01 女神を頭上に戴いて
全くもって、忙しい。
先に作った薬をヴェルフレストに渡し、砂漠の民に王子殿下を岸まで送ってくれるように頼んだあとは、〈塔〉を介してラスルの集落にいちばん近い町パルタに跳び、渡し守の手配をする。強突張りの渡しに王子が襲われでもしてはたいへんだから、人の好さそうなのを慎重に選んだ。
そのあとは、エディスンへの連絡だ。パルタの魔術師協会を探してそこからウェンズを呼んだが、顔に傷跡を持つ魔術師も何やら忙しいらしく、返答までに時間がかかった。
エイルはウェンズとも待ち合わせに決めた軽食処の一角で、起きた出来事を思い返すことになる。
まとめ上げれば「腹立たしい」の一言である。
もちろんと言おうか、エイルはオルエンが放り出したという若者が誰でも、助けに行こうと思っただろう。見知らぬ、何の関わりもない人間であっても、死ぬところを助けられるかもしれないのに放っておくというのは抵抗があったからだ。関わりがあれば、なおさらである。
だが、オルエンは言わなかった。それが、エディスンの王子であると。
知らなかったなどとは言わせない。絶対に、言わせない。
いったい何のつもりなのだろう。エイルがおたおたと助けに行こうとするのを見て楽しんででもいたのだろうか? いや、そうではないだろう。「エディスンの王子だ」と知らされた方がエイルはおたおたしたはずだ。
だから黙っていたのか? エイルが慌てることで何か失敗をしないように、親切に口をつぐんでいたとでも? それも「まさか」である。
死なせるつもりではなく、単に魔術の移動をさせてやるのが嫌だっただけならば、エイルが苦労をしてサラニタを使わずともオルエンがラスルに救出させれば済む話だ。砂漠の民とも関わりたくないと言うのかもしれないが、それならただエイルに居場所を教えればいいではないか?
(何のつもりでいるんだか)
オルエンの考えることはさっぱりである。あれの考えが判るようになったら、それはそれで落ち込むと思うが。
エイルは、ヴェルフレスト王子にオルエンに似ていると言われたことに、エイルは実に、大いに、非常に、傷ついていた。
自分には余裕がない。だからあのような物言いになった。仕方がない、とも思う。ややこしいことだらけだ。
彼が反省をした、というよりも腹立たしく思うのは、オルエンがああいった「いい加減な」あしらいをするとき、それは余裕がないのではなくむしろ余裕だらけであると言うことだ。
そう、あのしおらしさに騙された自分が馬鹿だったのだ。クラーナの言葉に重きを置くべきだったのだ。オルエンは何かを企んでいる? いや、そうではないだろう。あれはただ面白がっているのだ。少なくとも彼はそう断定した。
「どうされました?」
「……いや、何でもない」
険悪な表情でもしていたのだろう、やってきたウェンズはまずそんな言葉をエイルにかけた。
「まあ、詳しい事情は知らないけど、王子殿下はそういう状況だ」
談笑するような仲でもない。エイルは早速だいたいの説明をした。
「あとは任せるよ、ウェンズ術師」
ひらひらと手を振れば、顔の半面に酷い傷痕のあるエディスンの魔術師は丁寧な礼をした。
「有難うございます、エイル術師。あなたは、『われわれを右往左往させておいても』よかったのでしょうに」
「それ、皮肉かい」
以前の邂逅で自身が言った台詞を引用され、エイルはにやりとした。揶揄された感じはしない。機知というところだ。
エイルが腹を立てたのではないと通じたらしく、ウェンズはまた笑った。見ようによってはたいそう怖い顔になるが、それでも聡明さはにじみ出る。
こうありたいもんだ、などとエイルは思ったが、果たして「聡明さがにじみ出る」ようになるには何年、何十年かかるか、それとも彼にその境地は訪れないだろうか。何しろ師匠が、あれなのだから。
「クソっ、思い出したらまた腹が立った」
エイルは本日二度目の、オルエン専用罵詈雑言、知っている全ての呪い文句と罵り言葉を本気の呪い仕草つきで行った。ウェンズはそれに目を丸くしてから、エイルが知らなかった呪いの言葉をひとつふたつ、教えてくれた。
「なかなか面白い人だね、術師」
エイルが言うとウェンズは肩をすくめた。
「こんなことでお礼代わりになるのなら。何でしたら呪術に関する本でも一冊、進呈いたしましょうか」
「そりゃ有難い。でも俺が言うのはさ」
エイルは気軽な口調で続けた。
「それだけ呪い文句に堪能なあんたが、まるで神官然として神殿に」
「そのことは」
ウェンズはエイルの言を遮り、唇に指を一本当てた。
「あなたが首飾りの在処について口にしないのと同様、私も口にできないことです」
「……いや、別に何か探ろうってつもりじゃ」
相手の声が低くなったことにエイルは少し戸惑って応じた。
「あなたに任があるのと同様に、私にもあるのですよ」
ウェンズは口調を和らげて言った。
「俺は誰にも仕えちゃいない」
唇を歪めて彼は言った。アーレイドの王女に雇われてはいるかもしれないが忠誠を誓っている訳ではないし、絶対の任務というようなものはない。
「仕えるの相手は、何も自身の協会長やどこかの王、権力者とは限りません」
エディスンの魔術師はそう言った。
「われわれはみな、運命という名なき女神を頭上に戴いていますよ、エイル術師」
その言葉にエイルは、乾いた笑いを返すしかなかった。




