09 呪えば、返る
「欲をかくのは辞めるんだな。俺もこいつもあんたらの言いなりにはならない。盗賊組合だって同じだ。ハレサがどういうつもりでも、俺たちには関わらせない」
「そうだな」
シーヴも立ち上がると細剣を抜いた。
「東国にも手は出させん」
「無謀ね」
「警護兵」ふたりも剣を抜いた。
「シーヴ、扉の方を!」
「了解」
砂漠の王子はばっと椅子を蹴倒してエイルの背後につくと、扉を守っていた男に対峙した。青年魔術師は杖の飾り輪に触れ、彼が唯一知る、最も穏当な攻撃術を試す。
気合いを込めて呪文を唱えれば、「いかにも」魔術師だ。それだけでダナラーンの脇を守っていた男が躊躇するのが判った。エイルとしては魔術であろうと剣であろうと人を傷つけるなど好まないから、できればそのまま下がってほしいと思った。そんな希望も込めて術を稼働させると、男は奇妙な悲鳴を上げて剣を取り落とした。
「成功、と」
口のなかで小さく呟く。
掌と剣の柄の間に雷の子を生じさせる術は、相手に武器を捨てさせたいときに使う簡単な術だ。少し身を守る程度ならこんな小技で充分である。たとえば町なかで盗賊の類に脅されかけたときに使えば、現実的に相手から得物を奪えるだけではない。魔術師が相手だとはっきりさせれば、戦意は失われるのが常なのだから。
「どうする? やるかい?」
エイルはにやりと笑ってみせた。内心は、はらはらし通しだ。ほかに使えそうな技を幾つか考えてみるものの、決定打になりそうなものはない。男は惑い、その隙にエイルは振り向いて、シーヴに向かうもうひとりにも同じ術を使った。やはり、剣はその手から落ちる。
「なかなかやるな」
言ったのは友人である。
「まあね。これくらいは、初歩だよ」
事実だ。初歩しか知らないが、それを言ってやる必要はない。
「刃物を怖れているようには見えなかったけれど、おとなしくついてきたも道理という訳ね」
「そう。あんたらの目論見を知っておきたかったんだ」
悠然と言ってみせるが、内心ではとんでもないと思っている。魔術師だろうが何だろうが、刺されれば血を流して死ぬのだ。杖を振る前に斬られたら一巻の終わり。
だが、この場合は何とも幸いなことに、魔術師というものに対しては世の中、偏見がある。
「俺たちに手を出そうとすれば」
「それと、東国だ」
「そうそう。俺たちと東国に手を出そうとすれば」
エイルはさっと杖を掲げた。男たちがびくりとする。女長は気丈に魔術師を睨みつけるが、顔色は青いままだ。
「――偽物屋〈紫檀〉は余すところなく、壊滅するだろう」
言って、ゆっくりと呪いの仕草をした。と言っても、一般的に悪ふざけで使う、本当には力のない仕草だ。魔術の印ではないし、その仕草に呪いを込めることも可能だが、そんなことをしなくても効果は充分なのだ。
ふと視線を感じる。振り返れば、シーヴが胡乱そうな目でエイルを見ていた。「仕草だけ」であることに気づいたようだ。やるなら本当に呪いをかけろ、と言っているのだろう。
「……あんまり、好みじゃないんだけど」
「俺を帰したくないのか」
これは、刃物で脅されるより強烈な脅迫である。やらなければ帰らない、という声が聞こえる。エイルは天を仰いだ。
「判ったよ」
エイルは、今度は本当に力のある印を切った。これをやりたくないのは、何も闇組織の今後を気遣う訳ではない。そこまで人が好くもない。ただ、昨夜に学んだ呪術のあれこれを思い出したためだ。
他者を呪うという行為は、何らかの形で術者に跳ね返ることが多い。〈人の不幸を願えば自身も陥穽に落ちる〉などとも言うが、まさにその通りのことが起こり得るのだ。
シーヴは、知らない。知っていれば、「守る」とまで言い放ったエイルにやらせることはないだろう。
と言っても、エイル程度の術師では大した呪いがかけられない、つまり返ってくるとしてもちょっとした不運――たとえば、財布を落とすとか、目当ての店を訪れたら臨時休業だったとか、それくらいの――で済むはずだ。もしかしたら魔除けはそれくらい弾いてくれるかもしれない。その程度でシーヴが東国に帰ってくれると言うのなら、おつりがくるくらいだ。
ただ、好みではない。
呪えば、返る。それを忘れたり、それをすり抜けてやろうと考えたりしたとき、魔術師は道を踏み外す。〈黒の左手〉はいつだって人々を狙っていて、最後の掛け金を外させようとしている。
(何だかだんだん、思考が魔術師らしくなってきたな)
(嫌だ嫌だ)
オルエンが聞けば、自覚が出てきたと褒めるだろうか。そんな褒められ方は、いや、オルエンに褒められること自体、嬉しくない。
「これでもまだ、何か言うことがあるかい」
だが自身の好悪や返ってくるかもしれない災いについて考えることはさておいて、エイルは短杖をダナラーンに突きつけた。長は、黙っている。
「いや、言ってもらわないとな」
シーヴは油断なく男たちに目を配りながら続けた。
「言葉に出しても、ちゃんと誓ってもらおう。俺たちと東国に関して、二度とおかしな企みはしない。東の品だと言ってちんけなものを売りさばくのはやめるんだ。正当な商売がしたいと言うのなら、話は別だがね」
ダナラーンはまだ黙っていた。シーヴが苛ついた顔を見せる。
「何とか、言ってもらおうじゃないか」
「――いわ」
「何だって?」
「聞けないわ、と言ったのよ。リャカラーダ」
ダナラーンは蒼白だった顔面に赤みを取り戻して、そう言った。
「そのような脅しに易々と屈するようでは、闇組織の長など張れないの」
明らかに魔術を怖れながらも、しかしダナラーンは言い放った。
「上等だ」
シーヴは卓越しに細剣の切っ先をダナラーンに向けた。「警護兵」たちは大した忠誠心もないと見え、長を守るよりも魔術師に逆らわないことを選んだようだ。
「俺は、呪いなんかで済ましてやるほど親切じゃない。意地を張ってすぐにでも命を落としたいか?」




