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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第2話 王子殿下の一計 第4章

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07 そんなにやばい場所か

 だが彼は、考える必要はなかったのだ。

 指針がどう定まろうと、それをねじ曲げるのは〈名なき運命の女神〉のお楽しみとで、何故だかエイルは女神の意中の相手だ。

 身体をきれいにし、湯で疲れをほぐし、今度はどこかの酒場で何か聞いてみようかという漠然とした方針を立てたエイルは、湯屋を出たところで思いがけぬ羽目に遭うことになる。

 油断をしていた訳ではないけれど、特に警戒はしていなかった。ということは、油断をしていたと言えるだろうか。

 小道にさしかかったところで、急に腕を掴まれるとそこに引っ張り込まれ、心臓を跳ね上がらせる間に背後から羽交い締めにされて、ご丁寧に口まで塞がれる。

(な……っ)

(何だよ、こんな大通りのすぐ脇で、強盗かっ!?)

 腰の袋に銀貨(ラル)ならば多少は入っている。それに満足すれば盗賊(ガーラ)が獲物を傷つけたり殺したりすることは滅多にないが、そうしたことはたいていもっと薄暗い場所で起きることだ。

 エイル青年には少しばかり体術の心得もあるが、正面切ってかかってこられればともかく、どちらかと言えば小柄な身体をしっかりと押さえ込まれては、相手を投げ飛ばすことも、もう少し簡単に足を払ってやることも難しい。

「騒ぐな」

 太い声が耳元で囁かれた。

「傷つけはしない。少し話があるだけだ」

(そりゃけっこうだね)

(口ふさがれて、話もないもんだ)

 いざとなれば、気に入らないが、魔術で対処もできる。そう思ったエイルは恐怖に身をすくませたりはしなかったが、嬉しい状況でないことには変わりない。

「騒がないな?」

 念を押されてこくこくとうなずいた。手が口から放される。

「何なんだよ、いきなりっ。話があるんならそう言えばいいだろうがっ」

 まずは抗議をする。至極もっともな抗議だと自分では思った。

「怖がってはいないようだな。度胸が据わってるのか、それともこういう状況に慣れてでもいるのか?」

「少なくとも、慣れてはいないね。ご免だよ。さっさと放してくれ」

「逃げられたら困るからな」

「じゃあ何か? 抱きしめられたままでお話しすんのか? どうせなら女の子に交代してくれ。そうしたら逃げないから」

 そう言うと相手は笑った。

「俺も好きでやってるんじゃないがね。これが嫌ならば」

 しゅっと音がした。

「こちらだ」

 捕まえられていた腕が放されると同時に、腰の辺りに鋭いものが突きつけられる。エイルは天を仰いだ。

「話ねえ」

 両手が自由になれば、この状況から逃げ出すことは容易い。生憎と剣は持っていないししばらく鍛錬も怠っているが、それでも一対一なら相手の武器をたたき落とすくらいはできるだろう。だが、これは――。

「さっきの傷だらけのおっさんから聞いたんだな?〈落陽〉だとかはそんなにやばい場所か。近寄るなってんなら寄らないよ。これでいいだろ」

「頭がいいな。だが、馬鹿だ」

「どっちだよ」

「話があるのは俺じゃない。うちの首領(ジェレン)さ。申し開きは彼の前でやってもらおう」

 「首領」も「申し開き」も引っかかったが、ここで何か尋ねたり文句を言っても意味がない。お頭(ジェレン)がいるのなら、そこと話をつけない限り背後の盗賊(ガーラ)――だろう――は剣を引かないはずだ。

 もちろん、エイルにはどうとでもしようがある。まさか相手が魔術師だとは思っていないはずだ。多少の頭痛を我慢してこっそり印を切れば、相手の剣を奪うことも、相手を動かなくさせることもできる。成功すれば。

「判ったよ」

 だがエイルはそう言った。

「そいつはどこにいるんだ? 話を聞かせてもらいたいのは、むしろこっちだね」

 本音だ。

 〈落陽〉がやばい場所なのは判った。その話をしたために、こんなちんぴらが「釣れた」。

 そいつを動かした「首領」はエイルを――というよりは、何者をも〈落陽〉に近寄らせたくないのだろう。果たしてその理由は?

(つながりゃ、幸運だ)

 さっきの情報屋も盗賊組合のことに触れていた。「東国の品を扱う商人たち」が、ここの盗賊組合と揉め事でも起こしているなら、エイルの探し物は一気に近くなる。

 男は短剣で脅しつけながらエイルを歩かせようとしたが、青年が少しも怖がったり、或いは逃げだそうとしたりしないのを見て取ると、剣をしまい込みこそしないものの、あからさまに突きつけることはやめた。「どうにかできる」とは思っていても脅されっぱなしはあまり面白くなかったので、歓迎である。

 見知らぬレギスの小道を幾つか曲がると、エイルの方向感覚は怪しくなってきた。わざと判りにくい道を進んでいるのに違いない。仮に隙をついて逃げ出しても、もとの場所に戻ることは難しそうだ。

「そこだ」

 男は街灯のない暗い小道の奥にある扉を指差した。エイルが逃げないかどうか油断なく見張りながら扉に近づき、奇妙なリズムを持ってそれを叩く。合い言葉代わりなのだろう。少しするとなかから異なるリズムで返答があり、男がまた違う調子で返すと、ようやくそれが開かれた。

「早かったな」

「抵抗されなかったし、震え上がって足がとまっちまうような男でもないらしくてね」

「そりゃいい。話が早そうだ。さあ入んな、客人」

 脅して連れておいて、「客人」もないものである。エイルは乾いた笑いを浮かべて招きに応じた。

 小さめの扉をくぐるとなかにはほのかな灯りがある。少し見えづらいが、階段を見落とすほどでもない。古びた階段は、扉を開けた相手と、剣で脅してきた男と、エイルの三人が歩けばぎしぎしと音を立てたが、崩れ落ちる心配はなさそうだった。

 案内された地下には小部屋があって、もう少し明るい。何度か目をしばたたくと、だいたいの様子は見て取れた。

 四方はせいぜい四ラクトから五ラクト。その広さに相応しい大きさの卓と、六脚の椅子。あるのはそれだけだ。

 そして中央の卓の向こうに腰掛けて待っている、ひとりの男。いるのは、それだけ。

「連れてきやした」

 エイルの案内人(・・・)が言うと、もうひとりが小さな袋を投げた。案内人は上手にそれを受け取る。ちゃらん、と音がした。(ラル)だろう。

「ご苦労だった、行っていいぞ」

 その言葉に案内人は満足そうに口笛など吹いて帰っていった。

「手荒な真似して済まなかったな。緊急だったもんだから」

「話がありますと言ってもらえりゃ、俺は素直にきたけどね」

 言いながらエイルは、促されるままに椅子に座った。

「それでお話は。――首領(ジェレン)

 言ってやると相手は笑った。

「あいつがそう言ったのか。まあそう呼ぶ奴もいるがな、別に盗賊組合(ガーラ・ディル)(ディラス)って訳でもない。安心しろよ」

「そりゃよかった」

 そんなことは考えていなかったが、成程、その可能性もあったのだと気づくとげんなりした。彼らの(ディラス)はたいてい、正体不明を保つ。町憲兵隊(レドキアータ)盗賊(・・)に狙われれば厄介だからだ。その顔を知ったら、生きて帰れないと思っていい。


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