10 そんなことを知るはずがない
「いいえ、死んでまで守る誇りなんてないわね。一方的には聞けないと言っているの。東国から手を引いてもいい。けれど、それには取り引きが必要よ」
「へえ」
思わずエイルは感心した。この女は知ってか知らずか、エイルがかけた呪いの網をすり抜けた。彼らを害さず東国にも手を出さなければ、それ以外の方法で利益を得ようとすることに対して先の呪いは発動しない。
「何を感心してるんだ」
シーヴが苦々しく言う。
「図太いな。伊達に長はやってない訳だ。だが俺はどんな取り引きもしない。むしろ、賠償を要求したいくらいでね」
「金の問題ならば、出しましょう」
「へえ」
今度はシーヴがそう言った。だが、エイルの呟きとは違い、明らかに気がない。
「賠償ってのは言葉の綾さ。俺はお前らをとっちめたくてきたんだ。ハレサが金で片を付けたんだとしても、俺はそれでは、済まさない」
「そう。それならば何を望むの? 私の首?」
「首がすげ変わるだけならば、切り落としても仕方がない」
「判っているのね。そうよ、私を殺せば多少は混乱が起きるかもしれない。けれど、少しすれば後を継ぐ者が出るだけだわ」
「それで?」
シーヴは鼻を鳴らした。
「俺が否と言えば、また東に進出か? うちの魔術師の術を忘れた訳じゃないよな?」
「うちの」扱いは気に入らなかったが、エイルは今度はシーヴに感心した。
「巧いな。いつの間にそう言う魔術的な言葉の編み方、覚えたんだ」
相手が口にしなかったことをはっきりさせて「呪い」の位置を明確にする。本来ならば呪いをかけた魔術師がやらなければならないことである。
「何も知らなかったことに少しばかり反省をして、少しばかり学んだ」
王子は大したことではないと言うように手を振った。
「お前に選択肢はないんだ、ダナラーン。おとなしくするか壊滅するか、なら選べるが」
「東に手は出さないと言っているでしょう」
長は繰り返した。
「私が望むのは、首飾りの返還よ」
「何だって?」
すっかり「東国」のことばかり考えていたシーヴは、一瞬本気で、何の話だか判らなかったようだった。もちろん当事者であるエイル──いまの話は偽物についてだから、ややこしいことに、正確には「当事者」ではないが──には判る。
「あれには、既に幾つか売り先の候補があるの」
「幾つか、ね」
いったい幾つ売るつもりだか、と思いながらエイルは言った。
「それならいくらでもまた作れよ。お得意だろ」
「残念ながら『いくらでも』とはいかないわ。予算がかかるもの」
「今度はそちらが賠償請求という訳か?」
話についてきたシーヴが乾いた笑いを浮かべれば、ダナラーンは首を振った。
「そうじゃないわ。あれは唯一のものなのだから、どことも知れぬ場所をうろついてもらっては困るのよ」
成程、とエイルは思った。どこかの王宮に売りつけたあと、何かで同じ場所に同じものが出回っては確かに困るだろう。
「お前たちが困ろうと、知ったことじゃない」
「あなたは〈紫檀〉の独立を奪い、計画も破綻させようとしている。どちらも償わずに東から手を引け、というのは勝手な言い分ね」
それこそ一方的な言い分というものだが、そんな道理を説いてもはじまらない。そんなことは判って言っているに違いないからだ。
「あなたは昨日の従者くんに首飾りを与え、どこに行かせたのかしら」
「言ったろ。臨時雇いだ。行き先なんざ知るか」
シーヴは笑った。
「仮に知ってたところで、俺が話してやらなきゃならない理由はないようだが」
女は取り引きと言うが、シーヴとしては東を守れればそれでいい。取り引きに応じる必要はないのだ。いまや優位なのはこちらである。女がエイルのかけた「呪い」に屈するのなら、彼らの用事はそこで終わりだ。
「言ってもらうわ」
だがダナラーンは引かなかった。
「どうやって?」
彼女の脅しは効かない。利益の方も。ならば、どうやって取引材料を用意するのか。
「首飾りを取り返してくれば、神への誓いでも何でもやりましょう? 偽物屋の誓いなど信用ならないというのなら、誓約書を用意してもいいわ」
偽物屋の文書だって相当に信用ならないと思うが、その台詞はシーヴに考えさせる力があった。と言うのは、彼が欲するのはそれだからだ。明確なる約束。
「呪い」で脅しつけただけでは、いずれ「魔術師に呪われた」という衝撃が去れば同じことに手を出すかもしれない。そのときに〈紫檀〉が本当に壊滅するかは判らない。エイルの魔力で可能なだけの呪いにすぎないのだ。「返る」ものと同程度、せいぜい被害総額は十ラル、くらいの話に終わるかもしれない。正直、術者としては情けないながら、エイルはそんな気がしていた。
「行き先は知らない」
だが、シーヴは応とは言わず、先の言葉を繰り返した。
「それに、あれは本物の取り引きだったと言ったのはそっちだろう。金も返してもらわずに俺が返却する理由はない。『従者』にやったもんを取り返す必要も」
「あんたの望みは首飾りの行き先を把握することか」
エイルはシーヴの言葉を遮るように口を挟んだ。
「出回らなきゃ、いいんだな?」
「おい」
何を言い出す気だ、とばかりに友人が声を出すが、とりあえず無視をする。
「あれは、どこにも出回らない。とある魔術事件に絡むから、魔術師協会で保護をする」
ダナラーンの顔が強張った。盗賊組合も怖ろしいだろうが、魔術師協会はその上だろう。
というのも、エイルをはじめとする一般人は、盗賊たちのことを怖ろしいと思い、その組織などますます判らず、不気味だと思う。ダナラーンをはじめとする一般人が魔術師たちに対して思うことは、それ以上なのだ。
魔術師の集団を仕切る組織。そこではいったい、どのような邪な術が行われているのだろうか、と。
このような偏見があって助かった、と思うことはあまりない。いまのこれは、貴重な経験である。
「魔術……事件ですって? 協会?」
「そう。盗賊組合対闇組織みたいなもんでね、厄介な集団が見つかった。昨日の少年はこちらの手先でね、あれを手土産にそいつらのところに入り込むんだ」
微妙に真実で、微妙に嘘八百だ。エイルは、自分にできるのはこのあたりが限界、とばかりにシーヴをちらりと見た。砂漠の青年はうなずく。
「あれに魔術を込めて、まあ、具体的なことは言えないと言うか俺には知らされていないが、向こうの魔術の網を破るんだそうだ。そういうことに使った品は、協会で保管されなきゃならない」
エイルはにやりとしそうになるのをこらえた。相変わらず、信憑性のありそうな出鱈目が巧い。
「ハレサと和解したあとは、魔術師協会を敵に回したいか?」
「――嘘ね」
ダナラーンは言った。シーヴは不満そうに片眉を上げる。
「リャカラーダ、あなたは魔術師じゃない。あのような組織は、関係者以外に情報を洩らすことを禁忌とするわ。あなたがそんなことを知るはずがない」
「成程」
シーヴは肩をすくめた。
「そう言われちゃ仕方がない。本当のことを言う」
「おい」
簡単に引っ込めるのか、それに何を言う気だ、とエイルが不審を見せたとき。
「さっきは否定したが、今度は認めるとしよう。俺は確かに協会とは関わらないが、こいつと俺は互いに何も隠さないという強い誓いを交わしてる。つまり、こいつは俺の」
シーヴは言いながら、ぐいっと、エイルの肩を抱いた。
「生涯の伴侶だ」
あまりにも適当な出任せに、エイルは目眩を起こすかと思ったものである。
(殴ってやろうか!?)
だが意外なことにと言おうか、ダナラーンは鼻で笑うどころか、すっと真剣な顔をした。少し顔色が悪くなったようにも見える。
「……そう、誓いを」
(うん?)
「判ったわ。もう少し話を聞きましょうか」
何が判ったと言うのか、エイルにはいまいちぴんとこなかった。シーヴだって雑な出鱈目が奏功しそうなことに驚いているのではないだろうか。
もちろん、それを見せる訳にもいかない。
シーヴは神妙な顔で――エイルはシーヴを殴るのはあとにすることにして――話を再開させたのだった。




