士になることになった。

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