08 面白いわね
「それじゃ〈紫檀〉はご存命か。次は」
シーヴはにやりとした。
「東国の王子を足掛かりに、本格的に東方ご進出を狙う、と」
その笑みは、女にはおそらく、素早く利益を計算する抜け目ない若者の顔に見えただろう。エイルだって、うっかりすればそう考えるところだ。シーヴの「利益」は金云々ではなく、「それは面白そうだ」などであることが多いが。
しかし幸か不幸か、いまの笑みはそれではない。
王子殿下は、お怒りである。
「この俺に、東の宮廷への仲介をしろ、と」
まるで放蕩王子に見えるところもあるが、実際のシーヴ、それともリャカラーダは故郷の東国を心から愛している。こうして自ら飛び回るのは、本当に、故郷や自らの街のためなのだ。いくらかの冒険心はあったとしても、こうした事情がなければ彼はきちんとそれを抑えられる。少なくとも「あの旅」から戻ってはずっと抑えてきた。
「賢いのね。話が早くて助かるわ」
もっとも王子殿下はそれを上手に隠していらっしゃった。女は表面だけを見て言葉を返してくる。
「何でそんなことをしなけりゃならない。俺がお前らに手を貸す利点は?」
「ハレサに聞いたの」
「――やっぱあのおっさん」
エイルは呟く。本当にシーヴを売ったか。
「彼は、あなたが東の権力者に近い存在と見ている。演じるのならどこかの成金富豪の息子程度でも充分。王子を騙ることへの躊躇のなさと言い、聞きかじりや猿真似には見えない上流の所作、本物の近くにいてこそだわ」
さすがに本物ではないでしょうけれど、と相手は軽口を叩いた。
「答えになってないな、姉さん」
その呼び方にだろう、女は笑った。
「呼びたければ、ダナラーンと」
「こっちは名乗らないからな」
素早くエイルが言ったのは、シーヴへの牽制の意味もあった。シーヴが「リャカラーダ」以外に「シャムレイの王子」とまで名乗ったかは判らないが、そうしていない場合、出身まで特定させる情報を出すことはない。
「けっこうよ、エイルだったわね」
ダナラーンはにっこりと笑んで言った。エイルは天を仰ぐ。そうだろう。ハレサが「売った」ならば彼の名前くらい当然伝わっているはずだ。「リャカラーダ」の正体が確信されないままなら、自分の名前くらい知られてもかまわないが。
「あなたは〈紫檀〉から独立を奪った。そのつぐないはしてもらいましょう、リャカラーダ。そうは言っても、もちろんあなたにも利のある話よ」
女はそう言った。つまり、盗賊組合と闇組織は何らかの契約を結んだのだ。長は壊滅よりも従属を選んだ。差し出さねばならぬ上納金のために、新たなる顧客を掴もうとでも言うのだろう。そしてその紹介料を支払う、とでも。
「否と言えば、どうする? 俺を殺しでもするかね?」
「おい」
挑発するな、とエイルは友人に警告をしたが、シーヴはそれを無視した。
「やるならやってもらおうか。俺は故郷に害するような真似は死んだってしないね」
「やめろよ」
こっちの手の内、本心を先に見せるようなことをするな、とエイルは言いたかったのだが、もう遅そうだ。いつもならシーヴだってそうしたことには気づくのだが、ずいぶん腹を立てていると見えた。
「意外なことを言うのね」
ダナラーンは笑った。
「盗賊組合からの報酬目当ての若者は、思いがけない郷土愛の持ち主というところかしら」
(報酬目当てだって?)
エイルはそっと考えた。
(ダナラーンは、シーヴがハレサから報酬をもらったと思っているのか?)
(シーヴが勝手にティルドに与えちまった例の首飾りを報酬として勝手にもらったと言えなくもないが……それのことじゃないよな)
それが目当てだった訳ではない。積み重なった偶然の結果だ。
「あなたの主より高額を提供するわ、リャカラーダ」
「――はっ」
砂漠の王子は笑った。
「俺とご主人様はな、ラルの重さでつき合いを考えてる訳じゃないんでね。いくら積まれたって俺は応じない」
この場合、シーヴの言う「ご主人様」はおそらくシャムレイ王、つまり彼の父だろう。
「それなら次の提案をしましょう」
シーヴの声音には強いものが込められていたが、ダナラーンは気づかぬのか、それとも無視をしたのか、さらりと言う。
「何を言い出す気だよ」
エイルはつい、問うてしまう。
不吉な予感、というものはあった。だいたい、剣を突きつけられた瞬間から幸運だの平穏だのは音を立てて遠ざかっているのだ。
「〈調教には賞罰を使い分けよ〉と言うでしょう。賞を受け取らないのなら罰よ。まずはお隣の従者を見せしめにしましょうか?」
「あのなっ」
思わず言うのはもちろんエイルだ。誰が従者だ、という反論はさておき、シーヴに言うことを聞かせるために殺されてなどなるものか。
すい、とダナラーンの横にいた男が動くと小刀を手にし、いつでも投げられるようにエイルに向けてかまえた。──冗談ではない。
(あいつがどれくらいの名手か知らないけど、こっちだって避けられる自信なんかないぞ。それに、毒でも塗ってでもあれば、かすっただけでも洒落にならないことになるかもしれない)
魔術師なのだから魔術で防御、というのも簡単ではなかった。エイルはちょっとしたこけおどし程度の攻撃術なら持っているが、実践的な戦闘術など学んではいない。だいたい、とっさに適切な術を適切な威力で適切な場所に使用などできやしない。彼は駆け出しなのだ!
「ふざけるなよ」
低く、シーヴが言った。
「俺は東国に害するような真似はしない。だからと言ってこいつを傷つけさせもしない。俺はこいつを守ると決めてるんでな」
「おいっ」
状況にも関わらず、どうしたって抗議が出る台詞だ。
「守るは何とかの娘だけにしとけ。何で俺がお前に守られなくちゃならん」
「そりゃ、今度は胸を張って『守った』と言いたいからさ」
「だからそれは俺に対してはやめろと言ってるんだ」
「あら、面白いわね」
ダナラーンは笑った。
「そういう関係なの」
「違うっ!」
ふたりは異口同音に叫ぶ。
「クジナの趣味はない」
「俺だって、好みは女の子だね」
「ご主人様を説得できたら可愛い女の子を紹介してあげてもいいわよ、従者くん」
ダナラーンはころころと笑った。笑い話ではない。従者扱いもクジナ判定も女の子目当てに動くかのように言われるのも、全て的外れすぎる。
「そう簡単に殺されやしないし、『ご主人様』の説得もご免だね」
さて、どうしよう。いや、どうしようも何もない。やれることはひとつある。
エイルは迷った。やりたくない。ものすごく。でも、そんなことを言っていられる状況でもない。
エイルは心を決めた。女の言葉がまだ「脅し」の段階である内に、素早く立ち上がって印を切ったのだ。
「迫力出すには、長杖のがいいんだけどなあ」
そう言いながら、白い石輪のついた短杖をくるりと回す。
「魔術師。まさか」
女の顔色が青くなった。
「そんなことは言わなかったわ――〈黒鳩〉め」
「何だ」
エイルは少し笑った。
「俺の話をしたのは鳩か。そりゃそこまで仲良く語り合ってないからね。だいたい、ローブなしで魔術師だと見られたことはないよ」
有難いね、とエイルは言うと、杖を女に向けた。




