07 真実はどうでもいい
「思いつきついでに言うとだな」
「何でも言ってくれ」
半ば投げやりにエイルは言った。
「〈紫檀〉が本当に追い詰められているなら、俺を探し出して逆恨みをぶつけてる暇なんかないはずだ。エイル、これはやられたかもしれん」
「やられたって? 誰に、何を」
意味が判らなくてエイルは問うた。シーヴは息を吐く。
「盗賊のお頭に。〈紫檀〉に上納金を差し出させる条件として」
「なっ」
エイルはぽかんとした。
「何言ってんだ。お前、ハレサが俺たち……というかお前を〈紫檀〉に売ったとでも言うのか? んなことする意味が、どこに」
「〈紫檀〉は素直に組合の言いなりにはなりたくない。傘下に入らざるを得ないとしたって、組合にも少しは意趣返しをしたい。組合としちゃ保護下にある組合員を生け贄に、というのも問題だ」
「そこに〈油をかぶって火に飛込む〉ように〈調理人に拾われた迷い羊〉がいた、とでも?」
「おお、その通り」
王子は芝居がかって言った。
「見よ、哀れなる迷い子を。風の歌に導かれ、砂漠を離れた若者の、掴みし定めは如何様か。そは物言う搭と魔鳥の主」
「待て」
エイルは思わず制止した。
「誰が迷い子だ誰がっ。自分のこと棚に上げやがって。追われたのはお前だろうが」
「なかなかいいと思わんか?〈塔〉とラニタの主。大した運命だな」
「お前の、話を、してるんだ!」
エイルは一語ずつ区切るようにして言った。
「本当に、ハレサに売られたと思うのか?」
「有り得る、と言ってるんだ。昨夜の時点で目をつけられていたのなら、俺たちが泊まっていた宿にでもやってくるのが自然だろう。どうしてさっきの場所でとっ捕まった? ティルドの宿を張ってたのは、ハレサの手下なんだぜ」
「判らないよ。俺は、あの首領と話をしたのは少しだけだし」
「俺だって、そう仲良くなった訳じゃない。ただ、あれはレギスと盗賊組合のために動く男だ。俺がランティムのために動くのと同じ。自分の目的のためなら、余所者を差し出すくらい大して良心の呵責も覚えんだろう」
「……お前は、そうなのか」
ランティム伯爵をちろりと見ながらエイルは言う。
「少しくらいは心の痛みを覚えるが、必要ならやる」
シーヴは宣誓するように片手を上げると真顔で答えた。
「だから、もしそうだとしても俺は恨まん」
「恨むとか恨まないじゃない。誰の仕業でもかまわない。問題はそこじゃないんだからな」
エイルが睨むようにして言ったとき、扉が開かれた。ふたりの若者はぱっとそちらを振り向く。見ればそこにいるのは、彼らを「ご案内」してきた二人組だ。先ほどとはだいぶ印象が違う。
と言うのは、先にはごく目立たぬ普通の服を身につけていた男たちが、まるでどこかの警護兵の制服めいたものを着ているからだ。教会ふうの建物にはいささか不似合いだが、役割は歴然とする。成程、偽物屋には本物らしい箔が必要ということだ。
「こい」
簡素、かつ勘違いしようのない「命令」にエイルとシーヴは顔を見合わせた。まるで看守と囚人だが、それにしては相変わらず、捕縛する様子も武器を取り上げようという様子もない。その方が有難いが、どういうつもりだろう、という疑念も湧く。
「長 に会わせてくれるって?」
「神父様に何をお話ししたらいいんだか」
教会の長ならば神父だろう、とシーヴは言うが、当然そんなはずはない。仮に神父服を着ていたって偽物屋の長だ。そのままである。偽物だ。もちろん、シーヴも判って茶化しているだけだろう。
「こい」
命令は繰り返された。唯々諾々と従うのも腹の立つ話だが、抵抗して逃げ出すつもりならばもっと以前にやっている。エイルとしては「俺は関係ない」という気分がなくもないが、それを言うならば最初の最初からシーヴの――無理――難題などには関わらなければいい訳で、こうなったら、というよりもはなから一蓮托生、計算があるつもりの友人を手助けしてやらなければならない。
シーヴは「長の話」を聞くつもりでいるのだから、警戒はしてももちろん武器を抜いたりはしない。そうなればエイルも同様で、武器も杖も振りかざすのはとりあえずやめて案内人のあとに――正確には、ふたりの案内人に挟まれて――続いた。
教会めいた建物とは思ったが、本当にかつては教会であったものか、それとも偽物屋はきちんと似せることにこだわりでもあるのか、内部の様子は実に質素だった。連れていかれた部屋は、それでもいちばん豪華な部屋であるようだったが、申し訳程度に絵画などが飾られているくらいで――ご丁寧で笑えることに、神々と語らって罪と道を知る男の宗教物語の絵だった――来客用と見える卓や椅子も古びた、飾り気のないものだ。
「連れて参りました」
案内人たちはあくまでも警護兵然としてそう言うと、彼らを入れた部屋の「警護」をするように、ひとりは扉の、ひとりは部屋の主の近くに寄った。
「さて」
出された声とその姿にふたりは驚いた。偽物屋の長は初老から老人くらいの男であろうと想像していたのに、神官めいたローブを着て彼らを迎えたのは、三十半ばほどの女だったのである。
「リャカラーダ王子殿下、ね?」
化粧気のない穏やかな顔は本当に神職にある者のようだが、刃を突きつけて彼らを連れてきた奴らの長なのだ。優しそうな顔に騙される訳にはいかない。
「さて」
シーヴは同じように返した。
「どう答えようかな?」
「真実はどうでもいいわ」
そう言うと女は手を差し出して椅子を示した。座れ、と言う訳だ。見れば卓の上には茶まで用意されている。彼らは顔を見合わせると、それぞれ椅子を引いた。こんなところで逆らっても意味がない。
「私が確認したいのは、あなたが昨夜、そう名乗った若者なのかと言うことだけ」
言いながら女は椅子に腰掛けた。少し迷ったがエイルも倣い、シーヴも同様にする。
「そう言う意味なら、まあ、そうだと答えるのが真っ当だろうな」
否定に意味はないだろう。向こうは判っていて、問うのだから。
「あなたが誰であろうと、取り引きは本物だった。金貨もね。それで終わったのなら、あなたが何者であろうとかまわない」
「本物だろうと、偽物だろうと、ね」
シーヴの言葉に込められた皮肉は女に通じたようだ。長は微かに笑う。
「やはり、知っているのね。〈紫檀〉と名乗る偽造集団のこと。ささやかな仕事では飽きたらず、大博打に出ようとして盗賊組合に目をつけられた、闇組織」
「何のことだか」
砂漠の青年は肩をすくめて言ったが、それはあまりにもわざとらしく、エイルは嘆息した。
「ハレサ・ファンデル。おかしな男だわ。裏に生きる者たちの間でそれを仕切ることにどんな意義があるのかしら」
「あんただって同じことやってるんじゃないのか」
思わずエイルが口を挟むと、女は彼を見た。
「昨日の従者くんとは違うようね」
「あれは臨時雇いだからな」
シーヴが平然と言う。ならばエイルは正式の従者だとでも言うのか。お前に雇われた覚えはない、と突っ込むのはとりあえず避け、エイルは女を見返した。
「私が〈紫檀〉の長だと思っているの?」
「違ったら、俺は屋根から飛び降りてやるけど」
「馬鹿ねえ」
女は笑った。
「せっかく、ごまかす機会を与えてあげたのに」
「そりゃどうも」
エイルは唇を歪めた。
「『知ったからには生かして返さない』なんて言い出す気なら、こっちにも考えがあるからな」
盗賊組合もだが、概して闇に生きる者たちはその正体を見せたがらない。女は確かに一度も〈紫檀〉の長であるとも、その一員であるとすら言ってない。だが言っていないだけで、それはあまりにも明白だ。
「そんな物騒なことを言うつもりはないわ。あなた方はすぐにレギスを出ていくのでしょうし」
「出ていって、二度と戻るなという訳か」
シーヴが言った。
「そんな話のために、わざわざ呼び立ててくれたのか?」
「そうね。話をしましょうか」
長はそう言うと、ようやく同じ卓の向かいに腰を下ろした。
「あなたが何者でもかまわない。本当よ。それでもあなたは、何らかの――本物の宮廷を知り、宮廷作法を身につけている者ね」
「へえ?」
シーヴは面白そうに返した。かまをかけているだけだ、とでも言うのだろうか。確かにエイルの見るところでもを今日のシーヴは完全に「シーヴ」である。エイルとしては、リャカラーダを演ってもらった方が得策だと思ったが、王子殿下のご意向は逆なのだろうか。
「いまのことではないわ。昨夜よ」
女はシーヴの心を見抜いたかのように言った。
「昨夜あなたに対峙したのはね、王子殿下。既にいくつもの宮廷に入り、信を得だしている男なの。真偽を見破る目を持つわ」
「へえ」
砂漠の青年はまた言った。
「それにしちゃ、礼は下手くそだったぜ」
それはつまり「宮廷作法など見慣れている」との回答になった。どうやらシーヴは身分を隠すつもりでもばらすつもりでもない。女の考えていること――「東の宮廷を知る人間」という微妙な立場を演じてやろうという気になっているようだ。
エイルは呪いの言葉を内心で上げ連ねた。相談なしに方針を定められては、フォローのしようがない。




