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漢(ヤンキー少女)

 コンビニで二人分の弁当とアイスを買って帰路に就く途中、オレは気が気では無かった。不審者扱いされそうなので露骨に挙動不審な態度は見せず普通にしていたが、内心ではどきどきで歩いていた。また何か起きるのではないか、と。

 歩きながら考える。


 一体、さっきのは何だったんだろう。

 彩乃さんはUMA相手に苦戦していたと思ったけど、最後には一刀両断で格好よく勝利していた。直後に消えてしまったので確信は無いんだけど、それに違和感を感じている様子は無かったように思う。あの空の割れ目も思わせぶりに現れたと思ったら勝手に消えたし、意味が分からない。


 オレに何かあるとして、なんだろう。

 ぱっと思いつくもので可能性が高そうなのは、やはり『異能の無効』だろう。

 葵さんや恐らくは明日香さん達が使っていたと思われる『記憶操作』の無効、信乃ちゃんの未来予知からの欠落、彩乃さんの言う結界のすり抜け。彩乃さんに関しては、多分あの言動からすると『魅了』もオレは弾いていたっぽい。もしかしてたけど雅さんの最初の言葉からして、あの人やあの場所にも結界的な何かがあったのかもしれない。そういうのを全部弾いたり無効化するような力が、オレが持っている力の正体か? 

 でも、世紀末大事故のような明らかな物理現象も無害で終わってるんだよなぁ。正直、龍だの超人だのよりもアレの方がよっぽど分かりづらい。たださっきのUMAの挙動からして、トラックとか飛行機とかがあのUMAと似た何かなんだろうということは想像がつく。アレも偶然じゃなくて、何か超常的なモノが意図的に起こしたことだったとか? 

 今にして思えば、最後の方は結構露骨だったし、在り得る。


 まあでも、いかんせんちょっと多すぎるんだよ……。ジャンルがカオス過ぎる。確かに世の中色々なことがあって、例えば日本では当たり前のことだったり在り得ないことが、外国ではその逆ってこともあるだろう。海外旅行どころか国内旅行すら満足にしたことのないオレの世界は、きっとオレが思う以上に狭いものなんだろうなとは漠然とだけど思う。

 例えば戦争なんかはオレにとっては歴史の話だけど、実際最中にある国だってある。その辺の自動販売機の下に転がっているような、どこかの誰かが「まあいいか」と捨て置いたような額の金銭を巡って殺人が起こる地域だって世界のどこかにはあるだろう。


 異能に限った話でもなく、世の中にはオレの知らないことはたくさんある。今回目の当たりにしまくっている非常識も、実は今までオレが知らなかったり視えていなかったというだけで、実は知る人ぞ知る真実だったということなんだろう。それを言えば、前世の記憶を持っているオレの存在だって、そうじゃない人からすれば十分に非常識な存在だろうし。


 そう考えると、ちょっと気持ちが楽になる。やっぱり世の中にはオレの知らないことがたくさんあるんだなぁと、あまり深く考えず、そのまま受け入れるのが精神的にも良さそうだ。適応して来たというか慣れてきたというか、感覚が麻痺して来たというか……。

 変化していく自分に苦笑してしまうけど、悪い気もしない。やはり信乃ちゃんには感謝しなければ。


 歩く途中、オレは一人細かく首肯を繰り返す。

 オレは一連の件を『交通事故や強盗に襲われるといったような、低確率だけど在りえなくはない潜在的な脅威』が増えたという認識で落ち着けた。警戒するに越したことは無いが、しすぎても生活に支障が出る。普通に生活していく分には問題ないと考えよう。


 ただ気になるのは、『秘密組織』のようなものが存在しているのかいないのかだ。

 創作ではよくある話だ。政府公認だったり、政府は非公認だけど存在は認知している裏の治安維持機関とか。逆に政府に勘付かれないように、異能を使って不正に利益を享受している犯罪組織とか。その辺はどうなんだろう。

 信乃ちゃんは他にそういう異能を持っている人と会ったことが無いようなことを言っていた。あんな大規模な戦いをしていた彩乃さんなら詳しそうな感じはするけど、離れちゃったからなぁ。また会えると良いけど、どうかな。

 そうだ。葵さん。彼女、それっぽい感じ。

 するよね。

 今度茶々ちゃんに会えたらその辺も聞いてみようか。

 あの子、体全体で秘密を知られたくないアピールしてたから心苦しいけど、この件に関してはオレだけの問題じゃないし。


「いやぁでも今日一日で凄い経験しちゃったよなぁ……」


 夜空を見上げて呟いた。

 良いか悪いかは別にしても、得難い体験だったことは間違いない。


「ただ、ほんとに……。もうちょっと早く来てくれてばなぁ」


 オレはもう成人した。

 まだ大学生の身で社会人になったわけではないけど、もう子供でもない。

 少年漫画の主人公のような未知を夢中で追いかけるような若く輝かしい熱は冷め、ようやく身についてきた一般的な社会常識から自らはみ出すような無鉄砲さも無い。別に代わり映えの無い日々に嘆いているわけでもない、あまり劇的な変化を好まず、普通で素朴な生活を送ることを幸福とする、普通の大学生なのだ。……少なくとも感性は。


 ……。しかしうるさいな。

 というのも、また大通りをバイクの集団が騒音を立てて走っているからだ。

 最近は静かだったが、また懲りもせず暴走ならぬ珍走を始めたらしい。迷惑な話である。


 さて、家に着いた。

 茶都山家は未だ暗く、誰も帰って来ていないようだ。

 玄関を開け、家に入る。


「ただいま」


 自然とそう口にしていた。

 行きに信乃ちゃんに言われた言葉は、オレが思う以上にオレにとって大きかったようだ。

 無意識にオレは返事を期待していた。


 だが、返事はない。 

 がさがさとナイロンの音を鳴らしながら廊下を歩く。

 トイレか? いや、トイレの電気は点いていない。

 眠ってしまったのだろうか。

 テレビの音が聞こえる。


 リビングに入ると、電源が入ったテレビはそのままに、人の姿は無かった。


 ……。

 いやな予感がするねぇ……。


「信乃ちゃん……?」


 返事はない。

 弁当の入った袋を台所の上に置いて、ソファへと向かう。

 テーブルの上に紙が一枚置かれていた。こう言っては何だが、あまり綺麗とは言い難い字だった。


 手紙を手に取り、文字をなぞる。


 ―――ごめん。


「信乃ちゃん……」


 書かれていたのはそれだけだった。

 困り果てたオレは、自分の額をわし掴むようにして擦る。

 目を細めて考える。


 あの子は泊まることに乗り気だったし、この後の約束に期待もしていた。それがこんな置手紙を残して姿を消すなんて、明らかになにかトラブルだ。

 家が荒らされた様子はない。何者かが押し入って来て攫われたとか、そういうことではないだろう。


「なんだ? 何が起きたんだ……?」


 考える。

 信乃ちゃんはオレに好意を持ってくれていたし、オレだって信乃ちゃんには好感を持っていた。短い関わりだが関係は良好で、お互いにとってそれなりに心地良いものだったはずだ。嫌になって出て行ったとは考えにくい。オレが家を出た後で、オレと信乃ちゃんの関係性以外の理由で、すぐにこの家を出なければならないような理由が信乃ちゃんに出来たと考えるのが自然か。

 そしてオレの帰りを待てないほどの急ぎの用事。だけど置手紙を残せるくらいの猶予はある。そしてその手紙には信乃ちゃんがこの家を出ていく理由は書いていない。書かなかった……。それとも書けなかったか……。

 未来予知が関係しているかもしれない。何かオレに不利益が生じるような未来が視えたとか。いや、信乃ちゃんは自身の未来予知では何故かオレを認識できない、というようなことを言っていた。だとすれば、もっと物理的な理由。


 ……なんか推理サスペンスみたいになってきたな。

 

 なんて考えている場合じゃない。

 とても心配だ。

 あの子は取り巻いている事情が事情だから、楽観視はするべきではない。というか、オレはもうオレの周りで起きる事象に対して大丈夫だろうという自信が無い。多分、なんかある。


 いっそ警察に連絡するか?

 だけどどう説明すればいい?

 会ったばかりの女の子が手紙だけ置いて家から消えました、なんて警察は取り合ってくれないだろう。


 穴が空くほど手紙を見ても新しい情報は出てこない。


 この家に誰かが来たわけではなく、自主的に信乃ちゃんが出て行ったと考えれば……。

 呼び出されたと考えるのが自然だろう。


 固定電話を見る。履歴には何もない。集会に顔を出したせいで信乃ちゃんの情報が洩れ、この家に攫いに来たとか、コンタクトを取って来たとかいうわけではない……か……。可能性は消しきれないけど。

 信乃ちゃんの携帯に直接連絡が来たとか。誰が? そもそもそんな簡単に、のこのこと呼び出されるものなのか?

 でもなぁ、あの子の場合、めちゃくちゃ煽られたら行きそうな感じはする、確かに。うーん……。


 いやこの際もうどうやってとか、誰がとかはいい。5W1Hのアレだ。アレ。そう。ホワイダニット。

 なんで家を出て行ったのか。逆に、なんで出て行かなきゃいけなかったのか。

 あの子が行かざるを得ないような状況ってなんだろう。

 スケバン風の子。葵さんへの態度からして、割と正義感が強い。最初にオレが抱いた、昭和のヤンキー物っていう印象……。

 そういうのでよくある様な展開……。一人でどこかに行く、呼び出される……。


 そこでオレは閃いた。

  

 友達が攫われたとかか?


 うわ。在り得そう。

 信乃ちゃんが今までどうやって生活していたのか。

 相棒の家に居候してたとか、友達の家を渡り歩いてたとか。そして、その人が人質に取られてしまった。それか、ぼこぼこにされたとか。

 そして信乃ちゃんはそのことを何らかの手段で知り、オレ宛てに簡単な手紙だけ置いて出て行った。理由を書かなかったのはオレを巻き込まないため、とか。


 そう仮定して、どこに行った?

 どこに呼び出された?

 定番は港、工場跡。他に何がある? 廃ビルとかの廃墟。人気の無い大きめの公園。でも彼女の場合、敵対者に半グレだけじゃなくてヤクザ崩れも混ざってる。どこかの組事務所とかの可能性もある。


 いや……。待てよ。

 アレか。さっき、久しぶりに暴走族が走ってた。きっと無関係じゃない。

 確かあっちの方には廃棄された工場があったな。


 そして、オレは思った。


 ―――よし。警察呼ぼう。


 もし信乃ちゃんがいなくなった理由が全然違うものだったら誠心誠意謝ろう。ゴミ拾いとかの警察署関係のボランティアをして償おう。


 オレは家を飛び出した。

 通りに出てタクシーを拾い、廃工場の方へと向かって貰う。その途中に携帯で110番し、状況を説明。救援をお願いする。

 廃工場へ向かう裏道に入る門に差し掛かった時、タクシーが止まった。見るからに暴走族といった見た目の男二人が道の真ん中にバイクを止め、道を封鎖していた。


 困ったタクシー運転手が「どうします?」と聞いてきた。


 オレは言いたかった。


 ―――関係ない。行け。


 いや、さすがに言えない。一度退き返して貰い、離れた場所で降りる。

 さてどうするか。

 

「ねえ、さっき金髪の女の子、あっち行ってたよね?」


「ああ……。なんか暴走族が集まってるみたいだし、大丈夫かな?」


 嘘でしょ。


 オレのすぐそばを、廃工場がある方向を見ながらカップルが通り過ぎて行った。

 オレは思わず呆れが混ざった笑いを零してしまった。


「間違いないみたいだな……」


 警察を待つのが無難だろうけど、ちゃんと来てくれるかな?

 なんか色々あって遅れたりしないかな?

 そもそも今どういう状況なんだろう。

 信乃ちゃんが家から出て行ったのはオレが帰って来るまでの間だから、信乃ちゃんがここに来ただろう時間と今にそこまでズレは無いと思うけど……。


 どうする……?

 正面突破は無理だろう。本当にあるかどうかも分からなければ、仮にあってもどういうものなのかすらも分からないオレの何かに頼るのは不安が過ぎる。勇んで行ってボコボコに殴られて信乃ちゃんに対する人質にされるのはマズい。

 忍び込むかぁ……。


 この辺の地理は知っている。暴走族が封鎖していた道を通らず工場敷地内に入るには、いくつかの家を経由すれば行ける。この辺は一軒家が多く、廃工場と隣り合う一軒家があった。

 オレは近場の家のチャイムを鳴らした。少しして家主が出て来る。今日の集会にはいなかったが、先日のパトロールには参加していた人だった。


「おや、雷留君じゃないか。どうしたんだい? よく私の家を知ってたねぇ」


「こんばんは。食事どきに申し訳ありません。この度は個人的に訪ねたわけではないんですけども……実はちょっと込み入った事情がありまして、お宅のお庭を通らせて貰いたいんです」


「え、庭を? まあ、別に良いけど……」


 良いのか……。


「それと図々しいのですが、お隣さん家の電話番号を教えていただきたいんです」


「隣の? どうして?」


「お庭を通らせていただきたくて」


「……ええ? お隣の庭も!? どうしたの?」


「実は廃工場に入りたいんですけど、チンピラが道を塞いでまして」


「ああ……。確かになんか集まってるねぇ。うるさくてかなわんよ……。だが何故そんなところに?」


「実は知人が廃工場にいるようなんですが、どうやらチンピラと揉めているようで」


「ほう……。それは……。警察には?」


「もう通報しています。ただ、来るまでの間に何があるか分かりません。傍にいてあげたいんです」


「……もしかして女の子かい?」


「そうです」


「……なるほど。なるほど。分かった。良いよ。お隣さんには私から連絡しておこう」


「ありがとうございます。本当に助かります」


 家主に深々と頭を下げて感謝を伝えたあと庭を進む。昇るのに苦戦していると家主が脚立を用意してくれたので有難く使わせて貰い、お隣の庭に降り立った。するとお隣さんが脚立を持って庭に出て来てくれた。どうやら最初の家の家主が廃工場に続く家々に電話を掛けてくれているらしく、「事情は聴いた」と協力してくれた。


 そうやってオレはスムーズに道路を使わない道なき道を進み、廃工場の裏手へと辿り着く。金網で区切られた先に入りたいが……。

 暗闇に目を凝らす。実は先ほどここに来るまでの間に、この辺の金網が破損しており、子供が通れるくらいの穴が空いていることを聞いていた。近所の小僧たちがそこから入り込んで探検をしているらしく、近いうちに塞ぐ予定だったそうだ。

 あった。オレは這いつくばり、匍匐前進でその穴から敷地内へと入り込んだ。


 遠くに明かりが見える。倉庫のような場所に人影が集まっているようだ。

 物陰に隠れながら進む。


「なんだ……?」


 オレの気配に気づいたのか、男の声が聞こえた。

 オレは物陰に隠れたが、足音が近づいて来る。

 どうする?

 周囲を見渡す。近くに転がっている段ボールに気づいたオレはそれを被り、身を潜めた。


「……気のせいか」


 男の足音が遠ざかっていく。オレは思った。


 ―――ステルスアクションかな?


 信乃ちゃん、君はちょっとジャンル属性盛り過ぎ。


「……無事で居てね」


 オレは段ボールから出て、再び倉庫へと近づいて行く。

 ゆっくりとだったが、かなり近づくことが出来た。

 オレは倉庫から少し離れた場所に止められた高そうな車の陰に身を潜め、倉庫の方を覗き見た。


 いた。

 信乃ちゃんだ。

 大勢の男に囲まれている。

 タンクトップに、ダメージジーンズ。今日の昼過ぎに会った時の姿だ。パーカーは見なかったが、置いてきたんだろうか。

 信乃ちゃんは肩で息をしている。立っているのが辛いのか項垂れ気味だ。しかし鋭い視線で周りの男達を睨みつけている。

 遠目で分かりづらいが、信乃ちゃんの目の周りは赤く腫れ、鼻血も流しているようだ。頬も腫れあがっている。信乃ちゃんが鉄パイプのようなものを握った片腕を持ち上げ、その手の甲で口元を拭った。口も切れているのだろう。多分、拭ったのは口から垂れて来た血だ。そして口元を拭った方とは反対側の信乃ちゃんの腕。赤黒く腫れている。だらんとぶら下がっているのは折れているからだろうか。酷い。


 信乃ちゃんの周りを見る。特攻服を着た男達が何人も転がっていた。鉄パイプや木刀も転がっている。信乃ちゃんが倒したのだろうか。凄い。


 信乃ちゃんがよろめいた。そんな信乃ちゃんを支えたのは、信乃ちゃんの後ろにいた見知らぬ女の子だった。長い前髪で顔は見えない。地味目な子だ。

 信乃ちゃんは後ろの女の子に支えられながら、たたらを踏んで持ちこたえた。そして女の子を庇うようにその子の前に移動する。

 そして信乃ちゃんは言った。


「こいつぁ関係ねーだろォが!! ど汚ねぇ真似しやがってクソが! それでも金玉ついてんのかてめーら!? おら、てめーだよ! そこのクソチビ! あたしより背低い短小が光モンちらつかせていきってんじゃねーぞ恥さらしが!!」


「んだァッ!? てめぇっ!!」


 暴走族らしい背の低い男が一人反応し、持っていたナイフを振りかぶって信乃ちゃんに襲い掛かった。

 信乃ちゃんは男が振るったナイフを片腕で持った自身の鉄パイプで弾き、その腹に横なぎに一発叩き込み、呻きながら腹を抑えて前のめりになった男の頭に鉄パイプを振り下ろした。


 ―――!?!?


 鈍い音を立てて、男はその場に崩れ落ちる。

 死んだ……? 

 それは別に良いけど、信乃ちゃんが殺人犯に……。いや、これは明らかに正当防衛か……。

 というかすげぇな信乃ちゃん……。


 さらに今の男に続いて襲い掛かって来た男たちを片手の鉄パイプだけで信乃ちゃんが捌き切った時、小さく火薬音が響いた。

 まだやられていない信乃ちゃんを囲む男数人と、信乃ちゃんの動きが止まる。

 緊張が場を支配し、一瞬無音になった。

 そんな中、スーツを着た男が一人前に出た。何かを持ったまま器用に拍手をしている。


「素晴らしいねぇ。君のような女の子が居るとは」


「……」


 信乃ちゃんは荒い息のまま、男を睨みつけている。


「君が玉を潰した男は一応、うちの盃を受けていてね」


「それでその返し(・・)が、コレか? ちったァ情けねーとか思わねぇのかよ?! ああ!? 関係ねぇこいつまで巻き込みやがってよォ……ッ!! 挙句の果てにゃァ、ガキ一人にチャカまで持ち出しやがって……ッ! 」


 さっきの小さな破裂音。それはサイレンサーの付けられた拳銃から発せられたものだった。

 信乃ちゃんの足元には小さな穴が空いている。銃痕だ。


 やばいってこれ。むちゃくちゃじゃねーか。


「俺としても気は乗らないが……俺達にもメンツってのがあってね」


「はっ! メンツだァ!? あたしのしょんべんでも引っかけてやるよ!? 数で囲むしか能のねぇチンピラ!! チャカ持ち出すカス!! てめぇらみてぇのがメンツなんざ語ってんじゃねぇよ!! 女一人にやられるような玉無しに代紋くれてやるなんざてめぇも大したことねぇんだろうな!!」


「威勢がいいねぇ……。ま、その通りだよ。金払いが良かったとは言え、アレに盃を分けたのは確かに失敗だった。汚点だよ。ま、綺麗にしたけどね」


 信乃ちゃんの表情が険しいものに変わった。

 

「殺したってことかよ?」


「とんでもない」


 男は笑った。


「アレは海水浴を楽しんでいるよ」


「クズが」


 信乃ちゃんの罵りを無視し、男が続けた。


「君も不運なことだ。憐れなものだよ。少し調べさせてもらった。愚かな女を母に持つ可哀そうな女の子だ。見目は良いし、なんならうちで使ってやっても良かった。きっと良い値で売れただろうに、今じゃ見る影もない。そして、もう二度と元に戻ることも無い。これからそう(・・)なる。残念だよ」


 男は半笑いで残念そうに首を振った。


「やってみろや。そのまえにてめぇの金玉潰してやる」


「おぉ……いいねぇ……!」


 男はぶるりと身震いして、楽しそうに笑う。


「その威勢、震えるねぇ……。どうだ? 俺が飼ってやってもいい。全裸になってそこに這いつくばれよ? 赦しを請え。なァ?」


「はっ、んなもん、死んだほうがましだ」


「俄然、君をモノにしたくなってきた。迷うなぁ」


 ぺっ、と血の混じった唾を吐き捨てた信乃ちゃんに、男は再び身震いをした。


 きもいって……。

 状況は分かったけど、警察はまだ来ない。どうすべきか……。


 考えていると、信乃ちゃんの後ろにいた女の子が震えながら信乃ちゃんのタンクトップの裾を握った。


「桃香……ごめんな。巻き込んじまって。こんなつもりじゃなかった」


「……」


 桃香と呼ばれた女の子は声も出せないほどの恐怖に震え続けている。


「おい、てめぇら。こいつは……関係ねぇ」


「それで?」


 男が言った。


「解放しろ」


「してください、だろぉ?」


「……っ! てめぇらの狙いはあたしだろぉが!! もうこいつはいいじゃねぇか! ああ!?」


「健気と言うか……分かってないねぇ。信乃ちゃん? 怖い顔して怒鳴って無駄無駄。君がそういうことを言うほど、その子は関係ある、ってことになるんだよね」

 

 信乃ちゃんは苦々し気な表情で言った。多分、意味がないことはもう分っているだろう。でも言わずには居られなかったんだと思う。


「こんなオンナは知ら―――」


「だめぇ……!」 


 信乃ちゃんの声を遮ったのは、桃香という女の子だった。

 

 信乃ちゃんは!?!?と驚いたように振り返り、言った。


「お前、声……!?」


 信乃ちゃんの反応的に、もしかして桃香ちゃんは、何らかの理由で喋ることが出来ない子だったのか。

 桃香ちゃんは信乃ちゃんの背にそっと震える体を寄せると、信乃ちゃんに何かを囁いたようだった。

 信乃ちゃんは悲痛に表情を歪ませた。

 何を言われたんだろう。


「信乃ちゃんさァ。その子助けたいんだよねぇ? だったら、分かるよね? どうすればいいか、さ?」


 したり顔で言った男を、信乃ちゃんは凄まじい表情で睨みつける。睨みで殺せそうな表情だ。

 信乃ちゃんは鉄パイプを放ると片手で自分のタンクトップに手を掛ける。


 まだ警察は来ないのか。

 仕方ない。なるようになる。飛び出そうとしたオレの目に飛び込んできたのは、さっき信乃ちゃんが鉄パイプで弾き飛ばしたナイフを拾い、男の方に走り出した桃香ちゃんの姿だった。


「ば、なにやってんだ桃香ァ!!」


 桃香ちゃんの足は遅い。

 男は手に持っている拳銃を桃香ちゃんに向けた。その銃口は斜め下を向いている。脚を狙ってるんだろう。


「分かんないかなァ? 遊びじゃあないんだよねぇ、これ」


 男が引き金にかけた指を動かそうとしたとき、一気に場がざわついた。

 信乃ちゃんは落とした鉄パイプを拾い、桃香ちゃんの後を追いかける。

 信乃ちゃんの周りを囲んでいた男たちは別の方を見た。


 エンジン音。闇を照らすライト。劈くクラクション。

 そう。男たちが慌てた様子で見ているのは勝手に拝借した高そうな車を爆速で走らせているオレだった。


「な、なんだぁ!?」


 男が銃口を車の運転席にいるオレに向ける。

 桃香ちゃんはオレの登場に驚いて足を止めており、すぐに追いついた信乃ちゃんに後ろからお腹に手を回される形で抱き寄せられ、引き戻された。


 そして男がオレに向け引き金を引いた。

 火薬の弾ける音がする。

 戸惑い無さすぎぃ!!


「ぐああああああああああああああ!!」


 叫び声が響いた。

 だけど、それは身を屈めているオレのじゃない。スーツの男から発せられたものだ。

 拳銃の引き金は引かれ、そして暴発した。男の手がはじけ飛び、血しぶきが舞った。


 手を押さえて蹲った男の前でオレは車を急カーブさせ急停止、運転席の窓を開けて叫んだ。


「乗って!!」


 オレの声を聞き、そしてオレの顔を見て、信乃ちゃんは目を丸くした。


「な、なんで……っ」


「はやく!! 助けに来た!!」


 オレがそう言った次の瞬間、信乃ちゃんはは泣きそうに表情を歪め、そして堪えるように下唇を噛む。


「桃香乗れ! 味方だ!!」


 信乃ちゃんは叫びながら桃香ちゃんを車の後部座席に押し込み、自身もまた飛び乗って来る。

 オレはアクセルを吹かし、爆速でその場から走り出す。金網を突き破り工場の外に出たとき、パトカーのサイレンの音が聞こえてきたのが分かった。おせーよばかがよ。来てくれてありがとう。


「大変だったね、本当に。とりあえず、もう大丈夫」


 バックミラー越しに後部座席の二人に笑い掛けるが、信乃ちゃんはまだ状況を呑み込めていないようで張り詰めた表情をしているし、桃香ちゃんは怯えた様子で信乃ちゃんに引っ付いている。

 だからオレはこう言った。


「いや……。大丈夫じゃないかも」


 二人に緊張が走る。

 オレは少しおどけたように続けた。


「オレ、ペーパードライバーなんだ。教習所ぶりなんだよね、運転」


 泣きそうな笑みを浮かべた信乃ちゃんは言った。


「ライルさんってやっぱKYだよ……」


 はあ……、と信乃ちゃんはため息を吐くと、車の背もたれに力なくもたれかかった。

 信乃ちゃんの雰囲気が和らいだことで危機を脱した実感が湧いたのだろう。桃香ちゃんが嗚咽を漏らし始め、そんな桃香ちゃんを信乃ちゃんはそっと抱き寄せた。

 折れてる方の腕で。

 オレは思った。


 ―――漢だ……。


 夜を走る。

 向かう先は、病院だ。

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