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Y10 SH3 MS4

 とりあえず縫いぐるみをポケットにしまい、足元に無造作に置かれていた信乃ちゃんたちへのお見舞いの品を手に取った。

 周囲を見て時計を探す。時間はそれほど経っていない。体感的には結構な時間あっちにいた気がするけど、時間の流れが違う場所だったんだろうか。雅さんと出会った時も時間の流れが変だったから、もしかして関係あるのかもしれない。でもよく聞く設定でもあるから関係ないかもしれない。分からない。

 

 考えながら歩いていたら、すぐに信乃ちゃんたちの病室についた。

 悩み事は尽きないけど今は切り替えよう。


 ―――東堂さん、助けて。


 ……。

 病室の扉に手を掛けた時に脳裏を過ったのは最後に見た律ちゃんの姿。怯えた表情と声。


 今日、忙しいんだけどなぁ……。

 

 ……。

 しょうがない。

 行くかぁ……。

 確か律ちゃんが言ってた県ってここからそこまで遠くなかったし、用事を済ませたら病院名を調べてあたってみよう。出費が増えるけど……仕方ないか。仕方なくない。辛い。


「やあ……。おはよう」

 

 挨拶をしながら病室に入り、扉の前で一度止まる。

 信乃ちゃんはベッドの上に居て、昨日と同じように傍のパイプ椅子に座っている桃香ちゃんに何やら話しかけていたようだけど、オレを認識するとこっちを向いて笑顔を見せた。

 一方、桃香ちゃんは昨日と同じようにオレを見ると警戒のような、敵意のような雰囲気を醸し出している。二人ともそれほど変わりはないように見える、けど。改めて思うけど、桃香ちゃん、姿勢良いよね。


「おー! ライルくんおはよー! もーおっせーよ! 来てくんないかとおもったって!」


 信乃ちゃんが満面の笑みで迎えてくれる。

 

 こっちこっちとばかりに折れてない方の手でオレを招く信乃ちゃんに苦笑する。

 その怪我って身じろぎするだけでもかなり痛いんじゃないかと思うんだけど。

 タフだねぇ……。


 信乃ちゃんに呼ばれてはいるけど、桃香ちゃんが傍にいるのでオレは物理的に距離を保つ。

 病院側の配慮で桃香ちゃんと信乃ちゃんが同じ病室で入院することになってよかった。広めの部屋だからちゃんと物理的に距離を保てる。


「遅いかな? 面会時間始まってすぐだよ?」


「ぴったりに来てくれよー!」


「それって一秒の誤差も許されないってこと? 待合室から歩いて来だけでも時間かかるのに、無茶言うねえ。オレは完全無欠のスーパーヒーローとかじゃないんだよ?」


「えぇ!? 違うん!?」


「そこは『そこまで言ってない』とか突っ込むところだよ、信乃ちゃん」


「そんなことねーよ! ライルくんはアタシんとってヒーローだもん!」


「……は。そっか」


 信乃ちゃんの返しに少し戸惑ってしまった。

 不意打ちを喰らった気分だ。もちろん、いい意味でだけど。

 いやあ、慕ってくれているなぁ。

 信乃ちゃんの好意を感じて、オレも気持ちが暖かくなった。

 

「ありがとう信乃ちゃん。嬉しいよ」


「えへへ」


 オレは自然に笑みを浮かべていたと思うし、信乃ちゃんも嬉しそうに笑っている。

 一方、そんな元気そうな信乃ちゃんの傍で、相変わらず警戒心にも敵意にも似た近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのが桃香ちゃんだ。


「桃香ちゃんもおはよう。昨日はちゃんと眠れたかな?」


 物理的に距離を取ったまま挨拶をしたオレに、桃香ちゃんは小さく会釈してくれた。

 そんな姿にオレは感心してしまう。そして労しくも思うし、尊敬もする。


 昨日、寝る前に桃香ちゃんが患っているらしい緘黙症のことと、昨夜のような事件の被害者との関わり方についてオレなりに少し調べてみた。

 やっぱり複雑怪奇な人の心に関わることだし、しかも人それぞれ精神状態が違うから、これっていう解決策を見つけることは出来なかった。だけど、あくまで被害を受けた人がどういう状態なのかを常に配慮して、相手の求める距離感を探り関わって行くというのは共通して言えることだと思う。それは普通の人間関係にも言えることではあるんだけど、さらに繊細かつシビアだよね。

 突き詰めていけば、選ぶ言葉、発する声の抑揚、浮かべる表情、手や体の動き、そういうのも全部コントロールしないとならなさそうだし。気を抜いた一瞬の言動が、過敏になっている相手を刺激することになりかねないし。


 例えば、コップ。普段なら素手で何気なく持ち上げて、無造作に飲み物を入れて飲む。

 それを、手袋を何枚も付けて、用意したクッション材の上に置いて、一滴も水気が溢れないように、決まった量だけを、決められた角度、決められた秒数を使って入れる、みたいな。それをコミュニケーションとしてやる……。


 正直むちゃくちゃめんどくせぇ……。

 だけどそれが必要になるのが今回の件ということだ。


 正直に言えば、オレは今日、ここに来るかどうか迷った。もしかしたら一夜明けて桃香ちゃんの状態が悪化しているという可能性もあったし、オレの何気ない言動が桃香ちゃんを刺激しかねないという不安もあったからだ。


 緘黙症。簡単に言えばストレスなどで言葉を発せられなくなる状態なわけだけど、これに関しては信乃ちゃんの言葉からして、桃香ちゃんは元々患っていたようだ。


 つまり。

 桃香ちゃんは緘黙症を患うほどにストレスの影響を受けやすく、またそれほどのストレスに元々晒されていた、ということになる。


 それでこの状態なのは正直凄いと思う。

 状況こそ違うけど、パニックで喚き散らしていた当時のオレを思うと尊敬するよね。


 異性も含めて、桃香ちゃんが他の人にどう反応するかオレは知らない。信乃ちゃんはああいう修羅場に慣れてそうで、大丈夫そうな気はするけど……。


 これからしばらくの間、彼女たちは同性の医療関係者とだけ関わって行くんだと思う。

 どれくらい先になるか見当もつかないけど、いずれ踏み込んだリハビリに移行するって段階に入ったときは、その取っ掛かりとしてオレも協力を求められるかもしれないな。

 ある程度までは物理的にも距離を縮められる異性として。そのときはオレも協力を惜しむつもりはない。


 きっと病院の人達は今まさに現在進行形で彼女たちの力になるための準備を整えているはずだ。桃香ちゃんのことは専門家に任せよう。オレなら桃香ちゃんを救えるなんて己惚れるつもりもないし。オレ自身、その方が気が楽だしね。

 オレは特に何もせず、付かず離れずの距離感をキープしていれば良いだろう。


 懸念があるとすれば……。

 そもそも性別に関係なく、人間不信とか、対人恐怖症とかになっていてもおかしくはないってことかな。

 もしかしたら男女問わず、オレへの態度こそが『大人』に対しては一番マシなものだった、なんてことも……。信乃ちゃんへの態度を見てると……。


 いや、やめよう。

 悪い方に考えるのはやめよう。

 それはオレも大変だし、桃香ちゃんにとってもあまりに辛いことだ。


 オレは手に持っていたナイロン袋を持ち上げて言った。


「これ、お土産。アイスは昨日の夜食べたからお休みだけど、バニラ風味のプリンを買って来たよ。お昼の時にでも食べて。桃香ちゃんのもあるから、良かったらどうぞ」


「マジィ?!」


 信乃ちゃんは裏表なく嬉しそうだ。桃香ちゃんは……分からないかな。

 オレ的には、昨日みたいに信乃ちゃんの介助をしてあげて、という思いを込めてのお見舞い品なんだけど、伝わると良いな。

 昨日、桃香ちゃんが信乃ちゃんの手伝いに遣り甲斐を感じていたようだったから。信乃ちゃんも嫌そうでは無かったから良いかなって。


 そう言えば信乃ちゃん、今朝のごはんはどうやって食べたんだろう。

 さすがに昨日の今日だし、やっぱり昨日みたいに桃香ちゃんが手伝ったのかな?

 まあそこはあえて踏み込まず、二人に任せよう。


 そしてプリンを冷蔵庫に仕舞っていると、オレの背中から信乃ちゃんの声が掛かる。単純に名前を呼ばれただけだけど。


「……。ライルくん」


「なにかな?」


「なんでもねー」


「そう?」


 信乃ちゃんはそう言って幸せそうに笑っている。

 そして間を置かず、またオレの名を呼んだ。


「ライルくーん?」


「どうしたの?」


「なんでもねー!」


 信乃ちゃんはやはり嬉しそうに笑っている。

 オレが傍にいることが余程嬉しいらしい。

 そこまで露骨に好意を向けられるとオレとしても悪い気はしない。

 確かにしないんだけど、桃香ちゃんがね……。

 よく分からないからね……。

 真面目な話をすると、これだと疎外感を抱いちゃうだろう。ちらりと桃香ちゃんを見るけど、オレを見続けたまま、相変わらず何を考えているかは分からない。


「なーライルくん。そういえば聞きたかったんだけどさ、ライルくんってなんでアタシらがあそこにいるって分かったん?」


 話題にするのは避けてたけど、あっちから踏み込んできたな……。

 しかしライルくんライルくんって、オレの名前を呼ぶのが楽しくてしかたないって感じだ。

 それも含めて桃香ちゃん大丈夫かなと思いつつ、信乃ちゃんの質問に答える。


「最近見てなかった暴走族が同じ方向に走って行くところを見掛けてね。家に帰ったら妙なメモだけ残して君はいなくなってるし、もしかしたら何かあったのかなって」


「えー? そんだけで? マジ?」


「そんだけと言えばそうだね」


「すっげぇ。名推理じゃん」


「そうでもないよ」


 答え合わせは通りすがりのカップルがやってくれたし。


「やー、ライルくんは凄いって! かっけぇし! すげーし!」


「分かったよ。ありがとう」


「んふふ」


 信乃ちゃんからの褒め言葉を受け取ったら、信乃ちゃんが喜んだ。


 ……。

 信乃ちゃん、今日はやけにオレのこと褒めて来るね。

 その意図と理由はいくつか思いつくけど……、ちょっと違うんだよね。

 まあ、その辺は不慣れってことで今は見守ろう。

 変化の兆しなのは間違いないだろうし。

 今後その辺りで信乃ちゃんが苦労するようなら、そのときにまた寄り添えばいいかなと思う。


「ライルくん、マジでカッコよかったよ。アタシ惚れ直した」


 しかしストレートにぐいぐい来るなぁ。

 吹っ切れた感が凄い。

 覚えてるか、信乃。

 昨日の今日やぞ。肉体関係断ったん。


 でも……昨日みたいに痛々しい求愛よりは全然マシかな。

 昨日は本当に追い詰められたんだなぁって分かる。見てて苦しかったからね。


「ライルくん」


「どうしたの?」


「好き」


「ありがとう」


 信乃ちゃん、これまで堪えていたというか、抑えてたものが爆発してる感じがするね。


 お母さん好き!

 わたしもよ。


 そういうコミュニケーションも経験できてなかったんだろうな……。


「カレシんなってくれる?」


「彼氏にはならない」


「ちえー! ライルくんなら良いのになー!」


 信乃ちゃんはそういうが、その顔は無邪気な様子で綻んでいる。

 好意を伝えられるだけでも幸せって感じだ。


 ……やっぱりそうなんだろうな。

 昨日の言動から考えると、これまで信乃ちゃんが異性から向けられて来た好意って、その全部に性欲が直結してたんだろうなって……。

 好きだからヤらせて、みたいな。


 確かに信乃ちゃんくらいの年頃で、信乃ちゃんが関わっていそうなそっち系の男となると、まあ……。全員がそうだとはさすがに思わないけど、信乃ちゃんの周りにいる異性はみんなそうだったんだろうな、と。全部が全部悪いことだとは思わないけど、信乃ちゃんにとっては、その環境はかなり苦痛だったと思う。


 信乃ちゃんは母親の異性関係で性に嫌悪感を持ってるみたいだし、本質的には人格の承認を求めているようだからね。だからこそ昨日の昼に見せた、オレに対してなりふり構わない信乃ちゃんの様子の深刻さが分かるわけだけど。

 性的な意味での『身の危険』を感じず、異性に対して人格的な好意を表現できる環境があまりにも新鮮過ぎて浮かれてるって感じなのかもしれない。反動がでかいんだろう。しかも注意すべきなのは、それはそれとして異性としてもオレを本気で求めてそうってこと。

 いずれ落ち着いて行ってくれるといいけどね。


 確かに乱暴な言葉遣いのままではあるんだろうけど、その節々にあった圧のようなものは無くなっている気がする。

 良い傾向だと思う。

 でも、今だけだろうね。

 信乃ちゃん個人がどうのっていうより、信乃ちゃんが今みたいな感じでいられる環境が他にないって意味で。家に帰ったら元に戻ると思う。


 そういう意味ではケガで家に戻らずに済み、信乃ちゃんの苦しみの元凶とも言える母親と強制的に距離を置けている今の状況は、信乃ちゃんにとって大きな意味を持つのかもしれない。

 昨日電話で話しただけだけど、ホントにクソ親だったし、環境もヤバそうだったもんなぁ……。あんなところに戻ったら体調崩すよホントに。電話してるだけで辛かったからね、オレも。


 本当に信乃ちゃんはよく頑張って来たと思う。

 確かにグレてはいたんだろうけど、この子は失くしちゃいけない大切なものをしっかりと守り通してた。

 本当は最初から頼って欲しいところではあったけど、あのときはまだ、オレは信乃ちゃんにとっては頼るよりも守るために遠ざけたい対象だったってことだろうから、言っても仕方がない。


 でも、そうだな……。うん。それだけは伝えておこうか。

 無いに越したことは無いんだけど、万が一、また似たようなことがあったら、この子、骨折れてるのに一人で出て行きかねないし。


「そうだ信乃ちゃん。また似たようなことがあったら、今度はオレにも連絡を貰えないかな?」


「えっ……。それは……」


 信乃ちゃんはオレの言葉の意図を理解してくれたようで、悩み戸惑う様子を見せる。

 そしてか細い声で呟き始めた。


「できねぇよ。迷惑かけちまうし……。元はと言えばアタシのせいだし……」


 その返事は分かってはいた。

 相談しろとか一人で行くなとか、言って聞くなら世話はない。強制するつもりもない。

 ただオレは信乃ちゃんが心配で、出来れば頼って欲しいと思ってる。だからオレはいつも通り、オレの率直な気持ちを伝えてお願いするだけだ。

 オレは信乃ちゃんに穏やかに微笑みかけ、こう言った。


「やっぱり嫌かな?」


「い、嫌じゃねぇ! 嫌じゃねぇよ! だから、迷惑を……」


「じゃあダメ?」


「ダメでもない! ダメでもない、けど……。でも……だって、だから迷惑が……」


「お願い」


「えぇ!? お、お願いって……! でも……」


「頼む。心配なんだよ。それにもう友達だろ、オレ達」


「あぅ……」


 信乃ちゃんの声が段々とか細くなり、やがて途絶える。

 オレは静かに微笑んで信乃ちゃんの言葉の続きを待った。


 信乃ちゃんはちらちらとオレに視線を送ってくるが、オレは静かに待ち続ける。

 やがて信乃ちゃんが恐る恐るといった様子で口を開いた。

 深い苦悩の末。ようやく絞り出したといった様子でおずおずと、信乃ちゃんはこう言った。


「いいの……?」


「オレがそうして欲しいんだ」


 まあ、オレのキャパを越えそうなら、今回みたいに速攻でコネと国家権力に泣きつくけどね。そのときはオレの方も信乃ちゃんの信頼を裏切らないように、信乃ちゃんにちゃんと可能な限り相談してからするつもりではある。今回みたいな急を要する事態なら問答無用で動くけど。


 まあ、それを今言うつもりはない。狡い大人でごめんね信乃ちゃん。


「信乃ちゃん。君が桃香ちゃんのためになりふり構わなかったように、怪我をした君を見てオレも思ったんだよ。君は立派な行動をして、確かに桃香ちゃんの危機に間に合ったけど……。オレは君の危機に間に合うことが出来なかった。……悔んでる」


「う……」


 信乃ちゃんの表情がくしゃり、と歪む。泣かなかったのは成長かな?

 それとも、桃香ちゃんの前ってことで意地を張っているのかもしれない。


 ……。

 本当に……。

 初対面のときの攻撃性や、昨日の限界まで追い詰められた悲痛に耐えかねて零した涙を見ているオレとしては感慨深いものがある。


 でも……潮時かな。

 ちょっと長居しすぎたかもしれない。分からないけど、桃香ちゃんが結構我慢してる可能性もあるし、昨日の話をし過ぎた。信乃ちゃんのオレへの態度もそうだし、今日は切り上げた方がよさそうだ。

 

 オレは立ち上がり、桃香ちゃんの方を見る。

 桃香ちゃんはやっぱりオレの方を凝視している。変わった様子はない。

 

「桃香ちゃん」


 声を掛けると桃香ちゃんは僅かに身を竦めた。

 物理的に距離を取ったまま、オレは桃香ちゃんに微笑みかけ、小さく手を振った。


「今日はもう帰るけど、君も何かあれば教えてね? 食べたいものとか。メモ書きを渡してくれるだけでいいから。それと、ゆっくり休んで」


「え、もう帰んの!?」


 信乃ちゃんが反応する。


「うん。今日は用事が立て込んでいてね。急ぎなんだ。ごめんね」


「じゃあ、明日は?」


「……。努力はするよ」


「来てよ!?」


「努力はするから」


 無茶言うなぁ。

 内心でそう思い、苦笑した。


 しかし……、信乃ちゃんは桃香ちゃんの状態を理解していないんだろうか。

 桃香ちゃんは明らかに緊張している。

 信乃ちゃんはオレより桃香ちゃんとの付き合いは長いはずだけど、あんまり桃香ちゃんへの気遣いを感じられないんだよね。


 まあ……信乃ちゃんがその辺の機微に疎いと言われれば、失礼ながら納得しちゃうところではあるんだけどね。もともと気遣いが出来る子じゃないってのは昨日の昼の件で分かってるし。人の家でふんぞり返る様なところもあるし。

 ほんとこの子たち、どんな関係なんだろうな……。佇まいというか、座っている姿勢だけでも、桃香ちゃんの教養は感じ取れる。

 失礼な考えだけど、桃香ちゃんと信乃ちゃんに仲良くなるような接点が……。

 学校の友達って感じはしないしな……。タイプが違い過ぎるし。幼馴染とかなのかな? 違いそうだけど。


 気になることは多い。でも今は二人のことは深掘りしないでおこう。思わぬところで地雷を踏みかねない。

 簡単に挨拶を終えてそそくさと退散したオレは病院の人と改めて話をした。まだ病院側も信乃ちゃんたちと深い話は出来ていないらしい。本来なら信乃ちゃんも面会謝絶の怪我らしいんだけど、短時間ながらオレが病院側と話し合いをする前に面会を許可されたのは、信乃ちゃんが強くオレを求めていたからとのこと。桃香ちゃんもオレが病室に入るのを許可してくれたらしい。

 桃香ちゃんも?

 それは意外だったな。

 というか信乃ちゃんそんなヤバイ状態であんなにはしゃいでたの?

 タフ過ぎるでしょ。

 

 ある程度、彼女たちの今後のこととオレの立ち位置を話した。

 要約すると、オレは今の距離感を保っていればいいって感じかな。事が事だから病院側も慎重に進めたいようだ。オレとしてもありがたい。信乃ちゃんとの繋がりを保ちつつ、さっさと制度とか事務的な面倒くさいことは全部弁護士の先生に丸投げすればいいだろう。


 二人の親について聞かれたのでオレの持っている情報は渡したけど、連絡先は本人たちから聞いてほしいと断って置いた。勝手に教えて信頼を損なっても嫌だし。嫌な顔をされたけど、そのために一時的な保証人になったんだから文句は言わないで欲しい。こっちだって相応の覚悟を持って、彼女たちを守るために引き受けたんだから。


 病院で話を終えたあと、病院前でタクシーを拾う。昨日刑事さんから貰った連絡先に電話をかけ、今日は行けなくなったと伝えた。事情を聞かれたが、「すみません。次は絶対行きますから」と謝って電話を切る。


 タクシーの中、弁護士先生にまた日を改める連絡を入れる。平謝りである。 

 通話を終え、すぐに別の連絡先にかける。

 桃香ちゃんの親御さんだ。

 結果から言えば、今日の夜には少し時間が出来るから病院に行くとのことだった。

 とりあえずそれには安心した。ホントは今すぐ行けよ思うけど。


 通話を終え、すぐに別の連絡先にかける。

 信乃ちゃんの親だ。

 出なかった。昼夜逆転してそう。

 オレは乱暴に通話終了のアイコンをタッチした。

 

 少しだけ肩の力を抜く。

 流れる景色を窓から覗き見る。

 今朝は緊急車両の出動が多いようだったけど、今は特に見掛けない。


 家に着いたので代金を払ってタクシーを降る。タクシーの運転手さんに残っていて欲しいと伝えてから家に入り、改めて遠出の準備を整える。

 外に出てタクシーに乗り込む前に、茶都山家のチャイムを押した。


 反応はない。


 もう一度押す。


 やはり反応はない。


 誰もいないようだ。

 気になる。


 実際、茶々ちゃんが行方不明なのだとすれば大事件だ。

 しかも茶都山家の人の姿も確認できていない以上、もしかしたら一家全員が事件に巻き込まれている可能性すらあるのか……。

 事件の発覚を早めるという意味でも、一度確認しておいた方が良いかもしれないな。


 オレはタクシーに乗り込み、茶々ちゃんが通っている小学校へと向かった。

 小学校の前で下車し、タクシーの運転手さんにはまた待っていて欲しい旨を伝え、学校の事務窓口を訪ねる。


「え? それは確かなんですか?」


「ええ。茶都山茶々という名前の子供は本校には在籍していませんでした」


 身分証を見せ、事情の説明をすると共に茶々ちゃんの出席確認を求め、その結果を待っていたオレは、事務窓口の向こう側から届いた答えに耳を疑った。


 来るところを間違えた……?

 いやでも、確かにここだったはずだ。


「あの。本当に確かなんですか? 最近転校して来た子のはずなんです」


「確かです。今年度、本校には転入児童はおりません」 


「そんな……。では、瑠璃川瑠璃という子は在籍していますか? その子は茶都山さんの友人なんです。その子に聞けば何か分かるかもしれません」


 そう伝えると事務員さんは席を外した。上の人と話をしているのかもしれない。しばらくして戻って来た事務員さんはどこか警戒している様子でオレにこう言った。


「瑠璃川瑠璃という児童も本校には在籍しておりません」


「そんな……まさか……」


「失礼ですが……その子たちの在籍校は、確かに本校でお間違いありませんか?」


「……。もう一度確認してみます。お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。失礼します」


「いえ……」


 オレは困惑している。

 事務員さんも困惑しているようだ。

 去ろうとしたオレに、事務員さんが言った。


「あの、もし本当に子供が行方不明なら、警察に相談してはいかがでしょう?」


「そうですね。おっしゃる通りです。ご助言感謝します」


 オレは事務員さんに一度頭を下げ、背を向けた。

 学校の正門を過ぎ、待っているタクシーまで歩く。


 保険証、免許証、学生証。

 オレは三種の神器ともいえる身分証のすべてを提示した上で、子供が行方不明になっているかもしれないと、学校窓口に相談をした。さすがに不審者扱いをされて情報を伏せられている、ということはないと思いたい。

 本当に、オレが学校を間違えたのか?


 タクシーの運転手さんに、東堂家に向かってもらうようお願いする。

 もう一度、茶都山家を確認しようと思ったからだ。


 ……出費が痛い。車、いや、バイクとか買おうかな……。

 

 しばらくして東堂家の前につく。

 何の変哲もないというとちょっと豪勢すぎる一軒家が隣ある。特に変わっていない。見慣れた外観だ。

 

「おや、ライル君。タクシーに乗ってお散歩かい?」


「こんにちは。お爺さんもお散歩ですか?」


 茶都山家を見上げていたオレに話しかけてきたのは近所のお爺さんだった。


 タクシーに乗ってお散歩とは一体。

 まあ、ジジイジョークだろう。


 丁度いいと思って、茶々ちゃんについてお爺さんに聞いてみることにする。


「あの、茶々ちゃん見かけませんでした?」


「ちゃちゃちゃ?」


 耳が遠いのかな?


「いえ、茶々です」


「お茶?」


「いえ、お茶じゃなくて、茶々ですね」


「ちゃちゃがちゃちゃでちゃちゃちゃ?」


「楽しそうで何よりです」


 オレは今日、忙しいんです。

 にこり、とオレはお爺さんに笑いかけた。

 お爺さんはほっほと楽しそうに笑うと、こう言った。


「で、なんだっけ?」


「茶々ちゃんです。ここの家の女の子の。用事があって探しているんですけど、昨日の朝から会えていなくて。ご存じでしたら教えていただけないかな、と」


「……?」


 オレの質問にお爺さんはさっきまでのふざけた様子もなく、不思議そうに首を傾げた。

 そのとき、オレの中に正体不明の嫌な予感が生じる。

 お爺さんは言った。


「この家、前の人が出て行ってからずっと空き家じゃあなかったか?」


「……なるほど」


 ちらと表札を見る。言われるまで気づかなかった。そこには何も記されていない。オレは天を仰いだ。


「ありがとうございます。用事があるので失礼しますね」


 オレはお爺さんに小さく頭を下げて、待たせていたタクシーに乗り込み、穏やかにこうお願いした。


「駅までお願いします」


 もう、駆け抜けるしかない。

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