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ヤンキー?9


 慣れない運転をなんとかこなし、オレ達は無事に大病院に辿り着いた。また変なところに迷い込んだりしないか不安だったが、何もなくてよかった。そういう露骨な現象が無かったというだけで、もしかしたらオレが気づいていないような何かが起きていた可能性はある。だけどそこまで考えると精神的に疲れてしまいそうなのでやめておく。


 二人を病院に運び込み医者に預けたオレは待合室で待たされることになったんだけど、その間に再び警察と、加えて弁護士の先生に今日の都合が悪くなったという連絡を入れた。

 警察を毛嫌いしている様子の信乃ちゃんには後で苦情を入れられるかもしれないが、ここまで大事になった以上は仕方が無いだろう。国家権力に庇護して貰えれば信乃ちゃんや桃香ちゃんの安全だって保障される。甘んじて受け入れてもらうしかない。


 電話を終えて一度院内に戻ると、看護師さんに呼び止められた。

 どうやら大怪我をしている信乃ちゃんと、怪我はないが精神的に衰弱している桃香ちゃんはそのまま入院することになるらしい。保護者と連絡を取れないかと聞かれた。残念ながらオレは二人の保護者は知らないので本人たちに聞いてほしいと伝えたのだが、二人とも保護者には連絡を入れたくないと頑なで、困っているとのことだ。


 困った。信乃ちゃんは分かるけど、桃香ちゃんにも何か複雑な事情がありそうだ。

 配慮はしてあげたいところだけど、さすがに保護者に連絡しないという選択肢は取れないだろうし……。うーん。悩んでいると看護師さんから妥協案を提示された。それは簡単に言えばオレが保証人になるということらしい。もしものときの入院費とか、身元の保証とか、そういうの。

 ……?

 ちょっと待って欲しい。


 最近までオレは、今生を前世とそれほど変わらないと思っていた。年号が若干違ったり、歴史上で起きた事件の年代に前後があったりと確かに微妙な違いはあったが、一般常識はそれほど変わっていない。そう思っていた。

 だけどこれって……なんか融通が利き過ぎと言うか……。それで許されるものなの?

 そういうものなんだろうか?

 それともこの病院が特別なだけ? 

 そもそもの話として、オレが知らなかっただけで前世でも実はこういうものだったんだろうか?


 だとしても、オレにそこまで身を切る義理はないんだけども……。

 見捨てるのは忍びないけど、さすがにそこまで面倒を見るのは……。

 悩む。

 東堂家の遺産と払われている保険金は莫大なので金銭的には困ってないしやろうと思えば何とかなる。だからと言ってオレは別に慈善家でも資産家でもない。ご飯を奢る程度ならたまになら良いけど、さすがに今回のは規模がでかすぎる。これを引き受けたとしたら、オレには金銭的なものだけでなく、社会的な責任まで大きく圧し掛かって来る。ただの大学生にはあまりに荷が重い。普通は在り得ない。オレは社会的に見れば責任の取り方なんてまだ知らない、いち大学生でしかないんだから。それを平然と病院側が提案するというのがちょっと信じがたいというのが正直なところだ。責任を全うできる自信があれば良いんだろうけど、そんな経験はない。もしもその責務を果たせなかった場合、オレだけでなく二人にもしわ寄せが行く。


 即決は出来ない。一度、二人と話をするべきだろう。

 そんな話をしていたとき、サイレンの音が聞こえてきた。オレの通報を受けて警察の人が到着したらしい。警察の人が病院内に入って来る。オレは手を上げて警察の人を呼ぶ。看護師さんが答えを急かしてくる。警察の人が近づいて来て事情聴取を求められた。看護師さんが答えを急かしてくる。

 ちょっと待って欲しい。オレは聖徳太子じゃない。


 とりあえず、一つずつ片付けて行こう。

 まず、警察の人にはオレの知る限りの情報を先に話し、連絡先を伝え、後日ちゃんとした事情聴取を受けるからと、申し訳ないが本日はお引き取りを願った。

 もともとさっきの再通報は最初の通報者としての義務と、信乃ちゃんたちの保護を願うための通報だった。話すことを話せばとりあえずオレからは用事は無い。あれからどうなったかという情報も気にはなるが、今のところ優先順位は高くない。

 オレのことは不満そうだがそれで引き下がってくれた刑事さんたちだったが、今度は信乃ちゃんたちへの事情聴取も求めた。しかし今、彼女たちには何よりも休養が必要だ。彼女らへの事情聴取は後日にして貰う。そこは絶対に譲らない。有難いことに、それについては看護師さんたちも同様の意見だったようで、刑事さんたちは不満そうだったが帰ってくれた。


 その後答えを急かしてくる看護師さんに、改めて彼女たちと少し話をしたい旨を伝えた。刑事さんたちを帰した手前罪悪感もあるが、これについては急用だ。この問題は今処理しないと、彼女たちが病院から放り出されそうな気配すら感じる。


 信乃ちゃんたちがいる病室に通された。

 包帯でぐるぐる巻きにされてベッドで横になっている痛々しい姿の信乃ちゃんと、その傍に置いたパイプ椅子に座る桃香ちゃんの姿が目に入って来る。

 信乃ちゃんは桃香ちゃんに黙って見つめられて困っている様子だったけど、オレの姿を見つけると嬉しそうに笑った。

 近づいて来るオレに少し身構えている桃香ちゃんから少し距離を取り、横になっている信乃ちゃんの足元で立ち止まる。桃香ちゃんに小さく手を上げて挨拶すると、強張った様子のまま小さく会釈をしてくれた。

 信乃ちゃんが言った。


「ライルさん! さっきは助かった!! マジありがとう!! ライルさんまぁじでカッコよかった!! 映画みてーだった!」


 映画みたいだったのは君もそう。元気そうだ。そんな信乃ちゃんを見て力が抜ける。

 オレは安堵の息を一つ吐き、苦笑しつつこう言った。


「見た目よりは大丈夫そう……なのかな?」


「おー! 元気元気!」


 信乃ちゃんが元気に言った。だけどオレは看護師さんから診察の結果を聞いている。左腕の骨折を始め、全身の打撲や裂傷。まあ元気ではない。


「看護師さんから聞いたよ。左腕、やっぱり折れてたんだね。痛いだろうに……そんなふうに無理して取り繕わなくて良いよ」


「あー……。もう聞いてた……?」


 信乃ちゃんが気まずそうに言った。


「うん。もう聞いてた。あのね、信乃ちゃん。オレは君に色々聞きたいことと言いたいことがある」


「……」


 信乃ちゃんが凄くバツが悪そうな表情で目を泳がせている。

 オレは小さくため息を吐いた。すると信乃ちゃんがびくりと震える。

 ああ、そうだった。昼も確かオレがため息を吐いたときそんな反応してたっけ。

 信乃ちゃんは今、オレが何を言うか気が気では無いんだろう。結果的にオレを巻き込んだことや黙って消えたことへの罪悪感。そしてオレから怒られたり失望されることへの恐怖。といったところか。


 まあ、オレはその辺は一切気にしてないんだけども、一つだけ言っておこう。


「信乃ちゃん」


「はい……」


 信乃ちゃんにはさっきまで半グレたちへ見せていた強気な態度は影も形もなく、殊勝な様子で縮こまる。あまりに大きすぎるギャップに内心でちょっと笑ってしまいそうになるが、それだけオレに対しては心を開いてくれているということだろう。有難いことに尊敬もしてくれているようで、だからこそ怒られると思って恐縮しているんだろう。


「……」


 急に視線を感じた。

 桃香ちゃんからだ。桃香ちゃんがオレの方を見ている。

 表情は前髪に隠れていて見えないが、なにか敵意のようなものを感じる。

 話の流れを考えれば、信乃ちゃんを恐縮させていることへの憤り。何を言おうとしているのかという興味、警戒。そんなところだろうか。

 桃香ちゃんはよほど信乃ちゃんが大切らしい。正直やり辛いが、居合わせた大人としての義務は果たすべきだろう。とはいえ、長話や説教をするつもりは今はない。刑事さんにも言ったように、彼女たちに今必要なのは心身を休ませることだ。オレはそう思っている。

 だからオレは安堵を滲ませた表情でこう言った。


「もう君とは会えないんじゃないかって、不安だった。凄く心配したんだ。また君と会えて良かった」


 それが本心だった。殺されたり、女性としての尊厳を踏みにじられたり、そんな悲惨な目に合う前に間に合って本当に良かったと思う。そしてその正否はともかく、たった一人で友人を守ろうとしていた姿は……。


「立派だった。よく頑張ったね」


 一瞬、ぽかんとオレを見ていた信乃ちゃんだったが、すぐにオレの言葉を咀嚼できたのか、くしゃりと表情を歪めた。


「おこんねーのかよ……?」


「それは君の話を聞いてからにするよ。場合によってはお説教も覚悟してね」


「へへ……。やっぱすげーな、ライルさんは……」


 信乃ちゃんはとても穏やかに笑った。信乃ちゃんの体から力が抜ける。まだ張り詰めていた心身の緊張が今、ようやく解れたようだった。


「……」


 一方で、未だにじっとオレを見ているのが桃香ちゃんだった。やっぱり敵意、警戒心を感じる。それだけじゃないけど、あまり好意的には見られていないようだ。

 信乃ちゃんはそんな桃香ちゃんの様子に気づいたのか訝し気にこう言った。


「桃香おめーも礼伝えろよ。ごめん、ライルさん。悪気はねぇんだ、こいつ。さっき喋ってたけど、ずっと口きけなくて」


「……」


 桃香ちゃんは縮こまって俯いた。


「大丈夫。さっき会釈してくれたし、気にしてないよ」


 オレは桃香ちゃんの方を向いて努めて穏やかな口調を意識して続けた。


「あんなことがあった後だし、男性に対して嫌悪や忌避感を抱くのも当然だと思う。これは信乃ちゃんに対してもそうだけど、無理をして欲しいとは思ってない。そうだね……もっと踏み込んで伝えるなら……。君たちはオレに対して頑張ろうとしなくて良い。怖かったと思う。嫌な思いもしたと思う。君たちはもう充分頑張った。本当によく頑張ったと思う。だから今はただゆっくりと休んで欲しい。オレは今、今夜のことが君たちの心に傷として残らないことだけを心から願ってる」


「……」


 桃香ちゃんは前髪越しに凝視してくる。

 雰囲気がちょっと緩んだ感じはした。


 しんみりとした空気になってしまった。


 信乃ちゃんは例の如く、分かりやすく感動しているから大丈夫そうだ。さすがに強い。記憶をいじられてすぐに奮起出来るだけはある。だけど、桃香ちゃんが分からないな。

 この子は内面に抱え込みそうな感じがするし、緘黙症を患っていたらしいことから、今夜のこと以外でも何か闇を抱えていそうだ。信乃ちゃんとは違う方向で危うい感じがする。


 しかもオレに対して何か蟠りを抱いている。信乃ちゃんのように分かりやすい表面的な攻撃性が無い分、オレにはそれを汲み取ることはできない。ただでさえ繊細な気遣いが必要になりそうなのに、今の状況ではゆっくりと歩み寄ることも難しい。今オレに出来ることは今言ったことを伝える以外には無いだろう。とりあえずやれることはやったと思う。

 

 うーん……。

 面倒くさい。

 あとは専門家に任せるべきなんだけど、今回の一件のこともあるし、これからも信乃ちゃんと関わる以上、この子との関わりも避けられるものではないだろうから、腹は括ったけども。


「休んで欲しいと言った手前申し訳ないんだけど、一つだけ、良いかな? 君たちの保護者……親について」


 二人の雰囲気が重々しいものになる。

 オレは事情の説明を始めた。


「オレは君たちの力になりたいと思っているけど、ただの大学生のオレにはそれにも限界もある。可能なら君たちの保護者に連絡を取りたいんだ。連絡先を教えて欲しい。もし君たちから事情を説明するのが苦痛なら、オレが間に入るよ。そのときは絶対に君たちの味方で居続けることを誓う」


「……分かった。ライルさんを信じる。意味ねーと思うけど……」


 不穏なことを言いつつ、信乃ちゃんが噂のやばい母親への連絡先を教えてくれた。

 桃香ちゃんは……悩んでいるようだ。とりあえず信乃ちゃんの方を片付けようと、オレは病室を出て電話を掛けた。


 ……。

 結論から言うと、クソだった。腹立たしいことこの上ない。

 信乃ちゃんのお母さんは興味が無い、そんな金は無いと宣った。電話口からは男の声が聞こえたし、時折信乃ちゃんのお母さんは「いやぁん」、と甘い声を零していて、勝手に通話を切られた。次に掛けたらもう出なかった。

 本気で腹立たしい。

 そら信乃ちゃんもグレる。むしろよくあの正義感と漢気を持ち合わせてくれていたと感心する。


 さて、病室に戻り、信乃ちゃんにはオブラートに顛末を伝えた。

 が、信乃ちゃんは言った。


「どーせ金無いとか興味ないとか言ってたんだろ? それと、男でも連れ込んでたんじゃねえ?」


 さすがに何とも言えなくて黙ってしまったオレだが、失敗だった。

 やっぱな、と信乃ちゃんは苛立たし気に、しかし少し寂しそうに呟いて溜息を吐いた。


 つらい……。


「桃香ちゃんはどうかな? 教えてくれる?」


 切り替えて桃香ちゃんに話しかけた。桃香ちゃんはまたオレを凝視している。少し痛々しさが戻ってしまったのは、オレの失敗のせいだろう。

 桃香ちゃんは答えてくれない。やはり喋ることが難しいようだ。

 オレは周囲を見渡した。

 近くの棚の上にあるメモとペンを見つける。それを手に取り、桃香ちゃんへと渡した。


「これならどうかな?」


 前髪越しにオレを凝視してくる桃香ちゃんの雰囲気が少し和らいだ気がした。

 桃香ちゃんは戸惑ったような雰囲気を見せた後、おずおずとペンとメモ帳を受け取り、さらさらと動かし始める。


「へえ……。きれいな字だな……」


 そして渡された紙に書かれている字を見て思わずつぶやいたオレに、桃香ちゃんはびくりと小さく跳ねた。小動物的な可愛いらしい所作だった。

 一方、オレの呟きに反応した信乃ちゃんがはしゃぐように言った。


「あ、それあたしも思っ!! いっつぅ……っ!」


 桃香ちゃんがオレに褒められたことを、信乃ちゃんは我がことのように喜んだ。そしてそれが傷に響いたようで悶絶している。

 うん、君は良い子だよ。本当に。

 桃香ちゃんは恥ずかしそうに縮こまった。小動物的な可愛らしい所作だった。背も小さく小柄だしなおさらそう思う。


 再び病室から出て、今度は桃香ちゃんの保護者へ連絡する。


 結論から言うと、クソだった。腹立たしいことこの上ない。

 桃香ちゃんの親が言った言葉は3つ。


 ①金は後で全額払うから保証人頼む。

 ②仕事忙しいから行けない。

 ③出来の悪い娘だという桃香ちゃんに向けられた愚痴。


 これだけだ。控えめに言ってクソである。さすがのオレも思わず天を仰いだ。

 そら桃香ちゃんも口を閉ざす。

 同時に一つ分かったことがある。桃香ちゃんは多分、信乃ちゃんに依存している。どういう関係なのかはまだ分からないけど、信乃ちゃんがオレに求めているモノに近いものを、桃香ちゃんは多分信乃ちゃんに求めてるんじゃないだろうか。信乃ちゃんとオレのやり取りに都度反応し、オレに敵意に近い何かを向けてくるところからそのように予想した。


 オレは思った。


 ……やべえ。めんどくせぇ。


 次から次にオレ自身に降りかかる異常事態とは別に、距離感に細心の注意を払う必要のある年頃の少女二人との関わり。

 少しキャパオーバーだ。せめて前者が無ければ良かったんだけど……。

 とはいえ、仕方がない。信乃ちゃん一人のときよりは狭まることは否めないが、出来る範囲で桃香ちゃんにも気を掛けることにしよう。桃香ちゃんの生活歴や事情を聞かないことにはどうしようもないけど、それはまた明日以降にせざるを得ないかな。

 不幸中の幸いと言うべきか、桃香ちゃんに関してはちゃんと保護者と連絡を取れている。信乃ちゃんに関してはもともとある程度の責任は取るつもりだった。


 ……引き受けよう。

 金銭にルーズでいるつもりはないけども、その辺りはすべてが落ち着いてから改めて話をすることにして……。


 病室へ戻る。桃香ちゃんに事情を説明したところ、「そうですか」というメモ書きを渡された。どうやら普段から桃香ちゃんの保護者はこんな感じらしい。

 動揺もせず達観している様子だ。保護者との関係を諦めているのか……それが逆につらい。


 重い空気が流れている病室に、くぅ、と可愛らしい音がした。

 信乃ちゃんだ。でも今度はオレも一緒に。

 そう言えば夕飯を食べようとしていたところだったんだ。腹が減るのも当然だった。

 良いタイミングだ。空気を変えようと思い、オレはそれを利用することにした。

 信乃ちゃんの方を向いて、オレは言った。


「信乃ちゃん、何か食べれそう?」


「腹は減ってるけど……。口いてぇ」


「そうだよねぇ。うーん、ゼリー系の食べ物とかはどう? ちゅーちゅーするやつ」


「あー、いけそうかも」


「よし。じゃあそれと……」


 オレはちょっと意地悪な感じの笑みを浮かべて続けた。


「アイス、だよね?」


「あ、えぅ……。お、おなしゃす……」


「よし、お願いされよう! 桃香ちゃんは何か欲しいものはある? 買ってくるよ」


 桃香ちゃんは戸惑っている様子だった。


「気にしないで良いよ。今は甘えてくれていい」


 オレの言葉を聞いて桃香ちゃんはまだ少し迷った様子を見せた後、おずおずとメモ帳に何かを書き始めた。


「信乃ちゃんとおなじのがいいです」

 

 メモ帳にはそう書かれていた。

 ……。ははーん。仲良しだねぇ。

 この子の場合はゼリー系のモノである必要も無いと思うけど、こだわりか……。オレの勝手な判断にはなるけど、食べられるならちゃんと食べた方が良い。桃香ちゃんにはおにぎりをいくつか買ってくることにする。


 病院の近くのコンビニに向かう。購買はもう閉じてしまっていた。

 途中、桃香ちゃんの保護者と連絡が付いたことと、信乃ちゃんに関してはオレが責任を取ることを病院側に伝えた。

 その後、何事もなく病室に帰還できた。

 夕飯を買いにコンビニに行った時のようなことは起きなかった。本当に良かった。


 蓋を外し、ゼリー飲料をベッド上でギャッチアップされている信乃ちゃんへ渡す。桃香ちゃんには桃香ちゃん用の食べ物が入った袋ごと渡した。

 信乃ちゃんは口の中が痛いのか、時折びくりびくりと跳ねながらも速やかにゼリー飲料を飲み干した。アイスが食べたいのだろう。

 だが、そこで信乃ちゃんは気づいた。

 片手は折れていて、動かすことが出来ない。信乃ちゃんは固いカップアイスを食べることが出来なかったのだ。

 信乃ちゃんの前に拵えられた可動式の簡易テーブルの上に置かれているアイスを、信乃ちゃんは呆然と見つめていた。

 信乃ちゃんは何かを考えるような様子を見せたかと思えば、なにやら急に頬を赤らめた。そしてじっとオレを見つめて来る。まあ、顔にもガーゼを貼られまくっているので頬の剥き出し部分は少ないが。


「ライルさん……その……」


 何を言わんとしているかは分かる。食べさせて欲しい、と言うことだろう。全然構わない。今日この子は頑張ったから、それくらいのサービスはあって良いだろう。

 オレがアイスに手を伸ばそうとしたとき、桃香ちゃんが動いた。

 桃香ちゃんは速やかにアイスと包装された木のスプーンを手に取り、速やかにアイスの蓋を開け、片手のワンアクションで木の匙を袋から引き抜いた。

 そして流れるような動きでアイスを掬い、信乃ちゃんの口元に差し出した。アイスが乗った木の匙は信乃ちゃんの口元でぴたり、と止まる。


 これに困惑するのが信乃ちゃんだ。

 桃香ちゃんとオレ、そしてアイスの間で視線がふらふらと動いている。

 桃香ちゃんはアイスを差し出したままの体勢で微動だにしない。


 凄い圧だ。


 やがて観念したのか、アイスへの欲求が勝ったのか、信乃ちゃんはアイスをパクリと口に含んだ。その瞬間、信乃ちゃんの表情がほんにゃりと緩む。アイスが傷に染みる痛みを超越した幸福感を味わっているようだ。

 そして、桃香ちゃんは既に二口目を準備していた。


 早い。

 オレは紙パックのリンゴジュースをストローで飲みながらそう思った。

 簡単な食事を終えて、やることもやったしと、オレは立ち上がった。


「さて、オレはそろそろ帰るよ。また明日、面会時間になったら来るね」


「えー!? 泊まってけばいいじゃん!! 添い寝添い寝!」


「そうはいかないって。ちゃんとまた明日来るから。我がまま言わない」


「ちぇー!」


 駄々っ子というかなんというか。信乃ちゃんはオレに対してはもう完全に気を抜いているようだ。ヤンキーモノ主人公が、昔から可愛がって貰っていたバイク屋を営むOBに構って貰っているとき、みたいな雰囲気である。

 添い寝というワードに関しては昼の一件があるからオレとしてはどうなんだろうと思うが、信乃ちゃん的にはジョークなんだろう。開き直っているとも言う。


「改めて二人とも今日はお疲れ様。ゆっくり休んでね」


 オレも疲れたのでゆっくり休みたい。

 昼寝しておいて良かったと心の底から思う。


 二人に挨拶をして病室を出ようとしたとき、信乃ちゃんがオレを呼び止めたので足を止める。

 振り返ると、信乃ちゃんはもじもじとしていた。脳裏に廃工場での信乃ちゃんの姿が過る。やっぱりギャップが凄い。


「どうしたの?」


 内心を隠して言うオレに、信乃ちゃんは意を決した様子でこう言った。


「すぅー……。あのさぁ! そのぉ……ライル君、って呼んでい?」


「……。良いよ」


 ぱあ、と信乃ちゃんの表情が明るくなると同時に、首だけオレの方へ向けている桃香ちゃんの雰囲気が重々しく険しいものに変貌する。せっかくちょっと仲良くなれた気がしたのに……。

 オレは気づいている。

 桃香ちゃんの信乃ちゃんに向けられている矢印の重さに。


 だからといって信乃ちゃんのお願いを断れば、信乃ちゃんは傷付くだろう。さんが君になるくらいのお願いくらいは聞いてあげたかった。

 ヤンキー系のジャンルだと、目上、格上と感じていて、かつ親しみを持っている場合、「さん」より「君」の方が用いられる傾向がある。可愛がってもらっている一つ上の先輩とか、喧嘩が強かったりなどの理由でヒエラルキーが上の同級生が、分かりやすい使用例だろう。あるいは舎弟系のモブが主人公に使っていたりする。

 要は信乃ちゃんは完全にオレを『上』だと認識した上で強く親しみを感じてくれている、ということだろう。上下関係を厳しくするつもりはないけど、うまくそういう距離感の方に持っていけると互いにとっても良いと思う。


 幸せそうに手を振ってくる信乃ちゃんに手を振り返し、桃香ちゃんにも手を振ってから、改めて病室から出た。

 しかしやはり出費が大きくなりそうだ。出世払いにしても、あまり東堂家の遺産におんぶにだっこはオレとしても好い気はしない。

 だからオレは思った。

  

 ―――そうだ。バイト探そう。

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