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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第3話 偽物商人 第1章

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05 一緒にきてもらおう

 ティルドが泊まったという〈青い煙〉亭は旅慣れた人間向けの、何とも簡素な宿だった。余計な接客や飾り気はいっさいなし、飯も最低限、その代わり格安という類だ。

 朝の出立でちょっとした賑わいを見せている入り口からなかに入り込み、少年の部屋を尋ねれば、二階の三番目だと簡単に返ってくる。こうしたところでは宿泊客の秘密や安全に特別な配慮などしないものだ。

 エイルは足早に階段を駆け上り、目当ての扉を見つけるとそれを叩いた。

 返事はない。

「……まだ寝てるのかな」

「そいつはなかなか剛毅でいい」

 もう一度叩く。返事も、動く気配もない。

「ティルド、おい。開けてくれないか。話があるんだ」

 やはり、何も応答する様子がない。エイルは少し躊躇ってから、周辺を見回した。

「やるのか」

 シーヴが少し嫌そうに言うが、エイルはそれより嫌そうな顔をする。

「やりたか、ないよ」

 言いながら彼は術で小さくしている短杖を隠しから取り出すとそれを本来の大きさに戻し、それから記憶を探った。

 開錠の呪文は難しいものではないが、やり慣れていないので集中が要る。

 シーヴが周囲を見てくれているのに気づき、エイルは錠前に神経を傾けた。隠されているものを見る技と、ものを動かす技の混合だ。このような安宿の錠など簡単なものだし、仕掛けが判っていれば指ひとつ動かさずに開けられる。エイルではちっとも簡単にいかないが。

 やがて、かちゃりと音がした。エイルは安堵の息を吐いて杖をしまうと取っ手を回した。

「入るぞ」

 そう言って扉を開ければ、そこには、誰もいない。

「……あれ?」

 寝台は掛け布が乱暴に剥がされた状態で、そこに仮の主はいない。五ラクト四方もないような小さな部屋である。隠れる場所もあるはずがない。

 さっとシーヴがなかに入ると、寝台に手を触れた。

「ついさっきって訳じゃないな」

 冷えている、と言うのだろう。

「何でいないんだ。鍵、かかってたぞ」

 念のために窓を見たが、閉ざされたままだ。

「ってことは」

「お前の領分だな。魔術師(リート)

「……クソッ」

 エイルは呪いを口にした。シーヴから魔術師扱いされたことにではない。言われてみれば部屋には魔力に似た気配が残っており、それは業火の神官の神力を示唆していたのだ。

「連れてかれたんだ」

 どこに? 判りすぎるほど判っている。敵の本陣に、決まっている!

 どうすべきか? これも判っている。何もできない。

 コルストに乗り込むことは彼にはできない。できるとしたらスライを急かすことだが、導師は最速を心がけてくれているはずだ。スライを呼び出して急いでくれと言えば、彼がエイルに対応している間だけ準備が遅れるという矛盾が生じることになる。

「せめてこいつを渡してやりたかったのに」

 エイルは赤い石の首飾りを取り出した。シーヴは片眉を上げる。

「魔除けなら、俺が渡してやったさ。あれはオルエンからもらったもんだろ? そいつと同じか、それ以上の力があるんじゃないか」

「そうかもしれない。でも」

 何かしてやれたのではないか。シーヴと同時にティルドをもラニタリスに探させて、そうしておけば――。

「……どうにもならなかったな」

 エイルは認めた。

「あいつはあいつの道にいる。シーヴ、お前が言った通りだ。俺が手を出せるところは、過ぎた」

「がっかりするなよ」

 シーヴはエイルの隣に戻ると友人の肩を叩いた。

「何でもかんでもお前ひとりでできる訳じゃない。友人と弟と、あとはアーレイドの導師を信頼しろ。ちゃんと、なるようになるさ」

 エイルはシーヴを見た。友人の黒い瞳は、いつもの茶化した光をひそめ、真摯だ。エイルにもう少し余裕があれば「その言葉はお前にそっくり返す」とでも言えたところだが、生憎と彼はただ素直にそれを聞いた。

「彼らは無事に帰郷をする。そして縁があれば、道はまた交わる。俺とお前はそうだったように」

「――そうだな」

 青年は小さく言った。無事に帰郷をする。それは過去の日の彼には何と甘美な響きだったことか!

 彼とシーヴはそれを為した。ユファスとティルドにも、そう在ってほしい。

「今日が、勝負か」

 スライは間に合うだろうか。――大丈夫だ。エイルはあの導師を信じられる。

「そうだな」

 エイルはまた言った。大丈夫。彼らの道は彼らのもので、エイルがどこでどう手をこまねこうと、彼らはちゃんと歩く。かつて、エイルとシーヴがそうであったように。

「帰郷」

 ふと、エイルはその言葉の持つもうひとつの意味、或いはもうひとつの方角を思い出させた。

「そうだ。偽物屋には片が付いたんだな。あいつらの道には手が出せなくても、お前のになら出せる。こうなったらさっさと東国に帰るぞ、王子殿下」

「まあ、待て」

 シーヴは両手を上げた。気づけばその瞳に宿るのはいつもの色だ。

「本当に片が付いたかどうか、まだ判らんだろう。ハレサに話を聞かんと」

「あのおっさんがわざわざ報告なんかしてくれると思うのか? それとも探し出す? 情報屋なんか使うのは俺はもうご免だぞ」

「そんなことしなくても、この宿屋の真ん前で見張ってる手下がいるだろう。そいつにちょっと伝言を」

「おい、まだ何かやる気か」

「何を言ってるんだ。しっかり確認してからでないと、終わったとは言えんだろう」

 シーヴが素直に「はい、帰ります」と言わないことは百も承知だし、言うことももっともではあるが、どうにもこの友人は憎たらしくなるときがある。エイルは奇妙なうなり声をあげて、しなやかに踵を返す王子殿下のあとに続いた。

 (ミィ)のような足取りで朝の太陽(リィキア)を浴びるシーヴについていく格好になりながら宿を出たエイルは、ふと空を見上げた。

 ラニタリスの姿はない。「散歩」のあとで戻ってきた鳥に告げた「どこかその辺で適当に飛んでいろ」という何とも適当な命令を実行しているのだろう。

(休んでろって言ってやればよかったかな)

 ふとそんなことを思う。

(まさか、飛んでろって言ったからって延々と飛び続けちゃいないだろうけど)

 昨夜のことを考えれば、単純に言うことばかりを聞こうとするのではなく、応用力もある。だが喋り出した様子を見ていると、ろくに知恵のない子供という印象が却って強まった。

(いやいや、違うぞエイル)

(あれは、魔物!)

 彼は自らに言い聞かせるようにした。

 何の変哲もない子供に見えても、あれは魔物から生まれ、鳥に変わり、オルエンですら面白がらせる奇妙な生き物だ。それを忘れてはならない。忘れようが、ないのだが。

 まだ朝の早い街並みは人通りも少ない。

 ティルドは宿から歩いて出て行ったのではないから、見張りを命じられているはずの盗賊(ガーラ)はまだ少年がなかにいると思って、この辺りにいるだろう。「盗賊」というものはどういうところに隠れ、入り口を見張っているものか。エイルは少しばかりみっともなくきょろきょろしながらシーヴのあとに続き、友人の背に激突した。

「おい、何を急に立ち止まって」

 抗議の声は、そこでとまった。シーヴの目前に誰かもうひとりがいる。

リャカラー(・・・・・)ダ王子だな(・・・・・)

「……否定してみても、無駄かな」

 背後にいるエイルにも、シーヴが口の端を上げるのが判った。

「目立つんだよ、お前は」

 ぼそりと言ってからエイルは、友人の腹に短剣が突きつけられているのを見た。どきりとする間もない。彼の背にも同様のものと思われる鋭い何かが、ぴたりとつけられた。

「一緒にきてもらおう。昨夜の小芝居について、我々の長が話を聞きたいそうだ」

 くぐもった声は爽やかな光のなかであっても不吉な印象しか残さない。

「――〈紫檀(・・)〉」

 考えるまでもない。いま、このレギスでシーヴをリャカラーダと呼ぶ人物など、ほかにいない。

(ハレサがしくじったのか)

(いや、いくら何でも一晩で壊滅はしないよな……ってことは、何だ?)

(何であれ、いまの状況に変わりはない、か)

 盗賊組合(ガーラ・ディル)は偽物屋という闇組織(ダースルス)を叩き、それに手を貸したと見られた彼らは偽物屋の恨みを買ったのだ。

 エイルはまた心臓が跳ねるのを覚えた。

 となると、〈紫檀〉は考えるはずだ。盗賊の協力者であるこの若者は東国の王子などではない、と。そうなれば、傷つけることに躊躇いなどないやもしれぬ。

 青年魔術師は、役に立ちそうな呪文を懸命に考えた。だがこの緊張状態では成功するとは思えない。杖を出せばどうにかなるだろうか。

「こい」

 腕が掴まれ、引っ張られた。ちらりとシーヴの様子を見ると、青年は友人の視線を捉えてわずかに首を振った。逆らうなと言うのだろう。

 エイルは嘆息して、短杖のことを考えるのをやめた。話を聞きたいと言うのだから、すぐに殺すような真似はしないはずだ。すぐに物騒な話になるかもしれないが、だからこそ、魔術師(リート)であることは隠した方が得策かもしれない。

 昇っていく太陽(リィキア)のもと、エイルとシーヴは日の差さぬ日陰の小道へと連れられていった。


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