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ステルスホラー(SH)

 翌日、オレはタクシーを手配し、約束通り病院へ向かった。


 今日は信乃ちゃんや桃香ちゃんと話をしたら、その足で警察に行って事情聴取を受ける予定だ。オレに関しては車の窃盗と、器物破損(車と廃工場の金網)の件もある。

 だけど昨夜のアレは事情が事情なので情状酌量の余地は大いにあるはず。頼りになる弁護士も知っているし、その辺はそれほど気にしてはいない。

 信乃ちゃんたちの保護者役になるということもそうだ。

 それこそ火急ということで臨時でオレが保護者を名乗ったが、二人とも親が居ることは分かっているのだし、半グレの件も含めて弁護士先生に丸投げすればいいだろう。調べてみると色々と公的な制度もあったし、昨日の件は何かの手違いということだったんだと思う。担当していたあの看護士がちょっと未熟だっただけとか。

 だから目下の問題は、弁護士先生への依頼料かなぁ……。オマケしてくれたりサービスしてくれると良いけど。最低限の生活費としてならともかく、いうなればオレの趣味に東堂家の遺産を使うのはやはり思うところがある。早急にバイトを探さなければ。とはいえ、信乃ちゃんたちの家庭環境については虐待についての公的機関に繋いでしまえば、後はそちらが何とかしてくれるんじゃないかとは思うので、それまでの辛抱だ。

 ただ結果として親と信乃ちゃんたちの関係が悪化したり、そういう機関にお世話になることに対して彼女たちが誤った感情を抱いてしまう可能性は考慮しておいた方が良いだろう。恥ずかしいとか、申し訳ないとか……。そのときは身近な大人として彼女たちを支える、という決意はもうしてある。あとはなるようになっていくだろう。


 オレ個人のこととしては、昨日の半グレたちの報復に気を付けたいところだ。

 暗かったし顔はバレてないとは思うけど、真っ向から喧嘩を売ったようなものだし、既に水面下でオレの捜索を始めている、なんてこともあるかもしれない。例の、拳銃の暴発で手が吹っ飛んだスーツの男はあの後どうなったんだろうか。

 逃げたのか、捕まって警察病院に搬送されたのか。それによってはオレの状況もだいぶ変わるんだけども。といっても、あれだけ大きな騒ぎになったのだし、あの暴走族のケツ持ちをしているだろうヤクザ組織は警察にマークされているはず。そうなれば信乃ちゃんたちに付きまとう危険もなくなるだろう。


 いやあ、本当に昨日一日でオレの日常が激変してしまった。もとの平穏が戻るには、一体どれくらい時間がかかるだろう。


 うーん……。どうしてこうなったのか……。


 ま、しょうがない。切り替えてこう。

 言うても自分で選んだ行動の結果だ。


 置手紙を見たとき、オレは信乃ちゃんを探さないことだって出来た。

 信乃ちゃんだってきっとそれを望んであのメモを残したわけだし。決めたのはオレだ。


 ぶっちゃけ後悔はしてない。大変な現状を嘆きはするけど。いや、きついっす。

 でも信乃ちゃんを助けられたとき、オレの脳内にある報酬系の機能は、過去一フル回転していたことをここに告白する。恥ずかしながら、彼女たちを助けられたことへの安堵とは別に、あへぇとかうひょぉ、くらいの達成感と幸福感もあった。


 そのことにはオレ自身、別段驚きはしない。

 オレはオレ自身を『身近な大人に救って貰えなかったという過去のトラウマから、誰かの精神的支柱になることに喜びを見出す傾向が少なからずある』という自己分析を行っている。

 だからオレは、他人に対して正の方向に作用しそうな感想はしっかりと伝えるし、自分の出来る範囲でなら困ってる人に力を貸そうと思うわけだ。


 とは言っても、さすがに今回はちょっとキャパオーバーしたと思う。だからコネのフル活用に舵きりをしたわけで。

 この苦境、何とか乗り切ろう。多分この苦境を乗り越えたという経験は、これからのオレのキャリアにとっても得難いものになるはずだ。

 何事も前向きに行こうというのが今の考えである。


 一方で、オレはもう二度とあんな不快な思いはしたくないので、他人がオレのラインを越えて来るようなら、ちゃんと嫌と伝える。勿論その上で話し合うことも意識しているけど、その結果として人間関係に軋轢が生まれてしまうなら、もうそれはそれでしょうがないと割り切りもする。

 桃香ちゃんがどうなるか分からないけど、少し様子見したいところだ。大変な思いをしたことは間違いないし、彼女が何故そうなのかもオレは何も知らない。色々と彼女を知った上で合わないと感じたら信乃ちゃんにそれとなく伝えて、オレ達が顔を合わせないようにすればいい。それとは逆に、オレの方が彼女と仲良くしたいと思っても、彼女側がそれを苦痛に感じるパターンもある。そのときも同じだ。彼女のことは他の人に任せて適した距離を保てばいい。まあそれも、ある程度二人が心身共に落ち着いてからにはなるけど。

 

 しかし……。

 タクシーの窓から流れる景色を眺めていると、どうにも今日はサイレンを鳴らした緊急車両をよく見掛ける。

 事故か事件か、朝っぱらから大変なことだ。

 

 もしかして……。

 昨日の馬のUMAが関係してるのかな?

 以前、彩乃さんと黒竜の戦いを目撃したときも、翌日にその近くの建物が倒壊したみたいなニュースを見た気がするし。

 どうなんだろう?

 その辺、彩乃さんに聞いておけばよかったなー。

 それはそうと、彩乃さんは大丈夫なんだろうか。こちらからコンタクトを取る方法が無いので祈るしかないけど……。


 病院についた。

 見舞いの品を持って信乃ちゃんたちがいる病室へ向かおうとして、違和感を覚える。


 音が消えた。人の気配もだ。

 そして外にも異変が起きている。

 今の今まで快晴の午前だったはずなのに、窓から見える空には暗雲が立ち込め、病棟内は薄暗くなった。しかもそれだけじゃない。内装が廃病院みたいになった。かび臭く埃塗れの廊下、ひび割れ塗装の剥がれた壁や床。床には廃棄されて捨て置かれた医療備品やガラス片、扉とかだったんだろう木片が転がっていて、天井には割れた蛍光灯。


 そこにあったはずの当たり前の日常は、瞬く間にその姿を消していた。


 そして、オレの表情からも一瞬で感情が消え去った。


「……」


 立ち止まり静かに周囲を見渡す。

 何かを言う気力もなく、クソでか溜息を吐いた。


 また変なとこ来ちゃったなぁ……。


 これは勘だけど、たぶん彩乃さん関係の異変じゃない。なんというか、雰囲気が違う。

 

 ……。

 呻き声が聞こえた。地の底を這うような、下水道のような声だった。

 粘着質な音が聞こえる。何かを引きずるような音も。少し離れた部屋の中からだ。


 当然、踵を返す。

 明らかにおかしいもの。見に行く必要もないし、ここで何かが姿を現すのを待つ理由もない。

 来た道を戻るのが最適解だろう。


 長い廊下。

 ちょっと長すぎん?


 明らかにオレが歩いてきた病院の廊下の長さじゃない。だって果てが見えないもの。


 今日忙しいんだってオレ……。


 こんなことをしている暇はオレには無い。

 信乃ちゃんのメンタルケア、桃香ちゃんとの関係構築、病院との情報交換に、警察での事情聴取、弁護士先生との会談と信乃ちゃん、桃香ちゃん両名のご両親への連絡。そして出来るなら葵さんに関しての話を聞くべく、学校帰りの茶々ちゃんを捕まえたい。大学まで休んでいるのだから、やり遂げなければならない。


 歩いて行けば元に戻るだろうか?

 オレは一応来た方向へ歩いてみる。体感的に元の病院だったなら廊下の行き止まりにあたるだろう距離を歩いたけど、景色が変わることは無かった。

 

入れたんだから出られるだろうが……っ!


 今日のオレは少し機嫌が悪い。というか今まさに悪くなった。勿論理由はお分かりですね。


 苛立ってもしょうがない。

 考えよう。

 彩乃さんの件とはやっぱり違う気がするが、状況は似ているといえば似ている。彩乃さんを探すか?

 試してみよう。


「あやのさーん!! あやのさーん!! 東堂ですー! いませんかー!?」

 

 大声で彩乃さんを呼ぶ。

 返事を待ち、少し静かにしてみたが、返事はない。

 返事はないけど……背後からはゆっくりとあの粘着質な音と、何かを引きずる様な音が近づいて来る。どこからともなく肌寒い風が廊下を通り過ぎる。


 後ろを振り向こうかと思った時、正面に何かを見つけた。

 彩乃さんかと思ったが、そうじゃなさそうだ。人型、人影なのは確かだけど、なんかでかい。背丈は二メートル、いやもっとあるか?

 しかも人影だ。シルエット。探偵ものの犯人みたいな、真っ黒の何かが立っている。


 なんか始まったなコレ……。


 とりあえず最初の音の方へ振り向く。

 少し離れた場所に、人型の肉塊が居た。着衣はなく体毛も無い。剥き出しの肌はすべて腐った肉の色をしている。暗い緑がかった灰褐色だ。


 なんだあの化け物。


 頭部はあれど顔が無い。のっぺらぼうのように、鼻も口も目も耳も見当たらない。ただ腐った肉塊が胴体の上に乗っている、といった感じだ。

 ぶよぶよの四肢は浮腫によるものだろうか。肉の弛んだ腕は相撲取りの胴体程の太さで、そして異様に長い。垂れ落ちた手の甲は地面を引きずっていて、垂れ落ちる灰褐色の浸出液が軌跡を示している。何かを引きずるような音と粘着質な音の発生理由が分かった。


 見ていると食欲が消滅する外見だ。

 不快感が凄まじい。

 嫌悪を込めて化け物を見ていると、動きがあった。

 化け物の頭部、人間であれば口のある場所が大きく裂けた。あの化け物には耳が無いが、人間であれば耳まで届くほどだ。


 あの化け物は笑っている。

 オレがそう認識すると、のろのろと動いていた化け物が凄まじい速さでオレに向かって走り出した。いや、走り出したというよりは、高速でスライドして来たというべきか。まるで高速のオートウォーク(平面のエスカレーター)のように。


 いや、きもいて。


 近づかれたら臭そうだし、触ったら服がとんでもなく汚れる。

 オレは一歩後ずさった。しかし化け物はあまりに早く、瞬時にオレの目の前に到達。

 爆散した。


 まあ……。確かにそんな気はしたよ……。


 爆散した肉塊と、飛び散った体液はすべてオレとは反対方向に跳ね飛んでいて、オレはそれを見下ろした。


 思うところがある。

 あの至近距離で爆散して、オレが一切の被害を受けていないということは普通に考えて在り得ないだろう。普通ってなに?って感じの二日間ではあるけども。今は置いておこう。

 昨日の世紀末大事故やUMAの挙動、そして今回の事象を見るに……。仮説だが、やっぱり何か……異能や異物を反射するような力がオレには備わっているんじゃないか?

 でもトラックに関しては普通に物理現象だったしオレもそう認識してたから、弾くものの定義はまだ分からないけど……。これはもしかしなくても、昨日の銃の暴発もそれか? 信乃ちゃんたちのことを優先して考えていたから、拳銃の暴発についてはあまり深く考えずラッキーくらいに思ってたけど……。


 ただ自分を引き締めるためにいうが、過信も盲信もするべきではない。

 本当に奇跡が連続して起こっただけの、本当にただの偶然という可能性は消えていない。これはそのような考えに執着しているわけではなく、そう考えておくべきという心構えの話だ。そういうものだと過信して、もし次に何か起きたときに呆気なく死ぬ、なんてことになったら目も当てられない。当たり前だがオレは死にたくはないし、しかも今は信乃ちゃんたちのこともある。彼女たちを残して死ぬわけにはいかない。


 しかし……どうやったら元の病院に戻れるんだろう。彩乃さんのときは何か一段落したらいつの間にか戻って来ていたけど、ここには彩乃さんはいないみたいだしなぁ……。今日は立て込んでいることもあるし、能動的に脱出へ動いた方がよさそうだ。


 一歩歩く。

 光が広がる。人の気配。喧騒。空は快晴で、廊下は整理整頓され、汚れも見当たらない綺麗なものだ。


 いや、戻れんのかい……。

 いい加減にして欲しい。


 今のことは忘れよう。

 早く信乃ちゃんたちのところへ行きたい。

 

 歩き出す。

 光が失われる。人の気配が消える。空は暗雲が立ち込め、廊下は薄暗く汚い。


 オレは思った。


 ―――おいおめぇいい加減にしろよマジで。


 誰にでもなく内心で罵声を吐く。

 もう困惑を通り越して怒りが湧いて来る。びっくり系のドッキリを立て続けにされて、最初は恐怖や驚きのリアクションをしていたターゲットが、いつしかそれらを通り越してぶち切れ始める気持ちが分かった。別にドッキリをされているわけではないのは分かっているけど。


 だが、ふと気づいた。

 さっきとは違う場所だ。廊下にいるのは変わりないが、散乱している備品や壁の様子がさっきとは違う。


 立ち止まっていてもしょうがないのでコツコツと歩く。

 前方に何かが見えた。

 またあの肉塊の化け物かと思ったが、違うようだ。

 さっきのは全体的に丸かったが、今見えているシルエットは異様に細長く、そして白い。それでも確かに人型ではあった。それは軟体動物のようにぐにゃぐにゃと動く腕を万歳のように上げ、うねうねと体を揺らめかせている。目を凝らして見ると、その白いものが肉だということに気づいた。一切の血の気が引いた肉だ。


 当然、帰る。

 そう思いゆっくりと振り向こうとしたとき、オレは不注意にも足元の廃棄物を蹴ってしまった。

 音が鳴る。

 あ、と思って前方を見ると、白い何かが動きを止めていた。オレを認識したようだ。

 オレはすぐに白い化け物に背を向けて走り出しそうとした。だがオレが振り返り切る前に、その白い化け物は凄まじい勢いで走り出しオレの前に到達したかと思えば、その挙げたままの軟体動物のような腕ごとオレに覆いかぶさって来た。

 そして爆散した。


 あのさぁ……。


 爆散した化け物の肉が粘着質な音を立てて壁や床に張り付いた。


 何がしたいんだよお前らは……。

 怒りを通り越して呆れまで出て来る。

 正直言うとちょっと焦ったから安心はしているけどね……。


 ふん、と鼻息を一つ零す。目を閉じて、とんとんと額を人差指で叩いた。


 考える。

 今目の前で起きた現象はとりあえずスルーするとして……。


 十中八九、他にもいる。オレは予感をしていた。そして、さっきの肉塊の化け物と今の白い化け物の挙動を見る限りでは、どうやら化け物どもには目と目が合うと高速で接近してくる性質があるようだ。

 いや、それは少し違うか?

 あいつら二体とも目というか、顔そのものが無かった。


 ではなんだろう?

 さっきの肉塊の化け物はオレの背後からゆっくりと近づいて来ていた。当然、肉塊の化け物はオレの存在にオレよりも早くに気づいていたはずだ。それでもアレはオレが振り返るまでは緩慢な動きをしていた。それを踏まえると……。


 オレがあいつらを視認したらダメ、とかだろうか?

 んー……。どうだろう。


 それだと一番最初にオレが見た細長い黒い影がオレに近づいてこなかった理由が説明できない。


 だとすると考えられるのは……。

 化け物の存在にオレが気づいた、ってことを化け物に気づかれるのがダメ、とかかな……?

 オレと対面したときにあの肉塊の化け物が「にちゃぁ……」って感じで笑った様子を見るに、目は無くても認識機能はあるみたいだし。


 それ以外は残念ながらわかりません。ただ、オレがおかしい……いや、オレの運が良いだけで、あいつらは普通に危険な存在だと思う。


 とりあえずさっきのように来た道を戻ろうとしたとき、行く先にまた別の何かが蠢いていることに気づく。

 ……。

 また爆散することに期待して近づく手もあるけど、違った時にどうなるか分からないのがなぁ……。


 とりあえず近くの部屋に入り、様子を伺う。

 何かが近づいて来る音がする。からからから、と何か乾いた音だ。


 息を潜めて待つ。

 ……。

 どうやら通り過ぎて行ったようだ。


 今まで色々とネット小説を読んだ記憶はあるが、自分が一体どういう能力を持ち合わせていて何が出来るのか、という情報を最初から完全に把握しているって、凄く有難いことなんだなって、しみじみと思う。

 オレは昨日まで自分は無能力者でこの世には異能なんてないと思い込もうとしていたわけだし、最近までは普通にそう思っていた。

 今だってまだこれまでの一般常識を捨てきれていないというか、捨てたくないというか、適応しきれていないというか揺れてるところがある。こういうのに慣れ切ってしまうと認知が歪み、普通の生活に支障をきたしてしまいそうで不安だからね。

 なるべくなら危険は避ける。この考えは最低限は持っていた方が良いと思っている。あくまでオレはいち大学生でしかない。仮にオレがどんな力を持っていようとも、オレ自身は偉大な人間でもなければ神話の英雄でもないんだし。実際、一度は死んでるわけで。


 それにオレに異能が備わっていたとして、それが万能なものとも思えない。

 一日に何回?

 一か月に何回?

 一年に何回?

 もしかしたら回数制限があるかもしれなくて、その上限にたった今到達したなんて可能性だってある。現実を更新しつつ、地に足は付けて行かないと……。


 はぁ……。

 ため息が出ちゃうね。


 誰かオレに、オレのことを教えて欲しい。オレにどんな才能があるのかを。そうしたらこんなに悩むこともなく、選択的に行動できるのに。異能があったらあったで悩みも増える。不便で煩わしいとさえ思ってしまう。


 ……。

 また音が聞こえてきた。不自然な音ではない。足音だ。人の足音。音は小さく、足音と足音の間隔は長い。歩幅が大きいというよりは、歩くのが遅いんだ。多分だけど、忍び足のように歩いている。音はオレが来た方向から聞こえて来る。

 同時に、化け物の去った方から音が聞こえてきた。さっきと同じ音。帰って来たんだろう。


 人の足音はオレの部屋の前に来た。暗闇に隠れて廊下を覗く。

 やはり人だ。小柄な女性、しかも若い。制服を着ているところを見るに女学生だろう。

 長い黒髪をゆるく束ねて体の前に流している。彼女の印象と特徴を聞かれれば、何の変哲もない制服の赤いリボンが一番最初に思い浮かぶ程度には垢ぬけない感じの、素朴な女子高生がそこにいた。


 その子は不安そうにきょろきょろとあたりを見渡しながら、震える拳を下唇に当てている。スカートから伸びる足は内股でおぼつかない。

 見るからに恐怖で竦み上がっていますって感じで、見てて可哀そうになって来る。


 一方で、化け物の方の音も近づいてきている。まだ曲がり角の向こう側にいるんだろうけど、多分もう少しで女の子と化け物がかち合うことになるだろう。


 オレはすぐさま暗い部屋から飛び出し、女の子の口を塞ぐように覆い抱えると、速やかに部屋の中に引きずり込んだ。驚いた女の子は「んー!」とくぐもった叫びをあげはしたが、体全体は恐怖で竦み上がって硬直していて、抵抗らしい抵抗は無かった。

 暗い部屋の中で物陰に隠れ、オレは彼女の耳元にこう囁いた。


「騒がないで。暴れないで。あいつに気づかれる」


 穏やかで柔らかな声音を意識して伝える。

 

「驚かせてごめん。でも、どうか騒がないで欲しい。ここには気持ちの悪い化物がいる」


 オレの腕の中で女の子は可哀そうな程に震えている。

 オレは囁き声で続ける。


「大丈夫。これ以上のことは絶対に何もしない。どうか信じて欲しい。君を守りたいんだ。オレは東堂雷留という名前で、●●大学の大学生なんだ。証拠は今すぐには見せられないけど、嘘はついてないよ」

 

 学生証を見せるには財布を取り出さないといけないが、女の子から手を放す必要がある。騒がれたらアウトだ。さっきの白い化け物の様子から、化け物には音を認識する機能もある。騒ぐのは悪手だ。

 

「どうか騒がないで欲しい。出来るかな?」


 女の子が小刻みに何度も首肯する。鼻息が荒い。物凄い恐怖で興奮しているようだ。

 大丈夫かなぁ?


「いいね? 騒いじゃダメだよ? 静かに……」


 そっと女の子から手を放す。

 その時、部屋の前を化け物が通り過ぎていく。日本人形のような、床につくほどに伸びた髪と、網のようなものにがんじがらめにされた体。手に持っているのは……ラケット?


 それを見て、女の子の身が竦む。


「ひぅ……っ」


 女の子の口から小さな息が漏れた。オレは咄嗟に女の子の体を引き寄せ、その口をまた塞ぐ。

 幸いにも化け物は気づかなかったようで、そのまま通り過ぎていく。

 音が聞こえなくなってからオレはまた囁き声で彼女に話しかけた。


「いいかい? 落ち着いて聞いてね。さっきはいきなり襲うような真似をしてごめん。怖かったと思う。ただああいうのが他にもいて、あれは条件を満たすと襲ってくる性質がある。オレは君をあの化け物から隠したかったんだ。信じてくれるかな?」


 女の子の体ががたがたと震えている。それでも今度はゆっくりと首肯した。

 恐怖に怯えてはいるが、ある程度は受け入れてくれたらしい。

 オレは再び彼女から手を放す。

 女の子は可哀そうなほどに震えあがっている。呼吸も荒い。早く浅い。過呼吸になりかけていそうだ。

 何故こんな見るからに普通の子がこんなところにいるのかは分からないけど、当たり前の反応だろう。可哀そうに……。


「大丈夫。少なくても今は大丈夫。まずは落ち着こうか。大丈夫、落ち着いて。目を閉じて……、息を吸って、ゆっくり吐いて……。息を吸って、ゆっくり吐いて……。そう、上手だ。続けよう。慌てないで……。大丈夫。オレが傍にいるからね。落ち着いて……。君は今一人じゃない。落ち着いて、落ち着いて……。そう。いい子だ。大丈夫。落ち着いて……息を吸って、ゆっくり吐いて……」


 女の子の手の甲を覆うようにして握り、ゆっくりと穏やかな声で囁いた。

 女の子はオレの言葉に身を預けるように、深呼吸を繰り返し始めた。過呼吸染みた呼吸の荒さは徐々に落ち着きを取り戻し、体の震えも弱まりつつある。


「よければ名前を教えて貰えるかな? 自己紹介をしよう。さっきも言ったけど、オレは東堂雷留。君は?」


「……。藤砂律です」


 か細い声はまだ震えている。

 オレは穏やかな声音を意識して続ける。


「そうか。良い名前だと思う。りっちゃんって呼んでもいいかな?」


「……?」


 女の子はオレの距離の詰め方に困惑しているようだ。

 それを狙って言ったわけだから良かった。


「ほら、なんか今、変なことになってるでしょ? 少しでも気が紛れたらと思って。変なときでも初対面のオレにりっちゃんって呼ばれたら、変な感じがして落ち着くかと思って。どうかな?」


「あ……なるほど……。そういうことだったんですね……。てっきり変な人なのかと……。でも確かに……。分かりました。りっちゃんって呼んでください。ちょっと照れ臭いですけど……」


 りっちゃんは囁き声でそう言った。

 だいぶ落ち着いた様子だ。しっかりと話せてもいる。ただ変な人というのは止めて欲しい。

 オレは再び話題を戻す。


「君がどうしてここにいるのか、聞かせて貰える? 学生みたいだけど、学校にいたのかな? それと……、変な人ってのは個人的にダメージを負うから止めて貰えるかなぁ……?」


 りっちゃんを恐縮させないようにちょっとお道化たようにだが、嘘偽りない気持ちを伝える。りっちゃんはそれをどう受け取ったのかは分からないが、小さく笑った。こんな状況だからこそ、自他ともに認める、KYではない、マイペースなオレとの恐怖とのギャップは大きく、影響も大きいんだろう。少しだけ肩の力が抜けたように思う。

 りっちゃんは言った。


「はい、ごめんなさい。といっても、わたしも何が何だか……。わたし今日、病院の予約があって学校には遅れて行く予定で……。それで病院の待合室に居たら、いつの間にかここに……」


「病院? それって、●●病院? オレもそこにいて、気づいたらここにいたんだ」


「え? いえ……違います。聞いたことない名前の病院ですけど……それってどこら辺の病院ですか?」


「●●市の……」


「●●市?」


「うん。●●県の」


「えっ……? わたし、××県です……」


 おぅ……。

 そういうこともあるんだ……。

 ここどこなんだろう。どっちの病院に近いとかあるのかな?


「わたし、凄く怖がりで……。昔から何かあるとさっきみたいに過呼吸になっちゃって……すぐ倒れちゃうんです……。でも最近ちょっと酷くて、今日もそのことで病院に……。東堂さん、本当にありがとうございました。東堂さんが居なかったらわたし、あの化け物の前で気を失っちゃってたかもしれません……」


 なるほど。つまり彼女の前で化け物が爆散するようなことは避けた方が良いようだ。それに、対面するのもマズい。化け物が現れたときは今みたいにやり過ごしたうえで、過呼吸になりかけている彼女を都度落ち着けてあげる必要がある、と。なにそのクソゲ。


 オレは思った。


 ―――ステルスホラー(SH)(ルナティック)かな?



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