02 何をやらかしているのか
運命の女神に何か訴えをするよりも、彼にはすべきことがある。
まずは、とある誰かに面と向かって直接、文句と抗議と罵詈雑言と呪いを投げつけてやることだ。
だがこれまたもちろんと言おうか、塔に戻ったところで相変わらずオルエンの姿はない。エイルは、本当にウェンズから呪術書をもらおうか、と考えながら獣のようなうなり声を上げた。
「機嫌が悪いな」
「人生で最大級だよ」
〈塔〉に言葉を返してから無駄を承知でオルエンの居所を尋ねれば、やはり無駄に終わったことを知るだけだ。
「あのあと、帰った。それだけだ」
「『帰った』」
エイルは〈塔〉の返答を繰り返した。
「どこに帰るんだか」
「知らぬ」
「訊いてるんじゃないよ」
独り言さ、と魔術師は言った。
「何か、言ってたか」
「何かとは、何だ」
「俺が泡を食って出かけたあと、『帰る』前にさ。何かお前に言葉を残さなかったか。俺に伝言って意味じゃない。俺の態度を面白がるような風情があっただろう」
「特にはなかったようだが」
エイルはじとんと〈塔〉を――睨むならここだ、と定めている一点を――睨みつけたが、石造りの塔の顔色を窺える訳でもない。エイルは両手を上げると、ひとりにらめっこをやめた。
「まあ、お前がオルエンについての何かを俺にばらすとは思ってないよ」
「人聞きの悪い。お前が私の主だと、何度言えばよいのだ」
「はいはい」
人聞きも何も、誰も聞いてないだろうが、などという指摘は控えた。
「んじゃ、当然のことながら、伝言もないと」
「ない」
「あんのクソ爺め」
「品が悪いぞ」
「放っておいてくれ。下町育ちの性分だよ」
西の王女様に対しても、せいぜい「すごく悪い言葉は使わないようにしている」程度だし、東の王子様に対しては普段の口調と変える気がない。そう言えば北の王子様も鷹揚で、エイルは「シーヴに対するよりはさすがに少し丁寧」くらいの応対をした。
「育ちと品は関係がない。エイルよ、品などというのは悪くするのは簡単なのだ。教養ばかりで品のない王侯貴族もいれば、知識と金はなくとも心は気高い平民もいる」
「説教はよせよ。オルエンにあれだけ悪逆非道をされたら、お前だって罵るさ」
「まさか。私はそのような真似はせぬ」
「そりゃ、爺さんは自分の制作物には親切だからな」
エイルがあんなに関わりを気にしているエディスンの王子殿下より、自身の作った町の平穏の方が大事な訳である。そしてヴェルフレスト王子を放り出しておきながら、エイルに被害者の正体を隠したまま、まるでエイルの意志であるかのように――実際、エイルの意志でもあったが――救出に行かせた。腹が立つ。
「ああっもう!」
彼は頭をかきむしった。
「俺はもう、二度とあいつには騙されねえぞ!」
「それは」
〈塔〉は面白そうな声を出した。
「無理だろうな、主よ」
冷静な指摘にエイルは肩を落とした。
「サラニタは。戻ってるか」
「お前の寝台で休んでいる」
「ちょっと無茶させたからなあ」
エイルは苦笑した。
「あれが本当にガキなら、礼と詫びに菓子でも買ってきてやるとこだけど、あいつは食べ物なんか必要としないし」
幸いにして食べられないというのではないから、母アニーナも不審がることはなかった。
「使い魔なれば、主人に従うのは当然だ。そのように気を遣うことなどないだろう」
「そりゃそうかもしれないけどさ。ガキでいるときはどう見ても人間のガキなんだから、俺は簡単に割り切れないよ」
それに、とエイルは続けた。
「俺が主人ってのもねえ、どうにも納得が」
「伊達や酔狂で連夜の探索に赴く魔物もおるまい。サラニタは私同様、お前を主とするのだ。いい加減に理解しろ」
「お前と同様、じゃあまり期待できないじゃないか」
「酷いことを言う」
「はいはい、判った。冗談。泣くな」
さすがに〈塔〉は涙を流すことはできないから――もしそんなことまでできて、屋内に雨でも降らせられたら困りものだ――「泣く」というのはこれまた冗談か、ただの比喩である。
「お前に初めて呼ばれた頃より、少しは判ったこともあるけどさ。でもやっぱ、判らないよ。名付けただけであんな不思議な生き物が俺の言うことを聞くなんて」
「そういうものなのだ、というだけではお前は納得しないのだな」
「だって、おかしいじゃんか」
「オルエンであれば魔術師の自覚を持てと言うのだろうが、私は、エイル。お前はそのままでも面白いと思う」
「それは、褒め言葉なのか?」
「そうだ」
「……そりゃ、有難うよ」
いつだったかオルエンはエイルに「お前は在るように在れ」と言った。
だがそれは「好きなようにしていろ」ということではないようだ。「魔術師の自覚を持つこと」は彼にとって「在ること」だとでも。
オルエンの言うことも判らなくはない。いや、判る。実際、どうあがいてみたところでエイルは魔術師なのだ。
どうやら〈塔〉が言うのはもう少し複雑である。エイルが魔術を使うことを怖れれば批判するが、あがき続けたいならばそれでもいいのではないか、と。
それはクラーナがエイルについて述べたことに少し似ていた。渦に流されることを受け入れたら、彼は囚われると。
エイルには判らない。彼らが自分に何を見るのか。
(まあ、あがくなと言われてあがかなくなる訳でもないんだし、俺は当分このままだろうな)
そんなことより考えるべきはサラニタへの詫びでも〈塔〉への礼でもなく、シーヴの居場所である。
何をやらかしているのか。やらかしていないなどとは言わせない。
だが、それよりも何よりも。
(無事なんだろうな)
そう考えると、きゅっと胃が痛くなるようだ。
もし、彼がエディスンの王子を気にかけている間に、シャムレイの王子に何かあったとしたら? 王子だからどうのと言うのでは無論なく、シーヴは友だ。友人が無謀に突っ走っているのに――違うなどとは、言わせない!――その勇み足をとめたり、場合によっては魔力で手伝ってやったりできるエイルが、こうして離れている。
(あいつのことだ、もうレギスに着いてるかもしれない)
休みたい。だがその暇はない。エイルは深呼吸すると声を張った。
「〈塔〉! レギスに行くぞ」
「私はかまわぬが」
〈塔〉はゆっくりと言葉を返した。
「サラニタは、どうする」
「う」
母に返すと約束をしたことを思い出す。
「……いい。今日中に返すとは、言ってない」
「成程」
納得したように〈塔〉は言ったが、アニーナが納得するはずもなかった。こうなったら、エイルがオルエンに対してしたような罵詈雑言を母から聞かされる覚悟を決めるしかない。




